ルビコンから帰ってきました。
それはそれとして難産……。
──ヴェルディアナ・カルアナ。
暁古城が第四真祖の力を受け継ぐに至った過去編において登場した女性吸血鬼だ。
皆殺しにされた家族と奪われた領地と領民を取り返すため、“焔光の宴”を利用しようとして奔走した貴族のお嬢様。その最後は家族の仇によって負わされた致命傷により倒れ、一命は取り留めるも“焔光の宴”の影響で出自に関する記憶の大半を失い、ただのヴェルディアナとして生きることになるというものだった。
領地と領民を守るという責務から、家族の仇を討つという復讐からも解放され、ある意味では救われた終わりだったのだろう。その後の詳しい描写はなかったものの、恐らくは一登録魔族として絃神島で生きることになったはずだ──はず、だった。
第四真祖の力と名を受け継いだ“まがいもの”は、己の計画が失敗に終わったことに肩を落としながら、自分の存在が原作に悪影響を及ぼしていないか調べ始めた。“
誰も彼もが“焔光の宴”の影響で記憶を喪失していたため確認作業は難航したものの、状況証拠や原作知識との照らし合わせから大した原作乖離はないと判明した。原作通り、“まがいもの”は普通を願う少女を救えないまま、少女を犠牲にして生き延びることになったのだ。
無力感に打ちひしがれながら、古城は最後にヴェルディアナの安否を確認しようと思い立った。
原作通りならば、激しい消耗によって肉体を保つことができなくなったところを矢瀬によって救われていたはずである。故に矢瀬本人に鎌掛けすれば安否の確認だけは容易いだろうと考えていた。
取り止めのない会話からさり気なく探って、無事であることを確認するだけの簡単な話だった。それも矢瀬が想像していたのとは違う、痛みを堪えるような反応を返したことで狂った。
何かがおかしい、と古城は気付いた。精神年齢だけは高い古城は違和感を察し、すぐさまにヴェルディアナの行方を追い始めた。
ヴェルディアナがバイトをしていた魔族喫茶、一年近く拠点としていたクルーザー、一時的にヴェルディアナに便宜を計っていた那月のもと。思い付く限りの場所を訪ねて回り、最終的には浅葱に頭を下げて協力を願った。
人工島管理公社にてプログラマーとしてアルバイトしている浅葱ならば、魔族登録証からヴェルディアナの安否を、行方を追うことも可能である。
渋る浅葱に縋るような思いで協力を取り付け、調査してもらった結果は──四月某日に死亡という衝撃的な事実だった。
ヴェルディアナ・カルアナが死亡していた。それも古城が第四真祖を受け継いだその日に。“まがいもの”が関与しているのはまず間違いなかった。何故ならば、本来の筋書きでは死亡せず生き延びていたからだ。
その後のことはよく憶えていない。浅葱やクラスメイトに声を掛けられたような気もしたが、取り繕う余裕もなかった。ふらふらと夢遊病患者のようにあてもなく彷徨い、辿り着いたのは海辺の公園だった。
何処までも広がる太平洋を一望できる公園で、古城の瞳は昏い海の底にて眠る廃墟と化した街をぼんやりと見つめていた。
つい十日ほど前に第四真祖を復活させる儀式によって水底へと沈むことになった街。第四真祖という大仰な肩書きを有しながら、何処にでもいるような吸血鬼の少女が自らを犠牲にした悲劇の街だ。
「…………」
何一つして変えられなかった、それどころか徒に犠牲を増やしていた。本来ならば死ぬことはなかった、生き延びるはずだった命を取り零してしまっていた。
原作知識を持ちながら、誰よりも上手く立ち回れるはずだったくせに。より良い結果どころか、手繰り寄せたのは余計な犠牲が増えた結末だ。
“まがいもの”が関わったから、ヴェルディアナ・カルアナは命を落とした。どのような末路を辿ったのか、古城は憶えていない。もしかしたら、誰一人として知らないまま、歴史の闇に埋もれてしまったのかもしれない。
それはあまりにも、あまりにも報われない末路だ。
ならば、ならば、ならば──
「──ヴェルディアナを殺したのは、“
──その死を忘却しないよう、罪として刻もう。
そうして“まがいもの”はあるかどうかも知れない罪を背負い込み、二度と取り零さないと心に誓いを立てたのだ。
その日から“まがいもの”は眷獣たちとの対話に臨んだ。多くの人から信頼を、信用を得るために奔走した。
全ては“暁古城”が護りたかったものを、護るはずだったものを護れるように──今度こそ、居場所を返すために。
▼
──やっぱりお祭りに参加しない?
暗く落ち込んだ話の流れを変えるために提案したのは浅葱である。僅かな逡巡を挟みながら雪菜も賛同したことで、古城たちは祭りで賑わう街へと繰り出すことになった。
話の続きはいいのかと古城は思ったものの、今は二人の気遣いに甘えることにした。罪として忘れず背負うと決めたものの、本当の意味でヴェルディアナの死と向き合う覚悟ができていなかったのだ。
先日の優麻とのやり取りもある。今の古城は、雪菜と浅葱が心配するほどに心が弱っていた。
「毎年のことだけど、やっぱり三日目はパッとしないのよね〜」
「そうなんですか? 十分、賑わっているように見えますけど……」
「昨日までと比べたら来場者数は半分近いわよ。残るイベントも締めのナイトパレードだけで、花火が上がるわけでもないから見物客も少ないのよね。ま、こうやって回る分には空いてるほうが楽なんだけど」
波朧院フェスタ初参加の雪菜に浅葱が色々と案内をしている。なんだかんだと世話焼きの姉御気質な浅葱は、恋敵であろう相手であっても邪険にせず世話を焼いてしまう。そこが浅葱の魅力的な一面であり、損な面でもあるのだが。
あそこの林檎飴が絶品なのよ、と雪菜を引き連れて駆けていく浅葱。仲睦まじげな先輩と後輩のやり取りをぼんやりと眺めていると、出店の前で浅葱と雪菜が古城を呼ぶように手を振る。
「どうした、財布でも忘れたのか?」
「違うっての。古城も食べない? 折角だから奢って上げてもいいけど?」
「浅葱が、食べ物を奢る……だと?」
「あんたがあたしをどう思ってるかはよーく分かったわ……!」
ぴくりとこめかみをひくつかせる浅葱に、古城は即座に両手を挙げて降参の意を示した。
「冗談だよ、冗談。折角だから貰おうかな」
「ふん、素直にそう言えばいいのよ」
古城の意思を確認するや浅葱は小走りで列に並ぶ。祭り全体が空いていることもあり、列もそう並んではいない。邪魔になることもないだろうと古城は店先に雪菜と肩を並べて待つ。
「祭りは楽しめそうか?」
「はい。初日と二日目は色々と忙しかったですから」
「それはな……」
何せ初日はLCOの企みを挫くために奔走し、その夜から翌朝までは監獄結界の脱獄囚たちと激闘を繰り広げた。締めには原初の第四真祖と戦争勃発だ。とてもではないが祭りを楽しむ余裕などなかった。
二日目も同様である。事件や騒動が起きたわけではないが、蓄積した疲労のために全員が漏れなくダウン。花火大会の見物だけはしたものの、祭りに繰り出す余力はなかった。
そして三日目である今日。予定外ではあるものの、古城たちは波朧院フェスタを堪能するべく会場を回っている。
「先輩」
不意に雪菜の透き通った声が耳朶を叩く。隣に視線を流せば、強い意思を秘めた真っ直ぐな瞳が古城を見上げていた。
「先輩の過去に何があったのか、何を抱えているのかは分かりません。でも、焦らなくていいんです。少しずつ、向き合っていきませんか?」
「姫柊……」
「わたしたちも微力ですけどお手伝いします。辛い時は側で支えますし、弱音を吐きたい時は聞きます。覚悟が足りないのなら……その、またわたしの覚悟を受け取ってくださってもいいですし」
「姫柊ぃ……」
とても心に染み入る言葉だったのに、最後の最後で吸血の話を持ち出されると古城は反応に困る。もう感情がジェットコースター状態であった。
「冗談です」
くすっと揶揄い混じりの微笑みを零す雪菜。耳先が微妙に赤く染まっているあたり、果たしてどこまで冗談だったのだろうか。間違いなく墓穴を掘ることになるので突っ込みはしないが。
年下の女の子に揶揄い混じりに励まされ情けなさから肩を落としていると、左右合わせて二本ずつ林檎飴を持った浅葱が戻ってきた。
「はいこれ、一本ずつ」
「悪いな」
「ありがとうございます」
浅葱から林檎飴を受け取り、早速雪菜は一口口に含む。甘いシロップのコーティングと中に閉じ込められた果汁の絶妙な組み合わせに、雪菜は年相応の笑みを咲かせた。
「美味しいです」
「ふふん、ここは毎年長蛇の列ができるくらいには人気の出店だもの。初日と二日目なんて、朝から並んでないと買えないんだから」
両手に大玉の林檎飴を装備して得意げに胸を張る浅葱。健啖家で男顔負けの大食いな浅葱は、絃神島のグルメにも精通しているのだ。
「確かに美味しいな」
絃神島に来て早三年。しかして絃神島の全てを知り尽くしているかといえばそうではなく、生粋の“魔族特区”育ちの浅葱や矢瀬には敵わない面も多々ある。グルメ関連もその一つだ。
林檎飴に舌鼓を打っていると左右から視線を感じる。顔を上げれば少し安心したような表情をした雪菜と浅葱の二人と目が合った。
「少しは元気出たんじゃない?」
「……そうだな」
浅葱が急に祭りへの参加を提案した理由は察していた。大人古城からの伝言によって著しく気落ちしていた古城を元気付けようとしていたのだ。
「昨日の今日で色々大変だったんだし、一日くらい遊んだっていいのよ。ただでさえ、古城はあれこれと抱え込んでるんだから」
申し訳なさそうな顔をする古城を、気にするなとばかりに浅葱は肘で小突いた。
浅葱はヴェルディアナ・カルアナの死を知った時の古城の憔悴ぶりを知っている。真っ青な顔色で今にも自殺しかねない様子の想い人の姿を見たことがあった。今の古城はその時とほぼ変わらない。
目を離してしまえばふっと消えてしまいかねない危うさを孕んでいる。誰かがその手を掴んでいなければ、目の前の少年は霞のように消えてしまう。そんな気がしてならないのだ。
だから、多少強引にでも気分転換を提案したのだ。純粋に古城と祭りを回りたかったという気持ちも無きにしも非ずだが。
「少しは、気が楽になったよ」
お世辞でも誤魔化しでもなく、心からの発言だ。浅葱の提案と雪菜の言葉は、確実に古城の心に届いている。
心なしか顔色が良くなった古城。精神年齢的に年下の少女たちにいつまでも心配を強いるわけにはいかないと意識を切り替え、引き続き祭りを散策しようと顔を上げて──視界の端を逆巻く炎のような金髪が過ぎ去った。
「────」
気のせいだと片付けるのは容易かった。だがそれができない。反射的に古城は金髪の行方を目で追ってしまう。
「先輩?」
「古城?」
唐突に纏う空気が豹変した古城に、雪菜と浅葱が首を傾げる。二人は古城と向き合っていたがために、古城の様子が急変した理由が分からないのだ。
「あり得ない……!」
「先輩、まっ……!?」
「ちょっと古城! 何処に行くのよ!?」
手にしていた林檎飴を雪菜に押し付け、古城は人混みの中へと飛び込む。祭りを巡る観光客にぶつかりながら、人の流れを掻き分けて金髪の行方を追う。
見間違いであってほしい。追い詰められた精神が見せた幻影であってくれたなら、それでいい。一縷の望みを賭けて追いかけて、古城は金髪の人影の背中を捉えた。
「待て、おまえは──!」
声を荒げて古城が呼び掛けると、金髪の人影が徐に振り返る。焔光の如き碧い瞳が古城の姿を映した。
妖精めいた美貌の年若い少女。口元から僅かに覗く牙が、少女が吸血鬼であることを示している。そして何より身に纏う浮世離れした雰囲気が、祭りの中にあって少女の存在を殊更に浮き彫りにしていた。
「アヴローラ、じゃない。まさか……!」
あり得ない可能性に焦りを募らす古城。金髪の少女は取り乱す古城を愉しげに眺め、何事もなかったかのように再び歩き出す。
「──っ、行かせるか!」
慌てて駆け出すが人混みに遮られて上手く進めない。そうこうしているうちに少女の背中は人の流れに呑まれて消えてしまった。
少女に追いつくこと叶わず、古城はその場に呆然と立ち尽くす。ややあって雪菜と浅葱が古城の元へと駆け付けた。
「どうしたんですか、先輩。急に走り出して」
「知り合いでもいたっての?」
「……いや、何でもない」
力なく首を横に振り古城は雪菜と浅葱に向き直る。持ち直していたはずの顔色が、まるで幽霊でも見たのかのように真っ白になっていた。
「何でもないって、そんな顔で信じられるわけないでしょ」
「多分、他人の空似だ。あいつが、此処にいるはずがない……」
少しばかり落ち着いて考えれば、アヴローラが此処にいることなどあり得ない。彼女は“まがいもの”が第四真祖に至った日に、還らぬ人となっているのだから。
故に可能性としては一つだけ。原作知識から推測できるが、それはそれでおかしい。何せ彼女の来訪は一ヶ月近く先のことだからだ。
今この場に居合わせることはあり得ない。先の少女は常夏の島が見せた陽炎、あるいは未だ不安定な絃神島の空間が呼び込んだ何処かの誰か。そう考えた方がまだ精神衛生上は健全である。
だが、脳裏を過ぎる少女の妖しげな笑みが現実逃避を否定する。あれは幻ではなく紛うことなき本物であり、“魔族特区”に新たな騒動の種が持ち込まれたのだと訴えていた。
先の少女の正体が古城の知る彼女であるのならば、恐るべき事態が起きていることを意味する。それは原作乖離だ。
今まで原作知識を頼りに筋書きを変えてきた癖に今更ではある。だが今回は事情が違う。記憶に欠落がなければ、あの少女が来訪するタイミングを早めるような行動をした覚えがないのだ。
何かがおかしい。致命的に何処かで歯車が狂い始めている。
“まがいもの”の存在がバタフライ・エフェクトを引き起こした可能性は十二分にある。だが、果たしてそうなのだろうか。
何かもっと、別のタイミングで乖離を引き起こす行動をしたのではないか。具体的には半年前の宴。彼女は宴を見届けるべくこの島に訪れていたはずだ。
そこで古城が、“まがいもの”が何らかの
だが、
「俺はいったい、何をしたんだ……?」
焦燥と困惑混じりの古城の呟きは、祭りの喧騒に呑まれて消えた。