那月と紗矢華の窮地を救ったのは留守を言い付けていた古城少年だった。
甲冑の男を素手で吹き飛ばした古城少年は、油断なく男の挙動を見据えている。
何故来てしまったのか、雪菜は今すぐにでも古城少年を叱り付けて叩き返したい思いだった。しかし紗矢華はダメージを受けてしばらくは戦線復帰が望めそうになく、雪菜一人で那月を守り抜くことはできない。他の応援も望めない以上、不安は残るものの古城少年と共に戦う以外に選択肢はなかった。
大きな溜め息を零しながら、雪菜は手近な路地に視線を向ける。すると申し訳なさそうな表情をした優麻が、観念したように姿を現した。
「今すぐ帰れとは言いませんけど、後でお話しを聞かせてもらいますからね、優麻さん。その首筋の傷痕についても、きっちりと」
「あははっ、お手柔らかに頼むよ」
すっと首筋の傷痕を手で隠すも遅い。雪菜からの物言いたげな眼差しに気不味くなり、優麻は明後日の方向に目を逸らした。
気を抜くと溢れそうになる溜め息を飲み込み、雪菜は古城少年の隣に並び立つ。言い付けを破ってこの場に駆け付けたことが気不味いのか、古城少年が決まり悪そうに雪菜にちらちらと視線を寄越してくる。
これではお互いに気が散ってしまう。仕方ない、と雪菜は呆れ混じりに嘆息して言う。
「勝手に出てきたことに関しては後で怒りますけど、今は彼方が優先です。戦場に出てきちゃった以上は気を抜かないでください、先輩」
「分かった、気を付ける」
力強く頷いて古城少年は意識を切り替えた。
「そう言う訳なので、藍羽先輩は大人しく待っていてください。お願いですから」
『はいはい、どうせ邪魔にしかならないのは分かってるわよ……』
古城少年の乱入にインカム越しで騒いでいた浅葱だが、結局は雪菜たちの無事を祈ることしかできない。『後で覚えときなさいよ、古城……』と呟いて、それ以降は文句を言うこともなくなった。
殴り飛ばされた甲冑の男が立ち上がる。結構な勢いで吹き飛ばされた割に目立った外傷は見当たらない。だが、全くダメージが入っていないわけでもないようで、微かに眉を顰めていた。
「気を付けてください。あの男は全身が鋼に覆われていて、普通の攻撃ではダメージが与えられないんです」
「鋼って、どうりで痛いわけだ……」
痛みを払うように古城少年が右手を振る。男を殴り飛ばした拳は痛々しく赤黒く変色しており、鋼の肉体の硬さを物語っていた。
しかし古城少年は痛みに震えたり及び腰になるようなことはなく、真っ直ぐ甲冑の男を睨み据えている。気迫は十分、度胸もそれなり以上に備わっているようだ。
「マドウショのノロいをウけてなお、これほどのチカラをフるうか。だが、ショセンはジギにスぎない」
「だったらもう一発食らわせてやるよ、おっさん!」
威勢よく吠えて古城少年が飛び出す。魔導書の呪いで記憶は奪われたが、その肉体は変わらず第四真祖のものだ。身体能力はズバ抜けており、あっという間に間合いを詰めて殴り掛かった。
「タタカいをシらぬコドモが、ナめられたものだ」
疾風の如き速度で迫る少年を、甲冑の男は微塵も狼狽えることなく巨剣で迎え撃つ。身体能力こそ図抜けているが、記憶を失いただの一般人に成り下がった少年に戦いの心得はない。
真正面からの戦闘で古城少年が有利に立ち回ることはほぼ不可能。振り翳した拳は容易くいなされ、巨大な剣に肉体を真っ二つにされる。ただし、それは古城少年が一人であったのならば。
「させません!」
間一髪で銀色の槍が巨剣の軌道を逸らした。やや遅れた雪菜が割り入り、フォローしたのだ。
雪菜の的確なカバーで生まれた男の隙を見て、古城少年は迷いなく渾身の力で拳を叩き付ける。魔力も上乗せした少年の殴打はダンプカーの衝突と同等の力を持っており、鋼の肉体を以ってしても踏み留まれるものではないはずだった。
「センジョウをシらぬコドモフゼイにオクれはトらぬ」
あろうことかブルードは片手で古城少年の手首を掴み取って止めていた。ほんの少しの隙でも飛び込んでくると予想し、わざと体勢を崩して身構えていたのだ。
渾身の一撃を容易く防がれた古城少年は、しかし不敵に笑ってみせた。
「そんなことくらい、言われなくても分かってる。だから、教えてもらってるんだよ」
古城少年の瞳が爛々と紅く輝く。次瞬、凄まじい破壊力を秘めた衝撃波が拳から放たれ、甲冑の男を吹き飛ばした。
「ぐおおおぉぉぉ!?」
両脚を地面に減り込ませて力尽くで踏み留まる甲冑の男。限定的な眷獣の権能とはいえ、耐え切った男のタフネス加減は凄まじいものだ。だが、受けたダメージは無視できる代物ではなかったらしい。ここに来て甲冑の男の呼吸が乱れ始めた。
「ワがハガネのニクタイをツラヌくか。オモシロい……!」
甲冑の男が口端を愉しげに歪める。今までの退屈そうな態度とは打って変わり、滲み出る圧力に殺し合いに対する昂揚と歓喜が混じっていた。
その凄絶な圧力に気圧されかけた古城少年を、隣に並び立つ雪菜が叱咤する。
「しっかりしてください、先輩!」
「……! 悪い、呑まれた!」
両手で頬を叩き、気合いを入れ直して古城少年は甲冑の男と対峙した。
作業のように淡々とあしらっていた甲冑の男は、一転して凄まじい攻勢に移った。眼中にあるのは唯一鋼の肉体を傷つけることができた古城少年のみ。獣の如く猛迫し、勢いそのままに巨剣を振り下ろす。
速すぎる動きに反応が遅れた古城少年は、あわや真っ二つになる寸前に横合から雪菜に突き飛ばされて難を逃れる。即座に体勢を立て直し、古城は反撃の一撃を叩き込む。
しかし甲冑の男も古城少年の力を脅威と認めており、受け止めることなく見切った上で回避した。鋼を砕く衝撃波も当たらなければ意味がない。
間髪入れずに巨剣の二撃目が少年を襲う。空振って体勢が崩れている古城少年には躱せない。代わりにフォローしたのは、やはり雪菜だ。
激しい攻防となると不利になる古城少年の拙い部分を、攻撃力は低いが霊視の先読みと巧みな槍捌きで雪菜がカバーする。連携というよりは補い合いだが、二人の戦い方は絶妙に噛み合っていた。
対する甲冑の男は苛烈でありながら剣筋にブレはなく、古城少年を叩き斬らんと猛烈に攻めてくる。雪菜の存在を煩わしく感じているようだが、自身を傷つけること能わないと高を括っているらしく、殆ど眼中に入れていない。彼の目には果敢に応戦する少年の姿しか映っていなかった。
何度目の衝突か、雪菜がギリギリの攻防を繰り広げている最中、古城少年が強引に勝負を仕掛けた。
「抉り喰らえ!」
引き裂くように振り翳した腕の軌道上、丁度ブルードが踏み込もうとしていた地面がごっそりと抉り取られた。足場を失くしたブルードの体勢が大きく崩れる。
千載一遇の好機に畳み掛けたのは雪菜だ。
「──
槍から手を離し、甲冑の男の懐に飛び込んだ雪菜が掌打を放つ。鋼の肉体を過信していた男はそれを受け、身体の内側を呪力の衝撃に蹂躙された。
雪菜は間髪入れずに顎先への掌底、くるりと回転しての肘撃を叩き込む。いずれも呪力を乗せた一撃であり、鋼の肉体を素通りして内部に衝撃を与えた。
「な、んだと……!?」
予想だにしないダメージに蹌踉めくブルード。掌打を放った雪菜は醒めた瞳で標的を見据え、淡々と告げる。
「あなたはわたしを取るに足らないと思っていたみたいですけど、あまり獅子王機関の剣巫を舐めないでください」
純粋に対魔族戦闘だけに特化した
しかし、鋼の肉体を有するブルードを倒すには至らなかった。仮にも龍と真正面から殺し合い、勝利を捥ぎ取るような男だ。多少のダメージでは決定打にはならない。
だからこそ、決着を着けることができるのはただ一人。
眩い閃光が絃神島の夜空を照らす。古城少年の拳に莫大な量の雷が蓄えられ、解き放たれる時を今か今かと待ち望んでいた。
「終わりだ、おっさん!」
拙い、と甲冑の男は全力で回避に注力しようとする。しかし雪菜の顎先への一撃が脳震盪を引き起こしており、思うように動くことができずに終わる。鋼の肉体に覆われていようと、内部構造までは変わらないはずと考えた雪菜の読みが刺さったのだ。
せめてもの防御に大剣を盾にして身を守ろうとするブルード。構わず古城少年は防御の上から容赦なく拳を叩き込んだ。
限界まで雷を溜め込んだ一撃は、大剣の盾を易々と吹き飛ばし、鋼の肉体に炸裂した。
たがが外れたように溢れ出す雷撃が甲冑の男を焼き尽くす。完全召喚でこそないが第四真祖の眷獣の攻撃だ。鋼の肉体程度で耐え切れるものではない。
更に雷撃だけではなく衝撃波の追い打ちも加わる。雷撃と衝撃波の合わせ技。さしもの龍殺しも、堪らず断末魔にも似た絶叫を上げ、大地に膝をついた。
強靭な魔族であっても五体満足ではいられないだろう一撃だった。手応えも十二分に感じられた。しかし古城少年と雪菜の表情は変わらず険しく、油断なく敵手を見据えている。
「ぐ、おぉ……まだ、だ」
愛剣を支えに甲冑の男が立ち上がる。既に限界が近いだろうに、瞳に宿る闘志は依然として燃え盛っている。
「まだ動けるのかよ、こいつ。不死身なのか?」
「先輩にだけは言われたくないと思いますよ」
何故か雪菜にお前が言うなとばかりの目を向けられて困惑する古城少年。何にせよ、倒し切れなかった事実は古城少年に焦燥感を募らせた。
今の古城が制御できる限界に等しい出力だった。それでもなお、甲冑の男を倒すには至らない。
かくなる上は眷獣の完全顕現によって完膚なきまでに叩き潰すしかない。だが、古城少年には召喚した眷獣を完全に制御できる自信がなかった。周辺一帯への被害は抑えられないだろうし、雪菜たちを傷つけてしまう可能性もある。それは許容できなかった。
葛藤に苛まれる古城少年。そんな少年とは対照的に、並び立つ雪菜は勝利を確信した笑みを零した。
「大丈夫ですよ、先輩。わたしたちの勝ちです」
雪菜の勝利宣言と同時、夜空を切り裂く銀の矢が地上から放たれた。撃ち上げたのはダメージから回復した紗矢華だ。
大気を引き裂く飛翔音が悲鳴にも似た遠鳴りへと変わっていく。人間の声帯や肺活量では発することのできない音を奏でる鳴鏑矢が、失われた秘呪をここに再現する。
夜空を覆わんばかりに巨大な魔法陣が展開される。身の毛が弥立つほどの呪力を蓄えた魔法陣は、標的である甲冑の男目掛けて無数の極光を降らせた。
満身創痍のブルードに避ける術はなく、声を上げる暇もなく極光の雨霰に飲まれた。
やがて呪力を使い果たした魔法陣が役目を終え、極光の嵐がパタリと止む。後に残るのはクレーターの中心で倒れ伏す甲冑の男だけだ。
著しく消耗したことで監獄結界の機能が発動し、虚空から吐き出された鎖が甲冑の男を監獄へと引き摺り戻す。抵抗する気力も残っていない男はそのまま虚空へと消えた。
▼
激しい戦闘に決着がつき、耳が痛いほどの静寂が訪れる。
「勝った、のか……?」
実感が湧かないのか、呆然と呟いて古城少年は襲いくる疲労に膝を折った。雪菜の援護で守られていたとはいえ、ぶっつけ本番同然の実戦に心身を磨り減らしていたのだ。膝を突くのも無理はない。
疲労困憊の古城少年に、雪菜が柔らかに微笑みかけた。
「お疲れ様です、先輩。なんとか切り抜けられましたね」
「姫柊さんと煌坂さんのおかげだよ。俺一人じゃ、ろくに戦えやしなかった」
力なく地べたに座り込んで古城少年は安堵の息を零した。
今の未熟な自分にどこまでできるかは分からなかったが、何とか誰一人失うことなく守り抜くことができた。古城少年一人の功績というわけではないが、彼が駆け付けていなければ脱落者が出ていたのは間違いない。
だが、それと留守番の言い付けを破ったことは別の話だ。
「ですが、どうして勝手に飛び出してきちゃったんですか。一つ間違えれば、共倒れになってもおかしくなかったんですよ?」
「それは……」
非難のこもった眼差しを向けられ、たじろぐ古城少年。しかしどれだけ責められようと、これだけは譲れないと即座に見返した。
「それでも、姫柊さんたちに全部任せてじっとなんかしてられない。追い返そうったって、絶対についていくぞ」
「……本当に、仕方ない人ですね」
記憶を失っても変わらない頑固さに、くすりと雪菜は微苦笑を零した。
『のんびりとしてるとこ悪いけど、早く入っちゃいなさいよ。またおっかない囚人に襲われるわよ?』
やや不機嫌な浅葱の声がインカム越しに響く。目と鼻の先で勃発した戦闘に、一切助力できなかったことを拗ねているらしい。
古城少年と雪菜は互いに顔を見合わせ、どちらからともなく頷いた。悠長にしていて新手に襲われては敵わない。一行は目と鼻の先に聳え立つキーストーンゲート内部へと足を進めた。