聖夜よ、永遠に【完結】   作:皮下脂肪弁慶。

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うへぇ。今日は長いぜ......。

そして今回で鬱展開は終りを迎えます。次回からは......ね?(


3.

 彼が全てを失ってから、1ヶ月が経とうとしていたその日は、いつになく土砂降りの日だった。

 シグナムたちは、ここの地下牢の檻の前で、誰もいなくなったそれをじっと見詰めていた。

 冬が近づき、一気に冷え込むここには暖房器具など付いてはいない。だからこそ、ヴィータ発案でここに自分たちの部屋にあったそれを持ってきて、彼が来た時に喜ばせてあげようと待っていたのだが。

 初めての事だった。アルベルトは、あの日から今の今まで少年に会うどころか呼び出すことなんて1度もしなかった。ローガンの母親を手球に取ることしか考えていないのかなんなのかは分からないが、とにかくアルベルトはこの少年がここにいる事をよくは思っていなかった。

 じっとりとした湿度のせいなのか、単に今日の気分が優れないだけなのか、妙な気分だった。端的にいえば、嫌な感じだ。

 今まで、こんな感情を持ったことはない。もとより彼と出会ってからは、初めての経験が多すぎたから何とも言えないが、この気持ちは......どうにも、晴れ晴れとしなかった。

 

「いっそのこと、雲が晴れ渡ってくれればいいんだけどな」

 

 鬱憤を漏らすように呟くヴィータに、ザフィーラが擦り寄った。皆、同じ気持ちなのだ。

 最初は、とんだ拷問だと思っていたローガンの世話も、今となっては唯一の楽しみとなっていた守護騎士たち。

 自分たちは、彼の全てを奪った。そんな自分たちに何が出来るのか。

 そんな思いも、今となっては全く無い。

 守護騎士たちの犯してしまった罪はあまりにも大きい。その全てを鑑みて、自分たちを恨むのは当然のはずなのに......あの少年は、それをしなかった。

 彼は、自分たちの犯した罪を許容し、彼女たちとまるで家族であるかのように接した。彼の心の痛みが、身に染みて感じられた。

 だからこそ、守護騎士たちは彼をできる限り支えてあげたいと思った。いつか、ローガンがこの地獄から開放された時のために。彼には、幸せな人生を送って欲しかった。

 そうだ。これは、ある意味での罪滅ぼしに近い。今の主であるアルベルトには忠誠を誓う一方で、シグナムたちは少年を擁護するようになった。いざとなれば、アルベルトとの対決も......辞さない覚悟で。

 最近ページ稼ぎは少しばかり滞り気味だった。管理局の妨害が増えてきたからだ。恐らく彼らは、今頃自分たちを探すために奔走しているのだろう。

 主には悪いのだが、正直......このまま、蒐集はあまり進めたくはなかった。そうすれば、管理局が闇の書完成までに自分たちを見つけて、ローガンを救うことができる。その代わり、自分たちが消えることになるのだが......。

 自分たちが狂わせてしまった運命なのだ。その罪に比べれば、それは当然の始末だと思っていた。

 もう、誰にもこんな思いはさせたくはない。ローガンが自分たちを闇から救い出してくれたように、今度は自分たちが彼を救い出すのだ。

 そうして......彼には、いつかもっと良い暮らしをして、良い大人になって、良い家族を作って、幸せな家庭を築いてもらいたい。

 それが、守護騎士たちの......今の思いだった。

 そして、その思いは......その日、完全に踏み躙られることとなった。

 

 

 

 何度も通っていた石の廊下が、全く違う道を通っているように思えた。

 開けられた窓から差し込むノイズは、シグナムにとって雑音と化してはいなかった。むしろ、この溶岩のような熱の篭った感情を引き立たすBGMのように、彼女の背中を押していた。

 靴が石段を踏みしめる音は、いつもより派手に響いていた。

 

「主アルベルト!」

 

 かの部屋の木製扉をノックもせずに押し開けると、そこでは、大量のディスプレイを周りに顕現させたアルベルトが、卑屈に笑っていた。

 こちらの存在に気づくと、アルベルトは一変不機嫌そうにこちらに顔を少しだけ傾け、横目で睨みつけた。

 

「主の部屋を、こちらの返事無しに開くとは......無礼にも程があるぞ。シグナム」

「それについては謝罪します。ですが、先にご説明頂きたい!」

 

 怒りに足を震わせるシグナムは、アルベルトの元までズカズカと足を踏み鳴らした。

 

「何をだね。君に話すべきことは何も無い」

「惚けてもらっては困ります。貴方は、あなたの息子に何をしたのか......分かっているのですかっ!?」

 

 声を荒くするシグナムに、アルベルトは全てのディスプレイを閉じて自らの背中に手を回した。まるで......『その行為』が、さも当然であるかのように。

 

「あの餓鬼は、私の息子ではない」

「いいえ。貴方がローガンの母親を妻として奪った時に既に彼はあなたの義理の息子です。あの子は、確かにあなたのことをよくは思っていなかったでしょう。それでも......それだとしても、あの仕打ちは酷すぎます!」

「知ったことではないな。もとより私は、あの餓鬼に対する配慮など全くもってするつもりはなかった。元々殺す予定だった人間をあのような好待遇で放置していただけでも有難いと思わねば、生きては行けんよ」

 

 冷酷なまでのその声音は、シグナムの怒りをさらに加速させるのに充分だった。

 アルベルト・ヴェンスキーは、確かに守護騎士たちの主だ。アルベルトが闇の書の主として選ばれたからには、騎士たちは彼に忠誠を誓い、その命令には必ず遵守しなければならない。それは、彼女たちにも充分分かっていた。

 だが......この男があの優しい子にした仕打ちは、さすがのシグナムたちにも断じて許容できるようなものでは無かった。

 

「それは、貴方の価値観の元で生み出された考えでしょう。ですが、そんな考えが、彼の母親に、それもあなたの妻に受け入れられるとでもお思いですか?そんな事で、あなたの家臣たちは付いて来るとでも......」

「黙れっ!!」

 

 鈍い音と共に、アルベルトはシグナムの頬を殴りつけた。鮮血が飛び、彼女の体は木製の扉に激しく打ち付けられた。

 

「......私は今まで、自分の得たいものは全て努力して得てきた。それを支えてきたのは他でもない私の家の者達だ。彼らには、私の持てる最大の恩を与え、その分彼らは奉孝してきてくれた。それを貴様は踏み躙るつもりか?」

「あなたはっ......何か勘違いしておられる!確かに主アルベルトは、私が付き従った方の中で最も強い方です。力も、魔法も......素晴らしいものをお持ちです。ですが、あなたのしてきた『努力』というものは、その本来の意味を帯びておりません。貴方がしてきたそれは、独占欲に駆られて他者を押し退け、強引に奪った......略奪に過ぎません!」

「黙れ......黙れ黙れ黙れ!!」

 

 まるで茹でられた蛸のように顔を赤くしたアルベルトは、起き上がったばかりのシグナムの腹部を思い切り蹴りあげ、倒れた彼女を何度も、何度も蹴り上げた。

 

「貴様にっ!何がっ!分かるっ!あの家の祖先に敗れてから私の先祖はずっと惨めな生活を強いられてきた。どんな屈辱も、どんな辱めも受け入れた。力によって支配された私の祖先たちが、どんな気持ちで今まで血をつないできたのか。私はもう二度と、私の家の者達にそのようなものを経験させないがために、ここまでやってきたのだ!それを......貴様はァっ......!」

 

 止めと言わんばかりに1発入れると、息を切らしたアルベルトは彼に比べれば小さな椅子に音を立てて座り、足を組んだ。

 苦痛に耐え唇を噛み締めるシグナムを睥睨するように睨みつけたアルベルトは、手をかざして闇の書を顕現させた。

 

「知っているぞ。私に隠れて、あの餓鬼に余計な世話をしているそうじゃないか。確かに私はお前達に自由に世話をしろと命じた。だがこの行為は、敵への譲歩。そして私に対する裏切りだ。年端もいかない餓鬼なんぞに懐柔させられおって......この役立たずが」

 

 ページを開くと、アルベルトはもう一度机に向かい......また、作業を開始した。

 

「......もういい。私の実験はほぼ完成。じきに、闇の書も完成する。それまでの命だ。覚えておけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、ただの虐待行為だった。

 アルベルトが初めてローガンを呼び、牢から出した理由。あまりにも......残酷だった。

 自分の思い通りにならないローガンの母親の考えを改めさせるために、アルベルトは少年を......力を得るための自分の研究の実験体として使用したのだ。それはすなわち、拷問だ。

 あえて母親を呼び寄せ、実験室の台の上にくくり付けられた彼女の息子を見せる。そして、彼女の目の前で......ローガンに、人体実験を開始したのだ。

 初めは慣らしの電撃を。次第に電圧を上げていき、少年の心を砕く。同時に、母親の神経を撫でる。それだけを......何時間も続けたのだ。

 屈強な男にかかえられて連れてこられたボロボロになった少年は、無造作に檻の中に放り込まれた。体中に、電撃で焼け焦げた痕を残して。

 痛々しかった。彼は、アルベルトには何もしていない。悪いことは、何一つしていない。それなのに......この処遇は、あまりにも残酷で、非道なものだった。年端もいかない少年を、あまつさえ実験台にするなんて......まともな人間の考えることではなかった。

 何の実験かは、当然のごとく守護騎士たちは知らない。もちろん、ローガンの母親さえも。話によれば、アルベルトの正妻にすらもそのことを伝えてはいないのだという。その実験について知る者は、アルベルトの近臣と信頼のおける私兵だけだった。

 今ローガンは、シャマルの治療を受けて、彼女の腕の中で苦しそうな寝息を立てていた。心身ともに、ズタズタに裂かれていた彼は、疲れ果てたように眠っている。

 怒り。悲しみ。同情。疑問。幾多もの感情がくっついては離れくっついては離れを繰り返し、まともな考えが巡らなくなった。

 

「っ......!!」

 

 彼の痛ましい姿を見て、シグナムは壁を殴りつけた。

 どうして、こんなことが平気でできるのか。

 彼が人であるならば、こんな非道なことを笑ってやってのけることなんてないはずだ。

 こんな非道なことを止められない自分に、嫌気がさした。

 アルベルトの言っていたことは、あながち間違いではなかった。彼の優しさに感化された、というのは間違いではないだろう。

 実際、無感情だった守護騎士たちの心は、彼の優しさによって角が取れ、昔と比べて随分と丸くなった。彼のお陰で、今の自分たちがあると言っても過言ではないたろう。

 自分たちに優しさを教えてくれたローガンは、今は......。

 

「......許せねぇ」

「ヴィータちゃん......」

 

 俯いて拳を握りしめていたヴィータが、声を震わせていた。

 ヴィータは、ローガンのことを歳の近い弟分のように接し、そして彼の優しさに一番影響を受けていた。事実、シグナムたちが驚くことに、あの刺々しかった彼女が、年相応の笑顔を見せるようにもなっていた。

 そんな彼女が、少年を傷付けられて......穏やかでいられるはずが無いのだ。

 愛機グラーフアイゼンを握りしめたヴィータは、その鈍器をひこずらせながらゆっくりと歩き始めた。

 

「ちょっ......ヴィータちゃん、どこ行くの?」

「あいつのとこだよ......あの野郎、ぶっ殺してやる......!」

 

 そのただならぬ殺気に焦ったシグナムと人間形態となったザフィーラは、弾かれるように彼女を取り押さえた。今ここで反抗なんてすれば、この後じぶんたちだけでなく、ローガンさえもどうなるのか分かったことではない。

 

「離せよシグナム!ザフィーラ!彼奴は......彼奴は!!」

「落ち着けヴィータッ!こんなところで主に反抗すれば私たちの存在だけでなく、ローガンの生命さえ危ぶまれるかも知れないんだぞ!」

「そうだ。主アルベルトは、我々が闇の書を完成させると同時に、不要になったローガンを殺す。我々が反逆し、蒐集されれば......最悪の結末になる」

 

 2人の必死な説得に、涙を散らしながら退かせようとしていたヴィータがうめくように声を絞り、力なく地面に座り込んだ。愛機は、手元から離れていた。

 

「何でだよ......こんなにも優しいローガンが......こんな仕打ちだなんて......」

「......」

 

 言葉を返すことは、出来なかった。

 あの笑顔を思い出す。なにか悲しいことがあったり、気分の良くなかったりした時は、いつもあの柔和な笑顔で慰めてくれた彼は、今はシャマルの腕の中で苦痛を耐えている。

 アルベルトは、何か良からぬことを企んでいるに違いない。闇の書を使って、そしてローガンを巻き込んでまで......世界を、ひっくり返そうとでも言うのか。

 守護騎士は、あくまでも闇の書の主の従属だ。簡単には刃向かえない。けれども、今の彼女たちには......そのための大義や理由は、十分すぎるくらいあった。

 たった一人の、それもどこにでもいるような、幸せな人生を歩むはずだった少年のために......絶対服従の主に反旗を翻す。まさに、本望じゃないか。

 だけれども......それは、出来るはずがなかった。

 意図してかは分からないが、少なくとも今それをやってしまえばローガンがどうなるかは神のみぞ知るところ。闇の書の主に選ばれるほどの実力者であるのなら、その力も強大であるはず。もしかすると、守護騎士たちが束になってかかっても倒せないかもしれない。1人の時はなおさらだ。

 もし、失敗すれば......シグナムたちは消され、全ての発端となったローガンも殺されてしまうに違いない。感情で行動するには、あまりにもリスキーすぎるのだ。

 

 

 

 それから何日間。虐待にも似た身体実験は続いた。

 実験室の前を通る度に、少年の苦痛に満ちた悲鳴と母親の静止を呼びかける悲鳴が廊下を共鳴させているのが耳に入った。

 その声を聞く度、何度も何度もその扉を蹴破って中にいるアルベルトを切り裂きたいという衝動に狩られた。 あいつさえいなければ、ローガンは助かる。そうは思えど、行動に移すことは無かった。

 屈辱だった。

 彼女たちに本来あるはずだった騎士としての誇りは、その声を聞く度に磨り減っていった。

 あの日、星空を共に見た時のことを忘れはしない。あの時、ずっと一緒にいると約束した。彼を裏切りたくは無かった。

 ボロボロになって、まるでゴミのように檻に投げられたローガンをシャマルが治療し。それを見計らってまた連れていかれ、帰ってくれば治療する。

 悲劇のイタチごっこだ。

 アルベルトは、ローガンが怪我や病気になれば必ず治療することを逆手に取ってそれを繰り替えしているに違いない。事実、日に日に頻度は上がり、多い時は5度も実験を繰り返した。

 ......自分たちが彼にしてきたことは、間違いだったのだろうか。

 将来、ローガンがもう一度幸せな暮らしができるように彼を支えてきた。自分たちが助けられたように。彼とともに過ごしたあの日々は、守護騎士たちにとってかけがえの無い日々だった。

 そして、今彼は......何の大義名分もない実験のモルモットにされ、心を裂かれ、体を壊されている。それが、耐えられなかった。

 少し前まで、彼は本当に幸せな生活をしていた。

 それを、自分たちのせいで壊してしまった。

 そして、今の彼はこうして地獄のような日々を送っている。

 これはひとえに、自分たち守護騎士のせいなのではないのか。

 

 

 

 真冬並みの寒さになり始めた。

 暦では、今は12月の後半ぐらいだったたろうか。ついこの間まで降っていた雨は、今は大粒の雪となって大地に降り注いでいた。広大な緑の草原は、今となっては真っ白な絨毯となってそこに鎮座している。

 その日はたまたまアルベルトが館にいない日だった。蒐集から帰投したシグナムたちは、真っ直ぐに地下牢に向かった。

 昨日までの実験のせいで、まだ苦痛が和らいでいないはずの彼は、今まで鳴りを潜めていた病気を併発し、かなり衰弱していた。牢の中で、ローガンは熱っぽく荒々しい息と共に蹲っていた。

 4人で彼の前に跪く。こちらに気づいた彼は、重たいはずの体をこちらに向けて、苦し紛れの笑みを作った。

 

「ローガン。大丈夫ですか?」

 

 どう見ても大丈夫ではないのは分かっていた。けれども、それ以外に言葉は見当たらなかった。

 それでも、ローガンはシグナムに手を伸ばし、「大丈夫だよ」と声を紡いだ。その様子に......泣き叫びたくなるのを必死に堪えた。

 

「すごい熱......待っててね、すぐに治療するから」

 

 檻のなかからローガンを抱き上げたシャマルは、すぐに魔方陣を展開した。匂やかな光を放ちながら、ローガンの小さな体はすぐに光に包まれる。

 

「......ごめんね。僕がこんなだから、迷惑ばかりかけて」

「それは、ついこの間も聞きました。安心してください、迷惑に思ったことなど、1度もありませんよ」

「そっか......ありがとう」

 

 アルベルトの実験が激化し、ローガンが病気を併発してから......彼は毎日のように、うわ言のように、まるで機械のように如くその言葉を繰り返し......同じ返事を繰り返した。

 その瞳には、もう覇気は無かった。

 心身共にボロボロになった彼は、既に人としての精力さえも崩されていたのだ。

 ......しかし、シグナムは彼が弱音を吐いたところは見たことがなかった。

 辛いはずなのに。苦しいはずなのに。このローガンという少年は、必要以上に誰かに苦労を掛けることを嫌っている。たとえ、自分がどんなに苦痛に顔を歪めようとも。

 そんな彼を、シグナムたちはもはや見ていられなかった。彼に見えないところで、皆一様に涙を流していた。

 

「......辛くは、ないのですか?」

 

 上ずりそうになる声を抑えながら、シグナムは彼に本音を明かした。

 あれだけのことをされておいて、ローガンは本当に何も思っていないのか。そんなはずはない。だって......何かを耐えている時の彼の表情は、その苦痛が自分にも理解できるほどに、悲痛なものだから。

 ここで、本当のことを言って欲しかった。

 この辛い虐待にはもう耐えられない。苦しい。助けて。

 その声を聞けば、シグナムはすぐさまあの非道な主の元に駆け、レヴァンティンをもって叩き斬っていただろう。自分がどんな汚名を背負うことになろうとも、シグナムの中に僅かに残った騎士としての誇り、名誉が傷つけられようとも、彼を地獄に突き落としてしまった者としての落とし前を付けるつもりでいた。

 ......しかし、ローガンはそんなことは言わなかった。

 

「大丈夫。心配しないで」

 

 一体、どうしてそんなことが言えるのだろうか。

 彼の体と精神は、ボロボロに痛めつけられて、もう限界を迎えていてもおかしくないはずだ。さらには病気まで併発し、その苦痛は何倍にも膨れ上がっているはずなのに。ローガンは、このまま実験を続けられれば命がないことを知らないのだろうか。

 ......否。彼は、分かっているのだ。ここで音を上げてしまえば、シグナムたちがアルベルトを殺し、自分を救ってくれることを。

 だからこそ、彼は決して弱音を吐かない。たとえ、その先に救いがあっても。

 

「ローガン......」

「シグナムたちが、僕のためにいろんなことをしてきてくれているのは知ってる。あの男にモルモットのように扱われる間に、シグナムたちが何とかしてあいつを止めようとしてくれているの、知らないわけ......ないじゃん」

 

 辛そうに放つその言葉にいち早く反応したヴィータが、ローガンのもとに詰め寄る。

 

「じゃぁ、どうして?助かるかもしれないんだぞ!私たちがあいつを殺せば、お前は一生幸せに暮らせるかもしれないんだぞ!」

「僕は......そこまでして、幸せになりたくはないな」

 

 穏やかに答えたローガンは、顔を近づけているヴィータの頬に着いた大粒の涙を、震える指で払い除けた。

 

「確かに......僕が失った暮らしは、何にも変え難いくらいに幸せだった。今にも......あの時の夢を毎日見てる。また、父さんや母さんと一緒に、あの家で暮らしたいって思ってる。でも......それはもう、出来ない。

 失った過去は、もう二度と手に入れることは出来ない。そして、僕が一番の幸せと感じる時は......僕の愛した家族と一緒にいること。あの時を超える幸せは......もう、無いんだ」

 

 ......また、あの時の目だ。

 全てを諦めたような、悲しみに沈んだ瞳が、シグナムやヴィータの心を刺した。

 それじゃあ、今まで自分たちがしてきたことは何だったのだろうか。彼の未来のために、ずっと支えてきた。その努力は、無駄になったのか。

 

「......じゃあ、夢でもいいじゃんか」

「夢は、叶わないから夢なんだよ。追い求める夢は、目標。今目の前にある現実から、僕は逃げたくないんだ」

 

 ザフィーラを撫でながら、ローガンはそう口にした。苦し紛れの言葉を切り捨てられたヴィータだけでなく、シグナムやシャマルにも......頬に、熱いものが流れた。

 道は、無いに等しかった。

 全てを奪われた少年の歩くべき道は、崩れた時が最後だったのだ。足元を掬われた彼は、最後には......落ちるしかない。

 それはすなわち......少年の、確実な死を意味していることを暗示していた。

 頬を熱で紅く染めた少年は、苦笑を浮かべると、口の端を僅かに上げた。

 

「外に、連れていってくれないかな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外では、粒の大きな雪が視界を覆い尽くすほどに落ち続けていた。歩く度に踏みしめられる地面からはギシキシと音が鳴り、確かな足跡をのこした。

 雲に覆われ、夕方になって暗くなりつつあった空は白く、吐く息もまた白い。この冷たさで、空気もいつもより澄んでいる気がした。

 シグナムの上着を1枚借りていたローガンは、シャマルの腕の中から空に手を伸ばし、誰よりも真っ白な息を吐いた。

 

「こんなにも大きな雪は、初めてかも」

「......向こうの世界でも、雪はあったんですか?」

「うん。毎年のように降ってきては、庭先に積もってね。雪掻き、大変そうだったんだ。それで、たまに体の調子が良い時にはこんな感じで外に連れ出してもらって、遊んでたんだ」

 

 懐かしむように手を剃り合わせると、ローガンはその黒い瞳を細めた。

 その仕草は、その歳には全く不釣り合いな程大人びていた。

 

「......二週間前、ここで一緒に空を見たの、覚えてる?」

「ええ、もちろんです」

「あんな綺麗な空、一度見たら忘れねぇよ」

 

 それを聞いて、少しだけ嬉しそうに笑ったローガンは、雪の大地にゆっくりと下ろしてもらった。

 彼が座り込むと、同じく冬用のコートに身を包んだシグナムたちは彼を囲むように座った。ザフィーラは、ローガンの背中を温めるように寄り添った。

 

「......僕は、父さんのように、優しくて強い魔導師になりたかった。一族が、ずっと狙撃手の家系で......その歴史は、古代ベルカのときからずっと続いてるんだ。父さんは選りすぐりのプロで、とても優秀な魔導師だった。

 家にいる間はとっても優しい父親として接してくれて。でも仕事に出れば誰にも尊敬される魔導師として。とても忙しかったんだけど、それでも僕に精一杯の愛情を注いでくれた」

 

 少年は、雪の降る空を力のない瞳で眺めていた。

 

「ある時、父さんが教えてくれたんだ。昔から、御先祖様が伝えてきた言葉を。

『大切な者は、命を掛けてでも守り抜け』

 それを体現したように、父さんは......あの日、僕を守ってくれた。戦うよりも、僕を助けることを優先して。

 僕の夢は、多分もう体現出来ない。父さんのように、優しくて強い魔導師になんて......もうなれない。あの実験が佳境に入って、もう完成に近づいてる。あれが完成するとき......僕は、多分この世にはいない」

「それは......」

 

 違う、とは言いきれなかった。

 あの男は、自分の用事が済めば今まで使ってきたものを簡単に捨ててしまうような男だ。自分の私利私欲のために他者を切り捨て、あるいは吸収して私腹を肥やしてきたアルベルトにとって、ローガンは実験のためのモルモットにしか過ぎない。

 完全に否定出来ないことが、余計にシグナムを思い留めさせた。

 

「......少しだけでもいいんです。私たちに、言葉を掛けてください。それさえあれば、私たちは主アルベルトに反旗を翻すことができます。あなたを、救うことだって出来ます」

 

 薄く涙の張った顔を向け、必死に訴えた。ローガンは、柔らかな笑みと共に、ゆっくりと首を振るのだった。

 

「もう、いいんだ。この先僕がどうなっても、シグナムたちには迷惑は掛けたくない」

「どうして、そんなにも内に抱え込むのですか!私たちが同行言える立場でないのは重々承知しております。ですが、貴方が望めば、それだけあなたの行くべき道は開けます。どうか......諦めないで下さい」

「シグナム......貴女の優しい気持ちはいつも僕に元気をくれる。だけど、それをすればシグナムたちが死んでしまう。貴女たちは、僕の『大切な者』なんだから」

「それは、私たちも......」

 

 シグナムの言葉を、ローガンは手で制した。

 

「シグナム。シャマル。ヴィータ。ザフィーラ。貴女たちは、僕の『大切な者』だ。でも君たちは......ハンニバル家の人間じゃない。この言葉を受け継いでいいのは、ハンニバル家の人達だけだ。僕のために貴女たちが死ぬのなら、僕は......もう生きる意味が無くなる」

 

 ザフィーラの背中を撫でたローガンの頬に、僅かに光が反射した。

 

「......ねぇ。『クリスマス』って知ってる?とある世界での伝統行事の」

「......申し訳ありません」

「ま、当然だよね。管理局の管理のされていない世界の行事だから」

 

 頬を拭ったローガンは再び空を見上げて......そのクリスマスについて知っている限り全てのことを話した。

 色とりどりのイルミネーションが飾られること。

 思い思いのプレゼントを交換し合うこと。

 家族と共に過ごすこと。

 そして......その前夜が、『聖夜』と呼ばれること。

 

「あと2日すれば、12月の24日。つまり、聖夜(クリスマスイヴ)が訪れる。その次の日がクリスマスで、人々はその前日から家族と集まって団欒するんだって」

「......楽しそうなイベントですね」

「雪が降ると、もっと幻想的になるのでしょうね」

「そ。だから、家族で聖なる夜を過ごして年越しを待つんだ」

 

 本で少し見た内容だったが、その楽しそうな内容に心を踊らせて父親にクリスマスをやりたいとせがんだことを思い出し、苦笑するローガン。

 結局のところ、父親が知らなかったので却下され、その代わりに1日を家族と温まって過ごした。

 クリスマスというものがどんなものか。少年は、まだ知らなかったのだ。

 

「......1つ、約束をしてもいい?」

「何でしょう。我々に出来ることであれば、何でも致します」

 

 口の端を穏やかに上げたローガンは、騎士たちに体を向けた。

 

「明後日、実験が無事に終わったら......みんなで聖夜を過ごして、クリスマスを楽しもうよ。豪華な食事も、絢爛なイルミネーションもいらない。みんなで集まって......闇の書とも、一緒に」

 

 最近見るかとのなかった、とても楽しそうな笑顔で少年は両手をすり合わせた。

 

「もちろん、プレゼントも用意して。そうだね......僕は、楽しい1日を。そしてみんなは......僕に、“一番綺麗な思い出”を。どう?」

 

 シグナムたちは、理解していた。この少年が欲しているもののことを。

 彼に見えないように、拳を強く握った。こんな悲惨な運命を辿らせてしまった自分たちが心底情けなかった。あんなにも辛い思いをさせ、あんなにも苦しい経験をさせ。そして、結果として......こうなってしまった。

 誰も、それに反論することは、出来なかった。

 

「......はい。我ら守護騎士、命に変えてでも......貴方との約束を果たします」

 

 その言葉を聞いて、満足げに目を細めた少年は、闇への一歩をまた辿った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リンディから全てを聞き終えたなのはとフェイトは、言葉を失っていた。

 だって、あんなにも優しくて、エレンや部下達と共に楽しそうに過ごしていたローガンが、そんなにも悲惨な過去を背負っていたなんて、一体誰が予想出来るだろうか。

 

「アルベルト家の人間からの事情聴取でハッキリしたことは、ローガンはその日まで何かの人体実験をされていたということ。でも、その実験が何なのかまでは分からなかったのだけれどもね」

「後の精密検査では、リンカーコアにちょっと特殊な影があっただけで何の問題もなかったんだ。一体何が行われていたのか......それを知ってるのは、アルベルトだけだ」

 

 暗い面持ちで語るクライドは、青い制服の上着を脱ぎ椅子に掛けた。

 彼も、その結末には納得していないらしい。

 それもそうだ。非人道的な人体実験がされていたという証言はあるのに、その証拠がない。ローガンの受けてきた仕打ちを証明するものは、一切残されていなかったのだから。

 

「ローガンは......闇の書事件のせいで、多くのものを失いすぎた。あの守護騎士たちでさえも、彼にとってはかけがえの無い友人だった」

「その穴を埋めるために、私たちは努力してきたのだけれど......結局は、無駄に終わってしまった。彼は、もう......」

 

 ふと、なのはとフェイトは、ローガンとエレンの残した辞表に目を落とす。そこに書かれている一言一言は、彼女たちの心に深い感銘を残した。

 彼は、一体どんな気持ちで。どんな思いで、この闇の書事件に立ち向かっているのか。どうして、そんなにも1人で終わらせたがっているのか。

 心に決意を決めた2人は、一度顔を見合わせた。

 

「リンディ提督。クライド提督。私は、ローガンさんがお2人から受けたものを無駄だとは思っていないと思います」

「あんなに優しいローガンさんが、そんなこと思ってるはずがありません」

 

 2人が思い出したのは、初めて守護騎士たちの襲撃を受けた日のこと。リンディが襲撃されたときのこと。そして......彼が重傷を負った、あの日のことだった。

 なのはには、立ち向かうことの勇敢さを、フェイトには、自分の存在意義を解いてくれたあの青年は、今は自分自身のツケを精算するために動いている。

 

「私たちは、ローガンさんに助けられたままで、まだ恩返しもしていません」

「受けた優しさは、優しさでもって返す。あの人は、そうしてきたはずです。だから......そんな悲しいこと、言わないで下さい」

 

 驚きの表情を見せるリンディとクライド。なのはとフェイトは、自信に満ちた笑みを浮かべていた。

 

「......まさか、あなたたちにそんなことを言われるとは思ってなかったわ」

「そうだな。......君たちを見てると、一昔前の彼を思い出すよ。挫けてはいられないな」

 

 立ち上がった2人は、壁にかけて合ったローガンの写真をとると、懐かしそうに口の端を上げた。

 

「1人で、解決させはしない」

 

 そう呟いたクライドは、もう一度、なのはとフェイトに振り向いて、気を引き締めた。

 

「二人とも......ありがとう。少しだけ弱気になってたみたいだ」

「いえ。これから、大変な時期に入ります。お2人にそんな弱気になってもらっては、みんなが心配します」

「そうだな。すまない」

 

 笑いながらクライドが言う。

 ふと、フェイトは時計を見た。時刻は、午後4時41分程を刺していた。

 ......約束の時間まで、あと19分だ。

 

「どうか、したのかい?」

「いえ......今日は12月24日、クリスマスイヴですよね。すずかちゃんの友達の家で、クリスマスイヴを祝おうってことになってたんです」

 

 なのはが説明すると、あらあら、とリンディは口を覆った。

 前々からすずかと面識があった足の不自由な友達が、一緒にイヴを祝わないかと誘ってきてくれたのだ。それを聞いたすずかが、友達を誘うことを提案すると快く受け入れてくれたのだ。

 少し早めのクリスマスプレゼントも用意してある。準備は万端だった。

 

「それじゃ、行ってらっしゃい」

「はい、ありがとうございます」

 

 急いで出ていく2人を見送ると、クライドだけは......壁のカレンダーを見た。

 

 そこには、確かに12月24日と書かれてあった。

 




作品の質向上のため、評価お願いします。今後の活動の参考にします
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