“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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愚者の暴君 Ⅶ

 それは暁凪沙がゴゾの遺跡から絃神島のMAR医療施設に搬送されてから数日、生死の境を彷徨って意識を取り戻した夜のことだった。

 

 声を押し殺して啜り泣く少女の声が病室に響いていた。

 

 泣いているのは暁凪沙。ベッドの上で横になり、毛布を頭から被って身体を丸めている。毛布の下ではポロポロと零れ落ちる涙がシーツに小さな染みを作っていた。

 

 天真爛漫で明朗快活。滅多に泣くことのない凪沙が嗚咽を零している訳。それは──

 

「──たすけ、られなかった」

 

 大切な家族の一人、たった一人の兄を救えなかった。

 

 凪沙の脳裏に甦るのは惨劇の光景。

 

 雪崩れ込む動死体(リビングデッド)の群れ。飛び交う凶弾の中で争う眷獣と神獣。血飛沫を上げて倒れていく女吸血鬼(リアナ・カルアナ)と、凪沙を庇って銃弾の嵐をその身に受ける少年(暁古城)

 

 そして──永久(とこしえ)の眠りより目覚めし十二番目の“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”。

 

 父方の祖母から受け継いだ霊媒体質と母から継いだ過適応者(ハイパーアダプター)の能力を併せ持つ、非常に稀有な混成能力者。その優れた霊能力をもってして第四真祖に働きかけ、死にゆく兄の救命を願った。

 

 世界最強の吸血鬼たる第四真祖への交信は危険極まりないもので、背負うリスクも並大抵のものではなかった。それでも、命を賭して自分を守ってくれた兄を救うためならば構わない。

 

 凪沙の願いは聞き入れられ、暁古城は死の淵から舞い戻る──はずだった。

 

「だめ、だった……!」

 

 第四真祖の──アヴローラの肋骨を移植されたことで暁古城の肉体は蘇った。しかし魂までは救えなかった。真祖が蓄える悠久の“血の記憶”を受け入れ切れず、暁古城の魂は呑み込まれてしまったのだ。

 

 魂を失った肉体には代わりとばかりに前世の魂が入り込む。自らを“まがいもの”と卑下する男の魂が。

 

「古城君……!」

 

 大切な兄を救うことは叶わず、二度と取り戻すこともできない。己の無力さに凪沙は溢れる涙を止めることができなかった。

 

 溢れる感情が尽きるまで嗚咽を零して、疲れ果てるまで凪沙は泣き尽くす。涙が枯れる頃には多少なりと冷静に置かれた状況を考えることができるようになった。

 

 意識を取り戻してすぐに深森と牙城が見舞いに訪れた。二人とも凪沙の無事を心から喜んでおり、抱きしめられ撫でられと嬉し恥ずかしい思いをすることになった。

 

 その二人と入れ替わりに見舞いに現れたのが暁古城──ではなく、暁古城を演じる誰か。救えなかった兄の代わりを務めようと優しい笑顔で凪沙の回復を喜ぶ“まがいもの”。

 

 “まがいもの”と対面して凪沙が抱いたのは悲しみ。古城を救えなかった無力感にその場で泣き出さなかったのは奇跡だ。

 

 次いで感じたのは申し訳なさ。誰とも知れない小娘のために、他人を演じようとしてくれている“まがいもの”の優しさが心苦しかった。

 

 不快感や恐怖の類はあまりなかった。対面開口一番は少なからずあったけれど、“まがいもの”の瞳に浮かぶ罪悪感と凪沙の無事を心から喜ぶ言葉に悪感情は薄れていった。

 

 凪沙はこれから先のことを思う。

 

 この身には第四真祖の本体といっても過言ではない“原初(ルート)”の魂が取り憑いている。優れた霊能力者である凪沙だからこそ辛うじて受け止められているが、何れは破綻して“原初”に肉体を奪い取られるだろう。

 

 “原初”が顕現すれば間違いなく未曾有の被害が齎される。しかし凪沙に“原初”を抑える手立てはない。たとえ自死を選んだところで、不死不滅の第四真祖が滅びることはないのだから。

 

 凪沙には誰も救えない。ただ祈ることだけ。“原初”によって大切な家族が奪われないことを、起こり得るだろう悲劇に巻き込まれる人が少ないことを願う。

 

 毛布の中で凪沙はただ祈り続けた──

 

 

 非常灯だけが照らす薄暗い通路。凪沙の病室前で“まがいもの”は立ち尽くしている。

 

 俯き加減の表情は抜け落ちたような無。ただ血が滲むほどに握り締められた拳が、胸中で荒れ狂う感情の大きさを物語っていた。

 

 病室から洩れ聞こえていた啜り泣きが止まる。泣き疲れたのか涙が枯れでもしたのだろうか。

 

 無表情の“まがいもの”が顔を上げる。色素の薄い前髪の隙間から覗く瞳には並々ならぬ決意の光が灯っていた。

 

「──必ず救う」

 

 己自身に誓うように呟き踵を返す。病室で一人思い悩む少女に気取られないように、“まがいもの”は薄暗い通路の先へと姿を消した。

 

 

 ▼

 

 

 冬休み最後の日曜日。部活帰りの凪沙は兄と共に絃神島東地区(アイランド・イースト)の港へと向かっていた。

 

 兄からマリーナでの天体観測を誘われたのは昨日のことだ。浅葱と矢瀬が主導で企画された天体観測。この季節には珍しい流星群が観測できるとのことで、凪沙もそれ相応に楽しみにしている。

 

「ご機嫌だな」

 

「ふふ〜ん、だってみんなと夜遊びするんだよ。なんだかワクワクしちゃうよね」

 

「あんまり燥ぎすぎるなよ」

 

「分かってますよーだ」

 

 調子良く返して凪沙はにこにこと笑う。釣られて兄も優しく微笑みを零した。

 

 ここ最近は比較的体調も良く、チアリーディング部にも見学主体ではあるが顔を出せるようになっていた。決して病状が快復したわけではないが急な入院もここ最近はない。

 

 楽しかった。学園でクラスメイトとお喋りして、兄の友人(浅葱や矢瀬)と放課後に遊んで──こうして、兄と一緒に出掛ける。

 

 幸せだった。何れ破綻してしまうことは分かっていても。当たり前の日常を当たり前に享受できることが幸福だった。

 

 それも全部、隣を歩く兄が暁古城であろうとしてくれたから。寂しい思いをしないよう、病気がちな凪沙を一番近くで支え続けてくれたから。

 

 誰よりも優しい兄。三年近くもの間、兄は暁古城を演じ続けてくれている。何処の誰とも知れない娘のためにそこまで尽くしてくれる、そんな兄に凪沙は心を許していた。

 

 だから今日も天体観測の誘いに乗ったのだ。

 

 浮かれ気分で兄の隣を歩く凪沙。その隣に並ぶ兄の歩みが不意に止まる。

 

「古城君? どうかした?」

 

 急に立ち止まった兄を振り返る。足を止めた兄は何処か気不味そうな、後ろめたそうな表情を浮かべていた。

 

「実は凪沙に会ってほしい子がいるんだ」

 

「会ってほしい子……?」

 

 兄の言葉に凪沙は漠然とした不安を抱く。日頃から罪悪感や自己嫌悪に塗れていて分かりにくいが、今の兄からは一際強い凪沙への後ろ暗い感情が滲んでいた。

 

 ふと凪沙は己の身体の奥底に眠るものが騒つく感覚を覚えた。謎の感覚に従って視線を流すと、いつの間にか兄の隣に少女が立っている。

 

 極光のように揺らめく金髪と焔光の瞳を携えた妖精の如き少女──

 

「アヴローラっていうんだ。凪沙は覚えてないかもしれないけど、三年前に一度会ってるんだ」

 

 兄が少女──アヴローラを紹介しているが、凪沙にはそれに耳を傾ける余裕などなかった。

 

 かたかたと身体が震え始める。目の前の少女が吸血鬼──魔族であると直感的に悟り、心身に刻まれたトラウマが甦っているのだ。

 

 それだけではない。アヴローラと相対した瞬間から己の内側で何かが荒れ狂っている。今にも溢れ出る何かに身体を乗っ取られてしまいそうな感覚だった。

 

「いや、来ないで……!」

 

 人懐こい凪沙にしては珍しい明確な拒絶。それ以上近付かれてしまえば抑えきれない気がして、一歩二歩と後退る。

 

 凪沙の態度にショックを受けたのかアヴローラがあからさまに表情を曇らせる。その表情に申し訳ない気持ちを刺激されるが、それでもダメだ。魔族であること以上に、アヴローラとの接触は全てが崩壊しかねない危険性を孕んでいた。

 

「あたし、帰る」

 

 アヴローラから逃げなければ、離れなければならない。だがその前に、疑問があった。

 

 凪沙とアヴローラの因果関係を知っているのか知らないのかは不明だが、兄は凪沙が魔族恐怖症に陥っていることを知っているはずだ。その上で、何故アヴローラと引き合わせようとしたのか。

 

 今日までずっと凪沙を第一に考えてきてくれた兄が何を思ってこんなことをしたのか。気になって兄の顔を窺い、凪沙は言葉を失った。

 

 兄は凪沙を見ていなかった。ただじっと隣で肩を落とすアヴローラを具に観察している。一瞬でも見落としがないように、何かを探すように。

 

 何を考えているのか分からない。凪沙は初めて兄に対して言い知れない恐怖を覚え、弾かれるようにその場から逃げ出した。

 

 背を向けて逃げ出してしまった凪沙は気付かない。遠ざかる凪沙の背を見つめるアヴローラの瞳が、晴れ渡った夏空のように澄んだ色を湛えていたことを。

 

 その瞳を見据え、兄が口端を上げていたことを。

 

「──みつけた」

 

 凪沙は何一つ気付かなかった。

 

 

 ▼

 

 

 “りあな号”の船室にてヴェルディアナは備え付けのテーブルに突っ伏して小さく呻いていた。

 

 絃神島での生活もはや二ヶ月を過ぎた。故郷から遠く離れた土地での生活、アルバイトをして生活費を稼ぎ、船に戻ってアヴローラの面倒を“まがいもの”と共に見る。

 

 目紛しく忙しい日々だ。故郷とは何もかも違う人工島での生活に苦戦し、アルバイトでは慣れない接客に疲弊し、アヴローラの今日は何があったのどうだの話に耳を傾ける。

 

 世の平民はかくも大変な日々を当たり前に生き抜いているのかと思うと、ちょっと尊敬の念が湧いてくるヴェルディアナであった。

 

 だが、そんな日々に慣れつつあるのも事実だ。住めば都とまではいかないが勝手を理解すれば人工島生活も悪くなく、接客も上手くできれば達成感があり、目を輝かせて語るアヴローラの話は退屈ではない。

 

 絃神島での日々に馴染みつつあった。それこそ、胸に抱いた使命を時折忘れてしまいそうになるくらい──

 

 あり得ない思考にヴェルディアナは首を振り、すっと目線を寝台へと向ける。

 

 つい先程まで“まがいもの”のクラスメイトと共に天体観察に勤しんでいたアヴローラは、流れ星を思う存分楽しんだ話をヴェルディアナに語り尽くし、そのまま眠気に襲われて寝てしまった。

 

 今はぐっすりと無防備に眠りこけている。とてもではないが“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”の一人とは思えない姿だ。

 

 むにゃむにゃ寝言を零すアヴローラに苦笑して、ヴェルディアナは再びテーブルに突っ伏す。

 

「お疲れだな」

 

 コトンと湯気の立つカップが目の前に置かれる。目線を上げれば気遣うような優しい眼差しで“まがいもの”が見下ろしていた。

 

「古城。まだ帰ってなかったの?」

 

「まあな。今日はちょっと帰りづらくて……」

 

「なにそれ、暁凪沙と喧嘩でもしたの?」

 

 深森と牙城は殆ど家に帰っていないと聞いている。ならば帰りづらい原因は妹である暁凪沙との間に何かあったと考えるのが自然だ。

 

「喧嘩……喧嘩より、酷いことしたかもなぁ……」

 

 歯切れ悪く答えて“まがいもの”はヴェルディアナの対面に腰を下ろす。はぁ、と小さく溜め息を吐く姿には何処となく哀愁が漂っていた。

 

 “まがいもの”の珍しい態度に首を傾げつつカップに口を付けて、ヴェルディアナは微かに眉根を寄せる。

 

「ティーバッグね……」

 

「流石に高級茶葉は用意できなくてなぁ……」

 

「カルアナの娘たる私が、こんな……」

 

 しみじみとした呟きにヴェルディアナは侘しさのあまり涙がちょちょ切れる。

 

 かつて吸血鬼の貴族として相応の暮らしをしていたのが、今や紅茶をまともに嗜むこともできない。よもや元伯爵令嬢である己が赤貧に喘ぐことになるとは思ってもいなかった。

 

「悪いな。俺もバイトできるようになったら、こういうのにも拘れるんだけど……」

 

 申し訳なさそうに頭に手を当てる“まがいもの”。圧倒的に歳下の少年に気を遣わせてしまっている。流石に罰が悪くなり、ヴェルディアナは少しばかり知識を披露することにした。

 

「ちゃんとした作法を守れば、ティーバッグでも美味しく紅茶を淹れることはできるの。いいこと、まずカップをお湯で温めて──」

 

 まだ貴族として屋敷に暮らしていた頃に学んだ知識を思い返す。淑女の嗜みとして学んだ紅茶の淹れ方をよもや極東の島国で平民の少年にレクチャーすることになるとは想像もしなかったが、少し懐かしい気分が甦ってくる。

 

 かつての自分が今の自分を見たらどんな顔をするだろうか。相槌を打つ“まがいもの”に紅茶の淹れ方を教えながら、そんな益体もないことを考えてヴェルディアナはふっと微笑みを零した。

 

 

 ──こんな日々がずっと続けばいいのに。

 

 

 胸の内を過った想いからヴェルディアナは目を逸らした。

 

 熱心に耳を傾ける“まがいもの”に一通り紅茶の淹れ方をレクチャーして満足したヴェルディアナは、上機嫌のまま凪沙との不和について尋ねた。

 

「それで、暁凪沙と何があったの?」

 

「あぁ……アヴローラと会わせたんだ」

 

「え……」

 

 予想だにしない告白に一瞬忘我してしまう。浮かれていた心に冷水を浴びせられたような心地だった。

 

 アヴローラの記憶喪失は自身の本来の人格ごと凪沙に取り憑いてしまっているがためのもの。故に記憶を取り戻すには凪沙と接触し人格ごと記憶を取り返せばいい。

 

 ヴェルディアナはそう考え、いつか機を見計らってアヴローラと凪沙を引き合わせるつもりだった。つもりでは、あった。

 

 思っていたのとは違うヴェルディアナの反応に首を傾げる“まがいもの”。誰よりもアヴローラが記憶を、力を取り戻すことを願っているはずのヴェルディアナらしからぬ鈍い反応だ。

 

 向けられる訝しげな眼差しにハッとなり、ヴェルディアナは取り繕ったように話の続きを促す。

 

「そう。それで、どうだったの? 記憶は戻ったの?」

 

「いや、ダメだった。顔を合わせて早々に凪沙が怖がっちゃってな。ろくに話せず、怯えた凪沙が帰っちゃったよ」

 

「暁凪沙は魔族恐怖症だったものね」

 

 牙城から聞いた話で凪沙が極度の魔族恐怖症に陥っていることは知っていた。

 

 三年前に巻き込まれた魔族同士の抗争。一部の魔族は味方側ではあったものの、幼い凪沙にとってはどちらも恐怖の対象になってしまった。アヴローラと対面して恐怖するのも無理からぬ話だ。

 

 凪沙とアヴローラが直接接触すれば記憶が戻るかもしれない。可能性としては少なくないそれを、“まがいもの”が実行した。しかし結果は芳しくなかった。

 

 悲願成就にアヴローラの記憶の有無は大きな影響を及ぼす。凪沙との接触で記憶を取り戻すことができなかったのは由々しき事態だ。

 

 にも関わらず、心の何処かで安堵してしまっている自分がいることに、ヴェルディアナは酷く動揺した。

 

「悪い、俺が先走ったせいでこんなことに……」

 

 ヴェルディアナの動揺をショックと受け取り“まがいもの”が頭を下げる。

 

「い、いいのよ。私が同じことをしても、結果は変わらなかったはずだもの」

 

 むしろ吸血鬼であるヴェルディアナが近付こうものならば、余計に事態がややこしくなる。唯一の兄である“まがいもの”でダメだったのならば、誰がやっても同じだっただろう。

 

「でも、そうなるとどうすればアヴローラは記憶を取り戻せるのかしらね……」

 

 凪沙と顔を合わせるだけでは戻らなかった。ならば他に考えられる可能性は一つ──吸血行為による人格の奪還。

 

 吸血鬼は他者から血を媒介に魔力や霊力、時に記憶や知識すらも得ることができる。元はアヴローラの人格であるのならば、吸血行為によって取り戻すことも不可能ではないはずだ。

 

 だがそれは無理な相談だ。何せ凪沙は極度の魔族恐怖症。対面するだけでも怯えて逃げてしまう凪沙に吸血行為を働くのは不可能。嫌がる凪沙を相手に吸血行為をアヴローラに強いることがそもそも現実的ではない。

 

 他に手段はないのか思案して、ふとヴェルディアナは“まがいもの”と目が合う。何処か心あらずといった様子で“まがいもの”はぼうっとヴェルディアナを見つめていた。

 

「どうかしたの、古城?」

 

「……いや、なんでもない」

 

 小さく首を横に振る“まがいもの”。妙な態度を不思議に思いつつも、ヴェルディアナはアヴローラの記憶を取り戻す方策を思案するのだった。

 

 

 

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