IS-refrain-   作:ソン

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兄妹

 

『――さん』

 

 思い出せない。いたのか、お前は。本当に俺の妹だったのか。

 ならどうして思い出せなかった。何で、気づかなかった。

 

『――さん』

 

 やめろ。俺を兄と呼ぶな。思い出せないから、その名で呼ばないでくれ。

 じゃないと俺が俺でいられなくなるから。

 

『――さん』

 

 やめろ。俺に、その顔で、あの人の顔で、家族のように近づくな。

 誰を恨んでいいのか、分からなくなってしまうから。

 本当に大切な事を忘れているような錯覚に捕らわれるから。

 ようやく持ち上げた刃が、もう一度折れてしまうから。

 

 

 

 銀の福音のコアと操縦者を回収し、撃墜された無人機のコアの回収も終えた。結果としては成功と呼ぶに相応しい内容である。

 ハワイ沖の基地へ向かうサイレント・ゼフィルスの機体に乗りながら、斜陽の光景を眺める。操縦者である女性はアインに抱きかかえられており、彼女は安らかな寝息を立てていた。

 彼はコア・ネットワークを介してアルカへ現状を報告していた。

 

「アルカ、目的は達成。コアも搭乗者も回収した」

『分かりました、既に迎えの準備は済ませています。寄り道はしないようにお願いします。それと懲罰の件ですが、気分で決めるとの事です』

「今すぐじゃないのか?」

『はい、ですがいつ処せられるかは未定です』

「そいつは怖いな」

 

 苦笑しながらコアネットワークの通信を切る。作戦開始は丁度昼頃であった。それを考えればここまで長時間戦闘を行ったのは久々だ。

 沈痛な空気の中、アインは操縦者である女性を見る。

 福音の操縦者である彼女の容態はまだ明らかではないが、少なくとも無事であるのは確かだ。外傷による出血も無い。

 心の内に助ける事が出来たと言う安堵の火が灯り、それが彼の体を落ち着ける。闘争を行うべく凍り付いた彼の心身をほぐしていく。この妙に安堵する僅かな時。それがアインにとっては、数少ない楽しみでもあった。

 

『はぁい! 聞こえるかな?』

「ッ!」

 

 突如、コアネットワークを通じて響いた声。思わず息がつまり、身体が硬直する。

 マドカもアインと同様、驚愕の表情を浮かべている事から二人に対して声が届いているらしい。

 

「……篠ノ之、束……だと?」

『うんうん、そっちのいっくんはきちんと返事くれるね! 束さん、安心したよー。で、まーちゃんはまだかな?』

「……本物か?」

『そーだよ! いやぁ、やっぱりちーちゃんの家族は最高だね』

「用件は何だ。どうやってオレ達を特定した?」

 

 マドカに口を閉じるように指示し、アインは周囲を探りながら返答する。だが周囲に異変は無い。あるとすればそれは上空からの襲撃だが、彼らがいるのは地上よりも遥かに上だ。そこから強襲するとは考えにくい。

 女性から片手を離し、キャレコを発現させた。

 

『二人とも抜群のコンビネーションだったね。で、いっくんは喋り方を以前と同じようにしてくれたら嬉しいんだけどな。そう、辛辣じゃなかったと思うんだけど』

 

 僅かに心が躊躇するが、相手は世紀の天才に相当する存在である。ここは大人しく彼女の言い分に従っておくのが吉かもしれない。

 キャレコの引き金に指を掛けたまま、彼は小さく息を吐いた。

 

「……分かりました。それで用件とは?」

『えーとね、福音に突き刺したナイフがあるよね? アレ、何なのか教えてほしいんだ。あーちゃん絡みなのは分かったんだけど、それ以上は良く分からなくてね。束さん、分からないなんて事初めてなんだ』

 

 あーちゃんと言うのは恐らくアルカの事だろう。既に彼女は束と接触している以上、アイン達の事を知っていてもおかしくない。

 だがアルカが到底こちらを裏切るとは思えない。彼女の行動は全てが忠義そのものである。ならば彼女の行動に対してこちらも十全の信頼をしなければならない。

 この瞬間、アインは篠ノ之束と言う女への脅威を打ち消した。彼女をこちら側の人間として認識した。

 

「アレはISの機能を妨害する効果があります。例えば、無人機に突き刺した場合、その無人機の電子回路にあらゆる異常を起こすため二度と動けなくなり、有人の場合、大方の機能がエラーを起こし戦闘行動が取りづらくなります。刺したらイグニッション・ブーストが使用不可能になると思ってください」

『ほえー、それはビックリ。じゃあそのナイフを抜いたら効果は?』

「勿論消えますが、暫くは正常に機能しません」

『なるほどなるほど……』

 

 キャレコを体内に圧縮し、彼は一息つく。

どうにも突然の接触と言うのは慣れない。

 

『さてさて、そんな激戦を勝ち抜いたいっくんに束さんからのプレゼントが用意してあるよ』

 

 ふとその言葉を聞いてアインの中に疑問がわく。それは疑問と言うよりも好奇心に近かった。

 あの天災とも呼ばれた彼女自身が用意してくれた物だ。間違いなく、彼にとって損は無いだろう。

 彼の幼い心が僅かに鎌首をもたげる。それにつられるようにしてアインは思わず口に出していた。

 

「プレゼントとは?」

『ななな、なんと、束さん特製のいっくん専用近接ブレードでーす!』

「近接ブレード……」

 

 確かにアインは今まで銃器に頼った戦闘を繰り広げてきた。少なからず体術やナイフでの交戦もあったが、大半は銃による遠距離戦である。カレンから習った戦闘術はそれらであるからだ。そしてアルカから仕込まれた体術に加え、アインの特性があれば大半の敵とは互角以上に戦える。

 しかし福音との戦闘では、攻撃手段が銃器に絞られた事から苦戦を強いられた。

 もしナイフ以上にリーチがあり、なおかつ近接武器として扱えると言うのなら、それはアインにとって大きな戦力の増加へと繋がるに違いない。

 

『いっくんの目的はあーちゃんから聞いたよ? そのために束さんもお手伝いしようかなーって』

「貴方は……その為だけに?」

『うん、そーだよ? だっていっくんが二人いるんだからどっちにも協力してあげないと。あーちゃんやちーちゃんに恨まれるのは怖いし』

「……オレが」

『ん?』

 

 気がつけばアインの声は僅かに震えていた。奥歯を強く噛み締める。

 彼の体はその震えを押さえきれていなかった。

 

「オレが織斑一夏を殺した時、貴方はどうするんですか?」

『んー、その時はその時かな。ちーちゃんに頼まれたら、私からいっくんの真実、話してもいいし』

「……分かりました。束さんは敵じゃないって事ですね」

『ふっふー、どうかなー?』

 

 彼の心に僅かな安堵が生まれる。それに惹かれるようにして、震えもまた消えていく。

 何故落ち着いたのか、それは彼にも分からない。今の彼がその理由に気づくには、まだ足りない物が多すぎた。

 

「受け取りは?」

『あーちゃんに知らせてあるから、同伴してきてね。それじゃあ束さんは今からちーちゃんとのお話会なのだーぶいぶい』

 

 そう言って通信は切られた。世界一の頭脳と謳われた人物にしては、余りにも童のような行動だった。

 

「本当に……変わらない人だ」

「……そうだな」

 

 

 

 

 

 ナターシャ・ファイルスは今、自分がどこにいるのか分からなかった。強いて言うのならばまるで夢を見ているかのようである。

銀の福音のテスト飛行をしていた時、突然激しい頭痛に襲われ、そのまま意識が途絶えた。そこまでは記憶にある。だが、今目の前に見えているのは闇だ。何一つ見えない、ただどこまでも続く暗々とした黒。

 暗いわりに、自分の体は良く見えるし感覚もしっかりと感じている。何も見えないと言うのに、自分自身がはっきり知覚できる。それが一層不気味に感じられた。

 

「……ダメね、反応が無い」

 

 通信機も無ければ使える道具も無い。新しく彼女の専用機となった福音も展開出来ない。最早待ち続けるしか選択肢が見えず、ただどうしようか思考をめぐらすばかりに時間が過ぎていく。

 それからほんの数刻して、彼女を唐突な浮遊感が襲った。まるで世界全てが塗り替えられていくかのような錯覚が現れた。

 

「!」

 

 闇を塗りつぶし、眼前に広がったのは白い広場であった。そこはまるでどこかの研究所のようで、酷く無色な空間だった。

 上には下の広場を見渡すためか、ガラス張りになっており、研究員らしき男が数名忙しく動いている。一際長い白衣を着た男だけがじっと広場を見ている。

 その広場には白い髪の少年だけが両手に銃を握らされている。彼は体中を上下左右からコードで貫かれている。だがその事実に何一つ目線を動かす事も無く、ただ立っていた。着ているのは到底服とは呼べるような物では無い布切れのみ。

 彼の眼前には手足を拘束され、動く事すらままならない者達ばかりだった。そこにいるのは女子供の群れだった。

 

『さぁ、コード1。今からその残り物を処理しろ』

 

 少年は銃を見つめたまま、動こうとしない。見ればその手は僅かに震えている。何かに葛藤を覚え、それを堪えている。

 ナターシャは今、少年が何を強いられているのかを悟り、その手を止めようとし――彼の体をすり抜けた。彼女の目の前で起きている事が仮想なのか現実なのか区別がつかない。それほどまでに、ただリアルだった。

 

「これって……!」

『なら仕方がない。やれ』

 

 少年の体を夥しいほどの電撃が襲う。上下左右からほぼ同時に放たれた電撃。人間ならば十分致命傷となる衝撃だった。

 電光の激しさに思わず目を腕で庇った。耳を防ぎたくなるような叫びが響く。

 それは一瞬ではない。少年を縛る彼らが決める事。

 少年の体こそ人間とは比べ物にならない程の頑強であるが、痛覚は常人と何ら変わりない。増してや彼はまだほんの僅かな間しか人生を生きられていない。

 彼が挙げる悲鳴は、年相応の少年のようで。だがどこか枯れ切っているかのような声音だった。

 

「やめて……」

 

 呆然と呟いた。それは彼女の心の声でもあった。

 

「やめて……!」

 

 彼を守らなくては。だが何もできない。

 せめて、せめてここにISでもあれば――。

 

「やめなさい!」

 

 ナターシャの声は届かない。

 電撃が止み、崩れ落ちた少年は浅い呼吸を繰り返しながら長い時間をかけて立ち上がろうとする。

 無論、彼らはそれを待たない。少年が逆らうのならば痛みを以て強制させるまで。

 

『もう一度言う。そこの残り物を処理しろ』

「……い、や……だ」

『そうか、ならこうだ』

 

 コードから電撃が流れ、突如銃口が火を噴いた。火線が次々と少年達を穿ち、女達の肉を抉る。

 流される電流が少年の体を操ったのだ。彼に激痛を与えながらも、眼前で行われている事に一切目を背けさせないために。彼の心を、より深く破壊するために。

 悲鳴が聞こえた。苦痛に悶える絶叫が響いた。血が撒き散った。肉片が少年の総身にこびりつく。

 電撃によって操られた少年の指は引鉄を握り締め、その顔は虐殺の光景を目の当たりにされていた。脳裏にはその光景が刻み付けられた。

 唖然とする彼の表情に、贓物が飛び散る。

 

『おや、急にやる気になってくれたようだね。嬉しいよ』

 

 コードから流される電撃が少年の体を操り、彼を殺人傀儡へと変貌させる。まだ終わらない。銃弾は次から次へ人を殺める。彼の心を殺していく。

 死体の無垢な瞳が少年を見つめていた。転がった眼球の視線が少年を凝視した。

 

『……!』

 

 彼が叫ぶ。激痛にしか動こうとしない口を必死に動かそうとしながら、己の手を引きちぎりたい衝動に駆られながら。

 ナターシャにはどうする事も出来ない。何も出来ない。止める事も逃げ出す事も、何一つ出来ない。

 この場に介入する事が叶わない以上、惨劇を止める術など持っているはずも無かった。

 ただ――声を荒げる事が精一杯だ。

 

『どうかな、殺す気分は? この腐りきった世界に粛清を与える執行者となる。ではその時までじっくりと行こうか』

 

 研究者達の目はナターシャからもはっきり見えた。

 卑しげな思考がたっぷりと詰まった瞳と、それを抑え切れないほどの抑揚によって不気味な程吊り上った口角。

 その相貌に歯ぎしりする。彼女の拳が強く握りしめられる。もし出来るのなら、今すぐにあの男達を殴り殺したい衝動に駆られた。

 

「この……っ!」

 

 唐突に銃声が鳴り止んだ。電撃が止む。最早広場に生きているのは彼しかいない。

 少年が銃を取り落とし、再び地面に崩れ落ちる。眼前に広がる死体は全て、彼が築いた物。それは何一つ変わらない、永久の事実。彼がこれから死ぬまで背負っていかなくてはならない咎。

 肩を震わせて、少年は頭を下げた。血塗れの床に額を擦りつけながら。その行為が彼のした事を何一つ許してくれる訳が無いと言うのに。

 

『――なさい。……ごめんなさい、ごめんなさい――』

 

 ひたすら謝罪の言葉を口にしながら、彼は震える。時折混ざる嗚咽は彼が抑えきれなかったモノだ。

 目の前にあるのは自身が築き上げた屍の山、自身が流した血の大河。

 殺した者達の視線は全て少年に注がれていた。何一つ言わぬモノが皆、少年を凝視していた。

 ナターシャにはどうする事も出来ない。ただ己の無力を知るだけ。知らなかった現実がまた一つ増えただけ。

 だと言うのに、彼女は自身の半生を疑い始めていた。ようやく、自身が見ていたモノが幻想であると痛感した。

 

“こんな事が起きているなら、ISは何のために生まれたの”

 

 最強の現行兵器でありながら、現にそれが実戦に使われたと言う公の記録は無い。アラスカ条約でISを使っての武力介入は禁じられているからである。

 だがいつだって、それは無視される物だ。条約が守られているなら、とっくにこの世界から武力なんて物は消え失せているだろうに。

 ならば、何のためのISだというのか。何のためでもない。世界を牛耳る者が手に取るだけの玩具に過ぎない。外交に都合よく利用される理由の一つでしかない。

 結局、世界の根本は一つも変わっていない。変わる者は変わって、変わらない者は変わらない。たったそれだけ。

 

「……」

 

 目の前の少年を助ける事が出来なかった。

 それだけを悔やんで彼女は涙を溢す。

 ただ――人を救いたいと、強く願いながら。今までの世界に、強い憤りを覚えながら。 そんな事実に一つも気づこうとしなかった自分に、苛立ちを感じながら。

 

 

 

 

 ハワイ沖の基地で、アインはアルカから簡単な診察を受けていた。福音との戦闘の最後で、彼はエネルギー翼による攻撃に対し、二度直撃を受けた。それは並のISならば戦闘不能どころか完全に破壊されてもおかしくない程のダメージを叩きだす程だった。

 それを生身で受けたのだ。その事情を聴いたアルカとスコールの瞳孔が一気に変化し、アインの意志関係無しに診察を受ける事になったのである。

 基地にあった医療室を借りて行っており、彼の体には数箇所、包帯が巻かれている。

 アルカは既に包帯を巻き終えており、使用した医療器具を元の場所へ戻していた。

 

「……数箇所の骨折と重度の火傷ですね。幸いアイン様なら安静にしていれば治るでしょう。シールドビットが無ければ重傷は確実でしたね」

「あぁ、感謝してる。……それよりスコール達は?」

「スコール様は現在、上層部に今回の件を報告しています。内通者の炙り出しは切り出しに過ぎませんが、時間の問題でしょう。オータム様はナターシャ・ファイルスの監視中です」

「……あの人数なら手間取るのも無理も無いか。福音のコアは?」

「これからお話があるので失礼させて頂きます」

 

 アルカが手にした福音のコアを見せる。呆気にとられた彼を見て、彼女は軽く笑みながら部屋を出ていく。

 そして彼女と入れ違うようにして、マドカが入って来た。

 その雰囲気は未だに不貞腐れていた。ハワイの基地へ帰還してからずっとこの調子であるが、彼は既にその理由に気づいていた。

 

「……」

「……」

「どうして……弾丸を撃ち込んでそれで済むのなら、どうして私にその事を言わない」

 

 元々、福音の暴走は予定外の物と言う作戦であった。

 タンフォリオ・ラプターの件はアインとアルカ、そしてスコールの三名しか知らず、ましてや未使用で終わる可能性が高いと思っていた代物だ―それでも持って行ったのはカレンから聞いた福音の噂とアルカが万が一軍事用ISとの交戦を視野にいれて判断したからである―。

 つまりマドカ及びオータムにその件は一切話されていない。

 通信手段ならコアネットワークで十分に可能であり、アインからアルカに連絡を頼む事も出来たはずである。それすらも彼は行おうとしなかった。

 故にマドカは怒りを覚えていたのだ。

 

「……お前に傷ついて欲しくなかった」

「それは、何で。私が弱いから? それとも頼りにならないから?」

 

 声音が震える。彼女の声に、最早戦士としての心など無い。年相応の少女だった。

 作戦の時、アインはマドカに戦闘行為を控える事を遠まわしに指示していた。彼が頻繁に攻撃を行えば、福音はアインを優先的に狙う。

 その結果、セカンド・シフトした後の福音に彼が狙われたのだ。

 結果としては福音の回収こそ出来たが、アインが死亡していたとしても不思議ではない。いくら彼の肌がIS並みの強度を誇ると言っても、IS武装を全て無傷で防げると言う訳ではない。

 アインとて、頭や心臓を穿たれれば死ぬのだ。痛みを感じる事もあり、悲鳴を挙げる事もある。

 だから彼が死ぬ事を、マドカはそれを極端に恐れていた。独りだった彼女を、受け入れてくれた家族だから。

 戦火に飛び込む事が多い兄を傍で守りたいと決意したからこそ、サイレント・ゼフィルスと共に戦う事を選んだ。兵士として、戦士として生きる道を。

 

「兄さんは――卑怯だ」

「……」

「いつだって、私を置いていって、また一人にする。そうして、また一人になろうとする」

「それは……」

 

 否定できない。アインが行おうとしているのは、下手すれば世界を敵に回すような事だ。

 「織斑一夏の殺害」――それが彼の望みである。例え生涯全てを擲ってでも果たさなくてはならないと決めたモノだった。

 決意だけで勝てるほど現実は甘くは無い。だがそれでも彼はその望みを捨てていない。

 自分が名前を取り戻す事を諦めてしまえば、それまで殺めてしまった者への顔向けが出来ない。

 果たさなくては、遂げなければ、だからこそ殺さなくては。それが結びついた結果だった。

 

「分からないよ、兄さんの事。人を遠ざけるような眼をしてて、冷たそうな雰囲気を出してるのに、その手は優しくて、いつも温かい」

「――」

「兄さんがしたい事をするなら、私もついていく。

 でもこれは、任務でもなんでもない。私がしたい事なんだ。例え、その先に何が当ても。

 だから……。だからっ……! 私は、もう一人ぼっちになんかなりたくない……! なりたく、ないよっ……!」 

 

 マドカの瞳が潤み、ぽたりと雫を垂らす。声が震える。言葉が言葉にならない。

 彼女とてまだ子供だ。甘えたくなるような年頃であるのに、それを無理やり閉じ込めて戦っている。

 マドカを守りたいと思うのなら、それは戦いから遠ざけてやるのではない。彼女と共に戦う事。彼女を信じて、自分を振るう事。

 それが最も彼女を守る事が出来る手段だ。

 最愛の妹を蔑ろにしていたのは、一番守りたいと思っていた自分ではなかったか。

 

「こんな兄でごめん、マドカ。今度は――守るよ。絶対に、絶対に一人にしない。約束する。俺の、大切な家族だから」

「兄さん……兄さんっ。……もう、一人にしないで……!」

 

 妹の体をそっと抱き締める。嗚咽を漏らす彼女の頭を、泣き止むまでずっと撫で続けた。

 すれ違い続けていた兄と妹はこうして、ようやく互いを受け入れる事が出来た。

 

 

 

 

「……っ」

 

 溢れる光――長い悪夢から醒めたようだ。

 ナターシャはあの少年がどうなったのかが気になる気持ちを抑え付けて、今自分がどこにいるかを把握する。

 見覚えのある巨大なスクリーンが見えることから恐らくハワイ沖の基地の管制室だと分かった。どうやらそこの椅子に寝かせられていたらしい。

 ぼんやりとした視界の中に五人の人物を確認する。研究員か何かかと思ったとき、その中に白い髪の人物が見えた。

 あの悪夢に出てきた少年とその面影が重なり、曖昧だった意識は急に鮮明になる。着ている服装にこそ違いがあるが、何かが酷く似ていた。

 

「! 貴方達は……」

「ん、おい目が醒めたようだぜ」

 

 机上に座り込む黒髪の女がそう告げたと共に白い髪の少年が近づいてくる。

 見れば見るほどその姿は悪夢の少年とそっくりだ。彼の着ている白のロングコートは素肌であるらしく、包帯が巻かれている。

 彼はナターシャの眼前まで歩いてきて、膝を曲げ目線を合わせた。

 

「アンタは暴走した福音に守られていた。感謝しておけ、もし守っていなかったら、今頃死んでた」

「福音……。ッ! あの子は!?」

「落ち着きなさい、ナターシャ・ファイルス。まずは貴方の経緯を知るのが先では無くて?」

 

 青いコートを羽織った金髪の女性の言葉に酷く納得した。それと同時に彼らの属している組織の名へ辿り着いた。

 だが状況を見るからに敵意があるわけでも無く、福音を無理やり強奪しようとしているわけでも無い。それに自分がどうしてここにいるのかも気になる。

 ならばここは従っておくべきが吉であるかもしれない。

 

「……分かったわ」

「そう、話の分かる子は好きよ。それじゃあアルカ、説明してあげて。貴方が一番事態を把握してるはずだから」

「はい、まずナターシャ・ファイルス様は銀の福音のテスト飛行中に、福音に仕込まれていたプログラムで暴走しました」

「!」

「色々と気になるのは分かりますが、今はおおまかに説明していますのでご了承ください。その後、アイン様が福音を追跡。暴走した福音と海上戦闘を繰り広げた後、ISを解除する事により救出され、現在ハワイ沖の基地で治療していたところ、目を覚ました。大雑把に話すとこのような物です」

「……質問いいかしら」

「どうぞ」

 

 アルカと呼ばれた長い黒髪の女は、一切顔色を変えずに淡々と言葉を述べている。机上に座り込んでいる女性とは髪の色が同じでも、雰囲気がまるで違う。

 どこか機械じみているその動きが、何故か嫌だと感じなかった。

 

「福音に暴走プログラムが仕込まれていたって、どういう事? 元々国がそうなるにしていたの?」

「はい。銀の福音は完成されていたISです。ですが、余りの性能の良さに競技としては勿体無いと言う事で、暴走用のプログラムと言う余計なモノを加えたようです。どうしても抑えきれなかったのでしょうね。何としてでも、実戦としての評価を出したかったのでしょう。

 おかしいと思いませんか? テスト飛行に対して、想定外の事態を考慮したモノが何一つ無いと言う事実に」

「……待って、もしかして福音のテスト飛行ってもしかして」

「――はい、テロリストを誘き出し、始末するための囮兼殺害計画です。そしてIS操縦者の需要を上げるために、操縦者を一人使い捨てにするモノでもあります」

 

 ナターシャが声を漏らす。

 確かに、アルカの言った事実は納得できる。だがまだ心がそれを全て受け入れるには時間が足りなかった。

 

「ここからが本題です。この福音を先ほどの行為として扱うには暴走させる事が必要条件となります。操縦者の腕次第でISはその方々の専用機となる。ですが銀の福音のような戦闘力を持つISを個人に委ねるなど彼らは我慢ならなかったのでしょうね」

「……それって」

「えぇ、生贄と言う事です。ナターシャ・ファイルス様。貴方は殺されかけたのです。そして今までの福音搭乗者も同じように謀殺されてきました」

 

 鈍く殴りつけるような音が響く。少年の拳が管制室の壁面を砕いていた。

 腕が震えているのは、間違いなく底知れぬ怒りからだ。彼の表情は髪に隠れていて見えなかったが、それでもどんな表情をしているのか想像はつく。

 

「アイン、落ち着きなさい。人を道具でしか見ていないような連中よ。そうやって一々癇癪起こしていたら身が持たないわ」

「……分かってる」

 

 アインと呼ばれた少年は、そのまま拳を抜くと息をついて、何事も無かったかのように佇んだ。その姿と視線が、あの時の少年と重なるように見えた。

 

「それと、ナターシャ様、貴方に返しておきます。この子は貴方の傍を好んでいますので」

「……どういう事? 貴方、この子の言っている事が分かるの?」

「はい、理由に関しては答えかねますがISコアには人格があり、私はその声を聞く事が可能です。勿論こちらから語りかける事も出来ます」

「アルカ、それ以上は――」

 

 声を挙げた黒髪の女に対し、アインが腕を出して遮る。彼女はそれを見てから僅かに顔を顰めるが、何かに納得したかのように肩を竦めた。

 

「……アルカ。貴方ひょっとしてナターシャ・ファイルスと銀の福音を保護しろと言っているの? 私達の目的はコアの回収よ」

「その通りです。そのコアの持ち主が私達のところに来れば、操縦者と機体が同時に加わる結果になると思いますが」

 

 小さく溜め息をついて、金髪の女性はアインと呼ばれた少年と目線を合わせる。彼はナターシャへ僅かに視線を向けた。

 それを受けて、彼女は再度小さく溜息を吐く。

 

「……ねぇ、アルカと言ったわよね」

「はい、何でしょうか。ナターシャ様」

「福音は……この子は何て言っているの?」

 

 アルカは目を閉じて、静かに言葉を紡いだ。

 ただありのままに。何一つ飾る事無く、真実を。

 

「貴方の事が好きだと。貴方と共に空を飛べる事。それだけで幸せだから何も望まない。――そう言って、胸を張っていますよ」

「そう……そうなのね」

 

 ナターシャ・ファイルスは福音のコアを愛しく撫でる。

 母親が子供へ行うように、その動きは全てが滑らかだった。

 

「ありがとう……ありがとうね……。私も、貴方と一緒に飛ぶのが何よりの幸せよ」

 

 福音のコアが小さく震えた。彼女の響きに答えたように。

 

「……ナターシャ・ファイルス、貴方はどうするの? 国を捨てて私たちのところに来るか、それとも国に忠誠を尽くすか。貴方の自由よ、強制はしないわ。それに私たちの組織の名も既に気づいているでしょ?」

「そうね……。まさか貴方達から救われるなんて思いもしなかった、スコール・ミューゼル。亡国機業(ファントム・タスク)、聞いていた噂と全然違うわよ――本当の目的は何なの? ISを集めてどうするつもり?」

「管理よ。全ての現行兵器を集めて、管理する。それが私たちの目的。この場にいるのは、皆理不尽な運命に曝された者たち。果てしない欲望によって、運命を捻じ曲げられた者――ここにいる者は、ほとんどがそんな境遇を生き抜いた者によって構成されている。ナターシャ・ファイルス、貴方にはここへ加わる資格がある。後は覚悟だけよ」

 

 語るスコールは何一つ迷わない。ただ己の全てを信じるだけ。

 

「――私たちは最強の兵器であるISを全てこの手で管理し恒久の平和を目指す。国境無き平穏を紡ぎ続ける機械として。もう二度と世界大戦なんて言う愚かな惨劇が繰り返されないために」

 

 第二次世界大戦の最中に生まれたその組織は最初こそ小さな集まりだった。

 ただのレジスタンスに過ぎない集団が、その勢力を広げて行き、やがては世界に影響を与えるほどの組織へと生まれ変わったのだ。

 恒久の平和――何と美しい響きで、何と空虚な言葉だろうか。だが、それを目指し続ける姿を、一体誰かが非難出来るのか。

 そしてナターシャもその在り方に酷く共感した。

 あの悪夢の中の少年に対し、彼女は何も出来なかった。もう二度とあのような思いはしたくない。

 その思いを込めて、彼女は息を吐く。

 

「……本当に自分が馬鹿みたいじゃない。何でISに乗っただけで世界を知ったつもりになっていたんでしょうね」

 

 柔らかに微笑みながら、ナターシャは言った。

 祖国に反旗を翻す、運命を変える為の一言を。

 

「亡国機業――喜んで入らせてもらうわ。もうこれまでの私じゃない。今度は、自分の手で大切な物を見つける」

 

 彼女の瞳に迷いは無い。何もかも振り切っただけ。

 全てを断ち切って、彼女は理想のために己を捧げる覚悟を決めた。

 

「……なら、すぐに出ましょう。長居しすぎたわね。いい加減、迎えを待たせすぎよ」

 

 スコールの言葉が、任務の完了を告げる。

 ハワイ沖の基地を、黄昏の陽光が赤く照らしていた。

 

 

 

 

「なるほど、福音が撃墜されたか」

 

 壮年の男の声が響く。

 がっしりとした指が顎を撫でる。

 

「今回は本物の勝利ね、これは面白い」

 

 壮年の女の声が響く。

 柔らかな指が唇に触れる。

 

「彼女はマドカの世話だけで精一杯と思っていたが……存外間違いでは無かったな。やはりスコールには最高の権限を与えておいて正解だった」

「本当にそうかも。じっくりと手間隙かけて仕込んできたからかしらね。酷く楽しくて仕方ないわ。あの子は強い、とても、とても強い」

 

 妖しげに(わら)う。

 艶やかに(わら)う。

 愛しげに(わら)う。

 愉しげな嘲笑が大きく木霊した。

 

 





後日談(会話文だけ)


「……アイン様、マドカ様の検索履歴から興味深いデータが見つかったのですが」
「? どんな内容だ」
「本当に見ますか?」
「当たり前――」
「後悔はしませんか?」
「……あ、あぁ」
「それではどうぞ」

『兄×妹 禁断の領域1』
『兄×妹 禁断の領域2』
『あっ、ダメです。お兄様っ、そんなところ……』
『IS相談室「最近兄が気になっています。どうしたらよいでしょうか」』
『IS相談室「どうすれば兄と結婚できますか?」』

「……」
「警告したはずですが」
「……オレが悪かった」
「ちなみにスコール様の検索履歴もありますがこちらは子育てについての」
「言わんでいいッ!」



「ねぇ、ナターシャ。一つお願いがあるのだけれど?」
「えぇ、何かしらスコール」
「髪の色を変えてくれない?」
「あら、随分直球ね。何か理由があるの?」
「キャラが被るのよ」
「……」
「キャラが被るのよ」


終われ

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