それは秋の訪れを間近に控え、地霊殿の中庭を夏の終わりの花々が彩っていた頃である。その日、美味しいお昼ごはんを食べて大変ご満悦なお燐は、廊下でぱったりとおくうに出くわした。
もっともより正確を期すならば、「窓際でなにかをしているおくうを見かけた」となる。おくうは一体どういうわけか、なんの変哲もない窓際と一進一退で睨み合い、わたわたと忙しなく両手を彷徨わせていた。
「こ、こらっ、じっとしてったら……あーっ!」
「?」
なにあれ。そう思ったお燐は、早速おくうの後ろに回ってみた。特に忍び足をしたわけではないけれど、なにかと夢中に格闘しているらしいおくうはちっとも気づく素振りがなかった。
覗き込んでみる。
(……あ)
思わず笑みがこぼれた。おくうがなにを頑張っているのかはもう明らかだったけれど、それでもお燐は敢えて、そしてわざといつもより明るい声で、
「おくう! なにしてるのっ?」
「に゛ゃあ!?」
猫顔負けの悲鳴をあげたおくうは前につんのめり、勢い余って窓ガラスに顔面をぶつけた。
だいぶ痛そうな音がした。
「あ、ごめん」
「い、いきなりおどかさないでよっ!?」
しかしおくうとて、伊達に何度も中庭のステンドグラスに激突し気絶を繰り返しているわけではない。振り返ったおくうはケロリとしており、おでこもまったくといっていいほど赤くなっていなかった。石おでこである。
お燐はぷんすかしているおくうを両手で宥めて、
「ごめんごめん。で、なにしてたの?」
おくうはふくれ面のまま、
「見ればわかるでしょっ」
「んー、わかんにゃい♪」
「お燐のバカ!」
「おくうにだけは言われたくないんだけど!?」
「なんだとーっ!」
もちろんおくうは、人の姿をして人の言葉を話す分だけ普通の地獄鴉よりずっと頭がいいけれど、決して逃れ得ぬ鳥頭という宿命を抱えてもいる。何回注意しても考え事をしながら空を飛んで、ステンドグラスやら壁やらに激突して気絶している。そんなおくうからおバカ呼ばわりとは甚だ心外であった。
とはいえ、うにゃー! と愛嬌満点で怒るおくうを見ていたら、そんな気持ちもいつの間にか溶けて消えてしまった。
「悪かったよ。……ほら、早く助けてあげないとどっか飛んでっちゃうよ」
「え? ……あっ」
窓際のところで、ひらひらと一匹の蝶が飛んでいる。それが一体どうしたかといえば、おくうが奮闘していたのはこの蝶を逃がしてあげるためだったわけである。
この地霊殿では様々な妖怪や動物がさとりのペットとして暮らしているが、迷い込んできた虫をわざわざ逃がしてやろうとするのはおくうくらいだろう。他は気にも留めないのが大半で、ひどいやつだと見つけた瞬間ぱくりと食べてしまったりする。お燐はそんな品のない真似はしないけれど、しかし蝶のひらひらと宙を舞う姿は大変蠱惑的でなんか無性にネコパンチしたいああ叩き潰したい
「お燐っ、狩っちゃダメだよ!!」
「ハッ。……や、やだなあ、ほんの冗談だよ」
「狩猟本能全開の目だったんだけど……」
お燐はさっと顔を逸らした。
「ほら早く逃げてっ、お燐に食べられちゃうよ!」
失敬な、誰も食べようとなんてしていないじゃないか。ただちょっと、狩猟本能に負けてビシバシしたくなっただけだ。
おくうが両手を一生懸命に動かして、蝶を上手いこと開け放った窓まで誘導していこうとする。しかし蝶はそんなおくうを嘲笑うかのようにひらひら舞い、どんどん窓から遠ざかっていってしまう。
うー! とおくうが唸る。
「なんでそっち行っちゃうの、もおーっ!」
「捕まえちゃえば? ほら、両手をこうして」
お燐は丸めた両手を、球を作るように重ね合わせてみせた。妖怪の身体能力なら大して難しくもないだろうと思ったが、おくうは首を振って、
「ダメだよ。もし失敗して、潰しちゃったりしたら可哀想だもん……」
「……そっか」
お燐の口元に、忍ばせるような笑みが浮かんだ。
「優しいね、おくうは」
おくうは「う」と「ん」と中間みたいな声を出して、気恥ずかしそうにそっぽを向いた。
こいつも昔は、日々当然のように死肉漁りをするごくごく普通の地獄鴉だったのに。
さとりとこいしのペットとなって、『愛される』ということを知ってから、この少女は随分と丸く、優しくなった。死肉漁りなんてとっくの昔にやめたようだし、今はもう虫の一匹も殺せないのではないかと思わされる。自分を愛してくれる主人の姿から、彼女自身もまた愛するという心を学んだのだ。
おくう以外に、ここまで変わったペットは他にいない。お燐だって、昔と比べれば多少は角が取れたけれど、死体集めはあいかわらず一番の趣味だし、虫どころか人間を殺すのにも抵抗は感じない。精々、自分の趣味が他人からは理解されがたいものなのだと自覚し、人目を避けて楽しむようになった程度だ。
他のペットたちだって、似たようなもの。主人を困らせない、もしくは主人に嫌われない程度の良識と自律は身につけたが、動物は『動物』だし妖怪は『妖怪』である。
もしかするとおくうは、ある意味では、この地霊殿で最も賢いペットだったのかもしれない。
そしてだからこそ、なんとも惜しいと思うのだ。
「その優しさを、ほんのちょっとだけでいいからおにーさんにも向けてあげればいいのに」
お燐がそう言った瞬間、おくうが苦虫を百匹噛み潰したように顔をしかめた。声もいきなり冷たく無愛想になって、
「……それとこれとは、話が別」
「またそんなこと言ってえ。おくうだってこの前見たでしょ、おにーさんは別に悪い妖怪じゃ」
「わかってる」
お燐の言葉を遮り、俯いて、絞り出すように言った。
「わかってるもん。……あいつが、さとり様とこいし様を笑顔にしてくれてることくらい」
「……じゃあ、なにが不満?」
「……」
おくうはしばらく答えなかった。恐らくはおくう自身、自分が抱いている感情をどう言い表せばいいものなのか、この時点ではよくわかっていなかったのだと思う。
やがて、ぽつりと、
「……あいつなんかよりも、私の方が。私の方が、ずっと、ずっと、さとり様たちと仲良しだもん」
だからお燐は、ああそういうことだったんだ、と腑に落ちて理解することができた。
おくうが月見を嫌う理由。お燐はずっと、月見が地上の妖怪で、おくうが地上の妖怪を嫌っているからなのだと思っていた。もちろん、はじめのうちはそうだったのだろう。しかし今では、それが段々と変わりかけてきている。
地上の妖怪だから嫌い、ではなく。
さとりとこいしを笑顔にしてくれるから嫌い、に。
要するに、
(……おくう、妬いてるんだ)
さとりやこいしとどんどん打ち解けていってしまう月見が、ズルくてズルくて仕方ないのだ。さとりたちを笑顔にするのはペットである自分たちの役目なのに、それを地上の妖怪なんかに奪われかけているのが認めがたくてならないのだ。
そんなの、お燐は考えたこともなかった。お燐に存在するのはさとりたちを『楽しませてくれる人』か『悲しませる人』かの違いだけであり、『楽しませてくれる人』ならいくら増えたって構わないと思っていた。そこでお燐の思考は終わっていたし、他のペットたちも同じだった。けれどおくうだけはその先まで考え、自分の存在意義のひとつが月見によって脅かされているのではないかとを憂いていた。
やはりおくうは、ある意味では地霊殿で一番頭のいいペットなのかもしれない。
「……ねえ、お燐」
「……ん?」
「大丈夫、だよね。……さとり様たち、ちゃんと、これからも、私のこと見ててくれるよね」
この言葉におくうが一体どんな想いを込めていたのか、このときのお燐はまだ気づけないでいた。ただ、今の辛気くさい顔があんまりにも似合わなかったものだから、景気づけにバシバシと肩を叩いてやった。
「なに言ってんのさ、さとり様はあたいたちを捨てたりなんかしないよ。考えすぎだって」
「……」
おくうはまるでかたつむりみたいに、ゆっくりとゆっくりと笑った。
「……うん、そうだよね」
そのとき、お燐とおくうの間を蝶がひらひらと横切る。
今までの真面目な雰囲気はどこへやら、おくうが血相を変えて振り向き、
「あ、忘れてた! こらーっ待てーっ!」
やはり、おくうは逃れようのない鳥頭である。あっという間にすべての興味関心を横取りされ、自分がなんの話をしていたのかをも綺麗さっぱり忘れて、「うにゃー!」と廊下の向こうに走り去っていってしまった。
あの蝶、実はおくうをおちょくって遊んでいるのではあるまいか。
「……まったくもう」
ため息をつくお燐の口元には、けれどかすかな笑みの色がある。
――さて、どうするのおにーさん。こいつは強敵だよ。
嫌いは嫌いでも、おくうの根底にあるのは月見への嫉妬であり、さとりたちと仲良くしているのが気に入らないときている。つまりはたびたび地霊殿まで遊びに来る今の状況を繰り返している限り、月見がおくうから認められる未来はいつまで経ってもやってこないのだ。
――女の嫉妬は、ネチっこくてメンドくさいからねー。
覚妖怪よりも遥かに曲者な地獄鴉を、はてさてあの狐はどうやって攻略していくのだろう。
などと考えながら、お燐は。
とりあえず、遠くでうにゃーうにゃー言っているおくうのために、虫取り網を取ってきてあげることにした。
だから、お燐はいま地底で起こっている現実を認めない。
もちろんはじめは、お燐だって止めようとした。けれど駄目だった。お燐の言葉は『彼女』に届かなかった。故に、誰か他の人の力に縋るしか方法がなかった。
悩んだ末に、お燐は月見に助けを求める選択をした。選択肢はなにもそれだけではなかったし、鬼子母神に頼めばすぐにでも事態を止めてくれていたと思う。だがそれは、決して根本的な解決ではない。本当の意味でこの現実を止めるには、きっと月見の力が必要なのだと。彼の言葉が一番、彼女に届くのだと。
だからおにーさん、早く来て。
この異変は。
この異変は、本当は――。
○
闘いは、七分二十秒で終わった。
言葉にすると大したことのないように聞こえるが、七分間ひらすら動き回って闘い続けるのは人間にとって鬼畜の所業だ。外の世界にはボクシングという格闘技があり、試合では三分おきに必ず休憩時間が挟まれるという。霊夢は体力にあふれる妖怪ではないし、そういうのに分がある男でもないし、ましてや大人でもない。七分間闘い抜いてようやく勝敗が決した頃には、魔理沙共々肩で息をしながら今にもぶっ倒れそうな感じになっていた。こんな空の上でぶっ倒れたらそのまま真っ逆さまなので、必死に酸素を取り込んで強く意識を保つ。
しかし。
勝った。
勝ったのだ。
七分二十秒の死闘の末、霊夢は遂に、あの鬼子母神を下したのだ。……あとついでに、勇儀とかいう鬼も。
その証拠に、
「いたたぁ……あー、負けちゃいましたぁー……」
「あーん、あのお酒高かったのにぃ……」
ぜんぜん痛くなさそうな藤千代が着物を大きく乱しており、勇儀が地面に落ちた盃を未練がましく見下ろしている。藤千代に対しては、一発有効打を入れればその時点で勝ち。勇儀に対しては、盃から酒をこぼさせれば勝ち。それが霊夢と魔理沙に課せられた、此度の弾幕ごっこの勝利条件だった。
言っておくが、霊夢が押しつけたのではなく向こうから勝手に提示された条件だ。お互い合意の上で成立したルールに則った結果なのだから、これはもう疑う余地なく霊夢たちの大勝利なのだ。だから、七分もかけてたった一発弾幕を当てるのが精一杯だったとか、そういうのはぜんぶどうでもいいことなのだ。
とにかく、勝った。
それが事実だ。
よって霊夢と魔理沙は思いっきり息を吸って、
「「いぃぃぃぃぃやったああああああああああ!?」」
完全におかしなトーンで絶叫し、お互い抱き合ってくるくるとダンスを踊った。魔理沙の両目から涙がちょちょぎれている。
「や、やった! やったぜ!? 私たち勝ったんだよな、夢じゃないよな!? 生きてるよな私たち!?」
「ええ勝ったわ! 夢じゃないわ、生きてるのよ私たち! よっしゃあああああっ!!」
「異変解決じゃーっ!!」
「もう帰りましょーっ!!」
アリスの人形にペチッとビンタされて正気に返った。
「はっ。私たちなにを……」
『お帰りなさい。さあ仕事の続きよ』
ぐぬう、と霊夢は呻いた。わかるまい、月見の家で炬燵ぬくぬくなこいつに今の霊夢の気持ちなど。中ボスどころか、霊夢の中ではもうラスボスを倒した心地である。おうちかえりたい。
陰陽玉から天子が誇らしげに、
『ほら言ったでしょ、霊夢なら絶対勝てるって』
「そうねー、ぶっちゃけあんたのサポートは役に立たなかったけどね」
『はうっ』
この少女、霊夢が体張って闘っている最中も頑張れ頑張れと言っていただけだった気がする。アリスの人形は、様々な魔法を駆使して頼もしく魔理沙をバックアップしていたというのに。人選を間違えただろうか。いやそもそも紫の改造がぽんこつで、戦闘に役立つ追加機能がなにも実装されていないのではないか。そんな気がしてきた。
この期に及んでとやかく言っても仕方ない。霊夢は未だ興奮冷めやらぬ魔理沙を引き剥がし、乱れた着物をせっせと整えている藤千代に向けて、
「さあ。私たちの勝ちよ。約束通り、この異変について教えて頂戴」
「……あ、そうですねー。実は――」
やれやれ、と霊夢はため息をつく。異変の情報ひとつを得るために、まさかここまで苦労をしなければならないなんて。まったく、異変を起こしてくれやがったのはどこのどいつだ。藤千代から名前と居場所を聞き出し次第、すぐさま突撃してけちょんけちょんに叩きのめして
「――実は私、異変のことなんにも知らないんですよ。一体なにが起こってるんでしょうねえ」
「……は?」
こいつ今なんて、
「いやー、異変について知ってるふりをすれば、お二方と闘ってもらえるかなーと思いましてー」
藤千代が、てへへーとお茶目に頭を掻いている。
なにを言っているのか理解できるまで、五秒掛かった。
五秒掛かってようやく霊夢は、
「…………ねえ。それって、つまり」
「はいっ」
藤千代は、とっても可憐な笑顔で答えた。
「ごめんなさいっ、嘘つきまし――ふみぇみぇみぇみぇみぇ!?」
「藤千代オオオオオォォォ!!」
霊夢は藤千代との距離を一瞬でゼロに詰め、その和菓子みたいなほっぺたを両側から思いっきり引っ張った。横で勇儀が、「速い……!」と目を剥いた。
藤千代のほっぺたがみよんみよんと伸びる。霊夢は信じられない気持ちで叫ぶ、
「なに!? なんなの!? 嘘ついたって、じゃあ私はなんのために闘ったの!? 無駄!? 無意味!? 徒労!? 無駄骨!? タダ働き!? 骨折り損!? 答えなさいッ!!」
「みょみょみょみょみょ」
「藤千代オオオオオォォォ!!」
「みゅみゅみゅみゅみゅ」
『霊夢落ち着いてー!?』
ハッと我に返った。あまりに衝撃的すぎる告白に、思わず理性が飛んでしまっていた。
そして、言葉にもならない疲れがどっと押し寄せてきた。藤千代のほっぺたから指を離す。行き場の失った両手を膝についてがっくり項垂れる。藤千代のほっぺたがむゆんと元に戻る。骨折り損のショックに耐えきれなかった魔理沙が、白目を剥いてピクピク痙攣している。
ため息。
「……鬼って、嘘つかないんじゃなかったのかしら」
「それはほら、私は勇儀さんと同じ鬼であり、違う鬼でもありますから。月見くんが、狐なのに十一尾なのと似たようなもんですよ」
もう金輪際、この少女を『鬼』という括りで見るのはやめにする。こいつは種族『藤千代』だ。だから、霊夢の常識も鬼の常識もまったく当てはまらない埒外の存在なのだ。もうやだこいつ。
またため息。
「はあ……これで振り出しかあ。いつになったら前に進めるのかしら」
――いや。
そうでもないか、と霊夢は思い直した。藤千代に異変の心当たりがなかったということは、少なくともこの旧都ではなにも怪しい騒動など起こっていないはず。考えてみればそりゃあそうだ。鬼子母神が統治する旧都のど真ん中でわざわざ面倒事を起こすなんて、どうぞおしおきしてくださいと言っているようなものだ。鬼子母神のおしおき、それすなわち霊夢たちの基準でいうところの処刑である。
つまり黒幕は、異変を起こしても誰にも気づかれないほど旧都から遠く離れた場所にいるのではないか。それこそ地底のはずれのはずれ、博麗神社の真下に当たる空間とか。
「……ちなみに、地上でいう博麗神社がある方角ってどっち?」
「んーと、……あっちですね」
藤千代が指差した方を見る。魔理沙が白目のまま口から魂を吐いており、それをアリスの人形が頑張って口の中に押し戻そうとしている。そのコントな光景を遠く遠く越えた地底の遥か彼方は、薄闇に巻かれて地平線がどこにあるのかもわからない。
やっぱり今日の神様は、霊夢を馬車馬のように働かせたがっているのだ。ここまで来ると、黒幕は実は地上にいましたー、なんてオチも視野に入れなければならない気がする。三度目のため息が込み上がっていて、霊夢は肩を落としながら旧都の町並みを見下ろした。
屋根の上に、猫がいた。
瓦の色に溶け込む黒猫だった。それ自体は特に珍しくもなんともないが、しかし、その猫は行儀よくおすわりをしてまっすぐに霊夢を見ていた。まるで、霊夢に用があって順番待ちをしているかのように。
藤千代も気づいた。
「あれ、お燐さんじゃないですかー」
なー、と猫は愛想のいい鳴き声で答えた。右から左へくるりと振られた尻尾は、よく見ると二又に枝分かれしている。ごくごく普通の猫又か、それとも猫の姿をした別の妖怪か、どうあれ、ただのにゃんことは違い言葉が通じるようで、
「どうしたんですかー?」
藤千代の問いに今後は二回鳴いて答え、二又の尻尾をそれぞれ霊夢と魔理沙に向ける。
そして、いきなりくるりと振り返った。屋根をすばしっこく駆け上がり、大棟――屋根の一番上の部分――に前足をかけたところで振り返って、また一度だけ鳴いた。
やはり、霊夢を見ている。
だからだろうか、なんとなく、ついてこいと言われているような気がした。藤千代も同じことを感じたようで、
「どうやらお燐さん、霊夢さんたちに用があるみたいですねー」
「……なに、あの猫?」
「ほら、あそこに洋館が見えるだろ?」
勇儀が答えた。恐らく、旧都の中心部に近いあたりであろう。瓦屋根が海原の如く広がる景色の中で、ひとつだけぽつんと、純洋風の建物が浮き彫りになっている。遠目でもその大きさがよくわかる、言うなれば『趣味の悪いやつがデザインしなかった紅魔館』みたいな洋館だった。
「あそこに住んでるやつが飼ってるペット。っていっても、火車っていう立派な妖怪だけどね」
「ふーん」
確か、人の葬式にやってきてずけずけと死体を盗んでいく妖怪だっただろうか。悪趣味なやつだ。かわいい猫みたいな外見をして、どうせロクでもない妖怪に違いない。
「で、そんなロクでもない妖怪がなんで私たちを呼ぶのよ」
「にゃ!?」
猫が飛び跳ね、二又の尻尾を逆立ててにゃんにゃんとやかましい声をあげた。なにを言っているのかさっぱりわからないので無視する。
藤千代が少し考え、
「うーん……もしかしたら、異変についてなにか知ってるのかもしれませんよー。それを霊夢さんに教えに来たとか」
「なんですって?」
霊夢が疑り深い眼差しで見下ろすと、にゃんにゃん騒いでいた猫は渋々引き下がり、代わりにこくりとひとつ頷いてみせた。
霊夢の全身を稲妻のような衝撃が襲った。ここに来て、まさか異変を知る妖怪が向こうからやってきてくれるなんて。どうやらなかなか話のわかる妖怪のようだ。しょうがないので、ロクでもないやつと言ったのは撤回してやろう。
「……でもさー、また藤千代みたいに嘘言ってるパターンじゃないのか?」
いつの間にか復活していた魔理沙が、ふらふらと墜落寸前のセミみたいな感じで隣に並んだ。もう誰も信じられないというペシミストな目をしている。……確かにそうだ、この猫もまた嘘で霊夢たちを陥れようとしている悪い妖怪の可能性は充分にある。おのれ人の心の隙を衝いてくるとは、やっぱりロクでもないやつじゃないか。なかなか話のわかる妖怪といったのは撤回する。
しかし藤千代が、
「んー、それはないと思いますよ、お燐さんはしっかり者ですから。……あ、じゃあ嘘だったら私に教えてくださいっ。嘘をついて人に迷惑を掛けるような妖怪は、私がおしおきしますので!」
「え、それ藤千代が言うの!?」
突然知らない少女の声が聞こえて、霊夢も魔理沙もきょとんと疑問符を浮かべた。声がした方を見てみる。そこにいるのは、「あっやべ」という顔で固まっているあの黒猫である。
猫はそのまましばらくの間、己の不覚に対する並々ならぬ自責でぷるぷる震え、やがて何事もなかったかのように、
「……にゃーん?」
……まあ、みたいな? ね?
そんな感じの反応だった。もちろん、霊夢も魔理沙も白い目を返した。
「……あんた、普通に喋れんじゃない」
「にゃーん?」
どうやら意地でも、猫だから人の言葉は話せないという設定を通したいらしい。
「……まあいいわ。じゃあとりあえず、嘘だったら藤千代に言いつけるってことで」
頷いた猫が霊夢に背を見せ、それから首だけで振り返った。どうも先ほどから、霊夢たちを別の場所に案内したがっている風である。それは人語を話せないという設定を守るためなのか、もしくは藤千代に聞かれると都合の悪い理由があるからなのか。
とりあえず、ついていってみることにした。瓦屋根が続く景色を魔理沙と飛びながら、霊夢は不安と期待が半々に入り混じったため息をついた。
もういい加減、手掛かりひとつない真っ暗闇状態から先に進ませてほしいものだ。
○
なかなか骨のある人間だったなあと、久し振りに甦ってきた昔の記憶を懐かしく思いながら、勇儀はこぼれて空になった盃を拾い上げた。
まだ、闘いの熱で体が少し火照っている。勇儀は弾幕ごっこを詳しくは知らないし、体ひとつでぶつかり合わない決闘方式をあまり快くも思っていなかったが、今回の勝負を通してその考えが少し変わった。実際にやってみると案外面白かった。なにより人間が、高々二十年も生きていないであろう人間の子どもが、逃げも隠れもせず真正面からぶつかってきてくれたのは素晴らしいの一言に尽きた。謀略に頼らねばか弱いばかりの人間が、策を捨て、ああも果敢に立ち向かってきてくれたのは一体何百年振りの話なのか。拳で直接ぶつかり合えなかったことへの不満は残るが、それは単に、自分が昔を懐かしんで粋がっているだけなのかもしれない。
藤千代も満足そうだった。
「いやー、楽しかったですねえ。弾幕ごっこ」
「そうだねえ。……それはそうとさ」
「はい?」
勇儀は拾った盃を指の上で回しながら、弾幕ごっこの最中からずっと引っ掛かっていた疑問を口にした。
「藤千代さ、なんで真面目にやらなかったの?」
「?」
藤千代は意味がわからないという顔をしている。
「だからさ、さっきの弾幕ごっこだよ。一発当てればあいつらの勝ちだとか言っちゃって、ぜんぜん本気出してなかったでしょ」
「それは、勇儀さんも同じでしょう?」
確かに、勇儀も藤千代の真似をして、『盃の酒をこぼしたら負け』というハンデをつけた。だが、
「違うね。あんたはスペルカードを使うどころか、弾幕もロクに撃たないで逃げ回ってばっかだったじゃないか」
もちろん、勇儀は持っているスペルカードをフル稼働して闘った。たとえハンデをつける中でも、真正面から立ち向かってきてくれる人間の心意気に応えるため、極めて真剣に勝負をした。そしてめまぐるしく弾幕が飛び交うそのさなかを、藤千代はきゃーきゃー言いながら逃げ回っているだけだったのだ。
彼女は『一発当たれば負け』というハンデに、『攻撃をしない』という手抜きまで勝手に加えた。まさか弾幕が撃てないなどとは言わせない。あんなもの、幻想郷では妖精だって遊び半分にやっていることだ。妖精にできて藤千代にできないなんて、そんなアホな話が存在していいはずはない。
真剣勝負を蔑ろにした彼女を責めているわけではない。ただ、疑問なのだ。だって彼女は、
「あんた、月見以外にはもう誰にも負けないって言ってたよね。まさかあれも嘘だったのかい」
「あー、」
話がどうズレているのかわかった、と言うように藤千代が声をあげた。頷く仕草で、藤の髪飾りがしゃらりと揺れた。
「それとこれとは話が別ですよ」
「別って?」
首を傾げる勇儀に、藤千代はさらりと言ってのけた。
「だってあれって、遊びじゃないですか。遊びで本気を出す必要があります?」
勇儀は思わず真顔になる。藤千代は続ける。
「勝ち負けは大したことじゃないですよ。それよりも、楽しむ方が大事です。だって、遊びなんですもの」
染み渡るような納得が勇儀の腹の底に広がる。弾幕ごっこは、今や幻想郷に最も広く普及した決闘方式であり、同時に妖怪も人も妖精も気軽に楽しめる遊びでもある。勇儀は「あれはあれでひとつの立派な真剣勝負」と捉えたが、藤千代にとっては「単なる遊びでありそれ以上でもそれ以下でもない」ものだったわけだ。
だから、一発当たれば終わりという緊張感の中で、ただ弾幕を躱し続けることだけに徹して、きゃーきゃー言いながら飛んだり跳ねたり、どこまでも遊びとして楽しんだ。
「それに私、スペルカード持ってないですし」
「えっ、そうだったの?」
「ええ。操ちゃんに教えてもらって作ろうとしたことはあるんですけど、どうも性に合わなくてやめちゃいました。途中で頭がこんがらがって、なんていうか、もう、ぜんぶまとめてぶっ飛ばしたくなっちゃうんですよね。というか実際、練習で操ちゃんをぶっ飛ばしちゃって」
「……」
あいつはあいかわらずだなあと勇儀は思う。
しかし、まあ、ともあれ。
「なので、今回は躱すだけにしてました。やっぱり勝負は、体ひとつでズドンですよね」
そのなんとも彼女らしい物言いに、勇儀は苦笑し、また共感した。弾幕ごっこが、あれはあれで楽しく奥深い闘いのシステムであるのは認める。けれどやはり、
「そうだよね。やっぱ、ウチら鬼は殴り合ってこそだよね」
「そうですとも」
また、昔の記憶が甦ってくる。勇儀たち鬼が、まだ地上で太陽の光を浴びていた頃。思い出補正というやつかもしれないけれど、己の拳だけを武器に人間と渡り合っていたあの頃は本当に楽しかった。
そう思ったら、なんだか無性にケンカがしたくなってきてしまって、
「あーあ、ケンカしたいなあー……」
と、天を仰ぎながら呟いてしまったこれが命取りだった。
猛烈に嫌な予感がして隣を見た。藤千代の瞳が、きらきらきらきらと、それはもう宝石だって目じゃないくらいにまばゆく光り輝いていた。
「勇儀さん、ケンカしたいんですかっ。私もケンカしたいです!」
「あっごめん間違った口が滑った鬼なのに嘘ついちゃったやっぱり平和が一番だよね」
違う。勇儀が言うケンカとは互角の好敵手と
藤千代が腕まくり、
「よーし、テンション上がってきちゃいましたよー」
「ねえ話聞いて?」
「どっからでもかかってきなさい!」
勇儀は脱兎となって逃げ出した。
一秒で回り込まれた。藤千代は頬を膨らませてぷんぷんと怒る、
「こらあっ勇儀さん、鬼の四天王たるあなたがそんな弱腰でどうしますかっ」
「いやその、……ほら、ねえ? あはは」
勇儀は心の底から訴えたい。藤千代に目をつけられて弱腰にならない生命体なんていない。地獄の獄卒だって泣きながら裸足で逃げ出すし、地底中の鬼が束になったって満場一致で逃走する。
まあ問題は、鬼ごっこで藤千代から逃げ果せるのは不可能ということなのだけれど。
試しにまた逃走しようとしてみるのだが、回れ右をした瞬間なぜかそこに藤千代がいたので勇儀は心の中で泣いた。もうヤダこいつ、なんで当たり前みたいに瞬間移動してんの。
「ふふふふふ」
「あ、あははははは……」
じりじりと距離を詰められる。それに合わせてじりじりと後退していると、いつの間にか民家の壁に追い詰められた。
勇儀の脳裏を走馬灯が過ぎった。ああ、最後にもう一回くらい、地上で萃香や月見に会いたかったなあ。水月苑の温泉にも入りたかった。お酒だってもっと呑みたかった。まだまだやりたいことがいっぱいあったのに。
藤千代の瞳が一瞬足りとも休まず元気に輝き続けている。小さな可愛らしい掌を拳にして、腕ごとぶんぶんと振り回す。
「よーし、それじゃあ行きますよーっ」
「……ね、ねえ、ちょっと待ってよ藤千代」
せめてもの抵抗に、勇儀は引きつった唇でまくし立てる。
「まあね、確かにケンカしたいっては言ったよ? 言ったけどさ、今すぐ闘いたいとか、あんたと闘いたいとか、そういうのは一言も言ってないじゃん。だからちゃんと人の話は聞くべきだと思うんだよ、なんでもかんでも自分の都合のいいように決めつけちゃダメだよ? なんていうかあれは一種の比喩であって、ほんとにやるってなるとそれはそれで困るっていうか、
……。
あいたたた、なんか右脚が痛くなってきちゃったー。さっきの弾幕ごっこで挫いたのかなあ。困ったなあ、これじゃあケンカしたくてもできないなあー、
…………。
そっ、そうだ知ってる? 私がいつも行ってる居酒屋さー、最近自家製のお酒出し始めたんだよ。これがもうめちゃくちゃ美味しくて、ねえ、ケンカはまた今度にして今からちょっと呑みに行」
「そおーい!」
悲鳴。
静寂。
○
そのとき地底が、少し揺れた。
それと同時に霊夢の背中の方から、はぎゃああああああああっと少女の悲鳴が聞こえてすぐ静かになった。思わず振り返る。一瞬の出来事だったので確信はないが、あれは先ほどまで一緒にいた勇儀とかいう鬼の声ではなかったか。
なにがあったんだろう、と思い、その一秒後にはまあいいかと自己完結した。知らない妖怪がどうなろうと知ったこっちゃない。藤千代だっているのだし大事にはならないだろう。それより優先して知ろうとすべきは、瓦屋根をぴょんぴょん跳んで移動している黒猫の行く先だ。
てっきり主人がいるという地霊殿に向かうものと思っていたのだが、どうも違う。黒猫は、町の中心に向かうどころかどんどん人気から遠ざかりつつある。やはり異変の黒幕は旧都から離れた場所にいるのか。いやそもそも、この黒猫は霊夢たちを黒幕のところに案内しようとしているのだろうか。どこかおかしな場所に連れて行かれてしまうのではないか。藤千代に盛大な嘘をつかれたあとだからか、やっぱりどうにも信用ならなかった。
それは隣を飛ぶ魔理沙も同じで、
「なあ霊夢、本当に大丈夫なのか? 私は、もうこれ以上余計な手間踏むのは御免だぜ」
「……そんなの私だって同じよ」
嘘をついたら鬼子母神サマ直々のおしおきが待っているのだ、わざわざ命を捨てるような真似はしないはずだが。
黒猫は、次の瓦屋根からそのまた次の瓦屋根へ、軽いステップで実に楽しそうに跳躍していく。時折くるりと回って霊夢たちがついてきているのを確認する仕草は、まるでダンスでも踊るかのようだ。火車とかいう物騒な妖怪らしいが、こうして眺めている分には人畜無害なただの猫にしか見えない。
旧都の活気がますます遠ざかっていく。通りを歩く妖怪の数も、殺風景な景色を彩る瓦屋根の数も次第にまばらになってくる。もう間もなく旧都の外に出るだろう。やっぱり変なところに連れて行かれそうな気がして、ここいらで一度どこに向かっているのか問い質した方がいいと、霊夢が心に決めたその矢先だった。
黒猫が、なんの前触れもなくいきなり屋根から飛び降りた。
「「あ」」
と霊夢たちが二人揃って声をあげ、空から黒猫が飛び降りた先を覗き込むまでは、ほんの数秒だった。そしてそのほんの数秒で、黒猫の姿が闇に溶けたように消えてなくなってしまっていた。
代わりに少女がいて、こちらに向けて手を振っていた。
「おねーさんたちー」
誰だこいつ、と霊夢は不審に思う。しかしすぐに、少女の背後で二又に分かれた黒い尻尾が揺れているのに気づいて、あああの黒猫かと納得した。人の言葉を解し人の言葉を話すのだ、人の姿を取れる妖怪でもなんらおかしなことはない。
赤い髪のおさげで、人懐こそうに笑う少女だった。
「ごめんねー、こんなとこまで連れてきちゃって。あんま人に聞かれたくなくてさ。ねえ下りてきて、ここで話しようよ」
突然人の姿になったのは、猫のときは人語を話せないという設定を通すためなのだろう。しょうもないこだわりである。
魔理沙と短く確認し合い、霊夢は言われた通りにした。そこは生活の気配がしない小さな空き家の裏手で、通りからはまず目に入らない狭い路地裏だった。こそこそと隠れて話をするためにあるかのような場所だ。なにが入っているかもわからない木箱が並んでいたので、その中のひとつを適当に椅子代わりにする。
「お前、あの黒猫だよな?」
同じく木箱に腰掛けながら問うた魔理沙に、少女が頷いた。
「そうだよ。びっくりした?」
「びっくりしたってか、……そんなに猫の姿で話すの嫌なのか?」
少女が苦笑し、それからふっと遠い目つきをして、
「昔さ、町の子どもに『話す猫って意外と気持ち悪いね』って言われて……」
「……あ、うん。なんかごめん」
しょうもないこだわりだと思っていたら、まさかの地雷だった。幼子の純粋無垢な発言は、それ故に時として人の心を容赦なく抉り取る。一応、妖怪の子ども――何年生きたら『大人』になるのかは知らないが――にも純粋という概念があるらしいことを、霊夢は水月苑に集まる少女たちの姿から学んでいる。レミリアの妹なんかが最たる例だろう。
生暖かい気遣いに満ちていく生暖かい空気を感じ、少女が強めに手を叩いて仕切り直しした。
「ま、まあそんな話より、まずは自己紹介しとくね。あたいは火焔猫燐。長ったらしいから『お燐』って呼んでね。一応、火車って妖怪やってるよ」
「……博麗霊夢。人間よ」
「霧雨魔理沙。同じく人間だぜ」
「よろしくね~」
尻尾を振って笑う仕草には裏表がなく、悪巧みの類とは無縁に見えた。藤千代が言っていた通り、まずまずしっかりしていそうな妖怪ではある。
それから少女――お燐は、霊夢を見てふと、
「……ん? おねーさん、『博麗』ってことは……もしかして博麗の巫女?」
「そうだけど……それがどうかした?」
お燐の目つきが変わった。表情から猫らしさが消え、息を呑むほど微動だにしない瞳で霊夢を見据える。けれどどこか、霊夢ではない遠くの誰かを見ているようでもある。途轍もなく居心地が悪くなって、霊夢は逃げるように問うていた。
「……なに? どうかしたの?」
お燐がころっと元に戻った。まるでぜんぶ、霊夢の気のせいだったかのように。
「あ、ごめんごめん。なんでもないよ~」
なんでもなかったはずがないが、
「でね。おねーさんたち、異変を解決しに来たんでしょ? 間欠泉から妖精が湧いて」
「おう。知ってること、洗いざらい教えてもらうぜ」
二人がさっさと話を先に進めてしまったので、霊夢は追及のタイミングを見失った。気にはなったが、今は異変のことを知る方が大事だと思い直す。
「うん。でも、その前にいっこだけ教えてほしいんだけど……」
どうせダメだと思うけど、一応訊くだけ訊いておこう――お燐が投げて寄越したのは、そんな感じの投げやりな質問だった。
「おにーさん……月見って、やっぱり一緒に来てたりしないよね?」
「「はあ?」」
霊夢と魔理沙は顔を見合わせた。どうしてそんなことを訊かれるのかわからなかった。だって、その訊き方ではまるで、
「……なにそれ。まるで、月見さんが私たちと一緒に来てなきゃいけないみたいじゃない」
「月見なら、屋敷で妖精たちの子守りだぜ?」
お燐が頭を抱えてうずくまった。
「だよねー、やっぱりそうなっちゃうよねー……。あーもー、みんなに頼んだあたいが間違いだったぁ……」
「おいおい、話が見えないぜ。どういうことだ?」
「うう……」
少し、どこから話すか迷うような間があった。鼻から大きくため息をつき、考えをまとめたお燐は顔を上げた。
「えっとね。まず、間欠泉から妖精が湧いて出てきてるのはあたいの仕業なんだけど」
「なるほど、つまりお前を倒せば異変は解決ってことだな」
「よーしさっさとやっちゃいましょ」
「ねえおねーさんたち、話は最後まで聞いてくれるとあたい嬉しいな?」
「やかましいわね、つまりあんたが黒幕ってことでしょ? さあ神妙になさい」
「だーかーらーっ!」
お燐は尻尾を逆立てて言う。
「あたいは、間欠泉を使って妖精を地上に送っただけ! 間欠泉はまた別のやつの仕業なのっ!」
霊夢は眉をひそめた。
「……つまり、異変の犯人はあんたともう一人いるってこと?」
「あの、だからね、あたいは別に異変を起こしたつもりは」
「うるさいうるさい、それを決めるのは博麗の巫女であるこの私よ。あんたがやったことは異変を起こしたのと同じです。よって有罪。以上」
「わーい横暴だぁー……」
横暴なものか。お前が妖精なんぞ送り込んでくれたせいで、自分たちが一体どれだけ迷惑したか。月見は妖精の子守りに手を焼かされているし、霊夢と魔理沙だって、わざわざこんなところまでやってくる羽目になった上、鬼子母神にケンカを売られるという臨死体験までさせられた。この恨み晴らさでおくべきか。
霊夢はもういつでも準備OKの臨戦態勢だったのだが、魔理沙は思いの外冷静で、
「……こっちも訊きたいことが二つあるぜ。間欠泉を起こしたのがお前じゃないなら、じゃあなんでお前は、間欠泉を利用して地上に妖精を送るなんて真似をしたんだ?」
「おにーさんに伝言を頼んだのさ」
――伝言?
はて、と霊夢は首をひねった。そんな重要そうな話、月見からは一言も聞いていないが。
「なんだそりゃ。初耳だぜ、月見はなんにも言ってなかった」
「うん……だからその、」
力なく吐息したお燐はまた遠い目をして、自嘲気味にふっと笑った。
「生まれてはじめて地上に出た嬉しさで、みんな伝言なんか忘れちゃってるんだろうなあ……綺麗さっぱり」
「「……」」
「あーんもー、みんなのばかぁー……」
『呆れて物も言えない』とは、まさに今の霊夢たちの状態を指す言葉に違いない。
行き場が見つからず腹の底でぐるぐる回る感情を、魔理沙が大きなため息に変えて吐き出した。
「……で? あんな何十匹も妖精を送り込んでまでして、月見になにを伝えようとしたんだよ」
お燐は質問に答えず、
「あ、それなんだけどさ。あたいが送り込んだのはほんの三~四匹で、あとはあたいが目を離した隙に勝手に出てっちゃ――うにゃー待って待って、動物虐待はんたーい!! にゃーっ!?」
霊夢は魔理沙と結託し、お燐の猫耳をグイグイ真上に引っ張りあげた。なんだそりゃ。なんじゃそりゃ。なんだ目を離した隙にって。そんな下らないオチが原因で自分はここまで散々苦労してきたのか。これだったらまだ、「地上を混乱させるために送り込んだ」とか黒幕らしい理由の方がマシではないか。この恨み晴らさでおくべきか。
「しっ、仕方なかったんだよ! まさかあたいが朝ごはんを食べている間にあんなことになっちゃうなんて――ぎにゃー!?」
必殺脳天幹竹割り。悪は滅びた。
『れ、霊夢……』
陰陽玉の向こう側で天子が苦笑している。どうせ、「霊夢は乱暴者だなあ」とか呆れているに違いない。なので毅然と言い返す。
「天子、悪い妖怪は倒さなきゃダメよ」
『で、でもほら、その妖怪も悪気があったわけじゃないみたいだし……それにっ、月見となら今この陰陽玉で話できちゃうし!』
「ああ、それもそうね」
「ちょ、ちょっと待って!?」
お燐が跳ね起きた。驚愕の眼差しで陰陽玉を指差し、
「それもしかして、地上と連絡できちゃったりするの!?」
「てか、月見さんのお屋敷とつながってるけど」
「お願いっ、おにーさんと代わって!」
『わかった、ちょっと待ってて……あれ? そういえば、月見って今なにしてるんだろ……』
「? 外で妖精の子守りじゃないの?」
茶の間の襖を開ける音、
『ん……と、もう遊んでないみたい。どこ行ったのかな……?』
アリスの人形が、
『あの、少し前に、みんなで奥の方に歩いて行くのが聞こえたような……』
『そうなの? ぜんぜん気づかなかった……奥ってことは温泉かな?』
「みんなで温泉に入ってるんじゃないの」
『つつつつつっ月見はそんなことしないよ!?』
「慌てすぎだろ」
魔理沙にツッコまれた天子はうぐっと呻き、
『と、とにかく温泉だよね!? ちょっと行ってくるねアリス!』
『え、ええ……』
ドタバタバタ、とこっちまで聞こえてくるくらいに激しい駆け足だった。まさか月見が女と一緒に入浴しているはずはあるまいと、一刻も早く確かめようとする気迫を感じる。恐らく脱衣所であろう戸をスパーンと開け放ち、またドタバタバタ、
『――月見っ! いないよね!? いないでしょ!? いないって言えぇっ!』
妖精たちのどよめく声と、にとりと思われる少女が驚きつつも答える声。聞こえが悪くていまひとつなにを言っているのかわからない。
『そ、そうだよね。あー、よかったあ……。それで、いつ戻ってくるかとか、』
間、
『……そ、そうなんだ。わ、わかった。ありがとう』
しかし聞こえる天子の声だけでも、なにがあったのかはなんとなく想像がついた。
また少しの間沈黙があり、やがて天子が、
『あの……妖精が二匹くらい逃げ出しちゃったらしくて、月見が一人で捜しに行ってて……いつ戻ってくるかわからないって……』
霊夢と魔理沙は冷ややかな眼差しでお燐を見た。お燐はしょんぼりした。
「……結局これ、あんたのやったことってことごとく裏目に出てない?」
「にゃーん……」
月見への伝言を託して妖精を送り出したのに、その妖精ははじめて地上に出た嬉しさで自らの使命を完全に忘却。そしてこうして直接連絡を取ろうとすれば、妖精のせいで肝心の月見が不在。
なんだか、この猫耳少女が段々哀れに思えてきた。
天子がおずおずと、
『えっと……月見になんて伝えるはずだったの? 戻ってきたら私が伝えるけど……』
お燐は少し考え、
「んとね、……おねーさんたちが言う異変を起こした――というより、異変が起きる原因になった妖怪かな。本人に自覚はないと思うし」
そこで言葉を区切る。猫らしい明るさがすっかり鳴りを潜めた、小さく、縋るような声音で、
「……その妖怪を、止めてほしくて」
「あら、だったら別に月見さんは必要ないわね。そいつを止めるつもりで私たちがここに来たんだもの」
てっきり「そうだったんだ! 助かるよー」と返ってくるかと思ったが、お燐の表情は晴れないままだった。
「……やっぱりね、そうだよね。……でも、おねーさんたちはダメ」
「はあ? なによそれ。別に退治しようってわけじゃないんだから、」
「ううん、そうじゃなくて。……おねーさんたちが危ないから、ダメ」
お燐の言葉の意味を理解するまで、しばらく時間が掛かった。まさか地底の妖怪が人間の身を案じるとは思ってもいなかったし、なにより、
「――ふうん。それってつまり、私たちが負けるってこと?」
今まで数々の異変を解決し、吸血鬼も幻想郷最強格の大妖怪も、地球外生命体も、神様すらも打ち破ってきた霊夢と魔理沙が。
そりゃあ、地底の妖怪は実力が未知数だし、お燐が同胞を贔屓する気持ちもわからなくはないが、
「うん、やめておいた方がいいよ。怪我じゃ済まないかもしれないし」
カチンと来た。先に口を切ったのは魔理沙だった。
「よーし上等だ、じゃあそいつのとこまで案内してくれ」
「……おねーさん、話聞いてた? 危ないんだってば」
「聞いてたさ。そこまでコケにされて、はいはいそーですかと背を向けるわけにゃあいかないな」
「いや、別にコケにしたとかじゃないんだけど……」
霊夢も言い返す。
「余計なお世話よ。私たちは、あの鬼子母神サマにだって勝った人間よ? あんたがいうその妖怪って、鬼子母神サマより強いのかしら」
まあ、藤千代は本気で闘うどころか終始遊んでいたような気もするが――ともかく。
狙い通り、お燐が言葉に窮した。
「それは……そうだけど」
「ってか、なんで妖怪のお前が人間の私らを心配すんだよ。月見じゃああるまいし」
「……にゃはは。確かにおにーさんは、そういうところがありそうだねえ」
「ありそうってか、事実ありまくりだけどね」
霊夢が月見と初めて出会った春の日、食事事情を心配した彼が夕飯を作ってくれたのは今でもよく覚えている。その数日前には人里で、行方不明となっていた子どもを見つけ出して助けたとも聞いているし、夏の終わりには神古志弦とかいう外来人まで拾ってきていた。霊夢が知っているのなんてこれでもほんの一部で、実際はもっとたくさんの人間を心配し、そのたびにあれこれ世話を焼いてきているのだろう。
陰陽玉の向こうで、天子が大きく三回くらい頷いたような気がした。そういえば彼女もまた、月見に助けられた人間の一人だった。
「……それはさておき、異変が起きたら人間が解決する。それが今の幻想郷の習わしよ。黒幕に会いもしないで逃げるなんて選択肢はないわ」
「……」
お燐は答えない。一心不乱に考えている。霊夢たちを、黒幕のもとへ連れて行くべきなのかどうか。
天子が言う。
『でも霊夢……なんか変だよ。一旦戻って、月見と一緒に出直した方が……』
「あんたまでそんなこと言って。私は戻らないわよ」
『……そんなに月見と協力するのが嫌なの?』
きっぱりと言ってやった。
「嫌ね」
天子が絶句した気配。霊夢は腕を組み、鼻から大きく息をついて、
「……だってこれじゃあ私たちが、月見さんがいないとなんにもできない子どもみたいじゃない」
月見のことは信頼しているし、常日頃から――主に『ご飯を食べさせてくれる人』という意味で――頼りにもしている。しかしそれは、あくまで日常生活での話であり、こんな異変のさなかでまで頼り切ってしまうのはただの依存でしかないように思うのだ。
夏の異変では月見頼みだったくせに――そう言われるかもしれない。それは霊夢も認める。月見がいなければ、あの異変を乗り越えることなんてできなかった。天子を助けることなんてできなかった。……そして、認めるからこそ、今回まで月見ばかりを頼ってしまうのが嫌なのだ。自分の、心が、弱くなってしまう気がして。
天子だって言っていた。月見と出会って、自分は弱くなったと。一人きりでも強く生きていたあの頃に、もう戻ることなんてできないと。それこそが、月見という妖怪が周囲に及ぼす最大の悪影響なのだ。月見は、霊夢たちのことをなんでも笑って受け入れてくれる。受け入れてしまう。だから霊夢たちは変に自分を飾り立てる必要がなくて、一人で生きるために身につけてきた心の鎧をすべて剥がし落とされてしまう。弱かった頃に逆戻りしてしまう。
でも、それは、月見が悪いわけではない。なんでも受け入れてしまうのは彼の欠点だが、なんでも受け入れてくれるのが彼の美点でもある。むしろ悪いのは、なんでも受け入れてもらえるからと甘えて、自分の弱さを晒すことになんの抵抗も感じなくなりつつある、霊夢たちの方。
霊夢は、月見がいつまでも幻想郷にいてくれるとは思ってない。たぶん、霊夢がまだ当代の博麗の巫女であるうちに、彼はまた外の世界に出ていく。本人に確かめたわけでもない、なんの確証もないことだけれど、きっとこの勘は当たるのだろうと霊夢は思っている。
だからいずれそのときが来ても、大丈夫なように。
「月見さんに頼らないで、私たちでできるように――ううん。月見さんがいなくてもできていた頃に、戻らなきゃ。違う?」
『……』
天子は答えない。けれどそれは、霊夢の主張が正しいと認めざるを得ないからこその沈黙だった。
魔理沙が肩を竦めた。
「だな。これから起こる異変ぜんぶで月見に助けてもらうのかって話だもんな」
「そういうこと。……だからほら、早く黒幕のとこに案内しなさい。なんだったら弾幕ごっこで無理やり吐かせてやろうかしら」
「……もー、おねーさんたちほんと強引だなー」
一心不乱に考えすぎて疲れた脳へ酸素を送るような、お燐の長い深呼吸だった。
「……わかった。そこまで言うんだったら、案内したげるよ。でも、本当に気をつけて。危ないと思ったらすぐに撤退すること。もしおねーさんたちになにかあったら、おにーさんにも申し訳ないしね。おにーさんって、私のご主人様の友達だから」
「……ま、こんなとこの妖怪とまで友達になってるのは月見さんらしいわね」
それはともかく――なぜお燐がここまでこちらの身を案じ撤退を勧めるのか、さすがの霊夢といえども気に掛かった。なにかあったら月見に申し訳ないからと口では言っているが、本当にそれだけか。そして、お燐にここまで言わしめる黒幕の妖怪とは一体何者なのか。
確かに天子が言った通り、この異変、なにかがおかしい気がする。
けれど、
「じゃ、ついてきて。ちょっと遠いから、飛ばしていくよー」
関係ない。お燐がなにを隠しているとしても、黒幕が誰であるとしても、勝てばいい。勝てばぜんぶが丸く収まる。勝てば霊夢があの夏の異変から前に進んだということであり、勝てなければなにも変わっていなかったということである。
これは、必要なことなのだ。霊夢が、未だ心の奥底に巣喰うあの夏の記憶を、乗り越えるために。
この異変にかける想いは、きっと魔理沙と一緒のはずだ。隣を見ると、彼女はすべてわかっているかのように帽子の鍔を握り、ニッと笑った。
頷き合う。お燐の背を追いかけ、空へ躍る。
○
もしかすると自分は、人と比べて結構押しが弱い性格だったりするのだろうか。どうも、自分がなにを言ってもわかってくれない頑固な相手を前にすると、引いてはいけないはずなのに気がつけば折れてしまっている自分がいる。
はじめここに来たときも、そうだった。
「……ここだよ」
お燐がやってきたそこは、旧地獄の端の端、遠すぎて普段は寄りつく者すらいない僻地にある巨大な縦穴の真上だった。何度見てもとにかくデカい。穴の周縁を走って回るだけでも数分は掛かるはずだ。おまけに、覗き込んでみればずっと底の方で炎が揺らめいていて、相当な深さを持っていることもわかる。気を緩めればその瞬間に真っ逆様になりそうな心地がする。
周りの景色も随分と変わっている。旧都があるあたりはなだらかな平地だが、ここまで来ると赤茶けた岩肌があちこちで隆起し山のように連なった、峡谷とも呼べる地形になっている。今はもう見る影もないけれど、昔はそこかしこの岩場に血の池地獄があり、谷の底では血の川が流れていたのだ。そしてこの巨大な穴もまた、あるひとつの地獄へと通じている。
「……なによここ」
折りよく霊夢にそう問われたので、お燐は答えた。
「灼熱地獄に通じてる穴さ。もっとも、今はもう使われてないけどね」
ただし、この回答には少しばかりの語弊がある。あたかも昔からこの場所に存在している穴であるように聞こえるが、実際はここ最近になってできたばかりのものだ。そう言われなければ気づきもしないだろうが、穴の形は随分といびつで、地獄政策の一環で掘られたというより、なんらかの事故で突如として崩落したもののように見える。
そして正確に答えるなら、これは与えられた力を上手く扱えなかった『彼女』が、意図せずして崩壊させてしまった穴なのだ。
魔理沙が、不気味そうに体を抱いて身震いした。
「……その割には、案外熱いんだな」
彼女の言う通り、穴の底からは体にまとわりつくような熱気が立ち上がってきている。
「この下に、間欠泉の原因になった妖怪がいるよ。……熱を操る力を持っててね。そのせいで、ここいらの灼熱地獄が活性化してるのさ」
「ふうん……じゃあ、そいつを懲らしめれば間欠泉も落ち着くってわけね」
「そういうことになるかな。一応」
――倒せれば、だけどね。
二人が強い人間なのは知っている。藤千代と勇儀を同時に相手して勝てるやつなんて、たとえ弾幕ごっこであってもお燐ははじめて見た。
だがここから先は、ちょっとばかり、そういう次元の話ではなくなってしまう。
「……最後の確認だよ、おねーさんたち。あたいは、危ないからやめた方がいいって本気で思ってる。その上で、どうしても行くんだね?」
「……ねえ。あんたさっきからやけに私たちのこと心配してくれてるけど、この先にいるのってそんな危ない妖怪なの?」
まあ、それもあるといえばある。『彼女』は確かに、今は危険極まりない強大な力を持っているけれど。
でもそれよりも、本当の意味で危険なのは。
「危ないのは、むしろこの先の環境かな。この時点でこれだけの熱気が噴き上がってきてる。だから当然、この下はもっと暑い。……人間って、寒いのにも暑いのにも弱いでしょ?」
「ああ、なるほどね」
人間の体は非常に軟弱で、気温がほんの三十度を越えただけでも日頃の生活に大きく支障を来すという。灼熱地獄育ちのお燐からすれば到底信じられない話だ。なので霊夢たちがこの下に下りていったら、黒幕と出くわす前にぶっ倒れるんじゃないかと結構本気で疑っていたりする。
「……まあそれは、実際に下りてみてから考えようかしら」
「そうだな。ここであれこれ考えても意味ないし」
そして、もうひとつ。
この先で霊夢たちを待ち受けている妖怪は、もしかすると――。
「……」
いや、言うまい。言ったところでどうにかなる問題ではないし、確証だってない。変に彼女たちを不安がらせるようなことは言わないでおこうと思う。
だって、もしかすると、この二人は本当に勝ってしまうかもしれないのだから。それは決して根本的な解決にはならないけれど、お燐にとってはそうマズくない展開だった。お燐の理想は、さとりにも、藤千代にも、旧都の誰にも知られぬままこの事態を収束させることだ。月見が行方知れずな今、この人間に懸けてみるのも悪くはないかもしれない。
「んじゃ、とりあえず行きましょうか」
「おっけー」
勝ってくれれば御の字。
もし負けたとしても、そう大した話ではない。
「……気をつけてね」
穴の底へ消える二人の姿を見送りながら、お燐は自分にだけ聞こえる声で、ぽつりと言う。
「――どうなっちゃっても、知らないから」
忠告は再三したのだ。だから彼女たちがどうなろうと、ここから先は自己責任。
火焔猫燐――種族は火車、趣味は
生きている人間に、実のところ興味はない。
人間ひとりふたりがどうなろうと、結局のところ、彼女はなんとも思っていない。
○
そしてその頃の月見はといえば、山を下って紅魔館にいた。
「――よーし、行くよみーちゃん! おくれないでよねっ」
「それはこっちのセリフだよくーちゃん!」
「うわっ! ま、また来ましたね妖精ども! いい加減ここ襲うのやめてってば!」
「……」
なぜか地上の妖精を率いて紅魔館に襲撃をかける、『みーちゃん』と『くーちゃん』を発見していた。
「あたいたちも負けないわよーっ! ついてきなさいフラン!」
「はーいっ」
「ん!? あれっ気のせいですかね、なんか妖精たちの中に妹様の姿が」
「気のせいじゃないよー♪」
「ですよね――――――――ッ!? ちょっと待ってください妹様がそっちつくのは反則だばばばばばばばば」
「…………」
妖精連合+フランの弾幕攻撃で袋叩きにされる門番を、菩薩みたいな目で眺めていた。
「つっ、月見さん助けっ……! ほっほら、かわいい門番のピンチですよーっ!? あっ待ってみんなやめぶぶぶぼぼぼぼぼぼぼぼ」
「……はあ」
――まあ、そんなことだろうとは思っていたが。
たとえ異変が起きているさなかであっても、幻想郷はやっぱり、本日も極めて自由気ままなのだった。