家族――失って初めて気がついた。
命――死の直前で初めて分かった。
名前――奪われてようやく知った。
全て、当たり前だと思っていた自分が愚かだったのだと。
何故そんな簡単な事に気づかなかったのか。
誰よりも、その名を誇りとして、その人を憧れとして生きてきたはずなのに。
あの人に憧れを灯し続ければ、この現実から逃れられたのだろうか。
だが全てはとうの昔に終わっている。
だとすれば、残されたものなど一体何があるのだろう。
銃声が響く。
ある研究所の上空を飛び回るISが次々と撃墜されていく光景は、もし世間に公開されていたのならば世界を舞台に大きな一悶着を起こしていただろう。
無限の成層圏と名づけられたはずの機械は次々と墜落し、ただの残骸へと成り果てる光景はそうそうお目にかかれるものではない。増してやそれが、たった一人の生身の人間によって為された事であるのなら尚更である。
「な、何なのよ。アイツ!」
一機が上半身を吹き飛ばされ無残に堕ちる。その肉は機械の破損による爆風と電撃に晒され、既に元の色を留めていない。
さらに鳴り響く銃声――さらにもう一機が撃墜された。十名で構成されていたはずのIS部隊は既に残り二人となっている。
一国を単機で落とすはずの無類の武力が、いとも容易く制圧されていく。
「焦るなッ! 相手は銃だ! ブレードで攻めろ!」
一機のISがブレードを手に、襲撃者へと疾駆した。
銃口が標準を合わせるも、どこからか放たれた狙撃が襲撃者を狙う。狙われたソレは舌打ちして背後へ跳ぶ。銃口は既にそのISから外されており、照準する時間は無いだろう。
そして彼女は確かに勝利を確信した。
高らかに振り上げる刃。それを振り下ろせばようやく、この悪夢から目が醒める。
「死ねェッ!」
恐怖に駆られた動きに躊躇いは無い。それは恐るべき繊細な太刀筋を描こうとしていた。
細く白い首を切断すれば――そこまで考えた途端彼女の膝が鋭い痛みを訴える。骨が焼け爆発するような感覚。そこで彼女が手にしていたブレードは勢いを失い、渇いた音を立てて地面に落ちる。
蹴られたと気づいたのは、相手の体が捻られているのを見てからだった。
「――あ」
左足を軸に右足を大きく振るう回し蹴り。その鮮やかで華麗な軌道に彼女は思わず見惚れていた。そして肉がちぎれるような音と骨が折れる音が混じり、不愉快な音を鳴らす。
襲撃者は躊躇い無く、IS操縦者の頭部を文字通り蹴り飛ばした。
残る機体は一つ。既に敵と認知するには余りにも矮小だった。彼は目の前の障害をどう排除するかを模索する。その思考も、反射的速度で導き出された。
手にしていた対物ライフルを圧縮し、タンフォリオ・ラプターを展開する。装填数は一発だけだが、彼が外すはず訳がない。絶対に外す事が有りえない状況だからこそ、その銃が選択されたのである。
操縦者がせめてもう少し冷静であれば離脱と言う選択肢を取れたのかもしれないが、焦燥に駆られる過剰な衝動を塞き止めるにはその心は脆すぎた。
「クソッ!」
放たれるアサルトライフルを、彼は手にしたナイフで一つ残さず弾く。軌道を変えられた弾丸は周囲の地形にその総身を埋没させる事しか果たせなかった。
タンフォリオ・ラプターの銃口が最後のISを照準に捉える。銃把を握る彼の瞳は何の色も有しておらず、ただ目的を果たすために稼動し続けていた。
ハンドガンにしては余りにも盛大な銃声が響き、最後のISを破壊する。それはオーバーキルと呼んでも過言ではなかった。対IS専用に改造されその威力や性能をオリジナルよりも大きく高められた銃。それから爆発的な速度で弾き出される大口径の弾丸は、胴体を肉塊へと変貌させ、散らばった四肢を肉片へと分解させた。
その光景を陳腐な映画で長々と見させられているような目で見届けた後、彼はタンフォリオ・ラプターから空の薬莢を排出し、次弾を装填する。
周りを見渡す。既に警備していたISは全て破壊した。十機の内、三機は纏めてグレネードランチャー、四機は対物ライフル、一機はキャレコ、一機は体術、最後はタンフォリオ・ラプター。
彼が殺しの手順を回想し直しているのは、殺し損ねと手違いが無いようにするためである。殺したのは目的の障害となる人物だけか、捕らわれている人間はいないか、周囲に人影はないか――元々、その情報を全て記憶と言う基盤に刻み込んでいる以上、忘れるはずもないのだが。
とある人物から考えすぎだと忠告も受けたが、彼のその点だけは一切変わらなかった。
姿が変貌し、心が移り、場所を変えたとしてもそれだけは守っていたかった。小さな自尊心が薄汚れても、僅かに息をしているのだ。それを殺せるほど、彼は年を経てていない。
「……」
響く静寂の中、足音だけが虚しく響く。血の混じった足跡を地面にこびりつけて、彼は目的となっている施設の入り口へと赴いた。
鍵のかかった鋼鉄製の扉など、彼の前では藁屑に過ぎない。例えその扉の背後に、山と積み重ねられたバリゲードが聳え立っていようとも皆無だ。
返り血を拭い、腕力だけで強引に扉を抉じ開け、バリケードで扉が
そこは培養施設とでも名付けられるのが相応だろう。人が入るには十分な大きさのカプセル。その中には人の臓器や脳がホルマリン漬けとなって浮いていた。挙句の果てには幼子が丸々とその培養機の中に収められている。既にその瞳が開くことなどない。
ガラスに小さく手を触れて、彼は小さな呟きを漏らす。
「……待ってろ。すぐに終わらせる」
研究所の培養機を全て統轄しているであろう、巨大な機械。彼は両手にキャレコを展開させ、その機械へ全弾を撃ち込んだ。キャレコが切れれば、次の銃へと切り替え再びその機械へ発砲する。
その紅い瞳に、業火の如く燃え上がる怒りを灯して。
「で、アイツはどうするんだよ。スコール」
椅子の背もたれに両腕を乗せ、オータムはそう呟いた。彼女の長い黒髪は、その心を体現しているかのように光沢を失せて萎えている。
現在アインは拠点潰しに向かっている。アルカは無人機の作成に取り掛かっている最中であり、スコールは彼らの次なる任務を選び、その情報の精度及び任地の状況を確認している。エムはそしてオータムはと言えばその後の任務に向けての待機である。
今の彼女の状態を俗に言えば、やる事がないのだ。飾り気が無い故に、端麗な口から深々と溜め息が漏れる。
彼女にはこの後、アインの終えた任地での破壊活動が残っているが、それに向けて調整は必要ないらしい。
そんな彼女を見て少し呆れた感慨を溢しながら、スコールは書類を手にした。
「不本意だけれどこれからの上の意見次第よ、私たちに決定権は無いわ。それに何を望むかは全て彼が決める事だもの。それにしても貴方が彼を気に掛けるなんて珍しいわね。前までは私の傍で喧嘩してるばかりだったじゃない」
「ケッ、アイツは私と手加減無くやりあえるヤツだからだ。だからその……なんつぅんだ? ほら……」
「認め合う仲ってコト?」
「そっ、それだそれ」
清々したとでも言いたげなオータムの表情に、スコールは小さく頬を緩めた。彼も彼女も、根本的な思惑は同じらしい。
互いにぶっきらぼうな人柄ではあるが、その思想は歪んでいない。その無垢な純粋がスコールにとっては好ましかった。
「……あー、そういいやもう一つ残ってた。お前とアイツの出会いをまだ聞いてない」
「あら、忘れたのだと思ったんだけど?」
「はっ、いいから話せよ。こう何度も先延ばしされちゃあ、次の仕事に支障が出る」
だったらアラクネの調整でもしておきなさい、と言いかけたがそんな事を口走ってしまえば間違いなく面倒ごとは避けられない。彼女自身、感情に駆られれば何を仕出かすか分からない人間の一種である。そういう点もアインとの共通項の一つだ。
スコールは小さく溜め息をついて自身の記憶を顧みる。彼との出会いから数年が経ったが、それでも彼女に生じた変化と彼に対する想いは何一つ色褪せていない。
「えっと……前はどこまで話したかしら」
「アイツが例の組織に誘拐されたっつうところまでだ」
「……そこからだと、結構長くなるのだけど。まぁ、久しぶりに話すから丁度いいのかもしれないわね」
記憶の栞を見つけて、彼女はそこから全てを紐解く。アインとアルカ、二人に出会う事になった昔の物語。
その懐かしさの香りを五感で感じながら、彼女は口を動かした。
スコールの機嫌は上機嫌でもなければ不機嫌でもなかった。だが普通と言うわけでもなく、ただ何と呼ぶか分からないだけなのかもしれない。一つ分かった事と言えば亡国機業に就いた以上は、目の前で行われている殺戮など気に留めていては身が持たない。尤も、その程度で壊れる人間ならば亡国機業にいられる筈も無いのだが。
標的である組織の戦闘員は彼女達が放つ弾丸によって次々と身を穿たれ、その穴から鮮血を溢し地面に倒れていく。まるでドミノ倒しのようだ。
ふとブリーフィングの情報を思い出し、そろそろ真打が出てくる頃だと悟る。だからこそ、一つの小組織に対して過剰な戦力が差し向けられたのである。
“相手の組織の目的はISコアを使う事による兵士の誕生と育成だ。だが、無論成功するはずもない。そもそもISコアを付けた程度で強靭な素質が得られるワケではないからな。
しかし相手はクローン技術にも特化している。おまけに設立してから数年が経過している分、何が起こるか分からん。気を引き締めろよ”
思考と行動が別々に動く中、スコールは思う。
彼らは一体何がしたかったのだろうか。目の前で次々と斃れていく兵士を見れば、その中に一部クローン兵士も混ざっているが、所詮はクローンであり人知を超えた力を持つわけではない。
だが一部の幹部にしか知らされていないその思想を、たかが一人の構成員に教えるはずも無いだろう。結局、亡国機業もその有象無象の一つだという事だ。
さらに泥の奥底へ向かおうとした考えも、仲間からの通信によって阻まれる。
『スコール、そろそろ来るはずだ。いいか?』
「えぇ、了解」
本部らしきところから研究員に連れられて一人の人物が姿を現した。
白髪の長い髪に、赤色の瞳。着せられているのは服と呼ぶより布の切れ端に近い。煤けた総身からはその人物がどれほどの境遇に身を置いていたのか明白だ。一部からは血が滲んでおり、足元が定まっていない事から僅かな休息すら与えられていない事が分かる。
生気の無い紅い瞳はまるで壊れて動力を漏らす機械のようであり、無垢とも呼べる儚さを秘めている。
その有様にスコールが言葉を失った時、轟音が耳を支配した。
「――!」
爆音と白光が収まり、通信機が壊れているのを確認した瞬間、何が起こったのかを悟る。
相手が証拠隠滅と道連れのために自爆したのだ。ISのエネルギー残量も大幅に削られており、数時間近くは操縦可能だったはずが今や三十分ほどしか残っていない。
しかし、十分そこらあれば何とか回収地点まで到達するのには十分過ぎるのは不幸中の幸いだった。
「総員に伝える! 今から各々のエネルギー残量に注意しつつ回収物の捜索に当たれ! 点呼は回収地点で行う! マズイと思ったら自己判断で離脱しろ! いいな!」
男勝りな性格の隊長が指令を伝える。それに同時に散開するISの姿。その中にはスコールの姿も含まれていた
あの人物が今どこにいるのか、それだけが気がかりだからだ。
「……!」
捜索を始めて数分後、スコールは目を疑った。
この爆風の中、生身で生きている人間がいる。
地面に残っている熱や地獄を吹き荒れるような熱風も生身の体には十分脅威となるはずなのに、それを歯牙にかけてすらいない。
「どなたでしょうか。返答によっては荒事も選択に入れる所存ですので、どうか正直にご返答お願いします」
彼女の近くには白髪の人物が倒れていた。
首裏には番号のような数字が刻まれており、それが呼び名だったのだろう。間違いなく、あの時に見た姿だ。しかし彼の傍らにいるその女性は何者なのか。
黒の長い髪に黒い瞳――まるで少年とは正反対の姿。
黒いドレスのような服は酷くミステリアスで、それもまた彼女の妖艶さを際立たせている。
「……別に危害は加えないわ。貴方達にその気がないなら、私たちにも無い。けど出来ればご同行願えるかしら。こんな場所に放置していたら、貴方達も危ないわよ」
女性は僅かな間、顎に手を当てた後何かに納得するように小さく呟いた。
この世とは思えぬ凄惨な風景の中で、その姿は余りにも場違いに見える。
「分かりました。あなた方に従いましょう。私の事はアルカと呼んでください」
無論、回収地点でまた一騒動が起きたのは言うまでもない。
「……で、終わりってコト?」
「えぇ、存外短かったでしょ。でもそんな短い時間でも本当に濃密な出来事よ」
「なるほどねぇ……文字通りアイツにとって
「どうぞ?」
「アルカは結局何者だよ」
「……さぁ? 私も彼女から言われた事は無いし、彼女も語る気ないそうよ。アイン第一の人物だしね」
「……ちぇっ、まぁいいや。とりあえずその例の組織って言うのが下らねぇ連中ばかりってのは良く分かった。クローンは本物をごまかすために作り上げていたって事でいいんだろ?」
「えぇ、しかも他人の家を物色して情報を根こそぎ集めていたみたいね。クローンを生み出した後、それに強力な催眠と暗示を掛けることで本人だと自覚させる……本当に手の込んだインチキよ」
「胸糞悪い話だな、そりゃ確かに勘違いするわけだ。……って、まてよ。まだその話続きがあんだろ」
「あら、うまく逸らしたと思ったのだけど……どこで気づかれちゃったのかしら」
面白げに笑みを浮かべるスコールに対し、オータムはどこか酷く呆れたように苦笑する。
両手を頭の後ろに組んで、彼女は深く息をつく。
「そんなモン態度で分かるだろ。色々と過程すっ飛ばしてるんだよ。なんつーか肩透かし食らってる気分だ」
「……そうね。じゃあ続きとして彼が亡国機業に入った経緯でも話しましょうか」
「んだ、やっぱりあるんじゃねぇか。……つーか、スコール。何でお前、そこまでアインの事覚えてんだ? まさか――」
そこでオータムの意識と記憶は途切れた。
何というか人の体から鳴ってはいけない音が聞こえたような気がする。
パン、と乾いた音が響く。
周囲には死体が散乱しており、全て四肢のいずれかに欠損があった。
溢れ出る血がコンクリートの床を濡らし次々と侵食していく中、何者かがビクンと体を震わせた。
年代を思わせる電灯が宙を虚しく揺れる。
「……」
額を穿たれた老人の亡骸に何の意思も見せず、アインは研究所を出るために歩みを進めた。
動く体と合わせて長く白い髪が揺れる。
その合間に、首裏に小さく数字が見えた。
――code No,Ⅰと刻まれたその文字は、まるで呪いであるかのようにどこまでも黒かった。
「ふふーん。ふふふーん」
薄暗く密閉された空間の中で篠ノ之束は、鼻歌を歌いながら空間に浮かんでいるディスプレイを操作していた。
四方の壁は床の元の色さえ見えぬほどのコードで埋め尽くされており、来る者を拒むような有様はまるで彼女の性格を表しているかのようだ。
うさぎのカチューシャは彼女の心を表すかのように小刻みに震えた。
まるで玩具を弄ぶ子供のような表情は、突如醒めたモノへと変わる。
「……誰、というか邪魔だから消えてくれないかな」
「――それは失礼しました」
黒いドレスを着た女が薄暗い空間からふとその姿を現す。
だが束は一切の興味を示さずに、ただディスプレイだけを見ていた。
女はそんな彼女に対して、恭しく頭を下げた。
「まずはご挨拶を。お久しぶりです――母上」
その一言だけで、空間が凍りつく。
篠ノ之束の冷徹な瞳がすぅと細められた。