古びた魔導書を携え、結界の中心たる彩海学園より姿を現した阿夜。
最大の障害たる仇敵であり無二の友である那月を無力化させ、
それがどうしたことか。島を丸ごと霧化させるなどという無茶苦茶なパワープレイによって絃神島の崩壊は食い止められ、十年の歳月を賭した計画は今まさに頓挫しようとしている。
たかが十数年しか生きていない子供に野望を挫かれる。これ以上の屈辱はないだろう。
だが、まだ計画が完全に水泡に帰したわけではない。絃神島を霧化させた根元たる第四真祖、暁古城を葬れば“闇誓書”の効力は再び絃神島を蝕む。阿夜の野望はまだ終わってはいないのだ。
「小童風情……が!
常人ならば萎縮して身動き一つできないほどの怒気を纏い、阿夜は凄絶な殺気を古城少年に差し向けた。
対峙する古城少年は恐れることなく敵手を睨み返す。臆することはない。何故ならば、少年はこの場において一人ではないからだ。
「それはこっちの台詞だ。これ以上、好き勝手できると思うなよ!」
轟! と凄まじい魔力の波動が吹き荒れる。古城少年の激情に呼応して、第四真祖の莫大な負の魔力が大気を軋ませた。
「
古城少年が振り翳した腕から、莫大な雷の奔流が解き放たれる。放たれた雷撃は幾条にも枝分かれし、目にも留まらない速度で阿夜に襲いかかった。
掠るだけでも行動不能に陥れるだろう雷撃に対して、阿夜は鬱陶しげに片目を眇めて魔術式を刻む。既にこの場は“闇誓書”の結界内部に取り込まれている。結界内において阿夜は思うがままに世界を改変することが可能だ。
淡い黄金の輝きを放つ古代魔法文字が織りなすはあらゆる脅威を跳ね除ける障壁。生み出された障壁は、雷撃を完全に無効化せしめた。
「下らん、その程度で我に届くものか」
オーケストラの指揮者が如く、阿夜の指先が無数の魔法文字を中空に刻む。先のお返しとばかりに造り上げられたのは雷鳴轟く巨大な黒雲。忽然と姿を現した雷雲から、無数の稲妻がキーストーンゲート屋上に降り注いだ。
逃げ場すらありはしない落雷の雨霰。雷自体は魔術の産物でもない自然現象そのものであるため、雪菜の“雪霞狼”でも防ぎ切ることはできない。対処できるとすれば第四真祖の眷獣か、あるいは──
容赦なく降り注ぐ落雷の雨が止む。屋上は落雷の影響で何処もかしこも焼け焦げ穴だらけ。砕け舞い上がったコンクリートの塵が屋上全体を覆っている。
不意に塵煙が内側から膨れ上がり視界が晴れ渡る。塵煙の中から姿を現したのは無傷の古城少年と紗矢華。それぞれが眷獣と“煌華麟”の能力を駆使し、降り注ぐ落雷の雨を凌ぎ切ったのだ。
「ちっ……やはり、“闇誓書”の影響から逃れている……か」
堪えた様子のない少年たちを見て阿夜は忌々しげに眉を顰め、ふと人数が足りないことに気付く。落雷が降る前まで固まっていたはずの雪菜と優麻の姿が何処にもなかった。
唐突に頭上で湧いた人間の気配に、阿夜は反射的に魔法文字の障壁を展開する。第四真祖の雷撃を容易く防いだ障壁は並大抵の攻撃では破れない。しかし──
「──“雪霞狼”!」
優麻と共に空間転移によって阿夜の頭上を取った雪菜は、己が得物である銀槍を閃かせる。
ありとあらゆる結界障壁を打ち破り、真祖すらも弑逆せしめる破魔の槍──“
「おのれ……! ならば!」
阿夜の指先が虚空に黄金の魔法文字を描くと、雪菜たちの眼前に分厚い結晶の壁が出現した。
ギィン! と鈍くも甲高い金属音が響き、銀槍の穂先が大きく弾かれる。結界障壁の類に対しては無類の性能を発揮する“雪霞狼”も、ただの水晶壁を貫くことはできない。
雪菜たちの目論見を潰して阿夜は得意げに笑み、愚かにも懐に飛び込んできた少女たちを縊り殺さんとして──
「──足元がお留守だぜ?」
間欠泉の如く噴き上がった魔力を帯びる衝撃波に、強制的に攻撃の手を遮られた。
「ぐ、あ……!?」
雪菜たちの奇襲に気を取られて足元への注意が疎かになっていた。その隙を突いた強烈な一撃を受け、阿夜は地上へと墜落する。雪菜に関しては優麻の空間転移によって既に離脱済みだ。
地に落ちた阿夜は痛みに顔を歪めながら古城少年たちを睨む。合流した四人は油断なく阿夜の一挙手一投足に注意を払っている。どのような攻撃を繰り出されようと対処してみせるという気概が感じられた。
「多勢に無勢……か。だが、この程度……!」
立ち上がった阿夜が一瞬で無数の魔法文字を描き上げる。淡い金色の粒子を放つ魔法陣から、無数の人影か滲み出た。それらの姿に古城少年たちはどうしようもない既視感に襲われる。
「こいつら、監獄結界の……!?」
魔法陣から出現した人影の中に見覚えのある姿──監獄結界の脱獄囚を認めて古城少年は苦々しげに呻く。
阿夜が創り出したのは監獄結界に投獄された極悪な国際魔道犯罪者たちだ。記憶の中にある魔道犯罪者たちを、“闇誓書”の力をもってして再現したのである。
見覚えのある脱獄囚以外にも、大勢の囚人たちが一斉に襲い掛かってくる。数的有利を一瞬で覆す無茶苦茶な物量作戦に古城少年は怯みかけ、その肩を雪菜が力強く叩いた。
「大丈夫です。あれは所詮幻、実体があろうと魂のない幻影と変わりません」
「幻影……そうか、だったら!」
幻影相手に加減など必要はない。古城少年の瞳が真紅に輝き、掲げた右腕から鮮血が迸る。
第四真祖の濃密な魔力を秘める鮮血が呼び水となり、災害級の眷獣がこの場に喚び出される。現れたるは緋色の鬣と鋭い双角を有する雄馬。衝撃波の化身が外敵の一切を蹴散らすがために現界した。
「蹴散らせ、“
甲高い嘶きと共に凄まじい衝撃波を撒き散らし、緋色の双角馬が押し寄せる軍勢に突っ込む。
災害級の衝撃波を発する双角馬の突撃は嵐そのもの。監獄結界に投獄されるほどの国際魔道犯罪者であろうと、第四真祖の従える眷獣の暴虐に太刀打ちできる者などいない。
まして阿夜が創り出したのは魂のない操り人形と変わらない。性能は本物と変わらない代物であろうと、脅威度という面では大きく格が落ちる。
生み出した影法師共が一蹴される光景に歯噛みしながら、阿夜は忙しなく指先を動かし続ける。囚人たちによる物量は継続しつつ、飽和攻撃を仕掛けて押し潰す。それができるだけの力が、今の阿夜にはあるのだ。
噴き上がる溶岩が、降り注ぐ岩石が、全方位から放たれる高位魔術の嵐が古城少年たちを襲う。そこに囚人たちも引っ切り無しに畳み掛け、キーストーンゲート屋上に局地的な戦場が現出した。
普通ならば為すすべなく蹂躙されるだろう状況に、しかして古城少年たちは怯むことなく立ち向かう。
物量は古城少年が眷獣の力で鎧袖一触し、眷獣を封じ込めようとする障壁の類は雪菜が無力化する。その雪菜を抑えようと物理的な封印を仕掛けようとすれば、紗矢華が斬り伏せ優麻がフォローする。
言葉すらなく流れるような連携を繰り広げ、“闇誓書”が齎す馬鹿みたいな物量を完璧に捌き切り、古城少年たちは着実に阿夜を一手ずつ追い詰めていく。
打つ手の尽くを凌駕され、やがて阿夜は八方塞がりに陥る。“闇誓書”による法則の規制は意味を為さず、創造物による物量作戦はそれを上回る暴力と連携によって捩じ伏せられた。
「順当な終わりかな。ちょっと面白味に欠けるけど、まあよく足掻いたほうじゃないカナ」
蚊帳の外で眺めるヴァトラーの呟きに、阿夜は憤怒と屈辱から奥歯を噛む。
もはや勝ちの目のない、覆しようのない戦況。古城少年が四番目の眷獣を喚び起こしてしまった時点で、阿夜の野望は頓挫していたのだ。
「まだ……諦める、ものか……!」
圧倒的に不利な状況にあってなお阿夜の心は折れていなかった。
生まれながらにして悪魔に魂を奪われ、魔女として人々に蔑まれ、利用されてきた過去が。かつて盟友として学生時代を共に過ごした那月を監獄結界に縛り付ける所業が許せなかった。
忌まわしい世界が許せなかった。呪われた運命を受け入れたくなかった。故に壊す。たとえ世界そのものを塗り替え、破壊することになるとしても──
阿夜を衝き動かす激情が尽きることはなく、勝機を探る瞳がその手に握られた古びた魔導書に向けられた。
那月と古城の
古びた魔導書を見下ろして阿夜はしばし逡巡するが、今にも物量の波濤を乗り越えかねない古城少年たちの姿に躊躇いを捨てる。魔導書の
黄金の魔法文字が組み合わさり一つの魔法陣を組み上げる。監獄結界の囚人を無数に生み出す魔法陣とは明らかに毛色が違う。何故ならば創り出そうとしているのは魂のない幻影ではない、圧倒的不利を覆す最強の存在だからだ。
尋常ならざる気配を感じ取り古城少年たちが阻止するべく動くが遅い。魔法陣は既に完成してしまっている。
「来るがいい、第四真祖! 我が走狗となりて、餓鬼共を蹴散らすがいい!」
阿夜の呼び声に応じて魔法陣から人影が歩み出る。無数に舞い散る黄金の魔法文字を纏いながら姿を現したのは、雪菜たちもよく知る少年だった。
狼の毛並みのように色素の薄い髪と微かに気怠さを感じさせる目付き。もはやトレードマークとなっている黒白のパーカー。そして、吸血鬼の証左である真紅の瞳と口元から覗く鋭い犬歯。
間違えようがない──“暁古城”その人が、古城少年たちの前に立ちはだかった。
「そんな……!?」
信じられない光景を前に雪菜は驚愕を露わにする。
“闇誓書”は結界内部であれば自由に世界を改変できる魔導書だ。それは人間の創造すらも可能としている。ただし生み出されるのは魂のない幻影に過ぎないが。
そう、所詮は幻に過ぎない。脅威度では本物に格段に劣るまがいものでしかない。しかしその
「だからってなんだ。こいつも囚人たちと変わらない、幻だろうが!」
記憶と時間を奪われる前の自分自身と対峙する衝撃から回復した古城少年が、躊躇うことなく眷獣を差し向ける。
解き放たれたのは眩い雷光を纏う黄金の獅子。雷鳴の如き咆哮を上げ、獅子が“暁古城”へと襲い掛かった。
迫る脅威に対して召喚された“暁古城”は茫洋とした様子で顔を上げると、まるで羽虫を払うかの如く腕を横薙ぐ。瞬間、漆黒の魔力嵐が吹き荒れ黄金の獅子を跡形もなく消し飛ばした。
「……は、ぁ?」
眷獣を喚び出して迎え撃つのでもなく、純粋な魔力のみで“
雪菜たちも古城少年同様に驚愕している。第四真祖の眷獣は一体だけでも天災並みの被害を齎す力を秘めている。それを、軽く火の粉を払うかのような気軽さで無力化した。同一存在とはいえただの幻影にできる所業の範疇を超えているだろう。
蚊帳の外から高みの見物を決めていたヴァトラーは、浮かべていた薄ら笑いを引っ込め怪訝な表情で“暁古城”を見据える。流れが大きく変わった。それも、あまり宜しくない方向へと舵が切られたのをヴァトラーは直感的に感じていた。
一方歓喜したのは阿夜だ。追い詰められた末に苦肉の策で創り出した、忌々しいことこの上ない世界の異端児たる第四真祖の写し身。乾坤一擲の策が通用したのである。
「汝から奪い取った
魔導書に収められていた
「そんなのありかよ……!?」
順調に阿夜を追い詰めていたところで現れた
不利な戦況を覆す乾坤一擲の策が通ったことで上機嫌の阿夜。忌々しい第四真祖の力に縋らざるを得ないのは業腹であるが、今は手段に拘っている余裕などない。
己が走狗と化した“暁古城”を操りつつ、駄目押しの攻勢を仕掛けるべく魔法文字を虚空に描こうとする阿夜。既に阿夜は如何にして古城少年たちを葬るか、それしか考えていなかった。
故に──操り人形であるはずの“暁古城”が、真紅の双眸で阿夜の手にする魔導書を凝視していたことに気付かなかった。
異変を感じ取ったのは敵対する古城少年たちだ。対峙する“暁古城”が、その手を創造主たる阿夜へと向けたのである。
瞬間、第四真祖の眷獣すらも掻き消した漆黒の魔力嵐が阿夜を襲った。
「────ッ!?」
「お母様!?」
悲鳴すら上げる暇もない尋常ならざる暴風によって阿夜が吹き飛ばされ、優麻が思わず心配の声を上げた。脱獄の道具としてしか見られていなかったとしても、優麻にとっては唯一の家族である。心配してしまうのも仕方ないだろう。
吹き飛んだ阿夜は受け身も取れないままに屋上を転がり、やがて勢いを失って力なくコンクリートに身を投げ出した。ちょうどヴァトラーが観戦していたあたりだ。
予想だにしない一撃をもろに浴びた肢体はズタボロ、引き裂かれた十二単のあちこちから夥しい量の血を流している。意識も完全に喪失してしまっているようで、指先一つすら動かす気配がなかった。
優麻は反射的に阿夜の元へと駆け寄りたかったが、側にいた雪菜がその肩を掴んで制止した。
「ダメです、優麻さん。今動くのは、あまりにも危険過ぎます……!」
優麻を止めた雪菜が見据えているのは、創造主たる阿夜に叛逆した“暁古城”らしき何者かだ。
“暁古城”は阿夜から奪い取った魔導書を矯めつ眇めつ、何かを読み取るように手を翳す。すると魔導書から淡い金色の粒子が立ち上り、吸収されるように手の中へと吸い込まれていった。
やがて満足したのか“暁古城”は魔導書を閉じると、三日月の如く唇を吊り上げて笑う。常の古城を知る雪菜たちからすれば、違和感しかない悍ましい笑い方だ。
「──あぁ、やはり汝の
至高の美酒を味わったかのように表情を恍惚に歪め、“暁古城”は対峙する古城少年たちを見やる。不気味なほどに爛々と輝く真紅の双眸には、面白い玩具を前にした悪魔のように嗜虐的な光が宿っていた。
「記憶を失った半端者と、“まがいもの”の伴侶候補か。些か物足りないが、まあいい」
不気味な笑みと共に“暁古城”が一歩踏み出す。普段の穏やかで紳士的な雰囲気とは違う、心胆を凍えさせるような眼差しと滲み出る威圧感に古城少年たちは思わず後退りした。
「──ッ、あなたは何者ですか!?」
微かな怯えを振り払い、槍を構えて雪菜が問い質す。姿形は雪菜のよく知る暁古城であるが、中身が決定的に違う。では、目の前にいる少年はいったい何者なのか。
雪菜の誰何に“暁古城”の姿をした何かは口端を傲岸に吊り上げた。
「我は世界最強の吸血鬼。不死にして不滅。一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する者……だが、これでは判別し難いか」
ふむ、と妙に人間臭い仕草で頷き、吸血鬼は思案するように顎に手を当てる。僅かな時間を経て、吸血鬼は言葉を続けた。
「──“
──災厄の怪物が、現世に再び舞い戻った。
原初「来ちゃった♡」