1990年代、文明はあらゆる土地に広がっていた。
だが、そこにはかつて闇の領域だった場所も含まれる。
経済の発達とともに人類は再び、中世の悪夢と対決し始めたのである。
現代社会の利益と安全、経済活動を脅かす妖怪・悪霊たち――――
それらと戦うプロ、現代のエクソシスト、それが……
ゴーストスウィーパーである!!
これは、誰もが知っている歴史とは少し違った世界の物語。
ある少年のあったかもしれないもう一つの物語。
物語は1992年から始まる。
「おー、やっぱり高校生はええなぁ! やっぱりチチも尻もフトモモも小学生とは段違いやぁ!」
蝉がけたたましく鳴きまくる夏の暑い日、小学生最後の夏休みを迎えた少年は今日も宿題など全く手を付けることなく、いつもの日課である奇行に走っていた。
わざわざ自宅から少し離れている女子高へ向かい、そこへの侵入経路と目標を観測するための場所を探すために数日を費やし、そして今朝はなんと6時からその場所で張り込みを続け、今ようやくその張り込みが報われていた。
「あ! あのネーちゃんTバックなんて穿いてる! あっちのネーちゃんはおっぱいもデカいし、ぽっちは桜色やぁ! あぁ! 来てよかった! 来てよかった!!」
およそ小学生とは思えないスケベを発揮している少年は、双眼鏡を片手に女子更衣室を覗きながら彼女たちへの感想を口に出していた。
「この間の中学生もよかったけど、やっぱり高校生の方が大人やなぁ!」
すると、腕時計のアラームが鳴り、少年は慌てて時間を確認した。
「いかん! そろそろ水泳部の着替えの時間や!」
少年は辺りに警戒しながら速やかに覗きスポットとなっていた木から降りると、今度はプールに隣接している女子更衣室を覗きに行った。夏休みの部活動に汗を流している生徒や教師に遭遇しないように、数日かけて彼らの行動パターンを把握している少年に隙は無く、最短距離を駆け抜けて女子更衣室の窓のすぐ下に陣取った。
そう、この女子水泳部の更衣室こそが今日一番の山場だった。
他の競技と違い、水泳だけは必ず下着を脱ぐ。つまり、すっぽんぽんを拝める可能性が一番高い場所なのだ。
これまでも数々の覗きの中で、女子は人によっては体育の後や運動の後などに下着を履き替える、あるいはそれ用の下着を用意していることを知った。その際に思わずすっぽんぽんを拝んでしまい鼻血の海を作ってしまったのは記憶にも新しい。ちなみに、その時はそれで覗きがばれてしまい、警察でこってりとしぼられ、更に母親からそれ以上にしぼられたことは記憶に新しい。
だが、その出来事をきっかけに新しい世界が広がり、彼の覗きもより高度になっていった。それはさながらプロフェッショナルのようであり、彼は己のあずかり知らぬところでその趣味の人間から神のごとくあがめられていた。
「ここや……。ここなら、ネーちゃんたちのすっぽんぽんを間近で拝める。悪いな銀ちゃん、俺は一足先に大人になるで」
ここで改めて時計を確認する、そろそろ部員が集まってくる頃だ。期待に胸を高鳴らせながら、失敗は許されないと細心の注意を払いながら静かに息を殺して潜んでいた。
(おかしい……。いつもならもう部員のネーちゃんたちが来ているはずなのに、どうして今日は来ないんだ!?)
数日という時間をかけて部員たちの行動を把握したし、ここまでは完璧だった。まさか、この一番の山場で何か失敗を犯したというのか――。
少年は辛抱強く待ってみたが、既に予想されている時刻から三十分を過ぎても誰一人として部員は姿を現さなかった。
(ちくしょー! ここまできて失敗かぁ!?)
泣く泣く諦めて帰ろうとしたその時、プールから誰かの声が聞こえてきた。少年はその声が気になって誰にも気づかれないようにプールへと向かった。
「っかしいなぁ。確かにこっちから聞こえてきたんだけど……」
プールに近づいてみたが、その声の主は何処にも見えなかった。
『ううっ……』
「ん?」
すると、その声は金網越しにあるプールから聞こえてきた。プールの中にもプールサイドにも人の姿は見えない。
「あれ?」
だが、よーく目を凝らしてみるとプールの中央に何かがいるのが見えた。
「何だ……あれ?」
それは酷く朧げにしか見えなかったが、よく見れば人にも見えなくはなかった。
「ん? やべっ!」
少年がそれを見ていると、プールサイドに誰かがやってくるのが見えた。シャツもズボンも黒づくめで、ベルトにはよくわからない道具がいくつもついていた。
「先生……ってわけじゃないよな? 誰だ?」
少年が隠れながらその様子を見ていると、その男は腰につけていた棒を手に取った。男がそれを手に取ると、それは一気に伸びて鉄パイプぐらいの長さになり、そして光に包まれた。
「な、なんやあれ……」
少年が息を呑んでその様子を見守っていると、男が動き始めた。
「この世ならざる者よ! その未練、今ここで祓ってくれる!」
『ああっ……。貴方も私をいじめるの……』
すると、先ほどまでは目を凝らさなければ見えなかったその姿がはっきりと見えるようになってきた。
「も、もしかして、あれがゴーストスウィーパー(以下GS)ってやつなのか?」
それは少年が見る初めてのGSだった。元々、GSとは悪霊や悪魔などよくわからないものを、よくわからない能力を持っている人間が祓うという職業であり、世間一般的には奇人変人の類とあまり違いはなかったし、あまり積極的に関わり合いになろうとする人間も決して多くはない。
ましてや、その能力のほとんどは子供にとって危険極まりないものなので、親のほとんどはそう言った能力を持つ者と関わり合いを持たせないようにしているというのが現状だった。
今でこそ、ビジネスとして成立している部分もあるのでその存在が世に認められ始めているが、世間一般の目から見れば危険極まりない連中ということで一括りにされていた。
『私はただ、寂しいだけなのに……』
「悪いが、それで生者を道連れにしようとしている時点で悪霊なんだ。未練を忘れて成仏しな!」
男はズボンにつけているケースの中から札を何枚か取り出すと、霊に向けて投げつけた。札が霊に当たると小さな爆発が起こり、霊はひるんで反対側のプールサイドまで逃げ出した。
「す、すげえ……!」
少年はそのGSの戦いに魅せられた。正直な所、何がどうなっているのかはよくわからなかったが、それでも戦っているその姿はさながらテレビのヒーローにも酷似しているように思えた。
「でも……」
少年の目は霊に向けられた。次々と放たれる札と、光る武器で追い立てられているその姿を見ていると何だか可哀想に思えた。
『お、おのれぇ……!』
すると、悪霊の目に金網越しにこちらを見ている少年の姿が映った。
(あの子供は……)
悪霊が少年に気づいた時、自分への警戒が少し薄れたのを察知したGSもまた少年の姿に気づいて慌てて声をかけた。
「何してる! 逃げろぉ!」
しかし、GSが声をかけるよりも早く悪霊の方が少年に向かって動き出していた。
「くそぉ!」
GSも慌てて駆け出したが、彼よりも悪霊の方が早く少年のもとにたどり着き、少年を人質に取った。
「うわぁ! 何やこれぇ!」
「ちぃっ!」
『近寄るとこの子供を殺すよ!』
悪霊は少年を抱え、GSに脅しをかけた。GSは人質に取られた少年のことが足枷となって手が出せなくなってしまった。
「諦めろ! お前はもう何十年も昔に死んでいるんだ! その子供を放して、おとなしく成仏しろ!」
『嫌よ! 私は、私はずっと苦しんできた! 生きていた時も死んでからも! だから、みんな嫌い! 私をいじめる奴らも、それを見て見ぬ振りした奴らもみんなみんな大嫌い!』
その言葉と同時に、悪霊からこれまでよりもかなり強い圧力が発生して、GSの足を何歩か後ろに下がらせた。
「霊圧が高まってる。まずいな……」
悪霊は生前かなり不遇な人生を過ごし、それを恨みが積もりに積もって悪霊となった。それまでは成仏こそできなかったが、せいぜいが低級霊程度の存在だった。
しかし、この学校ができて以来、この低級霊は周りの怨念に共鳴しながらどんどん成長していった。
学校に限らず人が多く集まる場所には様々な想いが発生しその坩堝と化す。特に学校という場所は世間の目が集まる場所であるにもかかわらず、学校の中は世間とは隔離されている独特の社会が形成されている。学校で生まれる怨念の元凶で一番にあげられるものはいじめだ。
いじめは一人の人間を複数の人間が追い詰めるというケースがほとんどであり、直接参加していなくても周囲の人間もまたいじめの標的になることを恐れて見て見ぬふりを決め込む。周囲全てが敵であるという状況は、自分以外の全てを恨むには十分すぎる。
どんなに綺麗ごとを並べても、いじめがなくなることはない。この学校も創立以来、表沙汰にこそなっていないがいじめは何度もあった。その怨念がこの悪霊を育て、そして今復讐をしようとしていた。
本人が成仏できなかった理由と、いじめを理由として発生した怨念が混じり合ってこの悪霊は生徒を殺そうとしており、その被害が最早見過ごせなくなったので学校がGSを雇い、彼もまた数日の調査で悪霊が良く出現する場所が何処であるかを突き止めたうえで、今日の除霊に踏み切っていた。
GSにとっての唯一の誤算は、覗きに情熱を燃やしていた少年に気づかなかったことだった。
「お、おっちゃぁん! 何とかしてぇ!」
「誰がおっちゃんだ! 俺はまだそんな年じゃない!」
『大丈夫よ、ぼうや……。痛いのは一瞬だけ、すぐに気持ちよくなれるわ……』
悪霊から逃げようと暴れている少年に、悪霊は耳元でそう囁いた。
「ああっ! そ、それは女の子の痛みであって、ボクはそういうのは……! って、死ぬのイヤぁ!!」
『そうね。死ぬのは嫌よね。私だって死にたくなかった……』
すると、悪霊の霊圧が少し弱まった。
『でもね、一人は寂しいのよ。だからぼうや、私と一緒に……』
悪霊の手が少年の首筋にあてがわれ、短くこう言った。
『死んで』
「悪いが、お前さんの恨みに無関係の人間を巻き込むわけにはいかないんだよ!」
悪霊が少年の首をはねようとしたその瞬間、霊圧が少し弱まった隙をついてGSが一気にその距離を詰めていた。
「色々と無念はあるだろうが、全て終わったことだ! 忘れて新しい生へ旅立ちな!」
GSは手に持っていた吸引札を悪霊の額に押し付けた。悪霊は断末魔の悲鳴を上げ、少年をその手から落とし、少年は慌ててそこから距離を取った。
「極楽が待ってるぜ!」
『あああああああああっ!!!!!!!!!!』
悪霊は最後まで悲鳴を上げながらGSの持っている札の中へと吸い込まれていった。GSは悪霊の退治が終わると、その場に腰を落とした。
「はぁ……さすがにやばかった」
手に持っていた棒を再び短くして腰のホルスターに戻した。少年はゆっくりとそのGSに近づいた。
「あ、あのぉ……」
少年は恐る恐るそのGSに近づいた。怒られるとは思ったが、助けてもらったのでお礼を言いたかったからだ。
「ああ……ボウズ、大丈夫か?」
「うん。その……すいませんでした。邪魔しちゃって……」
「気にするな。予定外のトラブルなんてこの仕事じゃ日常茶飯事だ。それより怪我はないか?」
「あ、うん。怪我はない」
「そうか。ならそれでいい」
そのGSは少年にそれだけ言うと、地面に大きく手足を伸ばして横になった。少年はその姿にかっこよさを感じていた。
「あ、あのぉ……」
「ん?」
「GSって……」
少年がそのGSに訊ねようとしたとき、プールの入り口から声がかかった。
「おおっ! 除霊が終わったのですね!」
やって来たのは頭の毛が全てなくなってしまった老年の男だった。彼が除霊を依頼したこの学校の校長だった。その背後には除霊が終わるのを今か今かと待っていた水泳部の女子部員たちがいた。
「ああ」
「おや? その子は……?」
「ああっ!?」
すると、女子生徒の中から声が上がった。
「あの子! 最近出没してるっていう覗き魔!」
「やばっ!」
「覗き魔? おい、ボウズ……」
GSが振り返ってみた時には、少年の姿はいつの間にかプールの外に出ており、超人的な速さで校門へ向かっていた。
「な、なんて逃げ足の速さだ……」
「待てー!!」
女子生徒たちは慌てて少年の後を追いかけるがあの逃げ足の速さでは追いつくことなどできないだろう。
(それにあのボウズ……まあいい)
GSは校長から約束の報酬の受け渡しをするために彼と共に校長室に向かい、一方で女子高から逃げ出した少年は追手の手を振り切って自宅まで逃げ帰っていた。
「はぁ~、危なかったぁ……」
日々の覗きによって鍛えられた逃げ足は、そんじょそこらの女子高生程度で追いつけるようなものではなかった。何とか逃げ延びたことに安堵した少年はベッドの上に寝転がった。
「GSか……。どんな職業なんやろ……」
目を閉じて思い浮かぶのはさっき戦っていたGSの姿であり、この出来事が彼の人生に大きな影響を与えた。
少年の名前は横島忠夫、十二歳の夏休みの出来事だった。