「あ~……疲れた……」
赤モップの着ぐるみ姿で煙草を吹かしながら同僚がそんな言葉を落とした。
いや、せめて着ぐるみは脱いどけよ。赤モップさんに憧れを抱いている人間だっているかもしれないのだから。少なくとも良い影響は与えないだろう。
「この後はどうしますか?」
そんな同僚の隣へ座り、煙草へ火をつけながら先輩ちゃんさんへ俺が尋ねた。
時刻は4時前。リフトはまだ動いているけれど、身体がもう動きません。昔ならもうちょっとがんばれたと思うが、喫煙者にはこれくらいが限界なんだ。いやじゃあ、煙草を止めろって話ですね。
「宿に行ってその後は外湯へ行く感じで良いんじゃない? 飲み始めるのには流石にまだ早いだろうし」
俺と同じよう、煙草へ火をつけながら先輩ちゃんさんが答えた。
まぁ、そんなところが無難だろう。温泉は俺も好きだ。あの疲れが抜けるような感覚が特に。
「そんじゃ、吸い終わったらさっさと移動しましょうか」
「そだね」
身体を動かした後はゆっくり温泉に浸かりお酒を飲む。いや~、ホント贅沢なことですね。ただ、たまにはそう言う経験くらいしておきたいところです。
「それじゃあ、2時間後に宿集合ね!」
外湯のある建物の前でお嬢が元気な声を出した。
此処からは男女別行動です。俺も温泉は好きだけど、長湯ができる人間じゃあない。しかしながら、女性陣は色々な温泉に浸かりたいらしくこうなった。
どうせ俺と同僚に対する愚痴とかで盛り上がるのだろうけど、今日くらいはのんびり過ごしてくださいな。
野沢温泉には外湯なんて呼ばれる無料の共同浴場が13ヵ所ある。その13ある外湯の中で今、俺たちがいるのは宿から一番近い場所。
扉を開け中へ入ると、直ぐに脱衣所とお風呂が見えた。脱衣所と言っても浴室と同じ場所にあり、浴室にただ服を入れる場所があるだけと言った感じ。
「あっ、すごい。中はこんな感じになっていたんですね」
そんな後輩君の言葉。
俺と同僚は何度か来ているけれど、後輩君が野沢温泉に来るのは初めて。脱衣スペースだってちゃんとないし、最初はちょっと戸惑うかもしれないけれど、こう言う雰囲気が俺は好きだったりする。観光客だけではなく、当たり前のように地元の人たちもこの外湯を利用する。そんなこの環境は人と人との距離が近く感じられ、その感じが好きだった。
「こんばんは。地元の方ですか?」
身体を一通り洗ってから湯船の中へ。時間がまだ早かったおかげか、俺たち以外にいたのは老人がひとりだけだった。
そして、その老人へ声をかけてみた。せっかくの旅行なんだ、地元の人と話をしなければもったいない。
「ああ、そうだが。お前さん達は……学生かい?」
「いんや、一応働いている人間ですよ」
一応、俺、同僚、後輩君の3人ともが20代。それなら学生と言っても通じるかもしれない。お嬢なんかは見た目がアレだからよくされるけど、俺だって煙草を買ったとき年齢確認をされることがあるくらいの見た目です。最近は流石にされなくなったけど……
さてさて、この老人とはどんな話をしたら良いものか。特に話したいことがあって話しかけたわけでもない。
ふむ……
「この辺って掘れば、やっぱり何処からでも温泉が出てくるものなんですか?」
「ああ、そうだな。だからと言って勝手に掘るのはダメだけどよ」
あれだけの量の外湯があるのだ。そりゃあ温泉くらいいくらでも出てくるか。あと、別に温泉を掘り出したいわけではないです。
「はえー、そうなんですか。そうなると、昔は飲み水とかはどうしてたんです? 掘ると温泉が出てきちゃっうんじゃあ、井戸だって掘れないでしょうし」
昔、温泉で有名な草津へ行った時だっただろうか。掘ったら何処からでも温泉が出てきてしまうせいで、昔は飲み水の確保に苦労したと言う話を聞いたことをふと思い出し、此処ではどうなのか気になった。
「うん? ああ、ここら辺は山からの湧水があるから大丈夫なんだ。お前さんたちだって見ただろ? 神社にあるやつ」
なるほど、湧水か。これだけ雪が振るのだし、湧水には困らなそうだ。
そして、神社とはなんのことだ? スキー場の中にある神社ならいくつか見かけたけれど、湧水が出ている様子はなかったと思う。
「いや、見てないと思いますよ」
「あら、そうだったのか。柄沢ゲレンデの傍にある八幡様なんだけどよ」
おろ、じゃあ俺たちが止めていた駐車場の直ぐ傍だったのか。八幡宮があったなんて全く気づかなかった。
「じゃあ、帰りに案内してやろうか?」
「そりゃあ、是非お願いします」
神社大好きです。
「ちょ、ちょい待てルー。ソレ、俺もついていくからな!」
今までは、後輩君と仲良く会話をしていたはずの同僚が慌てたようにそんな声をかけてきた。いったいどうしたって言うのやら。まぁ、同僚だってきっとその湧水の出る神社に興味があったってことだろう。
「え、えと、じゃあ僕も一緒に行きますね」
そして、後輩君も同僚と同じよう来るらしい。
結局、全員が行くことに。別に俺ひとりでも気にしないんだが……
その後、外湯を出て老人と話をしながら数分ほど歩くと、件の神社へ着いた。鳥居へと続く階段の直ぐ傍には真冬だと言うのに凍ることなく流れる水。多分、これが件の湧き水なんだろう。
俺たちが停めていた駐車場から距離は300mほど。予想以上に近い。あと、思っていたより立派な八幡宮じゃないか。
「昔っからこの湧水を飲んでんだ。夏場はビールを冷やしたりするのにもよく使うな。ただ、ビールを冷やしていると誰かに取られちまうんだ」
カラカラと笑いながら、何処か嬉しそうに話す老人の言葉を聞きつつ、置いてあった柄杓を使って湧水を飲んでみた。温泉で温まった身体に冷たい水は本当に美味しく感じる。その水はキンキンに冷えているわけでなく丁度良いくらいの冷たさだった。湧水なのだし、きっと夏場でも今の水温とあまり変わらないんだろう。
野沢温泉に来るのはこれでもう5回目になるけれど、こんなものがあったとはねぇ。うん、良い発見だ。
それから、老人と別れ宿へ向かうことに。女性人と約束した時間までまだまだ時間があるけれど……さて、何をしていようか。
「え、えと……先輩はいきなりどうしたんですか?」
煙草へ火をつけ、これからの予定を考えていると、後輩君がそんなことを聞いてきた。いや、そんなこと聞かれてもどうもしてないんだけど……
「んと、何のこと?」
「お前がいきなり見ず知らずの他人へ声をかけたことだよ。あと、ライター貸してくれ。宿に置いてきちまった」
後輩君の代わりに同僚が答えてくれた。
「……そんなにおかしなことか?」
同僚へライターを渡しつつ、後輩君に聞いてみた。
「い、いや、先輩ってその……人見知りと言うか、他人と関わらないイメージがあったので、今日はいきなりどうしたのかと」
……ああ、うん。確かに普段はそう言う感じかもしれない。少なくとも社交的な人間ではないかな。
「コイツさ。同年代の人間と話をするのは苦手だけど、年配の方なんかとは初見でも積極的に話かけるんだよ。居酒屋でもそうだし、去年、一緒に旅行へ行った時も、地元の爺さんと仲良くなってそのまま飲みに行ったし。俺を置いて」
そう言えばそんなこともあったかな。いや、俺だって同僚を置いてきてしまって悪いなぁ、とは思っていたんだ。ただ、あのご老人の話が面白かったのと、美味しい漬物を出してくれる店と言うからつい。
「そうだったんですか……なんと言うか、意外です」
「普段は人見知りなのにな。だから今回はそんなことにならないよう、ついて行ったってわけ」
……なんだか悪口を言われているようだ。地元の方とコミュ二ケーションを取ることの何が悪いと言うのやら。同僚を置いて行ってしまったことか。そうか。
そして、珍しく同僚がついて来たと思っていたけど、そんな理由だったんだね。
「まぁまぁ、水も美味しかったし良かったじゃん」
「はぁ、ホント、お前はマイペースだよな……」
そんな性格なもので。それに、そのくらいの方が俺にあっているんだ。
それから宿屋へ着き、女性陣を待ってから宿の女将さんにオススメの飲み屋を聞いて其処へ行くことに。流石は女将さんが勧めるだけあり、料理はもちろん、地酒が本当に美味しい店だった。地酒が美味しいのもあの湧き水のおかげだったりするのかな。
運動して温泉へ入ってお酒を飲んで……ホント、幸せなことだと思う。良い出会いと発見もあった。かなり急な予定ではあったけれど、来て良かったと思えるくらいには楽しめたかな。
「……なぁ、ルー」
「どうした?」
お酒も入り、後は気持ち良く寝るだけ。そんなときに同僚が声をかけてきた。
「明日、動けると思うか?」
……ああ、うん。
これが大人の宿命だとしても筋肉痛、どうすっかなぁ……ホント、大人になるなんて碌なものじゃない。な~んてちょいと格好つけてみたり。
「その……煙草、やめたらどうですか?」
ぽそりと後輩君が呟いた。
それができたら良いんだけどね。
湧き水のお話ですが、八幡清水と呼ばれていて、長野県薬剤師会による信州の名水37選に入っているそうです
野沢温泉に行く用事があれば是非寄ってみてはどうでしょうか