放課後の保健室。本来ならば体調不良者や怪我人が訪れる場所に、しかし古城は至って健康体でありながら訪れていた。
保健室には古城の他にメイド服の上から白衣という倒錯的な格好の少女がいた。
左右対称の顔立ちに藍色の髪。
アスタルテは普段、作られた際にインプットされた医療知識を活かして彩海学園の保健医の真似事をしている。生徒たちからは保健室の妖精などと呼ばれ親しまれている。
「じゃあ、体調のほうは問題ないんだな?」
「肯定。眷獣行使による生命力の減少はありません」
機械的な声音でアスタルテが答える。古城は安堵したように一つ頷きを返した。
アスタルテの体には、本来無限にも等しい負の生命力を有する吸血鬼にだけ飼い慣らすことができる眷獣が寄生している。そのためアスタルテは一時期寿命を食い潰されそうになっていたのたが、古城が手を施したことで延命。今では日常生活が送れるようになっている。
アスタルテの命を救った古城であるが、彼はちょくちょくアスタルテのもとへ経過観察を目的に訪ねていた。何か不都合が起きては困るという、アスタルテを心配しての行動だ。
今日の訪問もまた、いつもの経過観察が理由だ。しかしもう一つ、古城には訊きたいことがあった。
「なあ、アスタルテ。ここ最近の騒ぎのことで那月ちゃんから何か話を聞いてないか?」
ここ二週間で発生している市街地上空での激しい戦闘。古城はその事件についての情報を求めていた。しかし、
「肯定。しかし
「……予想はしてたけど、やっぱり手を回すよな」
機械的な口調で告げられ、古城は参ったように頭を抱えた。
深夜の市街地上空で連続している未登録魔族による交戦。古城はこの一件について、昨日那月のもとを訪ねた。那月から何かしらの情報を得て、あわよくばいつもの雑用を押し付けられるノリで首を突っ込む魂胆だったのだ。
しかし古城の目論見は頓挫した。那月本人から関わるなと釘を刺されてしまったのだ。
これに驚いたのは古城だ。原作ではヴァトラーへの嫌がらせと危険物は手元に置いておくほうがいいと言って、古城の社会的地位を脅かす形で協力させていたというのに。
だが現実はどうだ。理由は不明だが那月は古城をこの一件から遠ざけようとしている。それどころかまともに取り合おうとせず、監視として付いている式神を叩き落として雪菜を強引に召喚し、有耶無耶にする始末。
原作にもない那月の態度に古城は混乱の坩堝に落ちた。加えて古城は今、どういうことか夏音からさえも避けられている。つまり八方塞がり。現状で動くのはあまりにも不審がすぎるのだ。
なまじ原作知識がある分、動けないのがもどかしい。せめて少しでも情報を得ることができれば、その時点で行動に移すことができるのに。
悔しげに歯嚙みしたい気持ちを抑え、古城はアスタルテに軽く頭を下げた。
「悪いな、邪魔して。体に異常があったら教えてくれ」
「承知しました」
控えめに会釈するアスタルテ。古城は若干気落ちしながらも保健室を後にした。
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会話が終わり古城が保健室を出ようとする気配を察知して、聞き耳を立てていた浅葱たちは大慌てで近くの柱の陰に飛び込む。
数瞬後、人っ子一人いない廊下に古城が現れる。その纏う空気は教室にいた時よりも暗い。
何があったのか、浅葱と凪沙は小首を傾げる。保健室内での会話を盗み聞きしていたのではないかと思うだろうが、実のところ彼女たちは会話の詳しい内容までは聞き取れていなかった。原因としては古城とアスタルテの声が小さかったこと。そして何より一緒に聞き耳を立てていた雪菜が、不都合になりそうな単語が出そうになると簡易的な呪術で妨害していたからだ。
そのため浅葱と凪沙は途切れ途切れの会話から事情を察する他なかった。
「古城のヤツ、妙にアスタルテって子の体の調子を気にしてたわね」
「古城くんがアスタルテちゃんに怪我でもさせちゃったのかな?」
「体に異常……経過観察……まさか……」
一体どんな想像に行き着いたのか、愕然と浅葱が目を見開く。その様子に雪菜はなんとなく勘違いしてるだろうなと感じた。
「もしかして古城のヤツ、あんな幼気な子に手を……手を出したんじゃ……!?」
雪菜の勘は的中していた。話が飛躍どころか飛翔している。日頃の古城の行いを思えばあり得ない話だとすぐ分かるはずだろうに。さすがの雪菜も呆れ顔だ。
しかし古城の妹である凪沙はまともに受け取ってしまったらしい。
「古城くんが、そんな……」
酷くショックを受けたように項垂れる凪沙。誰よりも近くで見てきたからこそ、受けた衝撃は一入だろう。まさか自身の兄がそんな不義理を働くだなんて。
顔色を青褪めさせる凪沙に、そっと雪菜が寄り添う。
「大丈夫ですよ、凪沙ちゃん。暁先輩はそんなことをする人ではありません。それは凪沙ちゃんが一番よく分かってるでしょう?」
「そう、だね。うん、そうだね。あの古城くんだもんね」
妙な納得の仕方で凪沙が落ち着きを取り戻した。
「藍羽先輩も、根拠のない邪推をするのはやめましょう」
「そ、そうね。ごめんね、凪沙ちゃん」
「大丈夫だよ。でも、そうなると古城くんはアスタルテちゃんとなんの話してたんだろ?」
一周回って結局疑問の種はそこに行き着く。式神で保健室内の会話を盗聴していた雪菜は大体の事情を把握しているが、浅葱と凪沙は違う。謎の残る古城の行動を二人は訝しまずにはいられない、
「やっぱり直接聞くしかないか……」
最終手段、というか最初からそうすれば良かったのではないかと突っ込みたくなる雪菜。しかしたとえ真正面から古城に尋ねたとして、果たして正直に答えてくれるだろうか。いや、古城のことだ。なんだかんだ言ってはぐらかすに決まっている。それが分かっていたから浅葱も凪沙もこんな回りくどい手に出たのだ。
凪沙もこれ以上ストーカーの真似事を続けるのは良心の呵責が辛いのか浅葱の提案に頷く。ちなみに隣で澄ました顔している雪菜は本人に公言したうえで、今も堂々とストーカーをしている。
故に気づいた。本来ならばいるはずのない人物が学園に侵入し、あまつさえ古城に接触を計ったことに。
「そんな、どうしてあの方がここに……!?」
「どうかしたの、雪菜ちゃん。なんだか顔色が悪いけど」
あからさまに狼狽える雪菜に凪沙が声を掛けた。だがその声も届いていないのか、雪菜は呆然と虚空を見つめている。式神を通して古城の様子を窺っているのだ。
「なんだか騒がしくない?」
異変に気づいたのは浅葱だった。
校門方面が妙に騒がしい。悲鳴ではないが、歓声にも似た女子の声が聞こえてくる。例えるならお忍びのアイドルに出会ったファンたちの騒ぎのような感じだ。
有名人でも来ているのだろうかと浅葱が疑問を抱いていると、呆然と立ち尽くしていた雪菜がハッと我に返り、校門へと駆け出した。
「え、ちょっと、姫柊さん!?」
「どうしちゃったの、雪菜ちゃん!?」
猛スピードで離れていく雪菜の背に、浅葱と凪沙も遅れて走り出す。
校門付近はてんやわんやの騒ぎになっていた。何処から現れたのか大勢の女生徒が校門の端を囲んでいる。男子生徒も遠巻きながらその様子につられて集まってきていた。
「うわっ、何よこれ。なんの騒ぎ?」
すわ何事かと声を上げ、浅葱は集まった生徒たちに視線を走らせる。そして生徒たちの群れの中に見慣れた幼馴染を見つけた。
「ちょっと基樹、これなんの騒ぎよ?」
首にヘッドフォンを掛けた軽薄そうな男子生徒、矢瀬基樹は幼馴染の登場に露骨に口角を引き攣らせた。嫌そうというか、面倒なことになったと言わんばかりの顔だ。
「基樹?」
その反応に浅葱はにっこり笑顔を浮かべつつ逃さないようにがっしと肩を掴む。掴まれた矢瀬の肩からミシミシと不穏な音が発せられる。言い逃れは許さないと顔に書いてあった。
「ちょっ、タンマタンマ浅葱。隠さねえから、ちゃんと話すから止めてくれって」
降参とばかりに両手を上げ、矢瀬は顎で群衆の中心を指し示す。
「戦王領域の貴族様が校門まで来てるんだよ。誰かを待っているらしいんだが、その相手が……」
「相手が、誰よ?」
そこで言い辛そうに口籠る矢瀬。浅葱は妙に歯切れの悪い幼馴染に眉を顰める。
矢瀬と浅葱が話している間、一人置いてけぼりを食らった凪沙は小柄な体で精一杯背伸びをして群衆の中心を見ようとする。しかし背伸び程度では中心の様子を窺えない。仕方なく凪沙はスカートの裾に気を払いながらぴょんと飛び跳ねた。
結果として凪沙は人垣の向こう側を望むことができた。
日差しに映える純白のコートを着こなした金髪碧眼の青年が、校門のすぐ側に立っていた。
穏やかな微笑みを浮かべて佇む姿はまさに好青年。所作や雰囲気からは気品めいたオーラが漂っており、さながら物語の王子様のようだ。事実、集まった女生徒の大半が彼の美貌と雰囲気に当てられている。
アルデアル公ディミトリエ・ヴァトラー。テレビなどにも時折出てくる有名人だ。そして強力な魔族、吸血鬼でもある。
そんな彼の待ち人らしき人物は貴族様でもお嬢様でもない。凪沙と同じく彩海学園の生徒であり、そして毎日顔を合わせる家族──
「古城くん……?」
唯一無二の兄がそこにいるのを認めて、凪沙は愕然と立ち尽くすのだった。
▼
保健室を後にし、手詰まりになった古城は僅かな可能性に賭けて修道院に向かおうとした。あそこには夏音が拾い集めた子猫たちがいる。心優しい夏音ならば、きっと面倒を見るために訪れているはずだ。
淡い期待を抱きつつ下駄箱を出る古城。すると校門のあたりが俄かに騒がしいことに気づく。
「有名人でも来てるのか?」
きゃーきゃーと耳に響く黄色い歓声から物理的に距離を取りつつ、校門を出ようとする。だが人垣の隙間から垣間見えた覚えのある金髪に、古城は歩みを止めざるを得なくなった。
「ヴァトラー?なんであいつが学園にいるんだ……」
古城にとっては厄病神も同然。命懸けの死闘に悦を見出す生粋の戦闘狂ディミトリエ・ヴァトラーが、校門前で女生徒たちの衆目を集めていた。
アルデアル公爵ディミトリエ・ヴァトラーと言えばテレビなどにも出る有名人だ。故に女生徒たちから黄色い歓声を浴びるこの状況は別段不自然なものではない。まあここにいること自体が不自然ではあるのだが、それは置いておいて。
ディミトリエ・ヴァトラーの中身を知っている古城にとって、この母校にアイドルが訪れたような空気は違和感しか抱けない。二週間前のテロ事件の際には手元が狂ったなどというふざけた理由で一度殺されてもいるのだ。好感情などあるはずもない。
叶うならば関わり合いになりたくない相手。しかしあのヴァトラーが自ら学園に出向く理由など、想像に難くない。まず間違いなく古城絡みだろう。
そうなるとこのまま素通りするのは不味い、というかさせてくれないだろう。現に古城の姿を視界に捉えた戦闘狂がアイドルもかくやと言った微笑みを浮かべてこちらに手を振っている。その動きにつられて野次馬の視線も集まってしまう。
もう逃げることはできないと悟り、古城は遠い目になりながらヴァトラーのもとへと赴く。
古城の歩みに合わせて野次馬がまるでモーゼのように割れる。衆人の好奇の視線に辟易としながら、ヴァトラーの目の前まで歩み出た古城は微笑みを浮かべつつ、目の温度は氷点下で問う。
「お久しぶりですね、アルデアル公。本日は学園に何かご用でも?」
口調自体は丁寧だが刺々しい声音。常の紳士然とした古城を知る者たちからすれば、彼が怒りを堪えていることがすぐに分かるだろう。事実、古城は非常に苛立っていた。
古城の滲み出る怒気に対して、青年貴族は気を悪くすることもなく飄々と答える。
「やあやあ、我が愛しの古城。久しぶりだね、会いたかったよ」
まるで離れ離れになった恋人同士の再会のように手を広げて喜ぶヴァトラー。その態度に観衆の、それもごく一部の貴腐人が色めき立つ。
古城は引き攣りそうになる表情筋を鋼の理性で押さえ込み、変わらぬ笑みで丁寧かつ他人行儀に応対する。
「その節はどうも。それより、本日の用向きはなんでしょうか?」
「固いなァ。そんな他人行儀にならなくてもいいじゃないか。ボクと古城の仲だろう?」
万人を魅了する笑みを浮かべるヴァトラー。そのスマイルに野次馬の女子の大半がハートを撃ち抜かれる。ただしその微笑みを直接向けられている古城は苦虫を噛み潰したかのような顔だ。
古城としては有名人であるヴァトラーとの関係を学園の生徒たちに怪しまれたくはない。何せヴァトラーと古城の関係は戦王領域の吸血鬼と第四真祖だ。露呈すれば一大事である。
故に古城は必死に他人行儀な間柄を取り繕う。しかし古城の事情など知ったことかと言わんばかりにヴァトラーは馴れ馴れしく話しかけてくる。
「今日は古城に用があってね。ほら、いつかの約束。アレを果たしてもらおうと思ってサ」
「約束?」
「この島を案内してくれるんだろう?」
ただの社交辞令に決まってるだろ、と古城は声を大にして叫びたかった。だが一度口にしてしまった言葉は戻せない。古城は内心で盛大に溜め息を吐く。
「畏まりました。それで、日時は?」
「勿論、今からサ。車も用意してある」
そう言ってヴァトラーは校門前に停まる一台の白いリムジンを示した。
人垣で隠されていたその豪華な車体。常識的に考えてこんな車で学園まで乗り付け、剰え人工島ドライブに洒落込むなどあり得ない。だが目の前の青年はこれでも貴族。思考回路が庶民のソレを逸脱しているのは当然だろう。
あれこれ悩むだけ馬鹿らしく思えてきた古城。最早他人を装うのも面倒臭くなってくる。
半ば諦めの境地に至って古城はヴァトラーの誘いに乗ることにした。
「ああ、そうだ。折角のボクと古城の二人きりのドライブ。水を差されるのは嫌だなァ」
ニヤリと口角を上げてヴァトラーが人混みの一角を見やる。
彼の視線の先には緊張の面持ちで古城たちのやり取りを見守る雪菜がいた。式神で状況を察知したのか、どうやら騒ぎになった時点で駆けつけていたらしい。
遠回しに監視をするなと釘を刺され、雪菜は苦々しげに表情を歪める。相手はあれでも戦王領域の貴族。要らぬいざこざを起こして外交問題にでも発展しては堪ったものではない。
雪菜にヴァトラーを止める手立てはなかった。
不安げな眼差しを向けてくる雪菜に、仕方ないなぁ、と苦笑混じりに古城は歩み寄る。
「姫柊、ちょっと行ってくる」
「でも……」
食い下がりたい雪菜であるが、ヴァトラー自ら同行を拒否されてしまってはどうしようもない。
不満げに見上げてくる雪菜の頭に古城はそっと掌を載せる。
「大丈夫だ。ヴァトラーだって俺に危害を加える気はないさ。それでも心配なら式神を通して監視すればいい。今もしてるんだろ?」
「勿論です」
「そ、そうか……」
最早悪びれもしない雪菜の将来が少し不安になる古城。国家公認とはいえ、もうちょっと罪悪感のようなものを感じて貰いたい。言うだけ無駄なのは目に見えているが。
「それに、姫柊には浅葱と凪沙のフォローもして欲しいからな」
「気づいていたんですか?」
「むしろ、バレてないと思っていたほうがビックリだよ」
驚愕する雪菜に古城は呆れる。さすがに保健室の外であれだけ騒いでいれば古城とて気づく。加えて常日頃から雪菜に監視されていることで他人の視線に敏感になったのも要因の一つだ。
「凪沙には俺もあとで説明するから、とりあえず今は頼む」
言って古城は優しい手つきで雪菜の頭を撫でた。
子供扱いのようで雪菜は少しムッとするが、手を跳ね除けはしない。しばらく古城の手を堪能したのち、周囲の生暖かい視線に気づいてそそくさと離れた。
「……気をつけてくださいね、先輩」
「了解」
努めて気楽に返して、古城はヴァトラーの待つリムジンへと向かった。