今は昔   作:何某

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12話:花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。

 仕損じた。

宙に跳ね上がる刃を見ながら、私は内心で毒づいた。

反射的に抜かれた刀は阿一様の眼前にまで伸びた爪を留めるには至った。しかし、指ごと断ち切る算段だったが私が切り上げた部分は指ではなく依然として硬質な爪だった。

 持ち手を返して、頭を揺らすような怒号ごと引き気味に切り払う。砕けた歯と虚ろな瞳は先よりまして不透明に淀んでいた。手先に伝わった感覚はその見た目と遜色ない、あまりにも不快なものだった。

 刀についた血液を振り払い、起き上がる様子のないそいつを見下ろす。どう見ても虫の息、そのおばあさんだったそれは話し言葉すらあやふやになっていた。

 

 

 

「ノガスナァっ!!」

 

 

 

 どこからかそんな奇声が聞こえてくる。嬉しくもない黄色い声がそこらじゅうから聞こえてくた。数十はくだらないかも知れない。事態は切迫していた。日も沈む。目まぐるしく移り変わっていく現状に流されないよう手短に問いただした。

  

 

 

「どうしますか。逃げますか、撒きますか、それともしっぽを巻きますか」

「どれも逃走なんじゃないか」

「そう言ってるんです。こいつらを相手にするのは少々骨です」

「どのくらい?」

「おそらく奴らの言うお花畑に行きかけるぐらいです」

「それは困るな」

「私もです」

「じゃ、逃げよう。お前から言ってきたんだ。目算ぐらいあるんだろうな?」

「それを考えるのがあなたの役目でしょう?この場じゃ一番の役立たずなんですから」

「言うこときっついなあ」

「時間ないですから。取り繕うのも面倒なんで」

「先の村、場所は翁。覚えてるな?」

「勘で」

「十分だ」

 

 

 

 ガサガサと葉をかき分ける音が確実に近づいていた。もうしばらくすればこの足元に転がっている死体と似たような瞳がこちらを覗き込むのだろう。

そして捕まれば、刃物のように尖った犬歯と刀のように伸びた爪が私たちの体を引き裂くに違いない。それこそ待ちに待った楽しみを目前にした子供が包を引き裂いてく時のように。

 思わず身震いがした。

 

 

 

「ご武運を」

「ああ」

 

 

 

 かけた言葉に振り返ることもない。私もその背中を追うようなことはしなかった。これ以上話すことはない。真っ直ぐ村へと向かってくれるはず。

 私は逆方向に進む。囮で終わるつもりはないが、役目を果たせなければ元も子もない。山道をできるだけ降りず、同じ高さを保つようにしながら、山肌をかけていく。

 風で葉がこすれあう音と、私が駆け足で地面を蹴りつける音、その周りを囲うように茂みをあの妖怪どもがかき分ける音と不快な甲高い声が聞こえた。近所迷惑とか考えないのだろう。冬の山中に夜中に挑むなど伊達か酔狂ぐらいなものだ。いくら叫んだって構いやしないのだろう。けど、やかましいわ、こん畜生ども。

 それほど小さな山ではないらしい。まだ回りきる様子はない。断続的に続く声に耳を塞ぎたい衝動に駆られる。だがいま両手を開けておかなければいつ襲われるかわからない。足場の危険もある。贅沢は言ってられなかった。

 

 

 

「トメロォ! コロセェ!」

「うるっさいっての…っ」

 

 

 

 牽制的なちょっかいが増えてきた。上がいるのか、単騎で突っ込むようなことはしてこない。しかし、そのままというわけでもない。次第に四方八方から飛び出してくる爪の量が増えてきた。それは確実に私の足を削りつつある。

 鬱陶しい! でも、こちらから追えば向こうの思うツボだし、そんな余裕も正直ない。飛んでくる爪に対処するのに手一杯だって無理っぽいって。どうしろってんのさクソッタレ。

 無理に時間を引き伸ばしすぎればこの調子だとまずい、追いつかれてしまいかねない。囲まれてしまえば自分の命が危ないし、そこからの勝算も思い付きそうにない。かといって今投げ出して逃げてしまえば阿一様の方へと手が伸びるかも知れない。あいつらが飢えてるのはあの目つきからして間違いない。ともなれば、私が全力で逃げてしまえば間に合いそうになくても、阿一様を追いかけてしまうのはありえる。間違いなく逃げ切れるギリギリまで引き付けたかった。

 っつってもこれどーしろってんのよ!? ちょっともうそろそろ手に負いそうにないんですけど!? 無理難題ばっかで嫌んなるなあ、もう!!

 苛烈になっていく足止めに限界が近づいてくるのが自分でも

よくわかった。意識を切り替え、どこでどう締めるか探り始めるべきか、自問自答し始めた矢先だった。

 

 

 

「シッ!!!」

「むぅわあっ!?」

 

 

 

 弾くことも叶わず、いびつな形をした爪が頬を爪が掠め取っていった。ついに得た感触にほくそ笑む妖怪の姿が見えた。

 動揺しながらもとっさの判断、体勢を崩してまで致命傷を避けた。あと一歩、右足を踏みしめる大地さえあれば私はまだ走り続けられたはずだった。

 だが、その視界の先にあったのは先の見えない崖。

 

 

 

「…うそでsy―――」

 

 

 

 全身が言いようのない不快感と不安で包まれる。

 途切れた雑木林から、宙に浮いた体が暗闇のそこへと投げ出された。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 口の中が嫌に塩辛かった。いがらっぽく粘りつくようなツバが不快だったが、飲み込むよりも僕は息を欲していた。呼吸音を抑えようと思っても聞こえなかった。遠い背後から今も聞こえてきそうな音は頭を揺らすような気持ち悪い和声だった。

 立ち止まらないように上半身は倒して山を駆け下りていた。その方が速く走れる。走るというよりもすでに地面は足先で触れるというような感覚になっていたが、止まった後のことを気にする暇もなかった。

 木を避ける、草を飛び越える。ここは右、ここで大きな石、そこに木の根が張ってる。そして奥には苔の生えた木のウロがある。そしたら左、その次は前、次も前、そして右、左、右、右、前左右左………。

 最後にあるのは入口。

 

 

 

「わっぷ!!!」

「…あら?」

 

 

 

 …のはずだったのだが、開けるはずの視界は先程よりも暗く、温かみすら感じられた。少し柔らかさもあった。なぜに?

 すぐに息が詰まり勢いよく離れてから、僕は両肩で息をし始める。

 

 

 

「…誰だか知らないけど、こんな時間に、あなたは一体何をしているのかしら? 殺されても文句は言えないわよ…?」

「っはあ……っは、っがっはあ、はあ……」

「………何をそんなに息を切らしてるのかしら?」

「そ…、それが…」

「落ち着きなさい。今夜は気分がいいから息が整うぐらいまでは待ってあげるわ」

「あ、りがとう」

 

 

 

 誰とも知らない女性の前で両手を膝につき、荒れ切った息が落ち着くまで呼吸し続けた。膝が壊れてしまったみたいに笑ってたのが情けなかった。

 情けないのはそれだけじゃないだろうに。もう少し自分はうまくやれると思っていたのだ。あれだけしか伝えられなかったのを嘘だと言って欲しかった。

 

 

 

「…落ち着いたかしら?」

「………ええ、どうにか。ありがとうございます」

「ふふ、礼儀正しいわね。そんなに急いでどうかしたのかしら?」

「妖怪に襲われたのです。あなたも早くここから離れたほうがいい」

「それは穏やかな話じゃないわね。でも生き残れるなんて随分と運のいいヒトね?」

「僕の運なんてそれほどじゃないですよ」

「どうして?逃げおおせて、生き残れったのでしょう? なのに嬉しくないの?」

「身代わりをおいてここまで来たもので。僕の運よりもそちらの状況の方が気になります」

「身代わりにしてきたの。なら、気にするだけ無駄というものではないかしら?それはあなたもわかってるじゃないの?」

「…、その通り。あなたの言う通りだ。正直帰ってくるのは厳しいでしょう。あの妖怪どもから振り切れるとは思えない」

「ども、ね。複数か。確かにそれは愉快なことになるかしら」

「ええ。分かってます。分かってる。だがそれでも望んで待つほうのが人というものです」

「………」

「…もし? どうかなされましたか?」

 

 

 

 その女性は俯きながら、ワナワナと両肩を震わせていた。気分がすぐれないのだろうか。それとも僕が何かしたのだろうか。

 怖くなって、もう一度声をかけようと肩に手を伸ばしたところでその手は軽く振るい払われた。だが、僕は自分の手に伝わった勢いに驚いたのと、疲れていたのもあって腰を抜かして地面に倒れ込んでしまった。

 驚いて見上げた時、彼女は笑みとも嚇怒とも取れるような曖昧で強烈な表情だった。

 

 

 

「ここに来るまでの経緯全て話しなさい、気が向いたらどうにかなるかもしれないわよ」

 

 

 

 その言葉を聞いたとき、僕は前髪に隠れた瞳の様子が分かったとしても、どちらかはわからないだろうなと思った。

 

 

 

 

 









健康的な生活を四日間ほどしましたが、その翌日には自堕落な生活に戻ってました。(メ・ん・)




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