“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

88 / 99
愚者の暴君 ⅩⅢ

 

 それはなんて事のない日常の一幕。ベルディアナのアルバイト先での光景だった。

 

「ちょっと古城、どうしてまた職場にアヴローラを連れてくるのよ? は、恥ずかしいのよ、私は……!」

 

 黒ずくめのゴス風メイド服姿でヴェルディアナはじとりと少年を睨む。睨まれた少年は申し訳なさそうに目を逸らした。

 

「いやだって、アヴローラがヴェルディアナの働いてるとこ見たいって聞かなくてさ」

 

「前に一回、浅葱たちも引き連れて来たじゃないの」

 

 アルバイトに慣れ、ホールでの業務が始まったあたりで少年は友人を伴ってこの喫茶店に訪れた。その時はこの魔族喫茶──俗に言うコスプレ喫茶──の異様な雰囲気にアヴローラが終始ビクビクしたり、今まで触れてこなかったジュースやスイーツの甘味に目を輝かせていた。

 

「まあそれは口実で、ヴェルディアナの側に居たいんだと思うぞ……パンケーキ目当ての可能性も否定できないけど」

 

 ぼそっと付け足された言葉にヴェルディアナは呆れ混じりの吐息を零し、少年の向かいに座る幼い少女に目を向けた。

 

 少女は目の前のパンケーキを若干覚束ないフォークとナイフ捌きで頬張り、至福と言わんばかりに表情を緩めている。ヴェルディアナの羞恥などまるで知ったことではないという様子だ。

 

 少女は更にパンケーキを食べ進めようとして、ふと自分に向けられる視線に気づく。ヴェルディアナと少年から向けられる生温かい眼差しに、少女はやや気恥ずかしそうにはにかんだ。

 

「し、至福の時。ヴェルディアナが仕立てし『禁断の聖骸布』は至高の美味なり!」

 

「私が作ってるわけじゃないけど……もう、誰も取ったりしないから落ち着いて食べるの」

 

「うい……?」

 

 頬に付いた生クリームを甲斐甲斐しくナプキンで拭い取る。側から見るとそれは歳の離れた姉妹、あるいは母娘のやり取りだった。

 

「すっかり世話焼きが板に付いたな」

 

「うるさいの。そういう古城だって、休日に家族サービスするお父さんみたいなの」

 

「……せめて、お兄ちゃんにしてくれないか?」

 

 そんなに老けて見えるのか? と一人ショックを受ける少年。一方発言者のヴェルディアナはヴェルディアナで、胸中で激しく動揺していた。

 

 何せ少年をお父さん扱いするということは、必然的に自分が母親の立ち位置に当て嵌まってしまう。それはつまり、少年と夫婦ということで──

 

 ぶんぶん頭を振ってヴェルディアナは邪念を振り払い、努めて澄まし顔を浮かべた。突然の奇行に少年と少女が目を丸くしているが気にしない。

 

「ともかく、ゆっくりしていくといいの。あと、アヴローラは食べ過ぎ注意ね。晩御飯が食べられなくなっちゃうから」

 

「うむ! ヴェルディアナとの晩餐を楽しみにしている!」

 

 眩しいくらいの笑顔に今日は定時できっちり上がる決意をするヴェルディアナ。あと、「やはりおかんか……」などと呟いている少年は後でしばくと決めた。

 

 

 そんな、なんて事のない日常。されど手放すには余りにも惜しい細やかな幸福。それらが積み重なって、いつの間にか何にも代え難い宝物になっていた。

 

 領土を奪われた愚かな領主の娘として虐げられ、故郷の奪還と一族の復讐だけを原動力に生き急いでいた。そんなヴェルディアナにとって絃神島での日々は穏やかで、笑えるほどに愉しくて、苦しいほどに優しい日々だった。

 

 この日常が永遠に続けばいい。心の片隅にそんな願望がちらつく度に、己の使命が胸裏を過ぎる。その度に苦悩して、胸を掻き毟って、現実から逃げようとした。

 

 だが逃げられなかった。折れることもできなかった。カルアナ最後の生き残りである自分自身が許さなかった。

 

 何より──叶わぬ願いと知りながら、それでも側で支え続けてくれる人がいたから。

 

 

 ──あぁ、だから私は……。

 

 

 

 ▼

 

 

「……ここ、は?」

 

 ざあざあと耳元で響く漣の音で“まがいもの”は目を覚ました。

 

 視界に広がるのは雲一つない夜空。耳に聞こえるのは寄せては引く波音だけ。鉛のように重い身体は下半身までが波打ち際で海水に浸かっていた。

 

 何があったのか、意識を失う直前の記憶を手繰ろうとしてふと左腕に違和感を抱く。誰かの手が自分の手に重ねられている。反射的にそちらに目をやって、“まがいもの”は驚愕と共に跳ね起きた。

 

「──ヴェルディアナ!」

 

 “まがいもの”の隣に寄り添うように倒れていたのはヴェルディアナだった。呼吸はしているが意識はなく、胸元から今もじくじくと血が流れ続けている。

 

 “まがいもの”は胸元から走る激痛と全身を襲う気怠さを振り払い、ヴェルディアナの身体を抱え上げて波打ち際から離れた。海水に浸かったままでは体力を損耗してしまうと考えたからだ。

 

「ヴェルディアナ! しっかりしろ、ヴェルディアナ!?」

 

 上半身を抱き起こすような姿勢で必死に呼び掛ける。何度も懸命に名を呼び、乱暴にならないよう身体を揺すり続けて──

 

「……古城?」

 

「ヴェルディアナ……!」

 

 瞼がゆっくりと開かれ、確かな反応が返ってきた。

 

 ヴェルディアナの覚醒にほっと安堵する“まがいもの”。しかし状態は未だに予断を許さない。心臓に致命傷を受けた上で海に飛び込んでしまったヴェルディアナの肉体はいつ消滅しても可笑しくない状態である。すぐにでも適切な治療が必要な状況だ。

 

「ヴェルディアナ、今すぐに俺の血を吸うんだ! そうすれば、生き延びることが──」

 

「それは無理なの、古城。私はもう、手遅れなの……」

 

「なに、言って……」

 

 拒絶の言葉に唖然として、“まがいもの”は目を見開く。ヴェルディアナの身体が末端から銀色の霧となって崩れ始めていたからだ。

 

 遺跡の時と同じ、肉体の形を維持できなくなっている。心臓を撃ち抜かれ、夜になるまで海を漂流していたことを考えれば、当然の結末だ。

 

「無理じゃない! 遺跡でだって、血を吸えば助かったはずだ!」

 

「あの時は心臓が潰れてなかったし、すぐに血を吸ったから助かったの。でも今回は、駄目……」

 

 第四真祖の血の従者ならばまだしも、ヴェルディアナにそこまでの不死性はない。生命の根源たる心臓を失い、挙句に海に浸かって大量に血を流してしまった。助かる見込みは万に一つとしてなかった。

 

 だが、それを“まがいもの”がすんなりと受け入れられるはずもない。

 

「駄目なんて、そんなこと……!」

 

「自分のことは、自分が一番よく分かってるの。だから、もういいの……」

 

「そん、な……」

 

 諦観に満ちたヴェルディアナの発言に、“まがいもの”は絶望に顔を歪めた。

 

 このままではヴェルディアナは跡形も無く消滅してしまう。原作では矢瀬の働きで記憶を失いながらも生き延びたが、今この場に矢瀬はいない。この場で何かしらの手を打たなければ、本当にヴェルディアナは二度と還らぬ人になってしまうのだ。

 

 何か、何か手はないのか。原作知識も総動員して必死に手立てを模索して、一つだけ可能性を閃いた。

 

 確実に救えるとは限らない。だが、僅かでも光明があるのならば試さない理由はない。

 

 “まがいもの”は己の右脇腹、第四と第五の肋骨に手を当てる。そこにあるのは己を第四真祖の血の従者に変えた、アヴローラから与えられし水晶の肋骨だ。

 

 これをヴェルディアナに移植して、彼女を第四真祖の血の従者にする。それしかこの場でヴェルディアナを救う手立ては思いつかなかった。

 

 迷っている暇はない。“まがいもの”は歯を食い縛り、力尽くで脇腹に穴を開けようと爪を立て──青白い手が“まがいもの”の手を掴み止めた。

 

「駄目よ、古城。何をするつもりかは、何となくしか分からないけど……それをしても、私は助からない。受け止めきれないの」

 

 “まがいもの”の意図を全て理解した訳ではない。しかし状況から考えを察し、その上で無理だとヴェルディアナは首を振った。

 

 主人公たる暁古城ですら受け止めきれず消滅した第四真祖の血の記憶。激しく消耗したヴェルディアナが受け止め切れるはずもない。

 

 “まがいもの”も無茶だと心の片隅で理解していたのだろう。脇腹に穴を開けようとした手を力なく下ろし、今度こそ絶望に項垂れた。

 

 今にも泣き出しそうな“まがいもの”の表情を見上げ、ヴェルディアナは申し訳なさげに眉を下げる。

 

「ごめんなさい、私のせいなの。私が、躊躇わなければこんなことになはならなかった……アヴローラを奪われることもなかった」

 

「……ヴェルディアナは、悪くない。俺でも、きっと躊躇っていた」

 

 引鉄を握っていたのが“まがいもの”であったとしても、聖槍を撃つことはできなかっただろう。“まがいもの”もまた、アヴローラたち“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”を兵器として見ることができなくなっているのだ。

 

 責任を感じるヴェルディアナに“まがいもの”は首を横に振り、胸中から湧き出す苦々しい想いを吐き出す。

 

「ああ、そうだ。ヴェルディアナは何も悪くないんだ。全部、全部俺が悪いんだよ……」

 

「古城……?」

 

「こうなることを知っていたのに……分かっていたのに、俺は……!」

 

 悔恨と絶望に震える“まがいもの”。守りたいと、救いたいと願ったものが一瞬で崩れ去り、精神的に酷く打ちひしがれている。今のままでは再起することすら叶わず、心が完全に折れてしまいかねない。

 

 家族同然の大切な人が今にも折れてしまいかねない。そんな状況を見過ごすことなどできるはずもなく、ヴェルディアナは己の窮状を棚に上げて“まがいもの”の心を繋ぎ止めようと言葉を紡ぐ。

 

「全部、知っていたわ。私の願いが決して叶わないことも、古城たちが私を利用していたことも、全部知っていたの」

 

「……は?」

 

 衝撃の事実に“まがいもの”は悲嘆も絶望も忘れて忘我する。信じられない告白の内容に理解が追いついていなかった。

 

 呆ける“まがいもの”に構わずヴェルディアナは矢継ぎ早に続ける。

 

「絃神島に来るより前に、獅子王機関に教えられたのよ……いや、突き付けられたが正しいわね」

 

 当時のことを思い返し、ヴェルディアナは苦い表情を浮かべる。故郷を奪還するため、領民を救済するために藁にもすがる思いで駆けずり回っていたところへ、獅子王機関は現実を見ろとばかりに論破してきたのだ。あまり良い思い出ではない。

 

「……だったら、どうして絃神島(ここ)に来たんだよ!? 無理だって分かってたなら、利用されるって知ってたのなら、なんで……!」

 

 それは当然の疑問。絃神島に来訪するより前に理解していたのなら、ヴェルディアナに絃神島へ訪れる理由などない。しかしヴェルディアナは絃神島に来て、アヴローラを目覚めさせた。そこに一体、どんな理由があるというのか。

 

 “まがいもの”の疑問にヴェルディアナは僅かに目を伏せながらも答える。

 

「……無理だと分かっていても、諦めたくなかった。だって、私にはもうそれしか残ってなかったから」

 

 故郷の救済を、怨敵への復讐を諦めてしまったとして。果たして自分の手元には何が残ったというのか。何も残らないのなら、叶わないと理解していても進む以外に道はなかった。

 

 ただ、絃神島へと足を運んだ理由は他にもある。

 

「それに、あなたが暮らす島がどんな場所なのか、見てみたかったの」

 

 はにかみながら明かされた胸の内に、“まがいもの”は目を丸くした。ヴェルディアナが絃神島へと来訪した要因に、よもや自分が含まれているとは予想だにしていなかったのだ。

 

 ヴェルディアナは今日までの日々を思い返し、噛み締めるように想いを紡ぐ。

 

「古城が言った通り、この島は暑いし物価も高いし、元とはいえ貴族の私が労働に身を窶す羽目になった。もう、色々と酷かったの……」

 

 でも、とヴェルディアナは心からの笑みを浮かべた。

 

「この島での暮らしは、あなたたちとの日々は愉しかった。久しぶりに、幸せだと思えたの」

 

 それは偽りのない本音だった。ともすれば本来の目的を忘れかねないほどに、ヴェルディアナにとって絃神島での暮らしは何ものにも代え難い大切なものになっていたのだ。

 

「それもこれも、アヴローラの無垢で純粋な優しさと、それから──」

 

 今にも涙が零れそうな“まがいもの”の瞳を見上げ、ヴェルディアナは胸中に秘めていた言葉を告げる。

 

「──叶わないと知っていても、私が折れてしまわないように背中を支え続けてくれた古城のおかげ」

 

 何度も心が折れそうな場面があった。背負い込んだ使命と現在(いま)の幸福の間で葛藤し、現実から逃げたくて魔薬(ドラッグ)に手を伸ばしてしまいそうになったことも一度や二度ではない。

 

 その度に思い留まることができたのは“まがいもの”の存在があったからだ。

 

 辛い時、苦しい時に、“まがいもの”はそっと寄り添い支えてくれた。話を聞いて、紅茶を淹れて、些細な我儘に答えてくれた。それがどれほど救いとなっていたのか、“まがいもの”は自覚していなかったことだろう。

 

 限界だった。“まがいもの”の頬を止めどなく涙が流れ落ち、嗚咽が止まらなくなる。

 

「お、俺は……止めるべき、だったんだ。恨まれようとも、憎まれようとも、無理だと突き付けないといけなかったんだ。そうすれば、君を救うことができた。こんなことには、ならなかったはずだった。それなのに、俺は……!」

 

 救えたはずなのに、自らの目的を優先してヴェルディアナを取り零してしまった。際限ない後悔と自責の念が押し寄せ、今にも心が千々に切れそうになる。

 

 頭上から降り注ぐ涙と嗚咽にヴェルディアナは小さく首を振り、“まがいもの”の頬に優しく手を当てた。

 

「私はどうやっても救えない、救いようのない愚かな女だった。だから、気にしなくていいの」

 

「そんなわけ──」

 

「──でも、あの子は違う」

 

 否定しようとした“まがいもの”を無理やりに遮り、ヴェルディアナは楔を打ち込み始める。それが呪いになりかねないと理解した上で、“まがいもの”が折れてしまわないために心を鬼にする。

 

「アヴローラは違う。私の我儘で目覚めたあの子は、何処にでもいるような女の子だった」

 

 第四真祖の眷獣を封じ込める十二の器の一角、その中でも取り分け特殊な役割を担っている少女。しかしその精神性は何処にでもいるような平凡な少女のそれと変わらなかった。

 

「私はいいの。でも、アヴローラをこのまま儀式の生贄で終わらせるわけにはいかない。だから──」

 

 僅かな迷いを押し込め、ヴェルディアナは呪い(願い)を口にする。

 

「──私の分まで、アヴローラを救って」

 

「────」

 

 その言葉は折れかけていた心を繋ぎ止めるには十分過ぎるほどに強烈で、余りにも鋭い楔として打ち込まれた。

 

 千々に千切れかけていた心が辛うじて繋ぎ止められた。だが、それで失った自信までは取り戻せない。

 

「……ヴェルディアナを救えなかった俺に、アヴローラを救えると思うのか?」

 

 目の前で零れ落ちていく命に対して何の根拠もなく吠えられるほど、“まがいもの”は強くは在れない。それほどまでに、ヴェルディアナを救えないという事実は“まがいもの”の背に重く伸し掛かっているのだ。

 

 弱々しい発言にヴェルディアナは優しく微笑みかける。

 

「大丈夫なの。古城は一人じゃない、私も一緒に戦うから」

 

「ヴェルディアナ?」

 

 一緒に戦うとは一体どういう意味なのか。困惑する“まがいもの”の首にヴェルディアナの細腕が巻き付き、満身創痍の肢体が寄せられた。

 

「私の全てをあなたに託すわ。死にかけの吸血鬼の力なんて何の足しにもならないかもしれないけど──」

 

「──そんなことは、ない」

 

 間髪入れない力強い否定にヴェルディアナは目を丸くするが、弱り切っていたはずの“まがいもの”の瞳に意志の光が戻り始めていることに気付いて安堵に笑みを零した。

 

「よかった。これでも無理だなんて言われたら、泣き落としでもしようかと思ってたの」

 

「ヴェルディアナ……」

 

「そんな顔しないの。私は此処までだけど、これからはあなたの側で支え続けるから。だから……」

 

 緩慢な仕草でヴェルディアナは首を傾け、“まがいもの”に首筋を晒す。その行動の意図を察せないほどに“まがいもの”は鈍感ではない。

 

 再び零れ落ちそうになる涙を必死に堪え、“まがいもの”は壊れ物を扱うようにヴェルディアナの肢体を抱き締める。

 

 ヴェルディアナは“まがいもの”のために全てを差し出そうとしている。弱く情けない己のために、残り少ない命を捧げようとしているのだ。

 

 その代わりに“まがいもの”はアヴローラを救う。だが、それだけではヴェルディアナの献身に対して返礼が足りていない。何か、差し出せるものはないか。

 

 考えて、悩んで……“まがいもの”は一つだけ、差し出せるものに思い至った。

 

 完全に脱力して身を預けてくれているヴェルディアナを優しく抱き寄せ、その耳元で小さく囁く。

 

「──◼️◼️」

 

「え?」

 

 唐突に耳元で呟かれてヴェルディアナは戸惑いの声を上げる。聞き間違いでなければ、それは聞き覚えのない人名だった。

 

 ヴェルディアナの戸惑いをその身体で直接感じながら、“まがいもの”は続ける。

 

「俺は暁古城じゃない、“まがいもの”なんだ。本物の暁古城は三年前、ゴゾの遺跡で第四真祖の血の記憶に呑まれて消えた」

 

「…………」

 

 死を目前にして明かされた衝撃の真実にヴェルディアナは言葉を失う。だが“まがいもの”は構わない。今この場において、暁古城が死んでしまっていることは重要な話ではないからだ。

 

「だから、俺の名前は古城じゃなくて◼️◼️だ。誰にも明かしてこなかった、前世の俺の名前さ」

 

「……誰にも明かさなかったの?」

 

「ああ。牙城にも、深森さんにも、凪沙にだって教えてない。暁古城の居場所を奪った俺に、名乗る資格なんてないからな」

 

「そんなこと……きゃあ!?」

 

 抗議しようとしたヴェルディアナであったが、唐突に首筋に顔を埋められて反論が引っ込む。“まがいもの”が口を挟ませないために狙ってやったのだ。

 

「でも、おかげでヴェルディアナに報いることができる。ヴェルディアナがくれる全てに比べたらちっぽけなものだけど、受け取ってくれないか?」

 

「こ……◼️◼️」

 

 反射的に古城と呼び掛けて、ヴェルディアナは“まがいもの”の前世の名を噛み締めるように口にした。

 

「◼️◼️……私だけが、知ってるのね」

 

「そうだ。この世界で、ヴェルディアナだけが知ってるんだ」

 

「ふふっ、それってなんだか……ううん、なんでもないの」

 

 恋人みたい、などと口走りかけてヴェルディアナは寸前で踏み止まった。これ以上、“まがいもの”に重荷を背負わせるわけにはいかない。だから飛び出しかけた言葉も、溢れ出そうになる想いも全て飲み込んだ。

 

「ありがとう、◼️◼️。最期に良いお土産ができたの」

 

「こちらこそ……本当に、ありがとう」

 

 胸中の想いが溢れ出そうになっているのは“まがいもの”も同じ。一瞬でも気を緩めれば溢れそうになる涙を留め、ヴェルディアナの首筋に鋭く尖った牙を押し当てる。

 

 吸血鬼となって初めての吸血行為。忌避感は少なからずあるけれど、此処で躊躇ってしまえばヴェルディアナの想いを踏み躙ることになる。これは吸血ではなく、ヴェルディアナの意志を引き継ぐ儀式なのだと無理やりに己を納得させた。

 

 恐怖と迷いを呑み下し、“まがいもの”はゆっくりと牙を埋め込んだ。

 

「ぁ…………」

 

 牙が肌を突き破る痛みと残り少ない生命力が吸い上げられる感覚。ヴェルディアナは微かな声を洩らし、徐々に脱力する。だらりと投げ出された手足は末端から急速に霧へと変わり、“まがいもの”の肉体へと吸い込まれていく。

 

 意識が急激に遠のく。死への恐怖はあまりなかった。道半ばで心残りも沢山あるけれど、自分なりに納得できる末路だったからだ。

 

 

 だから──生きて、◼️◼️。私の分まで。

 

 

 本当に伝えるべきだった言葉を秘めたまま、ヴェルディアナはこの世から去った。

 

 

 ▼

 

 

 東の空が暁光に照らされ始めた頃、浜辺に響いていた“まがいもの”の慟哭が止む。吐き出せるだけの感情を全て吐き尽くし、ようやっと前に進む心構えが整ったのだ。

 

 立ち上がる“まがいもの”の手には共に流れ着いた銀のクロスボウと、ヴェルディアナが肌身離さず持ち歩いていたカルアナの聖槍。バッグ一杯に持ち運んでいた銃火器は全て失ってしまっていた。

 

 手札は大幅に減ってしまった。しかし、全てを失くしてしまったわけではない。ヴェルディアナの献身が、“まがいもの”に新たな力を授けていた。

 

「カルアナの血脈を継ぎし者、暁◼️◼️が、汝の枷を解き放つ──」

 

 “まがいもの”を中心に魔力が吹き荒ぶ。掲げた腕から噴き出した鮮血が呼び水となり、異界より吸血鬼の眷獣を現世へと喚び起こす。

 

「──疾く在れ(きやがれ)、冥府の紅蓮“ガングレクト”、双頭の碧氷“ガングレティ”」

 

 溢れ出るは燃え盛る業火と白煙を伴う凍気の化身たち。忘れられるはずもない、ヴェルディアナが従えていた二体の眷獣たちだ。

 

 ヴェルディアナの全てを受け継いだことで“まがいもの”は彼女の眷獣を引き継いだ。託された、といっても強ち間違いではない。

 

 三つ首と双頭の魔犬がそっと“まがいもの”に寄り添う。本来であれば新たな主人であることを認めさせるため、質の良い霊媒からの吸血が必要になるはずだった。

 

 しかし二体の眷獣は最初から“まがいもの”に従順だった。そこにヴェルディアナの意思を感じ取り、“まがいもの”は胸中で感謝の言葉を口にした。

 

「……行こうか」

 

 “まがいもの”の瞳は真っ直ぐに絃神島の方角を見据える。流れ着いたこの島が太平洋の何処に浮かんでいるかは知れないが、目指すべき方角は分かる。アヴローラとの主従の繋がりが教えてくれるのだ。

 

 問題は海を渡る手段である。“まがいもの”はカナヅチでこそないが、だからといって目視もできない目的地に向けて泳ぎ切る自信はない。そもそも、時間の無駄だ。 

 

 故に取れる手段は一択のみだった。

 

「いけるか?」

 

 問い掛けたのは双頭の魔犬。“ガングレティ”は波打ち際に歩み出すと、その強靭な足を打ち寄せる波に伸ばす。すると触れた先から海面がみるみるうちに凍り始め、魔犬の巨体を支える足跡の足場が出来上がった。

 

 一歩、また一歩と踏み出すたびに海面が凍り付く。問題ないと判断したのか“ガングレティ”は軽やかに海上を疾走して見せた。

 

 ──“ガングレティ”の能力が強化されている気がする……アヴローラの魔力と相性がいいのか? 

 

 ヴェルディアナが従えていた時よりも“ガングレティ”が保有する凍結能力が向上している。原因は“まがいもの”が供給する魔力、厳密にはアヴローラから供給されている魔力だ。

 

 アヴローラは第四真祖の十二番目の眷獣“妖姫の蒼氷(アルレシャ・グラキエス)”をその身に宿している。その能力は一面の海を一瞬で氷の大地に変えるほどの凍結能力だ。

 

 その能力の性質からして、凍気の吐息(ブレス)を武器とする“ガングレティ”との相性は抜群。単純な魔力供給量も上がっているため、“ガングレクト”も多かれ少なかれ恩恵を受けているだろう。

 

 “まがいもの”ではなくヴェルディアナがアヴローラの従者となっていれば、という後ろ向きな思考が脳裏を擡げる。しかしもしもを夢想したところで時は戻らない。

 

「俺をアヴローラの元へ連れていってくれるか?」

 

 海上より駆け戻った“ガングレティ”に尋ねると、唸り声と共に頷き返ってきた。

 

 “まがいもの”は“ガングレクト”の召喚を解除し、戦車並みの巨躯を誇る魔犬の背に飛び乗る。乗り心地は可もなく不可もなく、触れた手から伝わってくる冷気が心地良かった。

 

 主人の搭乗を確認した魔犬は咆哮を上げ、弾かれたように駆け出す。波打つ海面を凍らせ、目的地へと一直線に疾走する。その姿は酷く幻想的なものだった。

 

「急ごう。手遅れになる前に、今度こそ──」

 

 暁の空を睨み据え、“まがいもの”と“ガングレティ”は絃神島へと向かった。

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。