“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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天使炎上Ⅳ

 青白い月が静かに見下ろす絃神島。昨夜起きた市街地での戦闘が嘘だったかのような静寂に包まれる街並みはいつもとなんら変わりない。良くも悪くも魔族特区の人間は荒事に対する感覚が麻痺しているのだ。故に人々は常と同じように眠りにつく。

 淡い月光が照らす廃墟と化した修道院に一人の少女がいた。

 見目美しい銀髪の少女──叶瀬夏音だ。壊れた壁の隙間から降り注ぐ月明かりに照らし出されるその姿は幻想的で、しかしそれ以上に触れれば消えてしまいそうな儚さがあった。

 夏音は慈愛に満ちた眼差しで己の腕を見下ろす。彼女の腕には可愛らしい子猫が抱かれていた。周囲には他にも数匹の子猫が寝転がっている。

 全て飼い主に捨てられ寄る辺を失った子猫だ。夏音はそんな子猫たちを新しい飼い主を見つけるまでの繋ぎとして面倒を見ていた。しかし夏音の気質故、猫の数は減るどころか増える一方。修道院は一種の猫パークのようになってしまっていた。

 これでもここ二週間程で減った方だ。友人やクラスメイトを頼って何匹か引き取ってもらった。それでもまだまだ大勢残っているのだが。

 もうじきここにも来れなくなる。夏音はそれを悟って無理を言う形で修道院に訪れた。せめて最後に子猫たちにお別れを告げたかったからだ。

 腕に抱える子猫を優しく抱き竦め、夏音は改めて修道院を見渡す。

 この修道院が不幸な事故によって閉鎖されてから五年。当時ここに預けられていた夏音にとって、この修道院は実家も同然だった。拾い集めた子猫をここに集めたのはそういった理由が大きい。

 だがこの修道院とも、子猫たちとも今日でお別れだ。子猫たちをまた路頭に迷わせてしまうような結果になるのは非常に心苦しいが、夏音はそこまで心配していなかった。自分に代わって子猫たちの面倒を見てくれそうな人に心当たりがあったからだ。

 同じ学園の高等部に在学する先輩に当たる人物。ひょんなことから子猫の世話を手伝ってくれるようになった、夏音にとっては優しく紳士的な少年だ。

 暁古城。“彩海学園の紳士”とまで言われる有名人。

 ここ数日、夏音は古城のことを避けていた。彼にだけはこの秘密(、、)を知られたくない。もし知られてしまったら、嫌われ軽蔑されてしまうかもしれないから。古城に限ってそれはあり得ないのだが。

 それ以上に、古城を巻き込みたくなかった。彼は本当に心優しい人だから、事情を知ればまず間違いなく首を突っ込む。それは夏音の望むところではない。

 古城を避けて逃げたのも全ては彼を自分の事情に巻き込まないため。お別れの挨拶もできずに終わるのは少し悲しかったが、これでいい。

 これから夏音は養父である叶瀬賢生の元へ赴く。彼から与えられる救いを享受するため。その救いの内容を夏音は朧げにしか覚えていない。

 救いとは縁遠い醜い争い。沢山の人を傷つけ、喰らい続ける。あまりにも現実味に欠ける、断片的に残った記憶に刻まれたそれらの光景。夏音の認識は夢のようなものであった。

 賢生の考える救いが、夏音にとっての救いと同義かは知れない。だが例え食い違っていたとしても、夏音に拒絶する選択肢はなかった。彼女には授けられる救いを受け入れるしかないのだから。

 最後に胸の子猫をぎゅっと抱き締め、名残惜しい思いを振り払うように夏音はすくっと立ち上がる。縋るような眼差しで見上げてくる子猫たちに優しく微笑みを残して、監視役として同行する人たちの元へと向おうとした。だが、

 

 ──カシュッ! カシュッ!

 

 空気が抜けるような音の連発に、夏音はその歩みを止めた。

 夏音は銃火器の類に造詣がないため理解できなかったが、今の音は紛れもない銃声だ。サプレッサー付きの小型小銃を連発したのだろう。それはつまり、外では銃を発砲するような事態が起きているということだ。

 夏音はその場で立ち竦み、外の音に耳を澄ませる。聞こえてくるのは複数の怒声と激しい物音。どうやら外では揉め事が勃発しているらしい。

 外での争いの気配を察知したのか、子猫たちが足元に擦り寄ってくる。夏音は子猫たちが不安にならないように抱き寄せ、嵐が過ぎ去るのを静かに待った。

 一分か二分か続いた喧騒は次第に収まり、やがて元の静寂が戻る。争いの気配も完全になくなった。

 何が起きたのか把握できない夏音は、外に出るか迷っていた。だが彼女が出るまでもなく事態は動く。

 ぎぎぃ……と古びた蝶番が錆び付いた音を奏でて建物の扉が開く。監視の人間かと夏音は身を強張らせるが、月明かりに浮かび上がる二つのシルエットに奇妙な既視感を抱いた。

 月光を背負った二つのシルエットの片方が徐に修道院内に踏み込む。距離が近づくごとにその人と(ナリ)が明瞭になってくる。

 黒を基調としたパーカーを着込み、フードを目深に被った年若い少年だ。顔はフードの陰になって夏音からは見えないが、それでもトレードマークとも言える黒いパーカーを見ればその正体は容易に想像がつく。

 だがそれはあり得ない。あり得てはならない。彼はここにいてはならない存在なのだ。

 しかし現にその人影はフードの端に手を掛け、夏音がよく見知った顔を曝け出してしまった。

 狼のように色素の薄い髪と優しげな微笑を湛える相貌。常と変わらぬ慈しみに満ちた柔らかな眼差しに、どうしようもなく安心させられてしまう。

 

「久しぶりだな、叶瀬」

 

 微笑み混じりに名を呼ばれて、心が満たされる。

 今日までずっと意図的に遠ざけていた相手との邂逅。本来ならば嘆き悲しむべき失態であるというのに、しかし心の底では喜んでいる。

 わざわざ彼が自分のためにここまで来てくれた。その事実を想うと、もう夏音には堪える術などなかった。

 

「こんばんは、でした。お兄さん」

 

 今にも溢れ出してしまいそうな感情を必死に堰き止めて、夏音は悲喜交々の笑みを浮かべた。

 

 

 ▼

 

 

 深夜近くの暁宅。明かりの一つも点けず、窓から差し込む月光を頭に被りながら古城はソファに浅く掛けていた。

 ヴァトラーから与えられた“仮面憑き”についての情報。資料や写真に関してはもう手元にはないが内容はきちんと頭に入っている。見た限り、原作と大幅に異なるような点は見受けられなかった。

 だからと言って楽観は出来ない。今度の相手はヴァトラーの言う通り、真祖ですら殺されかねない天使だ。今の(、、)古城には、殺すことは出来ても倒すことは非常に難しい相手である。

 

「どうしたもんか………」

 

 原作通りに進むならばそれで良かった。だが現実は古城の意思とは関係なく原作を乖離している。那月は古城を事件に関わらせようとせず、夏音に至っては避けられる始末。幸いヴァトラーから情報を得て首を突っ込む用意は出来たものの、行動方針が纏まらない。

 さっさと今回の事件を終わらせるならば夏音への接触を後回しにして、諸悪の根源たるメイガスクラフトに殴り込みを掛けて悪事の全てを白日の下に晒してしまえばいい。

 叶瀬夏音の養父である叶瀬賢生が勤める企業、メイガスクラフト。表向きは掃除ロボットの製造を主としているが、その実態は黒い。

 経営悪化から抜け出すため掃除ロボットと称して軍事用機械人形(オートマタ)の開発、製造販売。おまけに非人道的な非合法の魔術儀式。不正の数は挙げれば枚挙に暇がない。叩けば埃が出るとはまさにこのこと。

 リスクは多大で下手をしなくとも犯罪ものだが、それ以上にメイガスクラフトが犯している罪は大きい。スマートではない、決して褒められたやり方ではないが、それが古城の考え得る最善であった。

 だがそれでは夏音が救われない。

 古城と夏音の関係は学園の先輩後輩であり、時折拾い集めた子猫の世話を見る間柄だ。それなり以上に仲は良いと古城自身考えているし、困ったことがあれば相談くらいされる程度には親密だと自負している。

 故に夏音に避けられたというのは地味にショックだった。理由はそれとなく察しがつくが、それでも相談の一つや二つしてくれてもと思わざるを得ない。

 

「自惚れか……」

 

 ソファに凭れ掛かり自嘲げに笑う。

 この身は暁古城であるが中身は“まがいもの”。夏音の抱く印象が原作古城と同じとは限らない。もしかしたら夏音は古城のことをどうでもいい先輩程度にしか考えていないのかもしれない。

 うだうだと思い悩み、ふと古城は窓の外に意識を向けた。

 ここ二週間で続く深夜の激しい戦闘。しかしどうやら今日は静かな夜らしく、戦闘の気配は一切感じられない。

 原作では明日あたりに絃神島での最後の儀式(たたかい)が行われた。そこで古城と雪菜は“仮面憑き”の正体を知ることとなる。だから古城はまだ“仮面憑き”の正体が叶瀬夏音だと知らない(、、、、、、、、、、)

 故に戦闘している最中に割り込むならまだしも、知らないはずである現状で夏音に直接的な介入するのは不自然が過ぎる。

 こんなところで躓くことになるとは、やはり原作を知っているというのは全てが全てが吉になるとは限らないらしい。

 古城が深々と溜め息を吐くと、カチャリと後方で物音が響いた。反射的に首を回せばリビングの入り口の扉から覗く凪沙と目が合う。

 あ……、と声を洩らして罰が悪そうな顔をする凪沙。覗きがバレて咎められるとでも思ったのだろう。別段一人でいるところを覗かれようと怒る気は古城にないのだが。強いて言えば遅くまで起きていることを叱るくらいだ。

 古城はふっと微苦笑を浮かべて手招きする。

 

「そんな所に突っ立ってないで入っておいで。ついでになんか飲むか?」

 

「あ……じゃあホットミルク」

 

「了解」

 

 おずおずとリビングに入り、古城と入れ替わりにソファに座る。妙に口数の少ない妹を違和感を抱きつつ、古城はキッチンで二人分のホットミルクの用意を始めた。

 

「眠れないのか?」

 

「うん、ちょっと気になることがあってなかなか寝れなかったんだ。それであったかいものでも飲もうとしたら、古城くんがいたから」

 

「悩みか? まさか好きな人が出来たとかだったりしてな」

 

「ち、違うよ。そういうんじゃないからね」

 

「冗談だよ」

 

 悪戯の成功した子供のように古城が笑う。凪沙は拗ねたように頬を膨らませて、

 

「古城くんの意地悪」

 

「悪い悪い」

 

 古城はおざなりに謝罪し、加熱を終えたマグカップを二つ手に持ってリビングに向かう。

 

「ほいっと、熱いから気をつけろよ」

 

「うん、ありがと古城くん」

 

 両手でマグカップを受け取り、凪沙はふぅふぅと口を窄めて冷ます。小動物染みた愛嬌のある仕草で、そんな妹を見て古城は心を和ませつつその隣に腰を下ろした。

 

「それで、悩みの内容は俺が聞いても差し支えのないものか?」

 

 妹の凪沙が悩みを抱えて眠れていないのならば、兄として当然相談に乗る。内容によっては拒絶されてしまう可能性もあるが、マグカップを受け取りこの場に居るということは古城に聞いてほしいのだろう。

 しばしぼんやりとマグカップに立つ湯気を見つめていた凪沙だが、やがて面を上げると不安げな表情で古城を見据える。背丈の問題で自然と上目遣いになってしまうのは仕方ないだろう。

 

「最近の古城くん、なんか変だよ。すっごく難しい顔しててさ……。凪沙が入院してた時と同じ顔してるよ、今」

 

「そうか……」

 

 凪沙の指摘に古城は特別顔色を変えることはなかった。自覚はあったのだ。

 ここ最近凪沙が不安げにこちらを見ていることにも気づいていた。今日も雪菜と何故か浅葱も一緒に保健室の外にまで張り付いていたし。

 それだけ凪沙は兄を心配しているのだ。酷い頃の古城をよく知っているから。それ以上に唯一無二の大切な兄だ。心配するのは当然である。

 凪沙の悩みは古城が悩んでいること。つまり解決方法は古城が悩みを解消すること以外にない。

 だが古城の悩みはデリケートを通り越して理解不可、明かしてしまえば全てが崩れかねない超ド級の爆弾。凪沙に打ち明かすわけにはいかない。

 故に古城は慎重に言葉を選びながら、喫緊の問題についてだけ打ち明けることにした。

 

「俺の知り合いがさ、どうやら困っているらしいんだ。でもそいつは誰にも相談しようとしなくてさ。どうすればいいか、分からないんだ」

 

 告白したのは少しぼやかした古城の現状。助けたいが、求めてもらえず動けない状況をどうすればいいのかという悩みだ。

 兄の心情の吐露に凪沙は考え込むように瞼を閉じる。普段の騒がしい様子とは打って変わって真剣に考えている仕草だ。

 

「古城くんは、どうしたいの?」

 

「俺が?」

 

「その子が困っているのは分かってるんだよね。だったら古城くんはその子にどうしてあげたいの?」

 

「俺は……」

 

 助けたいに決まっている。夏音は大切な後輩で、何より暁古城の“護りたかったもの”だ。見捨てるなどという選択肢は毛頭ない。

 古城の表情から確かな力強さを感じ取り、凪沙は穏やかに微笑む。

 

「誰にも相談しないのはきっとその子がとても優しい人だからだよ。自分の事情に誰かを巻き込みたくない、それが自分にとって大切な人であればある程」

 

 まるで古城が助けたいと思っている相手が誰か理解しているかのように的確な指摘。というかこれは……、

 

「古城くんの悩みの相手って、夏音ちゃんのことでしょ?」

 

 図星を射抜かれて古城は驚愕する。そんな兄の反応がおかしくて凪沙が少し楽しげに笑った。

 

「気づかないと思ったのかな? あからさますぎだよ、古城くん。前にわざわざうちのクラスまで来てたし」

 

 成る程、と古城は思わず納得する。確かに古城は夏音を探して凪沙のクラスまで訪れた。それを考えれば悩みの対象が夏音であることは容易に推測できるだろう。

 そんなことにすら気が回らないだなんて、自分はどれだけ周りが見えていなかったのだろうか。古城は己の情けなさに思わず溜め息を洩らした。

 

「夏音ちゃんね、ここ最近ずっと元気なかったんだ。声を掛けてもはぐらかされちゃって。でもきっと、心の底では助けを求めてると思うんだ。だから──」

 

 真っ直ぐ兄を見据え、凪沙は懇願するように言った。

 

「──夏音ちゃんを助けてあげて」

 

 凪沙からのお願い。それは今まで躊躇わせていた古城の背を押すに十分なものであった。

 今まで思い悩み固く皺が刻まれていた眉間が緩み、いつもの穏やかな微笑が戻る。古城は温くなったホットミルクを一息で飲み干し、そのまま立ち上がった。

 

「心配掛けたな、もう大丈夫だ。凪沙はもう寝ておけ。明日も学校があるんだからな」

 

「古城くん……」

 

 見上げてくる凪沙の頭を優しく撫で回して、古城はマグカップを流しに置いてリビングを出る。

 自室で愛用の黒いパーカーを着込み家を出ると、隣の部屋からも人が出る気配があった。

 黒いギターケースを背負った小柄な少女。もはや悪びれることもなく古城の監視(ストーカー)をする獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜だ。

 こんな夜遅くだというのに古城が出かけようとすれば出てくるあたり、今日も今日とて監視に精を出していたらしい。そして呆れたような苦笑を浮かべているあたり、古城を止めるつもりはないようだ。

 

「行くんですね、先輩」

 

 言っても無駄だと分かりきっているからか、投げかける言葉に力はない。一度決めたら梃子でも引かないことを雪菜はよくよく理解していた。

 

「ああ、ちょっくら夜の散歩にな」

 

 答える古城は憑き物が落ちたように清々しい顔だった。

 

 

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