「人はどうして労働をするのだろうね」
「ど、どうしてなんでしょうね……」
「つべこべうるさいぞ双葉、口よりも先に手を動かせー」
「そういうセンセだって手を動かしてないじゃないですかぁ!」
プールサイドから、デッキブラシの動きが鈍っていた双葉を一括すると彼から反論なのか抗議なのかわからない言葉が飛んでくる。
そんな声を聴き流すように俺はプールサイドで神居さんが用意した机を使って書類作成をしている。
――なんで俺がプール掃除をしている双葉ほか三人の生徒を監督しつつ、書類仕事をしているのか。
それは、そろそろ浦の星女学院がプール開きをする時期だから、七月になる前にプール掃除をしなければならないのだ。
今年も生徒会長であるダイヤがやると思われていたが、そんな矢先に槍玉にあがるのはやっぱり双葉で――
「アイツも授業中恰好くらいは真面目になってくれないかなぁ」
「坊ちゃま、それは些か難しいかと」
「んー、でも授業態度位真面目にやってくれればこうやって双葉が槍玉にあがることもないじゃない?」
「坊ちゃま、貴方様は今年からですのでよくわからないとは思いますが、長年勤めている先生方は少しでも気が入っていないとわかってしまうものなのですよ?」
「えっ、そうなの?」
神居さんの言葉に思わず顔を上げると、いつものスーツ姿の彼は柔らかに、『ええ』とほほ笑む。
――だが、神居さんの言葉は確かにわかる気がする。
思えば高校時代、俺も割と不真面目な面があって、それでも内申点はそれなりに稼ぎたかったから態度だけ真面目に見えるように努めていたんだ。
でも先生たちは皆俺が授業を真面目に聞いていないということを指摘してきたし、それを親父殿に知られてこっぴどく叱られた。
あの時俺は自分の態度がまだゆるく見えていたのかと頭を悩ませていたが……神居さんの言う通りならばその疑問はもともと無意味だとわかる。
そう考えると、俺の今の悩みも改善はされないのだろうか……
「そんなこともございませんよ」
「うーん……そうかなぁ?」
「双葉様は坊ちゃまの授業だけ、真面目に話を聞く心でいます。坊ちゃまらしい授業を学園中に広められれば、きっと改善されることでしょう」
「ううむ……簡単な話じゃないんだよなそれ」
「何事も挑戦です。きっと坊ちゃまでしたら叶いますよ」
そう話す神居さんの顔はとても楽しそうで、思えば昔からこの人は俺に促すときは、いつも俺のことを鼓舞してくれている。
なんだか、夢物語な話をしているはずなのに、なんでかわからないけどこの人促されると出来るんじゃないかって気になってしまう。
――いや、出来るんだろう。
俺はなんていっても三島市の大地主白岡家の長男で、この町の名家である黒澤家の婿なのだから、出来ないことではないはずだ。
やればできる、俺はそんな男なんだ――たぶん。
「――っ! もう! 双葉君にはデリカシーというものがないんですか!?」
「それがあったら僕は梨子ちゃんのスク水が見られるの!?」
「見せません!!」
ふと叫び声でのやり取りが聞こえたのでそっちを向くと、顔を赤くした、赤みがかった長髪を結んだ大人しそうな女子生徒――桜内梨子が双葉に食ってかかっている様子が見える……
と、言うよりも、あれは双葉がいつも通りのセクハラを行ったんだろう。
本心からありゃあ『桜内のスクール水着姿が視たい』って言ってるから真剣さがあって、桜内も断りつつ断り切れないっていう感じになってる。
しかし水着か――今日のプール掃除に加勢してくると聞いた二人はいったいどこに……
「おーい! 双葉くーん、センセー! 準備出来たよー!」
「ごめんねー双葉君、黒澤先生も。千歌ちゃんが着替えるの遅くてさー」
その言葉とともに現れたのは桜内と同じクラス、双葉と同じ教室で授業を受けている高海と、渡辺曜。
二人とも浦の星女学院指定の水着を着ていた。
ちなみに双葉と桜内はジャージで、双葉はそんな桜内に不満を吐露していたのだ。
――俺? 高校時代のジャージの下に水着を穿いてるぞ。
「ようやく来たか二人とも。それと渡辺、黒澤先生じゃなくて白岡先生と呼ぶように」
「もー遅いよー。君達手伝ってくれるのは嬉しいけどこの僕を待たせると――」
双葉の言葉はそこで途切れ、高海と渡辺に彼の目線は釘づけにされた。
直後、綺麗に敬礼をしだす――ああ、心なしかアイツの目に涙が見える。
毎度思うのだがアイツ本当にあんな感受性高くて大丈夫なのか……?
「ん? 何で双葉君チカ達に敬礼してるの?」
「いや、ほら。これはもうしなくちゃならないって」
「おぉ! 双葉君の敬礼綺麗だね! よーしこれは負けてられないね!」
「いや、敬礼って競争するものじゃないだろ、渡辺」
渡辺は確か【大瀬崎】と【沼津港】を行き来する定期船の操舵者の娘だったか。
そんな立場だけあって敬礼は十八番なのか、綺麗なフォームと言うのか、まるで写真で映えそうなポーズをとる。
――いや、そんなことしてる場合じゃないだろ?
「おい渡辺、双葉、そして高海と桜内。早く済ませないと自由時間はないぞ?」
「ヨーソロー! さあ双葉君! プール掃除始めようか!」
「イエッサーセンセ!」
「梨子ちゃん、早く終わらせてみんなで遊ぼうね!」
「えっと……がっ頑張りましょう!」
そう意気込んで思い思いにブラシを動かす四人。
俺は悲しきかな、未だに書類仕事が終わっていないのでプールサイドの机に戻って書類作成に戻ろうとする。
――あれ、書類が見当たらない。
何処に書類があるのかわからないので探していると、ポケットに何やら紙が入っていることに気付いた。
「なになに――『坊ちゃま、生徒の方々とのお時間を大切にしていただきたいので、勝手ながら私が書類仕事を代替させていただきました』……神居さん」
「ねぇねぇ双葉君、先生が空を見上げてなんか棒立ちしてるよ?」
「あれはね、きっと天空の城を探しているんだ。そっとしてあげよう?」
「そうだね! 掃除を頑張らなくちゃ!」
――わかった、双葉は後で〆てやる。
まぁそんな覚悟はともかく、この紙の通りならば神居さんは俺と双葉、そして高海、渡辺、桜内たちとの交流を優先してほしいと望んでいることになる。
神居さんは割と有能だが、こういう方向で勝手なことをするのは大変珍しい。
……つまりだ、俺もプール掃除に混ざったほうがいいのだろう。
「――あの、白岡先生」
「ん、桜内か、何か用か?」
よし。と意気込んだ瞬間に声をかけてきた桜内。
顔が真っ赤でなにか恥ずかしがってはいるんだが、俺と話すことというよりもこれから彼女が何かしないといけないことに対しての恥ずかしさ……
背後の双葉に目を向けるとどこぞのボクシングチャンプのようなポーズをして、感極まった顔をしていた。
なるほど、たぶん桜内は双葉に『水着を着ないのは本当に恥ずかしいこと?』とかいって巧いこと丸めこまれたに違いない。
あそこまで完全勝利したらしき双葉を見るということはきっとロールキャベツのように綺麗な丸め込み方をしたはずだ。
「えっと……その、ですね……」
「――ああ、水着に着替えるなら報告する必要はなかったぞ。双葉に乗せられたんだろうが、まぁいい経験だと思えばいい」
「いっ、いい経験って……!」
「大方高海と渡辺を引き合いに出されたんだろう? あの二人は水着になる恥ずかしさよりも水で遊ぶ楽しさを優先してそうだからな」
「ううっ……否定できません……」
崩れ落ちる桜内。
三対一で争って一である桜内に勝ち目があるはずもないのだから仕方がないと言えば仕方がない。
慰めようにも、今回の件については俺も双葉に賛成ではあるからだ。
いや、別に生徒の水着が視たいわけではないんだ。
ただ、プール掃除をして遊ぶってのにジャージだとちょっと濡れた時辛いんじゃないかって思ったんだ。
だから水着になること自体には賛成なわけ。
「……ま、掃除した後すぐに遊ぶんなら水着の方が濡れても安心だろ?」
「先生……」
「ダイヤなんてあれだぞ。プールで遊ぶって話をしたら『わたくしが泳ぎを苦手としていることを知っていてのお誘いかしら?』とか青筋立ててたんだから――まったく、俺がせっかく誘ってやったってのに」
「あはは……わ、私着替えてきますね……」
今度市民プールにマルちゃんとルビィだけ連れていこうか。
ダイヤにお留守番の寂しさを思い知らせてやるぜ……!
*****
桜内が着替えてきて、本格的にプール掃除を開始する。
女子三人の水着姿に感極まっているからか、双葉の掃除速度はいつもにもまして速い。
例えるならばいつも家を掃除してくれる神居さんみたいな速さ。
俊敏軽快、神業の域に至る掃除技術――アイツ、あんな力を隠し持っていたのか……!
「双葉君はどうしていきなりテキパキと掃除し始めたの?」
「良い所に気付いたね曜ちゃん。これは君達の水着姿を一秒でも長く見続けるためだよ。だから僕はさっさと綺麗にする、そして曜ちゃん達はたっぷり遊ぶ。そして僕はそれをじっくり見る。うん、これぞまさしくWin-Winの関係だよね」
「す、すごい……チカの目には双葉君が三人くらいに見える……」
……こう言うところ正直なのは正直者ってことで美徳なんだけどさ、あまりにも欲に忠実な正直者ってはたから見て面白いよな。
何が言いたいかって?
そうだな、渡辺と高海と桜内の顔が、俺が今まで見た表情の中で一番引きつっていると言えば伝わるだろうか。
「……さて、俺たちも掃除をきっちりやるぞ。双葉は双葉で放っておいた方が掃除が進むだろう」
「はーい先生!」
「あ、私ホース持ってくるね!」
「あっ、洗剤、追加してきますね」
そうして分身したように動く双葉を放置しつつ四人で黙々と掃除をしておよそ三十分。
最初の汚れ具合とは全く異なるピカピカなプールを見ると、とてつもない達成感に満たされる。
こんな綺麗なプールでしばらく遊べるんだから、ダイヤも来ればよかったのにほんとアイツってやつはなぁ……
「ふぅ~……結構疲れるねぇ……」
「そんな曜ちゃん達の為に! っと、ちょっと待っててねー」
渡辺の嘆息にいち早く堪能した双葉はササッとプールサイドまで上がり、何かを手に持って戻ってきた。
……ああ、スポーツドリンクか。
懐かしいな、最初にコイツと会ったとき、ダイヤにスポーツドリンクを渡してたっけ。
「はいこれ。飲んで飲んでー」
「え、でもこれ……チカ達飲んで良いの?」
「うん! 無駄に買ってきちゃったからね! ぜひ飲んでよー! 喉乾いてるでしょ?」
高海たちに渡した数は三本、丁度一人に一本。
双葉のことだから『自分用に買ってきたけど数が偶然足りてた』とか言いそうだが、果たして本当なんだか。
「わぁー! ありがとう心継君!」
「いやいや! どういたしま……ほわっ!?」
高海にお礼を言われ、いきなりどもる双葉。
――ああ、そうか。【名前を呼ばれたこと】に驚いているのか。
そういえば双葉のことを名前で呼んでいる人はこの浦の星でほぼゼロだった。
寧ろ教師だろうと構わず名前で呼んでくる松浦や小原が例外すぎるだけなんだがな!
「だっていつも心継君、チカ達の事名前で呼んでくれるし、今日もこうして優しくしてくれるし! なんと言いますかこう……名前で呼びたくなっちゃったんだ!」
「あ、千歌ちゃん双葉君の事名前で呼ぶんだ! だったら私も心継君で良いかな?」
「よ、曜ちゃんまで!? うっそ! うっそ!! これ何!? 今日僕死ぬ日なの!?」
いやぁ、青春だなぁ……俺の学生生活だなんて高校時代は男友達とひたすらバカな話とかやってただけだし、大学生活だといつも同じ後輩と飯食ってただけだからなぁ。
休日なんて地元の散歩とスイーツ作る以外にやったことは本家のクソ野郎様に挨拶行ったりか、淳とドツキ会いしてたくらいだし。
俺ももう『若いっていいねぇ』なんていう歳になっちまったんだと思うと、少し気が重いものがある。
そろそろ親戚に子供ができて【おじさん】と呼ばれてしまう日が来るんだろうなぁ……
重い気分を引きずりながら神居さんお手製の紅茶をすする――うん、やっぱり神居さんの特製ブレンドは心が安らぐなぁ……
「セn――sンセ――センセ! 白岡センセ!」
「うぉっ、いきなり話しかけるな双葉。折角の紅茶が零れたらどうする!」
プールサイドで俺の隣に立って、大声で俺を呼んだのは双葉。
少し大きすぎる声なのでカップを落としそうになってしまったことに対する抗議を俺は申し立てる。
「謝りますけどその前に一つ聞いていいですか!」
「仕方がない、許可する」
「なんでセンセはプールサイドに腰かけてしっかりビーチパラソル立てて紅茶を優雅にすすってるんですか!」
……はて、何かおかしいことでもあるのだろうか?
俺はいつも通り神居さんの用意したパラソルの陰の中に体を収め、神居さんが淹れてくれた紅茶に舌鼓を打っていただけなんだが……
「センセってば学生時代にハチとコンパスで対決してたとか、日直の時ビリヤードでチョーク片づけてたとかそんなことしてませんでした?」
「流石にそんなことはしてないが――ああ、そういえば黒板消し投げて不良を黙らせたことはある」
「センセの行いもだいぶ不良染みてますよねそれ!?」
「んで、一体どうした?」
改めて双葉に用を問うと、彼は俺に向かっておもちゃの銃を一丁手渡してきた。
これは……水鉄砲だろうか?
――直後、俺の顔に向かってプール側から水が飛んでくる。
水が飛んできた方を見ると、渡辺が大きい水鉄砲の銃口をこちらに向けていて、ニヤニヤと高海と二人で笑っていた。
……よろしい、お前たちがそう来るのならばこちらも乗ってやろうではないか。
「先生ー! 悔しかったらやり返してみてよー!」
「――行くぞ双葉」
「えっ、センセ、その水鉄砲何処から……?」
「自前だ。さぁ、闘争の時間だ」
「キャー! 先生がやる気になったよー!」
神居さんが実家から持ってきてくれた渡辺の持つそれより一回り程大きな水鉄砲を担いでプールサイドから飛び降りる。
今から行う他愛ない御遊びに、柄にもなく楽しみだと思っているのは、きっとばれてしまっているんだろうな。
――その後、夕方まで遊びっぱなしで、一向に帰ってこない俺を迎えに来たダイヤに『どうして私を混ぜないのか』と理不尽なまでにこっぴどく叱られてしまい。
更に翌日、教育主任から『教師の立場でありながら生徒と一緒に遊ぶなどと教師である自覚が足りない』だとかかんとか、ガミガミと口うるさく叱られてしまったのもまた別の話。
でもその日授業が終わった後、高海と渡辺、そして桜内に『昨日はありがとうございました』と礼を言われた時、少しだけ感極まったことについては、内緒にしてほしい。
――近くにいた双葉がニヤニヤしてたから、少し指導時間を延ばしてみたのも内緒だ。
・神居
相変わらずのSHITSUZIぶり。
角人にとっては第二の父とかそんな感じの人でもある。
彼の言葉で簡単に決意しちゃう角人さんチョロイ。
・曜、梨子、千歌
プール掃除の助っ人三人組。
心継を名前で呼ぶようになり、角人の名前も呼ぼうとするものの彼の教師としての立場の前にあえなく断念。
やっぱりワンコのような千歌に角人は無性にビーフジャーキーを与えたいと思っている。
・角人
童心に還る教師。ダイヤをプール掃除に付き合わせようとしたら反対されてすこしご立腹。
某グリーンリバーなメガネ生徒みたいなスタイリッシュティータイムを演出することが実はよくある。
・大瀬崎、沼津港
実在の地。大瀬崎はダイビングスポットとしても認知されている。
沼津港と大瀬崎を往復する定期船は実際に存在している。
・心継
名前を呼ばれて有頂天。
基本ボケ担当なのに角人が天然的にボケてくるせいでちょくちょくツッコミに回る不憫な子。
授業は基本不真面目だが角人の授業くらいは真面目に聞いてる。ただやっぱりわかることだらけなので言うほど面白くはない。