◆◇ 3 ◇◆
シャワーを浴びた終夜は部屋で身支度をしていた。終夜はシンプルなものを好む。服装もその趣向に合わせていた。黒いジーンズに黒いアンダーシャツ、その上から白いTシャツを着て、また黒い革のジャンパーを羽織る。ジャンパーは特注品で、終夜は長年愛用している。左脇の硬さを確かめ、右腕に時計をはめれば、いつも彼が外出するときの服装になる。
「なんだ、どこか出掛けるのか?」
リビングに下りるとクロノに声をかけられた。
クロノ。クロノ・ハラオウン――黒髪の青年で、終夜より一つ年上だ。現在、19歳にして提督であり、若き天才の一人だ。フェイトの律儀な性格は彼から受け継いだというが、実際目の当たりにしてみるとそれもうなずける。彼がリビングで見ているのは仕事の資料だ。空中に浮かぶ光学パネルにはミッドチルダの公用文字で書かれた書類がいくつも展開されている。
「あぁ、翠屋にバイトしに行ってくる」
終夜とクロノの間で敬語はない。あって一か月ほどは終夜も意識しざる負えなかったが、一年半近く居候しているとその意識もどこかに行ってしまうというものだ。
「ちょっと待て、俺の飯はどうする。お前は家の台所だろう?」
時間は昼過ぎ。終夜がさりげなく出ていこうとするのを、クロノは見逃さなかった。
「冷蔵庫に昨日の夕飯で作ったやつがある。適当に摘まんでくれ」
終夜の返答に「そうか……、気を付けてな」と返したクロノは、再び仕事の資料に目を戻した。
まだ夏の本番に踏み切っていないというのに、太陽は手加減を知らない。家を出た終夜は、炎天下の中、高町家に足を運んだ。初夏の暑さに耐えきれなくなったのか、野良猫さえも日陰を好んで寝そべっている。雨も降っていないのに傘を差す人が目立ってきた。
バイト開始は1時からだが、15分前行動が鉄則の終夜は、少しばかり余裕をもって翠屋に着く。店の入り口であるガラスの扉を押すと、気持ちがいい冷気と共に鐘の音が店内に響いた。
「お、早いな」
そう言って出迎えてくれたのはレジに立つ、高町士郎だった。
士郎はこの喫茶店「翠屋」の店長兼マスターであり、なのはの父親だ。元・ボディーガードだったがとある事件をきっかけに引退。今は妻の桃子とこの喫茶店一筋で生きている。外見は三子をもつ42歳には見えないほど若々しい。
「外が暑いんでつい足が速くなりましたよ」
「今日は特別に熱いからね。どうする? 約束は1時からだから、コーヒーでも飲むかい?」
「いえ、もう入ります。昼時ですし、人手は多いほうがいいでしょう」
終夜はそう言って、翠屋のスタッフルームに入っていった。
◇
気が付けば、日が傾き、翠屋からお客さんたちが引いていく時間帯になっていた。
「今日はもう上がっていいよ」
窓際でブラインドを操作している終夜に士郎が声をかけた。アルバイトの終了時間である6時まではあと半時間ほどあったが、もう今日は大丈夫だということみたいだった。
「なら、お言葉に甘えて……」
店にある最後のブラインドを下ろした終夜は、腰につけていた青いエプロンを外した。厨房担当と言うわけではなかったが、ホール担当も清潔面に気を付けるというのが翠屋の決まりだった。今日一日料理や飲み物を運び続ける終夜を翠屋で見かけるのは稀なことではない。週に二回も入っているので、常連さんから見れば一従業員だ。
「これ、フェイトちゃんやリンディさんに渡してくれるかしら?」
「え? あ、いいんですか?」
帰りの挨拶をした終夜になのはの母親である桃子さんが四角い箱を手渡した。高町桃子は、翠屋のパテシエで厨房担当だ。フランス帰りと言うだけあって、翠屋にあるお菓子はプロの技だ――ショウケースに並ぶ数々のケーキは、味はもちろんのこと見た目も可愛らしく、ここら辺で翠屋を知らない者はない。
桃子が終夜に手渡したのは、その中の幾つかだ。ドライアイスが入っていることを注意する桃子を見ていると、将来のなのはの有望さがうかがえる。
「ありがとうございます」
こうして桃子や士郎がお土産をくれるのは珍しくない。フェイトやリンディも喜んでいるのだから、終夜にとっても役得だった。管理局に出向いていて今日会えなかったなのはによろしくと伝えると、終夜は翠屋を後にした。
◆
現場に到着したフェイトは、思わず口を押えた。
目的の店内に入ると咽かえるような濃厚な血の匂いが漂ってきたからだ。被害者は一人や二人ではない、それはすぐに分かった。
「今週で2件目……」
まだ週末でもないのに同じような事件がミッドチルダ中で引き起こされている。初めは犯罪者同士の抗争だと思われていたのだが、ある事実を境に捜査は一変する。
「45口径、弾痕の向きからやらかしてくれたのは、男一人みたいだな」
「なぜ男だとわかるんですか? ランケア三佐」
フェイトは後から入ってくるなり、状況を的確に述べる白髪の青年にその真意を訪ねた。
19歳という年齢を思わせない凄味のある整った顔立ち。刃物のような蒼い切れ目は、現場のあらゆる些細なことも見逃さないように注意している。身長は190を少し超えるくらい。まるでモデルのような体形をしている。管理局の制服が気に食わないランケアは、ベージュのロングコートを羽織っていた。
「45口径なんてガバメントが撃ちだす弾をこんなに乱射、しかも一人でなんて男だろうし、なによりお前の足元を見ろ」
ランケアは顎でフェイトの足元を指した。
「す、すいません……!」
血で描かれた足跡に気が付かなかったフェイトがあわてて飛びのく。床に付着した数多の足跡に目を落とすフェイトだったが、あまり納得のいかない様子だ。
「出ていく向きの、一つだけ逆の足跡があるだろう……、歩幅からして男だ」
「あ……」
クイズの答えを聞いたように安堵とするフェイト。
何気なく入ってきたランケアだったが、それは余裕があったからだ。新米のフェイトとは踏んできた場数が違う。
「それと、今週でここが3件目だ」
「え……? 私呼ばれてませんよね?」
足元を見ていたフェイトが顔を跳ね上げた。疑問、という文字がそのまま浮かんできそうな表情だ。
「お前が帰ってすぐ後だったんだよ……、呼び返すのめんどくさかったからな」
そう言ってランケアは店の奥へと足を運ぶ。突き当りの壁には無残にも頭部が吹き飛んだ死体が寄り掛かっていた。四肢に弾丸を穿たれ、すこし見ただけでも拷問されたことがすぐに分かる。
「うっ……、またですか」
追いかけてきたフェイトが死体を見て、すぐに目を逸らした。それほど悲惨な死体だった。一方、ランケアは違う意味で顔を歪ませていた。
「ふざけてやがるが……、やっぱりプロの仕業だな」
内ポケットから取り出した白い手袋をはめて死体の持ち物を漁るランケア。その様子を見て自分も何かないかと探すフェイトの視界にあるものが映った。
「あ、ランケア三佐、報告のあった携帯端末、これではないでしょうか?」
ランケアと同じような手袋をして、フェイトは床に落ちていた携帯を拾い上げた。銀色の、どこでも見かける普通のものだ。返り血で汚れているだけで電源は入るようだった。
「同じか……、ここで散々やりやがった後で、おそらくこの仏さんが持っていたその携帯で管理局に連絡……後始末はこっちでやれってか?」
ランケアは壁を殴りたい衝動を何とか抑え込む。本気で殴れば、コンクリートなど簡単に粉々になってしまう。AAA(トリプルエー)ランクのランケアにはそれくらいたやすいことだ。
フェイトから見たランケアは明らかにピリピリしていたが、内心はほくそ笑んでいた。血が出るほど拳を握っているのも、笑みを零さないためだ。
――45口径、ガバメント、こんなことが出来る奴はあいつしかいない!!
三等陸佐でありながらランケア・ユースティティアが現場に出ている理由はただ一つだった。
数年前、追っていた犯罪組織が目の前で全滅、逮捕を前提に張り付いていたランケアも重傷を負った。相手は一人だった。その場で張り込みをしていたのはランケアだけではなかったが、彼以外はすぐに無力化されてしまった。
ガスマスクで顔は見えなかったが、忘れることなど出来なかった。
自分と同じくらいの年齢で、黒髪の男。使っている銃は45口径ガバメント。
ランケアは今もその男を追っている。自分の過去を払拭するために――
――log-out……