IS-refrain-   作:ソン

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12/25、修正しました。
    アルカが嫌味な感じに見えたので発言を柔らかく修正。少し優しくなってます。


アンサー

 

 

 

 

 少年は鮮血の大地に立っていた。白い外套を血に染めて、その頬を、その髪を、鮮血で濡らして。

 周囲には屍が隙間なく転がっていて、亡骸の群れが地平線の彼方まで広大な大地を埋め尽くしている。

 屍を飲み込むように流れる広大な河川は、全て流血によってもたらされた物だ。生き物など住める訳が無い。

 空は燃え盛る業火のような色で、憎悪が全てを覆っている。太陽など見えるはずも無い。

 赤い空の彼方に敷き詰められている綺羅星は人の眼球で、全てが少年を凝視している。気味が悪い。

 吹き荒れる風は黒く、どこかで生み出されている憎悪と怨嗟を少年の体へ刷り込んでいた。

 握り締めている銃と刀が酷く重い。刃に滴る返り血――紅に塗れた銃身が妖しく輝く。もっと血を寄越せ、肉を喰らえ。まるで持ち主の意志など耳を貸そうとはしなかった。

 

「……違う、違う」

 

 そんなつもりは無かった。ただ織斑一夏の名を取り戻せば、それだけで良かった。自分の居場所があればそれでよかった。

 ただもう一度、もう一度本当の名前を、ただ一夏と呼ばれたかっただけなのに。

 気づけばもう戻れなかった。踏み躙って来た命を無かった事にするわけにはいかない。亡者のために、少しでも多くの人を助けたいと言う大義名分に縋り付いた。

 そのために握らされた力を振るい続けた。目の前の敵と言う存在を潰してきた。

 そして、その果てに辿り着いた末路がこの光景だ。

 織斑一夏を殺せば、戦争の火種が勃発するのは明らかだった。事実が知れ渡り、彼を求めようとまたは始末しようと多くの血が流れるだろう。スコール達の実力が桁外れとは言え、単独で世界を相手取って勝てる訳ではない。

 ――つまり、彼女達も戦火で命を散らす事になる。

 そうなる結末を自分は望んだと言うのか。彼女達を巻き込んで、より多くの人命を死なせる事を理想としていたのか。大事な人を、自身の妄念で殺す未来を望んでいたと言うのだろうか。

 

「違う……違う! 守り抜くと、そうでもしなければ殺した人たちへの侮辱になるから! せめて……せめて彼らの大切にしていた人たちが、平和で暮らせる世界にしたいと! オレが殺してきた人たちが報われるためには、ただソレしか無かった!」

 

 織斑一夏と言う名前への更なる執着は、殺した人たちへの償いから生まれた強迫観念だった。殺してしまったから、奪ってしまったから。果たさなければならないと。求めなければならないと。

 もしそれが途絶えてしまったら、今まで死んでいった人たちはどうして殺されなければならなかったのか。

 少年の叫び声は小さかった。世界中の怨嗟の声がその叫びを掻き消す。

 彼の人生を全て否定し嘲るかのように世界は笑う。

 そうだ、世界のためならば人間の人生など路傍の石に過ぎない物。

 彼女達が――そうであったように。

 

「オレが織斑一夏になれなかったら……顔向け、できない……」

 

 スコール達がいた亡国機業の目的は“世界の恒久的平和”だ。

 だが、少年の求めている結末はその目的とまったく相反する。

 そんな矛盾に気づかない自分へ枯れた笑い声を漏らして、彼は虚ろな瞳で無数の亡骸を見る。

 守りたいと思った人が皆死んでいた。看取る事すら出来なかった。希望を見せる事すら叶わなかった。

 

“死なないでね”

“兄さん、もう一人にしないで”

“けっ、当たり前だろ”

“探して行きたいと思ってる。この子やスコール、そして貴方と共に”

“……どうかご無事で”

“なら弟子の行く先を見届けるのが師の役目ってモンだろうに”

 

 彼女達の言葉が鮮明に甦る。鼓膜を揺らす声音が、輪唱のように少年へ刻み込まれる。

 元々――彼女達は気づいていた。自分がもう織斑一夏に名乗る事はできないと。

 その事実に気づいて欲しいと、新しい自分を探すために生きて欲しいからこそ、彼女達は力を貸してくれていたのではないか。

 なら、この結末は何だ。この末路は何だ。

 幸せになって欲しいと思っていた彼女達にこんな悲劇をもたらしたのは――自分であるというのに。

 それはまだ十五年しか生きていない少年にとって、下された十字架のような物だった。

 スコール達の事は、大切だった。彼女達が少年の行動を咎める事もあった。

 それでも、その思いや迷いを振り切った先に自身の求めていた全てがあるはずだと考えて来た。

 自分の道が間違っていないはずだと妄信して、大切な人が皆自分の理想を希求していると誤解して。

 自身の身勝手な妄想が――さらに多くの血を流してしまった。

 

「あぁ……あぁぁッッ!」

 

 喉を掻きむしる雄叫び。だがそれすらも風に掻き消されていく。

 心の内に焼けるような痛みが響き、銃を捨てようと腕を振った。

 だがへばりついているようで離れない。手を振るたびに、腕から血糊が撒き散る。

 ならば手を切り落とそうと、刀を振るが切れない。

 血糊で切れ味が落ちている。世界中の肉を食らい尽くしてもまだ足りぬと、その刃が告げていた。

 死ぬ事が出来ない事を悟り、地面に崩れ落ちる。

彼の重みで、地面に横たわっていた肉片が潰れた。

頬にへばりついた贓物へ涙が伝う。

血が混ざった涙は彼の服を赤く染めていく。

 

「オレは、一体……」

 

 言葉が溢れる。

 伝えきれぬ思いが血の涙となって、彼を汚す。

 

“――何を求めていたんだ”

 

 更なる絶望へ落ちていく。

 彼は全てを投げ捨てた。

 今まで抱いていた信念も思いも砕け散り、心の内に秘めていた誓いも大切な人たちの名前も何もかも忘却の彼方へと追いやった。

 もう地獄の底でもかまわない。

 どこでもいいから――ただゆっくり眠りにつければ。

 

 

 

 

 

 

 アインはIS学園の治療室で、ベッドに横たわっていた。服装は白いロングコートのままであったが、その表情に変化は無い。

 現在彼は反動による昏睡状態に陥っており、微かな寝息を立てている。末梢血管破裂と全身の筋繊維断裂、多臓器への裂傷――常人ならば助からぬ重傷だが、彼の体内にあるISコアはその命を繋ぎ止め、彼の体を回復へと向かわせている。

 傍らには彼を見守るアルカの他に、今回の作戦に参加したIS学園の重要人物が顔を出していた。彼を訝しげに見つめる者、彼を凝視する者など様々だった。

 ただ一つ――その中に織斑一夏の姿はない。

 アルカがそっと彼の額に手を当てる。白い肌は冷たく、温もりを感じさせない。――まるで彼の心のようだった。

 

「この場で話す事は全て他言無用に。そうでなければ、私は貴方がたを皆殺しにします。例えどこにいようと追いつめて、追いつめて追いつめて――必ず殺しに行きます」

 

 彼女の声に全員が、寒気を感じた。

 それは決して冗談でも無ければ妄言でも無い。震える膝が、その事を告げていた。

 ぐっと恐怖を飲み込んで、楯無が口を開く。

 

「……分かったわ、じゃあまず彼の正体を教えて」

「貴方なら、もう見当は付けられているのでは? 十七代目、更識楯無」

「……信じられないだけ。だから彼をよく知る貴方から教えてほしい」

 

 楯無など、スコール達と交戦していた者は幸いにも重傷は負わなかったがその疲労は凄まじいの一言だった。

 だからこそ、それを抑え付けてこの場にいるのは賞賛に値するだろう。

 

「この方の名はアイン。第二回モンド・グロッソ決勝戦の日まで、織斑一夏と呼ばれていた方です」

「……嘘だ」

「真実であり現実です。例え、何であろうと」

 

 うわ言のように否定した千冬を、アルカが諌める。

 分からない話でもない。

 あの時誘拐された弟を救出に向かい、千冬は家族を救えたと安堵していた。

 だが――その真実はどうだったか。

 まさか、その裏側で本当の弟は苦しんだままだったかというのか。

 

「なら、こんな変貌を遂げたのは?」

「まずそれについては、誘拐された後の事からお話しなければなりません。誘拐されたアイン様は実験施設にて様々な人体実験を施されました。薬品による肉体改造――それは彼から、次々と人間らしさを削ぎ落としていきました。何よりも決定的だったのは心臓にISコアを埋め込むという事です」

 

 全員の顔に驚愕の色が浮かんだ。

 常人ではまずそんな考えに至る訳が無い。体にボールを押し当て、融合させようとするような物だ。

 もしそんな事を平然と考え付き、容易に実行に移そう物のなら、それは外道と呼ぶのが相応だろう。

 

「そんなの……!」

「えぇ、普通なら拒絶反応が起きて死亡するため尚更無理です。ですが、埋め込まれたISコアはかつて千冬様が使われていた機体でした。初めの頃に作られたコアであり姉弟だからこそ、中途半端な状態でコアが適合してしまった。半分は適合され、半分は拒絶された」

「まさかその機体は……」

「はい。それが暮桜です」

 

 千冬の肩が震える。

 他の誰でもない。

 最愛の弟をこんなカタチに変貌させてしまったのは――全て自分に原因あるからだ。

 

「……その半分拒絶されたのは」

「それが私です。私は彼の心臓に埋め込まれたISコアが拒絶反応により、彼より肉体を奪ってその姿を具現化した存在。――肉体を得た暮桜のコア人格、それが私と言う存在です」

 

 誰もが事態の把握に言葉を詰まらせた。

 無理もない。

 この話や状況は、余りにも現実離れしすぎている。

 無茶苦茶な御伽噺の方がまだ信用出来ただろう。

 それを察したのか、彼女は息を吐いた。

 

「私はいつでもこの方の傍にいます。聞きたくなったのならまたいらしてください」

「……そうね。ではここで一端解散としましょう。私はIS委員会に事実を隠蔽する準備をします。この事は軽々しく口にしていい事じゃないですから」

 

 それぞれが沈痛な空気を纏ったまま部屋を出て行く。

 ただ一人、千冬だけがその場に崩れ落ちていた。

 

「……なぁ、暮桜」

「はい」

「私が……私がしてきた事は何だったんだ。家族を守るためにISを捨てたと言うのに。……何故、今更になって苦しんでるんだ」

「……分かりません。私にはまだ人の心が良く分からない。ですが一つだけ言えるとすれば、この方は千冬様を恨んでおられません。全て自分が弱いせいだと、自身を責めておられます。もっと自分が強ければ、もっと自分がしっかりしていれば――こうはならなかったはずだと」

「違う、違うんだ。一夏。私が……」

 

 アルカの言葉が届いたのか、届かなかったのか。

 それすらも分からないような足取りで、千冬は部屋を出て行く。

 まるで何かから逃げようとするかのように。

 

「……アイン様、これが本当に貴方様の望まれた事なのですか。織斑一夏という名前を取り戻せば、それで終わっていたのですか。貴方が殺してしまった方々はこれでも貴方を許さないと言うのですか」

 

 彼は答えない。

 きっと今も醒めない夢の中を、彷徨い続けているのだろう。

 何故かそれを、羨ましいとは感じなかった。

 

 

 

「大変だわ、ホント」

 

 楯無は事後処理に追われていた。

 本来なら織斑千冬がてきぱきと進めてくれるはずだった。

 しかし彼女は今憔悴し切っており、進めてくれてはいる物の効率は遥かに悪い

 彼女のサポートである山田真耶が手伝って、ようやく人並みと言ったところだ。

 

「……でも仕方のない事よね」

 

 楯無はまだベッドで昏睡状態に至っている少年の姿を思い出す。

 少しでも彼を助けてやりたいと思う心があるのは、甘さの証なのだろうか。

 だが妹と自分の仲を円滑にした切欠を作ってくれたのは彼だ。

 もし楯無が織斑一夏に頼めば、彼とは違った方法だが楯無との仲を同じように解決してくれるだろう。

 同じ人間なのだ。

 優しさに境目が無い、どこまでも優しい少年。ただ彼は、その優しさを自分への罰にしてしまっていた。

 

「……スコール、今なら貴方の言っていた事理解できるわ。そして……彼を助ける事が出来る貴方が純粋に羨ましい」

 

 

 

 

 

 深夜、織斑千冬はおぼつかない足取りで少年のところを訪れていた。

 彼を何と呼べばいいか分からない。

 一夏とは呼べない。彼女が守れなかったから。

 アインとは呼べない。原因を作ったのは彼女だから。

 故にこうしてみていることしか出来ない。

 

「……私は」

 

 そこまで呟いた時、少年が手を伸ばしていた事に気づいた。

 まるで何かに縋るかのように弱々しく。

 まるで何かに願うかのように重々しく。

 指先が虚空をなぞる。何も握らず、何も触れず。

 だけど必死に探るように動かす。

 やがて力尽きたその腕は落ちようとした。

 

「――!」

 

 手を抱きとめる。

 冷たくなった掌を、彼女は両手で包み込んだ。

 力なく握り返されるその感触が、彼女の心を傷つける。

 

「……」

 

 少年の口が何かを呟いていた。

 忘れまいとするかのように、何を呟いていた。

 

「だいじょうぶ……だよ……」

 

 その言葉が千冬の脳裏を駆け巡る。

 そうだ、同じ言葉をどこかで聞いた。

 

「千冬姉は――」

 

 誓いの言葉――あの時少年が千冬に誓った決意の言葉。

 遠い昔、月の下で一人の子供が語った未来。

 

「ぜったいに……おれが……まもるから」

 

 何故信じてやれなかったのだろう。

 小さな子供が大人を励ます程度の言葉だと思っていた。

 星にかける願いのようなものだと思っていた。その誓いを、彼はずっと心の内に秘めていたのだ。ただそのためだけに、思い出せぬ決意を枷にして彼は生き続けて来た。

 なのに、彼女はそれを忘れてしまっていた。

 

「……なさい」

 

 千冬の目尻を涙が伝う。

 かつて世界最強を手にした女性は、己の全てを恥じて涙を流す。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……。私が、私なんかが……姉じゃなかったら……!」

 

 その言葉は少年には届かない。

 ただ、小さな悲鳴となって夜の空気へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 底は地獄で、其処は果てだった。

 燃え盛る火炎と崩れ落ちる廃墟。

 生命など到底存命する事など出来そうにもない。

 地面は焦土と化し、空気は熱に冒され、空は終焉を遂げようとしているのではないかと思わせるような灰色の空だった。

 そんな中を一人の少年が体を引き摺りながら歩いていた。

 

「――」

 

“苦しい”

 

 それが今、少年の中に渦巻く思いだった。

 着用していた白い手術着は既に焦げており、そこから見える肌は人間とは思えぬほど細い。

 素足でこの地獄を歩くにはさすがに無謀すぎた。

 灰色の空と吹き荒れる風、爆風により破壊された辺り一帯はこの世とは思えぬ光景。

 地獄という物があるとするならば、きっとこのような場所に違いない。

 熱風と熱砂、出血と熱が意識を奪い死へと彼を誘う。

 だがそれでも、ようやく外に出れたのだ。

 後はきっと――きっと■が助けに来てくれる。

 もう悪夢に苦しむ必要も無い。

 少し、ほんの少しだけで――。

 そんな希望にすがるように手を伸ばし、少年は倒れた。

 浅く呼吸を繰り返しながら、地面を這いずり少しでもこの地獄から抜け出すために微かな歩みを進める。

 だが、既にその体は限界だった。

 煤に塗れても、彼は目を閉じず、灰色の空へ手を伸ばす。

 簡単に折れてしまいそうなほど細いその腕は、土煙と鬱血に塗れていた。

 

“――助けて、■■■”

 

「――」

 

 言葉にならぬ声。否、小さな声は地獄を吹き荒れる風に塗りつぶされてゆく。

 まるで祈る事すら憚るようで、だが少年はそれに気づかず、ただ必死に手を伸ばす。

 しかし、その手は何も掴まない。空を切った手は地に落ちる――はずだった。

 

「……っ」

 

 落ちるはずだった手が抱きとめられた。

 その温もりを知っている。

 その優しさを知っている。

 その美しさを知っている。

 一人の女性が、少年へ優しく微笑みかけていた。

 思い出せない。誰よりも知っているはずなのに、思い出せない。

 だけど、体は覚えていた。

 口が動く。何を言えばいいのか分からない。

 それでも、言わなければならなかった。

 もしここで彼女を忘れてしまえば、二度と取り戻せない気がしたから。

 

「だいじょうぶだよ」

 

 遠い昔――何もかも色褪せてしまった世界の中。

 どうしてか、その光景だけは鮮明に映されていた。

 

「千冬姉は」

 

 白い闇、満月の夜、着流しを着て、彼女の隣で――。

 思い、出した。――何もかも。

 

「ぜったいにおれがまもるから」

 

 何よりも彼女に憧れていたのに。

 自分では彼女の傍にいられない。

 汚れた自分が彼女の近くにいては、彼女まで汚れてしまう。

 けれど、今はただ手の温もりだけが恋しかった。地獄から引き上げてくれる蜘蛛の糸のように、ただそれだけが。

 

“……あぁ、そうか”

 

 姉に見守られながら、少年は静かに目を閉じる。

 優しい日溜りが彼を包む。投げ捨てようとした物の重さにようやく気づいた。

 また――繰り返すところだった。

 

“伝えたかったのは、織斑一夏に固執する事じゃなくて”

 

 ようやく彼女達の真意が分かった。何もかもを受け入れて歩む事。

 自分に葛藤も非難も怨恨も、それらを背負って生きる事の覚悟が無かっただけだった。

 たったそれだけの事を知るのに、大きく遠回りしてしまった。

 だから、もう二度と見失わない。

 

“貴方の弟である事を、自分自身の生き方を誇りに思えば、ただそれだけで――良かったんだ”

 

 その温もりは既にもたらされていた。求めていた物はすぐ近くにあった。

 スコール達が、アインとして生きる事を受け入れてくれた。

 ならもう、織斑一夏に戻る必要は無い。

 ようやく気づいたその思いが彼の傷を癒す。

 

 

 

 そうして、自身が抱いていた思いによって何一つ得る物がない事を知った少年は後悔を抱いて、されど満たされた思いに安堵して再び眠りの底へと着いて行った。

 

 

 

 

 織斑一夏は虚ろな瞳で、自室の隅に座り込んでいた。

 自分が矮小な存在に思える。

 孤独はこんなにも寂しかった。

 孤立はこんなにも苦しかった。

 慣れたつもりだった。

 女性しか入れないこの学園に、たった一人しかいない男子学生として入学して、苦しい空気になれて、色々と突拍子も無い事には慣れたつもりだった。

 

「何だよ……。結局全部、アイツの作り物だったのか。この思いも考え方も全部、俺が作ったんじゃなくて、用意されていたのか」

 

 心に反して、体はすらすらと事実を述べた。

 その言葉が一夏の心を抉る。粉々になった欠片をさらに磨り潰す。

 何を見ればいい。どこを見ればいい。俺の体のどこに、俺がいる。

 

「……白式」

 

 ガントレットの冷たさが、酷く虚しかった。それすらも他人からの譲り物。ならば、本物の俺はどこにいる。――何も答えない。

 訪れる静寂が、その冷たさを誇張する。

 だがその静寂が突如、扉を開く音に破られた。

 

「……一夏」

「……放っといてくれ。俺は替えの効く機械なんだ。だから、もう気にする必要は……」

 

 胸倉を掴み挙げられて殴りつけられた。

 今までの中で一番強く、一番重い。

 腕力だけで出せるような力ではなかった。

 

「アンタが……! アンタが機械なら、その機械にアイツは憧れたって言うの!? アタシ達は機械が好きだったってコト!? ふざけないで! アンタはアンタでしょうが! 始まりはそうかもしれないけど、今はもう違う!」

「……」

 

 鈴の言葉が突き刺さる。

 彼女達の存在を忘れていた。

 

「アイツから言われた事を思い出せ。重みが無いのならこれから作ればいい。まだ時間はある。これから自分らしさなど作り出せて行ける」

 

 ラウラの言葉が心を揺さぶった。

 まだ時間は十分残っている。

 

「ここにいる一夏は、僕たちが好きなたった一人だけの織斑一夏なんだ。……だから簡単に手放さないで。僕達を助けてくれた織斑一夏は、君だけだよ。一夏の思いは僕達が証明する。一夏の場所は僕達が守る」

 

 シャルロットの言葉が心に染み渡る。

 彼女達と接していたのは紛れも無い自分だ。

 それだけは変わらない。

 

「私達が貴方の居場所となります。それを決して忘れはしませんわ」

 

 セシリアの言葉が心を癒す。

 彼女達といたこの日々こそ、紛れも無い織斑一夏としての日々ではないか。

 

「……皆」

 

 まだ時間はある。

 その中で自分だけの織斑一夏を見つけていけばいい話なのだ。

 今すぐに答えを出す必要は無かった。いや、そもそも出せるはずが無いと言うのに。

 どうしてそんな事に気づかなかったのだろう。

 心に光が灯り始めた瞬間、見慣れていた少女の姿が見当たらない事に気づく。

 

「そういえば、箒は……」

「あぁ、箒は……結構堪えてると思うわよ。私は擦れ違いになった感じだけど、アイツは……」

 

 

 

 

 IS学園の屋上から見る満天の夜空は残酷なほど綺麗だった。

 もし紅椿でこの綺羅星の中を自在に飛べば、心の中の葛藤も吹き飛ぶのだろうか。

 篠ノ之箒は、ふとそんな事を考えていた。

 自分はどこまでもISに翻弄される。

 好きだった幼馴染と引き離され、IS学園で再会した。

 だが、その再会した幼馴染は作り物で本当の彼は人体実験で最早別人に成り果てていたのだ。

 鈴の音が気に食わない。

 

「いい夜ですね。私も物思いに耽る時は空を見ます」

 

 後ろを振り向くと、彼の傍にいた女性が立っていた。

 何となく織斑千冬を彷彿させるその風貌が、箒にとって苦痛に感じられる。

 

「貴方は確か……」

「私の名を覚える必要はありませんよ。またいつか、お会いにした時にでも」

「あ、はい……」

 

 思わずそう言ってしまった。同性であると言うのに思わず見惚れてしまう。

 本当に、綺麗な人だ。外だけでは無く、中も。

 

「あの……どうしてここに」

「そうですね……貴方に用事があるからです。このボイスレコーダーに篠ノ之束様からのお声を預かったデータが入っています」

「! 聞きたくないっ。あの人が、あの人がISなんてモノを作ったから一夏はっ! 一夏は……っ!」

 

 泣き出しそうになって目を瞑る。何も出来ない。私はどこを見ればいい。

 ――ふと、温もりが体を包んだ。

 

「落ち着かれますか? その……少々力加減が苦手で、何度か締め落とした事がありまして……」

「……ありがとうございます。その……っ、少しだけ落ち着きました」

 

 温もりが寒さに変わる。けれど、不思議と温かい。

 そういえば昔、よく眠れない時家族に抱っこされていた事を思いだした。

 

「……あの、ボイスレコーダーを、聞かせてもらっても」

「はい」

 

 女がボイスレコーダーのデータを再生する。

 よく聞きなれた声が、その場に響いた。

 

『……箒ちゃん、聞こえてる? 私だよ、貴方の姉篠ノ之束。用件はそこにいるあーちゃんから聞いたよ。いっくんが二人いる事実、実は私福音の時あーちゃんから聞いてた。でもあえて箒ちゃんやちーちゃんには言わなかったんだ。前持った情報は正確な判断が出来なくなるし、きっと気持ちの整理がつかなくなるからね。……箒ちゃんの好きないっくんはどっちなの? 過去か今か、どっちかを選ばなきゃ箒ちゃんはきっと一人になっちゃう。でもね、私は信じてるよ。箒ちゃんは箒ちゃんなりの答えがあるはずだから。――だって私の自慢の妹だもん。……こんなお姉ちゃんでごめんね、一人ぼっちにしちゃって……本当にごめんね』

 

 その声はいつも聞く姉の声ではなかった。

 遠い昔、よく眠れなかった自分をあやしてくれていた姉の声だった。寂しがりな自分に構ってくれた姉の声だった。

 そうだ、彼女もまた人間だ。孤独を感じ、喜びを感じていた。

 そんな姉の事が好きだった。大好きだった。愛して――いた。

 

「……謝るのは私の方だ、姉さん。本当なら貴方を支えないといけないのに、それをしなかった。貴方に冷たくして、私は自分の責任から逃れていた。だから……もし、もし叶うのなら――!」

 

 ――もう一度姉妹としてやり直したい。

 言葉にならない声が、口から漏れる。

 

 

 流れる星が、ただ静かに夜空を通り去った。

 

 

 

 

 

「……一夏、入るぞ」

「箒? あ、あぁいいけど……」

 

 一夏の部屋には、制服が皺だらけになっている彼がいた。

 彼もまた酷く悩んでいたに違いない。

 

「一夏、回りくどいのは無しだ。率直に言うぞ。私はお前の事が好きだ」

「……でも俺は作り物だぜ。お前が好きだった織斑一夏は」

「私がこの学園で見てきた織斑一夏はお前だけだ。そして私はその織斑一夏が好きになった。その……だから、何というか……! ええい、覚悟を決めろ。わっ私は、私は――織斑一夏である前に、人としてお前の事が好きだ」

「……そうか。ありがとな箒」

 

 一夏の表情に笑顔が浮かんだ。

 まだ時間はある。自分を認めてくれる人もいる。

 その中でならきっと、自分の答えを探せるはずだから。

 

「俺も頑張るから。アイツに負けないくらい強くなって、皆を守るから」

 

 

 

 

 

 目が醒めた。長い、長い夢を見ていたような気がする。長い夢を。

 見知らぬ天井が視界に入った瞬間、今までの事を悟った。

 ――帰って来たのか。思わずそう呟いた。

 

「……」

「アルカ、一つ聞いてもいいか」

「はい、おかまいなく」

「もしも、オレが織斑一夏を殺したら世界はどうなっていた」

「……まず殺したと言う事実は隠しきれません。いつの日か必ず世界中にその真実が露わになります。そして亡国機業も目星をつけられ、大戦が起きる可能性が高いです。各地でアイン様と同じ存在を作り出そうと考える者も少なくないでしょう」

「……スコール達が生き残る可能性は」

「ゼロです。私もアイン様も死にます。そうして、世界中には多大な犠牲が、生まれます」

「……そうか」

 

 もしあの時一つ間違えていたら、という仮定が総身を震わせる。

 自分の身勝手な思いが世界を滅ぼしかけたと言っても過言ではない。あの夢の恐怖が再び脳裏に甦る。

 

「……アルカ、オレは今まで生きていると実感が無かった」

「アイン様?」

「織斑一夏の名前こそが自分の全てだと、その先にきっと大事な何かが待っているのだと、そう信じていた」

「……」

「だが、それは関係ない人を殺したと言う事実から目を背けていた事を正当化するための言い訳だった。……スコール達やお前がずっとその事を教えていてくれたのに、オレは受け入れようとしなかった」

「……未だに織斑一夏へ固執していますか」

「……分からない。だけど、すぐに忘れる事は出来ないと思う」

「そう、ですか」

「まだ十五年しか生きていないのに、何を知ったつもりだったんだろうな。オレは……」

 

 アインはまるで別人のようだった。

 彼が今まで芯を持って行動出来ていたのは、織斑一夏の名前を取り戻すと言う願いがあったからこそである。

 だが、その願いがやがて大戦の火種となり多くの人たちやスコール達を死なせる結末になる。

 言わば裏切られたようなものだ。

 今の彼の心は伽藍としていて、支えなどほとんどない。

 あるとすれば、それはまだ大切な人たちが生きてくれていると言う事だけだ。

 

「……スコール達は」

「作戦途中に撤退命令が出され、現在本部へ帰還しています。マドカ様も無事に帰還に成功しており、残るは私たちだけです」

「……すぐに出よう。彼女達が」

「織斑千冬様が取り調べ室でお待ちになっています」

「……千冬姉」

 

 心がきりきりと痛む。

 彼女と話すのは何年ぶりだろうか。

 以前ならその事に感慨もあっただろうが、今は苦い罪悪感だけが心を占めている。

 彼女に会って、話をしてもいいのだろうか。

 

「……取調室は、どこだ」

「案内させて頂きます。まだ時刻は早朝ですから、ここの生徒と遭遇する事はないでしょう」

 

 ベッドから降りる。体のどこにも痛みは無い。

 たったそれだけの事が、アインに少しの安堵と後悔を抱かせた。

 彼女の言った通り、取調室につくまで生徒と会う事は無かった。扉の前で、彼女はアインに譲るように道を空ける。

 

「私はここで待っています。では、どうぞ」

「……あぁ」

 

 彼女に促されるまま、扉を開ける。

 長机にパイプ椅子という光景、その中に、彼女の姿があった。

 表情は焦燥しきっていて、着ているスーツのあちこちに皺が出来ている。

 その姿を、見たくなかった。そうさせたのは自分だから。

 

「……座ってくれ」

「分かった」

 

 心の内を全て押し殺して、アインは椅子に腰掛ける。

 せめて彼女の前では恥ずかしい姿を見せたくないと、小さな自尊心がそこにあった。

 

「……どう、呼べばいい」

「アインでいい。もう、織斑一夏には戻らない」

「そうか……アイン、すまなかった」

 

 深く頭を下げる千冬に、どういえばいいのか分からなかった。

 ただ自分がもし正体を明かさなければ、彼女はきっとこんな醜態を晒さずにすんだのかもしれない。

 

「……頭を上げてくれ、千冬姉」

「! まだ私を、姉と呼んでくれるのか。お前を地獄に追いやった私を……」

「違う。俺が弱かったから、本当なら千冬姉を守らなきゃいけないのに、その事を気づかないで、勝手に進んで……。だから、貴方は何も悪くない」

「だが、私がISに乗らなければお前は――」

「マドカに出会っていない」

「……!」

「亡国機業に救出されて、そこでマドカと出会った。今は……俺の事を兄として接してくれている」

「……そう、か。マドカは、元気にしているか」

「……オレが呆れるくらい、元気にしてる」

「……良かった」

 

 千冬が何かの紙を出す。

 アインはそれを受け取って、まじまじと見つめた。

 

「養子の手続きだ。……都合のいい、虫の良すぎる話だと言うのは分かっている。それでも私は叶うのならもう一度やり直したい。お前やマドカ、暮桜そして一夏と家族として五人でもう一度暮らしたい」

 

 マドカや千冬と暮らすことはかつてのアインにとって希求していた理想のはず。

 以前ならば、その話を受けていただろう。だが今はそれよりも大事な事がある。

 大切な人達が待っている。やらなくてはいけない事が。

 

「……考えておく。まだやるべき事が残ってるから、それが終わったら答えを出すよ」

「……アイン、例え私の弟が二人になったとしても、お前が私にとって大切な家族であるのは変わりない。マドカもお前も一夏も暮桜も皆、私の大切な家族だ。だから、いつでも顔を見せに来て欲しい」

 

 伝えなくてはいけない事があった。

 当たり前だと思っていた事が何よりの幸せだと思い知らされた時、得た物を伝えなくてはならなかった。

 だけど、その伝える言葉が見つからなかった。

 アインはその紙を持って、ただ静かに部屋を出て行く。

 千冬は彼の背中を見つめていた。

 小さなその体で、数々の怨嗟を背負ってきたその背中を。

 

 

 

 

「アルカ、これを預けておく」

「これは……」

「あの人からもらった養子の手続きだ。スコールに伝えておいてくれ、オレはマドカにその事を話す」

「……確かに女性優遇社会である今なら、女性一人でも問題なく済ませられますね。分かりました、大切に保管しておきます」

 

 アルカと共に、IS学園の校門を目指す。

 まだやるべき事が残っている。

 亡国機業本部で、スコール達と会わなければならない。

 

 

 

 少年の心は、風に吹かれる灯火のように未だに揺れていた。

 

 


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