(投稿順的に)あれは嘘だ
ごめんなさい
視点を変えて簪のお話です
時期は第9話の前から
another story for 簪1
静かに引き戸を開く。時刻は既に夜の11時を回っており、外は真っ暗になっていた。
「…ただいま、お母さん」
「お帰りなさい、簪」
出迎えたのは母の
「今日は、お父さんと仕事じゃなかったの?」
「…そのつもりだったんだけど、楯無さんが帰らせてくれたの。明日の朝には戻らないといけないけどね」
「そうなんだ」
靴を脱いで、玄関を上がる。
祖父の代から受け継がれているこの屋敷だが、メンテナンスを欠かしていないとはいえ、流石に老朽化してきている。
簪の部屋がある2階への階段から、軋む音が聞こえるのは心臓に悪い。当主である父は、これを機に現代らしい家に改築しようと考えているらしい。
「さ、ご飯にする?それともお風呂?」
「…ごめん、今日はもう疲れたから寝るね」
そう言って、足早に階段を上がっていく。
「…簪」
「‥‥何?」
「明日はお休みで刀奈も学園でお仕事だから、お家でゆっくりするといいわ。このところ、休めてなかったでしょう?」
今日までの1ヶ月、簪は『ある事』に時間を追われていた。放課後は勿論、土・日曜日までその事にかかりっきりだった。
そんな調子だったから、心身ともに休める暇も余裕もなかったのだ。
「…うん、そうする。…おやすみなさい」
「おやすみなさい、簪」
更識簪という少女は至って普通の、どこにでもいる女子中学生……というわけではない。
家は古くから続く政府お抱えの名家で、明治期からは暗部として国家を支えてきた実績を持っていた。現代でIS学園の所属となっても、一般人が知ることのない『裏』の世界に関わっている。
そんな家に生まれた簪も、姉である刀奈も、普通の子供とは少々違う生活を送っていた。
高水準な学校教育に加え、名家らしい代々のしきたりや一般的な礼儀作法から、敷地内にある道場で武道を始めとする、
しかし、学年が上がるにつれて少女たち自身も、彼女らを見る周囲の目にも変化が表れ始める。
ある日、小学校でテストを終えた二人。刀奈はいつも通り満点で、簪は成績が奮わず70点だった。
親族の誰かが言う。
「流石は刀奈お嬢様です。お父様とお母様もお喜びになるでしょう」
「簪お嬢様は、もう少し努力するべきでは?お姉様を見習ってください」
姉が小学校高学年になった頃からだっただろうか。親戚筋や幹部の人間はとにかく二人を比較し、優劣を付けることにこだわった。
勉強にスポーツ、礼儀作法や対人関係にまで、姉と比較した上で口を出し始める。簪は刀奈のように活発な性格でもなければ交友関係が広いわけでもない。
勉学にしても、わざわざ当時の刀奈の成績まで持ち出してくる。
最初でこそ、簪も自分の不出来を反省し努力した。両親も、そういった親族らの言動に何度か釘を刺して、娘に気にしないように告げていた。
しかしその後も、両親のいない所で親族たちは二人を比べ続ける。
大抵が刀奈を誉めるもので、簪が称賛されることはない。あったとしても、それは所謂『簪派』の人間であり、ご機嫌取りのためでしかなかった。
先に述べたように、更識という家は正真正銘、超がつく程の名家であると同時に、『裏』に携わる1つの組織である。
組織の中でも、何より重要となるのは組織運営に対して強い発言力と最終的な決定権を持つ者――つまり、当主であり、
しかし、当主は世襲制で決まり、基本的に本家の子供が当主『楯無』の名を継承する。分家や部下の者たちには、少なくとも最高権力が与えられる可能性はまずない。
故に、決定権を持てない彼らが各々の意見を確実に通そうとするなら、決定権を持つ当主に根回しすることが必要となる。
俗物的だが、2人の執拗な
――単に操りやすいだけだろう
自分に擦り寄る大人たちの思惑を、簪はぼんやりとだが、すぐに察していた。
活発で賢く、誰とでも良好な交友関係を築ける、常にクラスの中心であった刀奈。生まれつきの優秀さがそのまま自信に結び付いていた彼女は、妹である簪と大きく異なっていた。
簪自身、自分への評価は低い。本人の気弱過ぎる(と言っていい程の)性格も要因の1つだが、自分とは正反対で遥かに優秀な姉がいることがいつの間にかコンプレックスとなり、気安く接してくる姉に少しずつ煩わしさを感じるようになる。
しかし、そんな環境下でもISだけは、誰からも口を出されることもない、自分だけの世界にすることが出来た。
――初めてISを見たのは小学校の頃だったろうか。
当時はISが現れた頃で、世界中で軍に管理・研究されていた。だが、白騎士の戦闘力を危険視した国連による後の『アラスカ条約』の制定が予想されており、国立の研究所や民間企業へのコアの譲渡を政府が検討していた。
簪がISを初めて生で見たのは、更識の仕事のついでに、父に自衛隊の基地に連れて行ってもらった時だ。
他の女の子と違い、勧善懲悪物のアニメや特撮が好きだった(今もだが)簪は、ロボットというものに憧れを抱いていた。それを知っていた父が、顔見知りの自衛官に頼み込んだらしい。
始めは遠くから見るだけだったのが、いつの間にかISに触れる距離にまで近づくことができていた。…自衛官は上官に正座させられていたが。
それはともかく
父や更識の大人たちは、ISという既存のものとは全く異質な技術の塊に戸惑い、敬遠していたのに対し、単純な憧れとその『特異さ』ゆえに、簪はISに関する知識を深め、学んでいった。
当時はまだ刀奈も手を出していない分野だ。簪にとっては、姉の存在を気にすることなく打ち込める、初めてかもしれないものだった。
彼女が好きなアニメや特撮のヒーローのように、ロボットに乗って空を飛ぶことが出来る。まるで幼稚園か小学生男子のような空想をしていた簪にとってはまさに夢のような代物であった。
ISを満足に動かせるようになるために苦手だった生身の訓練や学校の勉強にも熱を注ぎ、さらにISの勉強も増やした。
夢のためであっても、辛いことや止めたくなることもあった。しかし、そこで歯を食い縛り、気持ちを奮い起たせて乗り越える。そうしていると、いつの間にか、苦手だったことに取り組むのにも楽しみを覚えるようになっていった。
状況が一変したのは、簪が高学年に上がった頃のことだ。
更識家の幹部の一人が、ISの有用性について提言した。ISは強力な力を持つにも関わらず、待機状態にすることで普通の装飾品と大差ないものに偽装することが出来る。それは今後、対スパイやテロ、水面下での他国との小競り合いにも使用されるだろう。それに備え、姉妹にISの教育が必要なのではないかと言い出したのだ。
当初、更識家当主である父は首を縦には振らなかった。部下の言い分には一理あるが、登場したてのISという存在に適応しきれていないこと、成績が奮わず塞ぎ込みがちだった娘の簪が、夢中になっているという親心。そして、その部下が刀奈を次期当主に推していることを知っていたからだ。簪がやっていることに刀奈も加えて、刀奈に取り入るのが本心なのだろうと推測していた。
しかし、兼ねてから日本政府より打診のあった、新設されるIS専門の学校への所属を検討していたことが決め手となり、ISの訓練が導入された。
始めは大人たちも、簪に対して先見性があるだの、刀奈よりも優れているだの、好き勝手に囃し立てた。その頃は
勝手なことを言う大人たちは、彼女にとっては腹立たしい存在ではあった。しかし、正直に言って悪い気分ではないどころか、とても良い気分になれる。
今までずっと『更識刀奈の妹』程度にしか見られていなかった反動だろう。『刀奈より優れている』という言葉は、彼女を優越感に浸らせるのに十分だった。
しかし、そんな淡い優越感もすぐに崩れ去る。
後発だったはずの刀奈が、グングンと成績を伸ばし始めた。簪が数年かけて学び得たことを、刀奈は数ヶ月で習得してみせた。
それは簪を苛立たせ、焦らせるには十分過ぎるほどの速度だった。
簪の名誉のために補足するなら、彼女は何も胡座をかいていたわけではない。寧ろ刀奈が加わったことで、更に自分を追い込んで、努力を重ねていた。
それでも、追いかけられる側だったはずの自分が、再び追いかける側へと変わってしまう。
ISと並行して中学から家業を手伝い、当主になるための実績を積み重ねていた刀奈。高校に進学するにあたって、専用機を与えられることになった。
IS学園に入学し、学園の防衛を目的に活動するためであり、国の代表でも企業の人間としてでもない。万が一、対IS戦になったときに、ある程度自由に行動できる存在として専用機を与えられたに過ぎない。
しかし、『専用機を与えられる』それ自体が特別なことであり、IS操縦者を目指す者の最大目的の一つと言える。
簪もそれに外れず、倉持技研に話を持ち込み、『打鉄の後継機を造る』という条件で数ヶ月後になんとか専用機の建造を許可されたのだ。刀奈はそうではない。
ただ『都合がいい』という理由でしかない。
「……はぁ…」
制服を脱ぎ捨て、ベッドに倒れ込む。
視線の先には本棚がある。学校の教科書の他には今までに集め、何度も読み返したIS関連の本と写真立てが一つ。写真には自分と姉、それに2人の従者であり幼馴染である少女らの4人が写っている。写っている少女たちはまだ幼く、簪もメガネ(正確には小型ディスプレイなのだが)を掛けていない。この頃は、姉に引っ張られながらも、皆と無邪気に遊んでいた頃だっただろう。喧嘩さえしたが、少なくとも今のような状態にはならなかった。
「………っ!」
神経質になっているだけなのかもしれないが、それでも気に障る。
写真の中で笑う自分たちが、まるで自分を嗤っているかのように思えてしまう。
ガシャン!
手近な所にあったクッションを本棚へ投げつけると、上手く当てられたのか、写真立てだけが音を立てて床に落ちる。どうやらガラスは割れていないようだが、そんなことは既に眼中にない。視線を天井に向けていた。
姉である刀奈は家にいない。
IS学園に入学して2年になる彼女は、今も学園の寮で暮らしている。帰ってくるのは、精々長期休暇の数日間で、姉妹で話をすることも最早なくなった。
しかも現在は、世界で初めて発見された『ISを動かせる男性』の世話係をしているのだ。帰ってくる頻度は更に減っている。
世界初の男性操縦者 御波凪。
彼が現れた当初はそれなりに驚き、IS学園と更識家で保護することになるという話を聞かされた。
保護については国や別勢力――テロリストや女性権利団体など――に捕まれば最悪殺されてしまうだろうからと、反対することはなかった。どうせ面倒を見るのは学園にいる姉たちだ。自分が関係することはないだろう。
だから正直な話、自分には関係ないだろうと思い、熱を上げているらしい姉とは反対に、簪はこの件に無関心だった。
状況が一変したのはそれから少し後。
簪が倉持技研のスタッフと共に打鉄の後継機『打鉄弐式』の建造に四苦八苦している最中だった。
「開発中の打鉄弐式は、御波凪へ提供する」
数日前、いつものように作業を進めようとした簪とスタッフに向かって、技研の第一研究所の所長は唐突にそう言った。簪も他のスタッフも何を言っているのかと、唖然としていた。
そんなことは知らんとばかりに、所長は一人、大声で演説めいたご高説を賜った。
「ISが誕生して以降、世間では女尊男卑が蔓延り、男たちの地位を脅かしている。だからこそ、今回現れた男性操縦者はそれに一石を投じる存在となる。彼もまた日本男子であるのだから、日本製の、世界でも優秀な実績を残した打鉄の後継機を託すべきである」
ふざけるな、と最初に声を挙げたのは簪ではなく男性スタッフの一人。それを皮切りに、他の人間も口々に抗議した。
打鉄弐式は本来、簪が交渉の末に設計図を持ち込んだ機体で、テストパイロットも務めるという契約で開発が開始された。打鉄の後継機という倉持側の要求にも飲んでいる。
それを一方的に破棄しようというのだ。到底、了承できるものではない。
そもそも打鉄は、前所長の下、今のスタッフが造った機体である。現在の所長の席に座る男も元々、同じ倉持の人間ではあるが、別の部署から異動してきた人間だ。
にも関わらず、立場だけを振りかざして威張り散らす彼をスタッフたちが好めるはずもない。更に言えば、今のような男尊女卑的な主張をすることもあり、女性スタッフの評価は壊滅的だった。
そんな人間であったため、簪の提案を受けたのが、自分の実績とするためだろうというのも、簪自身も薄々は感じ取っていた。
スタッフの抗議は技研の最高責任者にまで届かせることはできた。しかし、先ほどの御託と、
程なくして抗議活動は沈静化した。上層部からの圧力が大きく、簪が他のスタッフに中止するように言ったのだ。
中止する必要はないと、殆どのスタッフは言ってくれていた。
しかし、打鉄弐式の開発以外にも、スタッフには様々な仕事がある。弐式の完成だけに時間を割いて、そちらを疎かにさせるわけにもいかなかった。
結局、簪だけが開発から外され、弐式は完全に『男性操縦者専用IS』を目指して開発を継続されることになってしまった。
もし…
もしも、男性操縦者が現れなければ…
現れたとしても、どこかの組織にでも捕まってくれていれば…
御波という男になんの罪もなく、単なる逆恨みでしかないことは分かっている。
偶々、打鉄弐式の開発途中で男性操縦者が現れ、偶々、最悪な大人が上司で、偶々、自分の機体に白羽の矢が立ってしまっただけなのだ、と。
それでも、彼女の身に起きた理不尽は、はいそうですかと納得できるようなものではなかった。
一方的な理不尽には抗いようがない。だから、恨むしかない。逆恨みだとしても。
現れてしまった
「……ねえ」
明かりを消し、うつ伏せのまま右手の中指を見つめる。
何もないその場所には、打鉄弐式が待機状態でいるはずだった。
「私、どうしたら良かったのかな?」
答えは返ってこない。
「ええい、まだ進まないのか!」
ここは倉持技術研究所。
その施設内にある第一研究所の一室で、スーツ姿の男が1人で怒鳴っていた。
叱責を受けているのは、男の周囲にいる全員。
大量に積まれた紙の束からタブレット端末から必要なデータを見つけようとしている者やキーボードを素早く叩いて数字と記号の羅列を打ち込む者、淡い水色のISの前でコンソールを操作して機体データを何度も見返す者。
男女を問わず、皆が悪戦苦闘していた。
「……駄目です。やはり解除できません。おそらく、ブラックボックスのデータ内でロックされているとしか……」
スタッフの1人からの報告に、男はますます怒声を強める。
「言い訳など不要だ!…とにかく、早く機体のロックを解除しろ!出来ないなら初期化でもなんでも……」
「ですが、初期化してしまうと一からやり直しです。これまでの経費も時間も、全て無駄になります」
「分かっている!だから、さっさと解析してしまえと――」
「…まったく。いつになく五月蠅いわね、あの
部屋の端でキーボードを操作しながら、本人には聞こえないように悪態をつく女性。
「本人に聞かれますよ。そうなったらますます面倒くさい。作業も3倍くらいに増やされちゃいますよ?」
それを窘めるのは隣に座る青年。女性よりも少し若い。
「いいのよ、それくらい!何なら受け取った後にUSBにまとめて、あの顔面に叩きつけてやろうじゃない!」
「荒れてますねぇ。……コーヒーでも淹れてきましょうか?」
「んなことしようものなら、それこそキレられるわよ?『飲んどる場合か!』ってね!」
うがー!と髪を乱しながら怒る彼女に、青年は間違いない、と苦笑いで返す。今の様子なら、作業以外の何をしても罵詈雑言が飛んでくることだろう。
「……で、そっちはどう?」
「こっちもダメです。てんで効果なし」
現在、スタッフ総出で行われているのは、ISの解凍作業。
『御波凪の専用機』として再開発が始まった直後、打鉄弐式が自己凍結――簡単にいえば、外部からの干渉を受け付けない、ロックされた状態に、
白衣を着た彼女たちが受け持ったのは、ロックの解除コードを作成すること。
開発を進めるのに、最も最優先に行わなければならないことだ。
先程から幾つかの解除プログラムを、パターンを変えながらISに送り込んでいる。
しかし、全く効果を示していないのが現状だ。
他のスタッフがこれまでのデータ洗い出しているが、打開策に繋がりそうなものはない。
事前に外部からの干渉があった形跡はなく、更にロックしているのがISデータ内のブラックボックスにあたる部分だという推測がなされており、もしその通りならば、手も足も出せないということになる。
「やれやれ。篠ノ之博士も中途半端に残してくれたもんだわ。ブラックボックスなんてあるから、こういう時に困るってのに」
「そんなこと言っても今更でしょう?ま、気長にやりましょうよ。いつか、機嫌直してくれるかもしれないですし」
そう言いながらも作業する手は止めない。
「機嫌……か。そうね、もしかしたらあの子が…簪ちゃんが戻ってきたら、また動くかも」
ポツリと呟いた彼女。青年は本当に周りに聞こえていないかを確認しながら、一層小声になる。
「…それは」
「あんただって分かってるでしょ?いや、この中で分かってないのは多分、あのオヤジだけ」
「…まあ…」
打鉄弐式が自ら動かなくなった、干渉を拒んだ理由。それを、所長を除く第一研究所のスタッフは確信に近い推測があった。
『ISには人格がある』
ISには装備に好みがあり、近接武器を好んだり遠距離武器を好むことも、逆にそれらを拒むこともある。
搭乗者として登録された人間がいなくなり、IS自身が停止したことは、この10年間で一度も起きたことのない事例だ。
しかし今回の件も、人格があるという前提なら有り得ないことではないのかもしれない。そう彼女たちは推測している。
「たいした忠犬っぷりよね。この
しかし、そのことを誰も所長に告げていない。
彼が知れば、間違いなく簪を再び呼びつけるだろう。ただISを起動、初期化させるためだけに。
白衣の女性は、簪のことを思い返す。
「弐式の処分が決まってからのあの子、見てらんなかった。……これ以上あんな糞オヤジと関わらせてたまるもんですか」
そのためならば、こちらの作業がどれだけ難航しようとも構わない。
それどころか、この遅延が要因となって、所長がクビになってくれれば万々歳だ。
おそらく、ここのスタッフ全員が思っていることだろう。
「それは大いに賛成です。…が、所長の首が変わっただけでは、きっとあの子も戻れないでしょう」
再開発は国からの決定によって行われている。その人員も、だ。
一介の少女を割り込ませる余裕はないだろうし、その許可も下りない。
仮に参加できても、当初の予定である『簪をテストパイロットとする』ことが果たされることはないだろう。
「…分かってるわよ。……あーあ、本格的に転職しようかしら」
バレないように肩を回し、凝り固まった体をほぐす。
最悪過ぎる上司の所で働くよりは、よっぽど良い案だろう。
「転職…転職か。……そうだ。たしか、この中に…」
何を思ったのか、青年は白衣の下に着ている、スーツの内ポケットから金属製の名刺入れを取り出した。
「何それ?」
「この前、質の悪い女性に絡まれたときに助けてくれた少年がいたんです。で、その子とIS談義で盛り上がったときに貰いました。俺も、転職を考えていたので役に立つかなーと」
—―何よ、そのマンガみたいな展開!?しかも殆どヘッドハンティングじゃない!ズルい!
そう言いたい気を抑え、話を進ませる。
「―で?自慢話じゃないなら、何が言いたいわけ?」
「いえ、簪さんを紹介しようかと」
「……信頼できるの?また騙された、みたいなことになるのはゴメンよ?」
「もちろん、調べてから、ですよ?どっちにしても、此処ほど酷いことにはならないと思いますが…」
青年が名刺を見せる。
そこに書かれていた名前は、誰もが知るであろう大企業の名。
「…あんた、これ大が3つは付く大企業じゃない。どんなコネの取り方よ?でも、こんだけ名前の売れてる企業だったら…」
当然、採用されるかは本人となる次第になる。
しかし、女子中学生がゼロから企業と交流を持つ難しさは計り知れない。そんな苦労話は、簪が倉持技研に来たときにも聞いていた。
ならば、こういった機会は遠慮せず活用するべきだろう。
「……言っとくけど、ちゃんと調べてから教えてあげなさいよ?」
「分かってますよ。でも、本物だとしても、彼女なら採用されます。…でしょう?」
ニヤリと笑い合う。
簪という少女の優秀さは、スタッフたちでも息を巻くほどのものだった。本人はいつも誰かと比べ、『自分は大したことはしていない』と落ち込んでいたが、彼女ならどこであっても認められるようになるはずだ。
最後まで力になれず、それどころか助けられてしまった自分たちができる精一杯の助け。
どうか少女の願いを叶えてやって欲しい。
それが、大人としての、二人の思いだった。
「ところで……その後に私も紹介してくれない?」
「何言ってるんですか。どう考えても俺の後でしょ」
「………そうよねー…」
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よろしくお願いします。