“まがいもの”の第四真祖   作:矢野優斗

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愚者の暴君 ⅩⅣ

 “ガングレティ”の背に乗って海を渡った“まがいもの”は、どうにか昼前には絃神島への帰還を果たした。

 

 帰り着いた絃神島には不穏な空気が漂っていた。それもそのはずで、ザハリアスが画策する“焔光の宴”の影響で人工島・旧南東地区(アイランド・オールドサウスイースト)を中心に市民の擬似吸血鬼化現象が拡がっているのだ。

 

 ネラプシ自治区──旧カルアナ伯爵領でも発生している大規模感染症、それと全く同じ現象が小規模ながらも絃神島でも発生している。今のところ擬似吸血鬼化の影響は旧南東地区から拡大することなく留められているが、不安がった市民たちが外出を控えたことで市内は静まり返っていた。

 

 “まがいもの”にとっては好都合で、同時に不都合でもあった。

 

 人目を憚らず一直線にパンデミックの震源地に走っていても咎められることがないのは都合がいい。流石に“ガングレティ”に乗って走ると通報されかねないので自分の足だが。

 

 一方で感染拡大を防ぐために特区警備隊(アイランド・ガード)が旧南東地区への渡航を禁止したことで、地上からも海上からも儀式場への侵入が難しくなってしまった。特に海上の警戒網がやたらと厚く、“まがいもの”はわざわざ絃神島本島に上陸してからの移動を余儀なくされている。

 

 手遅れになる前にアヴローラを、凪沙を救う。必死の思いで走り続けていた“まがいもの”は、不意に足を止めざるを得なくなった。

 

 蔓延する擬似吸血鬼化現象の影響で車の通りもない交差点。旧南島地区へと続く道が、無数の警備ポッドと有脚戦車(ロボットタンク)によって塞がれている。特区警備隊(アイランド・ガード)によって敷かれた防衛線かと思われたが──否、違う。

 

 警備ポッドと有脚戦車を兵隊の如く付き従え、女王のように先頭に立っているのは特区警備隊(アイランド・ガード)ではない。華やかな金髪を靡かせる、彩海学園高等部の制服を身に纏った少女──藍羽浅葱だ。

 

「浅葱……どうして、ここに……」

 

 矢瀬に手を回してもらってキーストーンゲートで保護されているはずの浅葱が、何故街中で多数の警備ポッドを引き連れてこの場にいるのか。何故──“まがいもの”の道を阻むように立ち塞がっているのか。

 

 “まがいもの”の疑問に対して、浅葱は不機嫌さを語調に滲ませて答える。

 

「基樹のやつに頼んでたみたいだけど、やり取りをメールで残していたのは迂闊だったわね。メールの内容突き付けて詰めたらげろったわよ」

 

「仮にも幼馴染のスマホをハッキングしたのか……」

 

「ついでにネットの検索履歴も並べてやったら、すんなりと外に出してくれたわ」

 

「鬼にもほどがあるだろ!?」

 

 なんて恐ろしいことをするのか。逼迫した事態であることも忘れて、浅葱の容赦ない所業に“まがいもの”は突っ込まざるを得なかった。

 

 しかし幼馴染の尊厳など知ったことではないのか、浅葱は素知らぬ顔で話を続ける。

 

「基樹を使ってまであたしを除け者にしようとしたことに関しては……まあいいわ。それより……待って、ヴェルディアナさんはどうしたの?」

 

「……ヴェルディアナは、死んだ。もういない」

 

「……そう」

 

 最悪ね、と浅葱は口の中で小さく呟く。ヴェルディアナが存命だったのならばまだしも、故人となってしまってはどうしようもない。状況によってはもはや手の施しようがなくなっている可能性もあるだろう。

 

旧南東地区(オールドサウスイースト)に行くんでしょ?」

 

「ああ。アヴローラを助けに行かなくちゃならないんだ」

 

「凪沙ちゃんも、でしょ」

 

 鋭く的確な指摘に“まがいもの”は動揺してしまう。以前から兆候はあったが、一体全体何処まで状況を把握しているのか。

 

 浅葱は小脇に抱えていたノートPCを開き、慣れた手付きでタイピングを始める。

 

「吸血鬼感染症が本格化する少し前に、MAR所属の遠山とかいう人に連れられて凪沙ちゃんは旧南東地区に渡った……驚かないのね」

 

「元々、そういう手筈だったんだ」

 

 遠山美和。MAR所属の職員で、肩書きは暁深森の助手である。しかしてその正体は獅子王機関の攻魔師だ。

 

 遠山は十二番目(ドゥデカトス)を保有するMARの監視役であり、同時に暁深森と利害の一致から契約関係を結んでいた。凪沙を旧南東地区へと導いたのは契約内容の一環である。

 

 とはいえ、ザハリアスの凶行で牙城と深森が動けない以上、もはや契約関係の続行は厳しいだろう。遠山は獅子王機関の攻魔師としての事情を最優先に行動しているはずだ。

 

 獅子王機関は世界の調停者。大規模な魔導災害や魔導テロを防ぐ、あるいはその被害を最小限に留めることを目的としている。第四真祖という世界の厄災を少女一人の命で収められるのならば、彼女らは躊躇うことなく実行するだろう。

 

 だからこそ、“まがいもの”は一刻も早く“宴”の中心地へと向かわなければならなかった。手遅れになればアヴローラも凪沙も取り零すことになってしまうからだ。

 

「色々と隠し事をしてたのは謝る。でも、今は先を急いでるんだ。そこを通してくれないか?」

 

 焦燥混じりに“まがいもの”は頼み込んだ。

 

 “まがいもの”の焦燥を察して、浅葱は神妙な表情で瞑目する。その様子は何かを迷っているようにも感じられた。

 

 重苦しい沈黙の時間が流れる。ややあって開かれた浅葱の瞳には決然とした覚悟の光が灯っていた。

 

「一つだけ、条件がある。それを守ってくれたら、通してあげる。凪沙ちゃんとアヴローラを救うのにも力を貸すし、必要なら血を吸わせてあげたっていいわ」

 

 躊躇うこともなく制服の襟を緩めて首筋を見せつける。普段の浅葱らしからぬ大胆な行為だが、しかしその表情は真剣そのもの。それもそのはずで、浅葱にとっては此処からが譲れない戦いなのだ。

 

「その、条件は?」

 

 浅葱の真剣な表情に、“まがいもの”は猛烈な胸騒ぎを覚えつつも問うた。

 

 ピンと張り詰めた緊張感の中、浅葱はその条件を突き付ける。

 

「今ここで、約束して。必ず、生きて帰るって」

 

「────」

 

 提示された条件はシンプル極まりないもので、だからこそ頷くことのできない代物だった。

 

 返事の一つもできず黙りこくってしまう“まがいもの”。予想していたとはいえ、あまりにも想像通りの反応に浅葱は思わず皮肉っぽい笑みを零してしまう。

 

「どうしたの、古城。簡単なことじゃない。ただ、生きて帰るって言うだけよ?」

 

「…………」

 

「ねえ、古城。黙ってたら分かんないわよ」

 

「…………」

 

 詰めるような論調の浅葱に“まがいもの”は懊悩するように目を伏せる。心中ではなんと答えるべきか、思索を巡らしていた。

 

 今ここで答えを誤れば、浅葱は“まがいもの”を止めるべく敵対の道を選ぶだろう。それは大量に引き連れている無人機の数々を見れば明らかだ。

 

 流石に実弾を配備しているとは思わないが、暴徒鎮圧用の模擬弾であっても十分な脅威である。何より、数が多すぎる。眷獣の力に頼ったとしても袋叩きに合う可能性が高い。

 

 ならば嘘でもいいから約束を結べばいいのか。そんな考えが一瞬過った瞬間、“まがいもの”は顔を上げて対峙する浅葱を真正面から真っ直ぐ見据えた。

 

「──ごめん、浅葱。その約束は守れない」

 

「…………っ」

 

 微塵の躊躇いも迷いもなく放たれた答えに、覚悟していたとはいえ浅葱は視界が涙で滲むのを堪えきれなかった。

 

 眦に浮かんだ涙を拭う浅葱に凄まじい罪悪感を覚えながら、“まがいもの”は自身の思惑を明かす。

 

「前に言ったよな、凪沙に取り憑いた第四真祖の人格をアヴローラに戻すって。在るべきものを在るべき場所に還すって」

 

「言ったわね」

 

「でも、それじゃあアヴローラが犠牲になる。凪沙に取り憑いている人格──“原初”の第四真祖は、天部の時代に造り出された殺神兵器としてあれと設計(プログラム)された正真正銘の怪物だ。“宴”を経て完全覚醒したら最後、依代となった人間の意識は完全に塗り潰される」

 

 天部の高い技術力によって生み出された人造の魂、或いは呪い。殺戮と破壊の権化であり、それこそ都市伝説に語られる第四真祖そのものの怪物。余りの危険性から天部の手によって第四真祖の眷獣の器たる“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”の一つに封じられた存在だ。

 

 アヴローラはその魂を封印し監視する役目を担っていた。他の“焔光の夜伯(カレイドブラッド)”と比べてアヴローラに記憶の欠落などの特殊性があるのはそれが原因である。

 

 “柩”であったアヴローラであれば、“原初”に食い潰される前に諸共封印することができるだろう。当初の“まがいもの”も、アヴローラに“原初”を封印して眠りについてもらうことを最終目標としていた。

 

 だが、アヴローラを救うと決めた以上、その手は選べない。故に唯一残った選択肢は一つ。

 

「──“原初”を俺が取り込んで、道連れにする。そうすれば、凪沙もアヴローラも犠牲にならずに済む」

 

 “原初”の魂を自らの肉体に招き入れて諸共に滅びる。幸いにも、手元には真祖すら滅ぼす聖槍がある。実行にあたって問題は山積みであるが、やってやれないことはないだろう。

 

「だから、生きて帰る約束はできない」

 

 決然と、自らを犠牲にすると宣言した。その言葉が浅葱の心をどれほど傷付けるか理解した上で、それでも誤魔化すことなく伝えた。

 

 自身を犠牲にする覚悟を示した“まがいもの”に、今度は浅葱が何も言えなくなる。

 

 “まがいもの”ならそうするだろうと予想はしていた。だが実際に面と向かって突き付けられてしまうと、その衝撃は一入だった。

 

 張り裂けそうな胸の痛みと叫び出したい心を抑え込み、浅葱は努めて冷静に“まがいもの”と対峙する。

 

「……他に、方法はないの? その第四真祖の魂が問題なら、別に空の肉体(容器)を用意して封じるとか、あるでしょ?」

 

「その手の小細工が有用なら、最初からやってるさ。でも無理なんだ。真祖相手にその手の術式やら呪いは殆ど効かない」

 

 原作でもそうだった。第四真祖を兵器として利用しようとしたザハリアスが仕掛けた魂魄捕縛術式は、覚醒した“原初”の手でその目論見ごと初見で看破され潰されたのだ。

 

 そもそも、その手の小細工が効果的ならば獅子王機関や他の真祖たちが利用しているはずだ。そうでないということは、仕掛けるだけ無意味だったのだろう。

 

「他の手段も探した。でも見つからないまま、凪沙の身体が弱っていくばかりだった。凪沙の身体も限界なんだ」

 

 “まがいもの”の原作知識によって凪沙が置かれている状態を正しく把握した牙城と深森が、必死になって模索しても他の手段を見つけられなかったのだ。“まがいもの”も知恵を絞りはしたものの、何れも荒唐無稽で実現には程遠いものばかりである。

 

 せめて、錬金術師の彼女が居たのならば、希望はあったのだが──

 

 今ここには居ない人物を勘定に入れても仕方ない。結局のところは、殆ど原作を踏襲する結末を目指すしかなかったのだ。

 

 誰かが犠牲にならなければならないという未来は変えられない。選び取れる道は三つ。凪沙が第四真祖として完全覚醒するか、アヴローラが封印あるいは道連れにするか、“まがいもの”が諸共に滅びるか。

 

 “まがいもの”は選んだ、自らを犠牲にする道を。凪沙とアヴローラ、両方を救う道を選び取った。

 

 “まがいもの”の意志を曲げることはできない。それくらい分かる程度には、長い付き合いなのだ。

 

「何となく、そんな気はしてた。凪沙ちゃんとアヴローラのためなら、古城は自分を犠牲にするって……」

 

 分かっている、知っている。浅葱にとっても、凪沙は可愛い後輩だし、アヴローラは歳の離れた妹みたいに思っていた。助けたい、救いたいという思いは大いに共感できる。

 

 でもね、と浅葱は眦の涙を乱暴に拭って“まがいもの”を睨み付ける。

 

「好きな人が自分を犠牲にしようとするのを、はいそうですか、ってすんなり受け入れられるわけないでしょ!?」

 

 怒声と共に浅葱は目にも止まらぬ早さでノートPCを操作する。すると兵隊の如く控えていた無数の警備ポッドと有脚戦車が動き出し、備え付けられた銃座が“まがいもの”に照準を合わせた。

 

「交渉は決裂よ、古城。今から、あたしはあんたを止める」

 

「浅葱……!」

 

「嫌われたっていい、恨まれたっていい、好きに憎んでくれていいわ」

 

 この敵対行為が凪沙とアヴローラを見殺しにする選択であることは理解している。“まがいもの”の願いを踏み躙る選択だということも理解している。身勝手な我儘だなんて、皆まで言わずとも浅葱自身が一番理解している。

 

「それでも──あたしは古城が犠牲になることを、絶対に認めない……!」

 

 想い人たる同級生の少年を死なせないため、浅葱は揺るぎない覚悟を胸に、“まがいもの”の覚悟を踏み躙らんとする。その並々なら決意に“まがいもの”は説得の言葉を持たなかった。

 

「二択よ。此処で諦めるか、あたしを倒して進むか。好きな方を選んで。言っとくけど、手加減なんてしないから」

 

 電子機器を己の手足の如く操る天才ハッカー、“電子の女帝”が総力を以ってして“まがいもの”の前に立ち塞がった。

 

 

 ▼

 

 

 切っ掛けは病院での邂逅だった。それまでは碌に会話を交わしたこともない、ただのクラスメイトでしかなかった。

 

 病院でのやり取りから始まった交流は、幼馴染の矢瀬も交えて深まっていった。何気ない日常、学園での行事、放課後に過ごした時間──

 

 波乱があったわけではない、漫画やアニメのような非日常を潜り抜けたわけでもない。ただ、なんて事のない日常を積み重ねていくうちに、外部からの転校生は想い人に昇華していた。

 

 好きになった人に振り向いてほしい。そんな健気な思いからそれまでの地味な装いを一刷し、髪を染めて華やかな化粧をするようになった。姉御肌な割に奥手な性格のせいで空回りすることも多々あった。

 

 恋敵(ライバル)の多さに頭を抱えたくなることもあった。本人は朴念仁というわけでもなく、他人から向けられる好意にも真摯に対応するのだから性質(タチ)が悪い。これで嫌味なところの一つでもあれば、もう少し競争率が下がっていたことだろうに。

 

 やきもきすることなんて日常茶飯事で、その度に幼馴染に揶揄われるのもいつものこと。その度にしばき倒して、無理やりに恋愛指南を絞り上げるまでがいつもの流れだ。

 

 一人の少年に不器用ながらも一所懸命に恋する姿勢は、学園で浮きがちだった少女を人の輪の中に招き入れた。少女も少年も意図したことではなかったが、それでも学園生活が賑やかになったのは間違いない。

 

 楽しい日々だった。こんな日常がこれからも続くんだと疑いもしていなかった。

 

「──どうしたんだ、浅葱? 教室で黄昏たりして」

 

 夕暮れ時の教室。人気のない教室でぼんやりしていると、想い人たる少年が声を掛けてきた。

 

 浅葱は目をパチクリさせ、若干しどろもどろになりながら答える。

 

「べ、別に黄昏てなんかないわよ。ちょっとぼーっとしてただけ」

 

「そうか? それならいいけど、この後の勉強会は大丈夫か?」

 

 例によって英語の追試を那月より食らった少年。その対策のために、今日の放課後は行き付けのファミレスで勉強会を開催する予定なのだ。ちなみにしれっと幼馴染の矢瀬も参加を表明している。

 

「大丈夫よ。それより、早いとこ行くわよ。丁度小腹も減ってきたところだから」

 

「……小腹で済むといいな」

 

 浅葱はそのスタイルに見合わない健啖家であり、比較的リーズナブルなファミレスであってもその負担は凄まじいものになる。勉強を教えてもらうという立場上、教わる少年二人が基本的に多めに出しているのだが、少しは加減してほしいなというのが本音であった。

 

「なんか言った?」

 

「いや別に、何もありません。矢瀬も待たせてるし、行くか」

 

 スクールバッグを肩に担いでそそくさと教室の外へと向かう少年。浅葱も荷物を持ってその背を追いかけて、ふと歩みを止めた。

 

「ん? どうした、浅葱?」

 

 不意に立ち止まった気配を感じて少年が肩越しに振り返る。見慣れた横顔が夕暮れに照らされ、状況も相まって妙にロマンチックに見えた。

 

 夕暮れ時の教室。余人のいない、二人切りの空間。意識し始めると途端に胸の鼓動が高鳴りそうになる。恋する乙女なら誰でも憧れるだろう、絶好の告白シチュエーションだ。

 

 能天気に首を傾げる少年の横顔をじっと見つめることしばし。浅葱は胸元で握り締めていた拳を解き、力を抜くように吐息を零した。

 

「なんでもないわよ。ほら、ちゃっちゃと行くわよ、古城!」

 

 疑問符を浮かべる少年の横を足早に過ぎ去る浅葱。暴走しかけた恋心は落ち着いた。そもそもが、勝算もないのに告白なんてするものではない。振られたらその時点で終わり、この関係性も壊れてしまうのだから。

 

 何気ない日常、学園での行事、放課後に過ごす時間も全てが大切で手放したくない宝物。今はまだ、この関係性のままでいい。何れはその先に踏み込みたいと思うけれど、それは今ではないのだ。

 

 故にこそ、少年が日常から非日常へと足を踏み入れようとするのを受け入れられない。ましてその身を犠牲にしようなどと、断じて認められなかった。

 

 

 ──あたしは、この日常を手放したくないんだ。

 

 

 誰かに恋破れるのはいい。いやよくはないけれど、恋愛とはそういうものだからと、頑張って納得しよう。滅茶苦茶に引き摺るだろうけど。

 

 だが、これは違う。誰も報われない、救われない、こんな終わり方は、絶対に違う。誰も幸福になんてなれない、悲劇よりも最悪な結末のために想い人が犠牲になることを、浅葱は決して認めるわけにはいかなかった。

 

 ──故に。

 

「嫌われたっていい」

 

 そんなわけない。

 

「恨まれたっていい」

 

 本音は嫌に決まっている。

 

「好きに憎んでくれていいわ」

 

 あの優しい眼差しが憎しみに変わってしまったら、きっと自分は二度と立ち直れないだろう。

 

 それでも──

 

「──あたしは古城が犠牲になることを、絶対に認めない……!」

 

 藍羽浅葱(恋する少女)は大切な日常を手放す覚悟を決め、悲劇へと突き進む少年の前に立ち塞がった。

 

 

 ▼

 

 

 無数の警備ポッドと有脚戦車を従え立ち塞がった浅葱を、“まがいもの”は目を逸らすことなく真っ直ぐに見据える。逸らしてはならない、自らが向き合わなければならないと理解しているからだ。

 

 浅葱は胸に秘めていた好意を明かしてまで、その上で嫌われる覚悟までして戦いに臨んでいる。ならば、“まがいもの”に逃走は許されない。真正面から、全てを受け止めなければならない。

 

 数えるのも馬鹿らしくなる銃口に狙われながら、“まがいもの”は慎重に一歩を踏み出す。

 

 瞬間──踏み出した足元のアスファルトが弾け飛んだ。有脚戦車の機関砲から放たれた弾丸が命中したのである。

 

「予め警告しておいてあげる。ここに居る無人機たちに装填されているのは暴徒鎮圧用のゴム弾よ。でもね、ゴム弾だからって気合いとか根性で耐えられると思ったら大間違いだから」

 

 浅葱は傍らに待機させている有脚戦車の装甲をコツコツと叩きながら説明する。

 

「“魔族特区”の暴徒なんて大半が魔族なんだから、規格もそれに合わせてあるに決まってる。獣人ですら一発で悶絶して、当たりどころが悪ければ昏倒する。生身の人間なら粉砕骨折待ったなしよ」

 

 浅葱の懇切丁寧な解説に一切の誇張はない。“魔族特区”に配備された無人機たちは高性能であり、強靭な肉体を誇る獣人ですら制圧可能な代物だ。

 

 吸血鬼は魔族の中でも強力な種族と謳われているが、しかしてその身体能力に関しては獣人には及ばない。頑強さに関しては言わずもがな。純粋な人間よりかは圧倒的にタフだが、それでも高が知れている。

 

 直に受ければ第四真祖の血の従者であっても一溜まりもない。何かしらの対策をするか、そも当たらないように立ち回る必要がある。

 

 幸いにも“まがいもの”にはヴェルディアナから授かった二体の眷獣がいる。彼らを盾にする、或いは襲い来る弾丸を撃ち落としてしまえば問題はない──だが。

 

 ──浅葱の警告に対して“まがいもの”が選んだのは前進だった。

 

 無数の銃口を前にしても怯むこともなく、浅葱を真っ直ぐ見据えて一歩を踏み出す。余りにも無謀な行動に浅葱が目を見開き、直後に警備ポッドの一つから放たれた弾丸が“まがいもの”の右肩を直撃した。

 

「ぐっ……!」

 

 ハンマーで殴り飛ばされたかのような衝撃が肩口を襲い、前進しようとした歩みが止まる。被弾した肩から迸る激痛に膝を突きたくなるが、“まがいもの”は歯を食い縛って堪えた。

 

 骨は折れなかった。戦車の機関砲ではなく小型の警備ポッドの銃撃だったからだろう。それでも、弾丸が秘めたる威力は凄まじいもので、何度も受けられるような代物ではない。

 

 痛みに顔を歪める“まがいもの”に浅葱は努めて冷ややかな声色で告げる。

 

「威嚇だけで当てないとでも思った? だとしたら、あたしを舐めすぎ。こっちが本気だってこと、今ので十分分かったでしょ」

 

「……浅葱が本気なのは、最初から知ってるさ」

 

「だったら、馬鹿正直に受けるんじゃなくて反撃の一つでもしてみたら?」

 

「…………」

 

 煽るような浅葱の物言いに“まがいもの”は沈黙。眷獣を召喚する素振りもないまま、性懲りも無くまた一歩を踏み出す。そして、先の焼き直しの如く警備ポッドからの銃撃を受けて歩みを止める。

 

「ぅぐ……!」

 

「はぁ……何してんのよ、古城。まさか、そうやって痩せ我慢して進み続けようだなんて考えてないでしょうね?」

 

「…………」

 

「あっそ。本気でそんなこと考えてるのなら、いいわ。徹底的に潰してあげるわ」

 

 交差点を封鎖していた大量の無人機が一斉に動き出す。稼働を始めた銃口が狙うのは愚直にも前進を続けようとする“まがいもの”。過剰にも程がある弾丸の嵐が抵抗する気もない少年を容赦なく襲った。

 

 閃く無数のマズルフラッシュと発砲音。数秒にも満たない一方的な斉射に“まがいもの”は回避もできず、全身にゴム弾の暴風を浴びてしまう。踏み止まることなどできるはずもなく、一斉射撃が終わった後にはアスファルトの大地に仰向けで倒れ込んでいた。

 

 死人のように倒れてしまった“まがいもの”を、下手人たる浅葱は片時も目を逸らすことなく見つめる。敵対すると決めた時から、自らの手で想い人を傷付ける覚悟をしていた。それでも、つい駆け寄りたくなってしまう衝動が湧き上がる。

 

 血が滲みそうなほどに拳を握り締めて堪えていると、不意に倒れ伏していた“まがいもの”が身動ぎした。全身を襲う激痛に震えながら、生まれたての子鹿のように拙い挙動で立ち上がる。

 

「うそ……」

 

 立ち上がった“まがいもの”に浅葱は目を見開き硬直してしまう。実弾でないとはいえ機関砲から放たれたゴム弾の威力はアスファルトさえ抉ぐる。そんな代物の一斉掃射を受けて、こんな短時間で立ち上がるなんてできるはずがない。

 

 現に立ち上がった“まがいもの”は酷い有様だ。頭を庇ったのか両腕はあらぬ方向を向いて力なく下げられ、足は片方を引き摺っている。腹部に弾丸を受けた拍子に内臓をやられたのか、口元からは少なくない血が溢れていた。

 

 死人一歩手前の惨状に浅葱は思わず目を逸らしそうになって、ぐっと唇を噛んで踏み止まった。逃げてはならない、目を背けてもならない。自分自身に言い聞かせ、浅葱は気丈に冷酷に振る舞う。

 

「考えもなしに堪えられるようなものじゃないって、分かったでしょ?」

 

「…………」

 

「それでもまだ進み続けるなら……いっぺん、死んでみる?」

 

 脅しではない。本当に止まらないのであれば、一度殺してでも止めざるを得なくなる。勿論、そんなことしたくはないのだが。

 

 お願いだから止まって、心中で祈る浅葱。しかし祈る想いは届かず、“まがいもの”はまたしても性懲りもなく一歩を踏み出した。

 

 標的の前進に対して無人機は無慈悲に対象の無力化へと移る。先の焼き直しの如くゴム弾の集中砲火が“まがいもの”を襲い、出来の悪い操り人形のようにその場で踊らせる。

 

 肉を激烈に叩く生々しい音と耳を塞ぎたくなる骨が砕ける音が響いた。全身を余す所なく打ち据えられた“まがいもの”は再び背中から倒れていき──すんでの所でその場に踏み止まった。

 

「…………っ」

 

 有り得ない、と浅葱は声を大にして叫びたかった。一度目は堪え切れず倒れたというのに、より消耗しているはずの二度目でなぜ踏み止まれるのだ。

 

 もはや損傷部位がないような有様の“まがいもの”を驚愕の思いで観察して、その身体が禍々しい魔力に覆われていることに気が付いた。

 

 “まがいもの”の肉体を覆う負の魔力。それはアヴローラから供給される無限に等しい真祖の魔力であり、“まがいもの”はその魔力を利用して己の身体能力の向上を図った。“まがいもの”が辛うじて二度目の集中砲火を耐え抜いたのはこれが理由だ。

 

 満身創痍の“まがいもの”の肉体が逆戻りのように再生していく。吸血鬼は獣人ほどの頑健さはないが、代わりに再生能力を有する。時間と魔力を消費すれば何れは元通りになるだろう。

 

 肉体が再生すれば再び前進が始まる。今度は魔力による身体強化を施した上で、“まがいもの”は力強く一歩を踏み出した。

 

「ちょっと魔力で強化したからってなによ。それで弾幕を掻い潜れるとでも思ってるわけ?」

 

 異常なタフネスに驚きはしたものの、浅葱のやることは変わらない。魔力で強化した吸血鬼の身体能力は脅威だが、それでも強靭な肉体を誇る獣人には及ばないのだ。生身で弾丸の一斉射撃を真正面から耐え切ることなどできるはずがない。

 

 だが、そんな浅葱の予想は弾幕を受けながらも前進を続ける“まがいもの”の姿によって覆された。

 

 両腕を顔の前で交差させ、牛歩の如き歩みで一歩ずつ進む。被弾の衝撃で全身の骨が砕かれ、よろけて膝を突いても歯を食い縛って立ち上がる。完全に倒れてしまわないように踏み出す一歩は力強く、魔力の強化も相まってアスファルトに罅を入れていた。

 

 気合いや根性で耐えれられるものでは到底ない。にも関わらず、“まがいもの”は骨を撃ち砕かれ、肉を激しく殴打されながらも前進している。もはや狂気そのものといっても過言ではない。

 

「なんで……」

 

 浅葱の瞳が無茶苦茶な前進を続ける“まがいもの”を捉える。

 

「なんで……!」

 

 抑え切れない激情のまま、浅葱は叫ぶ。

 

「──なんで反撃の一つもしないのよ、古城!?」

 

 一方的に弾幕を受け続けるだけ。眷獣で反撃すれば無人機程度、容易く蹴散らせるだろうに、ゴム弾程度難なく防ぐことができるはずなのに、しかし“まがいもの”は一切の抵抗をしない。それではまるで、浅葱のことなど眼中にないようではないか。

 

 浅葱の心からの叫びに“まがいもの”は歩みを止める。同時に無人機たちの一斉砲火も止まった。

 

 頭を庇うように掲げていた両腕を下ろし、“まがいもの”は身体中から血を流しながらも立ち塞がる浅葱を真っ直ぐ見つめ、その答えを明かす。

 

「俺のことを好きだと言ってくれて、その上で、嫌われる覚悟までして止めようとしてくれる女の子を、力尽くで押し退けられるわけないだろ」

 

「────!」

 

 不意打ちに放たれた優しい言葉に、既に決壊していた浅葱の心は今度こそ千切れてしまいそうになる。そんな浅葱の心情など露知らず、“まがいもの”は言葉を重ねた。

 

「俺には、できなかった。嫌われる覚悟も、心の強さも、何もかもが足りなかったから、ヴェルディアナを取りこぼしたんだ」

 

 だから、と“まがいもの”は激痛に苛まれながらも浅葱に心からの敬意を込めた眼差しを向ける。

 

「恨まれても、憎まれても構わないとまで言った浅葱を、力尽くで捩じ伏せることなんて、俺にはできないんだよ」

 

「……だったら」

 

 ぽろぽろと涙を零しながら、浅葱は涙声で願う。

 

「此処で止まってよ……自分を犠牲になんてしないでよぉ……!」

 

 気丈に振る舞うのも限界だった。好きな人を血塗れになるまで追い詰めて平気でいられるほど、浅葱は冷酷な人間ではないのだ。

 

 溢れ出る涙と嗚咽を抑え切れない浅葱に、“まがいもの”は困ったように微笑みを零した。

 

「ぶっちゃけるとな、俺は嬉しかったんだ。“まがいもの”(おれ)を心から好きになってくれて、その上で此処までして俺を救おうとしてくれた浅葱の想いが、本当に嬉しかった」

 

 浅葱が恋をして、好きになったのは暁古城ではなく“まがいもの”の自分。暁古城の居場所を奪ってしまった“まがいもの”のために、涙まで零して立ち向かってくれたのだ。

 

 その想いを無碍にすることなど、まして自己防衛のためだろうと傷つけることなどできるはずもなかった。

 

 そう、だからこそ──

 

「浅葱が好きになってくれた俺は、凪沙とアヴローラを見捨てたりなんかしない。そうだろ?」

 

「…………ぅ」

 

 する筈がない。浅葱が好きになった少年は、大切な妹や家族同然の少女を見捨てる筈などない。そんなことは皆まで言わずとも理解している。

 

「酷いことを言ってるのは重々承知してる。それでも、浅葱が好きになってくれた“まがいもの”(おれ)でいるためにも、道を譲ってくれないか?」

 

「…………」

 

 “まがいもの”の頼みに浅葱は俯いたまま沈黙。零れ落ちる涙が足元のアスファルトを濡らすことしばし。目を伏せたまま浅葱は弱々しく口を開いた。

 

「卑怯よ……そんな言い方されたら、止められるわけないじゃない……」

 

 浅葱の細い指がノートPCのキーボードを打つ。数秒後、道を塞いでいた有脚戦車と警備ポッドが静かに左右へと移動する。“まがいもの”の道を塞ぐ障害物はなくなった。

 

「行って、早く……あたしの気が変わらないうちに」

 

「浅葱……」

 

 顔を伏せたまま目も合わせようとしない浅葱。“まがいもの”は微かな迷いと罪悪感に足を止めかけるも、すぐに逡巡を振り払って歩き出した。

 

「──ありがとう、こんな“まがいもの”(おれ)を好きになってくれて」

 

 擦れ違い様に心からの感謝の言葉を残して、“まがいもの”は凪沙とアヴローラの元へと駆け出した。

 

 

 ▼

 

 

 走り去っていく足音が遠ざかっていく。やがて足音が聞こえなくなり、完全に気配がなくなったところで浅葱はその場に膝から崩れ落ちた。張り詰めていたものが完全に途切れてしまったのだ。

 

「ああ……うあああぁぁ──!」

 

 人目がないことをいいことに浅葱は声が枯れ果てるまで泣き咽ぶ。恋破れ悲嘆に暮れる少女を止めるものは何もなかった。

 

 やがて体力を使い果たし、泣き疲れた浅葱はアスファルトの地面に倒れ込んだ。

 

「……いるんでしょ、モグワイ」

 

 掠れた声で浅葱が呼び掛けると、傍らに置かれたノートPCの画面に不細工なぬいぐるみが現れた。

 

 普段は軽薄な口調で浅葱を揶揄うことも多い高性能AIは、しかし今日に限っては神妙にしている。常日頃との落差に、あからさまに気を遣われていると察して浅葱は景気悪そうに唇を曲げた。

 

「悪かったわね、こんな我儘に付き合わせて」

 

「気にしなさんな。オレと嬢ちゃんの仲だろ?」

 

 “まがいもの”と対峙するにあたって浅葱は管理公社に配備されていた無人機の一部をハッキングして引き連れてきた。割とアウトなことをしているが、そこは正規の手続きを行ったように見せかけているため、のらりくらりと躱せるだろう。

 

 モグワイには手続きの偽装や、無人機の統制を手伝わせていた。この無駄に高性能な人工知能の助力があったからこそ、この場に駆け付け“まがいもの”と相対することができたのだ。結局は通してしまったが。

 

「でもあんた、あんまり乗り気じゃなかったでしょ?」

 

「……なんでそう思う?」

 

「さあ? なんとなく……女の勘?」

 

 具体的な根拠がある訳ではないが、ほぼ相棒同然のこのAIは何故か“まがいもの”を止めようとする浅葱に対して非協力的、あるいは消極的な気配があった。その理由までは分からず、さりとて妨害するようなこともなかったので気にも留めていなかったが。

 

 論理もへったくれもない浅葱の指摘に対してモグワイはしばし沈黙。ややあってから、普段の彼とは似ても似つかない口調でボソリと答える。

 

「全てを擲ってまで十二番目(ドゥデカトス)を救おうとする坊主がどんな結末に辿り着くのか、ちょっとばかし気になっただけさ」

 

「なに、アヴローラが何者なのか知ってたわけ?」

 

「サァね。昔、似たような境遇の奴を見たことがあるのかもな」

 

 それ以上は真面目に答えるつもりもないのか、いつもの軽薄な口調で誤魔化した。

 

 気にはなるものの浅葱も深くは突っ込まず、何処か投げやりな様子で溜め息を吐く。

 

「あ〜あ、結局は振られちゃったのよね……あ、やば。改めて実感したらまた泣きそ……」

 

 慌てて腕で目元を覆う浅葱。しかし零れ落ちる涙を抑えることはできず、アスファルトの地面に新たな染みを作った。

 

「あたしを振ったんだから、ちゃんと救ってきなさいよ、古城」

 

 直接伝えることのない激励を口にして、浅葱は涙を流しながら想い人の願いが叶うことを祈るのだった。

 

 

 ──浅葱は知らない。“まがいもの”もまた、知らなかった。

 

 “まがいもの”の突き進む道を阻む者は浅葱だけではない。試練は始まったばかりで、抗いようのない絶望が待ち構えていることを。

 

「──暁古城。貴方は藍羽浅葱のもとで歩みを止めるべきだった」

 

 銀の槍を携えた少女が“まがいもの”の進む道に立ち塞がった。

 

 

 

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