“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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愚者の暴君 Ⅸ

 穏やかな寝息が二つ、船室に響いている。寝台にて身を寄せ合うように眠るアヴローラとヴェルディアナのものだ。

 

 永い時を氷の柩の中で眠り続けたせいか、アヴローラは時折一人で眠ることに怯えていた。そんな時は“まがいもの”が傍らで眠るまで手を握るか、今回のようにヴェルディアナが添い寝することで不安を解消していた。

 

 今夜はヴェルディアナとの添い寝が希望だったらしい。アルバイトで疲れたヴェルディアナを引き摺り込んで、十分と経たずに二人揃って夢の世界へと旅立ってしまった。

 

 姉妹のように、あるいは親娘のように仲睦まじく眠るアヴローラとヴェルディアナ。そんな二人を優しく見下ろし、“まがいもの”はずれかけた毛布を掛け直す。そして二人が起きてしまわないように明かりを消し、忍足で外へと出た。

 

 船室の外に出ると冷たい潮風に出迎えられる。微かに目を細めて仰いだ夜空には小望月が浮かんでいた。満月まで後少し──

 

「──よう、兄弟。ちょっと付き合えよ」

 

 不意に響いた声に目を向ければ、船首の手摺りに凭れ掛かる牙城の姿があった。その手には瓶のビールと用意周到に空のグラスが二つ。考えるまでもなく牙城の思惑が透けて見える。

 

「だから、俺はまだ中学生なんだよ」

 

「中身は成人してんだろ? なら、問題ないな! それに、酒があった方が話しやすいこともあるだろ」

 

 無茶苦茶な理屈に苦笑を零しつつ、“まがいもの”は差し出されたグラスを手に取った。以前ならば断っていただろうが、今日はどうしてか突っ撥ねる気になれなかったのだ。

 

 船室内の二人を起こさないよう桟橋の先へと移動し、牙城が景気良く瓶の蓋を開けてグラスにビールを注ぐ。二つのグラスの中で透明度の高い琥珀色の液体が揺れた,

 

「よし、まずは駆け付け一杯!」

 

 牙城が突き出すようにグラスを差し出す。“まがいもの”は音を響かせないように気を払いながら、静かに自分のグラスをぶつけた。

 

 ぐいっと二人揃ってグラスを傾ける。牙城は言うまでもなく、遠慮していた割に“まがいもの”も中々の飲みっぷりだ。最初の一杯をあっという間に飲み干し、ふうと吐息を零した。

 

「これ、高いんじゃないか?」

 

 フルーティな香りと心地よい喉越し。前世でよく手に取っていた安酒とは比べ物にならないほどの味わい深さ。まず間違いなく、庶民が気軽に口にできるような代物ではなかった。

 

「お、分かる口か。アウストラシア修道院で造られた上面発酵ビールでな、生産量が少なくて市場にも中々出回らない幻のビールだ。美味いだろ?」

 

「美味いけど、知らないぞ。後で深森さんから怒られても」

 

 高価なビールを好き勝手に飲み、中身が違うとはいえ息子に未成年飲酒を勧める。ちゃらんぽらんに見えて牙城に対しては割と辛辣な深森が知ったら間違いなく怒ることだろう。

 

「そう固いこと言いなさんな。兄弟が黙っていてくれれば、何も問題ないだろ?」

 

 悪戯小僧のように笑いながら二杯目を注ぐ牙城に“まがいもの”は呆れを隠せない。とはいえ飲んでしまった以上、“まがいもの”も深森に告げ口をするつもりはなかった。

 

 “まがいもの”が二杯目をちびちびと飲み進める傍ら、グラスから口を離した牙城が満足そうに息を吐いた。

 

「──アルディギアと話を付けた。時間は掛かったが、何とか槍を借りることができたぞ」

 

 牙城が懐から銀色の細長い槍を取り出す。表面に緻密な術式紋様が刻まれたそれは、ヴェルディアナが保有する真祖殺しの聖槍と瓜二つの代物だった。

 

 アルディギア王宮が保有する、世界に三本しか存在しないとまで謳われる天部の遺産が一つだ。

 

 “まがいもの”は差し出された銀の杭を丁重に受け取る。ヴェルディアナの短槍と同じ冷たい感触に目を細めた。

 

「それと、こっちもな」

 

 続け様に渡されたのは三枚の安定翼を取り付けた、金属製の薬莢が二つ。莫大な霊力を封入されたそれは、魔族である“まがいもの”が聖槍を起動させるために必要な弾薬だ。

 

 この薬莢と短槍、そして専用のクロスボウを用いることで真祖殺しの槍はその真価を発揮することができる。

 

「予備を含めて二つ。頼み込んでこれが限界だった。アルディギアにはでけぇ借りができちまったな」

 

「悪い、助かるよ……」

 

 原作では霊力の薬莢に予備はなかった。しかし“まがいもの”が牙城へと働きかけたことにより、今この場には予備を含めて二つの薬莢がある。これで真祖すらも滅ぼす聖槍を二回は起動させることができるはずだ。

 

 受け取った聖槍と薬莢を懐に仕舞う“まがいもの”の傍ら、頭上の青白い月を見上げて牙城が呟く。

 

「もうすぐ、か……」

 

「……あぁ。もうすぐ、凪沙ちゃんを第四真祖の呪縛から解放できる」

 

 聖槍と霊力の薬莢が揃い、間もなくザハリアスも儀式を完遂させるべく動き出す。あるいは、既に動いているはずだ。

 

 “まがいもの”と牙城はザハリアスの動きに便乗し、凪沙を苦しめる第四真祖の魂──“原初”を滅ぼす。手筈は整っており、余計な横槍さえ入らなければ原作知識に限りなく沿った結末を迎えることができるだろう。

 

 訪れるだろう運命の時に向けて表情を固くする“まがいもの”。その眼前に灰色の紙束らしきものが差し出される。よく見ればそれは、海外で発刊される新聞紙だった。

 

 唐突に差し出された海外の新聞紙に“まがいもの”は目を丸くするが、見出しに取り上げられた記事の内容と白黒の写真を見て息を呑んだ。

 

 見出しにはネラプシ自治区──旧カルアナ伯爵領で発生している大規模感染(アウトブレイク)の兆候について記載されていた。遠く離れた日本ではまだニュースにすらなっていないが、海外の新聞では既にその危険性について取り上げているようだ。

 

「ザハリアスが明確に動き出した。このことがヴェルディアナの耳に入るのも時間の問題だろうな。どうするつもりだ?」

 

「…………」

 

 牙城の問い掛けに“まがいもの”は苦々しげに口端を歪めた。

 

 ネラプシ自治区で巻き起こっている大規模感染の兆候。その正体は“焔光の宴”の儀式の一部だ。

 

 予め敷設されていた魔法陣によってネラプシ自治区の人々は強制的に擬似吸血鬼へと変生させられている。その目的は吸血鬼化した者たちから記憶を奪い取ることだ。

 

 人造の吸血鬼であり、今まで封印されていた第四真祖には固有堆積時間(パーソナルヒストリー)が存在しない。故に第四真祖は他者からそれを奪い取り、自らの力の源泉とする。

 

 “焔光の宴”は第四真祖を完全覚醒させるための儀式。選帝者の条件に一定規模の領地があるのは、第四真祖に捧げる生贄とするためだ。

 

 ヴェルディアナが故郷を救えない理由がこれだ。

 

 選帝者としてアヴローラを擁立し、“焔光の宴”に参加したところでヴェルディアナは故郷の民を救うことはできない。むしろ自らの手で代々仕えてくれた臣民を生贄に捧げることになっていただろう。

 

 最初から、ヴェルディアナに元カルアナ伯爵領の人々を救う手立ては存在しなかったのだ。

 

 ……一つだけ、手段がなかったわけではない。“焔光の宴”そのものを潰せば、元カルアナ伯爵領の人々が生贄に捧げられることを先延ばし、あるいは防ぐことができた。

 

 だがそれは不可能だ。宴そのものを潰そうとすれば、まず間違いなく采配者(ブックメーカー)たる獅子王機関と、参加者全員を敵に回す。世界に三人しかいない真祖たちに喧嘩を売ることにもなる以上、それは世界そのものを敵に回すのと変わりない。

 

 所詮は一個人でしかないヴェルディアナにそんなことは成し得ない。故に“まがいもの”はヴェルディアナの願いに意見することなく、否定することもなく言葉を飲み込んだ。

 

 ネラプシ自治区が犠牲になることを知っていた。知っていて、“まがいもの”は何もしなかった。何も、できなかった。

 

 ヴェルディアナにとって大切な人たちがいることを知りながら、救いたいと願う臣民がいることを知りながら、何も、しなかった。

 

 ぐしゃり、と新聞を握り締める。迫り上がる罪悪感をいつの間にか注がれていたグラスの中身と共に飲み下す。

 

「ヴェルディアナには……明日、伝える」

 

「冷静に話せるのか? 無理なら俺が引き受けるぞ」

 

 真実を黙ってヴェルディアナを利用していたのは牙城も同じだ。領土を守れなかった無能領主の娘と、蔑視され弾劾されていたヴェルディアナを救い上げた牙城の方なら、上手く宥めることも不可能ではないのかもしれない。

 

 しかし“まがいもの”はその提案にゆるゆると首を横に振った。

 

「もしヴェルディアナが激昂したら、牙城じゃ取り返しがつかない。俺なら、眷獣を嗾けられても死にはしない。ヴェルディアナの気が済むまで、殺されてくるよ」

 

 第四真祖の血の従者である“まがいもの”は下手な吸血鬼よりも頑丈であり、その再生能力は“旧き世代”をも凌駕している。胴体を真っ二つにされたとしても、時間は要するだろうが復活できるだろう。

 

「今のヴェルディアナがそんなことをすると、本気で思ってんのか?」

 

 自嘲混じりに力なく笑う“まがいもの”に、牙城が静かな声音で問うた。

 

 グラスを持つ指が強張る。牙城の問い掛けに咄嗟に返すことができず、“まがいもの”は逃げるように目を伏せる。

 

「兄弟が視たって未来のヴェルディアナと、今のヴェルディアナは同じなのか?」

 

「……いや、違う」

 

 弱々しくも“まがいもの”ははっきりと否定した。

 

 原作におけるヴェルディアナはカルアナ伯爵家の唯一の生き残りとしての使命感と怨敵たるザハリアスへの憎悪を抱えながら、絃神島での暮らしに安らぎを感じていた。

 

 領民を救わなければ、ザハリアスに報いを受けさせなければ──それなのに、絃神島での暮らしに安らぎを感じてしまう。そんな自分自身が許せなくて、ヴェルディアナは魔薬に逃げてしまったのだ。

 

 しかし現実のヴェルディアナは薬物に手を出しているような素振りもなく、日々の食費を稼ぐためにアルバイトに精を出し、たまの休みにはアヴローラの可愛らしい我儘に付き合い出掛けて過ごしている。

 

 原作のヴェルディアナはネラプシが、元カルアナ伯爵領民が“焔光の宴”の生贄に捧げられると知り、止める牙城と古城を眷獣で押し退け、嫌がるアヴローラを力尽くで引き摺ってザハリアスの復讐に利用しようとした。

 

 しかしとてもではないが、今のヴェルディアナが原作で引き起こした凶行に走るとは思えない。

 

「分からないんだ……」

 

 “まがいもの”にはヴェルディアナが何を考え、何を思っているのか分からなかった。

 

 たった一人残された元伯爵令嬢。領民を救わなければという責務と怨敵への憎悪を抱えた少女の葛藤を、“まがいもの”は理解できない。否、誰であろうと理解することなどできるはずもないだろう。

 

 それでも分からないなりに、“まがいもの”はヴェルディアナの心に寄り添い続けた。ヴェルディアナの願いが決して叶わないと知りながら、それを否定することなく折れてしまわないように走らせ続けた。

 

 なんと残酷なことだろうか。それでも、諦めさせることはできなかった。“まがいもの”もまた、不可能に近い悲願を抱えながら走り続けていたから──

 

 力なく項垂れる“まがいもの”に牙城が無言のまま瓶を差し出す。飲ませて抱えている感情を吐き出させようという魂胆が透けて見えたが、拒絶することなく酌を受けた。

 

 注がれたビールを味わうこともなく飲み干し、“まがいもの”は虚な瞳で眼前に広がる海原に視線を彷徨わせる。

 

「ヴェルディアナが何を考えてるのか、何を思ってるのか分からないんだ。ヴェルディアナがアヴローラを傷付けるようなことをするなんて思えなくて、でも、断言できるほど俺はヴェルディアナのことを理解できていなくて……」

 

 片手で顔を覆うように頭を抱えて、“まがいもの”は支離滅裂気味になりながら苦悩を吐き出す。

 

「凪沙ちゃんを救わないといけないのに、俺は何を迷ってるんだ……?」

 

 久しく口にしていなかった酒が千々に乱れた“まがいもの”の本音を引き摺り出した。

 

 自分でも理解できていないだろう感情を持て余し、“まがいもの”は力なく項垂れる。そんな酷く憔悴した様子の少年の背中に牙城が言葉を投げ掛けた。

 

「兄弟は真面目すぎなんだよ。もっと気楽に、自分のやりたいことを考えればいいんだっての」

 

「気楽にって、そんな……俺は凪沙ちゃんを救わないといけなくて……」

 

「別にいいんだよ、兄弟が無理に凪沙を救おうとしなくたってな」

 

「は?」

 

 信じられない牙城の発言に“まがいもの”は愕然と顎を落とす。今日に至るまで共に凪沙を救うために肩を並べてきた牙城が、凪沙の父親である牙城がそんなことを宣うなどとは信じられなかった。

 

「兄弟は責任感とか罪悪感から凪沙を救わねぇとって考えてるみたいだがな、極論言えば兄弟にとって凪沙は赤の他人だぜ。命を張る理由も、頭を悩ませる必要もないんだ。そういうのは親である俺と深森さんの役割だ」

 

「それ、は……」

 

「今まで散々協力してもらっておいてって話だけどな、兄弟は兄弟のやりたいことをやればいいんだよ。凪沙のことは心配すんな。俺と深森さんでどんな手を使ってでも、どんだけ時間が掛かってでも救ってみせる」

 

 いつになく真剣な表情で宣言する牙城。普段のおちゃらけた態度は鳴りを潜め、大切な娘のために命を賭すことも厭わない父親がそこにいた。

 

「兄弟は兄弟の守りたいものを守れよ。手が足りねぇなら、少しぐらいは貸してやるぜ?」

 

 にっと小僧のように笑う牙城に“まがいもの”はしばし呆気に取られる。そしてややあってから呆れたように苦笑を零した。

 

「簡単に言ってくれるなよ、まったく……」

 

 愚痴るように呟きながら、“まがいもの”は僅かに重荷を下ろしたような表情で海原を見据えた。

 

「……俺は我儘なんだ。あれもこれも捨てたくなくて、無理だと分かっていても諦めたくなくて、何もかもが中途半端だった」

 

 最初は凪沙を救うことだけを考えていた。凪沙を救うために、可能な限り原作に沿う形になるように行動していた。

 

 凪沙に巣食う“原初”の魂を封印するため、器であるアヴローラを目覚めさせるべくヴェルディアナを利用した。“原初”を引き摺り出すために、ザハリアスが儀式を遂行しようとしていることに目を瞑り続けている。

 

 “焔光の宴”における騒乱を利用するため、獅子王機関や三人の真祖たちの目を掻い潜って暗躍してきた。

 

 凪沙を救うまであと数歩。やっとの思いでここまで漕ぎ着けた。だが、揺るぎないはずだった覚悟が揺らいでいる。

 

「俺は……凪沙ちゃんを捨てるなんてできない。でも、アヴローラとヴェルディアナを諦めることも、無理だ」

 

 もう本音を押し隠すことも、偽ることもできない。強欲で傲慢な意志を曝け出して、“まがいもの”は新たな決意を固めた。

 

「だから、最期まで足掻いてみるよ」

 

「少しはいい面になったじゃねぇか」

 

「お陰様でな」

 

「で、何をするつもりだ?」

 

「ああ、それはな──」

 

 満月を目前とした青白い月が浮かぶ満天の夜空を見上げて、“まがいもの”は己の覚悟を宣言する。

 

「──“焔光の宴”を、潰す」

 

 

 穏やかな波に揺れる寝台の上。小さな船窓から降り注ぐ柔らかな月光に煌めく金髪を撫で梳きながら、吸血令嬢は愛おしげに目を細める。

 

 間も無く“焔光の宴”は終焉を迎える。穏やかで苦しいほどに優しい日常が終わってしまうことを知ってしまった。

 

 外の二人の会話が聞こえた訳ではない。別口で“宴”が終わることを知らされたのだ。

 

 手の掛かる妹のような、あるいは目を離せない娘のような吸血姫との忙しない日々も。

 

 心配になるほどお人好しな少年と過ごした、馴染み始めた人工島での新たな日常も。

 

 全て総て、呆気なく終わってしまうことを知ってしまった。

 

 故にこそ吸血令嬢は──

 

「──ありがとう、アヴローラ。古城」

 

 万感の想いを込めて感謝の言葉を告げた。その手には掌サイズの銀色のプレートが握られていた。

 

 

 ▼

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 酷く乱れた荒い呼吸音が石室内に響く。鎖に縛められた古城が苦悶に満ちた呼吸を繰り返していた。

 

 石壁に背中を預けて座り込む古城の顔色は悪い。冷たい脂汗を流し、表情は苦悶に酷く歪んでいる。

 

 過去の追憶を始めてから暫く。時が経てば経つほどに古城の苦しみようは悪化した。釣られたように浅葱と紗矢華もベッドの上で苦しげに身動ぎを繰り返すようになった。古城の過去に二人も引き摺られているのだ。

 

 思い慕う先輩たちが苦しむ様を見守ることしかできない無力さに雪菜は歯噛みしていた。

 

 手に携えた銀槍で彼ら彼女らが味わっている悪夢を斬り払えたならばどれほどよかっただろうか。残念ながら“雪霞狼”に悪夢を祓うような特殊能力は存在しないのだが。

 

 雪菜が槍を握り締める一方、那月は石室全体に施した魔法陣の制御に注力している。

 

 浅葱と紗矢華を保護するために敷設した防御術式、それとは別に古城を中心に設置された緻密な魔術式。暴走しかねない第四真祖の魔力を吸い上げて駆動するそれは、古城の記憶に巣食う怪物を炙り出す術式だった。

 

「──来るぞ」

 

 静かな那月の宣告に雪菜が構えたのと、魔法陣から吹き出した瘴気の如き魔力が形を結ぶのは同時だった。

 

 現れたの焔光の瞳と逆巻く炎の如き金髪を携えた少女。つい先日、古城たちを絶体絶命の危機に追いやった記憶の幻影。“原初”が異界の監獄に顕現した。

 

 顕現した“原初”は何処か気怠げな仕草で周囲を見回し、自らを取り巻く状況を確認して何処となく呆れたように頬を歪めた。

 

『……我を呼び起こしたのは、汝か。黄金の悪魔と契約せし、空隙の魔女よ』

 

「そうだ。この間はろくに挨拶もしてやれなかったからな」

 

『ふはっ、それで我の眠りを妨げるとは。余程、命が惜しくないと見える』

 

 くつくつと喉を鳴らすように笑う“原初”。焔光の瞳はしばし那月を睨み据えた後、壁際にて拘束される古城へと向けられた。

 

『過去の追憶か。果たしてあれに己の所業を受け止め切れるか、見ものだな』

 

「──先輩は過去に負けたりなんかしません」

 

 嘲るような“原初”の物言いを、雪菜が強い口調でピシャリと断ち切った。

 

 雪菜の発言に目を丸くする“原初”。不敬極まりない態度であるが、しかし“原初”は心底愉快そうに笑う。

 

『あれも隅に置けぬことだ。まあ、よい。少しばかり退屈凌ぎに付き合ってやろうか、魔女よ』

 

 ふっと“原初”の視線が那月へと向けられる。相対するだけで息が苦しくなるほどの重圧を放ちながら、原初の第四真祖は問う。

 

『我との問答を望んだのだろう。どれ、戯れに聞き届けてやる。気紛れに応えてやるかもしれぬぞ?』

 

 傲岸不遜、傍若無人を絵に描いたような“原初”の態度に那月は眉を顰める。しかし一々取り合うのも時間の無駄だと微かな苛立ちは流した。

 

 那月には“原初”に問い質したい事柄があった。古城の要請に応じたのは借りを返すという理由もあったが、偏に天部の時代に存在したであろう“原初”と問答する機会を得るという目論見もあったのだ。

 

 扇子を小気味よく音を立てて閉じ、那月は兼ねてより抱いていた疑問を投げかける。

 

「訊きたいことがある。貴様は何のために造られた? 真祖どもがやたらと気に掛ける“聖殲”とは、なんだ?」

 

『……ふふ、はははは──』

 

 那月の静かな問い掛けに“原初”は愉快そうに口端を歪め、悍ましいほどの魔力を解き放つ。狂気と殺意に染まった真紅の瞳が、禁忌に触れた愚かな魔女を誅するべく妖しく輝いた。

 

『“聖殲”……ああ、“聖殲”か』

 

 暴走の気配を見て取った那月と雪菜が身構える最中、“原初”はけらけらと嗤い声を上げる。その背中から莫大な魔力を押し固めた漆黒の翼が前触れなく突き出した。

 

『汝の問いの答えを、我は持っている。だが、訊く相手を間違えたな。それは自殺行為だぞ』

 

 吹き荒れる嵐の如き漆黒の魔力が石室の壁を、天井を、床を抉り飛ばす。漆黒の翼一つ一つが、第四真祖の眷獣に匹敵するほどの魔力と破壊を秘めていた。

 

 自らの意思で暴れている、というよりは自動的に周囲一体を破壊せんとしているような“原初”。何処かチグハグな言動に、那月は己の失策を悟る。

 

「ちっ、“論理爆弾(ロジックボム)”か。“聖殲”について探りを入れた者を滅ぼすように設計(プログラム)されていたな」

 

 人造の真祖たる第四真祖。天部と三人の真祖が造り上げたとされる彼女は、今を生きる人間が知らぬ様々な歴史や機密を保持している。その記憶を他者に探られぬよう、“原初”には予め特定の“(ワード)”を鍵にして自動迎撃システムが施されていたのだ。

 

 それが──“聖殲”。

 

 自ら操るまでもなく自動的に外敵を滅ばさんと暴れ狂う漆黒の翼を横目に、“原初”は悠々と那月を見下ろす。

 

『我に問うなどと回りくどいことなどせず、その魔導書を利用してあれの記憶を直に盗み見ればこうはならなかっただろうに。まあ、その時は我が手ずから誅してくれたがな』

 

「随分とひん曲がった性根をしているな」

 

 押し寄せる漆黒の斬撃を鎖で抑え込みながら、那月は悠然と構える“原初”を睨み据えた。

 

 当初の目的である“原初”との問答は失敗した。これ以上、“原初”の相手をする必要はない。暴走の被害が生徒たちに及ぶ前に片付けてしまうが吉だろう。

 

「出番だ、転校生。やれ」

 

「はい」

 

 顎で使われるような状況にやや不満を持ちながらも、眩い銀槍を閃かせて雪菜が前に出る。所詮は記憶の幻影に過ぎない“原初”。雪菜が“雪霞狼”で一突きしてしまえば容易く幕引きになるはずだった。

 

 だが一歩前に出た雪菜を見て、不意に“原初”の表情が一変した。

 

『──あぁ、そういえば。汝はあれから記憶の一端を明かされたのだったな』

 

 ここまで悠々と構えていた、組み込まれた自動迎撃システムに身を任せていた“原初”が明確な殺意を発露する。キーストーンゲートでの決戦時に古城へと向けたのと同等の憎悪が雪菜へと注ぎ込まれた。

 

 思わず身構えた雪菜に、“原初”は忌々しげに吐き捨てる。

 

『度し難いことだ。あれの記憶は総て我のもの。想い出の一片も、知識の一欠片たりと誰にも譲りはしない。故に──我が手ずから殺し尽くしてやろう』

 

「────ッ!?」

 

 叩き付けられる殺意と憎悪の波動に雪菜は反射的に槍を振るう。直後、怒涛の如く押し寄せた漆黒の翼が聖槍の輝きによって斬り裂かれた。

 

 間一髪で難を逃れた雪菜であるが、“原初”の猛攻は終わらない。宿主たる古城から際限なく魔力を吸い上げ、拘束など知らぬと銀鎖を破壊し、暴虐の限りを尽くす。

 

 那月の箱庭たる監獄結界内部であり、少なくない弱体化を受けながらも留まるところを知らない破壊の権化。当初の予定では雪菜の“雪霞狼”で無力化する手筈であったが、想定以上の暴れぶりに“原初”を滅することができないでいる。

 

 その凄まじい暴れぶりに那月は呆れたように嘆息を零す。

 

「暁の周りには面倒な女しかいないのか?」

 

 やれやれとばかりに扇子を構える那月。その隣に並び立った雪菜は、自分も面倒な女扱いされていることを察して若干不機嫌になりつつも“原初”と対峙するのだった。

 

 

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