“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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戦王の使者XIV

 暗い暗い意識の最下層。己以外は何人たりとも侵入し得ない精神の不可侵領域(パーソナルスペース)。暁古城は深海にも似たその空間を揺蕩っていた。

 眷獣との対話の時と似たような感覚。しかしここはあそこと違って居心地の良さが段違いだ。まるでぬるま湯のようで、無意識の内に古城はずっとここに居たいという欲求に呑まれかける。

 

 ──いつまで寝てるんだ?

 

 不意に響いた少年の声。心の奥底まで響く温かくも慣れ親しんだ声音で、古城は非常に聞き覚えがあった。だが誰の声か、霞がかかったように思い出せない。

 しばらく悩んだのち、古城は思考を放棄して諦めた。古城は再び心地よい微睡みに身を任せようとする。

 

 ──みんな心配してるぞ。

 

 告げられた言葉に古城は手放しかけた意識を繋ぎ留める。茫洋としていた瞳は確と焦点を結び、光の射さぬどこまでも続く闇を見上げていた。

 みんなとは誰か。雪菜か紗矢華か、それとも浅葱か凪沙か、大穴で那月かもしれない。誰にせよ、いつまでもここで惰眠を貪っているわけにはいかなくなった。

 纏わり付いてくるぬるま湯を振り払い、古城は上を目指す。その先にあるのが決して救いのない現実と知りながら。

 精神世界から現実へと還っていく古城。その背を、空色の瞳が静かに見送っていた。

 

 

 ▼

 

 

 耳元で響く声に浮上しかけていた古城の意識は強制的に叩き起こされた。深く永い夢を見ていたかのような体の怠さを覚えつつ、古城は重たい瞼をゆっくりと上げる。

 すると飛び込んできたのは目尻一杯に涙を溜めた妹とクラスメイトの少女のどアップだった。さすがの古城も、状況が読めず目を白黒させる。

 

「よかった、古城くんやっと目を覚ました。もうこのままずっと目を覚まさないんじゃないかって、凪沙すっごく心配したんだよ!」

 

「ほんとよ。あんたがテロリストに襲われたって聞いた時は心臓止まるかと思ったわよ」

 

 起き抜けの頭に少女たちの捲し立てる声が響く。目が覚めたばかりで状況が全く把握できていなかった古城はさり気なく周囲に視線を走らせる。

 場所は恐らく彩海学園高等部の保健室。備え付けられているベッドの一つに古城は寝かされているらしい。

 記憶が途切れる前までは増設人工島(サブフロート)でナラクヴェーラと死闘を繰り広げていたはずなのに、どういう経緯で高等部の保健室にいるのか、古城には皆目見当がつかなかった。

 古城が人知れず混乱していると入り口のドアがからりと開く。入ってきたのは少し疲労の色を滲ませた顔色の雪菜だった。

 雪菜は、凪沙と浅葱に囲まれた古城を見ると、ふっと安堵したように微笑む。

 

「目が覚めたんですね、暁先輩」

 

「姫柊、俺は……」

 

「先輩は学園に侵入したテロリストに運悪く鉢合わせて襲われたんです。覚えていらっしゃらないかもしれませんが」

 

 そう言って雪菜は人差し指を立ててすっと自身の唇に沿える。要するに凪沙と浅葱には秘密にしろ、ということらしい。

 古城は雪菜の意図を察して話を合わせる。

 

「ああ、そうか。そうだったな。ちょっと記憶が飛んでて混乱してるみたいだ」

 

「大丈夫?頭でも打ったのかな。やっぱり病院に行ったほうがいいよ。あ、そうだ、深森ちゃんに診てもらおうよ。深森ちゃんなら安心できるしね、古城くん」

 

 いつもの三割増しの勢いで喋る凪沙。彼女なりに大切な兄を気遣っているのだろうが、空回りしている感が否めない。

 ぐいぐい深森を推してくる凪沙に苦笑していると、ふとベッドから距離を取った浅葱が目につく。

 浅葱は不意に目を伏せると、肩を震わせ始めた。

 

「ごめん。ごめん、古城。あたしのせいだ。古城がこんな目に遭ったのも全部、あたしがあんなパズルを解かなければ……」

 

「藍羽先輩……」

 

「浅葱ちゃん……」

 

 自身の罪を告白するように、ボロボロと泣きながら浅葱が言う。聡明な浅葱はテロリストたちの狙いが自分であったことにすぐ気づいた。故に自分のせいで古城が死にかけたと思い込んでいるのだ。

 事実は古城自ら侵入者である黒死皇派に特攻を仕掛けたのだが、それを話すわけにはいかない。

 泣き崩れそうになって雪菜と凪沙に支えられる浅葱。古城が考えている以上に浅葱はショックを受けているようだ。古城は、そんな浅葱を責める気など毛頭なかった。むしろ彼女に感謝すらしている。

 

「泣くなよ、浅葱。別におまえは何も悪くないんだからさ」

 

「でも、古城が……」

 

「俺は大丈夫だったろ。ほら」

 

 無事だと言わんばかりに古城は腕を広げてみせる。まだ気だるさは残っているが傷一つない体だ。今日一日で四度も死んで生き返ったなどとは思うまい。

 問題ないアピールをする古城に、僅かではあるが気が軽くなったのか浅葱は表情を緩ませる。だがそれでも完全に罪悪感は拭えないらしい。

 ならばもう一押し、と古城は穏やかな口調で言う。

 

「それに、浅葱が見つけてくれたデータで助かった人もいるんだ。だからあんまり自分を責めるな」

 

「ほんと……?」

 

 涙に潤んだ上目遣いで問うてくる浅葱。古城は真正面からその瞳を見据え、真剣な面持ちで頷いた。

 自分が見つけ出した情報が誰かの役に立った。その事実は浅葱を苛む重苦しい罪悪感を大分軽くしてくれたようだ。未だ目尻には涙が滲んでいるが、それでもその表情は最初とは比べものにならない程に晴れやかだった。

 

「ありがと、古城」

 

 少しはにかみながら浅葱が礼を言う。いつもと変わらぬ浅葱に戻ったことに古城は内心で安堵し、こちらも常と変わらぬ優しげな笑みを浮かべるのだった。

 

 

 ▼

 

 

 日が暮れて西陽が保健室の白い壁を茜色に染め上げる。時刻で言えば午後六時を過ぎた頃合い。今、保健室には古城と雪菜の二人しかいなかった。

 無事だったとはいえあまり長居するのは古城の負担になるだろうと気を遣った浅葱は早々に切り上げ、凪沙に関しては腕によりをかけるよと意気込んで夕飯の買い出しに出て行ってしまった。

 結果、意図せずして古城は雪菜と二人きりになったわけだが、その雪菜の機嫌が妙に悪い。パイプ椅子に背筋を伸ばして座る姿はいつもと変わりないのだが、纏っている雰囲気が刺々しいのだ。

 

「あの、姫柊さん?もしかしなくとも怒っていらっしゃいますか?」

 

「はい、怒ってます。とても」

 

 恐る恐る尋ねた古城に、雪菜が無表情で、しかし声音にしっかりと怒気を込めて頷いた。

 怒っている。それはもう今までにないくらい、背後に修羅を幻視してしまう程に怒っている。

 一体何が雪菜の逆鱗に触れたのか、古城は己の脳味噌をフルに回転させて理由を探る。そして脳裏に思い浮かんだのはたった一つだけ。

 

「もしかして煌坂とのことか?それなら悪いのは俺で……」

 

「それに関しては先輩が寝ている間に紗矢華さんから事情を聞きましたから。怒ってないとは言いませんが、状況からして仕方ないことだと判断します。でも……」

 

 すっと咎めるように雪菜が目を細める。

 

「そもそも先輩が自力で回復できなくなるような状況になるまで無茶しなければ、こんなことにはならなかったんじゃないですか?」

 

「うっ、それは……」

 

 正鵠を射た雪菜の指摘に古城は言葉を詰まらせる。

 

「紗矢華さんから聞きました。わたしの知らないところでもずいぶんと無茶をしたそうですね。ガルドシュ相手に単独特攻なさったとか」

 

「いや、それは煌坂もいたから単独では……」

 

「それはわざわざ銃弾を受けて死ぬ必要があることなんですか」

 

「…………」

 

 涙目で睨まれたら古城も黙る他ない。

 あの時はあれがベストだと考えていた。最善ではないが確実かつ自分が取れる最良手だと信じていた。だが目の前で涙を湛えながらこちらを睨む雪菜を見ると、本当に正しかったのかと古城の頭を疑念が擡げる。

 そこへ追い打ちをかけるように雪菜が言葉を投げかける。

 

「先輩が眠っている間、わたしたちがどれだけ心配したか分かりますか?凪沙ちゃんが、藍羽先輩が、どんな顔であなたが目覚めるのを待っていたか、分かっているんですか!」

 

 声を荒げて怒鳴る雪菜に古城は呆気を取られた。今まで散々小言やらを言われてきたが、ここまでストレートに感情を露わにして叱られたことなど、古城になって以来なかったのだ。

 雪菜は一度深呼吸をして昂った心を落ち着けると改めて古城の瞳を真っ直ぐ見据えた。

 

「お願いですから、もうこんな無茶をしないでください。なんでもかんでも一人で抱えようとしないでください……」

 

 懇願するように雪菜が言う。しかし古城はそれに頷かない、頷けない。もしもまた、同じような状況に陥ったとしたら古城は迷うことなく自身を傷つける手段を選ぶ。雪菜や紗矢華たち大切なものが傷つくぐらいならば、躊躇いなく死地へ踏み込む。だから古城は雪菜の言葉に応えられなかった。

 雪菜も予想はしていたのか然して落ち込むような様子はない。むしろ想像通りだったのか、手のかかる子供を見るような目で古城を見て、そして決心したかのように一つ頷く。

 

「本当は先輩がここで素直に言うことを聞いてくれたら良かったんですけど、反省はしてくれなさそうですし。ですから、わたしも強硬手段に出ます」

 

「強硬手段って……」

 

「先輩の監視を強化します」

 

「は?いや、ちょっと待て、それはおかしくないか」

 

「どこがです?一人になればこれ幸いと単独行動して、自ら危険に飛び込んでいく人ですよ。四六時中見張っていなければいつどこで無茶をするか分かったものじゃありません」

 

 平然と言う雪菜の目は怖いくらい本気だった。さすがの古城も雪菜の眼力に怯んでしまう。

 それに、雪菜の言うことも的を射ている。目を離せば勝手に危険に飛び込んでしまうのならば、目を離さなければいい。当然の理屈だ。

 だが今だって監視されているというのに、これ以上どう監視を強化するのか。古城はそれが恐ろしくて尋ねたくとも尋ねることができなかった。

 

「安心してください。今まで通り最低限のプライベートは守ります。最低限は」

 

 逆に言えば、家を一歩出れば常に隣にいるということか。いや、もしかしたら家の中でも手洗いや風呂以外なら監視されることになるかもしれない。そうなるともう古城に心休まる時間はなくなってしまう。

 

「先輩が悪いんですよ。先輩が無茶をしなければ、わたしだってここまでするつもりはなかったんです。でも、こうなった以上、わたしも遠慮はしませんから」

 

「ぐぅ、でも……」

 

「でもも何もありません。もう決定事項です」

 

 きっぱりと言い切る雪菜に、非が自分にあると自覚している古城は言い返すことができない。これも全部、身から出た錆だ。

 

「それともう一つ」

 

「ま、まだあるのか……」

 

 これ以上どんな無茶ぶりがくるのかと戦々恐々する古城。雪菜はそんな古城に今までと打って変わって穏やかな表情で告げる。

 

「これからはもっと他人を頼ってください。わたしでは頼りなかったり、力不足かもしれませんが。そんな時は南宮先生でもいいですし、いる時なら紗矢華さんでも構いません。まずはそのなんでもかんでも全て一人で抱え込む癖を治してもらいます」

 

「それは……」

 

 難しい話だ。古城とて雪菜たちを頼りにしてないわけではない。むしろ力は借りるし、それなりに信頼もしている。だがどうしても彼女たちを危険に晒したくないという念が出てしまい、一人で抱え込む方向性に走ってしまう。こればかりはどうしようもない。

 

「少しずつでいいんです。いきなり意識を変えるのは難しいと思いますから」

 

 慈しみに満ちた微笑みで雪菜が言った。

 

「わたしたちは待ってますから」

 

「……ありがとう」

 

 そう答えるのが、今の古城の精一杯だった。

 

 

 ▼

 

 

 今回の黒死皇派によるテロ事件についての重要参考人としての取り調べを終えたディミトリエ・ヴァトラーは、絃神島の中でも有数の高級ホテルにいた。

 シャンデリアが輝き柔らかな絨毯が広がるホテルロビーの一角、備え付けのソファに身を沈めながらヴァトラーは行き交う宿泊客を眺めている。

 そんな彼の背後のソファに小柄な女性が腰を下ろす。彩海学園高等部の夏服を着込んだ眼鏡をした少女だ。

 

「おや、キミが出向いてくれるなんて驚いたよ“静寂破り(ペーパーノイズ)”。いや、獅子王機関・三聖の長と言ったほうがいいのかな」

 

「どちらでも、ご随意に」

 

 ヴァトラーの独り言のような言葉に短く答えた少女は、手に持っていた茶封筒を背を向けたまま手渡す。受け取ったヴァトラーは中身を確認するまでもなく、書類の内容を知っているため開くことはない。ただその顔に好戦的な笑みを貼り付けて訊ね返した。

 

「ところで、わざわざキミが出向いてくれた理由はなにカナ?もしかしてボクと殺し合いでもしてくれるのかい?」

 

「残念ながら、それはまたの機会に。それよりも一つ、お尋ねしたいのですが」

 

「何かな?」

 

 少女は僅かに逡巡するように間を置いて訊く。

 

「此度の事件、あの御方(、、、、)の差し金なのですか?」

 

 若干強張った声音で問われて、ヴァトラーは珍しく熟考したのち慎重に口を開いた。

 

「今回の騒ぎは暇を持て余した貴族が起こしたこと。そういうことにしておきなよ。大丈夫、まだ時間はあるサ」

 

「そうですか」

 

 口調を元に戻した少女は短く頷いた。重苦しく張り詰めた空気は霧散し、代わりにヴァトラーが少し悪戯っぽく笑う。

 

「そう言えば、賭けはキミたちの勝ちということでいいのかな?」

 

「おや、気づかれていらしたんですか」

 

「まァね。ボクとしてはダメかなって思ったんだけど、彼女のほうから迫ったそうじゃない。驚いたよ。結構な男嫌いだって聞いてたのに、どんな心境の変化があったのやら」

 

 くつくつと楽しげに笑うヴァトラー。少女も口元を皮肉げに緩める。

 

「しかし、わたくしたちの目的を知りながら、何故協力を?」

 

「なァに。美味いもの喰おうとするなら多少の手間はかけないとね。でも古城はいい意味で期待以上だったよ。あの躊躇いなく死地へと踏み込む精神性。到底ただの学生とは思えないね」

 

「やはり、危険だと思われますか」

 

 今までとは打って変わって深刻そうな声音で少女が尋ねる。それに対してヴァトラーは僅かに目を細めて答えた。

 

「危険。そうだね、彼は危険だ。理性的な顔をしながらその下に誰にも理解できえない狂気をひた隠しした孤狼とでも言うべきかな。下手に手を出せばその手ごと喰い千切られかねないね」

 

 でも、とヴァトラーは恍惚に染まった表情で続ける。

 

「そこがいい。それでこそ我が愛しの第四真祖というものサ」

 

 憐れ暁古城。真性の戦闘狂(バトルマニア)に色んな意味で目をつけられた瞬間であった。

 背後で彼の言葉に耳を傾けていた少女はしばしの瞑目ののち、

 

「そうですか、参考にさせていただきます。では……」

 

 微かに剣呑な雰囲気を纏いながら席を立った。

 ホテルのロビーに残されたヴァトラー。彼は手渡された封筒を徐ろに開くと中身を確認する。

 内容はアルデアル公ディミトリエ・ヴァトラーを戦王領域からの外交特使と認定し、絃神島での滞在を認める旨が記載された書類であった。

 

「ふふっ、これでこれからも愉しめそうだよ、古城──」

 

 遠ざかっていく少女の気配を背中越しに感じながら、ヴァトラーは一人静かに口角を吊り上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 




これで一応戦王の使者は終わりです。次回ですが、期末が迫っているので期間が開くと思います。毎度読んで頂いている読者様には申し訳ありませんが、宜しくお願い致します。
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