“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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聖者の右腕Ⅱ

 絃神島、またの名を魔族特区。

 太平洋に浮かぶ人工の孤島。公的には東京都に属する区分ではあるが、その実体は殆ど独立した政治体系を有する特別行政区だ。

 海流の流れと熱帯に位置することから絃神島は基本的に暑い。真冬ですら平均気温二十度を超える、いわゆる常夏の島なのだ。

 そして、様々な理由によって絶滅の危機に瀕する魔族の存在が公認され、保護と研究が行われている。

 中身が魔法も奇跡もなかった世界出身の古城にとってはなかなかにファンタジーな島であるが、さすがに三年も暮らしていれば新鮮味も薄れて慣れる。そもそも古城自身が世界最強の吸血鬼、第四真祖であるのだ。それ以上に驚くべき事柄などそうそうあるはずもないし、あってほしくもない。

 

「あー……眠い、暑い。覚悟はしていたけど、本当に辛いんだな……」

 

 吸血鬼の肉体は基本的に夜が活動時間だ。日差しを浴びたら灰になるなんてことこそないが、それでも紫外線を不快に感じる。絃神島は吸血鬼が普通の人間と同様の日常を送るには厳しい環境だ。

 強烈な西陽をもろに受ける窓際の席でテーブルに突っ伏して、古城は目の前に積み重なる英語の教科書を忌々しげに睨む。

 

「那月ちゃんも人が悪いよな。範囲増やすとか言っておきながら、どこまで増やすか教えてくれもしないんだからさ」

 

 愚痴を零す古城に、向かいの席に座る友人二人が呆れたような笑み浮かべる。

 

「古城が悪いんでしょ。あんたが那月ちゃん那月ちゃんって呼ぶから」

 

 自業自得だと言い切ったのは髪を金に染めた華やかな少女、藍羽浅葱だ。

 今どきの女子高生らしく、化粧と着崩しで自らを飾る浅葱は、しかし元が良いのかけばけばしい印象はない。むしろとても魅力的ですらある。

 浅葱の至極真っ当な指摘に古城はぐっと言葉を詰まらせる。

 

「や、でもさぁ。あの見た目で教師ってのはちょっと……むしろ中等部の制服着てても違和感ないだろ」

 

「まあ確かに、古城の言い分も分からなくはねえけどな。それを本人に言おうとはぜってー思わないぜ」

 

 古城の意見にやや肯定的な立場を取ったのは矢瀬基樹。茶色の短髪をワックスで逆立て、首にヘッドホンをかけた軽薄そうな少年だ。

 今日、このファミレスに三人が集まった理由は明日と明後日に控えるそれぞれの追試と課題を終わらせるためだ。主に教えるのは浅葱で、教わるのは男子陣である。

 古城の成績は基本的には悪くない。既に前世で習ったことである以上、完璧とは言えなくともある程度は授業を真面目に聞いていれば理解できる。英語を除いて。

 古城にとって英語は前世からの鬼門であった。何故英語を勉強しなければいけないのかと愚痴を零しては、その度に那月から有り難い説教を受けている。それ程までに古城は英語を苦手としていた。

 

「英語なんて勉強するだけ無駄だって。そのうち優秀な翻訳機が一人一台とかの時代が来るんだから」

 

「最近の翻訳機の機能は結構凄いけど、決してあんたが楽をするために発展しているわけじゃないのよ。あとそこ、前置詞抜けてる」

 

「ぐぬぬ、英語なんて滅びてしまえばいい……」

 

 ぶつくさ文句を零しつつ古城は指摘された箇所を埋める。しかしそれも間違っていたようで、再度浅葱に訂正されてしまう。

 間違いを指摘され、直して、また訂正される。そんなやり取りを何度も繰り返していると、不意に浅葱がファミレスの時計を見て声を上げる。

 

「あー……やっば。そろそろバイトの時間だからあたし抜けるね」

 

 浅葱のバイトの内容は端的に言えばコンピューターのプログラミングである。ただし人工島(ギガフロート)管理公社の中の保安部のコンピューターの、と頭につくが。今どきの女子高生がするバイトの範疇を思いっきり飛び越えている。

 傍に置いてあったジュースを一気に飲み干し、荷物を手に浅葱は席を立つ。そのまま駆け出そうとする彼女を、古城は呼び止める。

 

「浅葱、勉強教えてくれてありがとな」

 

「へ?あ、うん。あ、あたしが教えたんだからきっちり受かって来なさいよね!」

 

 不意打ち気味の感謝の言葉に面食らって間抜けな声を漏らすも、すぐにいつもの通りの表情を取り繕い古城に激励を飛ばして店を出て行った。

 ダッシュで去っていく浅葱の後ろ姿を見ていると、矢瀬が意味深な笑みを古城に向ける。

 

「さすがは古城、口説き文句にも余念がないですなー」

 

「そんなんじゃない。ただ教えてもらったんだからちゃんとお礼は言うべきだろ」

 

「ま、そりゃそうなんだけどさ。そういうマメな所がモテる要素なのかねえ」

 

「彼女持ちがなに言ってんだか」

 

 やたらからかってくる矢瀬を適当にあしらいつつ、古城は広げられた教科書類を畳んでいく。

 

「帰るのか?」

 

「そうだな。どうせ俺一人じゃ英語なんて進まないし」

 

 と言いつつ古城は店の外に視線を流す。

 道路を挟んだファミレスの向かい側。建物の陰に隠れる小柄な少女の姿を発見して、古城は少し複雑な笑みを浮かべる。

 しかし矢瀬がそれに気づくことはなかった。

 

「それもそうか。浅葱がいないんじゃ、こんな所で勉強しても意味ねえしな」

 

 手早く参考書と筆記具を仕舞い、矢瀬はテーブルの端に置かれた伝票を手に取る。

 伝票の内容を上から読んでいく矢瀬。その表情は読み進めるにつれて引きつっていく。古城も矢瀬の表情から伝票の惨状を悟って苦笑いを浮かべる。

 浅葱は運動部の男子も顔負けな大食らいだ。どうしてあの細身に何人前もの料理が入るのか、古城と矢瀬は不思議で仕方なかった。そして今、浅葱の大食いが古城と矢瀬に牙を剥く。

 

「古城……ここはジャンケンで勝った方が三人分のドリンクバー。負けた方がそれ以外ってことでどうよ?」

 

「普通に割り勘の選択肢はないのかよ!?」

 

 古城の悲鳴が午後のファミレス店内に木霊した。

 

 

 ▼

 

 

「ファミレスで五千円超えるって、浅葱はどんだけ食べたんだか……」

 

 一気に軽くなった財布を虚しく思いながら、古城はドリンクバーから取ってきたコーラを啜る。弾ける炭酸が乾いた喉を潤し、気持ちが爽やかになった。

 古城の姿は未だにファミレス店内にあった。矢瀬と共に割り勘で会計をしたのち、古城は手洗いに行くと言って先に矢瀬を帰らした。そして自分は店員に一声かけ、新たにドリンクバーを注文して同じ席で悠々と寛いでいる。

 店員から若干怪訝な目を向けられるも、そこはにこやかに微笑んで対応した。自身の行動がおかしいことは自覚していたが、それでも古城はファミレスに居座る選択をした。

 グラスのコーラを飲み干して底に溜まっていた氷を噛み砕きながら、古城は何気ない仕草で店の外を見やる。

 交差点の向こう側、古城と目が合いそうになると建物の陰に引っ込む影がある。ギターケースを背負い、古城が通う彩海学園の中等部の夏服を着た少女だ。

 少女は古城の動向を見張っているのか、しきりに建物の陰から顔を覗かせては引っ込め、覗かせては引っ込めを繰り返している。きっと本人は気づかれていないと思っているのだろう。実際はバレバレで、古城としてはさっさと出てきてくれないかと待っている状態だ。

 しかし少女は未だ出てこない。仕方なく、古城は自らアクションを起こすことにした。

 少女に向けて古城が手を振る。少女は最初、誰か別の人間に手を振っているのだと周囲を見回すが、該当する人物が見当たらず首を傾げる。しかし古城が根気強く手を振り続けると、さすがに自分に向けて手が振られているのだと思い至り、驚きに目を丸くした。

 驚愕する少女に古城は呆れ笑いを浮かべながら、こっちにこいと手招く。すると少女は警戒しつつ店内へと入ってきた。

 入店して一直線に古城のいる席に向かってくる少女。その足運びや姿勢はぶれることなく、この場で何かしらの有事が起きようと即座に対処できそうだ。

 目の前まで少女が来たところで古城は、

 

「はじめまして、だよな。俺に何か用か?」

 

 何も知らない素振りを装って、少女──姫柊雪菜に話しかけた。

 

 

 ▼

 

 

 姫柊雪菜は獅子王機関の養成所で育てられた剣巫、正確には剣巫見習いだった。

 彼女の剣巫としての修行はとある事情により四ヶ月程繰り上げて終了した。代わりに獅子王機関の三聖から言い渡されたのはとんでもない任務。日本は絃神島に現れた伝説の吸血鬼、第四真祖の監視と危険と判断した場合の抹殺だ。常識的に考えてまだ十五にも届かない少女には荷が重すぎる任務内容である。

 だが選ばれたのは経験豊富なベテランではなく、まだまだ未熟な見習い剣巫だ。その理由は第四真祖の少年と歳が近いからと、獅子王機関の秘奥兵器である七式突撃降魔機槍(シュネーヴァルツァー)に適合したからだ。

 七式突撃降魔機槍、銘を“雪霞狼”という。対魔族戦においてその真価を発揮する、この世に三つとない非常に強力な武器だ。

 真祖をも倒し得るという武器を託され、第四真祖の監視といざという時の抹殺を命じられた雪菜は、不安を抱えながらもたった一人でこの魔族特区・絃神島にやってきたのだ。

 そして、今、監視対象である第四真祖に監視していることを気づかれ、雪菜は第四真祖の対面に居心地悪く座っていた。

 空が茜色に染まりつつある頃合い、そろそろ夕飯を食べにくる客で賑わい始めるだろう。店の迷惑を考慮して、緊張と警戒でガチガチの雪菜に代わって古城が話を切り出す。

 

「それで、中等部の生徒が俺に何の用だ?凪沙の知り合いか?」

 

「わ、わたしは獅子王機関から派遣された剣巫の姫柊雪菜です。獅子王機関三聖の命により、第四真祖であるあなたの監視の任を帯びてここに来ました」

 

 生真面目な表情を取り繕って雪菜が馬鹿正直に任務内容を話す。正直、監視対象に監視していますと宣言するのは如何だろうと古城は思うが、敢えて指摘することもしない。

 ただ、古城はどこか達観したように一言。

 

「ああ、そう。じゃあ、よろしく?でいいのか」

 

「えっ……」

 

 予想していたのとは違う古城の反応に、雪菜が呆気を取られたように硬直する。

 

「それだけですか?監視されるんですよ?」

 

「そんなこと言われてもなぁ。逆に訊くが、監視するなって俺が言ったらどうすんだよ」

 

「そ、それは……」

 

 返答に窮して雪菜が古城から目を背ける。

 そんな雪菜に古城は少し意地悪げに笑いかけた。

 

「ごめん、意地の悪いこと言った」

 

「いえ、そんなことは……」

 

「まあ、お互い気にしないようにすればいいさ。監視といっても最低限のプライバシーくらいは守ってくれるんだろ?」

 

「はい、そこはお約束します」

 

「なら、いいわけじゃないけど、とりあえずは納得しておくよ」

 

 古城は軽く戯けるように肩を竦め、手元にあったコップに手を伸ばす。だがコップの中身は既に空っぽであり、仕方なくドリンクバーへと向かおうとして対面の雪菜を見やった。

 

「ああ、悪い。姫柊もドリンクバーでいいか?」

 

「そんな、わたしのことはお気遣いなく」

 

「いいから素直に奢られてくれ。先輩の甲斐性みたいなもんだからさ。それに飲み物があったほうが話も進むだろ」

 

「……では、お言葉に甘えさせていただきます」

 

 押し切られる形で雪菜が渋々頷く。古城は近くにいた店員にドリンクバーの追加を頼み、そのままドリンクバーへと足を運んだ。

 幾つかのジュースの中から無難にオレンジを選び、ストローを一つ取り、両手に一つずつグラスを持って席に戻る。

 

「ほい、オレンジ。あとストローな」

 

「ありがとうございます」

 

 古城からグラスとストローを受け取り、雪菜は少し気後れしながらもストローでオレンジを啜る。するとこれまでずっと固かった顔が少しだが緩み、歳相応の女の子らしい柔らかさが表に出てきた。

 古城は雪菜の様子に満足げに頷き、しかしそれを悟られないようにしながら再び雪菜の向かいに座った。

 しばし二人は無言で各々のジュースを啜るが、やがて意を決したような表情をした雪菜が口を開く。

 

「暁先輩、単刀直入にお聞きします。先輩がこの魔族特区を訪れた目的はなんですか?」

 

「世界征服、その足がかりにまずはこの魔族特区を手中に収めて、って冗談だよ。そんな怖い顔しないでくれ」

 

「ふざけないでください!」

 

 ばん!と雪菜が拳をテーブルに叩きつける。その音に周囲の客や店員からすわ痴話喧嘩かと好奇入り混じる視線が向けられるが、当の雪菜は気づいていない。

 冗談も通じない生真面目な後輩に古城は頭を掻きつつ、昨日も似たようなことを尋ねられたなと、ふと思い出していた。

 古城は僅かに逡巡しながらも、結局那月に言ったのと同じ答えをそのまま述べた。

 

「護りたかったものを、護れるようになりたい。当面の目的、というか目標はそれかな」

 

「護りたかったもの──」

 

「さて、そろそろ俺は帰るわ。明日は英語の追試だし、勉強しないとまた那月ちゃんに怒られるからな。会計は済ませとくから、姫柊はもう少し休んで行けよ。この暑い中、外で立ちっぱなしだったんだろ?水分補給はきちんとしておくんだ」

 

 次から次へと立て板に水の勢いで捲し立てる古城に、雪菜ははっきりとした拒絶の意思を感じ取った。古城にとって先の護りたかったもの云々はあまり触れられたくない事情があるのだろう。

 拒絶されては無理に問い詰めることもできない。雪菜は抱いた疑問を飲み込み、伝票を片手に去っていく古城の後ろ姿を見送った。

 

 

 

 

 

 

 

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