「おぉっと、こ、こうですかね」
「あ、惜しい! でもやり方としては近いかも?」
第九階層にある執務室では、やまいことぶくぶく茶釜が【遠隔視の鏡】の操作に夢中になって取り組んでいた。
1メートル程の鏡に向かって、手を縦横にスライドしたり、ぐるぐると回したり……。一見パントマイムをしているかのようだが、本人達はいたって真面目である。
「お、ぉぉお?! で、出来ましたよ!」
「スゴいじゃんやまいこさん!」
そのまま一時間。
視点の移動、引いたり、拡大したり等のコツを掴んだ女子二人は、キャッキャとはしゃいでいた。
その姿が異形の者でなかったなら、きっと微笑ましくあっただろう。
「おめでとうございます。やまいこ様、ぶくぶく茶釜様」
「あ、セバス」
「やっほー」
パチパチと軽めの拍手と共に現れたのはセバスだった。後ろに紅茶のティーポットが乗ったカートがある。
作業が一段落行ったから、休憩でもどう?と言いたいのだろう。
「ロイヤルミルクティー頼めるかな?」
「私レモンティーに蜂蜜たっぷり垂らしたのお願い」
「かしこまりました。すぐに準備致します」
綺麗に一礼し、カチャカチャと紅茶の準備を始めたセバスを眺めていると、【遠隔視の鏡】で遊んでいたぶくぶく茶釜が声を上げた。
「どうかしたんですか?」
「いや、これ……」
ぶくぶく茶釜が指を指した方には、鎧を着た兵士が、村の中で人を追い回している光景だった。
何かの祭かと思ったが、兵士が持っているその武器と、血だらけで倒れている人を見て、その考えも吹っ飛んだ。
「……何でかな。普通なら気分が悪くなりそうなのに、全然なんともない」
「私もだよ。……多分、この身体になった影響じゃないかな」
「…………異形種、か」
そのまま眺めていると、一人の男性が、娘であろう女の子二人を庇って兵士へと組み付いた。
だが、特に時間を稼げる訳でもなく、すぐに切り殺されてしまった。
『――――‼』
「ぁ……」
かろうじて逃げた女の子二人も、すぐさま追い付かれる、姉であろう女の子が、必死の形相で兵士のヘルムを殴り飛ばした。
「あ、ヤバい。この女の子殺される」
隣で見ていたぶくぶく茶釜がそう声を上げた。見れば、背中から切りつけられ、今まさにとどめの一刺しが入れられる寸前だった。
「え、ちょ、やまいこさん?! 待って‼」
「やまいこ様?! なりません、お待ち下さい‼」
「【ゲート】起動」
後ろで何か言っているのが聞こえたが、やまいこにとってはそれどころではなかった。
空間に【ゲート】の発動に生じる歪みができ、迷うことなくその中に足を踏み入れる。
やまいこの尊敬する一人の人物の言葉が、心の中で響いていた。
自分の所属するギルド【アインズ・ウール・ゴウン】の創設理由の一つ。
“困っている人が居れば、助けるのは当たり前”
それを、この世界でも証明してみせる。
ユグドラシルプレイヤー、やまいこ
彼女の生涯初めての実践が、始まる。
◆
はっきり言って、自分の身に何が起きているのか、私、エンリ・エモットは理解できて居なかった。
突然村に来た兵士に襲われ、母が剣で斬られるのを何も出来ず、ただ見ていることしか出来なかった。
「エンリ、ネムを連れて逃げろ‼」
父にそう怒鳴られた時、初めて身体が自由に動いた。震えている妹のネムを連れて、村の外れまで逃げだした。
だが、ネムはまだ幼い。ある程度は距離を稼げたが、特に意味も出せず、すぐに追い付かれた。
「ったく、手こずらせやがって、このガキ」
「さっさと殺せよ。殺害人数で負けてんぞ。俺たち」
「そうだな。っと、まずはちいせぇのから殺そうぜ、また逃げられたら厄介だ」
ちいせぇの。という声に、ネムの事だとすぐに分かった。
私の中の警鐘が鳴り響く、それを行うには、何の躊躇いもなかった。
「アアァァア‼」
「ぐぅっ?!」
今まで一度も出したことない声を上げて、私はネムの腕を掴んでいる兵士の頭を殴り飛ばした。
頭と言っても、防具であるヘルムを殴り飛ばしたくらいだ。それどころか、手がぐしゃぐしゃになったのが分かる。
痛みはない。それよりも頭が沸騰したようにグラグラとしており、自分がどうにかなりそうだった。
「このガキぃ‼」
「ははっ、だっせぇ。……さっさと行こうぜ、隊長がお呼びだ」
「そうだな……、死ね、ガキ」
背中を数度切りつけられ、地面へと蹴り転がされた。
兵士は剣を構えて、こちらへと向かってくる。
「お、おねぇちゃん……」
「大丈夫だよ、ネム。……もう一度、私がアイツらを押さえるから、その隙に逃げて」
「い、嫌だよ‼ おねぇちゃんが居ないと嫌だ‼」
恐怖から泣き出した妹を守るため、庇うようにして身を丸める。
すぐにでも痛みがくると思ったのに、いつまでたっても来なかった。
「な、何だ。ありゃあ……」
「し、知らん。……、何か来るぞ」
顔を上げると、兵士が得体の知れない物を見る目で、私の後ろを指差していた。
ゆっくりと振り返ると、何もない空間に、ぽっかりと黒い穴が開いている。
その穴の中から、人影が一つ、ゆっくりと出てきた。
黒い髪をした、この辺りでは見たことない風体。そして、見たこともないくらいの美人だった。
「間に合ったようだね。良かった……」
穴から出てきた彼女は、私の事を確認すると近寄ってきた。親し気な雰囲気に、何処かで出会ったかと記憶を辿る。
「もう大丈夫だよ。安心して、アナタ達のことは、私が守るから」
笑顔でそう言った女性を見て、胸の中に何かがストンと落ちて、次第に落ち着きだした自分がいた。
ズキズキと痛みだした背中の傷のせいか、自然と涙が溢れだした。慌てて手で顔を覆うが、嗚咽も出てきて、自分が今情けない顔をしているのが分かる。
「こんな無抵抗の子供二人に、大の大人が二人掛かりで殺そうとするなんて……」
女性はそう言ってゆっくりと立ち上がり、兵士の方へと向くと言った。
「道徳は担当外の教科なんだけど」
「おいで、特別授業してあげる」
その目は、はっきりと怒りで染まっていた。