一人の少年がただ只管に銃を撃っていた。射撃場のようなその場所は、個人が使うスペースを透明のガラスで区切っている。少年の齢はおよそ十歳ではあるが、到底そのようには見えない。白髪の長い髪は、とても現実離れしていて中世のフィクションから迷い込んだかのような容姿であった。
そこには少年以外誰もいない。理由はごく単純に時間帯である。多くの者が寝静まっている中で、彼だけこうして銃を撃ち続けているのだ。
目標となっている人形は十メートル先。それも五体。少年が撃っているのはハンドガンであり、片手で連射しているが一向に命中しない。
そもそもこれは彼にとっては八つ当たりであった。亡国機業に来たばかりであり、余りにも眠れない日々が続いていた。
眠れなければ出歩くのが彼の癖であり、それは不思議な事にまだ残っていたらしい。そして射撃場が空いていたから、こうして何度も撃っているのである。
使用したマガジンの数は既に十を超えている。しかし腕は一向に疲れない。だからまだまだ撃てる。
だが当たらなければ意味が無いのだ。故に少年は苛立っていた。
『子供がこんな時間に起きてるんじゃない。さっさと寝ろ』
声がした。刃物のような鋭い、だけどどこか柔らかさを秘めた女の声が聞こえた。
振り返ると女が立っている。黒いコートに身を纏った銀髪の女が呆れ顔で少年を見ている。
『眠れない』
『子守唄でも無いと無理とかいう歳じゃないだろ。ところで、見ない顔だけど名前は?』
『……アイン。彼女はオレをそう呼んだ』
『彼女……ねぇ。こんな大物どこで拾ってくるんだか』
女は名乗らないまま、彼の隣へと歩いて来る。そうして彼女もまた銃を構えた。
彼と同じ体勢で、彼と同じ目線で、だと言うのにその動きはなめらかで瞬く間に五体ともに命中させた。
『知りたきゃ当ててみな。ハンデだ、アンタは一体だけでいい』
『……』
『……』
『……』
『……分かった分かった。コツくらいは教えてやるさ』
女は髪を掻いてから、再び銃を構える。既に銃弾が命中し額を貫かれた五体の人形はまだ役割を終えていないらしい。
『いいか、目だけで見るな。アンタの心で、魂で狙いを定めろ。仕留めようとか当てるとかタイミングなんて考えなくていい。己が魂の信じるがままに撃て』
少年が銃を持つ。女と全く同じ動きで、同じ目で、狙いを定める。
――魂で、己が信じるがままに、放つ。ただそれだけを考える。
引き金を引いた。瞬間、彼の心に生まれたのは当たったと言う確信だった。
見れば、人形にはもう一つ穴が開いている。それがどういう結果を現しているのかは明白だった。
『随分と綺麗な撃ち方じゃないか』
『……貴方の言うとおりにしただけだ』
『そりゃ嬉しいね、教えた甲斐がある』
やがて女は使っていた銃をホルスターに収めて踵を返した。
少年が名前を聞こうとした時、彼女の右手が彼の頭を押さえる。
『そう慌てるな、いつか来るさ、教える時が。その時になったら教えてやる』
『……分かった』
それが師弟の初めての出会い――女、カレン・ボーデヴィッヒが少年アインの教官に任命される数日前の出来事だった。
「さすが軍事用IS……。打鉄やラファールとは桁違いの装甲だ」
既に狙撃銃の弾丸は何度か当てているが、それでも福音はまだまだ戦闘続行が可能な状態を維持している。従来のISなら一撃で撃墜するはずの威力を何度も受けて、それでも福音は戦闘を行っている。それは今までアインが対峙したISの中ではありえない事だった。
並々ならぬその性能に、アインは感嘆の声を漏らした。
既に数十分近くは戦闘を続けている。撃っては躱し、撃っては躱し――ただそれを繰り返し続けているだけ。
彼が乗っている無人機に何か戦闘用の装備でも搭載されていれば良かったのだが、生憎この機体にそんな贅沢品は存在しない。全身装甲である故に、スラスターと搭乗者を保護するシールドを増強する装備ばかり。この無人機が行える戦闘行動は文字通り体当たりくらいしかなかった。
そしてアインの手持ちの武装の中でも彼が使用する対物狙撃銃の破壊力はトップクラスに位置している。その猛撃を受けて尚、戦闘当初と変わらぬ動作を続けているのだから凄まじい限りだ。
『アイン様、まもなくIS学園の専用機持ちに視認されます。着水の準備を』
「……ちっ」
出来れば撃墜するか
確実に命中させるつもりならかなり接近する必要があるが福音からの白兵攻撃を受ける可能性が高くなり、最悪の場合海に蹴り落とされる危険性もある。アインとて頑強な肉体ではあるが、負傷を知らぬと言う訳ではない。心臓を貫かれれば数分死ぬし、頭部を吹き飛ばされれば即死する。故に決定的一撃を見いだせずにいた。
だが、このままでは一方的に勝機を見出せないのも事実だ。その平行線をどう突破するか。それだけを彼は考え続けていたが、時間切れである。
無人機を海面へ猛進させ、着水の体勢を整える。アルカの作成した無人機は水陸空のいかなる場所でも変わらぬ機動性を発揮してくれる。例えそれが何の裏打ちが無かったとしてもアインは無条件でそれを信用していた。
「……ッ」
海に飛び込む瞬間、福音があらぬ場所へ攻撃を仕掛けた。すなわち、IS学園の専用機が敵と見なす範囲まで近づいたのだ。
海面から頭だけを出して周囲を見渡す。蒼穹の遥か彼方に、六機のISの姿が見えた。その中の一機――白銀の機体に、アインは鋭い視線を向けた。
「お手並み拝見だ。作り物」
「IS学園と福音が交戦を開始しました。衛星リンクからの映像をアイン様から福音へ切り替えます」
「えぇ、お願い」
巨大スクリーンに映し出される映像がIS学園の専用機持ち達の姿を晒す。無論、よその国が持っていた通信衛星をハッキングしているのだ。その手際の良さはアルカならではの動きである。
画面に表示された中にスコールは織斑一夏の姿を見つけた。彼女の脳裏にある人物が過ぎる。織斑一夏へ並ならぬ執着を持つ一人の少年。
“彼のクローン……さて、どれだけ楽しませてくれるか見物ね”
「……アイン様が密漁船の制圧行動に移りました。恐らく船を乗っ取るつもりでしょうね」
「制圧……ね。アルカ、スクリーンの四方のどれかに映像を出せる?」
「はい」
見れば、アインが船に乗っていたらしき男達を気絶させ、無人機へ運ばせているところだった。まだ服や髪が濡れている事からこの船の制圧には然程時間を取らなかったように見える。
海に投げ込めばいいのに、と思うがそもそも彼は無関係の人物を殺すことを酷く嫌う。敵対する人間であり、障害となる事が確定しているのならばアインは容赦なく殲滅する。だが、何も関係が無い第三者への巻き添えは彼が最も嫌う行為だった。
これまでもそうだ。例え相手が誰であろうと、目標もしくはその障害でなければ殺しはしない。彼が殺すべきに値すると認知された者でなければ、彼は生かす。それが甘えと呼ばれようとも、その在り方を変えはしないだろう。
戦闘機械にもなり切れず、人間にもなり切れない。そんな半端な生き様を紛糾する者がいればスコールはその者を決して認めはしないだろう。彼はまだ十五の少年だ。普通ならば学校へ通い日常を謳歌している年頃のはずだ。成熟し切っていない彼の心は簡単に脆い。生と死を受け入れる事は出来ようとも、第三者の生死を彼自身が断ずることなど、許容できるはずが無かった。
現にスコールは何度か聞いた事がある。
彼が無関係の人物を殺してしまった時――その任務の帰還中に、彼は只一人でごめんなさいと震えながら呟き続けていた事。誰もいない一人の時にしか、彼は泣かないのだと。
それはきっと、あの研究所で無関係の人たちへの殺害に酷く強いトラウマを受けたからだろう。戦えば戦う程、彼は擦り切れていく。その体と心は無力と後悔に詰られる。
だが、それでもアインは戦う事をやめない。やめる事を彼は望まない。やめてしまえば、それは冒涜である。殺した者への侮蔑にも等しい。だから戦う。それが彼の理由だ。戦火に身を躍らせ、一時の戦士となる覚悟だ。
そこには自身の目的のためだけではなく、救い出してくれたスコール達への恩も含まれていた。名前を与えてくれた彼女達に報いるべく、彼は我武者羅に走り続けている。光など全くないその道を、彼女達への思いだけで突き進んでいる。
自身を只管犠牲にして、何かを背負い込もうとするその姿。それが酷く美しくて、それが酷く哀しくて。そんな生き方を疑わない彼がとても無邪気な童のようにも見えた。
その在り方に対して惹かれずにはいられない。目を離せば、今にも死に対して躊躇いなく突進していくような人であるから。
「本当に優しすぎるわね……」
“アイツ、あぁ見えて結構脆いぞ?”
カレンの言葉が、スコールの脳裏を駆け巡った。その事に少しだけ口元を緩める。任務を終えた彼に対して、どんな労いの言葉を掛けようかと思いながら。
その後ろで構成員が高官を拘束していた物を外そうとしていた事など知らず。
船の先端でアインは声を漏らす。その瞳はいつなく鋭く、まるで刃の如き眼光を孕んでいた。彼の両手が強く握りしめられ、奥歯は強く噛み締められている。
彼が見ているのはIS学園と福音の戦闘だが、その光景は彼の怒りを逆撫でするには十分すぎるモノであった。
「――」
白式の戦闘能力――もし今のアインが交戦するならば撃墜に数分とはかからない。その事実が酷く癪に触る。それほどまでに今の有様は、彼を酷く失望させた。
その行動に迷いはなかった。右手に光の粒子が集いロケットランチャーを構成する。砲身を右肩に乗せるようにして構え、スコープを除く。その動きは淡々としており、一切の澱みがない。
“スティンガー”と呼ばれる携行兵器。それがこの対空火器の名称であり、アインへ新しく追加された武装だ。タンフォリオ・ラプターでの火力不足を補い、命中率と戦略性を大幅に上昇させるために厳選された火器。放たれたホーミングミサイルの破壊力は量産型の装備で固められたISなど木っ端微塵に破砕するだろう。
それが彼の新たな武装であり、破壊に特化させるための一つでもある。鈍色に輝く砲身を担ぎ、照準を合わせる。バイザー越しに合わせる事など、彼にとっては造作も無い事だった。
命を屠るその重みを軽いと思った事など無かった。
引き金を引く指が、容易く動いた事など無かった。
バイザーと連動して伝えられる情報から、白式を完全にロックオンした事を読み取る。後は引き金を引けば、放たれたホーミングミサイルが織斑一夏の生命を消し去るだろう。
その事に何の疑問も持たなかった。まるで織斑一夏を殺す事が義務であるかのよう、その動きはただ機械染みていた。
バイザーの下にあるのは無機質な瞳。引鉄に指がかかる。彼の時間が凍り付く。決して何物も寄せ付けようとしない程の――
『何をなさるつもりですか、アイン様』
あ、と間の抜けた声を漏れる。意識が鮮明になっていく。彼を凍り付かせていたはずの時間が徐々に溶けて行く。
自身の内側から響くアルカの声が彼を現実に引き戻す。
『お気持ちは分かりますが、今織斑一夏を殺害すれば作戦の失敗は確実です。今回の目的は織斑一夏ではありません。福音の声をお忘れですか』
「――」
『福音を救う事を考えてください。それとも今ここで織斑一夏を殺さなければならないほど、アイン様は恐れておられるのですか』
「……悪かった。作戦行動に戻る。後で懲罰は受ける。スコールにそう伝えておいてくれ」
『――分かりました、スコール様に伝えておきます。そして今からこちらにいる障害の排除に移ります。暫しの間、通信が効かなくなりますがご辛抱を』
「あぁ、ありがとう、アルカ」
これは帰ったらカレンに殴られるな、と微かに苦笑した。彼の右手に握られていたロケットランチャーは光の粒子となって体の中に消えていく。
心と体の調子を改めて見直す。精神は目的を第一に考えた思考を維持するように。肉体は精神とは切り離し、瞬間の世界を支配させるように。
仕留めるのではなく救出する。それが今回の目的だ。再度、強く自覚して、アインは手を強く握りしめた。
「――!」
爆撃音と悲鳴。目に見える世界の隅から弾ける閃光。視界を移す。
見れば、織斑一夏が福音に撃墜されていた。
その両腕に少女を抱き締めている。彼女を庇おうとして落ちたのだろう。その少女を知っている。その面影を、忘れられる理由など無かった。
「……」
言いようの無い怒りが込み上げてくるが、アルカに咎められたばかりだ。この怒りはいつの日か来るであろう邂逅の時まで抑え続けるしかない。
全てを心の内に仕舞いこみ、アインは改めて福音を見る。既にIS学園側は撤退を始めており、撃墜された織斑一夏も回収されていた。福音の様子を見ればIS学園は決定的な一撃を与えるには至らなかったらしい。彼にとっては結局仕切り直しと言う訳だ。
福音のセンサーが彼を捉える。どうやら一度戦闘を繰り広げた者の事は覚えているらしい。そしてその刹那に、彼の思考は戦闘論理へと紡がれていた。
スティンガーでは三十六門もある全方位射撃に対抗出来ない。タンフォリオ・ラプターは既に専用の弾丸を装填しているため、使用不可能。グレネードランチャーとショットガンも福音の速度には対応しきれず、マシンガンでは威力が足りない。そして彼は右手に武器を展開した。
銃身が異常に長い銃――彼が知る分にはアサルトライフルのカテゴリに分類される一つ。それは、元々対集団戦を想定して作られた軍事武装の一つであった。
ただし、余りの集弾率の悪さと高コストな弾丸のために廃棄されたのである。それをアインがたまたま任務中に回収し、アルカとカレンが改造を加えアインの手持ち武装となった。
弾丸は放つ一撃の重みはアサルトライフルとは言い難い。その一撃はスナイパーライフルの一撃にも匹敵する。連射の速度はマシンガンにも相当する。そしてアルカとカレンが強化した武器でもある。その銃にアインは絶対の信頼を置いていた。
既に福音はアインに気づいている。IS学園は負傷した二人を連れて戦闘領域から離脱している。
つまり考えるのは最早戦闘の事だけでいい。
福音から吐き出される光弾――その全てが船目掛けて殺到した。それは一発こそまだ耐えきれるが、纏めて迫ってくるとなれば話は別だ。
視界のほとんどが光で埋め尽くされる。瞬間、アインは駆けだした。
照準など合わせるまでも無い。この間合いと弾の数ならば撃てば当たる。
「っ!」
片手でアサルトライフルを乱射しながら、アインは海面へと跳び出す。彼が飛び込んだと同時に迫っていた光弾が、船を木端微塵に破壊した。
移動手段が潰された。頭の片隅に戦闘環境の思考が変化を遂げる。戦場の更新がさらに本能を加速させる。
“――船はもう使えない”
海上戦での船はアインにとって唯一の移動手段であった。だがそれが破壊された今、彼の思うような立ち回りは不可能に等しい。無人機は未だに戻ってこない。このままでは空を自在に飛ぶ事が出来る福音が圧倒的に有利だ。
奥の手を使う手段もあるが、その場合福音搭乗者の安全は確保できない。それでは意味が無い。福音との約束を果たさなければ――
思考を中段させるかのように福音の猛攻が加速する。繰り出された無数の光弾は先ほどよりも速度を増して迫る。
すぐさまスティンガーに持ち替えて、ホーミングミサイルを発射。だが、光弾によって完膚無きまでに潰された。爆発で何発かの光弾が誘爆したのがせめてもの救いか。
残りの光弾がアインへと降り注ぎ、その肉体を蹂躙しようと迫る。視認したその数は十を軽く上回っていた。
全てを埋め尽くさんとするその弾幕に舌打ちし、積み上げられた戦闘経験が現在の状況を打破するのに最適な手段へと導く。
スティンガーからナイフへと切り替え、光弾を切り裂こうとした時、突如としてアインの眼前にシールドが展開される。紫色のエネルギーが光弾を遮り、彼を爆風から遮断する。
何が起きたのか判断する前に、何者かがアインを海面から引き上げた。素顔はバイザーに隠れていて伺えなかったが、その姿には見覚えがある。
「……エム?」
「何をやっている、アイン」
アインを背に乗せているのはサイレント・ゼフィルスの機体だ。かつて彼が任務で強奪し、アルカが機体のチューニングを行った一品。同僚であり、同チームであるエムの専用機だ。全く気配が読めなかった事に、改めてアルカの技量の凄まじさを知る。やはり彼女が味方でいてくれて心強い。
機体の上で、体勢を整える。ナイフを仕舞い、再度スティンガーを展開した。この状況ならば勝ち目はある。
「IS学園側の部隊は全て撤退させた。そう簡単には戻って来れない、ここで終わらせるぞ」
「オータムは?」
「知らない。ハワイ沖の基地へ戻っていった。大方、スコール達の応援でも向かったと思う」
暴雨の如き光弾の群れを、シールドビットが悉く防いでいく。全方位から迫る猛撃を何一つ漏らす事無く防ぎ切るその力は本当に心強い。
相変わらず攻守優れた機体だと、苦笑を溢す。彼女がいるのならば、尚更下手な姿は見せられない。
「エム、移動と防御は任せた。その代わり、オレが攻撃に専念する。福音の攻撃はほとんど射撃と格闘だけだ。シールドビットさえ展開させておけば後は近距離に注意すればいい」
肩に担いだスティンガーを福音へと構える。左手のタンフォリオ・ラプターをホルスターに収納し、すぐに取り出せるようにしておく。呼吸は既に整った。昂ぶる気持ちは十分抑えきれている。
二対一で戦う以上、必ずどこかに隙は生まれるはず。そこを重点に攻めていく。
何より福音の動きは一度見たのだ。出来ない話ではない。ただ勝てばいい。それだけの事だ。
「……逃したら絶対に許さない。分かっているな? アイン」
「当たり前だ、決して外さない。お前も緊張するなよ、エム」
福音がマシンボイスと共に無数の光弾を放つ。輝く弾は破壊を秘めた光の粒子。全てを塵殺しようと迫る暴力。
その群れに躊躇い無く突進するサイレント・ゼフィルスが空を翔る。その背中に一人の戦士を乗せて。
放たれたホーミングミサイルは確かに、福音を捉えた。
織斑千冬はただ今の状況に歯噛みするしかなかった。銀の福音の撃墜失敗に加え、弟である織斑一夏が撃墜され、現在は意識不明の昏睡状態に陥っている。再出撃は叶わない現状であった。
そして何より不可解なのは彼が撃墜されたと同時に再び出現したISコアの反応である。現在福音と交戦してる謎の機体はまるで一夏が撃墜されるのを見計らっていたかのようだ。
まるで試されているような感覚が、苛立ちを増幅させる。
「くそっ」
小さく彼女は声を漏らす。それはやがて掻き消されるようにして消えていく。
未だに衛星リンクはジャミングにより妨害されており、映像を見る事はできない。学園側からも支援を要請してはいるが、それすらも遮断されており八方塞がりであった。
レーダーに映る反応だけが、戦場を知る唯一つの手がかり。だが何が起きているのかは分からない。
「……」
千冬はどこか不審な点を感じている。この作戦の始まりからずっと何を疑い続けている。
まず作戦本部からの余りに杜撰な情報や態度。そして専用機持ちだけを出撃させると言う限定された不可解な条件。軍用ISを鎮圧させるための防衛設備の皆無。
余りにも不自然な事柄が多すぎるのだ。だが結局彼女に出来るのは、指示する事だけ。
出撃などと言うのは、現行機を持たぬ彼女に出来るはずもなかった。
「――さて、一芝居は終わりですか? 高官殿」
アルカの無機質な声が管制室に響く。それは玲瓏な声であり、どこか非現実な声音だった。だが周りはそれに気づかない。
現在、彼女とスコールは、同じ部隊に投入された新人となっている全員に武装を向けられていた。無論それらは皆ISであり、生身の人間であれば問答無用で殺害する代物だ。
研究員と高官の拘束は既に解かれており、彼らは薄れた笑みで二人を見ている。絶対の自信に溢れた野心家―とは言っても大抵は失敗するタイプだが―のようだった。
それをスコールは純粋に気持ち悪いと評した。アルカは不愉快だと断じた。
アルカの言葉に高官は顎髭を撫でながら、満足げに頷く。
「ふむ、いつから気づいていた?」
「最初から気づいていました、今が一番良い時期ですので。最後まで芝居に付き合う暇などありませんので」
アルカの言葉に、何名かが笑い、何名かが歯ぎしりする。全て彼女を妬んでいた者だ。
構成員は皆、専用機持ちだった。つまり――全員が元々こういう時の為に集められていたのだ。
銀の福音を囮にし亡国機業を引きずり出し、準備を整える。そして銀の福音が暴走を開始した後はIS学園に事態の収束を任せる。これはIS学園の専用機持ちの実力を図るためだろう。軍用機に一介の機体―それも学生が扱うようなモノ―が適う訳が無い。
その後、残った福音に対して亡国機業が対応している間、本隊が亡国機業を叩く。そして銀の福音のパイロットを始末すれば、事態は終息する。
要するに誘き出されたのだ。
暴走したISの搭乗者はIS自身が撃墜などで解除されない限り、助かる可能性は極めて低い。彼らは搭乗者であるナターシャ・ファイルスという人間を使い捨ての囮として使っていたのだ。
それをスコールとアルカは知っていた。だからこそアインに任せた。彼ならば必ず銀の福音を撃墜しパイロットを救出する事が出来ると信じているからだ。
「勿体無いな。素晴らしい腕前をそのようなテロ組織ではなく、我が国で奮って見てはどうかね? 言葉どおり宝の持ち腐れと言うヤツではないか」
「高官! 彼らは犯罪者です! それを……」
「お断りします。私はあの方のお傍に居続けるだけですので」
アルカに遮られた女の表情が怒りに染まる。その銃口はアルカの額を捉えていた。
彼女達を取り巻くISの数、それは総勢数十機にも上る。引鉄さえ引けば、既にそこは血に染まるだろう。
彼らには確信があった。勝てる、殺せると言う自信があった。
「それにしてもアインという少年には本当に驚かされる。まさかISと生身で戦闘を行うなど聞いた事が無い。その上に君は無人機を作る事が可能のようだ。さすがにこの事が公になれば世界のバランスは一気に変わるだろう。良い事尽くめだ」
スコールは内心舌打ちする。彼らは評価するに値しない畜生共だ。
恐らくこの男は彼女達が捕縛されるのを当然だと思っている。そんな思考に溺れた人種を、彼女はとにかく心の底から嫌っていた。
高官の男は肥えた笑みを漏らしながら、拳銃をスコールへ向ける。
「スコール・ミューゼル。貴公はテロ組織亡国機業の重要人物として拘束、もしくは殺害許可が出されている。願わくば大人しく捕まって頂きたい」
「……もし仮に捕まってあげたとしたら、残りはどうなるのかしら?」
「そうだな……。少女と女は同じく捕縛。そこの女性は研究員として雇用する。そしてアインという少年は実験動物として扱わせてもらおう。何せ――」
「死ね」
冷たい声と共に、金色の光線が高官の頭部を消失させる。見ればスコールの周囲には浮遊する金色の塊があった。彼女から放たれた一発である。怒りに餓えた衝動の一撃であった。
スコールの周囲にあるモノがIS武装だと気づいて、元構成員だった女達は反撃しようとした――しかし、武器は突然凍結したかのように動かなくなる。
いや、武器だけではない。
絶対防御が無効化されており、体は全身に鉛をつけているかのように重くまったく動かない。機体がいう事を聞かない。――いわば彼女達は何の役にも立たない鎧を無駄に着込んでいるだけでしかなくなった。
アルカが左手を振るうと周囲に光が反射する。その手には白いグローブが嵌められていて、そこから何かが伸びていた。
「……ISがあるから自分たちは無敵だと? そんなのは下らない理論です。ISに乗ろうが、生身であろうが、最終的な強さは全て本人次第――それを忘れた者にその子達を扱う資格などありません」
アルカが右手の甲を眼前へと翳す。――グローブから放出されているワイヤーが周囲を囲んだ。
絶望と恐怖の色を滲ませている彼女達を、アルカは見下す。最早何一つ気にかけてやる必要は無いと、彼女は断じた。
「それでは、さようなら」
右手を握ると同時に、彼女達はワイヤーに肉体を切断され無数の肉片となって霧散した。一人残らず、一人も原形を留めず斬り裂かれた。
高官とその部下達を始末するに使った時間は僅か数秒。余りにも一方的な殺戮、理不尽な最期。それを彼女達は死というカタチで体現した。
一度降り出した豪雨に対抗する事など出来ない。ただ蹂躙されるしかないのだ。
「身の程を知れ、下衆が」
玲瓏の声が静かに響く。
息を切らせて駆けつけたオータムの目に飛び込んできたのは、破壊の痕ばかりが残された管制室とそこに佇む彼女達の姿だった。
サイレント・ゼフィルスの援護は福音との戦いをかなり優位へと運んでくれた。それに加えて、アインの使用する重火器も海上の時より遥かに威力を増している。負ける理由が無い。
三十六門の光弾もシールドビットによって阻まれ、高速移動は攻撃用のビットとエムの持つ長身ライフルで封じ込めている。肝心の近接戦闘もアインからすれば絶好の機会であり、福音は攻めあぐねているようにも見えた。
「ッ!」
痺れを切らした福音が急激な加速をして、サイレント・ゼフィルスに肉薄する。彼女ごと機体を蹴り飛ばすつもりだ。
余りにも唐突過ぎる行動故に避ける事はできない。ビットのシールドを展開するには時間が掛かる。
間に合わないと歯噛みした時、銃声が響き、福音を吹き飛ばした。
「無事か?」
両手で散弾銃を抱えるアインの姿――何が起きたのかを瞬時に理解した。
早い話、福音を散弾銃で吹き飛ばしたのだ。彼からすれば戦闘の間合いなど関係ない。遠中近全てが彼の攻撃範囲である。
彼が放った散弾銃は福音の加速による推進力すらも無視して吹き飛ばした。馬鹿げた威力だ、と微かに笑みを溢す。
「……先に言え、驚かせるな馬鹿」
「善処する」
そういいながら、アインは機体を蹴って虚空へとその身を躍らせた。
瞠目したマドカが手を伸ばそうとした時、既にその姿は消え去っている。刹那、スラスター音が聞こえた。福音でもなければ彼女が扱う機体でもない。
「!?」
「コイツが戻ってきた。付き合わせて悪かったな、エム」
無人機に乗ったアインがその右手にタンフォリオ・ラプターを握っていた。その銃口は既に福音へと向けられている。
その瞳に恐れは無い。勝つと言う鋼の如き強靭な信念がある。
狙いを定めているだけの姿に、彼女はほんの僅かな間見惚れていた。その心に確かな憧れがあるのは明白だ。
瞬間、アインが僅かに顔を曇らせた。
「……?」
突如として、福音がカタカタと体を揺らす。それは機体がぶつかり合う音だ。まるで機械が暴走するかのような金属音にも聞こえる。
それは何かが生まれようとするのを抑え付けている音か、それともその体に合わぬ何かを引きずり出そうとしているのか。
どちらにせよ、彼らにとって良い事ではないのは明らかだ。鍛え上げた本能が警鐘を鳴らす。心臓が早鐘を打った。
「まさか――」
アインは突然奇妙な浮遊感に襲われた。
破壊音―風景を逆再生しているような視界―これらをようやく認識し、彼はやっと無人機が撃墜されたと気づいた。
咄嗟に回避行動を取ろうとした時、片足を持ち上げられ、宙吊りにされる。福音の行動の早さにアインの思考が追いついていない。
同時にエネルギーで構成された翼が彼を包み込むようにして展開されていく。
「ちぃっ!」
タンフォリオ・ラプターで狙いを定めるべく腕を動かす。だがそれよりも福音の行動の方が遥かに早い。
巨大な機械が海に落とされたかのような音が耳に届いた。
翼が発光する。攻撃の前兆――全身が硬直した。
「――!」
逃げろ、と叫ぶ声は射撃音に掻き消された。その姿は塵に覆い隠された。
生身の人間に対するIS武装の零距離射撃――例え、アインでもただではすまない威力であるのは想像に難くない。
しかも全方位であるのならば、大抵のISは一撃で撃墜されるだろう。ならばもう既に――。
マドカの心を、焦燥が駆ける。彼女の本心を隠していた鎧はあっさりと剥がれ落ちた。
「兄さんッ!」
身体の随所から出血した彼の姿が見える。それは福音に片足を鷲掴みにされており、逃れる事すらままならない。
銀の福音による強引な
何とか気を保っているが、さすがに二発目まで受けて無事でいられるとは思えない。
現に一発目が零距離から直撃した時点で、バイザーは大破。白いロングコートがかろうじて、その身を衝撃や熱から守っていた。しかしそのコートは今やズタズタにされていて、素肌が見え隠れしている。
「――!」
その手にナイフを展開させ、福音へと突き刺す。ほんの僅かの間動きが止まるが、すぐに行動を再開させた。
再び発光するエネルギーの翼――今度ばかりは死を覚悟するが、アインと翼の間に何かが滑り込みシールドを展開する。
射出される光弾、数発がアインへ直撃する。彼の口から血が零れ出て海へと落ちていく。
彼を食いちぎるはずだった残りは全てシールドによって防がれ、雷光と共に散った。さすがに全方位への防御は不可能だったが、こればかりは感謝するしかない。
沈み込もうとする意識を、堅い決意が繋ぎとめる。動かない体を強靭な意志がしばりつけた。
“もし、オレがここで倒れたら次に福音が狙うのは――マドカだ”
それだけは絶対にさせない、これ以上失ってたまるか。
並みならぬ不屈の心が、アインを叱咤し奮起させる。彼の右手がタンフォリオ・ラプターを手に取り、引金へ指を滑らせた。
しかしそれよりも早く福音のエネルギー翼が発光し、再度発射の体勢を整える。動きは福音の方が早い。既にビットは先ほどの衝撃で破壊されている。今度こそ守りは無い。
だが、光弾は射出されなかった。
その事実にマドカと福音までもが唖然とする中、アインだけが分かりきっていたかのように銃口を向ける。
「今、助ける」
放たれたタンフォリオ・ラプターの弾丸が、銀の福音へと吸い込まれるようにして命中した。