IS-refrain-   作:ソン

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影は黒く渦巻いて

 

 

 いつだって歩いてきた。その名前を背負い、確かな自分として生き続けて来た。

 歩けばきっと何かが見つかるだろう。それは己を見失わないからこそ信じられる事だ。

 

 

 ならば名前を奪われた者はどれだけ歩いたとしても、何一つ得る事は出来ないと言うのだろうか。

 

 

 

 

 その出会いはまさしく最悪の一言に尽きる。

 少年はある少女の容貌に姉の面影を幻視し、少女は少年の名に憤る殺意を抱いた。それは白と黒のように明白な在り方で、両者の姿はまるで鏡のよう。決して混じり合わない関係。

だと言うのにその繋がりは兄と妹。混じり合うはずの運命はいつからか解れていた。

 言葉にすればそれは『家族』。たったそれだけの簡単な関係だと言うのに、それぞれの思いは混沌に沈んでいた。

 織斑一夏と織斑マドカ。

 愛情と憎悪、歓喜と絶望、そんな境界線の狭間に彼らは捕らわれ、僻み、すれ違い続けている。その狭間から他者が救い上げる事など不可能だろう。

 まず、その深淵を覗き込んだ瞬間に全てが砕かれるに違いないから。

 

 

 

 

 

 

「さて、今回の作戦を説明するわね」

 

 暗い一室の中、映像投射機によって投影されたスクリーンへスコールが立つ。その容姿にはさり気無くアインが購入したブランド物のアクセサリーが備わっていた。

 部屋にはアイン、オータム、マドカや機械を操作するアルカの他に今回の作戦に参加するために、突如として増員された数名の構成員が腰を落ち着けている。

 本来ならばいつもの五人で行うはず任務に唐突な人員変更。それもほとんどが新参と呼ぶに相応な経験しか無い。だと言うのに、何故この危険な作戦へ抜擢されたのだろうか。

 それを奇妙だとは思いながらも、スコールは説明する事に専念した。今の彼女の務めは任地の情報を伝え、共有する事である。例え戦争が変わり、人が変わり、時代が変わったとしても、情報が有用である事に変わりはない。

 スクリーンの画面が切り替わり、どこかの地図が映し出される。一部の者はその地形に何かを思い出すように首を捻り、一部の者はその場所を瞬時に導き出した。

 

「……ハワイだな?」

「えぇ、そうよオータム。このハワイ沖基地でアメリカとイスラエルが共同開発している軍事用ISが試験飛行するという情報を入手したわ。それを強奪。強奪が不可能であれば破壊する。それが今回の目的よ。アルカ、お願い」

 

 画面が再び切り替わり、例のISの形とデータが細かに羅列される。右下に映された女性の画像―恐らく操縦者だろう―はまだ一流の戦士と言うには若い。

 

「銀の福音、正式名称はシルバリオ・ゴスペル――通称福音です。第三世代型で広域殲滅を目的としたオールレンジ攻撃や特殊射撃、そして攻撃と機動の両方に特化。戦闘能力が非常に高く空中では国家代表生クラスでも苦戦を強いられます。セカンド・シフトをした場合、その危険度は計り知れません。他のISと連携を組まれた場合尚更不利です。つまり――」

「学園襲撃に置いて協働された時に厄介だと言う事か」

 

 アインの言葉に、アルカは無言で―だがどこか嬉しさを込めて―頷く。その姿にスコールは思わず吹き出しそうになったが、聴衆の前と言う事実が彼女の精神力に力を与えていた。

 スクリーンの画像が再度変わり、今度はIS学園側の情報が映し出される。一年生の中で専用機を持っている者達の顔写真と機体が表示され、作戦を聞いていた者の中の約一名が顔を顰めた。

 

「そしてIS学園による臨海学校もまたこの時期です。仮に銀の福音と交戦状態になった事を予測すれば、間違いなく学園側も介入してくるでしょう」

「おおよそはアルカの言うとおりよ。だから今回の作戦は迅速な行動と判断が要求されると思っていい。だから私たちがこの任務に抜擢された。最悪の場合IS学園と接触しなければならない可能性もあるわ」

「……待て、何故学園側が介入してくる? 軍事絡みの事を一介の生徒に押し付けるのか?」

 

 当然と言えば当然の事である。軍用機が関わるならばそれは少なからず国家直属の機関が最善の力を以て尽くすはずだ。まさかIS学園が極東の中で随一の戦闘能力を誇るわけではあるまい。あれならばまだ、国家代表の方が遥かに力を有している。

 アインの疑問に、スコールはクスリと微笑み、艶やかな唇が微かに弧を描いた。常人の男ならば悩殺されかねない表情を見ても、アインの顔色はちっとも変化しない。

 そこまで鈍感だと言うのか、それとも作戦中であるため意図的に無視しているのか、どちらにせよ面白くない事だが、その不機嫌をスコールは内心で押し殺す。

 

「真意は良く分からないけど、自分達なら大丈夫と言う自信があるのでしょうね。余程専用機持ちという肩書きを信頼しているみたいよ」

「……首輪を繋がれた犬が猟犬気取りか」

 

 アインの呟きを聞いて、マドカはなるほどと納得した。

 大人しく首輪に繋がれておけばいい物を、自身の力を過信し出来ぬ事をするから戦いの中で倒れる。

 そのような人物を此処にいる者は何人も目の当たりにしてきたのだ。戦いを揺り籠とする者達が集う場所。それもまた亡国機業の一面である。

 その中でも戦いが日常茶飯事であるこの組織の中でプライドだけが抜き出ている輩もいる。元々実働部隊にいる以上は余計な感情論など不要だと言うのに、固執し続ける。

 結局、それは影も形も無い筈の栄光に縋りながら死んでいくのだ。

 

「基地を制圧したら、後はアルカに任せるわね。貴方なら問題は無いから」

「お任せください」

「アインとエムの二人で攻めて頂戴。オータムは二人の援護を。私を含めた残りは皆、外部からの出口を塞ぎつつ進行して」

 

 了解、と声が響く。

 何かが違うその音を、スコールはただ気に食わないと思った。まるで清らかな水の中に、たった数滴汚水が混じったような嫌悪感。

 それはきっと、アインの事を何も知らぬ衆愚共が、彼を疑いの眼差しで見ていたからだろう。

 

 

 

 年代物を思わせる電灯の下、彼はいた。テーブルの上に置かれたマガジンと銃の群れ。そしてそれらを手に取り、黙々と作業を進める白髪の少年。

 作戦予定地へ繰り出す数刻前、アインは携帯する銃に弾丸を込めていた。彼に銃を収集する趣味と言うのは無く、彼が今手にしている其は普通の弾丸が発射されるタイプだ。IS武装の一種ではない。

 今回の作戦は生身の兵士と交戦する場面がある。基地を護衛する者達との交戦だ。別段、殺していいのだろうが、生憎アインはそれを好まない。何より兵士達に罪は無い。彼らはただ守るために戦っているだけだ。

 いつもアインが使用している銃は、ISに通用するほどの性能を持つ弾丸を使用しているため、人間相手に撃てば四肢が潰されるか死ぬかの二択に分かれる―ただし直撃すればの話であり、掠めた場合は別だが―。

 そのため、裏の世界では普通に流通している普通の銃を使用する事になったのだ。銃弾を込めているのもそのためであり、アインが体内に圧縮してから展開すれば銃弾の装填は為されるが、それはISに通用する弾丸となってしまう。

 素手で交戦する事も考えたが、手加減を心がけておかねば間違いなく死人が出る。そして近接戦闘での手加減と言うのは、アインにとって苦手な物だ。彼の格闘が常人の首を掠めれば即死確定である。

 全身が麻痺でもすれば、力が入らなくなるのだろうがそもそもそんな手段が存在し彼に通用するかも疑問である。

 心のどこかで面倒だとは思いながらも、その手が休まる事はない。

 蝶番が金切り声を上げ、入室者の存在を知らせる。

 

「相変わらず下らん事に精を出すな、馬鹿弟子」

「……カレン。アンタは今回の作戦に配属されていないと聞いたぞ」

「何だ、来たら悪いのか?」

「……気が散る」

 

 後ろ髪を首元で揃えた銀髪の女性が姿を現す。

 着ている黒い軍服は、所々埃が付いているが彼女はそのような事を気にする人間ではないし、女尊男卑に染まり切った者でもない。

 服の上からでも鍛え抜かれたと分かる体つきと、女性らしいそのスタイルがどこかアンバランスだ。だがそれでもアインを容易く捻じ伏せる程の実力を持つのが彼女である。

 アインに銃やナイフなどの戦闘を教え込んだ女性――その名はカレンと言う。

 

「おい、一応アタシを敬えと言ったはずだ。銃器の扱い方を叩き込んでやったのは誰だと思ってる」

「なら、カレン師匠と呼ぶが」

「……すまん、アタシが悪かった。やっぱり今までどおりでいい」

 

 苦虫を噛み締めたかのような表情を浮かべる彼女の姿に、小さく息を漏らす。軽口や冗談の類とは思わなかったのか、あるいはアインの目がそれほどまでに本気に見えたという事か。

 何度か咳払いをした後、すっと細められた目が、静かに彼を見据える。

 間の抜けた雰囲気が、急激に冷えていく。まるでそれは、一粒の水滴が鋭利な刃物へ凍っていくような変化だった。

 

「本題に切り込むぞ。アイン、今回の任務の配属を見て一つ気づいた事があるだろう?」

「……本来なら五人で行われる任務に、急激な人員補充の事か。あぁ、余りにも不自然すぎるが、それがどうした」

「――気をつけろ。アイツら全員、この組織に来てから日が浅い。その癖、任務の完遂度はほぼ百パーセント。……まだはっきりとした証拠が出揃ってないが、アタシの勘から言わせて貰うと、確実に黒だ」

 

 アインの手が止まる。彼の脳裏に駆けたのは、一つの考え。今からその者達を殺しに行くと言う突拍子も無い思考であった。

 敵であるのなら迷う間は無い。元々相手もそれは覚悟の上だ。故に殺す。――極端極まりないその内容は十五の少年が至る想像とするには余りにも過激すぎた。

 だがそれすらも察していたようにカレンは何一つアインに喋らせる事無く言葉を切り出す。

 

「あと、銀の福音の噂は聞いた事がある。確か、搭乗した操縦者が次々と死亡するって話さ。搭乗して存命中の人物はいない。乗った者に死という福音を突きつける――何でもそれが機体名の由来だとさ」

「……上層部は何を考えている。先のIS学園襲撃と言い、スコール達を疲弊させたいようにしか考えられない」

「考えるだけ無駄だ。深入りしてしまえば始末されるのがオチさ。事故に見せかけて始末されたオルコット夫妻のようにね。アタシとしても長生きはしたいモンだ。……っとコイツを渡して置けって言われてたっけ」

 

 何かを思い出したかのように、ポケットをまさぐり彼女は一発の弾丸をアインへと放り投げた。

 その弾丸を受け取り、それをまじまじと見つめる。普通の銃弾とするには余りにも異質な外見。罅割れた壁から弾丸のカタチを無理やり削り出したかのような形状であった。

それが持つ重みと質感から、普通の弾丸ではない事を悟る。サイズから見るに恐らくアインのタンフォリオ・ラプター専用だろう。

 

「……コレは?」

「アンタの愛銃、タンフォリオ・ラプターに合わせて作られたアルカ特製の弾丸だ。何でも剥離剤(リムーバー)の技術を応用してるみたいで、ソイツをぶち込まれたISは命中(・・)した瞬間にあらゆる動作を中止して強制解除される。

ただ使いどころは本家よりもちょいとムズイし、材料と時間の都合で一発しか用意されてない。アンタが使ってるモンより反動がデカいぞ。

アタシじゃ間違いなく体ごと持っていかれる。完全に体が()ってるようなヤツにしか扱えない。言わばアンタ専用だ」

「……オレと同じ銃を生身で乱射するアンタも中々だが」

「うるさい黙れ」

 

 その弾丸を発現させたタンフォリオ・ラプターへ装填し、アインは試しに構えてみた。――たったそれだけで、カレンの言葉を全て理解した。

 確かに普通の弾丸と重みが全然違う。この銃ならば例え1トンのトラックが正面から猛スピードで突進してきたとしても、それを紙風船の如く吹き飛ばすだろう。

 ホルスターに先ほどまで弾込めしていたハンドガンを収めて、タンフォリオ・ラプターを自身の中へ圧縮する。体の中の骨を鳴らし、アインは心身を任務に最適な状態へと稼働させる。

 もし仮に福音と戦闘になった場合任務の行き先を決めるのはこの一発の弾丸のみ。その事実を前にして、彼は微かに背筋を振るわせる。

 出口へ向かうその背中に、カレンは唐突に言葉を告げた。

 

「死ぬなよ、馬鹿弟子。二度も失うのは御免だ」

「アンタもな。カレン・ボーデヴィッヒ。家族に置いていかれるのはもううんざりだ」

 

 扉が閉まった瞬間、カレンは弾かれたように笑い出す。面白くてしょうがないと言うよりは、何かを嘲っているかのようにも見えた。

 ひとしきり笑った後、両目に前腕を当てて呆れたような忍び笑いを漏らす。

 彼女はそっと自分の腹部に手を翳した。

 

「言ってくれるじゃないか。アタシの娘ならそんな強がりは吐かないだろうに。……いや、やっぱり言うかもしれないなぁ。何だかんだ言って一人ぼっちは寂しいからねぇ」

 

 そう呟いた言葉は、一体誰に向けられたのか。

 

 

 

 

 

 まず福音の奪取に向けて最初の障害となるのは警備兵の排除である。こちらに関してはアインとエムの二人が短時間の集中砲火を行う事によって行動不能に陥らせると言う事になっていた。

 故に駆ける。照準を合わせている暇は無い。ほとんど感覚で撃つしかなく、ISを撃ち落とす技術を持つアインでも、視認せずに命中させるのは至難の業だ。

 放たれる銃弾の嵐。体を滑り込ませるように掻い潜り、反撃とばかりに両手に持った拳銃を連射する。

 銃口が反動で跳ね上がろうとするが、彼の腕はその反動を無理やり抑え込み、指はそんな事を知らずに引き金を引き続ける。

 無論の事リロードする余裕は無い。この作戦は時間との勝負である。弾丸を撃ち切った銃はその場で放棄するのがある種賢明な判断ともいえた。

 弾倉が空になった拳銃を兵士へ投げつける。彼の怪力で投げられた拳銃は、文字通りの鉄の塊だ。直撃すれば人の意識を奪う事は容易い。

 銃弾が通路を塞ぐ兵士達の四肢を貫き、そして砕く。役目を終えた拳銃は鉄塊となって兵士達の意識を潰す。

 痛みに悶える彼らを一瞥もせず、彼は走る。

 

『そっちは?』

「あと少しで辿り着く。エムは?」

『……同じくらいだ』

 

 声質が若干下げた事に、疑問を持ちながらも、アインは基地の中央へ繋がる司令室への扉を見つける。情報によれば内部に戦闘員はいない。故に扉には厳重な電子ロックがかかっている。

 しかしアインの前では、電子ロックによる鋼鉄製の扉など足止めにすらならない。走る速度を一切緩めず、彼は扉を蹴り飛ばした。

 右手に拳銃を持ち構える。部屋の内部にいるのは、研究員らしき人物と政府高官のような人物の数名だけ。まさしく情報通りだった。その正確さは余りにも不自然である。そして護衛が一人も部屋にいないと言うのは、何かが不穏な予感を覚えた。

 さらには騒ぎを起こしたはずなのに、巨大スクリーンには飛行している福音の姿。慌てる様子も基地に戻ろうとする様子も見らない。

 思考が切り替わろうとするのと同時に、一機のISが壁に綺麗な穴を開けて入ってきた。その装甲には一切の傷が無い。それを操る少女もまた同様である。

 

「……遅かった」

 

 悄然とする声とは裏腹に、手にしている大型ライフルはしっかりと握り締められている。

 二人が作り上げた入り口から次々と銃を持った構成員が侵入し、中にいた人物を包囲した。

 構成員の数はざっと見る限り二十人ほど。その全員が澱み無く作戦通りに動く事にアインは嫌悪を感じずにはいられない。

 

「福音を戻させろ! コイツらを――」

 

 男の声が言葉となった瞬間、アインの手が動く。薙ぎ払うかのように振るわれた腕はその男へ照準を合わせる。引鉄へとかかる指先には何の躊躇も無い。

 顎鬚を蓄えた男の足を、銃弾が抉る。飛び散る血の上へと男は悲鳴を挙げながら無様に倒れこんだ。硝煙を上げる銃口の先を、今度は額へと向けようと動かす。

 その銃身を、一人の女性の手が押さえ込んだ。

 

「後は私の仕事よ。ゆっくり休んでて」

 

 スコールの手から銃身を放し、アインはその銃をホルスターへとしまい込む。確かに後は彼女の仕事だ。これ以上銃弾を浪費する必要は無い。

 いつの間に侵入していたのかアルカが管制室の席に座り、機器を操作していた。

 

「失礼するわね、合衆国高官殿。銀の福音を引き取りに来たわ」

「貴様……っ、亡国機業か!」

「あら、意外にも知っていたのね。――拘束しなさい」

 

 構成員が研究員と高官を拘束し、背後へ引き摺っていく。これで残るは銀の福音の奪取だけだ。

 アルカの手によって福音を一時的な待機状態へと強制移行。そこから遠隔操作で基地へと着陸させ剥離剤(リムーバー)を使用し銀の福音を奪うと言う算段だ。

 彼女が行っている以上最早作戦の成功は確定的。だと言うのに巨大スクリーンに映し出される福音は微動だにせず、その場に留まっている。

 まるで一時停止された映像のようだ。流れる雲だけがスクリーンの中で動いている。

 

「――そういう事でしたか」

 

 アルカが機器を動かす指を止めて呟く。

 彼女の目は冷氷の如く凍り切っており、その視線はただスクリーンに映る福音だけを見ていた。

 剣呑な殺意を秘めたままアインは彼女の傍へと歩いていく。

 

「どうした?」

「……アイン様、無人機を呼びます。早急に福音を止めてください」

「何?」

 

 アインもまたスクリーンに映る福音を見る。

その途端、福音は監視区域を離れてどこかへと飛び去っていった。

 アルカの淡々とした声が、その現状を告げる。

 

「福音が暴走しました」

 

 

 

 

 

 

 

 臨海学校に来ていたIS学園の教員達は既に多忙の嵐だった。

 無論その理由は先ほど入った情報である軍用ISの暴走事件である。軍用機の暴走と言う事態ならばそれは国家直属のISが出て然るべきだ。学園側の誰もがそう思っていた。

 だが結果として下されたのは、IS学園側による解決である。しかも一切の補給や援助すら無いのだ。暴走軍用機、銀の福音の現在地を送っただけ。

 余りにも理不尽な命令に対し、最初は抗議こそしたが時間の無駄と打ち切られ止む無しに行う羽目になったのである。

 教員達はありとあらゆる情報をフィルタリングして、必要な情報だけを抜き出してゆく。そして銀の福音の戦術やデータの即席資料を次々と作り上げている。

 その背後では、専用機持ちである六人が事前の打ち合わせを行っていた。

 

「……」

 

 織斑千冬はふと思う。

 軍用ISの暴走なら、それこそ軍が出て然るべき対処を行うはず。秘密裏に済ませたいとは言っても、それで死者が出てしまえば元も子もないというのに。

 既に教員のISが海上封鎖に向かっているが、教師部隊による鎮圧も目処に入れておかなくてはならない。

 専用機とはいえ、それだけで人は強くなれないのだ。力だけで人は生きていけない。それが千冬の得た答えである。

 しかし彼女には、教え子達が無事に帰ってくるようにと、祈る事しか出来ない。

 最愛の弟や教え子を戦場へと繰り出させるのは、後ろ髪を引かれるような思いだった。彼女を戒める無力さは、かつて幾度となく味わってきた絶望の感覚。

 もし自分があの時、ISに乗る事を躊躇っていたなら、こんな世界にならなかったのだろうか。

 

「織斑先生!」

「どうした?」

「銀の福音と交戦中のISが確認されました! 現在、海上を追跡しているようです! 反応が確認された同時刻に、封鎖に出ていた教員達が襲撃されています!」

「――何だと!?」

 

 余りの突拍子の無さに、内容を理解する時間を要した。山田真耶が調べてくれた画面を見ると、確かに福音を除くIS反応がある。

 二機――しかしその現在地は重複しており、まるで合体しているのではないかと思わせた。

 

「……通信は?」

「それが……そのISに通信機能が通用しないんです。衛星からの映像も、何らかのジャミングによって繋がりません」

「どこかの軍が動き出した可能性も捨てきれんな……。クソッ、厄介な事ばかり起きる……」

 

 大きな溜め息をつきながら、千冬は作戦会議をしている六人の元へと向かっていった。

 第二回モンド・グロッソ決勝戦――あの時、千冬は一夏を手放さないと決めたのだ。もう二度と家族が孤独にならないようにと。

 ISに関わらない事、それこそが一夏が危険な事に会わないようにするための最善の策だと気づき、彼女は専用機であった暮桜を放棄した。それも世界を変えた友人の手に渡らぬよう、内密にして。

 妹と両親が失踪した時、千冬は一夏に依存した。残された欠片は一つしかなかった。

 今度は一夏まで失ってしまえば彼女は廃人になり果てるだろう。

 それほどまでに千冬は一夏と言う存在に深く感謝し、深く愛していた。

 

“無事に帰って来い、一夏”

 

 織斑一夏誘拐事件――その本当の真実を彼女は知る由も無い。

 残酷な現実を、何一つ知る事無く。

 

 

 

 

 

 アインは全身装甲型の無人機に乗ったまま、福音との距離を推し量っていた。白いロングコートと長い白髪が強風に靡くが、彼の思考の大半は既に戦闘に適した物に変貌している。肉体もまた同様で全身の筋肉も程よく力んでおり、最適な状態に稼働している。

 超音速下での戦闘のために製作された黒いバイザー。そこから送られてくる情報は、まもなく軍事用ISとの戦闘が行われる事を意味していた。

 アインと銀の福音の間合いはおよそ五百メートル。だが高速戦闘故に数秒後には彼我の距離も無いに等しい。つまりこの戦闘に置いて安全な間合いなど意味をなさない。

 左手で背面部の突起物に掴まり、右手で対物狙撃銃を肩に担いで、紅き瞳を機械越しにじっと目標へ向けている。恐らく戦闘の狼煙はアインが発砲した瞬間。その時から銀の福音はアインと彼の乗っている無人機を始末するべく、牙を向くに違いない。

 無人機のシールドによって呼吸や風圧の影響は皆無であるため、アインはただ純粋に己の行動へ専念する事が出来た。両足を無人機の装甲に固定しているため、常人なら内臓破裂するほどの無茶苦茶な軌道すら地上にいる時と何ら変わりない上、体勢がよろめく事などないだろう。

 ただ一つ言えるとすれば、今回の戦場は文字通り全周囲からの攻撃がくると言うことだ。それも今までのように人を殺すべく作られた銃弾などではなく、ISを瞬殺する事すら可能な破壊が迫る。つまりは一瞬の油断すら許されない状況。

 無人機は自動操作であり、最優先行動は回避。その次は福音の追跡である。背中にあるコンソールからの直接的なコントロールも可能ではあるが、アルカが組んでくれた自律思考にアインは完全な信頼を預けていた。

 間もなく戦いの口火は切られる。呼吸を整えて、師として鍛え上げてくれた人物の言葉を思い浮かべる。

 

“空中戦で一番大事になるのは、全てがどこにいるかって事だ。特にアンタみたいな銃弾ばら撒けるヤツなら尚更だね。まぁ、空中戦での基本はコレしかない。仕留めようと思うな、当てると考えろ。状況はどちらにも味方をする。それをどう利用するかが生死を分けるのさ”

 

 スコープを覗き、照準を福音へと合わせる。体勢が整った今、無人機の背中を掴み体を保持しておく必要は無くなった。無人機が移動する際にまた、掴めばいいだけの話だ。

 クロスバーの中心へ捉えられても福音はまったく移動していない。まるでどこかへ誘われているかのように一直線だ。アインの一撃をものともしない故の自信か、それとも何かに気づいているのか。

 それをおかしいとは感じながらも、トリガーに指を掛ける。倒してから考えればいいだけ。

 トリガーを引こうとした時、体内から彼女の声が聞こえた。

 

『アイン様、聞こえますか?』

「――傍受は」

『コアネットワークを介しての通信です。スコール様から、念のためとしてこちらでの通信を使うように頼まれました』

「分かった。状況の整理をしたい。説明を頼めるか」

 

 アインの心臓に埋め込まれているISコアは彼に様々な力を与えている。例えば他のISとの体内通信―先ほどIS学園から来たのはアルカが全て遮断している―や身体能力及び筋力の大幅な増加など挙げればキリがない。

 その中でもアインとアルカは無線機など不要で遠隔地から連絡を取り合う事が出来るのだ。彼らが同じ存在だからこそ出来る芸当である。

 

『はい、エム様とオータム様は海上と空域封鎖に出ているIS学園との交戦に入りました。私とスコール様は現在基地にてオペレートしています。

現在、日本からIS学園側から専用機が出撃したのを確認、接触まで五十分と推測されます。その間に福音を撃墜もしくはタンフォリオ・ラプターで剥離剤(リムーバー)を撃ち込んで取り除いてください。使い方はカレン様からお聞きになっているはずです』

「分かった」

『それと一つ伝えておく事があります。先ほど福音のコアネットワークにアクセスし暴走を止めようとしましたが失敗しました。コアネットワークから遮断される時福音からの声が聞こえたのですが、お聞きになりますか?』

「あぁ」

『たすけて、と』

 

 刹那、アインの口から空気が漏れた。トリガーを握る指が微かに強張る。

 それだけでアインはアルカの言いたいことを理解した。その一言に含まれる真意を読み取った。

 恐らくこの事態には何らかの首謀者が潜んでいる。でなければ、今まで感じた不自然な点が何一つ納得しない。人員の増加、銀の福音の暴走、護衛兵士の少なさ――その全てが彼の中で一つの答えを作り上げる。

 だがそれを言及する前にやるべき事がある。その問題に対して対抗できるのは今のところアインだけだ。

 

「了解した。目標は福音とその搭乗者の救出。今から作戦行動に移る」

『はい、では異変があればまた連絡を』

 

 コアネットワークの通信が切断されたのを確認し、福音との距離を見る。見れば間合いは僅かに開いていた。

 狙撃の射程圏内にはいるが、風圧なども考えればその威力は大きく減衰すると考えてもいいだろう。対物狙撃銃とはいえ、さすがに超高速下での戦闘は考慮されていない。

 しかし一発で仕留めるとは考えてない。ただ福音がこちらに注意を向けてくれればいいだけである。必中必殺はこの場では不要だ。

 

「行くか」

 

 トリガーに再度、指を掛け直しスコープで福音を捉える。吹き荒れる風の中で、アインは全神経を指先に集中させた。

 ――彼の本能が発砲を叫ぶ。そしてそれに従い、彼は引金を引く。

 それと同時に福音が旋回した。

 この瞬間、福音はアインを観察者から敵と認識された。全身の機能が彼を殺すべく強制的に動かされる。

 

「La……」

 

 狙撃銃から吐き出された大口径の弾丸と、福音のウィングスラスターから繰り出された三十六個の光弾。螺旋の回転をしながら迫る弾丸は光弾を次々と相殺していき、福音に迫る一歩手前で――文字通り一蹴され破壊される。

 海上を舞台とした銃撃戦が幕を開けた。

 

 

 

 

「ふーん……ISにダメージを与える兵器があったなんて驚きだなぁ。まぁ、それを軽々と扱ういっくんにも驚いたけどね。……いや違うね。いっくん自体がISに対する天敵になってるのか」

 

 外側で専用機持ちの生徒達が出撃した後、束は即席のラボで一つの映像を見ていた。

 全身装甲型のISに乗った白髪の少年と、銀の福音が戦闘を繰り広げている。それは表に出れば間違いなく世界が動くであろう光景であった。

 見た限りでは、僅かだが少年側が優勢であるように感じられるが、その表情に余裕は無い。

 どうやらこの戦闘を見る限り、束が箒へ贈った紅椿は活躍しそうとは思えない。いくら 紅椿が強力な機体とはいえ、銀の福音相手ではまずパイロットの技術が違いすぎる。

 そればかりはどうしようもないと束は首を振った。

 

「まぁ実際の戦闘数値も計れたし、これでいいかな。

にしてもあーちゃんは凄いなぁ。算出した試験データが実戦とほとんど大差無かったし……流石束さんを母上と呼ぶだけはあるね」

 

 篠ノ之箒にもたらされた専用機『紅椿』は束自身のお手製で渡されるはずだったが、そこには一人の貢献者の存在がある。彼女には紅椿の調整を行って貰ったため、束からすればそれだけで十分満足である。

 それに紅椿を強力にし過ぎても意味が無い。そうなってしまってはある一人の少年の目的を妨害する事になるからだ。

 だが映像を見る限り、到底在り得ない結果ではあるが。

 

「さぁて、いっくんはどうなるのかな? うんうん、束さんはちゃんと分かってるよ。ちーちゃんと似てるもんね」

 

 彼女は空間投影ディスプレイを起動し、その総合データを取るべくキーボードに手を沿えた。彼の癖、力、体の動き――それら全てを束が知る人間工学に当て嵌めていく。

 ある女性から頼まれている、彼だけの近接武器を作り上げるためだ。聞いたところによると彼は銃とナイフだけしか武器として持っておらずリーチのとれた近接武器は一つも携帯していないと言う。

 ならば彼女へのお礼としてやってやれるのは、その武器製作くらいである。

 

「……にしてもISを勝手に囮に使うなんて許せないなぁ。そんなの、束さんやあーちゃんが放っておく訳無いのに。ホントーに人間って懲りないね」

 

 

 

 

 

 スコールとアルカはハワイ沖の基地で、巨大スクリーンの映像を見ていた。

 そこには福音と戦闘を繰り広げているアインの姿が映し出されている。普段から彼を見慣れている二人は顔色をほとんど変えず、その映像を見ていたが他の者は皆唖然としていた。

 無論、アインがISと交戦可能と言う事実は誰一人として伝えていない。それは言うまでも無くスコールの独断である。

 

「さすが軍用機。ほとんど隙が見当たらないわ」

「はい。今回は長期戦を覚悟した方が良いと思われます。シールドエネルギーの量も桁違いに多いですから。恐らくISコア自身が言葉どおり死力を尽くしています」

「……今度こそ搭乗者を守るためって事ね」

 

 アルカは操作端末を片手で操作し、行っているのはIS学園への妨害行為である。今の段階でIS学園に彼の姿を見られるわけには行かない。

 だが今回はIS学園側もそこまでの設備や装置を持っている訳ではないため、アルカも片手間程度で済ませる事が出来ていた。

 とは言っても、アインやオータム、エムへのコアネットワーク通信の妨害と衛星リンクを限定させるためのジャミングを同時に行う行為は、ネットワークに疎い者であっても賞賛の声を挙げる程だろう。

 

「スコール上官、一つお伺いしてよろしいでしょうか」

 

 構成員の一人から声を掛けられ、スコールは内心舌打ちする。本来彼女らしからぬ行動ではあったが、それほど彼女は目の前の存在が気に入らない。単なる嫌悪感では無く彼女が培ってきた経験がそう言っていた。

 スクリーンから目を逸らさず、声だけで彼女は応答する事にした。無論ISは展開こそしていないが起動しており、スコールが行動を起こせばこの場にいるアルカ以外の全員を瞬殺するだろう。

 

「続けなさい」

「あのアインという人物は何者でしょうか。ブリーフィングの時、彼が男だと分かりましたがそれ以外に彼を知る情報はありませんでした。作戦を共にする以上、せめて何か一つでも知らなければ信頼しかねます。

何故、男がこの作戦に参加しているのですか。そして何故ISと生身での交戦が可能なのでしょうか」

 

 すらすらと出る言葉。スクリーンの中のアインへと向けられる差別的な視線。

 それらは耳障りなノイズとなってスコールに届く。

 彼女の麗しい美貌がほんの僅かな間に歪んだ。周りには見えない程小さくだが。

 

「……なら黙ってみていなさい。そうすれば分かるわ」

 

“――手を出せば殺すけどね”

 

 自身の心の中に獣のような感情が渦巻いているのを感じて、彼女は唇を舐めた。それは彼女の中に眠っていた殺意が徐々に起き始めていたからかもしれない。

 


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