「そういえば角人君」
「なんでしょう翡翠さん」
「お義父さんでかまわないよ。君は女性経験があるかい?」
「ブゴッ」
ある日の夜、『晩酌がしたい』ということで翡翠さんに付き合っていた俺は、いい感じに酔いが回っている彼からとんでもない質問をされた。
女性経験とかそんなん夜とは言えども他人に聞くものじゃあないでしょうに!
「ああ、ごめんごめん。勘違いさせたようだね」
「何をどうしたら勘違いになるんですかねぇ!?」
「女性経験って言ってもあれだよ、誰か既に付き合ったことのある女性はいるかってことさ」
「……ああ、そっちですか」
――よかった、卑猥な方の質問じゃなくて……
いや、隠すことでもないのだが、俺は当然そういう経験がない。
身持ち堅く一生を終えてしまう危機感もあるし、最近は親父殿もその危惧があるのか……
『早く素直になって身を固めろ』
とか言われるようになった。
――いや、絶対におかしい。
「あー……以前誰かと付き合ったことはありますけど……」
「けど……?」
「……本当に付き合ってたのかちょっと疑問に思うことがありますね……」
……うん、全くその疑問は間違っていないと俺は思ってる。
元カノは確かにいた、これにも間違いはない。
だが……一般的に定義される彼氏彼女の恋人関係らしいのかと聞かれると、ちょっとばかり頭を悩ませるものだ。
うん……なんというか、それだけ衝撃的な関係だったのかもしれない。
「ふむ……つまり君はその子以外付き合った子がいないってことかい?」
「ええ、まぁ……自分一応家が家なので、あんまりそういうことをしないようにとは言われてますし」
「まぁねぇ……お金持ちの家だと色々苦労するでしょう?」
「ええ、まぁ。翡翠さんはあまり苦労しなかったんですか?」
「お義父さんね――うーん、僕は少し変わった境遇だからねぇ」
日本酒をグイっと煽り、俺と自身の杯に酒を追加した翡翠さんはククっと笑いだす。
まぁ、翡翠さんはあまりイメージしていた『名家のお父さん!』って感じではないのも確かだ。
「酷いなぁ、らしくないっていうなら角人君だってそうだろうに」
「うちはあくまでも先祖様が善意で譲り受けた権利で今地主やってるだけなんで、あんまりそれらしい教育はされてないんじゃないかなと」
「僕も似たようなものさ、僕は養子でね。黒澤家にも婿入りしてる身だから相まって余計にらしくない感じなんだと思うよ」
「それって普通逆にプレッシャーとかなかったんですか?」
「ないよ?」
あっけからんと語る翡翠さんにつられ、一口自分も日本酒を飲む。
――実を言うとあんまり日本酒は飲んだことがない俺だが、この酒は気にいった。
でも翡翠さんが喜々として空けてる酒だから高いんだろうなぁ……これ高いお酒なんだなぁ……あ、なんかつらくなってきた。
「あ、そのお酒、実はコンビニで買ってきた安ものなんだ。メノウには内緒で頼むよ?」
「うっそでしょ!? あとプレッシャーなかったんですか!?」
「ほんとほんと。だってねぇ、僕割と自由に育てられてたし」
元々翡翠さんは彼自身が言うように少し特殊な境遇だったらしい。
両親が事故に会い、彼は両親の友人によって引き取られた。
それが今の黒澤家と並んで元網元だった芹沢家。
沼津市の名誉市民である、小説家の芹沢光治良は翡翠さんにとって義理の祖父に当たるのだとか。
マジかよ、誰だかわからないけど名誉市民ってなる人だからすごい人なのだろう。マルちゃんに今度聞いてみる。
反面黒澤家は長女のメノウさんの他、子に恵まれておらず、家柄上古くからの付き合いである芹沢家に相談したところ、翡翠さんとの縁談が上がったそうな。
いざ見合いの日、メノウさんと翡翠さんはその価値観と言うか考え方からか大喧嘩したのだが、なぜかそれにもかかわらずメノウさんに気に入られてしまい、今では尻に敷かれつつ仲良くやっているらしい。
……あれ、どっかで見たことある関係性だぞ?
「そうだね、角人君とダイヤみたいだ」
「うっわほんとだ、初日から大喧嘩とか尻に敷かれてるところとか……」
だから翡翠さん、俺らの見合い初日あんなにもニコニコ微笑ましそうな顔をしてたのか……
懐かしさを感じてたのだろう、自分とメノウさんとの馴れ初めに。
「あの時ふと思ったんだよ。僕がしたかった子育てっていうのは、こんなのだったっけってことを」
「……と、いうと?」
「ダイヤは真面目だから、彼女の真剣さに甘えて、本当に楽しいことをさせてやれなかったんじゃないかなってことと、ルビィにダイヤを意識させるようにして、好きなことを禁じちゃったのかなってこと。【黒澤家】としては正しいのかもしれないけど、年頃の娘を持つ父親としては最低なんじゃないかって」
寂しそうに笑いながら、『君がダイヤの相手じゃなかったらきっと気付けなかった』と言う翡翠さんの顔は、間違いなく二人のことを心配する【父親】のもの。
――そういうこと気付けるだけでも全然いい父親だって俺は思える。
「俺の親友の一人、英司は今では世界のいろんな国を渡り歩いて旅してるんですけど、元々名の知れた政治家の息子でした」
「なるほど、どこかで聞いたことある苗字だって思ったらあの元参議院議員のご子息だったのか」
「ええ、でも英司は家を中学卒業直後に飛び出しました。今じゃ日野議員なんて子無しです、勘当したらしいですし」
「家出をした理由は?」
「小学校の終わりごろに見たらしい、世界の子供たちについての番組を見て、ボランティア活動を志したからだそうです」
高校時代に淳から電話かかってきたときは驚いたもんだ。
『英司の住民票俺んちに移すから』
とかかかってきて、一体何を言ってるのかコイツはとも思ったものだ。
その時に勘当されたって話も聞いたし、英司がずっと家の方に帰らなかったってことも知った。
「立派なお子さんだったんだね」
「でも、日野議員はそんな英司の志しを『くだらない』って一蹴したんです」
「それは……」
「最初は英司も我慢してました。ただ『やりたい』だけじゃだめだからって、色々調べて、何十枚ものレポートにまとめて、俺たちと一緒にあの人に持って行ったんです……だけど――」
あの人は、英司の目の前で一読もしないですぐさま破り捨てた。
あまつさえ、俺たちには
『こいつがバカになったのもすべて貴様らの所為だ、責任はとれるのか!?』
と怒鳴り散らし、ぶん殴ろうとしてきたのだ。
だから英司はそんなあの人に愛想を尽かし家を出たんだ。
俺はあの人を、政治家としては認めるけれども、父親としては最低だって声を大にして行ってやりたい。
「そうか……」
「だから、だから。子供のやりたいこと、好きなことって何だろうって改めて考える翡翠さんは、立派な父親です。俺が保証します」
「そっか……息子にそれを言われたら、自慢しないわけにはいかないなぁ」
頬をかきながらまた酒を飲む翡翠さん。
照れくさそうな表情を見ていると、ダイヤとルビィはいい父親を持ったんだなということがよくわかる。
酒もそろそろなくなってきた、さて、片づけるとするか――
「そういえば角人君、まだ元彼女さんの御話を聞きたいんだよね」
「待って」
「ん? 息子の恋愛経歴について知っておくのも父親の勤めじゃないか」
「親父殿でも聞いてきたことねーよっ!?」
息子に恋愛経験を赤裸々に語らせようとする父親とか聞いたことねーわ!
神居さんですらその話をほじくり返そうとせんわ!
「ねぇいいだろう息子よ~! 僕メノウとしか付き合ったことないからそういう話を聴くのが楽しみで仕方ないんだぁ!」
「そんなこと楽しみにするなよ翡翠さん!?」
「お義父さんって呼びなさい!」
「突っ込むところそこじゃねーよ!?」
くっ、かくなる上は――
「お 父 様?」
「……Oh、今夜ばっかりはお前の救済が何よりもGreatに感じられるぜ、ダイヤ……」
「だ……ダイヤ……あの、僕はね……その……」
「少々風情なく騒ぎすぎですわ。お母様に、きっちりと叱られてくださいまし」
ダイヤの言葉にあたりを見渡すと、食事処の入り口あたりにメノウさんがニッコリと恐ろしい笑みを浮かべていることに気付いた。
俺の視線に合わせて同じ方向を向いた、翡翠さんの引きつった顔がさらに引きつり、顔の皮が痙攣し始める。
「翡翠さん? アナタ、少々おいたが過ぎましてよ?」
「やっやぁメノウ、今夜は珍しく起きたんだね?」
「ええ、何やら騒がしさの程がひどかったもので」
段々とメノウさんに近づかれる翡翠さんの顔にはダラダラと汗が流れる。
こちらを向いて助けを懇願する顔をするが、すまない翡翠さん。貴方を救えるほど俺はまだ強くないんだ。
『角人くぅぅん!』とか叫ぶ声など聞こえない。遠ざかっていく声なんて何一つ聞こえない。聞こえない。
「さて……角人、わたくしは貴方に聞かなければならないことがあります」
「……おう、なんだ?」
「貴方の元カノとやらについてよ」
ダイヤの言葉に反応して、俺は一瞬で食堂から駆けだす。
なぜダイヤが俺に元カノがいたという話を知っているかについてはこの際いい。
今はとりあえず逃げる。逃げなければならない!
「逃がしませんわよ――ルビィ!」
「はい! ごめんなさい角人さん、ルビィはここを通しません!」
「のわっ!?」
突如飛び出してきたルビィに驚いた俺は、自分の脚に絡まって派手に転倒――あえなくダイヤによって御用となった。
そして翌日にダイヤとルビィ、そしてマルちゃんの三人がかりで過去の恋愛について根掘り葉掘りと抉られることになる未来をダイヤによって告げられた時、涙を流さざるを得なかった。
***
「で、角人。貴方の元カノとはどんな人なのです?」
「……高校の同級生」
「どんなおつきあいをしていたんですか?」
「……一般的な、デートとか……してたっけ?」
「オラ達に聞かれても……じゃあ、一番思い出に残ってることは?」
「……えっと……肉じゃが」
「……肉じゃが?」
「その子がよく弁当に持ってきてた。よく俺も口にねじ込まれてた」
「……角人さんが肉じゃが嫌いな理由がよくわかったずら」
「ねじっ……!? じゃっじゃあ、その人にはなんでフラれたんですか……?」
「わからない。突然フラれた」
「角人を突然フるだなんて、大層な事情があるのね……」
「いや、なんか『アメリカの大学に進学する』って言われて、ついでの様に『君とは一緒にやっていけないよ』って……」
「なっ……なんていう唐突な別れ宣言……」
「……よくよく考えたらこういうの元カノっていわねーよな……俺ってもしかしてなんも意識されてない……? 俺ってつまり魅力ゼロ……」
「どうしよう、思った以上に角人さん沈んじゃった……」
「大丈夫ですわ角人、貴方のいいところなど探すだけ無駄というものです」
「ダイヤさんそれフォローになってないずら……」
「だってそうでしょう? いいところがどこかを求めるのではなく、互いに理屈を抜きにして寄り添える関係こそが最高の形。そういうものを探し求める時点でセンスというものが足りないのよ」
「ダイヤさんもしかしてマルの本から最近読んだずら?」
「お姉ちゃんって、結構影響されやすいことあるから……」
「グスッ、だよなダイヤ! そういうの関係ない関係の方が大事だよな!」
「ええ! 大丈夫、あなたのことはわたくしがよくわかっているの。何も心配いらないわ!」
「ダイヤ!」
「角人!」
「……本当になんであの二人はまだ許嫁(仮)から(仮)を取らないのかな?」
「花丸ちゃん……お姉ちゃんも角人お兄ちゃんもどっちもいじっぱりさんだから仕方がないよ」
「……だね」
・黒澤(旧姓:芹沢)翡翠
ダイヤとルビィの父親。
二人の父親だけあって厳格――と思ったらうちの作品ではこんな父親に。
実はよくよく読んで見ればわかるように、生家は一般の家庭。
故に生粋の富豪であるメノウとは価値観や考え方がちょくちょく合わない。
まるでどこかの二人を見ているようだ。
ちなみにイメージキャラクターに一番近いのはBLEACHの【市丸ギン】である。
・芹沢光治良
実際に存在した小説家。
本編に書いてあるように沼津の名誉市民であり、家は元網元。
結構偉大な人らしいのでぜひ調べてほしい。
ちなみに花丸のG'sマガジンやスクフェスでのセリフにこの名前は幾度か登場している。
探してみるといいだろう。
ちなみにだが沼津には彼の記念館が存在する。
・黒澤メノウ
生粋のお金持ち。
流石ダイヤの母親と言うべきか、凛とした佇まいに威厳たっぷり。
喧嘩して馬が合わないはずの翡翠を気にいってしまう剛の者。
ちなみに幼い頃の彼女はお転婆でドジっ子だったという設定。
・日野英司
モデルキャラクターの文字違い同姓同名のあの人物とだいたい似た境遇。
この作品だと淳と角人によって色々日本での生活は充実している。
ちなみに海外渡航はもちろん合法である。
・白岡角人
彼の存在あってのこの作品特有な緩々黒澤家がある。
元カノの存在があるとはいうが、考えれば考えるほど本当に彼女だったのか自分に問いただしたくなってくる。
色々地の文が混乱しているように見えるのは、酒の所為である。つまり故意。
・黒澤ダイヤ
だからもう早く式挙げろってば。