暖かい日差しが心穏やかにする。
白い雲は所々に点在しているが、気持ちのいい晴れた青い空。
窓の外では小鳥が元気に飛んでいる。
教師の、黒板に白いチョークを走らせるリズミカルな音。
無言でペンを走らせる音が耳をくすぐる。
今は、二時限目の授業だ。
僕は窓際の一番後ろという転入生の特権のような席に座り、ノートも取らずにぼんやりと窓の外を眺めていた。
最終決戦前の束の間の休暇。
そんな時に、真面目に授業を受ける気になどならなかった。
東郷さんと夏凛はちゃんとノートを取っているように見えるけど。
友奈は、どうだろう。ウトウトとしているように見える。
もうすぐ十月になる陽気は、ポカポカとして暖かい。
夏と秋の間のような、過ごしやすい気候。
眠くなるのも無理はない。
リズミカルなタンタンッというチョークの音もそれを助長させている。
僕も、寝ようかな……。
友奈は完全に寝ている訳じゃないけれど。
今寝たら僕だけサボり魔っぽくなってしまうけれど。
別に、良いか。
眠いし。
眠いから寝る。これ自然。
生物として正しい在り方。
睡眠は大事だ。
寝よ。
堂々と僕は机に突っ伏した。
「――――あっさひくーんっ!」
「んあっ……?」
目が覚めた。
口の端に垂れたよだれを袖で拭きながら顔を上げると、友奈がいた。
「もしかしてずっと寝てたの? もうお昼だよ、一緒にお弁当食べよ」
「あ、ああ、うん……」
苦笑する友奈に、寝ぼけた返事を返す。
そうか、昼か。
結構寝たな。
というか教師起こさないのかよ。
三時間分の教師三人、職務怠慢なんじゃないの?
ちょっと違うか。
まあいいや。ぐっすり眠れたし。
鞄から弁当を出し、みんなで東郷さんの近くに集まる。
近くにある空いている机を東郷さんの机に合わせて座る。
この席の人達が戻ってきたら迷惑極まりないかもな、とは思ったけどまあ長居しなければいいだろう。
今空いてるんだし。
皆で弁当を広げ、
「「「「いただきます」」」」
と手を合わせ、食事を始める。
友奈の左手は動かないが、右利きだから一人で食事は可能なようだ。
「前から見てて思ってたけど、朝陽くん料理できるんだね」
友奈が僕の弁当を見ながらそう言ってきた。
「できるって程じゃないけどね、最低限だよ。これだって少し覚えれば誰でも作れるものだし」
僕の今日の弁当は、一言でいうとのり弁だ。
醤油を付けて海苔をご飯に乗せただけのものと、砂糖を入れて甘くした卵焼きと、マル○ンのハンバーグと、プチトマト。
本当に、簡単すぎるレシピだ。
東郷さんや風先輩に比べたら、とても料理が出来るだなんて胸を張れるものではない。
あの二人は凄い、いいお嫁さんになるね。
「それでも私にとっては凄いよ。私なんてお湯を沸かすぐらいしか――――ううん、今度また、頑張ってみるよ」
「? うん」
話が曲がり自己完結されてしまった。
東郷さんは微笑んで友奈の方を見ている。
夏凛はにぼしを貪っている。
東郷さんは今の友奈の言動の意味が解るのか?
夏凛は置いといて。
「じゃあ朝陽くんのおかず、私のおかずと一つ交換しようよ。朝陽くんの料理食べてみたいな」
「なにがじゃあなのか分からないけど、いいよ。何が欲しい?」
「卵焼き!」
「一番メインなやつ来たね。はい」
僕は弁当箱を前に差し出し、卵焼きを一つ友奈は取った。
「朝陽くんは何が欲しい?」
「えーと、僕はね――」
友奈の弁当は、彩り豊かだ。
友奈自身は作れないとさっき言っていたから、両親のどちらかが作ったのだろう。
というか十中八九母親の方だろうけど。
「たこさんウインナーで」
全部美味しそうだけれど、無難に良さそうなものを選んだ。
「はい」
僕の弁当箱に綺麗な形のたこが投入される。
「そのたこさんウインナーは美味しいよ。お母さんの料理は何でも美味しいけどね」
笑顔で友奈。
やっぱり友奈ママの方だったか。
早速口にウインナーを運ぶ。友奈も卵焼きを運ぶ。
「うまっ」
「おいしい!」
同時に口走った。
「あっ、そういえば夏凛ちゃん。はいこれ!」
唐突に友奈は鞄からどっさりと煮干しを取り出した。三袋ほど。
「はいこれ、って言われても急に何……?」
夏凛は訝しげに首を捻っている。
「私にとっては急じゃないんだよ。とにかく受け取って。いらないならしょうがないけど」
「いや、いるわよ。煮干しはいくらあっても困らないし。ありがたく頂くわ。でもこんなに貰っていいの?」
煮干しを受け取りながら申し訳なさそうに言う。
「いいのいいの。これは私なりの感謝の気持ちだから」
笑顔で手を軽く横に振りながら友奈。
「……そう?」
夏凛は渋々と理解を示した。
弁当も食べ終わってきた頃。
東郷さんが切り出す。
「私今日ぼた餅を作ってきたの、勇者部のみんなで食べようと思ってたのだけど、いっぱい作りすぎちゃったから今も少しだけ食べる?」
「食べる食べる―!」
「貰うわ」
「うん」
皆一斉に、あんこあんこした餡子色のぼた餅を口に運ぶ。
「「「うまいっ!」」」
甘くて心
やっぱり東郷さんこそが料理オブマイスターだ。
放課後。
僕たちは勇者部の部室に居た。
けど。
「今日は体育館で演劇の練習よ。文化祭までもう時間も無いから急がないとね」
風先輩のその一言で体育館へと移動した。
体育館ではバレー部が練習をしているが、広いから壇上の方は使わせてもらえるようだ。
「台本は前にみんなと相談しながら書いて出来上がっているから、あとは演技だけね。衣装も舞台セットも概ね出来てるし」
色々なことが起こる前にしていた勇者部の活動が懐かしい。
そんなに日は経っていないはずなのに。
で、どういう台本だっけ?
大まかには覚えているが、細かいところまでは頭からすっぽ抜けている。
「あの、台本って僕の分もありますか?」
「もちろんよ。みんなの分ちゃんとあるわ。実際に演技するのはアタシと友奈と朝陽だけだけどね」
「助かります」
そこまで厚くはない台本を受け取る。
むしろ厚かったら困りそうだけど。
一ページずつ捲っていって、台本を確認していく。
…………。
――――。
うん。
これ、あれだわ。
あれっつーか、もうアレ。
最後らへんだけ、アレ。
「風先輩。本当にこの脚本でいいんですか?」
「いいのよ」
「ぶっ飛びすぎてて反感買いそうですけど」
「それでもいいの」
「なんだこの超展開は! クソ脚本は! 帰るわ。ってなる人がいるんじゃないかと思うんですけど」
「それでもいいの!」
「世界観とも合ってないし……」
「いいの!」
いいって言われてもなあ……。
やっぱり、これはなあ。
「何度も聞くようだけどやっぱりこれは――」
「いいの!!」
言葉を遮られてしまった。
そこまでこだわっているのか。
そんなにこれがいいのかなあ。
「そもそもアンタが喋りたくないって言ったのも原因なんだからね」
「うっ……」
そこを突かれると痛い。
もともと僕は舞台になんて立ちたくなくて、他の三人同様裏方がよかったのに。
でも裏方をやるには人数が多くなりすぎるし、それだと何もすることがなくなってしまう。
裏方は大事だから、僕よりも優秀な東郷さんと樹ちゃんを抜かすわけにはいかないし。
夏凛とはどっこいどっこいだったけど、彼女は出たくないようで、押し付けられた形だ。
くそっ、にぼっしーめ。
「まあ喋りたくないとはいっても、一言だけはいってもらうわよ、大声で」
「ええ!? 話が違うじゃないですか!」
「重要な台詞なの、これだけは朝陽自身の口から言ってもらわないと、これでも減らしまくったんだから」
「でも……」
「一言だけなんだからそれぐらいは言いなさい」
「そんなあぁ……」
「朝陽くん、頑張って。朝陽くんならできるよ」
友奈が僕の様子に苦笑しながら言って来る。
「友奈、助けてくれ。無理だって」
「ここはやろう朝陽くん。この役は朝陽くんにやってもらいたいの。みんなもそうでしょ?」
友奈が振り返って他四人全員に聞く。
三人は笑顔で頷く。
夏凛は。私がやることにならなくてよかったー……。という思考がだだ漏れな表情で頷いた。
にぼっしー…………。
僕の心の嘆きは聞き入れてもらえなかった。
これも日常の試練ってやつか。
――――まあ。
しょうがないかな。
なんだかんだいって、楽しいし。
多分。
・
・
・
次の日。
学校はいつも通りに
今日は、勇者部全員で河川敷のゴミ拾いをすることとなった。
ちなみにこの河川敷は僕が一人で蹲っていたところとは別の場所だ。
東郷さんは身体的に無理なので、少し離れたところで依頼のスケジュールや演劇の台本の読み直しなどをしている。
――――ゴミ拾いを始めてから、それなりの時が経った。
空は橙色に染まり掛け、ゴミも少なくなってきた。
僕はゴミ袋に空き缶を放ると、腰を上げて一息吐く。
この辺でいいか。
僕は
今、ちょうどおあつらえ向きな状況なんだ。
皆、散らばってゴミを拾っている。
一人一人と、最終決戦の前に話がしたいんだ。
そんなこと、もっと前に出来たかもしれないけれど、なんか、タイミングが掴めなかったんだ。
わざわざ呼び出してまでするのも違うと思ったし、みんなが一人になる機会もほとんど無かった。
だから、今しかない。
誰も、二人以上で固まってゴミ拾いをしていないこの
一人一人と向き合ってちゃんと話せる機会が最後になるかもしれないなんて、思いたくないけど。
それでも今、話したいんだ。
まずは、銀だ。
今ここに居るしね。
距離なんて一ミリどころかもっと離れていない。
いつも変わらず、そばに居てくれた存在。
「銀、少し話をしようか」
『ん? いいぞ』
僕は昼と夕方の中間の、僅かな時間しか訪れない日を眺めながら。
「銀と最初に会った時。衝撃的だったよね」
そんな一番最初の頃のことを、言葉に出した。
『ああ、あれはな……驚かないやつはいないだろうな』
「凄く戸惑ってたもんね」
『むしろあれで戸惑わなかったらそいつはどこかおかしいと思うぞ』
「確かに」
思わず笑いが漏れる。
『笑うところじゃないと思うけど』
「そうかもしれないけど、こういう思い出話っていうの? あんまりしたことないからさ」
『そうか』
「うん」
一呼吸置いて、さらに話す事を探す。
探し当て、言の葉へと変換する。
「僕ら二人は今までずっと一緒にいたけど、嫌じゃなかった?」
『? 全然』
なんでそんなことを聞くのかと心底不思議そうな声音。
むしろその反応の方が心底不思議だと思うんだけど。
「僕が男ってのもあるけど、色々不自由もあったと思うんだよ」
さらに畳みかける。
別に否定的なことを言われたい訳じゃない。
けど、聞きたいんだ。
不安だからかもしれない。
負い目があるからかもしれない。
それでも、銀の心からの言葉をちゃんと聞きたいんだ。
『そんなことはないぞ。平和な日は毎日楽しくやれていたし、辛い状況の時も頑張れた。朝陽のことは嫌いじゃないし、大事な友達だって思ってるよ』
「……本当に?」
『今そんな嘘ついてなんになるんだよ。嫌だったらとっくに言ってるよ。まさかここまで一緒にいてアタシの性格を全く把握できていない訳じゃないよな?』
苦笑しながら言う気配。
「まあ、そうだね……」
銀は真っ直ぐだ。
「最後まで、戦いが終わるまで、一緒にいてくれる?」
『当然だ。終わった後も、このままだったらそれはそれでもいいかなって思ってる。アタシは一度死んじまった命だしな』
「ありがとう。でも、なんとか自由に出来るように尽力するよ」
やはりずっとこのままは、銀に悪いと思う。
何かある度に甘えてしまいそうだ。
僕はいつも甘えてばかりの、甘ちゃんだけど。
それでも、このままは駄目な気がした。
『そんなことはしなくてもいいのに』
「それでも銀のために何かしたいんだ」
恩返しが、したいんだ。
『そっか……なら、許可する!』
「うん。許可制なのはなんだか変だけど」
『そこはアタシの意思も尊重してくれよ』
「それはその通りなんだけど――まあいいや」
『なんだよ朝陽、最後まで言えよ』
「いやいいって」
『アタシとお前の仲だろ?』
「そういう問題じゃないって」
銀との話は、この辺でいいだろう。
銀の追及を適当にあしらった後、隅の方で資料かなんかを読んでいる東郷さんのいる場所へと足を運んだ。
「東郷さん」
「ん? なに夢河くん?」
紙の束から顔を上げて東郷さんは応えた。
「ちょっと話をしたくて。今いい?」
「いいわよ」
そう言って読んでいた紙束を閉じた。
「それで、何の用?」
「いや、用ってほどではないんだ。ただ話をしたいんだ」
「そうなの。なら話しましょう」
微笑んで東郷さんは言った。
「東郷さんは、もう大丈夫なの?」
「大丈夫って?」
「えっと、東郷さんあの時泣いてたからさ、その次に会った時からは問題なさそうにしてたけど、気になってね」
「あ、まだ覚えてたんだ……恥ずかしいわ」
赤面して目線を下に向ける東郷さん。
「そりゃ数日前の事だし、そう簡単には忘れられないよ」
「そうよね……」
数秒の沈黙。
「でも、もう大丈夫よ。あと少しで終わりだもんね」
本当に大丈夫そうに、東郷さんは笑顔になった。
「あれだけの悲しみが、なんで、もう無くなったの……?」
立ち直れるのが、早い。
なぜそこまで強く在れるんだ。
そう思って、それが羨ましくて、つい聞いてしまった。
「無くなったわけじゃないけれど、きっと夢河くんがなんとかしてくれるって、信じられるから」
「僕はそこまで頼られるような強いやつじゃないよ。全力は尽くすけど」
「なら、問題ないわ。今や夢河くんは神様だものね」
「やめてくれよ。僕は人でもあるんだ」
「そうね、私たちと同じ人だわ。けど、一般の人からは夢河様とか朝陽様とか呼ばれたりするかもしれないわよ」
「嫌だなあそれは。誰にも現人神とか言う気はないし、来ないとは思うけど」
「冗談よ」
鈴を転がしたように小さく笑いながら東郷さんは言った。
「冗談なのか。結構真面目に受け取っちゃったよ。本当にありそうなことだったし」
「もしそんな時が来たら、私たちも神様と友達の人って注目されてしまうわね」
「ならお相子だ」
「うん」
また笑う東郷さん。
「強いな、東郷さんは」
素直に信じる事が出来て、頼れて、立ち直れる。
それは強さだ。
「私は強くないわ。夢河くんの方が強いわよ」
「僕は強くないよ」
「でも、最後まで戦うんでしょう?」
「それはまあ」
「ちゃんと前に進むのよね?」
「うん。そう決めたから」
「やっぱり、夢河くんは強いよ」
「違うよ。僕は強くなんてないよ」
ただ、そうするしかないだけで。
「それでも私は……私にとっては、強いと思う」
東郷さんは、僕の心を包み込んでしまいそうな、優しい表情。
「そう、なのかな……」
「うん、だから頼りにしてるわね。ヒーローくん」
え。
「やめてよ。ヒーローとか……」
ヒーローとか。
ほんとに、ほんとに……。
ヒーロー。
「朝陽、顔がニヤついてるぞ」
唐突に銀が右斜め前に現れて言った。
「うわっ。いきなりすぎだろ銀」
「なんか朝陽が調子に乗りそうだったから」
頭の後ろに両腕を回してジト目をしながら両足をプラプラと揺らす銀。
「うるさいな、憧れなんだよ、ヒーローとかそういうの。だからそう言われて嬉しくないはずがないの!」
自分で自分のことを、そんな風には思えないけどさ。
でも、そう言われて嬉しくないはずがない。
僕に限らないで、男ならほとんどそうなのではないか。
多分だけど。
「銀も、最後まで一緒に頑張りましょうね」
「ああ、みんなで一緒に、な」
「ええ。私たちは親友よ」
両手を前に出す東郷さん。
?
銀はその左手を握った。
「ほら、朝陽も」
あ、そういうことか。
よし、それなら。
僕は東郷さんの右手を握った。
そして、銀の左手も。
手で繋がったトライアングル。
そんなものが完成した。
僕らは三人とも、笑顔だ。
「親友だ。ずっと変わらない、ね」
「うんっ」
「ああ」
そうやって三人で、友情を確かめ合った。
「ちょっといいですか?」
ゴミを拾っている背に、呼びかける。
振り返った拍子に揺れるツーテール。
「朝陽? なにか用?」
我らが部長。風先輩。
「もうすぐ全てが終わると思うので、話がしたくて」
「ゴミ拾いなら、もうすぐ終わるわね」
「その話ではないんですけど」
「なら作戦確認?」
「そういうのでも、ないんですけど……」
「わかった、いいわよ」
態度を変えての、即答。
「もしかしてからかってました?」
「気分を和ませるためよ」
「別に緊張も何もしていなかったんですが」
「それでもよ」
「……もしかしなくてもからかってたとかじゃなくて本気で言ってました?」
「……そんなことないわよ」
「今の間は何ですかね」
「間なんてあったかしら?」
「まあいいですけど」
「いいなら言わないでよ」
少し頬を膨らます先輩。
一間置いて、僕は話し出す。
「今まで色々と情けないところばかりでしたけど、ここから最後までは、全力で頑張りますから、新しい夢河朝陽を見ててください」
「あまり気負いすぎないようにね」
「今気負わずにいつ気負うんですか」
「朝陽は、今までも頑張ってたし、頑張ってるわよ」
「弱くて弱い僕は、それじゃ足りなかったんですよ」
「十分頑張ってるわ。見てればわかる。みんなもそう思ってるはずよ」
「風先輩…………」
胸が、暖かくなった。
「先輩として見てても、頑張ってる後輩は応援したくなるわ。だけど、背負い過ぎないようにね。勇者部の部員として、励みなさい」
風先輩は、本当に先輩だなあ。
「実年齢は僕の方が圧倒的に上ですけどね」
「先輩に口答えするんじゃないの。ここでは今のアンタは中二よ、そしてアタシは中三。それに朝陽だってアタシのこと先輩って呼んでるじゃない」
「なんかそう呼ぶ方がしっくりくるんですよ」
「それだったらアタシはちゃんと先輩ってことじゃない」
「そうかもしれませんね」
「覚えておいてね、アタシはアンタの先輩で、いつでも頼っていい存在なんだからね」
「あ……」
言外に伝えたいことを悟る。
先輩ということになっているのだから、思う存分頼れと。
何のてらいも遠慮も無く、相談して頼っていいと。
多分、きっと、僕の妄想じゃなければそう言いたいのだと思った。
本当に、優しく頼れる先輩だな。
「はい……」
「うん、よろしい」
目が、潤みそうだった。
「樹ちゃん」
『なんですか?』
スケッチブックにペンで文字を書いて樹ちゃんは応えてくれた。
「ごめんね。スマホがもうないから、樹ちゃんの歌、せっかくもらったのに無くなってしまった」
『謝る必要はありません。私は、自分の歌を好きって言ってもらえて嬉しかったですよ。それに、データは私のパソコンに残ってますから、いつでもまた渡せます』
「そうか。ありがとう」
『歌はいつだって元気をくれます。だから、元気が無くなったら、挫けそうになったら、歌を聞くか、歌うかしましょう。そうしたら、きっと前を向く力になるはずですから』
確かに、音楽の力は凄いと思う。
あんなにも感情が動かされるのだから。
「今度、ミュージックプレーヤー買うよ。そしたら、また樹ちゃんの歌が欲しいな」
『大歓迎ですよ。その時はすぐに言ってくださいね』
「うん。また、今度僕も本貸そうか?」
『はい、また色々読んでみたいです。今度のは、楽しい話がいいな』
「前のはちょっと重すぎたかな」
『そうですね。面白かったですけど、私には重すぎるところもありました』
苦笑しながら樹ちゃんは言う。
「自分が好きだからつい貸してしまったけど、次はラブコメとかにするよ」
『あ、それがいいですっ』
「じゃあ今度はそれで」
『はい。その時に私の歌も持ってきますね』
一呼吸。
「最後まで、一緒に頑張ろうね」
『はいっ。みんなで、なんとかしましょう』
その笑顔は、絶対になんとかなるということに一切の疑いを持たない、純粋なものだった。
「声、必ず取り戻そう。生歌も聴きたいから」
笑顔をさらに輝かせ、樹ちゃんは頷いた。
必ず、みんなと共に終わらせてやる。
そして、樹ちゃんの歌をまた聴くんだ。
「夏凛、話をしよう」
「話? なんの?」
「なんのでもいいけど、とにかく話」
「そう。話ね」
「うん、話」
「まあ、とりあえず煮干し食べなさい」
「なぜ」
「美味しいからよ」
「本当に好きなんだね」
そんなことはないのだろうけど、いつも食べているような気がする。
「栄養満点なのよ、当然じゃない」
「当然かあ」
煮干しを少し貰いながら、思わず苦笑が漏れた。
好きなことは悪いことでも別に変なことでもないけど。なんだか思わず笑みが零れてしまったんだ。
まあ、美味いけど。
「そういえばあれから色々あって、鍛錬してないわね」
ボリボリと煮干しをむさぼりながら夏凛。
食べるか話すかどっちかにしなよ。
でも確かに、鍛錬は一度しかしていない。
これでは意味がほとんどない。
「今度また稽古をつけてやるわ」
「え……もう後は最後の戦いだけだし、それが終わったら必要ないんじゃ……」
終わったら、戦う機会など一切ないと言ってもいいだろう。
少なくとも、鍛錬が必要なほどのことは。
「たるんでるわよ! 日ごろの鍛錬が精神を引き締めるの! アンタはただでさえ情けないんだからそれぐらいしないと駄目なのよ」
「そういう、もんなのかな……」
「そういうものなのよ」
「じゃあ、少し、頼もうかな」
僕みたいな人間は、精神を引き締めておいた方が良いだろう。
「ええ、頼まれるわ。そして戦友として、最後の戦い、背中預けるわよ」
「うん、任せてくれ」
「神に成ったからって朝陽が情けないのは変わらないんだから、どんと私にも背中は任せなさいよ」
「頼りにしてる」
「当然よ。私は昔から鍛錬を続けた戦士よ。戦いで頼りにされなければ話にならないわ」
「夏凛は強くて、かっこいいな」
いつも夏凛は、気高いと思う。
「……戦士なんだから当たり前よ!」
彼女の頬は、少し頬が赤らんでいるように見えた。
「友奈、話を――」
ガッ。
つま先に硬い感触。
バランスが崩れる。
前につんのめり倒れていく。
目の前に友奈。
なんてベタな……!
ここで躓くとか、ゴミでも落ちていたのか。
それとも河川敷だし石か。
違う。そんなことはいいんだ。
僕は、このままだとテンプレよろしく友奈に倒れ込んで押し倒してしまい、みたいなラッキースケベ展開に突入してしまう。
いや、嬉しくはあるんだけれども。ワザとじゃないという免罪符もある。
けれどやっぱり、誠実に対応したいんだ。
清い関係を僕は望む。
だからこれは駄目だ。
といっても、走馬灯の様に思考していても身体はどうすることも出来ず。
ただ倒れていくのみだ。
僕は友奈に覆いかぶさる形に――
「おっと。朝陽くん大丈夫?」
ならなかった。
友奈の反応は素早く、僕の胸に右腕を当て体重を支え、倒れ込むのを防いだ。
ラッキースケベ殺し、だと……!?
「問題ないよ……」
天然でイベントを潰すとは、末恐ろしいな。
なんの末なのかは知らないけど。
「ならよかった――ん? この感触は何だろう?」
「え、感触?」
友奈が触れているのは、僕の胸の部分。
その部分の制服には、胸ポケットがある。
胸ポケットには僕は何を入れていたか。
「あ、これのことかな」
友奈から離れて、僕はポケットの中に入っている物を出した。
「あ! それって」
「うん。友奈の家に初めて行った時に貰ったあの
キノコの。
「わあ、まだ持っててくれてたんだね」
花開くように友奈は笑顔になった。
「いつもここに入れて持ってたさ。御守り替わりみたいなもんだよ」
「肌身離さず持っていてくれるなんて、嬉しいなあ」
「友奈は押し花が好きなんだなあ」
僕も自分の趣味にはかなりの熱意を持っていると自負できるから、その気持ちは解る。
「それもあるけど……――――」
頬を少し赤らめながら言う友奈だが、後半は小さすぎて聞こえなかった。
ちなみに僕は難聴ではない。本当に、小声というものは全くもって聞き取りづらいものなんだ。
「贅沢を言うと、普通に花の押し花も欲しいなって思ったり思わなかったり」
「なら今度、一緒にお花摘みに行こうよ!」
満面の笑顔。
…………。
「うん。でもそのセリフは駄目だと思うよ」
トイレ的な意味で。
「ん……?」
僕の言ってることの意味がすぐには理解できずに思考している様子。
そして気づいたのか、はっ、と顔を真っ赤に染め。
「あ、私なに言ってるんだろう……」
数秒の沈黙。
「でもでも、そういう意味じゃなくって!」
「うん、わかってる。花が咲いているところに押し花の花を摘むために行くのは、僕も一緒に行きたいな。花は、嫌いじゃないしね」
趣味を合わせてるとかじゃなくて、素直に花は綺麗だと思う。
凄く興味があるわけではないけれど、興味が無いわけでもない。普通のちょっと上ぐらいだ。
「なら、全部終わったら今度行こう。ふ、二人で……」
「うん。僕も行きたい」
そんな時が訪れるように、下を向いたりせず、前を向いて進むんだ。
「朝陽くん。神様になったからって、一人で背負わないでね。朝陽くんは朝陽くんなんだから。みんなで頑張って、なんとかしよう」
「ありがとう。問題ないさ、わかってる」
「諦めないで、みんなで全部全部、終わらせよう」
「うん。諦めないよ」
「諦めなければ、きっと――ううん、絶対になんとかなるよ」
微笑みを浮かべて、言葉を連ねてくる。
「朝陽くんは、弱いところもあるかもしれないけど、ちゃんと強いところもあるね」
「それ、さっき東郷さんにも同じようなこと言われたなあ」
「そっか。私も言うけど、朝陽くんのその行動に起こせる勇気は、強さなんだよ」
「勇気は、強さ……」
勇気、か。
僕には、そんなものがあったのか。
「うん。強さで、一つの才能。だから、胸を張って前を見ればいいんだよ」
「……ありがとう」
弱くて、絶対に強くは成れないと思っていた。
それでも前に進みたくて、行動し続けた。
それ自体が強さだったなんて、考えもしていなかった。
気づけたことに、感謝する。
「だから朝陽くんは、勇気の神様だね」
「え?」
「だから、勇気の神様」
「いや、聞こえてなかったわけじゃなくて、なんでその、名前?」
僕には荷が勝ちすぎる大層な名称だ。
何より言っちゃ悪いけどダサい。
「朝陽くんは勇気をもって前に進めるとこが良いところなんだから、ピッタリの神様だと思ったんだ」
「ピッタリって……」
「ちょうど今度の演劇の役的にも合ってるし、朝陽くんは朝陽くんだけど、神様としてのいい名前だと私は思うんだけどな」
「う、うん。まあ、好きにして」
笑顔で友奈が言うものだから、そのぐらい別にいいかと考えた。
全然、僕には相応しくない名前だと思いはするけれど。
「この先どんなことがあっても、私はずっと、一緒にいるからね」
頬を赤く朱く染めて、とびっきりの笑顔だった。
完全に夕方になった今の視界では、それが本当に赤く染まっているのかどうかは、定かではなかったけれど。
さっき、銀にも似たようなことを言われた。
本当に、君たちは――
「優しいんだね」
物凄く。
こんなにもいい子を、守りたいと思った。
もっともっと、際限なく好きになる。
「ううん」
けれど僕の言葉に友奈は、寂しいような、安堵したような感情を湛えた表情をした。
僕は、何かを間違ったのだろうか。
「朝陽くん、秋の花だと、コスモスとかがいいんだよ。あと、アゲラタム、ウメモドキ、菊、キンモクセイ、シュウカイドウ、スイバ、センニチコウ、ゼラニウム、タマスダレ、ナデシコ、ネジバナ、ホトトギス、ワレモコウ――さつまいもにも、ちゃんと花はあるんだよ?」
「う、うん」
今は九月、確かに秋だけど。
すごい勢いで色んな花の名前を挙げられたが、一気過ぎて頭に入らなかった。
頬を朱に染めながら何かを期待するような瞳を向けられているような気がするが、わからない。
多分気がするだけだろう。
そうじゃなかったとしても、判らない。
誰かが僕なんかのことを異性的に好きになるなんてありえないと思うし。
勘違いして今の関係を壊したくない。
今のこの優しいぬるま湯が、心地いいんだ。
やがて数十秒が経ち。
「と、とにかく今度、押し花のお花取りに行こうねっ」
そう友奈が言ってきたので、僕もその流れに乗った。
「うん。必ず」
「絶対、だからねっ」
「わかってる」
そうして奇妙な雰囲気のまま、会話は終わりを告げた。
友奈の言った花の名前、それぞれの花言葉は花一つにつき、色によっても意味が変わり複数ありますが、一つだけそれぞれ挙げると、
コスモスは「乙女の愛情」、アゲラタムは「幸せを得る」、ウメモドキは「深い愛情」、菊は「私はあなたを愛する」、キンモクセイは「初恋」、シュウカイドウは「片思い」、スイバは「愛情」、センニチコウは「変わらぬ愛」、ゼラニウムは「君ありて幸福」、タマスダレは「期待」、ナデシコは「大胆」、ネジバナは「思慕」、ホトトギスは「秘めた思い」、ワレモコウは「変化」、さつまいもは「乙女の純情」となっております。