1.
視界内に入り込むのは、見るも無惨に破砕された街の一角と、そこを埋め尽くすかのように表面をコーティングした紫色の、まるでアメジストのように美しくも毒々しい鉱石だ。
空から降り注ぐ雪の粒たちと、街灯の温かな灯りがガラス質の鉱石を介して乱反射し、その辺り一帯を怪しく照らしている。
肩を上下させながら車の影から飛び出すと、ローガンはそこにいた『そいつ』にAMR-15の巨大なアギトを向ける。
「よしっ......!」
撃針が50口径弾の信管を叩く音が妙に静かに感じた。
車の影に隠れながら引き金を引く。爆音と共に放たれる12.7ミリの巨弾は、そこにいた漆黒の巨獣の頭部に間違いなく着弾したはずだが、聞いたこともない金属音と共に火花が散る。
「硬い!」
反撃よろしく、その禍々しい生物は口から何かを吐き出し、慌ててそれをローガンが避ける。あの鉱石を一瞬で生成し、こちらに吹き飛ばしているのだ。
すぐそばにあったもう1台の車に突き刺さるそれは、フロントのエンジン部から突き抜けて簡単に貫通。後ろの壁を深々と抉りとって砕ける。
ナハトヴァール。目の前に悠々と鎮座するそれを、ローガンは睨みつけた。
本来は『夜天の書』と呼ばれていたストレージを闇の書たらしめるり理由あり、その主や管制融合騎、守護騎士たちを苦しめ、そして世界を破壊しながら永遠に無限転生を繰り返す要因であるナハトは、アルベルトの行った実験によって歪に変異していた。
真っ黒な、大型の生物というような外見。言語で表現するのもはばかられるほどに凶悪な頭部から突き出た2本の角は黒く、首元からその長い尻尾にかけて背筋を沿うように生えているのは放電機関か。
背中にはまだ未成熟であるかのように小さいが、2対の真っ黒な翼が。
4足で地を踏む神々しくも禍々しいそれは、本来のナハトヴァールの姿ではない。
11年前にアルベルトが行った実験によってさらに改編が行われたナハトは、その機能の半分をローガンに明け渡していた。元のナハトとローガンの中のナハトがどうしてか繋がっており、ナハトはローガンの心の闇を食いあさり、このような変異を遂げたようだ。
もっとも、この変異ナハトヴァールがとんでもなく厄介な生物に成り代わったということは、ローガンにとって脅威が増したことになる。
ハードな戦いになりそうだということは、言うまでもなく。
「やるな......これは骨が折れそうだ」
体に電気を纏わせて突進するナハトを跳躍して避けると、先ほど隠れていた車の上に降り、しゃがみ姿勢でライフルを構える。
距離は60m。狙撃というには近すぎる距離で引き金に指をかける。狙いは、後頭部。
爆音。様々な部位に組み込まれた反動軽減装置(ARSS)が50口径特有の馬鹿みたいに巨大な反動の何割をも狩り去り、ビルとビルに挟まれて乱反射を起こした銃声が鼓膜を破ろうとする。
放った弾は狙い過たず、ナハトヴァールの後頭部に直撃。火花が散った。
「あれでも弾かれるのか......いや」
ナハトが悲鳴を上げて前足を大きく上げたのを見て、内心ほくそ笑んだ。
確かに弾は弾かれた。だが、50口径の弾の威力はコンクリート壁を粉砕し、魔法シールドも貫通させる威力を有している。そんな弾が当たれば、貫通せずともダメージは加わる。
「チマチマやってくしか無さそうだな」
そうと分かれば、今度からは積極的に頭を狙い撃ち、確実にダメージを与えるのが得策だろう。
こちらを向いたナハトの頭に照準を合わせながら不敵な笑みを浮かべると、引き金に指を掛けた。
背筋を冷たい指でなぞられたような感覚に身を震わせたのは、その瞬間だった。
ナハトの口元が一瞬金色の光に覆われる。身を捻ったその時、その光から放たれた槍のような金色の玉が自分の体が先程まであった場所を通過していく。もしあのまま突っ立っていれば、今頃紫色に怪しく光る地面の上で赤い花を咲かしていたことだろう。
驚きに、ナハトの放った魔力弾を注視した。その弾丸に、見覚えがあった。
金色の魔力光。高速で飛来する槍のような形の弾丸。間違いなく、フェイト・テスタロッサが使っていた遠距離攻撃魔法だった。
......厄介なのが出てきたな。
ナハトヴァールは、あの見た目で魔法まで使ってくる。それも、今まで守護騎士たちが蒐集してきた魔導師が持っていた魔法を。
となれば、やはり......他の魔法も使えるに違いない。
「......まじかよ」
注視していたことが幸いした。ローガンの目は、ビルの隙間を縫うように方向変更した弾丸がこちらに向かってきてるのをしっかりと捉えた。
当たる寸前に回避。ターゲットを見失った弾は追尾を誤ってビルに着弾。爆発し消滅。
だが、思い出したようにナハトヴァールに目を移すと......
「不味い!」
咄嗟に地面を蹴り、すぐそばにあった背の低いビルの屋上に飛び移る。ナハトヴァールが、鉱石を飛ばしてきたのだ。
再びライフルを構え、今度は上から撃ち下ろす形でヘッドショットを狙い、十字線にターゲットを合わせる。
立て続けに2回トリガーを引く。排出された薬莢がコンクリートの上に落ち、軽やかなメロディーを奏でる。
着弾。やはり貫通とまではいかなかったが、頭を強烈に揺らされるのはナハトヴァールとて愉快なものでは無いだろう。
苛立ってきたのか、ナハトは翼を広げながら咆哮を上げる。地面が響き、空気が震え、一種のハウリングを起こしたように唸りを上げる。
耳を塞ぐほどではなかったが、ローガンの動きを止めるには......充分過ぎた。
気づけば、足元から尋常でないほどの魔力が生成されていた。
「......うっ!?」
そこを飛び退く。コンクリートを突き抜けて、紫色の鋭利な先が凄まじい勢いで飛び出した。反応が遅かったら、間違いなく串刺しだ。
状況は、あまり芳しくなかった。
貫通出来るはずと踏んだ弾丸は弾かれ、相手の攻撃は自分やなのは、フェイトの魔法を応用して練られたもの。1度攻撃を受ければ予測は不可能ではないので回避が出来るとはいえ、所見ではなかなかに無理がある。
管理局に居た時に行った模擬戦のことを思い出しながら戦わなければならなさそうだ。
「ショートヤードだな!」
もう一度向かい側のビルまで移動し、もう一度、今度は奴の頭の逆側から角の破砕を狙ってみる。
狙い誤たず、弾丸は角の根元に1発着弾。衝撃に耐えきれなくなった真っ黒な尖角が、バキッとこの距離でも聞こえる大きな音と共に吹き飛んだ。
思わず、よし、と小声で喜んだのもつかの間。
ローガンは、目を疑う光景を目にしてしまっていた。
呻きながら身をよじらせていたナハトヴァールが急に動きを止めた。と思った瞬間に、口元に何やら桃色の光に包まれた球が現れ、そこに空気が吸い込まれていくのが見えた。
ヤバイ。五感の全てが、それがとんでもないものだと告げていた。
目に見えて、それが凄まじい魔力圧縮だと分かる。
やはり何処かで見たことがあるのか......そんなことを、考えている暇すらもなく。
......ビルの屋上から飛び降りた瞬間、先程まで自分がいた場所を光の奔流が削り取っていた。
「やはりあれは、なのはのディバインバスター!」
浮遊感に包まれながら、曇天を貫く槍を眺める。
あの破壊力も、蒐集によって再現可能なのか。あれを喰らえば文字通り一溜りもない。影も残らず消滅するかもしれない。
その一瞬の思考が、大きな隙となった。
背後から風を切る音が聞こえたと振り返り様にホルスターからHG-45を抜いて“それ”にむけて引き金を何度も引いく。
ナハトの放った鉱石弾3発。その全てに殺傷設定の施された45口径弾はヒットした。しかし......ナハトヴァールは、ローガンが考えているよりも、もっと賢い『闇』なのだと思い知った。
「なっ......!?」
着弾と同時に、爆音が響いて耐え難い激痛とともに体を激しい衝撃が襲う。
信じられないことに、ナハトヴァールはローガンの魔力弾を応用していたのだ。
くの字に吹き飛ばされ、さっきまで上にいたビルの中、3階の壁を巻き込みながらオフィスのような空間にゴミのように転がった。
机が壊れ、粉塵が飛び交う。後頭部を何処かで強打したのか、ガンガンと響く鈍痛に頭を抑えながら起き上がる。
「やりやがったなあいつ......」
黒い野戦服の表面は何箇所も破れており、切られた地肌も生々しく見えた。
腹部に刺さっていた刃物のように薄く尖ったあの鉱石の破片を歯を食いしばりながら抜き取ると、タイルのような床に大量の血液が飛散する。ズキズキと痛むが、縫合している暇は無さそうだ。
弁償代いくらになるのかな、とどうでもいいことを考えながら止血のためにポーチから布を取り、巻きつけようとした......が、敵はそれすらも許してくれそうにない。
思わず身を竦ませたくなるほどに恐ろしい悲鳴にも似た鳴き声と共に、ナハトヴァールがオフィスの壁にしがみついてきたのだ
「しつこいぞ......!止血くらいさせろよ」
言いつつ焦ってその場をスライディングでオフィス奥まで滑ると、オフィス内を、ナハトの黒くしかし電気を帯びさせたその巨大な爪が壁ごと中を削っていく。
「......まじかよ」
ライフルを背負い、まだ出血の止まらない腹部を先ほどの布で抑えながらオフィスの中を疾走。それを追いかけるかのように、ナハトは器用に壁を伝いながらこっちに顔を向け、鉱石を何発も撃ってくる。
壁が貫通しガレキが吹き飛び、粉塵が視界を覆う。相手もこちらが見えないのか、それともこちらが速いのか、鉱石はほとんどが背後を通り抜ける。
目の前に現れた扉を蹴破り、ライフルの銃口を引っかからないように潜ると、正面に一面のガラス窓が。
......やるしかない。
砕かれた木片やコンクリート片を掻い潜りながらHG-45でガラスを丸くくり抜き、そこから顔を守りつつ飛び出した。
粉々になったガラス片と共に宙を舞う。そこには、自分を締め付けるものは何も無かった。
隣のビルの壁を掴みながら地面に降り真っ赤に染まった布を捨て、ライフルを手に取った。もう止血をする暇すらない。
決着を、早くしなければならない。
嘲笑うかのように、ナハトヴァールは目の前にいた。爪を、ローガンにむけて振りかぶりながら。
嗚呼、このままではあの爪に引き裂かれてしまう。そこにあるのは、死しかない。それはすなわち、彼女たちとの約束を守れなくなる、ということ。
ナハトヴァールの腕の動きが、緩慢に見えた。スローモーションのようにゆっくりと、狙いは正確に。
「......エレン」
『了解』
一言、“オープンにされていた”小型無線に呼びかけると、ナハトヴァールは唐突に横に吹き飛ばされていた。
1秒ほど遅れて、今しがた放たれたであろう50口径リモートスナイパーの銃声というのもはばかられる爆音が2つ、耳に届く。音の間隔から距離にして約850m。狙ったのは胴体。体重のバランスを崩せる絶妙な位置への精密狙撃だ。
撃った場所は、恐らくここから一番近い6番機銃。そこにいるはずのエレンの方に顔を向ける。
「......いい腕だ」
『ありがとう。これでも、お前とは長い付き合いだから
な。お前が何処にいるのかなんてすぐに分かる。どんなに離れててもな』
「心配かけさせたな。すまない」
『いつもの事じゃないか』
おどけた様に言うエレン。その声は、少し細かった。
『でも......もう、私の前からいなくならないでくれ。お前はいつも1人で抱え込む。私にも、出来ることくらいあるんだから』
「......そうだな」
言うと、もう一度ライフルを構えた。彼女もまた、彼と同じ運命を辿る。ローガンの良き友であり、良き相棒であり、唯一の良き理解者。彼女にしか、理解出来ないものもある。
この数日間、ローガンを探すために様々なことをしてきたのだろう。やつれ、声が変わるほどに精神をボロボロにしながら。会えないのではないか、と思っていたのかもしれない。唯一彼女が得ることの出来た情報は、ローガンが生きていることだけだ。それだけを頼りの綱にして、ずっと世界をさ迷っていたに違いない。
思えば、彼女には苦労ばかり掛けさせてきた。まあ、主従関係を超えた行為は度々あったが、それでも、彼女はローガンを精神面を支えるだけでなく、体の方もちゃんと心配してくれた。昔ローガンが彼女に与えた恩は、そういった所でちゃんと返してきてくれた。
ここからは、その恩とは無関係に彼女の意志で戦うことになる。もう迷惑を掛けたくはないと思っていたが、どうしても......こうなるのだ。
長い間......それでも守護騎士たちよりは短いが......ずっと、共に過ごしてきた。あの日々のことを思い出すととても名残惜しいが、それでも......目の前にいるナハトヴァールはもう立ち直って体制を立て直している。全てを終わらせるまで、立ち止まることは出来ない。
「援護頼むぞ、エレン」
『勿論だ』
心強い言葉を聞き届けると、ローガンはライフルを再度構える。その重たさは、のしかかるようで心地よい。雪が絶え間なく地を濡らす。
冷気に飲まれて、ナハトヴァールはそこにいた。十字線をナハトヴァールの頭に合わせる。彼我の距離は狙撃と言うには近い。しかし、それでいい。
その最後を、見届けるには。
「行くぞ、ナハトヴァール!!」
引き金を、引く。
「......ロー兄、大丈夫なんかな......」
頬に落ちた雪を細い指で弾きながら、シグナムに抱かれたはやては呟いた。
遠くから絶え間なく聞こえる爆音にも等しい銃声と爆発音を聞いていると、聞き慣れないその爆発に過剰に反応してしまい、余計に不安になってくるのだ。
「......どうしたの、はやてちゃん?」
その言葉を聞いたなのはとフェイト、そして他の守護騎士たちが周りに集まってくる。
シグナムも、キョトンとした目ではやてを見つめていた。
『俺、強いから』
ここを飛び降りる直前に、ローガンが笑顔で言った言葉。
彼の背中からは、確かに常人には纏えない、強者の雰囲気が滲み出していた。強い、というのがどんな意味の強いなのから分からないが、彼の言ったことに間違いのようなものは感じなかった。
代わりに、どうしてもぬぐい去れない不安のようなものがはやての心を覆っていた。
闇の書事件。その言葉の意味と説明は、後ろで怪我の治療をしているなのはとフェイトから聞いている。その過去と、シグナムたちが行ってきたこと......そして、今まで通訳として働く外国人のお兄さんだった、ローガンのことも。
彼が過去にどんな生活を強いられてきたか。そして今彼が背負っているもの。一般人なら体験することは絶対にないような、まるでアニメや漫画に出てくる悲劇の主人公のような境遇で、この世の地獄を味わってきた彼。
少し前に言っていた、『夢は叶えられないから夢』という言葉に不思議と納得がいった理由も、それなのだろう。
誰にも理解されることなく、しかし挫折や絶望することすらなく、守護騎士たちとはやてを助けるためにずっと生きてきた彼は、今何を見て戦っているのだろうか。
「ローガンは、私が今まで対峙してきた魔導師でも指折りの凄腕です。彼なら、余程のことがない限りは大丈夫なはずです」
「......」
その言葉を聞きながら、嘘だ、と心に思った。
確かに、シグナムたちは彼と一度ならず何度も戦ってきているのだろう。今まで“戦う”という概念すら無かったはやてには、理解するに難しい感情を抱いているはずだ。
しかし......だからこそ、はやては見逃さなかった。
シグナムの手が震え、大丈夫と言う割には表情に緊張が見られるのを。
「......心配、なんよね」
「......」
「私も。だって、あんな激しい戦いになっとるのに、大丈夫なんていう保証、どこにもあらへんからな」
「......ですが、私たちには、何もできません。ナハトヴァールに奪われた魔力は、時間が立たねば戻りません」
寂しそうにそう言うシグナムの目元には、うっすらと涙の膜が張っていた。
「......このままで、ええんかな」
雪を降らす曇天の空を見上げながら、はやてはため息を吐く。
シグナムたちのため、そして自分のために命を賭けて戦っているローガンを、こうしてただ見ているだけで良いのか。
誰にも傷ついて欲しくない。そう思うと、心にモヤモヤとした霧のような煙のようなものが取り巻く。
その思い。それを選んでしまえば......はやてにとって、『とても辛い』ことになるのは明らかだろう。一般人なら、避けて通りたくなるような過酷な道。
この思いと衝突するその思いは、一体何だろうか。複雑に絡み合う釣り糸のように、はやての思考は絡まり始めた。
「......いずれにせよ、我々には何も出来ません。魔力は奪われ、高町とテスタロッサは負傷と消耗で動けない。そのまま彼の元へ出向けば、私たちの危険と同時に、彼の行動を規制させてしまいます。そうなれば、いくらローガンとてどうにもならなくなります」
「でも......」
シグナムの言い分ももっともだ。
先ほどローガンが自分たちをここに残して行ったのは、ひとえに自分たちのためではない。戦闘の邪魔になるのは後免だ、ということも恐らくあるのだ。
優しい彼が何処までそう思っているのかは分からないが、とにかくはやてたちにここにいて欲しかった理由は、恐らくはやてたちが巻き添えになるのを嫌ったからだ。
はやてたちは、彼の腕の中で守られているのだ。戦う力もない自分に出来ることなんて......。
しかし、はやては諦めない。
いつか、なにかの本で読んだ言葉を思い出す。
『奇跡は、奇跡を望む者にしか現れない』
確かに、自分たちには何も出来ないかもしれない。......“今のまま”では。
だけれども、はやては闇の書の主だ。
闇の書の主に選ばれる者は、すごい人だということは知っている。それなら、自分にも......なにか出来るのではないか。
“魔法を使って戦い、ローガンを助ける”ことも。
そう思った時、唐突にはやての胸に言葉が聞こえた。
いや、言葉では無いのかもしれない。なにか、温かくて......心地の良い。まるで、春の高原に吹く匂やかな空気のような。
それは、まさしく......『祝福の風』。
「それでも......私は、ロー兄のもとに行きたい」
「っ......正気ですか!?」
「わたしには、魔導師としての素質があるんやろ?だから、闇の書の主に選ばれた」
「確かにそうですが.....」
唐突なはやてのその言葉に、さすがのシグナムも驚いた。
「言いたいことは分かる。私には、魔導師としての経験も何も無い。どうやって戦うかなんて、全く知らない」
「じゃあ......」
どうして、と言おうとしたシグナムをはやては手で静止させた。何を言おうとしているのか皆目検討も付かないシグナム。
すると、はやては唐突に、シグナムに下に下ろすように伝えた。そして、後ろにいた残りの全員に向けて言葉を放った。
「みんな......聞いて。わたしは、ロー兄......いや、ローガン・ハンニバルさんを助けたい。わたしはロー兄に、色んなことをしてもらった。シグナムたちが来る前に生活を支援してくれたり手伝ってくれたり......家族のように接してくれたのは、ロー兄。わたしはロー兄に、恩しかもらってない。
それなのに......彼は今、かつて共に過ごしたシグナムたちのために、そして、闇の書の呪いに取り憑かれた私のために、命を賭けて戦ってくれてる。わたしは......そんなロー兄のために、なにかしてあげたいんや」
胸の前に手を置く。
なにか、今まで感じたこともないような......なんとも、熱いものがこみ上げてくる。
彼の優しい笑顔を思い出す。辛い時も、寂しい時も......いつだって、彼は自分を励ましたりしてくれた。一緒にいてくれた。
彼が教えてくれたことは、はやてにとって全てが大切であり、ある種のモットーのようなものであり、そして指標でもあった。彼の言葉のおかげで乗り越えられた辛さもある。
今だって、そうだ。もしローガンが夢について教えてくれなかったら、目の前でシグナムたちが倒れているのを見て、絶望し......全てを諦めて塞ぎ込んでいたことだろう。
彼には、恩しかもらっていない。つまりは、そういうことだ。
「もらった恩は、いつか返さなければならない。借りたものを返すように。私たちは、少なくともわたしはまだ......返してない。
借りを返すのなら、今や。確かにロー兄は強いんかもしれんけど、全ての決戦を前に苦戦しとらんはずが無い」
「でも......私たちは、もう魔力も尽きてるんだよ。それにはやてちゃんは......どうやって戦うの?」
なのはの問いかけに、はやては静かに瞳を閉じた。
その胸には、やはり風が吹いている。
その風は、はやてに告げている。
......解き放て、と。
「わたしは、今まで辛いことをぶつける相手がおらんくて、いつも1人で抱え込んでた。時には、死にたくなるほどのこともあった。こんな辛いこと、夢にでもなればいいって。
でも、ロー兄は、その夢を壊してくれた。それは単なる逃避で、いくら逃げても現実は変わらないんだって教えてくれた。
もう......辛いことから逃げるんは、終わりにする。わたしは、私の力で......今まで優しくしてくれた、恩人のロー兄を助ける!」
その時、はやての体を、眩いばかりの黒い魔力光が包み込んだ。あまりの眩しさに、シグナムたちは目を覆う。
三角形のベルカ式の魔法陣が展開され、その中心で......少女の体は、宙に立っていた。彼女の手元には、見覚えのある、古そうな茶色いブックカバーの本が浮かんでいる。
パラパラと音を立てて勝手に捲られたページには、びっしりと古代ベルカ文字の羅列が。
はやてのパジャマが一瞬にして消え去り、幼い柔肌が顕になる。彼女はそれに臆することなく、両手を広げた。
「さあ、おいで......祝福の風、リインフォース」
まだ成長段階の彼女の胸から、光に包まれたリンカーコアが現れ、そして......
光が晴れた。
覆っていた手を下ろした全員が、今目の前にあるその“2人”の姿に驚愕することとなった。
守護騎士たちの主、八神はやて。
その小柄な体躯には黒いインナー、スカート。その上に金で装飾された白い上着。栗色の頭には、その半分を埋め尽くさんばかりに大きな白い帽子が乗っている。
そして、その隣にいる、リインフォースと呼ばれた女性。
紫色のラインの入った黒い騎士甲冑に身を包み、その凛々しい外見をより引き立たせている。黒いドレスに、彼女の銀髪がよく映える。赤い瞳には、力強い心が表れているように思えた。
「これは、一体......」
守護騎士たちの体は、いつの間にか展開されていた魔法陣の上で、彼女たち個々の魔力光に包まれていた。不思議と、心地よい。今まで感じたこともなかったその感覚に、力が底から漲ってくる気分だった。
八神はやて。闇の書の主。そして......守護騎士たちの、主人。
嗚呼、どうして忘れていたのだろう。
我らの主は......こんなにも。
「さあ......行くで、みんな」
魔法杖シュベルトクロイツをかざしたはやて。
その瞳には、かつて見たことのない、心強い炎が見えた。
息が上がっていた。
腕の感覚がもう無い。疲労で、神経までいかれてしまったのか。
足が震え、ライフルを持つ手すらも持ち上がらない。完全に、潰されてしまっている。
酸素が欲しい。体がそう悲鳴を上げるも、肺を動かすほどの気力すらも無くなっていた。酸欠で頭が働かず、視界が霞む。
目の前には、堂々とこちらを睨みつけるナハトヴァール変異体。角が折れ、左翼が吹き飛ばされているにも関わらず、ナハトヴァールは未だに健在だった。
勝敗は、明確に決定していた。
ナハトヴァールが、その右腕を上げてそれを振り下ろそうとする。先ほどビルを砕いていた一撃だ、彼の体を刈り取ることは、造作もないだろう。
......終わりか。
脳裏に、守護騎士やなのは、フェイト、そしてはやての顔が思い浮かんだ。
守りたかった者。やはり、1人では守れなかったのだ。
無線機から、エレンの声が谺する。だけれども、その全てが、くぐもっており、霧のように霧散して頭の中で消えていく。もう、だめだ。
最期に、醜態を晒しながら......俺は、死んでいくのか。もう、全てが終わるのだ。
「終わらせへん!!!」
唐突に、ナハトヴァールが見たこともない勢いで吹き飛ばされ、近くのビルの壁にぶち当たってバウンド。道路に転がっていった。
「ディバイン......バスター!!!」
「サンダー......スマッシャー!!!」
2人の少女の声。ナハトヴァールが起き上がった瞬間、その黒い体を光の奔流が打ちのめした。
光が消えた後、体を妙な浮遊感が襲った。全ての重力から開放されたように、力が抜けていく。何処かで香ったことのある、甘い、しかし心強い匂いが鼻腔をくすぐった。
「誰だ......」
どこかに移動したのだろう。浮遊感が途切れた時放ったその声は、自分にさえも聞き取れていなかった。だけれども......ぼやけながら見えたその人が放った言葉は、脳にこびり付くように離れなかった。その声は、やはり何処かで聞いたことのある女性の声だった。
「助けにきましたよ、ローガン」
声のした方向に顔を向けた。
「私たちを置いて1人で戦うなんて、水臭いじゃねぇかローガン!」
「そうよ!私たちは、いつだって一緒だって約束したじゃない!」
「我らは、貴方と共にひとときを過ごした家族も同然。家族の窮地を救うのは、我らの務め」
「私たちだって、魔導師なんですから!」
「いつだって、頼ってください!」
...........そこには。
「うちらだって......あなたのこと、救いたいんや!貴方だけに背負わせることなんて、絶対にさせへん!だから......私たちも、戦う!」
.................守ると誓った、大切な者たちがいた。
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