“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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蒼の魔女の迷宮 Ⅶ

 “魔族特区”の中心に位置するキーストーンゲート・ビルの屋上。波朧院フェスタの賑わいを見下ろすことができるその場所は、LCO所属の魔女であるメイヤー姉妹によって占拠されていた。

 世界各地に存在する魔導書を集め、管理し、利用する組織であるLCO──“図書館”。己が欲望や好奇を満たすためならば如何なる危険な魔術儀式であろうと敢行する魔女達によって構成される組織である。

 そんな危険極まりない組織が絃神島に乗り込んだ目的はただ一つ。LCOの“総記(ジェネラル)”である仙都木阿夜の開放、より厳密には彼女が所持する闇誓書の回収だ。そのためにメイヤー姉妹はわざわざキーストーンゲート・ビル屋上を占拠し、魔導書によって“魔族特区”全域に空間異常を起こして監獄結界を探しているのである。

 メイヤー姉妹によって占拠され魔術儀式場へと様変わりさせられた屋上。しかしその場に居るのは彼女達だけではない。魔女風の黒いドレスを身に纏った少女と純白の三揃えを着た金髪碧眼の青年、優麻とヴァトラーだ。

 優麻は絃神島の空間に干渉する魔導書の制御に集中していた。監獄結界の封印を破るためだけに設計(つく)られた優麻は、空間制御を必要技能として非常に高いレベルで使いこなすことができる。魔導書一つ程度の制御であれば大した負担にはならない。

 それでも今の彼女に余裕はない。それもこれも優麻が制御する魔導書に加減なしで魔力を注ぎ込んでいるヴァトラーの存在があるからだ。

 元々のLCOの計画では絃神島の住民を十万人近く生贄に捧げ儀式を行う予定であった。しかし優麻の友人であった暁古城が第四真祖となったことで一部計画を変更、古城の肉体を乗っ取り儀式を進めるという手筈になった。

 しかし優麻が計画の要である“第四真祖”の肉体の確保に失敗したことで計画は再び変更。当初の予定通り住民を生贄に利用する流れとなるはずだったのだが、そこに優麻が待ったをかけた。

 優麻は絃神島の住民を生贄にするのではなく、古城とは別の魔力源足りうる存在に接触を試みようと提案したのだ。

 この提案にメイヤー姉妹は最初こそ反対した。既に一度失敗した優麻の意見を聞き入れるつもりなどなく、何よりも自分達で手綱を握ることのできない化け物を仲間に引き入れることなどできない。それに彼女達の性格的にも住民を生贄にするほうが性に合っていた。

 だがそれも、当人たるヴァトラーが気紛れで儀式場へ踏み込んで来てしまった時点で瓦解。全てが台無しにされる前に優麻が命がけで交渉にあたり、どうにか味方に引き込むことに成功したのである。その代わりにメイヤー姉妹は触らぬ神に祟りなしとばかりにヴァトラーの相手を優麻に放り投げ、自分達は時折ちょっかいを出してくる特区警備隊(アイランド・ガード)で遊び始めてしまったが。

 魔導書が燃え尽きてしまわないように必死で制御する優麻。そんな彼女の横顔をヴァトラーが薄笑いを浮かべながら観察している。

 

「ふふっ、それにしてもよく堪えるじゃないか。割と容赦なく魔力を注いでいるつもりなんだけどねェ」

 

「これでも仙都木阿夜の娘ですので。我が母のためとあらば、如何なる辛苦であろうと堪えられますよ」

 

 弱みを見せまいと優麻は気丈に振る舞う。下手に隙を見せればこの男は容赦なく牙を剥くと分かっているからだ。

 そんな少女にヴァトラーは更に笑みを深める。まるで興味深い玩具を見つけた子供のような表情だ。

 

「イイネ、流石は古城の幼馴染というワケか。これからの宴が楽しみだよ」

 

 古城の幼馴染。その言葉に一瞬だけ反応しかけるも優麻は魔導書の制御に集中した。そうすることで意識の外に追いやったのだ。

 そんな少女の葛藤すらも愉しんでいるのか、くつくつと喉を鳴らして笑い、ヴァトラーは更に注ぎ込む魔力の量を増やした。

 濁流の如き勢いで注ぎ込まれる魔力を優麻は必死に制御し、魔導書による空間探査の網を凄まじい速度で広げていく。ヴァトラーの無茶振りは優麻に多大な負担を強いる代わりに、儀式に要する時間を大幅に短縮している。おかげでもう間もなく監獄結界の位置を割り出すことができそうであった。

 邪魔さえ入らなければ監獄結界に手が届く──はずだった。

 屋上の一角に魔力の波動が発生する。血で描かれた魔法陣を上書きするように別の魔法陣が浮かび上がり、点と点を繋ぐゲートが開かれた。

 空間制御は非常に高等な魔術に分類される。魔女である那月や優麻ならいざ知らず、普通の人間がおいそれと使い熟せるものではない。少なくとも、特区警備隊の面々に空間制御を扱えるレベルの攻魔師は居なかった筈だ。

 ならば誰が乗り込んできたのか。答えは自ずとゲートから出てきた。

 やや色素の薄い髪と空色の瞳が特徴的な少年。昨夜までは優麻にとって唯一無二の存在であったはずの幼馴染が、三人の少女と魔導技師風の男を伴って現れる。

 暁古城──彼は優麻とヴァトラーが共に居るのを認めると一瞬だけ苦い顔を浮かべた。しかしすぐに真剣な面持ちで優麻と真正面から向き合う。

 その顔に昨夜のように後ろ向きな雰囲気は一切ない。時間にして半日程の間に何があったのか、古城の目は真っ直ぐ優麻の目を見据えている。()()()()()()()()()()()

 きっと彼はこの短い間で己の過ちに気付き、向き合おうとしているのだろう。それは人として正しいこと。けれど優麻にとってはむしろ決定打になってしまった。

 

 ──ああ、やっぱりボクの古城はもういないんだね。

 

 母親を脱獄させるためだけに生み出された魔女である彼女にとって、自分の意思で得ることができた唯一の存在であったはずの“暁古城”はもういない。故に彼女は覚悟を決めた。

 

「やあ、早かったね」

 

 今にも壊れそうな笑みを浮かべる優麻。魔導書の制御に意識を向けつつ、侵入者である古城達を迎え入れる。儀式を妨害する敵として。そこに大切な幼馴染を求める少女の姿はなかった。

 

 

 

 ▼

 

 

 夏音を岬に預けた古城達は即座に紗矢華達と合流しようとした。

 しかし今の絃神島は空間が歪みに歪んでおり、強い魔力や霊力を有する者を彼方此方へ無差別に転移させてしまう厄介な状態である。下手に動けば何処へ飛ばされるかも分からない。

 故に古城達はラ・フォリアと人工島管理公社の交渉結果を待った。その交渉次第で次の一手が決まるのだから。

 交渉は古城の想定よりも難航した。原作よりも早くから交渉を持ち掛けたためか、管理公社側がラ・フォリアからの支援を中々受け入れようとしなかったためである。ラ・フォリア側からの要求に割と無茶なものがあったのも要因かもしれない。

 ラ・フォリアの要求は二つ。市街地での戦闘に待機中の聖環騎士団を参加させることと、現在管理公社がその身柄を確保している叶瀬賢生の引き渡しだ。

 法的に考えて両条件とも認められるものではなく、可能であれば自分達で事の収拾をつけたい管理公社側はこの要求に対して渋い対応であった。しかし時間が経つにつれて絃神島への被害と“特区警備隊”の損耗が大きくなり、事態が逼迫したことでようやく色好い返事が返ってきたのである。

 絃神島での交戦許可と空間転移を可能とする優秀な魔道技師である叶瀬賢生を確保した古城達。当初の予定よりも時間は要したものの、絃神島に暗雲を齎す元凶を止めるべく儀式場へと乗り込むに至った。

 儀式場へ空間転移した古城達を待ち受けていたのは優麻を始めとする首謀者たるLCOの面々とアルデアル公爵ディミトリエ・ヴァトラーだった。

 監視の目を欺いて行方を眩ました時点で覚悟はしていたものの、この場にヴァトラーが居ることに古城は思わず舌打ちしてしまいそうになった。しかし居るものは仕方ない。悪い予想の一つが当たっただけで対処は不可能ではないと言い聞かせて平静を保つ。

 ヴァトラーのことよりも古城にはもっと重要なことがあった。

 

「やあ、早かったね」

 

 壊れ物めいた微笑みを向けてくる優麻。今までは目を逸らしてしまっていたから気づけなかった。だが今なら分かる。彼女がどれ程までに“暁古城”の存在を求めていたのかが。

 そして向き合うと覚悟したからこそ分かってしまう。今の優麻はもう諦めてしまっている。暁古城(希望)を失った時点で彼女に残されたものは刻み込まれた母親を脱獄させるという運命(プログラム)のみ。それを成し遂げるまでは止まらない、それさえ成し遂げてしまえばもうどうでもいい。そんな心が透けて見えた。

 自分のせいでここまで優麻を追い込んでしまった。己の不甲斐なさに腹が立つが、ぐっと堪え真正面から優麻と向き合う。もう目を逸らしはしない。

 

「優麻、話があるんだ。聞いてくれないか?」

 

「話ね……悪いけど、見ての通り手が離せないんだ。また今度にしてくれるかな」

 

 一歩踏み込もうとした古城に対して優麻は素気無くあしらう。手が離せないのは事実であるが、今の優麻には古城と会話をしようという意思が欠如している。

 だがこのまま優麻に儀式を継続させるわけにはいかない。相手に向き合う気がなくとも古城は諦めずに言葉を続けた。

 

「止めるんだ、優麻。今ならまだ戻れる。凪沙もお前のことを心配してるんだ。だから……!」

 

「そっか、凪沙ちゃんか……優しいね、彼女は」

 

 僅かに表情を緩めるも、しかし優麻は魔導書に翳す手を下すことはない。

 

「凪沙ちゃんには悪いことをしたね。折角のお祭りなのにこんなことになって……でも、もう誰にも止められないんだよ。もし、止められたとしたなら、それは……」

 

 言葉尻を窄ませながら優麻は寂しげに古城を見やる。その視線の意味が古城には理解できた。

 仙都木優麻を止められた唯一の人物。それはまがいものではない、本当の“暁古城”。だが彼は今、此処には居ない。居るのはまがいものだけ。だから彼女を止めることは誰にもできない──などと、諦めるつもりは毛頭ない。

 決めたのだ。この心はまがいものであっても、優麻を守りたいという想いに嘘偽りはない。故に迷うことなどあるはずもなく、何度拒絶されようと古城は手を伸ばす。

 古城に力強い眼差しを返され僅かに動揺する優麻。昨夜とは違うと感じていたが、それにしては変化が大きすぎる。男子、三日会わざれば刮目して見よなどと言うが、それにしても限度があるだろう。

 何より優麻の心を揺さぶったのは、見つめ返してくる古城の瞳に一瞬だけ自分の求めた大切な人の影を感じてしまったこと。そんなはずはないと分かっていても、違和感は拭えなかった。

 だが、もう遅い。既に儀式は大部分が終わっている。そしてたった今、監獄結界の位置も判明した。

 凄まじい魔力の奔流が絃神島を吹き荒れる。発生源は絃神島北端の海上。そこに、見覚えのない島影が浮上していた。

 

 ──“監獄結界”。

 

 “魔族特区”を流れる竜脈を利用して造り出された人工的な異世界。それは岩山の一部を切り取ったかのようなゴツゴツとした小島で、大部分が人工的に造られた聖堂のようになっていた。

 監獄結界が現出してしまい流石の古城も焦りを見せる。今はまだ姿が浮かび上がっているだけであるが、あそこに強力な眷獣の一撃でも叩き込んでしまえばその時点で封印が解かれてしまう。非常に危険な状態だ。

 

「っ……ぎりぎり役目を果たせたみたいだね」

 

 優麻の手の中で魔導書が激しく燃え上がった。ヴァトラーの無茶苦茶な魔力供給に魔導書本体が限界を迎えたのだ。

 貴重な魔導書の損失に今まで露払いに徹していた魔女姉妹が悲痛に満ちた声を上げた。しかし優麻は一顧だにせず魔導書を捨て、玩具を前にした子供のように笑うヴァトラーへ目を向ける。

 

「アルデアル公。此処から先は手筈通りにお願い致します」

 

「アァ、分かっているサ。キミも、くれぐれもヨロシク頼むよ?」

 

「勿論です」

 

 短いやり取りを終えると今まで一言も口を挟まなかったヴァトラーが古城達の前に立ち塞がる。今最も警戒すべき人物との対峙に自然と古城達は身構えた。

 

「やあ、古城。会えて嬉しいよ」

 

「俺はこれっぽっちも嬉しくないけどな」

 

 気安い口調に対して古城の対応は辛辣だ。それも当然だろう。この男が優麻達に協力しなければここまで儀式が進行することはなかったのだから。

 しかしヴァトラーはまるで悪びれた様子もなく、むしろ開き直ったかのように言う。

 

「フフッ、そう怒らないでくれよ。ボクはこの島の人間が犠牲になるのを未然に防ぐために、仕方なく協力していただけサ」

 

「だったらもう手を貸す必要はないだろ。これ以上、監獄結界に手を出すな……!」

 

 強い語調に伴って古城の身体から魔力が嵐のように吹き荒れる。

 意志の弱い者ならば膝を屈してしまいかねない程の圧力であるが、しかし真正面から受けるヴァトラーは平然としている。むしろ嬉々として古城の魔力を受け止めた。

 

「残念ながらそうも言っていられないんだ。ボクの船、正確にはオシアナス・グレイヴⅡが人質に取られてしまってね。乗員がボクの身内だけなら良かったんだが、生憎と今回は他国のお姫様なんかが乗ってるから下手なことは出来ないんだよ」

 

 従わざるを得ない事情を語るヴァトラーであるが、しかし古城達から向けられる目は冷ややかだ。特にラ・フォリアを除く三人の思考は完全に一致していた。即ち「またそれか……」である。

 

「で、本音は?」

 

「世界各国から集められた国際魔導犯罪者達と殺し合えるこの機会、みすみす逃すわけないじゃないか」

 

「お前ほんといい加減にしろよ!」

 

 分かっていたことでも叫ばずにはいられなかった。

 額に青筋を浮かべる古城とそんな反応が可笑しいのかくつくつと笑うヴァトラー。

 逼迫した状況であるはずなのに気が抜けそうなやり取りを繰り広げる二人に、いつもなら怒るだろう雪菜や紗矢華は沈黙を貫いている。否、割り込むことができなかったのだ。

 気安いやり取りを交わす最中でも両者の目は互いの一挙一動を警戒しており、些細な切っ掛け一つで爆発しかねない緊張感が漂っている。誰一人として迂闊に動くことはできなかった。

 

「それに、彼女はボクと古城が戦う機会を用意するとまで言ってくれたんだ。こいつに乗らない手はないだろう?」

 

「やっぱりか……」

 

 儀式場に乗り込む前から予想はしていた。だがそれでも、優麻がヴァトラーとの交渉でまがいものとはいえ“暁古城”を売ったという事実は古城にショックを与えた。裏切られたという意味ではなく、それ程までに優麻を追い詰めてしまっていたことにだ。

 横目に優麻の方を伺えば目線を合わせないように顔を逸らされる。自分に非があるとはいえ、堪えるものがあった。

 だが、今は目の前の男に集中しなければならない。

 

「それじゃあ、頼むよ仙都木優麻」

 

「はい、ご武運を」

 

 優麻が徐に手を掲げる。すると古城とヴァトラー、二人の足元に魔術式が浮かび上がった。

 一瞬で組み上げられた魔術式は空間制御の魔術。空間転移に特化した優麻にとって二人の人間を指定した場所に飛ばすことなど造作もない。

 転移の対象にされた古城に狼狽はない。この状況も考え得る可能性の一つであったからだ。

 儀式場に乗り込む前に可能な限りの打ち合わせは済ませてある。魔女姉妹の能力についてもあくまで考察という形で紗矢華とラ・フォリアに伝えた。雪菜にはかなり負担を強いる役回りを頼むことになってしまったが。

 魔術式が放つ淡い光に照らされながら古城は後ろを振り返る。そこには不安を隠せず表情を強張らせた雪菜がいた。

 

「先輩……必ず、戻ってきてください」

 

「勿論だよ。姫柊も、気をつけて」

 

 心配性な後輩を安心させるように笑いかけ、後ろの二人にも視線を送る。二人とも気負いなく任せろとばかりに頷いてくれた。

 後は一人、改めて古城は優麻に向き直った。

 真っ直ぐな古城の瞳に見据えられて優麻は微かに身動ぎする。何故か分からないが、今の古城は昨夜とは何かが違う。その何かがどうしようもなく優麻の心を揺さぶるのだ。

 

「必ず話をしに行く。だから、待っててくれ──ユウマ」

 

「──っ」

 

 優麻が驚愕に目を見開くのと同時に古城とヴァトラーの姿が屋上から消えた。

 

 

 

 

 


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