第六階層、アンフイテアトルム。
ナザリックのメンバーからはコロッセオと呼ばれている場所で、二つの部隊が睨み合っていた。
「――まさか、こんな形で君と争うことになろうとはね、コキュートス」
「フン。日々何ガ起コルカハ、本当ニ分カラナイモノダ」
何時もとは違い、青を基調とした、動きやすい服装をしたデミウルゴス。
それに相対するように、胸元に赤いリボンのような物を付けたコキュートス。
お互いの距離はおよそ10メートル弱、一枚の歪な五角形のタイルの横に立つコキュートスは、その大顎をガチガチと鳴らした。
周囲の観覧席に座る者達の中には、ナザリック地下大墳墓の守護者である彼等が忠義を尽くす、“至高の方々”と呼ばれる面々の姿もある。
普段であれば叱責し、このような争いを止める役割を持つ彼等でも、今は固唾を飲んで見守っていた。
「……行きますよ?」
「コイ……ッ!」
デミウルゴスの言葉に、向かい合うコキュートスと、デミウルゴスの背後でバラバラに配置されている、彼のシモベである悪魔達が身構えた。
デミウルゴスは両手を頭上で組み、手に握りしめたそれを、片足を上げ遠心力を利用して投げた。
ゴゥッ、と空を裂く音を立てて到来したそれに、コキュートスは手にした棒状の武器で立ち向かう。
歪な五角形のタイルの上を通過するそのタイミングで、思い切り振り切った。
◆
「いやぁ、良い勝負でしたねぇ」
観覧席でポップコーンを頬張りながら、隣に座るヘロヘロがそう言った。
モモンガは高級そうなグラスに入ったビールを煽って、コロッセオを眺めて言う。
「えぇ、パワーで押すコキュートスに、テクニックのデミウルゴス。結果は惜しかったですけど、良い勝負でした」
コロッセオの中では、コキュートスが意気揚々と、会場内に引かれたラインの上を走っている。等間隔で引かれたそれは、三つのポイントを経由して、始めにいた位置へと帰る仕組みになっていた。
【べいすぼうる】
至高の方々から教授された、戦略、実技、仲間内の協力を必要とする戦略ゲーム。
それが、今ナザリックで一番ホットなイベントだった。
事の始まりは、少し前に遡る。
〰〰〰
「そろそろ、守護者のスキルアップをするべきだと思うんです」
何度目かの会議でそう繰り出したのは、ウルベルトだった。
彼が言うには、普段の人間に対する言動や、自身のシモベに対する態度が、あまりに酷いときがある。との事だった。
「確かに、思い当たる節が多々ありますね」
特に酷いのがシャルティア、デミウルゴスの両名だ。
デミウルゴスは直接的な物言いはないが、出来の悪い仕事をする者には体罰のようなものを与えていると、報告が上がった。
シャルティアに至ってはシモベを殺害する、邪魔な位置に居ると蹴り飛ばす、投げ飛ばすといった、傍若無人な扱いをしているらしい。
「やっぱりカルマ値が極悪寄りだと、そういった行動に出るんですかね……」
「実際カルマ値が善寄りなのが多いプレアデスは、数名を除き人間に対しても温厚なのが多いですからね。……、でも、それだと我々も危ないのでは?」
思い出すように言ったウルベルトに、モモンガは右腕にはめた【変化の腕輪】を見せて言った。
「えぇ、それでこの【変化の腕輪】を使って実験していたんです。人間に化けている状態だと、異形種でいる時よりマシかなと。そして、それは正解でした」
実際に冒険者として行動している自らを省みて、ウルベルトはなるほどと納得した。
異形種であればカルマ値が極悪寄りなナザリックプレイヤー陣は、異形の姿のままだと精神的に危ないのでは。というのが、モモンガが始めに危惧した事案だった。
人間が殺害された映像を見ても不快に思うことはなく、逆に見せ物のように思った自分が居たからだ。
「ですが、守護者や他のシモベに至っては腕輪の使用をさせる訳にはいきませんからね。……そこで、提案があるのですが」
魔法で作り出した黒板のような物に、カリカリとチョークで書き込んでいく。
そこには、“チームワークが必要不可欠なゲームを流行らせよう”と記されていた。
モモンガが書いた提案に、他のプレイヤーからも喜びの声が上がる。
確かにチームワークが必要なものであれば、自身のシモベに対しても友好的に接しなければならないからだ。
頭の良いデミウルゴスならばそういった結論にたどり着くだろうが、シャルティアは恐怖政治を行うのでは、という疑問はこの際退けておく。
数々の提案の後に出来上がったのがこの、【べいすぼうる】だった。
【ベースボール】ではなく【べいすぼうる】なのは、細かいルール
が違うためである。
◆
『おぉーっとぉ、投手デミウルゴス、マウンドに膝から崩れ落ちたぁ!』
『コキュートスが軽々と高得点のボードに叩き込みましたからね。これは痛い得点でしょう』
実況である餡ころとプラネットが、コロッセオにその音声を響かせる。
『それにしても、この野球盤を元にしたルールは面白いですね。力のそこまで無い者でも、逆転の余地があるのは嬉しい采配だ』
球場となっている場所には、バッターボックスから真向かい側の観覧席の壁に、それぞれ得点が書かれていた。
その真上の得点ボードと呼ばれる所にも、同様に得点が書かれている。
『まぁ、アウラやマーレといった子供でも楽しめるように作りましたからね。他にもレベルの差で力関係がモロに出ちゃうし』
ポリポリとポップコーンをかじる餡ころに、プラネットから苦笑の声が上がった。
さて、選手として出場する以外にも、【べいすぼうる】にはシモベから望まれる役割がある、それは――
「おーい、ナーちゃん。ホットドッグおくれっす」
「はいどうぞ、ルプー。……貴女、狼なのに食べても大丈夫なの?」
「へ、何がっすか?美味しいっすけど」
「……何でもないわ」
プレアデスであるナーベラル、シズ、エントマ、ソリュシャンが今回の役割である“売り子”だ。
至高の方々と合法的、かつ親密的にお近づきになれ、尚且つご奉仕が出来るとナザリックにいるシモベが、虎視眈々と狙っている役割でもある。
そんな大人気の役割を勝ち取った彼女達はまさに、“今日の主役”の中の一つだった。
「エントマ。酒以外の飲み物と、簡単に食べられる物はあるか?」
「はい。それでしたら、ホットドッグかサンドイッチは如何で御座いましょう、ペロロンチーノ様。お飲み物はアイスコーヒーになさいますか?」
「お、それは旨そうだ。是非ともくれ。シャルティアはどうする?」
「それでしたら、アイスコーヒーを頂けますか?空腹はそれほど感じていませんでありんすから」
「分かった。エントマ、アイスコーヒーも追加で頼む」
「分かりました」
「ユリ。お腹減ったし、何かこう、お腹に溜まるようなものってある?」
「……それでしたら、アウラ様がよく食されるハンバーガーが御座います。付け合わせに、ポテトやナゲットと共にどうでしょうか?」
「お、良いねぇ。やまいこさん、アウラ、マーレ。それで良い?」
「はい。サイドメニューは皆で摘まみましょうか」
「はい!是非ともそれで大丈夫です」
「ぼ、僕もそれで大丈夫です。お姉ちゃん、途端に元気になったね……」
ユリが食事の配膳が終わると、茶釜がユリの腰に手を回す。
「ぶくぶく茶釜様、“売り子へのおさわりは禁止”との事でしたが?」
「うへへ、固いこと言うなよお姉ちゃん、少しは楽しもうぜ?」
「茶釜さん?うちの娘に手を出したら“指導対象”ですよ?」
「冗談だって、やまいこ先生~」
「建御雷さま。何か御入り用の物は御座いますか?」
「ん。そうだな、済まないがゴミを持っていって貰えるか。忙しいなら、ゴミ箱の位置を教えてくれ」
「とんでも御座いません。席にお座りのまま、私共に命令して下されば良いのです。……それでは、ゴミを頂けますか?」
「あ、あぁ。ありがとう、ソリュシャン」
「いえ。光栄で御座います♪」
「シズちゃん。俺のゴミも持っていって貰えるかな?」
「了解しました」
「サンキュー、本当に助かるよ。いつもありがとうな」
「いえ、るし★ふぁー様方、至高の方々に仕えるのは当然で御座います」
「あー、うん。ありがとう」
それぞれの試合間の休憩も終わり、日程は次の試合へとシフトする。
実況席でスケジュールを見た餡ころは、思わずゲッと声を上げた。
コイツら試合やって大丈夫なの?と言いたげな表情だ。
『そ、それでは、本日の最終試合、両チームの登場っ!』
コロッセオに備えられたゲートから出てきた人物を見て、会場に戦慄が走った。
『あ、赤コーナー。シャルティアチーム。青コーナー、アルベドチーム。両チームリーダー、試合前の挨拶を御願いします』
不自然な程の笑みを浮かべている両者に、会場のざわめきが大きくなる。
マイクを受け取ったアルベドとシャルティアが宣誓の挨拶を始めた。
『宣誓、我ら選手一同は』
『スポーツマンシップに則り、正々堂々と勝負することを誓います』
『……よろしくね、シャルティア。なにぶん経験が少ないものだから、手元が狂ってしまうかもしれないけれど、許してね』
『それはこちらも同じこと、仕方のないことありんすからね。……投げたボールが顔にぶつかってしまうこともありんしょう』
今回の(言葉の殴り合いの)先制は、シャルティアだった。
『あら、怖いわぁ。胸にそんな詰め物しているから、手元が狂ってしまうのよ。外す時間をあげる』
『“おばさん”だって、【べいすぼうる】の経験より女としての経験が少ないでありんすよねぇ?……いや、ゼロだったか、ププ』
『それは貴女もでしょう、シャルティアぁ……』
両者の言い合いに、どちらもブチりと音を立ててキレた。
が、“正々堂々戦おう”、というスポーツマンシップを思いだし、すぐに怒気を押さえる。
花が咲いたような笑顔を二人とも浮かべて、最後の挨拶をした。
『デッドボールを意味通りにしてやんよ』
『そのまま打ち返してその面潰してやんよ』
両者の試合開始は、最悪なものになって始まった。
さて、この【べいすぼうる】は、従来の野球とは違い、三回裏までしかない。
その代わり、カウントのボールが無く、ストライクとアウトまでしか無いのだ。
また、ゲームの特性から“デッドボールでの出塁”は無く、“デッドボールした場合は一点加点”というルールになっている。
また、バッターは各チームリーダーとしている。全員で行っては回らないからだ。
『さぁ、シャルティア。アルベドの投球を返せるか、運命の一投目』
アルベドがマウンドの上でゆっくりと構える。デミウルゴスと同様、遠心力を利用した投法に、シャルティアは豪速球を警戒する。
だが、放たれた球は、そんなシャルティアの思惑とは違いゆっくりとした物だった。
「く……っ、小癪な真似をぉ!」
“スイングは一球につき一回まで”
ルールを思いだし、体勢を大きく崩しながらバットを振る。
カコン、と小気味良い音を立てて飛んだボールは、ヒョロヒョロとアルベドの手の中に収まった。
「あらあら、どうしたのシャルティア。私に気を使ってくれたのかしら?貴女の様な小娘でも打てるよう、ゆっくりと投げたのに」
ニタリと底意地悪そうな笑みを浮かべて、アルベドはシャルティアへと言った。
その言葉に言い返せないのか、シャルティアは顔を真っ赤にしてフルフルと震える。
「つ、次は見てろでありんす。得点ボードにたたき込んであげんしょう」
「あらぁ、怖い怖い。なら次もゆっくりと投げようかしら」
再びバッターボックスへと立ち、構えるシャルティア。アルベドはニヤリと笑うと、投球フォームへと移行する。
「(キタ!)」
狙い通りの球筋に、シャルティアは真芯で捉えた。爽快な音と共に、球は上空へと舞い上がる。
『おっと、シャルティア打ったぁ!これはホームラ――なんとぉ?!』
得点ボードへと向かう球に、白い大きな物が飛び掛かり、それを阻止した。
速度を失ったボールは、そのまま下にいたアルベドの部下がキャッチする。
マウンドに降り立ったそれを見て、シャルティアが怒鳴る。
「あ、アルベドぉ!【双角獣】を出すのは卑怯だぞ!」
そこに居たのは、アルベドの持つ騎乗モンスター召喚スキルによって出てくる【双角獣】だった。
あまりの展開に、シャルティアが普段の口調を忘れて問い詰める。
対するアルベドはしれっと言った。
「あら、アウラやマーレでも、守護獣を呼び出しているでしょ?私だって呼ぶのは良いじゃない」
屁理屈を、とシャルティアは思うが、実際ルール違反のジャッジが下ることはない。
実際、実況も違うことを話している。
『あの【双角獣】、なんかやつれてません?』
『あー、確か【双角獣】に乗れるのは条件がありますからね。アルベドはまだ達成してないんでしょう』
『……あぁ、なるほど。これはモモンガさん、責任重大です』
俺にその話題を振るな!と観覧席から激が飛んだが、二人はお構い無く実況の続きを行う。
『さて、ツーアウトとなり交代ですね。一回裏、始まります』
〰〰〰
「(シャルティアに球に変化を付ける技術はない、とすると)」
バッターボックスでアルベドはバットを構える。
「(豪速球での直球勝負一択のみ!)」
狙い通り、先ほどデミウルゴスが放ったものより数段上の豪速球が、アルベドへと迫る。
勝利は貰ったと、球を真芯で捉え吹き飛ばすアルベド。だが、次の瞬間目にはいったそれに目を見開いた。
「え、【エインヘリヤル】ぅ?!」
白い、シャルティアに瓜二つなそれは、シャルティアの持つスキルの一つ、【エインヘリヤル】だった。
本来攻撃にしか使えないそれを何に、と思った瞬間、【エインヘリヤル】が打球へと突撃した。
ゴスッと鈍い音を立ててぶつかった打球は、そのままポトリと下にいたシャルティアへ落ちた。
「スキルの使用はOKでありんしたよねぇ。なら、こういう使い方も良いでありんしょう?」
アルベドはジャッジの行方を知るため実況席へと視線を向ける。
実況席に座る餡ころとプラネットの二人は、冷たい目をして言った。
『あの二人、プライドとかは無いのでしょうか』
『見てくださいよアレ、ペロロンチーノさんとタブラさん、互いに頭下げてますよ』
『恥ずかしいでしょうねぇ。重役の地位にいる娘が、こんな恥体をさらせば……それだけ“賞品”が欲しいんでしょうか』
賞品。その言葉に、シャルティアとアルベドの二人の中で何かが燃え上がった。
“至高の方々一人にお願いが出来る”
それが優勝した暁に、勝者へと贈られる賞品だった。
それを得る為ならば、自分のプライドなどくそくらえだ。
二人の中で全く同じ感情が芽生えた時、マウンドに降り立った一人の人影があった。
執事であるセバスだ。
「【べいすぼうる】最高審判団、最高責任者であるたっち・みー様より、お二人に特別ジャッジが降りました」
要するに、“アンタ等の行動が酷すぎて審判から話があるから、ちょっと注目してくれる?”という訳である。
まさか、という青い顔をして、たっちがいるお立ち台へと顔を向ける二人。そこには審判であるたっちが、あるものを持って立っていた。
「あ、あぁ……」
「れ、レッドカード……ッ?!」
レッドカード。
スポーツ界において、強制退場を意味する最強のジャッジ。
シャルティアVSアルベド
二人の女の意地を掛けた、プライドをかなぐり捨てた戦いは、たった一枚のカードで幕を閉じた。
「殿ぉ、某も【べいすぼうる】をしてみたいで御座るよ」
「あれ、お前チームメイト居ないだろ、集めたのか?」
「はいで御座る。某の同僚の【デスナイト】殿他、恐怖公殿からお借りした同ほ――」
「レッドカードッ!理由は独断!」
「そんなぁ、紳士的で良い方ばかりなのに」
「絵面がダメなんだよ、女性陣から殺されるぞ」
「残念で御座る。折角お願いしたいことがあったので御座るが……」
「……そういえば、ナザリックに来たお祝いをしてなかったな。何か欲しいものがあるのなら、申してみろ」
「本当で御座るか?!なら某、同族のオスを紹介してほしいで御座――」
「レッドカード。退場」
「そんなっ?!」