聖者の右腕Ⅰ
暁古城は第四真祖である。
つい三ヶ月程前にとある事件を切っ掛けに、厄災そのものともいえる眷獣を身に宿すはめになった。しかし当の本人はその事件の一切を忘れている。そのため古城からしてみればわけも分からないうちに吸血鬼になり、あまつさえ伝説やお伽話の類とされていた世界最強の吸血鬼“第四真祖”に仕立て上げられていたのだ。
普通ならここで世の理不尽さを嘆き、自分に全てを押し付けた先代の第四真祖、アヴローラを呪うところだろう。しかし古城はそんなことはしなかった。彼は知っていたのだ。三ヶ月前に己の身に何が起きたのか。それどころか三年前の事件の真相も、これから降りかかるであろう火の粉も全て。
暁古城は第四真祖である。そして、転生者でもあった。
転生、といっても意識が芽生えたのは三年前。テンプレ的に神様に出会って転生したなんてことはなく、気づいたら当時十二歳の古城少年に成り代わっていた。意識が芽生えた経緯などが“焔光の宴”の影響でごっそり抜けていたため、彼自身はイマイチ状況が掴めていなかったが、やがてこの世界が生前愛読していたライトノベルの世界だと気づいた。
古城に成り代わった存在は生前、幾つものライトノベルを愛読していた。故に自分の名前や住んでいる人工島の名前から、この世界が『ストライク・ザ・ブラッド』の世界だと察するのは難しい話ではなかった。
しかし、とある問題が浮上した。
彼が古城に成り代わった時点で、既に古城の肉体は吸血鬼の血の従者となっていた。つまり、そこからどう足掻こうと原作通りの展開からは逃げようがなかった。むしろ逃げたらそれこそジ・エンドの状況だった。
きっと自分はとんでもなく苦悩したのだと彼は思う。生憎今の彼はその当時の記憶が根こそぎ奪われているため、原作知識から推測することしかできないが、原作古城の葛藤や苦悩を思えば自分もそれと同等の念を抱いていたのは想像に難くない。
事件から三ヶ月が経った今でさえ、彼は罪悪感に苦しんでいた。
なまじ原作知識という形で何があったか知っているため、今こうして自分が生きている代わりに犠牲になった少女のことや周囲を騙し続けていることが頭から離れないのだ。
一人苦しみ悔い続けながら、しかしそれを表に出すことはない。ただ自らを“まがいもの”と蔑み、いつか本物の暁古城が戻ってくると信じ、今日も彼は平穏な日常を過ごしていた。
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八月も終盤、夏休みもあと四日で終わりを迎えるという今日この頃。
精神統一をするように冷たい床の上に胡座で座り込み目を閉じている古城。その右腕には虚空から伸びる銀の鎖が巻きついていた。
銀の鎖の持ち主は黒い髪の、一見すると幼い少女。フリルをあしらった豪奢な黒いドレスを着こなし、室内であるのにも関わらずこれまた黒い日傘を携える様はまるでビスクドールのようだ。
南宮那月。古城が通う彩海学園の英語教師であり、国家攻魔官である自称二十六歳の女性だ。
国家攻魔官としての実力は折り紙つきで、その可憐な容姿とは裏腹に欧州では“空隙の魔女”と呼ばれ恐れられていた過去を持つ傑物だ。
古城が徐に口を開く。
「準備はいいかな、那月
「ふん、好きにするがいい」
傲岸な那月の物言いに古城は苦笑する。しかしすぐに口元を引き締め、己の内側へと意識を沈めていく。
暗い深海へと沈むように意識の下層に潜っていく。やがて、暗闇だけの世界に眩い光が差し込んだ。同時に世界が激しい雷光に白く染められ、古城の前に雷を纏った獅子が現れた。
“
その雷撃はありとあらゆるものを薙ぎ払い、破壊し尽くす。第四真祖の眷獣に見合うだけの力を有する怪物だ。
古城は“
「一週間ぶりだな、元気にしてたか?」
古城の呼びかけに“
無視されているわけではない、というのは何となく分かる。だが応答しようとしない。まだ古城を己の宿主として認めていないのだ。
「ダメか……。やっぱ血を吸わないと認めてくれないのか?」
古城の問いかけに“
参ったな、と暗闇を仰いで古城は頭を悩ます。
第四真祖の眷獣はどいつもこいつもじゃじゃ馬だ。宿主である古城に身の危険が及べば勝手に出てきて、その度第四真祖の眷獣の名に恥じぬ厄災を振り撒いてくれる。正当防衛で平然と都市一つ壊しかねない存在なのだ。
そんな眷獣を御すために必要なのが、質の良い霊媒からの吸血行為だ。
しかし古城に吸血の経験はない。三ヶ月前に吸血鬼になったばかりであり、身近に眷獣を手懐けられる程の霊媒として素養を持つ人間が少ないため、そして何より古城自身が吸血行為に漠然とした苦手意識を持っているためだ。
よく吸血鬼の吸血行為は食事や嗜好として描かれることがあるが、この世界の吸血鬼にとっての吸血行為は生きるために必ず必要なものではない。
この世界の吸血鬼にとって吸血衝動を引き起こす原因は性的興奮。つまるところ性欲、欲情することだ。
誰かのことを想い、我を忘れる程の渇きと衝動に襲われて、吸血鬼は人にその牙を突き立てる。あるものは衝動の赴くままに数多くの人を襲い、またあるものは愛する誰かをその手にかけた。それが吸血鬼の吸血行為である。
古城はその吸血行為を苦手としていた。吸血行為に及ぶというのはつまり、誰かに欲情するということと同義なのだ。
精神が三十路前の古城が年若い少女にその牙を突き立てる。
無茶を言うな、と古城は頭を抱える。一歩間違えなくても歴とした犯罪だ。お巡りさんのお世話になること待ったなしである。
己の内に宿る暴れ馬を制御するには霊媒の血が必要不可欠。しかし古城の心情としては吸血行為は避けたい。二つの相反する事情に板挟まれ、古城が出した結論は一つ。まずは何事も対話から入ることだった。
原作古城は第四真祖の力と向き合わず逃げている節があった。第四真祖になった経緯を憶えていない状況では仕方ないと言えるが、ここにいる古城は記憶こそないが第四真祖になった当時のことを原作知識で知っている。原作と違い自身が軍隊や災害扱いされている自覚もあるし、第四真祖の力を忌避するなんてこともない。
だからこそ、この古城は対話という選択をしたのだ。
眷獣との対話は困難を極めた。一つ間違えれば暴走し、周囲に天変地異並みの災害を撒き散らすのだ。それなりに仕事の営業や上司とのコミュニケーションで対話能力はあると自負していた古城であっても、さすがに相手が悪い。
もしも暴走した時のために事情を知る那月に監督を頼み込み、一週間に一度のペースで眷獣との対話を続けた。那月には対価として攻魔官の仕事や教師の雑事を手伝わされるはめになったが、眷獣を制御することができるようになるのであれば安いものだ。
結果だけ言えば、古城の目論見は失敗とも成功とも言えなかった。
「それじゃあいつものやつ、いくぞ」
真剣な面持ちで、古城は己の右腕を“
瞬間、意識が飛びそうになる程の激痛に身を打たれて古城が絶叫する。痛みを紛らわすように叫び声を上げつつ、古城は雷光を引き連れて意識を現実の肉体に引き戻す。
「ちっ、来たか……!」
雷を身に纏い始めた己の教え子を見下ろして、那月はいつでも新たな鎖を打ち出せるように準備をする。
「うぐっ、あ、ああ……!」
じっと胡座で座っていた古城が目を剥き、吸血鬼特有の長い牙を口元から覗かせる。瞳は紅い輝きを湛え、銀鎖が巻きついた右腕から漏れ出るように稲妻が迸る。
右腕から放たれる雷撃は床や壁、天井までもを容赦なく砕く。このまま無差別に雷撃が放出され続けたら、
だが、そうはさせまいと古城が右腕を掲げる。
右腕から間欠泉の如く噴き出す雷の矛先が、自らの宿主である古城へと変わる。都市一つ消し飛ばしかねない雷撃の濁流が古城の右腕に集中し、馬鹿みたいな高電圧となって蓄積する。
「
右腕を砲身に見立てて古城は拳を突き出す。拳が向けられているのは鬱陶しげな表情をした那月だ。
次の瞬間、轟音と共に溜め込まれた雷光が指向性を持って放たれた。
人一人程度余裕で呑み込める程の雷光の奔流は、床を抉りながら那月に迫る。不完全とはいえ神話生物と同等の扱いを受ける第四真祖の眷獣の一撃、常人ならばこの時点で失神してもおかしくない状況だ。
しかし空隙の魔女の異名を持つ那月にとって、この程度の雷撃は脅威足り得ない。
「まったく、世話のかかる教え子だ」
那月は鬱陶しげに手に持っていた日傘を一閃した。それだけで破壊の奔流は一瞬にして消滅してしまい、全ては幻であったかのような静寂が部屋を支配する。
「毎度のことだけど、やっぱ無茶苦茶だよな。那月先生」
破壊の痕跡残る部屋を見回して古城は呆然と呻く。その右腕は炭化一歩手前まで傷んでおり、那月が前もって巻きつかせた鎖によって原型を留めているような状態だった。
しかしそれも第四真祖の驚異的な再生能力によって回復していく。まるで動画の巻き戻しのようで、再生する光景は耐性がないものが見れば吐き気すら催すだろう。
那月はそんな古城の右腕を無表情で見下ろして、
「今日はこれで終わりだ」
冷ややかに終わりを告げた。
▼
「おまえは何をそう生き急いでいる?」
愛用の黒いフード付きのパーカーに着替え、真夏のきつい日差しに顔を顰めていたところで、どこからともなく現れた那月が問うた。
この三ヶ月で古城は目覚ましい成果を上げた。暴走し無差別に破壊を撒き散らすしか能がない第四真祖の眷獣を、霊媒の血を捧げることもなく対話だけである程度言うことを聞かせられるようになっているのだ。それだけで十二分に賞賛に値する。古城本人はまだまだ納得していないが。
だが、その代償もまた大きい。
古城は外へ向かっていく力のベクトルを内に向けさせ、そこから力に指向性を持たせて放つという荒技をやっている。それは第四真祖の眷獣の力を一身に受けているということ。並みの精神性ではその苦痛に耐えられず廃人となってもおかしくない。
しかし古城は気が狂いそうになる程の激痛にも耐え、己の内に宿る眷獣と直向きに向き合い続けた。その真っ直ぐな姿勢は教師として素直に褒められるものであったが、同時に危うさも感じられた。
何故そこまでして力を求めるのか。那月には古城が何を生き急いでいるのかが、分からなかった。
那月に問われて古城は困ったように頭を掻く。どうにも古城は頭を掻く癖があるらしい。
「護りたかったものを、護れるようになりたいから。ですかね」
しばしの黙考ののちに、古城はそう答えた。
古城の奇妙な言い回しに那月は眉根を寄せる。
護りたいもの、ではなく、護りたかったもの。明らかにニュアンスに大きな違いがある。どうにも要領を得ない。那月は古城がわざとはぐらかそうとしているのかとも思ったが、どうにもそうではなさそうだ。
先の対話での疲労で気怠げな表情をしているが、その瞳に湛える光は真剣そのもの。とても嘘を言っているようには見えなかった。
「ふん、まあいい。何にせよ、あまり無茶をしてくれるなよ。おまえが暴れるだけで余計な仕事が増えるのだからな」
偉そうな口調だがその内容は古城の身を案じたものだった。それが古城にも分かったからこそ、彼は疲労を滲ませながら苦笑いを浮かべる。
「分かってるよ、那月
攻魔官ではなく教師である那月に対する呼び方に替えて、古城は即座に右手を掲げる。そこへ那月の黒レースの扇子の振り下ろしがヒットした。もはや慣れ親しんだやり取りに古城は反射的に対応したのだ。
「ちっ、教師をちゃんづけで呼ぶなと言っているだろう」
忌々しげに吐き捨てながらも、那月がそれ以上攻撃を加えることはなかった。
しかし代わりに、
「そういえばどこかの馬鹿が英語の追試を食らっていたな」
「ぎくっ」
「今回の追試は夏休みの課題を範囲としていたが、その馬鹿のためにも二学期の予習を兼ねて範囲を増やすべきだな。我ながら良い考えだと思うのだが、どう思う?」
「エエ、イインジャナイデスカネー」
英語の追試を食らった馬鹿は片言ながらにそう返す。那月はその返答に満足したのか楽しげな笑みで頷いた。
「せいぜい頑張ることだな、暁古城」
「へいへい、やりますよやればいいんでしょ……」
英語の追試は明後日。今日帰ってからと明日丸一日でどれだけ詰め込めるか。いや、明日は浅葱に矢瀬共々勉強を見てもらう予定だった。丁度良いのでその時に英語を教えてもらおう。
意地悪教師め、と胸中でだけ呟いて古城は足早に家路についた。
遠ざかっていく教え子の背を那月は見つめる。高校一年にしては妙に大人びた雰囲気を背負うその背は、しかし真夏の陽炎の中に儚く消えていった。