多分これからも結構な間が空いてしまうと思いますが、今後とも気長かつ暖かな目で見守って頂けると嬉しいです。
では、本文の方どうぞ──
夏音は古城との接触を避けるために放課後は即帰宅、修道院にも寄らないようにしていた。しかし元来心優しい彼女に拾い集めた子猫を放棄することは出来ない。故に絶対に古城と出会さない時間帯に修道院を訪れるはずだ。
古城の読みは的確であり、予想に違わず夏音はいた。ただし護衛兼監視の人間が二人ほどついていたが。
監視二人は銃口を向けてきた時点で敵と認定。古城と雪菜の息が合った連携で大した抵抗も出来ずに沈黙した。
そしてようやく、古城は夏音と顔を合わせることができたのだった。
「久しぶりだな、叶瀬」
と言っても一週間程度。そう大して長い期間とは言えないが、殊にこの一週間は別だ。古城にとっては長く、そして焦燥を募らせる日々だったのだから。
「こんばんは、でした。お兄さん」
答える夏音の表情はあまりにも複雑で、喜んでいるようにも悲しんでいるようにも見えた。夏音自身、感情の整理が上手く出来ていないのだろう。
「姫柊」
「分かりました。夏音ちゃんのこと、お願いします」
古城からの目配せを受けた雪菜はそう言い残し、修道院の外へ警戒に出る。監視は無力化したが、それ以外にも誰か来るやもしれないので、そちらの対応を雪菜が引き受けたのだ。
雪菜が離れたことで二人きりになった古城は、子猫を抱き寄せる夏音に微笑みかける。
「やっぱり来てたんだな」
「……はい。ここずっと忙しくて、お世話が出来ませんでした」
「そっか……」
夏音に身を寄せる子猫たちの一匹に歩み寄ってそっと頭を撫でる。
可愛らしい鳴き声を発してじゃれついてくる黒い子猫を撫で回しながら、古城は静かな声音で夏音に尋ねた。
「凪沙から聞いたけど、何か悩み事でもあるのか?」
「…………」
古城の問いに夏音は曖昧な笑みを浮かべるだけで答えようとしない。ただじっと痛みを堪えるように目を伏せ、誤魔化すように子猫たちの背を撫でるだけだ。
だが古城は引かない。多少強引であっても夏音の心に踏み込む。
「困ったことがあるなら、話してくれないか。何かしら力になれるかもしれない」
そう言うと、夏音の子猫をあやす手がピタリと止まった。
夏音はゆっくりと顔を上げると静かに首を横に振る。
「何もありませんよ」
「いや、でも……!」
食い下がろうとした古城は、しかし瞳から涙を零す夏音に口を噤んだ。
「何も、ないですよ。なければ、ダメなんです……」
「叶瀬……」
ポロポロと零れ落ちる感情の雫を拭いながら言う夏音。もう既に限界が近かったのだ。それでも夏音は真実をひた隠そうとする。
大切な友人を、先輩を危険に晒したくない。何より醜い己の姿を見られたくなかった。
だから、例え心が悲鳴を上げようと涙が溢れ出ようと、聖女は一人で全てを抱え込む。
だが、それを許さない紳士がここにいる。傷つき涙を流す少女を見て見ぬ振りなど古城に出来るはずがない。
聖女に涙は似合わぬ。何より、全てを背負うのは古城であって夏音の役目ではない。
「叶瀬」
徐に夏音の目の前に膝をつき、古城はその白磁のような白い手に己の手を重ねる。
「俺は叶瀬の力になりたい。俺たちを巻き込みたくないって気持ちは痛い程分かる。でもな……」
頬を走る涙の軌跡を優しく撫ぜて、古城は真正面から夏音の瞳を見据える。
「大切な後輩が泣いてるのを放っておける程、俺は薄情な人間じゃないんだ」
「うぁ……」
「そんなに泣くな。折角の可愛い顔が台無しだぞ」
平然と口説き文句を吐きながら古城は子供をあやすように頭を軽く叩く。
親から与えられる愛情にも似た温もりに、必死に堪えていた夏音の防壁は脆くも崩壊。ふらりと眩暈に襲われたかのように体が揺れる。
「おっと……」
地面に手を突こうかというところで古城が受け止めた。
「……もう、限界でした」
胸に顔を埋めるような姿勢で、夏音がポツリと零す。
「誰も巻き込みたくない、もう傷つけたくない……」
「ああ、分かってる。分かってるさ」
弱々しく震える夏音の体を古城は優しく抱き竦める。
「もう大丈夫だ。悪い夢はもう直ぐ終わる。だから今は休んでくれ」
「お兄さん……」
涙でくしゃくしゃになった顔を上げれば、優しく見下ろしてくれる眼差し。その慈愛に満ちた面差しに夏音は久方ぶりの心からの安堵を覚え、気づけば古城の腕に身を任せて瞼を閉じていた。
今日までに積み重なった精神的疲労のためか目を閉じてすぐ寝息を立て始めてしまった夏音に、古城は着ていたパーカーを掛ける。そしてそのまま優しく抱き上げた。
このままここで寝かせるわけにはいかない。かと言って自宅に帰すなど論外。必然的に採れる選択肢は限られてくる。
古城は夏音を腕に抱えて修道院の外に出る。
入り口には雪菜が警戒に立っていた。無力化した二人組が目を覚まさないよう見張っているようだ。
雪菜は古城と夏音の姿を認めると一瞬複雑な表情を浮かべるが、すぐにいつもの生真面目な顔になる。
「先輩、夏音ちゃんは……」
「寝てるよ。相当抱え込んでたんだろうな」
「そうですか……」
拳を握り締め静かな怒りに身を震わせる雪菜。雪菜にとって夏音は数少ない友人。その中でも絃神島に訪れて古城が最初に紹介してくれた友達だ。そんな夏音がここまで追い詰められていたのに何も出来なかったことが、どうしようもなく不甲斐なかった。
古城もまた、雪菜と同じ心だった。だが今は憤るよりも他にやるべきことがある。差し当たってはまず夏音を落ち着かせられる場所が必要だ。
「頼みがあるんだけど、叶瀬を姫柊の部屋に泊めてくれないか?」
「はい、構いません。さすがに先輩のお宅に連れ込むのは問題でしょうから」
「連れ込むとかやめてくれ。そんなんじゃないから」
「分かってますよ。先輩はそういう人ですから」
ふっと雪菜は微苦笑を浮かべる。何とも言い難い信頼ではあるが、突っ込むまい。
月明かりに照らされる修道院に見送られて、古城たちはその場を後にした。
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夏音を奪取し雪菜の部屋まで運んだ古城は、とりあえず今日は休もうと提案し雪菜と別れた。
現時刻は深夜一時を回ったところ。良い子はみんな寝ている時間であり、常識的に考えて電話やメールの類をするには憚れる時間帯だ。しかし非常識であろうと電話を掛けてくる人物はいるわけで──
その時、古城のスマホが着信を告げんとバイブする。この時間帯に電話が掛かってくると事前に知っていた古城がサイレントに設定していたため音はない。
古城はスマホを手に取ると通話相手を確認すらせず応答する。
「もしもし、こちら暁古城ですが」
『もっ、もしもし!? 暁古城よね!? 私だけど!?』
「はいはい煌坂だな。ちゃんと聞こえてるからもう少し音量下げてくれよ」
『わ、分かってるわよ、あなたに言われなくても』
電話口から聞こえてくる相変わらず元気な紗矢華の声に古城は苦笑う。
獅子王機関所属の舞威姫であり、つい二週間程前に起きた黒死皇派が引き起こしたテロ事件以降、頻繁に電話を掛けてきてはやれ雪菜は元気かまた無茶してないかと訊いてくる少女だ。
古城は何とはなしにベランダに出て、今回の電話の理由を尋ねる。
「それで、今日は一体なんのようだ?」
『えっ、あっと……それは……そう、そうよ! 今絃神島でなんだか物騒な事件が起きてるでしょ。それにまたぞろあなたが雪菜を巻き込んで首を突っ込んでないか心配して電話したのよ!』
取って付けたように理由を述べる紗矢華。一方古城は首を突っ込む気満々だったため思いっきり顔を引き攣らせている。顔が見えない電話なのでバレないが。
古城は悟られぬよう心を落ち着かせてから答える。
「今のところこっちに直接被害もないから手出しはしてないさ。それよりも今は他にやることがあって構ってられないし」
『他にやること?』
「ああ。後輩が色々と悩みを抱えてるらしくてな。そっちの解決に奔走することになりそうだ」
『ふぅん、そうなの』
あまり興味がなさそうな反応だ。実際紗矢華にしてみれば古城の後輩は他人でしかない。あまり深入りするのもプライベートの侵害にあたるので掘り下げるつもりはないのだろう。
だが古城はあえて話を続ける。そうすれば十中八九紗矢華が食いついてくると確信を持って。
「叶瀬夏音って言うんだけどさ。姫柊とも仲良くしてる子なんだ」
『叶瀬……夏音……』
案の定と言うべきか紗矢華は電話越しでも分かるくらいに動揺してみせた。それも致し方ないだろう。何せ今の紗矢華の任務内容に大きく関与する人物なのだから。
『ねえ、暁古城。ちょっと込み入った話があるんだけど、いい?』
「俺は構わないよ。それに、どうやら叶瀬絡みみたいだしな」
『ええ、まさにその通り』
古城の言を肯定して紗矢華は己が帯びている任務内容について語りだす。
『色々と守秘義務があって話せないけど、私は今アルディギア王国の要人の護衛の任に就いてるの』
「また遠路遥々よくいらっしゃるな」
アルディギア王国はバルト海に面する北欧の小国だ。美しい自然と高度な工業力で知られ、魔導産業の分野では他の追随を許さない技術力を有している。確かヴァトラーが治める領土と程近かったはずだ。
『でもちょっとトラブルがあって、要人とは合流できてないのよ』
「そいつは穏やかじゃないな」
『そうね、そっちも捜索中なのだけど、私が話したいのは別のこと。要人が今回絃神島を訪問する理由よ』
そこで一度言葉を区切ると紗矢華は殊更に声のトーンを落として話す。
『要人の目的はある人物に会うこと。その人物の名前は──叶瀬夏音』
「……そいつは驚いたな」
幾らか間を空けて答える古城だが、その実驚いてなどいない。元より古城は紗矢華の任務内容も何もかも知っているのだ。故にこの展開も思惑通りの展開でしかない。
「差し詰め叶瀬はアルディギアの王族の関係者ってところか?」
『なっ……どうして分かったの?』
「反応が分かりやすすぎだ」
『鎌をかけたの!?』
嵌められたと悟って紗矢華が憤慨する。古城は落ち着けと宥めつつ不自然さがないように言葉を補う。
「煌坂の態度もあるけど、それよりももっと分かりやすい要因があるんだよ。お前は会ったことないから知らないかもしれないけど、叶瀬の髪は銀髪なんだ」
『ああ、そういうことね……』
納得とばかりに紗矢華が吐息を漏らす。
アルディギア王国の王族、特に女系はどういうことか揃いも揃って美人であり、そして美しい銀髪を有している。その証拠にメディアにも露出する第一王女ラ・フォリア・リハヴァインは美の女神の再来と謳われる程の美姫で、かつ目を惹く銀髪の持ち主だ。
絃神島では珍しい地毛が銀髪の少女とアルディギア王国の要人。この二つが並べば直感的に王族絡みだと察するのは可笑しな話ではない。
『ならもう隠す必要もないわね、どうせあなたのことだから察しているのだろうし』
「その要人は諸にアルディギアの王族ってか」
『ええ、その通りよ……』
紗矢華は疲れたように溜め息を漏らす。
『アルディギアの王族が絃神島に向かっている途中で行方不明。とんでもない大事件よ。今血眼になって捜索してるけど、正直手掛かりが少なくて』
「それは大変だな」
『ほんとよ……』
声音に色濃い疲労を滲ませる紗矢華に古城は心底同情した。しかもこの先の展開を把握している古城は、紗矢華の心労がまだまだ嵩むことを知っている。本当に頭が下がる思いだ。
『それで、叶瀬夏音の抱える問題ってなんなの?』
さすがに任務内容に深く関わる人物の話となれば捨て置けない。紗矢華は躊躇いなく夏音の悩みについて言及した。
それに対して古城は現状をありのまま伝える。
「詳しいことは知らないんだ。ただ多分家庭の問題だと思う」
夏音の学校生活には何ら問題はないはずだ。虐めもないし学業面は知らないが極端に悪いという話も聞かない。友人関係も男は寄り付かない、というか妙な協定が結ばれていて寄り付けないが女友達はそれなりにいるはずだ。よって可能性は家庭内の事情に絞られる。
『他人の家庭事情に口を出すのね』
そう言う紗矢華の声色に非難の色はない。ただ純粋な呆れとどこか少し喜色が滲んでいた。
「まあ俺もお節介だとは思うけど、さすがにあんな姿を見たらな……」
そう言って脳裏に浮かぶのは涙を堪え続けた夏音の顔。今にも決壊してしまいそうで、それでも必死に耐え一人身を震わせる夏音の姿だ。
ずっと一人で背負い続けた聖女にこれ以上背負わせはしない。夏音は救われなければならないのだ。
古城は拳を握り締め、改めて己の意志を強固にした。
『そう。なら一つ提案があるんだけど』
少し戯けたような紗矢華の口調に、古城はやっとかと内心で呟く。
古城の狙いは紗矢華からこの提案を引き出すことだった。これがあるかないかで今後の展開が大幅に変容する。故に古城は紗矢華から申し出がくるのを待っていた──
『明日、叶瀬賢生との面会をメイガスクラフトに申し込んでるのだけど、一緒に来てくれない?』
──敵陣本部に堂々と乗り込める提案を。
紗矢華の申し出に古城は一も二もなく了承の返事をした。その表情に微かな笑みを湛えて。
沙矢華のメイガスクラフト訪問ですが、話の都合上一日早めました。多分そこまで大筋に影響はないと思います。