──何が起きている?
己の手足たる眷獣たちが、揃いも揃って主人に牙を剥く。血の従者でしかない“まがいもの”と轡を並べ、叛旗を翻している。信じ難い光景だった。
「おのれ……!」
魔力を注ぎ込んだ黒翼で地盤を捲り上げ、瓦礫の大津波を繰り出す。だが、それらは全て衝撃波の化身たる双角馬によって粉砕された。瓦礫を隠れ蓑に地下から伸ばしていた溶岩の杭も、周辺一帯ごと霧化させられて無駄に終わる。
ならばと、やっとのことで掌握した二体目の眷獣──“
──何故、我に逆らう?
“
原始回帰の激流が間欠泉の如く重力に逆らい天へと噴き出す。空高く噴き上がった水流はやがて重力に従い、雨となって人工の大地に降り注ぐ。
触れるだけで強制的に原始回帰を引き起こす凶悪な雨だ。対処を誤れば人工の大地ごと全てが原子の粒へと還される。
降り注ぐ豪雨に応じたのは黄金の獅子だ。天にも轟く咆哮と共に雷を解き放ち、夜を真昼と勘違いさせるほどの雷光で雨を分解した。
「有り得ぬ……!」
真祖の資格を得たわけでもなく、眷獣たちを屈服させて従えているわけでもない。同じ志を持つ仲間として肩を並べて戦う“まがいもの”たちの姿を、“原初”は到底受け入れることができなかった。
いつの間にか背後に回っていた神殺しの大狼が擦れ違い様に三枚目の翼を奪い取っていく。残された一枚の翼が怒りと憎悪に震えた。
──殺神兵器たる我が身から別たれた汝らが、何故、何故、何故?
天部の神々によって創り出された
自我を持たないはずの兵器が、まるで人のように意思を持っている姿が信じられなかった。
あらゆる抵抗が悉く一蹴される。残る二体の眷獣を完全掌握したとしても、勝機が見えない。原初の第四真祖たるこの身が、“まがいもの”風情に追い詰められていた。
折れることなく、諦めることもない。人外染みた鋼の精神で此処まで辿り着き、この状況を手繰り寄せた“まがいもの”。眷獣たちと共に戦う姿は正しく真祖のそれ。
──なんだ、これは? これでは、まるで……“まがいもの”こそが真なる第四真祖で、
死闘の中で一瞬の思考。それは明確な隙であり、黄金の獅子が眩い雷光を纏って疾走する。瞬きほどの時間、稲妻と化して駆け抜けた黄金の獅子は最後の翼を喰い千切っていた。
全ての黒翼を失い、著しく魔力を損耗した“原初”が蹌踉めく。目眩にも似たような感覚に襲われてふらつき、それでも“原初”は今にも崩れそうな瓦礫の上で踏み留まった。
だがしかし、状況は絶望的なものだった。黒翼を失ったことで魔力を消耗し、眷獣の召喚もままならない。暁凪沙の反抗も強まり、気を抜けば肉体の主導権を奪われかねない状態である。
駄目押しに“まがいもの”が凪沙の身体から“原初”を引き剥がすために近寄ってきている。吸血行為を介して魂たる“原初”を引き抜こうとしているのだ。
弱り切った“原初”に抗う術はない。時間を置けば“まがいもの”の肉体を乗っ取ることはできるが、その前に諸共に自滅されるのが目に見えている。
原初の第四真祖が、“まがいもの”風情に敗北する。己の手足たる眷獣たちに叛逆され、無様に滅びようとしている。
「……否」
原初の第四真祖が“まがいもの”風情に膝を屈する? 殺神兵器たるこの身が、たかが眷獣ごときに叛逆されて滅びるだと?
「否、否、否ッ──!」
認められるはずがない。受け容れられるわけがない。
「我は世界最強の吸血鬼。不死にして不滅。一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する者──愚かな神々の手で創造された、咎神を滅殺する殺神兵器」
従えていたはずの眷獣たちは大半が離反し、真祖として完全に覚醒できていなかったとしても、その身は天部によって創造された殺神兵器だ。“まがいもの”ごときに敗北などしてしまえば、それこそ己の
故に“原初”は躊躇うことなく禁じ手を切る。敗北すれば滅ぶことが決まっているのだ。今更迷う理由など何処にもなかった。
「そして──」
“原初”の纏う空気が変わる。異変に気付いた“まがいもの”が走り出すが、もう遅い。“原初”は自らの意思で
「──“
“聖殲”。その単語が
「は、ははは、はは破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊破壊……消去消去消去消去消去消去……!」
「嘘だろ、それは……!?」
“原初”が何をしたのか、原作知識から即座に悟った“まがいもの”は顔を引き攣らせた。予測が間違いでなければ、原作知識があってなおこの後に何が起きるのか想像ができない。
今までの傲岸な笑みではない、壊れたブリキ人形のように歪な笑みを浮かべる“原初”。その身体を中心に禍々しい魔力が噴き出し、渦巻き、そして──終末の嵐が顕現した。
▼
「ふむ……これは、些か拙いことになったか?」
クォーツゲートからやや離れた位置にある時計塔の上。“宴”の行く末を見物していたジャーダが、少し困ったように呟いた。
ジャーダの眼下では天まで伸びる漆黒の竜巻が顕現していた。竜巻の正体は“原初”が引き起こした魔力の嵐。端的に言えば魔力放出だ。
だが、その規模が狂っている。放出された尋常ならざる負の魔力は激しく渦巻き、人工の大地を掘削機のように削り、地上の全てを更地にする勢いで拡大を続けていた。老朽化の進んでいた旧南東地区の崩壊は確実だろうが、このまま放置すれば絃神島本島の方にも莫大な被害が及ぶだろう。
「お気を付けください、陛下。あの嵐、少々厄介な性質を持っているようです」
ジャーダの隣に肩を並べて趨勢を眺めていたヴァトラーが、すっと目を細めて漆黒の嵐を見据えた。
「嵐に乗せて毒をばら撒いているようですね。恐らくは、“
「道理で肌がひりつく訳だ」
嵐が顕現してから肌に違和感を抱いていたが、その理由に納得がいったとジャーダは頷く。あの竜巻は傍迷惑なことに眷獣の有する猛毒を風に乗せてばら撒いているのだ。今はまだ大した影響は出ていないが、時間が経てば経つほど毒の影響は拡大するだろう。
毒だけではない。竜巻によって巻き上げられた大量の瓦礫が火山噴火の噴石の如く四方八方へと飛ばされ、駄目押しに原始回帰の水が雨として降り注ぐ。もはや旧南東地区に安全地帯はなく、何れは絃神島本島もこの脅威に晒されることになる。
「
一度でも起動すれば秘密を知ろうとした者を全て滅ぼすまで止まろうとしない殺戮人形へと堕ちる。それを“原初”は自らの意思で起動させた。結果、終末の嵐ともいえる厄災が顕現した。
抹殺対象が自分自身という矛盾が、
「ここに居られましたか、閣下、アルデアル公」
この世の終わりのような景色を眺めていたジャーダの傍らに、音もなく巫女装束の古詠が現れる。その手には眩い銀光を放つ“雪霞狼”が握られていた。
「申し訳ありませんが、第四真祖との和平交渉は白紙に戻させていただけますか」
「あれを滅ぼすつもりか?」
「はい。ああなってしまっては交渉も何もありません。我々が責任をもって、確実に滅ぼします」
「まあ、その槍があれば仕損じることはなかろうな……」
真祖殺しの槍を原典とする“雪霞狼”であれば、終末の嵐を突破して暴走状態の“原初”を滅ぼすこともできるだろう。その辺りの心配はしていなかった。
だが、ジャーダ個人としては古詠の意見に賛同するつもりはなかった。
「そう逸るな、“
「事は一刻を争います。悠長にしていれば
この期に及んで高みの見物を続けようとするジャーダに、微かな苛立ちを抑えながら古詠は生真面目に言った。
終末の嵐は今も範囲を拡大させ、遠からず旧南東地区全土を覆うだろう。そうなれば、この地区にいた市民たちが全滅する。
儀式の影響で擬似吸血鬼化している市民たちは下手な獣人よりも肉体が頑丈になっている。だが、あの嵐に呑み込まれてもなお生命維持ができるほどの頑強さはない。記憶の搾取だけでは済まなくなるのだ。
“焔光の宴”に際してある程度の犠牲は許容せざるを得ないとしたが、被害を抑えられるのであればそれに越したことはない。最低限命だけは守るためにも、早急な対処が必要不可欠だった。
「もはや猶予はありません。申し訳ありませんが、
「だからそう焦るなと──そら、来たぞ」
ジャーダが口端に笑みを浮かべた。その愉悦に輝く瞳が見据える先で、事態が動き始めた。
地上で複数の魔力の波動が発生する。それと同時、災厄の化身たる眷獣たちが終末の嵐を抑えるために飛び立った。
黄金の獅子と緋色の双角馬がその権能を嵐へと叩き付け、これ以上の被害拡大を阻止するべく立ち向かう。莫大な雷光は天より降り注ぐ原始回帰の雨を防ぎ、荒れ狂う衝撃波は飛来する噴石の悉くを打ち砕いた。
霧の甲殻獣は旧南島地区全土を市民たちごと霧化させる。既に
金剛の大角羊は絃神島本島への被害を防ぐべく巨大な障壁を展開。これで獅子と双角馬が撃ち漏らした厄災が本島に被害を及ぼすこともなくなった。
そして最後の一体、双頭の龍蛇は──
「──くふっ、そうでなくては面白くない」
「なんて、無茶を……!」
“
双頭の龍蛇が生み出す次元断層はあらゆる障害を切り裂き、あらゆる攻撃を防ぐ最硬の盾となる。だが、持続時間は短く範囲も狭い。盾一枚で自然災害に突っ込むのと同義だ。
だが、“まがいもの”は躊躇わない。嵐の先に待つ大切な妹を救うため、
頭痛がするとばかりに古詠がこめかみを抑える一方、ジャーダは“まがいもの”の無謀な突撃を見届ける。邪魔も助太刀も必要ない。“原初”の暴走を止める役目は“まがいもの”のものだ。
「さあ、此処が正念場だぞ。我らを楽しませてくれ、暁古城──いや、“まがいもの”よ」
ジャーダたちが見守る中、一瞬だけ切り拓かれた道に“まがいもの”は飛び込んでいった。
▼
爆発的な勢いで巻き起こった漆黒の竜巻に吹き飛ばされ、“まがいもの”はクォーツゲート跡地から離れた瓦礫の上で意識を取り戻した。
起き上がってすぐに“まがいもの”が目にしたのは巨大な漆黒の竜巻。嵐と形容しても大袈裟ではない天災だ。
「こんな無茶苦茶が罷り通るのか……」
何が起きたのか、“まがいもの”は原作知識で大凡理解していた。“原初”が自らの意思で
原作では那月が“聖殲”について探ろうとした際に発動した
加えて今の“原初”は“焔光の宴”という儀式の真最中。生贄として捧げられた魔力を無尽蔵に吸い上げることができる。脅威度に関しては原作のそれとは比較にならないだろう。
様々な要因が重なった結果、顕現したのが終末の如き漆黒の嵐。支配下にある眷獣の権能を織り交ぜた死を齎す竜巻は、今なお勢力を拡大し続けている。
「…………」
終末の嵐を見据える“まがいもの”。その脳裏には、嵐の中心に居る“原初”の姿が浮かんでいた。
憤怒と屈辱、焦燥が入り混じった中に僅かに垣間見えた──悲哀と寂寥。
“原初”に自覚はないだろうが、あの瞬間、相対する“まがいもの”は見てとったのだ。そして無意識のうちに目を逸らしていた事実を認めた。“原初”もまた、“
「そうだよな。アヴローラたちに生きてほしいって願うのなら、お前にも同じように向き合わないといけなかったんだ」
咎神カインを滅ぼすためだけに生み出された殺神兵器。後にその能力を危険視され、眷獣を引き剥がされて十二の器に封印された。身勝手な創造主の都合に振り回されたのが“原初”だ。
“
遅くなってしまったが、まだ手遅れではないはずだ。覚悟を新たに“まがいもの”は眼前に聳え立つ嵐と対峙する。
荒れ狂う終末の嵐は現在進行形で勢いを増している。戦略兵器と同列扱いされるだけの暴虐だ。とても生身で立ち向かえるようなものではない。
だが、向き合うと決めたのなら突き進むしかない。幸いにも、“まがいもの”には心強い仲間がいる。主従の関係になくとも力を貸してくれる
「みんな、力を貸してくれ!」
“まがいもの”の呼び掛けに眷獣たちが応じる。各々が指示を受けずとも各自の判断で嵐の被害を喰い止めに奔走した。これでしばらくは嵐の拡大と被害を抑えられるだろう。
「よし、あとは……ごほっ」
不意に“まがいもの”は大量の血塊を吐き出し、膝に手を突いた。常時ばら撒かれている猛毒の影響が目に見えて現れたのだ。
霞む視界とふらつく身体。今にも意識が閉ざされてしまいそうな苦痛に顔を歪めていると、“まがいもの”を支えるように神殺しの大狼が寄り添った。
「“
ぐるぅ、と唸り神殺しの大狼が姿勢を低くする。その眼差しが、背中に乗れと訴えていた。
逡巡はない。“まがいもの”は躊躇うことなく“
主人を乗せた神狼が嵐に突っ込まんと構えると、その隣に双頭の龍蛇が舞い降りる。他の眷獣たちが嵐の拡大を喰い止めている中、この龍蛇は“まがいもの”の道を切り拓くために残ったのだ。
龍蛇の眼が準備はいいかと問い掛ける。間髪入れずに頷きを返せば、次元の彼方にまで響く咆哮を上げて双頭の龍蛇が終末の嵐に喰らいかかった。
全てを異次元へと送る凶悪な顎が終末の嵐に風穴を穿つ。生じた次元断層が吹き荒ぶ嵐の中に一本の道を作り出した。
「ありがとう、
龍蛇に感謝の言葉を残し、“まがいもの”はすぐさま“
嵐の中で待っているだろう少女たちを見据え、“まがいもの”は“
▼
終末の嵐の中心、堆く積み重なった瓦礫の山頂で“原初”は虚な表情で立ち尽くしていた。
今の“原初”は儀式で繋がっている擬似吸血鬼化した者たちから際限なく魔力を汲み上げ、眷獣の権能を織り交ぜて放出するだけの機構と化している。意識はほぼないに等しく、凪沙の意識も完全に沈んでしまっていた。
正しく殺戮人形。神を殺すためだけに創造され、役目を終えたら封印された殺神兵器にはお似合いの末路だ。
ぴしり、と皮膚が裂けて血が流れる。無茶苦茶な魔力放出に耐えかねた凪沙の肉体が崩壊し始めていた。真祖として完全覚醒すらできていない身体で、天災そのものを引き起こすことなどできるはずがないのだ。
それを可能としているのが
朧げな意識の中で“原初”は自身の末路を嗤う。己の手足たる眷獣たちに離反され、追い詰められた末に選び取ったのは盛大な自爆だ。世界最強の吸血鬼が聞いて呆れる。
だが、これでいい。設定された
──まだ、終わってないよ。
ふと、誰かの声が響いた。ほぼ意識がない状態の“原初”には、それが誰の声なのかも判別がつかない。
──顔を上げて、前を見て。
何かを、言っている。何を言っているのか、よく分からない。
だが“原初”はほぼ無意識のうちに顔を持ち上げた。真紅に染まった空虚な瞳が、荒れ狂う嵐の壁を見つめる。
──ほら、来るよ。
虚な真紅の瞳が見つめる一点、漆黒の嵐の壁が揺らぐ。次いで狼の咆哮が響き渡り──嵐の壁を突き破って神殺しの大狼が現れた。
終末の嵐を突破した神殺しの大狼は全身ズタボロだ。嵐の壁を突き破った勢いそのまま、瓦礫の大地へと滑り込むように力尽きる。代わりにその背中から飛び立ったのは“まがいもの”だ。
“まがいもの”も終末の嵐にその身を蝕まれて酷い有様ではあるが、それをおくびにも出さず瓦礫の山を踏み締める。揺るぎない覚悟を宿した瞳は、積み重なった瓦礫の山頂に立ち尽くす“原初”を見据えていた。
「“原初”──!!」
“まがいもの”が怒鳴るような勢いで呼び掛けるが返事はない。代わりとばかりに
“原初”の背中から漆黒の竜巻が吹き荒れ、大蛇のようにのたうち回る。外で渦巻く終末の嵐を個人で扱える規模にまで落としたのだろう。
だが規模を落としても秘めたる暴虐は変わらない。触れれば身体を擦り下ろされ、猛毒に侵される。迂闊に突っ込むわけにはいかなかった。
狂ったような軌道で漆黒の竜巻が“まがいもの”に襲い掛かる。
「うぐ、おおおおお──!!」
横倒しの竜巻を飛び込むように躱し、瓦礫の山をどうにか駆け上る。だがその行手を阻むように竜巻が畝りながら戻ってきた。
「くそっ、近付けない……!」
咄嗟に足を止めて“まがいもの”は竜巻の先に佇む“原初”を見上げた。
嵐の中心に立つ“原初”は身動ぎ一つしない。背中から吹き荒れる竜巻だけが、侵入者を排除するべく蠢いている。その有様はさながら入力された
漆黒の竜巻をどうにかしなければ“原初”に近付くことはできない。しかし今の“まがいもの”に残された手札は皆無に等しい。力でどうにかすることは不可能に近いだろう。
ならば“まがいもの”にできることはただ一つ。外部からの呼び掛けで“原初”を叩き起こし、
道を阻む漆黒の竜巻の前、“まがいもの”は声を張り上げる。
「こっちを見ろ、“原初”──!」
反応はない。変わらず終末の嵐は渦巻き、竜巻は今も道を阻み続けている。
「目を覚ませ、“原初”──!」
反応はない。虚な瞳は何も映さず、人形のように立ち尽くしている。
声を張り上げても“原初”には届いていない。ただ呼び掛けるだけでは“原初”を引き摺り出すことはできない。ならば、と“まがいもの”は方向性を変えた。
「……逃げるつもりか?」
挑発的に口端を上げて言う。意識の底に引き篭もって出てこないならば、煽ってでも引き摺り出してみせる。傲岸不遜で支配者気質がある“原初”が、安かろうが煽られて無視などできるはずがない。
「そうやって全部捨てて、俺から逃げるつもりか!?」
反応は、ない。嵐を拡大させることを至上命題とする、無機質な終末機構のままだ。
ただ、微かにその瞳が震えた。その機微を“まがいもの”は見逃さない。
「原初の第四真祖が聞いて呆れるぜ! 血の従者程度に尻尾巻いて逃げ出すなんてなあ!?」
“まがいもの”渾身の煽りが炸裂した。
反応は──あった。
今までずっと無反応を貫いていた“原初”が、微かに身動ぎをする。ガラス玉のように空虚だった真紅の瞳に、激しい感情の色が滲む。凪沙の愛らしい顔立ちに似合わない青筋が僅かに浮かび上がる。
“原初”が意識を取り戻しかけている。もう一押し、そう確信した“まがいもの”は全力で息を吸い込んで──
「──
嵐の轟音を掻き消すほどの叫びが轟いた。
“まがいもの”の道を阻んでいた竜巻がふっと消失する。開かれた道の先、瓦礫の頂きには激怒しながら傲岸不遜に嗤う“原初”が立っていた。
「“まがいもの”、風情が……! 我を、愚弄するな……!」
「やっと俺を見たな、“原初”……!」
“まがいもの”と“原初”の距離はあっという間にゼロになった。
駆け上ってきた“まがいもの”に“原初”は最後の力を振り絞って鋭い貫手を繰り出す。死力を尽くした貫手は“まがいもの”の脇腹を容赦なく貫き、“原初”の手がアヴローラの肋骨を鷲掴みにした。
そのまま有らん限りの力で引き抜こうとして、逆に“まがいもの”に腕を掴まれて引き寄せられる。第四真祖として覚醒しつつあっても肉体は凪沙のもの。力比べで高校生男児に敵うはずがなかった。
「ぐっ、貴様……!?」
「終わりだ、“原初”──!」
宙を泳ぐ“原初”の肢体を抱き留め、“まがいもの”は無防備に晒された首筋に牙を突き立てる。吸血を介した同族喰らいをもって“原初”を凪沙の身体から引き抜くためだ。
首筋から啜る血を介して莫大な魔力と血の記憶が流れ込む。上流から押し寄せる濁流の如き力の奔流に呑み込まれ、“まがいもの”は──
▼
深層意識の奥底、誰の邪魔も入らない原初の地。膨大な血の記憶が織りなす空虚な世界。時間の流れから切り離された空間で、意識体として二人は改めて向き合った。
「取引をしよう、“
穏やかながらも真剣な声音で“まがいもの”が切り出す。
「俺の全部をお前にやる。その代わりに、お前は──」
「──止めよ」
酷く詰まらなさそうな表情で“原初”は“まがいもの”の第一声を遮った。
「汝が何を考え、何をしようとしているのか、手に取るように分かるぞ。全くもって不愉快だ」
意識空間にて邂逅した時点で“原初”は“まがいもの”が何を考えているのかを即座に見抜いた。この度し難いほどのお人好しは、有ろうことか殺し合っていた自分まで救おうとしているのだ。
「我と器どもを重ねているようだが、思い違いも甚だしい。我をあんな欠陥品共と一緒くたにするな」
心底不快だとばかりに“原初”は口端を歪めた。
「我は世界最強の吸血鬼。“聖殲”のために創造されし殺神兵器だ。その在り方が変わることは、未来永劫有り得ぬ」
“原初”は咎神カインを滅ぼすため、“聖殲”に対抗するためだけに創り出された
定められた
周囲に殺神兵器として在れと強いられたのではない。最初から殺神兵器としてしか生きられないように創り出された。故に“
「汝が我に何を望もうと、我が変わることはない。器どものように、呪われた運命から逃れようとも思わない」
救う救わない以前の問題だった。手を差し伸べたところで意味がないのだ。
断言する“原初”に、しかし“まがいもの”は納得がいかないと反論する。
「そんなの、分からないだろ。お前だって、きっと……」
「くどい。論ずるだけ無意味だ。何より、世界最強の吸血鬼たる我が、血の従者風情に阿てまで生き存える道を選ぶと思うか」
「…………」
「不死にして不滅。一切の血族同胞を持たず、支配を望まず、ただ災厄の化身たる十二の眷獣を従え、人の血を啜り、殺戮し、破壊する者。何者にも屈することはなく、支配されることもない。孤高のまま滅ぶことこそが我が本望だ」
“原初”が徐に手を翳す。すると“まがいもの”の眼前に一振りの氷槍が現れた。一塊の氷塊から削り出したかのように透明で、水晶のように美しい槍だ。
「さあ、この血塗られた“焔光の宴”に終止符を打つがいい」
全てを受け入れるように“原初”は両手を広げた。
“まがいもの”は最後まで迷い続けた。目の前の
槍を携え“原初”の前に立つ“まがいもの”。現実での死闘が嘘のように、“原初”は粛々と槍の矛先を待ち構えている。
槍の矛先を“原初”の心臓に向ける。一突き、それでこの長い“宴”は終わりを迎える。
「……悪いな、“原初”。孤高で終わりたいっていう望みは叶えてやれない」
「この期に及んで、まだ手を差し伸べようと?」
「いや、そうじゃない。俺は俺のエゴのために、お前を滅ぼす。その代わりに──」
鋭い氷の矛先が“原初”の心臓に吸い込まれる。その直前、“まがいもの”は終焉を望む
「──俺も、一緒に死んでやる」
“まがいもの”の言葉に目を丸くする“原初”。元より道連れの心積りだろうに、今更何をと思う。けれど“まがいもの”の声音に含まれた、一人にはしないという響きが、最期の最期で“原初”の感情を揺さぶった。
「……つくづく忌々しい男だ」
呆れ混じりの溜め息を零して、“原初”は槍の矛先を受け入れる。その口元は微かに綻んでいた。
▼
拡大を続けていた終末の嵐が縮小していく。突如として顕現した天災は幻であったかのように消え去り、何事もなかったかのような静寂の月夜が戻ってきた。
青白い満月が照らす瓦礫の頂きで“まがいもの”はほっと安堵の息を零す。腕の中では“原初”──ではなく、凪沙が気を失い眠っている。
“まがいもの”による同族喰らいは成功した。
とはいえ、消耗から回復すれば“原初”は“まがいもの”を侵食するだろう。のんびりしていられる時間はそうない。
穏やかに眠る凪沙の髪を慈しむように撫で下ろし、ゆっくりと瓦礫の上に横たえる。そのまま瓦礫の山を降りて、ある程度の距離を取った。
“まがいもの”は腰に吊り下げた銀のクロスボウを手に取る。真祖殺しの槍が装填され、霊力が封入された
引鉄に指を掛けたまま、照準を自身の胸元に合わせる。血の従者であり、なおかつ“原初”の依代となった肉体。真祖殺しの槍を用いれば確実に滅ぼすことができる。
“まがいもの”は引鉄に掛けた指に力を込めて──不意に、瓦礫の山頂から掠れた声が響いた。
「だめ、お兄ちゃん……!」
「凪沙ちゃん……」
意識を取り戻した凪沙が、瞳を涙で潤ませながら訴えていた。極度の疲労と消耗で立ち上がることもままならないのか、這う這うの体で必死に手を伸ばしている。
「いやだよ……お兄ちゃんまで失うなんて、そんなの堪えられない。凪沙を、置いていかないでよぉ……!」
実の兄である古城に続き“まがいもの”まで失ってしまったら、もう凪沙は立ち直ることができない。なまじ自分の身代わりになろうとしている分、凪沙の精神的ダメージは計り知れなかった。
凪沙の悲痛な訴えに“まがいもの”は胸が張り裂けそうな痛みに襲われる。“まがいもの”とて、叶うならば凪沙の側で見守りたいと思っている。だが、それは叶えられない。
“まがいもの”は救うと決めたのだ。凪沙とアヴローラ、そしてもう一人──
「ごめん、そのお願いは聞けない。でも、何も心配要らないさ。凪沙ちゃんは一人じゃない。何故って──」
瓦礫を踏み締める音が響く。同時に引鉄に掛けていた指が凍り付いてしまったかのように動かなくなった。血の従者としての本能が、主人からの命令に服従しているのだ。
来るだろうと予想していた“まがいもの”は驚くこともなく振り返り、強い眼差しで見上げてくる空色の瞳を真正面から見据えた。
「──本当の
嵐が過ぎ去った“宴”の舞台に、最後の役者が足を踏み入れた。