まず驚いたのは体に力を入れたとき無意識のうちに地面に手をついていたことだった。意識が消え、倒れ込んでいたことに気づいてすらいなかった。
目の前は相変わらず暗い。星も届かないようなこの深い森は宿でもなんでもなく、火元もない。にも関わらず、皮膚にあったはずの突き刺すような冷気が感じられなくなっていた。
どれくらい時間が経った? 落ちたところまでは覚えている。そこから全身を引っ掻くような感覚があった。それはとても長かったような気もするし、とても短かった気もする。確かめる術もなかった。
もしかして、あの感覚は妖怪たちによるものだったのかな。とすると、ここでこうして生きてるってことは理由はわからないけど見逃されたことか? まあ、生きてりゃいいか…。
立ち上がろうと、膝を前に持ってきた時だった。力むために右膝に当てた利き手になにか軽くて硬いものが当たった。そのあとになにか冷たいような暖かいような感覚が指先を伝わった。確かめようにも真っ暗闇でよく見えない。しかし、私はこんなところにこんな感触の何かを身につけた覚えはなかった。
数回、指で擦ってみる。少しだけ粘つくような、水とは違った感触があった。そして薄暗いこの森の中で光がうまい具合に指先へと指した。
それはとても紅く、そして黒かった。
「―――~~~ッ!!!」
そう思った途端に右膝が焼けるように熱くなる。口内から自分のものとは思えないような苦みすら感じるような唾液が溢れてきた。幸い痛みはなかったが、力がうまく入らない。入れれば入れるだけ死に近づくような不安がそれを拒否していた。
「くっそ…、完璧に失敗じゃん…。ハハッ、こんなのって、自分でも呆れる…」
抜けば返って血が止まらなくなる。ひとまずこのままにして、近くの幹を頼りに立ち上がった。さて、帰り道を探さなくては。いつまでもつかわからないが、このままでは流石にまず、
「エサダァ! ヤッチマエ! コロシチマエェッ!!!」
騒ぎ立てていたのは黄色い目をしたあの妖怪。
あのというのはおかしいかも知れない、だってあの案内をしていた妖怪はもう私が殺してしまったし。
しょうもないことに指摘をしている他人事のような気分の自分がいた。
今のをきっかけに一斉に山が騒がしくなる。草木をかき分ける音が次々と近づいてくる。巨大な蟲達がこちらに向かって蠢いてるようにも感じた。
「…往生際が近づいてきてるってやつかな? こりゃ」
ボソリと呟いた。先ほどの奇声をあげた奴はどうやら監視しているつもりらしい。手出しすることなくただこちらをじっと見ているだけだった。逃げることもできないが、おかげで、現状を把握する程度の時間はあった。
怪我する前のあの速さで走るのも今では難しそうだ。したところでそこまでこの足が絶え間なく動いてくれることはないだろう。逃走中に転倒する確信があった。逃げるのは無理。
となると、というか元より私の取れる選択肢なんて昔っから二つだけだよねえ。バカだし。他になんもなくなっちゃったし。
刀を抜き取った。鞘はかえって邪魔になりそうだから地面に捨てた。
構えると自然と迷いが彼方へと消えていくような感覚があった。これがいつまで続くかはわからない。でも、私が諦めたら、終わるのだろう。この世に生を受けて何十年、眠るように終わらせてはくれないのだろうか。考えていることもめちゃくちゃになり始めた。
「まあ、やれるだけはやってみましょうかね。頭の不出来ついでにあきらめも悪いもんで。その相手がこんな不細工相手ってのはちょっと納得いかないけど、相応しいといえば相応しいのかな?」
言い聞かせるように自分につぶやいた。力が湧くような実感はないけれど、もう少しだけ体が動いてくれるような気がした。
気づけば不細工どもも準備万端らしい。私を取り囲むように現れた妖怪たちは存外少ないようにも見えた。だが、木の上からもどうやら一番乗りを狙おうと目を光らせる輩がいるようだ。現実は非情なりけり。
奴らは囲んだままこちらをじっと見ている。しばらくすると小さな奇声が聞こえた。
「………コロセ………」
「「……コロセ、コロセ……」」
「「「…コロセ、コロセ…」」」
「「「「コロセ! コロセ!」」」」
「「「「「コロセッ!!!!!」」」」」
「殺れるもんなら殺ってみろよ化け物ォ!!!」
前、後ろ、左腕、同時に三方向。構えてきた爪は刀と同等の代物、弾けはするが切り捨ては出来ない。弾くのも良い感触はしない。またこの足じゃ一撃離脱は無理。一撃必殺が必定。伸ばせば伸ばす分だけ死が近づく。使えなくなるのも増える。
一番乗りには眼底目掛けて刀を突き指す。軟骨が潰れたようだ。そのまま押出し、右の奴の頭を串差しにした。汗ばんだ握りを強引に振り回し後方の妖怪の首目掛けて、刀に付いた塊をぶち当てる。盛大な音ともそいつの目玉がひっくり返る。エラに引っ掛けてゴミから刀を引き抜き振り返り様に刃をたたき付けた。残念、頭はかち割れる事なく、またも爪に阻まれる。
素早く刀を引き握りを緩める。浮いた爪を蹴り上げるのはたやすかった。がら空きの胴体を真っ二つに一閃する。猪よりは柔らかく、兎よりは固かった。
刃に付いた血を振り払うと、4、5、6、7。扇状に飛び掛かるバカどもがいた。狂喜した阿呆どもを切り落とす。一頭は鼻と顎が一生お別れすることとなった。二頭目の右頬で受け止められ、刃が止まる。刀を返して残りの妖怪の前へと手繰り寄せる。勢いよく飛び掛かかったそいつらはそのまま死体の盾へと突っ込んだ。地べたで白目を剥きながら身替わりとなった同胞から爪を引き抜こうとする最後の二匹の首を力技で撥ねた。
次が最後か? これだけやって倒せないと解ればやつらだって手を引く。全員やる必要はない。実態もどうでもいい。ただあいつらに引かせればそれで済む話。
ギラギラとたぎりきった瞳がひい、ふう、みぃ、よ・・・。ああ、数えるのも間に合いそうにない。目茶苦茶に振り回される凶器の波をかい潜る。足は今の所、あまり痛まないことには変わりない、ただ冷たくなっていく。全身も冷たいはずなのに、そこだけはなんとなしにそれを実感できていた。
縦は半身、横は刀。弾き、回り、斬る。掴み、受け止め、斬る。時に撲り、時に皮膚の皮一枚をやつらがかすめ取っていく。
永遠にも思えるような時間だった。呼吸すら惜しんでいた。目前の殺意に対処するので精一杯だったのもある。故にそれはある意味必然で、それはある意味、悪魔の悪戯に他ならなかった。
鮮烈な金属音。ついに潰れた刃から一筋のヒビが走っていった。
「まっず・・・・・ッッッ!」
「ヒィィッィェアッヒャアヤアアッハアハハハ!!!」
胸のあたりを強く蹴られる感覚だけが掴めた。遠ざかる妖怪の姿が見えた。今全身から吹き上がったかのように汗が冷たく感じる。その中で一つ、焼きゴテを押し付けられたように脇腹だけは熱かった。
弾き切れず、わずかに軌道の逸れた爪が脇腹を深くえぐり取っていったようだ。幸い、中身は大丈夫らしい。喉元へと競り上がって来るような感覚がなかった。楽に死ぬならその方が良かったのかもしれないが、後の祭り。まったく運が弱いのか悪運が強いのか。
棒のようになった足でどうにか踏み止まる。視界が瞬きをするたびに霞んでくる。右足が重い。頭もグラグラと揺れていた。現状から少しずつ置いていかれる。ダラダラと流れつづける血は足元に小さな鏡を作っていた。
そこにいたのは今にも死にそうな人、致命傷を負ったまぎれなくもなく死に体だった。
「げんかい、かなあ・・・?」
乾いた笑いとともにまた視界がかすむ。夜だったはずなのに少しずつ目の前は白い部分が増えていた。音も遠い。ほとんど音がしなかった。いや、聞こえてはいたが、妖怪の声はとても小さく、また今までのものとはまったく違ってきていた。
目を凝らしてみると、その先には誰か立っている。人のような形をした妖怪だった。
「しんうち、ってやつ、かな、?」
あれほど血気盛んだった妖怪達が地に臥して戦いている。頭を力無く垂らして地面に体を押し付けるようにしている。なら、あの抑えの利いた追跡はやはり狙って行っていたものということかな。それもこの頭が縛り上げてたのか。
ゆったりとこちらへと歩いてくる。まるでそこだけ別世界であるかのように雰囲気にそぐわないゆっくりとした歩み。なのに、目は爛々と輝かせていた。
「お邪魔だったかしら?」
「・・・あんたが、上か」
「上? こいつらの?」
「ちがう、の?」
「・・・・・・」
ピタリ、と立ち止まる。動かない。俯いて下りてきた前髪がそいつの表情を隠してしまった。不気味、という言葉がしっくりときた。
何がしたい、何が言いたい? 訳がわからない。違うとするなら新手?
固まり始めた空気の中、次に動いたのはそいつの口ではなかった。動きを止めたそいつに対して、足元にいた妖怪がそいつの足を掴むと、首もと目掛けてもう一匹の妖怪が踊り出ている。大きく振りかぶられた爪には殺意しかないように見えた。
思わず声が出た。これでは死んでしまうと思った。
そいつは背後から迫る妖怪を拳で、足に絡み付いた腕を一降りで引きちぎってしまった。振り向きすらしていない。意にも返していない。その一連の動作だけでそいつが一体何なのか、更にわからなくなった。
なんだこいつは? なにがどうなってる?
無言のまま、こちらへと進めていた歩みを止めてそいつはこちらを睨む。
「見くびられたものね。せっかくだし・・・、遊ぶわよ。ニンゲン?」
この体で反応できたのは幸運という他なかった。キリキリと軋む緊張の糸は首皮一枚で繋がってくれていたらしい。それでもなお、押し込まれた。そしてそれは、一息で爆ぜ、手元の刀では亀裂が一層深く抉るようにして刃を舐めた。
こいつは何で、どうしてここにいるのか。まったくわからない。今手元にきた人魂のようなそれがどういうものかもわからない。よく分からない…が、妖怪なんてそんなものだ。よく分からないのが普通。どのみち、私の味方ではない。それだけは間違いなそうだった。
人魂のような形をしたそれはひとつだけではなかった。視界一杯、いや全方位からゆったりと進んできている。反射的に潜り込むように横に転がり込む。しかし、掻い潜ったその先にも先ほどの人魂が無数にあった。
新たに放たれたものだろう。先ほどのやつと同じものだとするなら、触れればどうなるかわかったものではない。防げばその分、刀が死ぬ。避けるためジリジリと後退しながら避けてしまう。が、下がったところでいずれ追い込まれるのは間違いない。
「…なら、辛い時こそ、強く、前!」
その言葉にそいつの眉がまた少しつり上がったように見えた。同時に流れる人魂の動きが苛烈に変わっていく。逃げ場を潰すようにしてから狭めるように左右交互にバラ撒いていたそれが、波のように一度に押し寄せ始める。
先と同じこと、隙間を縫い合わせるようにして飛び込み、身体を動かし続ける。絶え間なく先には右へ左へとしなりながら人魂が打ち出されている。焼ける肌の感触に一喜一憂しながら避ける。
次は…、と思い抜けた先に人魂はない。がチリチリという弾ける寸前のような音が耳に突き刺さってく。反射的に振り向いたそこには既に爆ぜたはずの弾が目前にまで迫っていた。
「くっ!?」
前だけではない、背後で土は幹や葉から跳ね返った人魂が四方八方へと入り乱れる。どこか単調ささえあったそれらが一度に得体の知れない生き物のようにうねり始めた。合わせて、また人魂が変化する。扇を閉じていくように青い人魂が迫り来る。狂った調子の光が縦横無尽に視界を埋め尽くし始めた。
避けて、転がり、避けて、振り切り、それでも人魂は私を執拗に追い立てる。次第にかする事さえなかった人魂が直撃一歩手前まで近づき始めていた。
だが、あと数歩。
ここまで近づいて来ると隙間もほとんどない。紙一重というよりも肉を切らせて骨を断つような感覚だ。爛れた皮膚が一つ、また一つと増えていた。
それでも、たどり着いた。そいつの懐。握り締めた刀が届く間合いに。
「こ、れでっ!」
「ご愁傷様~☆」
「え…?」
開ききった瞳と大きくつり上がった口元。動かぬ彼女、それは人魂を打ち出す間も不動なその様子に私にはむしろ、そうしている間は動くことができないものなのだと思っていた。変わらず人魂を打ち出し続けるものだと。
目の前に見えたのは 青白く輝く人魂。薄く、人ほどの大きさにまで薄く広げられたそれは一目で致死量だとわかった。
動かないのではない、動く必要がなかった。それだけだった。
「甘く見すぎよ」
強烈な閃光とともに溢れた光は私の目の前を包んでいた。
「…あら?」
が、それだけだった。……死んではいないらしい。自分でも信じられなかった。
頬が冷たい、視界も、ある。どこかが欠けてるということもない。ただ、踏み込んだ右足が限界だったらしい。どうしようもない段階まできてしまったようだ。そのため、切り上げる直前で私は自分でも気づかぬうちに前のめりに倒れ込んでしまっていた。
それは幸運なのかもしれないが、結果はどちらにしても同じだった。切れたならばあの直線の光に焼き尽くされていただろうし、奇跡的に避けれた今も、私の体にはもう動き出す力など残ってはいなかった。こうして這いつくばったまま、動き出す前に殺される。
あとは相手の止めを刺されるだけ。幾許かの命が途切れるのを待つだけになっただけだった。
そいつは私を見下ろしながらしゃがみこむと、私に語りかけてきた。
「・・・あんたもなのね、ふふ、これは思わぬ拾いものかもしれないわ」
「なに、が?」
「今夜は雨になる」
「・・・・・・っ!?」
「十分ね」
何が?
どうして、その言葉を?
そこからの記憶はない。
殺されるのだから。
いつもよりちょい長め。スキーって難しいですね。全身がΣ( ;ω;)イタイッ!