特に合図も無く、試合は開始された。
俺はまず、円を描く様に両腕を大きくゆっくりと回し、制空圏を築きあげる。
史上最強の弟子の技である。勿論、真似事でしかないのだが、それなりに習得出来ている技の一つである。外の世界で喧嘩する時には大いに役立ったものだ。
因みに、流水制空圏は出来ない。あれは相手が居て初めて練習が出来る訳で、ぼっちの俺には無理である。まぁ、相手が居ても体得は無理だったろうけど。
『━━━ッ!』
美鈴さんが動く。素早く距離を詰め、鋭い左の蹴りを繰り出してきた。制空圏のお陰で何とか反応する事が出来、右手で美鈴さんの足を受け止め━━━切れない…ッ!
右腕は大きく弾かれ、体勢を崩してしまう。
更に美鈴さんは、蹴りの勢いのまま体を横に一回転させつつしゃがみ、水面蹴りを放ってきた。目で見て動きを捉え、頭では避けなければと思考を巡らせつつも、しかし体はそれに追いつかない。
そのまま見事に足を刈られてすっ転ぶ。が、倒れた体勢から透かさず足を振り上げ、後方へと飛び起きる。
━━━しかし、美鈴さんはまるで見切っていたと言わんばかりに眼前まで迫っており、背面を此方へ向けたまま体当たり━━━
『がっ…は…!』
当然ながら避ける事など出来ず、腹部に直撃。数メートルほど吹っ飛ばされ、地面をゴロゴロと転がった。
『グ…ッ……ぅあ…っ!』
途端、凄まじい激痛が腹部を駆け巡る。滅茶苦茶痛い。兎に角痛い。泣きたいぐらいに痛い。
………が、動けない程じゃない。
体を起こし、
『…ゲホ…ッ…!』
━━━立ち上がろうとした所で、咳と共に口から血がポタポタと流れ落ちた。
…マジか。吐血なんてしたのは今までの人生で初めての経験だ。
ほんの少量だが……大丈夫か? 内臓がヤバい事になっているのでは……。
いや、それより美鈴さんだ。視線を彼女に移すと、俺を見下す様に仁王立ちをしていた。
攻撃してこないのは、俺がダウンしているからか、はたまた強者の余裕を見せ付けているのか。
さて、どうするか。立ち上がっても、このままでは勝機が見えない。またボコられて終わりだ。さりとて、座ったままでいる訳にもいかない。
『妾を使え!』
薙の声。
『……断る』
『馬鹿者が、殺されるぞ?』
『……』
俺は何も答えずに立ち上がり、美鈴さんを真っ直ぐ見据える。
『…良い目だ』
今度は美鈴さんの声。
『剣を使わないのは意地か、それとも何か理由があるのか……。何にしても、君が全力で闘っているのが伝わってくる。だから━━━』
美鈴さんが構える。
『━━━私は全力でいかせてもらう』
………。
……何だ…? この妙に楽しい気分は…?
戦況は圧倒的に不利で、先程の一撃が未だに尾を引いているというのに。
俺も構える。
大林寺拳法の構えだ。憧れの大林寺師範の漫画から。
体は横向きに構え、猫足立ち。右手は腹部の前辺り、左手は肩の前辺りに構え、両手共に脱力してリラックスした状態。
『……変わった構えだな。だか不思議と親近感が湧いてくるよ』
そらぁそうだ。これは中国拳法の構えなんだから。まぁ、ただの模倣でしかないのだが。
互いに距離を置いたまま睨み合う。
そして、数秒の間を起き先に動いたのは━━━俺だった。
地を蹴り、美鈴さんとの距離を詰める。守勢に回るよりも攻める!
右の突きを繰り出し、美鈴さんがそれを受け止めるべく、迫る拳の前に掌を構える。
しかし、俺は当たる直前で拳を引っ込め、左の下段蹴りに切り替える。狙うは美鈴さんの右足。
だが、躱されてしまう。しかし、それも織り込み済み。
その勢いのまま身体を横回転させつつ、右腕を薙ぎ払う様に振るう。
これが本命の一撃だ!
━━━だが、美鈴さんは上体を僅かに仰け反らせただけで回避した。
俺の体は勢い余って更に半回転。しかも下らない事を考えていた所為か、体勢を崩しながらも咄嗟に後方へ飛び退くという先程と同じ失態を繰り返す。
そして、美鈴さんが距離を詰めている事に気が付いた頃には時既にお寿司。
美鈴さんの拳が、俺の右脇腹に突き刺さる。
『ぐぅぁ…っ!』
激痛に呻きながら打点を中心に体がくの字に曲がり、再び数メートル先まで吹っ飛ばされた。ゴロゴロと地面を転がり、俯せに倒れる。
中国拳法の突きは、体ごと叩きつける拳だ。己の全体重を拳に集約させて打つのである。その威力の凄まじさは、語らずとも理解出来るだろう。
横っ腹を抑えながら、何とか立ち上がる。マジで痛ぇ……肋骨折れてんじゃねぇのか、これ……。
真っ直ぐ右拳を突き出してみる。痛いには痛いが、動かせない程じゃない。多分、骨も折れていない。
………筈。
………だといいなぁ…。
『━━━ッ!』
美鈴さんが此方へ向かって走り出した。流石に休ませてはくれないか…!
どう攻めてくる!? 見極めろ!
━━━右の突きだった。俺の顔面を目掛けて放たれる拳。辛うじて反応する事が出来、両手でそれを受け止める。
透かさず地を蹴って下半身を持ち上げ、美鈴さんの腕に両足を絡ませる。
くらえ、腕拉ぎ十字固めッ!!
『………な…っ!』
しかし━━━美鈴さんは倒れなかった。
しかも、関節をへし折るつもりで絞めている筈なのに、まるで鉄の棒を絞めているかの様にびくともしない。ありえん。
腕の角度も突きを放った時のままだ。俺の全体重が乗っているのに、
そして、その腕が僅かに振り上げられる。
『マズ…ッ!』
慌てて離れようとしても、もう遅い。
美鈴さんが腕を振り下ろし、俺は地面へと叩きつけられた。
地面は抉れ、美鈴さんの拳が俺の鳩尾を打ち抜く。
『ぐぅっ! ……ぁ…っ!』
息が、詰まる…! 呼吸、が…出来ない…っ!
視界もブラックアウトし、腹部の痛みも段々と激しさを増してゆく。
『あぐ…ぅ…、がぁ…っ!』
痛ぇ痛ぇ痛ぇ…っ!! 滅茶苦茶痛ぇ…っ!! 腹が抉り取られたんじゃないかと思うぐらいに痛ぇ…っ!
腹部を抑えて不様に転がる事しか出来なかった。
体が動かない。思考が働かない。ブラックアウトから回復した視界は歪んでいる。気持ちが悪い。吐き気がする。
何だこれ…? 訳が解らない。
死ぬのか…? 俺は死ぬのか…?
死━━━
『……っ……死…で…たま…か…』
振り絞る様に掠れた声を吐き出す。同時に口から血も流れ出る。涙も出ているだろう。
だけど構わない。体が動けば何だっていい。
まだ動ける。まだ限界じゃない。
全ての気力を振り絞って立ち上がる。
まだやれる。
そう自分に言い聞かせ、拳を握りしめる。
『………』
美鈴さんは無言で目を伏せ、数拍の間。
彼女はカッと目を見開き、地を蹴って俺にトドメを刺すべく距離を詰める。そこから繰り出されたのは、右の手刀。俺の脳天をかち割る勢いで振り下ろされる。
それに合わせて、俺も左の拳を下から振り抜く。
狙うは美鈴さんの手刀。しかし、拳を叩きつける為ではない。目的は攻撃の軌道をズラす事。
手刀の内側へ拳を潜り込ませ、更にスクリュー状に拳を回転させる。
━━━白刃流し。
史上最強の弟子が会得した、空手の技!
手刀の軌道を逸らす事に成功し、そのまま美鈴さんの顔面目掛けて拳を振り抜く。
しかし、それは首を横に動かすだけで回避されてしまう。
だが、それでいい。拳を当てるのが目的ではない。
俺は勢いのまま前に出て、美鈴さんにぶつかり身体を密着させる。左腕は美鈴さんの背中に回し、右腕は彼女の股の間に引っ掛ける。
「ひゃぅっ!」と小さな声が聞こえた気がしたが、どうでもいい。
『うおおおおぉぉぉォォォォッ!!!』
地面から引っこ抜く様に美鈴さんを持ち上げ━━━地面に投げつける。
流石の美鈴さんも受け身を取れず、背中から地面に叩きつけられた。
透かさず顔面目掛けて左拳を振り下ろし━━━当たる寸前でピタリと止める。
『…そこまでだ』
レミリア嬢の声。試合終了の合図。
……終わった。漸く終わった……。
こうして、俺は美鈴さんに一本取って勝利を収めたのであった。