銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第11話 「レコンサリエーション ③」

 

 

 

 

 

「――月見様は、いじわるですよね」

 

 大図書館へと向かう廊下の途中であった。十六夜咲夜。月見を先導しながら、振り返ることもせず、独りごちるようにそう言った。

 

「お人好しで能天気な狐さん、だと思ってましたけど……見直しました。お人好しで能天気でいじわるな狐さんですね」

「……」

 

 それがあまりに出し抜けだったので、虚を突かれた月見は一瞬足を止めてしまった。けれどすぐにまた歩き出し、咲夜の背に向けてそっと苦笑した。

 

「……それ、見直したって言うのかな」

 

 皮肉を言われていることはわかっていた。しかし果たして、十六夜咲夜という少女は来客相手に皮肉を言うほど我が強い子だったろうか。それだけ彼女の中で月見の評価が下がったのか、それとも、逆か。

 月見の背後、十一尾をまとめて作り上げたゆりかごの上で、フランが「えー」と不満の声を上げた。

 

「咲夜、月見はいじわるなんかじゃないよ」

「ですが妹様、私にとってはそうとも限らないのです」

 

 咲夜は首だけで振り返って、莞爾(かんじ)と笑う。

 

「あんな幻を見せられた身としては、いじわるだと思わない方が難しいですわ」

「だから、あれは私が悪いんだって言ってるのにー」

 

 ぶーぶーとふくれ面になるフランに、クスリと笑みを深め、足を止めた。今度は体ごとで月見に振り返って、尻尾の上のスカーレット姉妹を、眩しそうに目を細めて見つめた。

 

「でも、月見様がいじわるでよかったと思います。そのお陰で今、お嬢様と妹様がそうやって一緒にいられるのでしょうから」

「……」

 

 十一尾の上にある二人分の重みを感じながら、月見は静かに肩を竦めた。

 

「……咲夜。褒められてるのか貶されてるのかわからないよ」

「褒めてるんですよ」

 

 思いがけず即答が返ってきた。いつの間にか、咲夜の瞳が月見を捉えている。「貶されてる」と言われたことを非難するように、強く、まっすぐに。

 

「褒めてるに決まってるじゃないですか。無事に戻ってきてくれて、妹様を助けてくれて、お嬢様と妹様を仲直りさせてくれて、これ以上なんてないです」

 

 笑み、一礼する。

 

「ありがとうございました、いじわるな狐さん」

「えー」

 

 フランがまた唇を尖らせ、ぺしぺし、月見の尻尾を抗議の思いで叩いていた。

 

「咲夜。私、そういうのはもっと素直に言った方がいいと思う」

「いいんです。私はこれで」

 

 気取ったような表情だった。だがそんな顔をされてしまうと、無性に崩してやりたくなるのが狐の性。

 なので、月見はそうした。

 

「尻尾、触りたい時はいつでも言ってくれて構わないからね」

「っ……そ、その話はもういいんですっ」

 

 咲夜は肩を震わせ、頬をじわじわと赤くしながら、ちょっとだけ声を荒らげた。先ほどまでの澄まし顔は既に見る影もなく。もういいと言いつつも、現在進行形でこちらの尻尾をチラチラ盗み見ているのを、月見は決して見逃したりしない。

 くっくと喉を鳴らせば、咲夜は拗ねたように口をへの字にした。

 

「もうっ……行きますよっ」

 

 そっぽを向いて、月見たちを置いてどんどん先に進んでいく。そして突き当たりを曲がってその姿が見えなくなり、しかしすぐに戻ってきた。

 不機嫌そうに眉を曲げ、ぴしゃり、言う。

 

「早くしなさいっ」

「はいはい。今行くよ」

 

 月見は苦笑し、のんべんだらりと咲夜を追い掛けた。今まで彼女が月見に向けていた、客を相手にする際の一歩距離を置いた物腰が、少しずつなくなってきているのを感じた。

 尻尾の上で飛び跳ねたフランが、えーい! とこちらの背中に抱きついてきた。それがあまりに出し抜けだったので、目を丸くしてしまったけれど。

 

「月見、咲夜とも仲良くしてあげてねっ」

 

 そう言うフランの声が、とてもとても嬉しそうだったから。

 月見は笑って、まとめた尻尾の一本を解き、それで彼女の頭を優しく叩いた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 紅魔館に客が来ていることは、知らない妖力を持つ者がフランの地下室に入っていくのを探知魔法で知った時から、既に察していた。加えてその者がどうやら相当な粗相をやらかしたらしいことも、一時間ほど前に紅魔館全体を震わせたグングニルの衝撃から把握済みであった。

 そしてその上で、パチュリー・ノーレッジはすべてを無視していた。生来荒事は得意でないし、なにより今打ち込んでいる研究がちょうど煮詰まってきていたところだったので、グングニルの衝撃で崩れた本たちに小悪魔が悲鳴を上げるのも構わず、“動かない大図書館”の二つ名を貫き続けていた。

 

 予想外だったのは、その客とやらが大図書館を訪ねてきたことだったろうか。珍しく、パチュリーの部屋のドアを咲夜が叩いたのだ。お客様に大図書館の本を見せてあげてほしい、と。

 スカーレット姉妹との連戦を終えてとっくに死んだものだと思っていたのに、なんで。パチュリーは驚き呆れて、手に持っていた魔法薬を瓶ごと一本ダメにしてしまった。

 

「なんなのよ、一体」

 

 どうしてスカーレット姉妹と戦って生き長らえているのかもわからないし、どうしてそんな客をわざわざ咲夜が大図書館まで連れてくるのかもわからない。パチュリーは研究を一時中断、頭を抱えて自室を飛び出し、大図書館の入口へと向かった。

 しかして現在。

 

「……なんか色々とツッコみたいことがあるんだけど、いいかしら」

 

 パチュリー・ノーレッジは、三つの予想外な現実に直面し、どうしたらいいかわからずその場で棒立ちになっていた。

 一つ。咲夜が案内してきた客というのが、十一尾の銀狐などというなんだかよくわからない男であったこと。

 二つ。その男が尻尾をまとめて作り上げたゆりかごのようなものの上で、なぜかレミリアが幸せそうな寝息を立てていること。

 そして、三つ。

 

「パチュリー、久し振りー」

「……フラン」

 

 同じくしてそのゆりかごに乗っかったフランから、狂気の気配が限りなく感じられなくなっていること。

 

(……なによ、これ)

 

 思う。色々おかしい、と。十一尾の狐ってなんなのよとか、フランの狂気がここまで薄くなってるなんてどういうことなのとか、ってかレミィはなんでそんなとこで眠りこけてんのよこのバカレミィとか、色んな感情がいっぺんに押し寄せてきて、思わず難しい顔をして黙り込んでしまう。

 

「パチュリー、どうかした?」

「……ん」

 

 ふとフランの声で我に返って、いけない、と首を振った。魔法使いの、なかんずく研究者としての側面が強いからか、気になることがあると所構わず考え込んでしまうのは悪い癖だ。

 常識的に見て、来客に挨拶もせずにするようなことではない。パチュリーは眉間に寄っていた皺を解いて、銀の狐を見遣った。

 

「ごめんなさい。……私はパチュリー・ノーレッジ。魔法使い兼、この図書館の管理人よ」

「はじめまして。私は月見。しがない一匹の狐だよ」

 

 ――しがない、ね。

 嘘つけ、とパチュリーは腹中低く笑う。十一もの尾を持っている狐が、ただの狐なわけがない。あの八雲藍と同格か、或いはそれ以上か。

 しかし、どうやら人当たりは悪くなさそうだ。物腰は柔らかく、温厚の色が濃いように見える。なにより尻尾の上にスカーレット姉妹が乗っていることから、悪い妖怪でないのは明白であった。

 ……だったらなんで、レミリアがグングニルをぶっ放すような事態になったのだろうか。妖力の気配からして、レミリアたちと戦っていた妖怪が彼であるのは、間違いないはずなのだが。

 四つ目の疑問ができたわね、とパチュリーは嘆息。とりあえず一つずつ消化していこうと思い、男の尻尾を一瞥して言った。

 

「十一尾なんて、珍しいわね」

「ん……そうだね」

「普通、狐で十一尾なんてありえないと思うんだけど。どうしてそんな風になったのかしら?」

 

 男――月見は小首を傾げ、曖昧に笑った。

 

「さあ、そのあたりは私にもさっぱり……」

 

 まあそんなものか、とパチュリーは内心吐息した。自分のことなのになんでわからないのよ、とは思わない。自分の体とは、言ってみれば一つのブラックボックスと同じだ。もし自分の体のことがすべてくまなくわかるなら、世の中医者という職業は生まれていない。きっと、八雲藍に「どうして九尾になったのか」と訊いても、似たような答えが返ってくるだろう。

 

「ただ、昔、派手に戦って死にかけたことがあってね」

「……臨死体験をして、新しい力に目覚めたってこと? 夢想的だわ」

 

 腕を組みつつの月見の言葉は、鼻であしらった。もっとも、魔導書の他に外の世界のマンガを読んでいたりする身としては、嫌いな考え方でもなかったのだが。

 パチュリーは次いで、月見の尻尾の上へと目をやった。

 

「……それで? どうしてその十一尾の上で、我らが紅魔館の主様はだらしなく眠りこけてるのかしら」

 

 こんな皮肉を言ったところで、当のレミリア本人が夢路を辿ってしまっているから意味はないのだけれど、それでも。

 館の主人である彼女がみっともない姿を晒せば、紅魔館の世間体に傷がつく。主人の悪評は、組織全体の凋落(ちょうらく)へと直結しかねないのだ。別に四六時中なんて言わないから、せめて来客中くらいは気を引き締めてくれないだろうか。

 これには、さすがの咲夜も弱り切った苦笑を浮かべていた。

 もう、とパチュリーは大きく嘆息。

 

「みっともない当主で申し訳ないわ」

「いやいや。まだ小さいんだし、こういう可愛らしいところがあってもいいと思うよ」

 

 けれど対する月見は、ただ愉快げに相好(そうごう)を崩しただけだった。おおらかで、些細なことは――これが些細かどうかは甚だ疑問だが――気にしない性格なのだろう。

 

「色々、無理をさせてしまったからね。これくらいは」

「グングニルをぶっ放してたわね。あなた、一体なにをしたっていうのよ?」

「この子とフランを仲直りさせるために、ちょっとね」

「……そう」

 

 フランを見遣ると、すぐに、思わず目を細めてしまうくらいに眩しい笑顔を返された。こんなに綺麗な彼女の笑顔を見るのは、もしかしたら初めてなのかもしれなくて、パチュリーは小さく息を呑んだ。この子はこんなに素敵な顔で笑えたのかと、ハッとさせられる。

 

「狂気は、もう大丈夫なの?」

「うーん、どうなんだろう……ちょっとよくわかんない」

 

 自信なさげに苦笑したフランは、「でも!」と力強くつなげ、

 

「今はとっても綺麗な気持ちなの。……だからきっと大丈夫。もう私、狂気なんかには負けないから!」

「……」

 

 パチュリーは、返す言葉を見失っていた。

 どうしてフランは、ここまで変わったのだろう。月見の言葉が頭に反芻される。仲直り。……まさか、たったそれだけで? 姉と仲直りができたから、狂気を()ね退けるほどに心が強くなったとでも言うのか?

 ……非論理的だ。フランの狂気を抑える方法がないかと論理的に研究していた自分を嘲笑うかのような。あんなにフランを苦しめていた悪魔を、たった一つ、心という形のない武器だけで打ち破ってしまうなんて。

 

「……あなた、本当になにをしたっていうの?」

「言ったろう? 本当に、“ちょっと”のことをしただけだよ」

 

 問うても、月見は飄々と肩を竦めただけで、

 

「きっかけを作っただけさ。結果としてフランが狂気に打ち勝ったのは、結局、この子たちが強かったからだ」

 

 彼がフランの頭に手を置くと、彼女は気持ちよさそうに目を細め、むふーと得意顔になった。……この子“たち”と言ったから、恐らくはレミリアや咲夜も入っているのだろうか。

 わからない。フランを蝕む狂気は、もはや感情論でどうにかできるレベルではなかったはずなのに。一体どんなきっかけを作れば、それに打ち勝つほどにまで心を奮い立たせることができるのだろうか。

 でも、――でもやっぱり、嫌いな考え方ではなかった。非論理的で夢想的だけど、心の力だけで逆境を撥ね除けるなんてお伽噺が、本当に起こりうるなんて――素敵じゃないか。

 今まで長年を費やしてきたフランの狂気を抑え込むための研究は、完全に徒労になってしまいそうだったけれど。

 

「……よかったわね、フラン」

 

 本当によかったと、パチュリーの頬がかすかに綻ぶ。いつかフランが狂気を制御できるようになった日には、ちょっとずつでも、外の世界を見せていってやりたい――そう願っていたレミリアの夢も、もはや夢ではなくなっているのかもしれない。

 レミリアとフランが、仲良く星空散歩に飛び立っていく背中。思い描くだけで、焦がれるように胸が熱くなった。

 

「本当によかったわ」

「うん、ありがと。……ねえ、パチュリー」

「なに?」

 

 はにかむフランに、問い返す。彼女はなにか緊張しているのか、あやふやに目線を迷わせていた。

 それから俯いて、上目遣いで、体を縮こませて。

 そして最後に、蚊が鳴くくらいに引っ込み思案な声で、

 

「……これからも、よろしく……ね?」

 

 ――一体なにを言われるやらと思えば。

 どうしてフランが改めてそんなことを言ったのか、パチュリーにはよくわからなかった。だって、パチュリーの答えなんて、問われる前から明らかなのだから。

 

「ええ。よろしくね、フラン」

「っ……うん、うん! よろしくね、パチュリー!」

「……!」

 

 一瞬……ほんの一瞬だけ、この地下の図書館に、太陽の光が差したような気がした。

 この時フランが浮かべた満点の笑顔を、パチュリーはしばらく忘れられそうにない。明るい物を長時間見つめているとその輪郭が網膜に焼きついてしまうように、きっと目を瞑っても鮮明に思い出すことができる。そんな太陽みたいに笑ったら隣のレミィが気化しちゃうじゃないと、本気で思ってしまうくらいだったのだ。

 ずっとこの地下室にこもって研究ばかりしているパチュリーには、ちょっとだけ、眩しすぎて。

 まぶたを下ろして、胸の中に生まれたこのぬくもりを、逃さぬようにと両手で包み込んだ。

 

「……どうしたの、パチュリー?」

「いいえ、なんでもないのよ」

 

 顔を上げて、微笑み返す。それは、今見た太陽の明るさに比べれば、遠く及ばないけれど。

 こんなに綺麗な気持ちで笑ったのは初めてかもしれないな、とパチュリーは思った。

 

「……それで? あなたは、本を読みにここに来たということでいいのかしら」

 

 銀の狐へ、そう問い掛ける。月見。ほんの二時間ほどで紅魔館を劇的に変えてしまった、変な妖怪。一体何者なのか不審に思うところはあったが、特にフランがうんと懐いているみたいだし、本を読むくらいは好きにさせてやろうと思った。実際に話をしても悪い印象は受けなかったから、どこぞの魔法使いのように本を盗んでいったりもしないだろう。

 月見は頷き、尻尾の上で眠りこけるレミリアを一瞥した。

 

「レミリアが起きるまで、ね。何冊か貸してもらって大丈夫かな?」

「ちゃんと返してくれれば、自由に読んでもらって構わないわ」

 

 ちょうどあの白黒魔法使いの姿が脳裏を掠めていたからだろうか、ちゃんと返してくれれば、の部分を無意識のうちに強調してしまう。……ああ、そういえば二、三日前にもまた何冊か持っていかれたっけ。思い出したら頭痛がしてきた。

 

「……なにやら、大層困ってるみたいだね」

 

 どうやら顔に出ていたらしく、月見がその瞳を同情の色で(すが)めていた。パチュリーは、眉間に寄った皺をゆっくりと揉み解しつつ、

 

「私と同じ魔法使いなんだけど、来るたびに魔導書を持って行ってくれるのよ。……もし見かけたら、あなたからも言っておいてくれないかしら。不法侵入に窃盗、外の世界だったら補導では済まされないもの」

「覚えておくよ。どんな相手だ?」

「会えば一発でわかるわ。ああきっとこいつだなって、雰囲気でわかってもらえるはずよ」

 

 レミリアとフランを仲直りさせてくれたあたり、彼が心優しいというか、世話好きな妖怪であることは容易に想像できるから、こう言っておけば、あの魔法使いがやって来た時に抑止力になってくれるのではないか、とパチュリーは期待した。

 なんだか彼の良心を利用するみたいで申し訳なかったが、それだけあの魔法使いには頭を悩まされていて、猫の手も借りたい気分なのだ。小悪魔や妖精メイドは力が弱くて太刀打ちできないし、咲夜は家事で忙しいから余計な手間は掛けさせたくないし、パチュリー自身も体が弱くて率先しては動けない。必然、第三者の手を借りざるを得なくなる。

 そもそもあの門番が真面目に仕事を全うしてくれれば、こんなことでいちいち悩む必要もなくなるのだけれど……。

 

「ごめんなさい。上手くやってくれたら、ちゃんとお礼はするわ」

「や、そこまでしてもらわなくても。困った時はお互い様だよ」

「……娑婆気ないわねえ」

 

 妖怪のくせに謙遜するとは、生意気な狐だ。

 

「本を読ませてもらえるだけで、充分ありがたいからね」

「……そう」

 

 その謙虚さを半分くらいあいつに分けてやってくれないかしら、とパチュリーは割と本気で思った。

 

「……じゃあ、図書館は広いから案内をつけてあげるわね。咲夜、こぁを呼んできてちょうだい。多分そのへんで本の整理をしてると思うから」

「はい、すぐに」

 

 傍に控えていた咲夜がさっと一礼、次の瞬間には忽然と姿を消している。時間を止めての瞬間移動。きっともう、小悪魔を見つけ出して事情を説明しているだろう。

 咲夜が小悪魔を連れて戻ってくるまでの間、パチュリーは間を持たすために月見へ話題を振った。

 

「あなたは、どんな本を読むのかしら」

「ん? ああ、本は乱読派なんだ。学術書でも小説でも、面白そうなものはなんでも読むよ」

「フランは絵本が好きー!」

 

 フランが勢いよく手を挙げて言った。

 

「難しい本は嫌いー。眠くなっちゃうもの」

「フランは本で勉強するのは嫌いか?」

「お勉強嫌いー」

 

 そして月見の尻尾の上でごろんと寝転がり、両足をバタバタさせる。

 

「パチュリーはいっつも難しい本ばっか読んでてねー、私はすぐ眠くなっちゃうの」

「ふふ。確かに難しい本を読んでると、不思議と眠くなってしまうね」

「本当っ?」

 

 月見が頬を緩めて相槌を打つと、フランはパッと飛び起きて彼の背中に飛びついた。えへへ、とだらしなく笑って、

 

「月見も眠くなるの?」

「もちろん。寝つけない日はわざと難しい本を持ってきてね。布団に入りながら読んでると、いつの間にか眠っていたり」

「あっ、それ私もやったことあるよ! 一緒だねー」

 

 月見とお揃いなのが、よっぽど嬉しかったのだろうか。フランは彼の背中に引っついたまま、鼻歌交じりに、右へ左へ体を揺らしてリズムを取っていた。本当によく懐いている。てんで種族の異なる妖怪同士とはいえ、ここまで仲がいいとまるで親子みたいに見えてくるから不思議なものだ。

 

(……親子、か)

 

 或いはフランも、そう感じているのかもしれない。彼女はその狂気のせいで、親の愛をあまり受けることができなかったみたいだから。唯一の家族だったレミリアとも、今までずっとすれ違い続けていて、甘えるなんてとてもできなかったから。

 パチュリーはよくわからないけれど、この月見という男は、フランのためにとても大きなことをしたのだろう。

 だからフランは、そんな彼に、甘えたいのかもしれない。

 パチュリーは、心の中でそっと笑った。そしてレミリアを見て、思う。……ねえ、レミィ。そんなにのんびりしてると、彼にフランを取られちゃうかもしれないわよ?

 

「ねえねえ、月見ー。私、月見に読み聞かせしてほしいなあ」

「というと、童話かな? ……そういう本は置いてあるのか?」

 

 向けられた問いに、パチュリーは「もちろん」と頷いた。

 

「ええと……そこの本棚から入って、確か七十八番目の棚の……上から四十三段目だったかしら? いけないわね、近頃ずっと研究ばかりしてたから忘れてるみたい」

 

 ふとしたように、月見が頭上を見上げた。広がるのは、十メートル以上にもなる背の高い本棚の密林。脚立も階段も用意されておらず、利用者が空を飛べることを前提にした作りは、

 

「まるで押し潰されそうになるね……。一体、どれほどの本たちが収められてるのか」

「それは私にもわからないわ。この図書館には、まだ整理されていない本たちもたくさんあるから」

「ふうん……どうしてこれほどまでの本を?」

「さあ……。ここの昔の住人に、熱心な蒐集家でもいたのかもしれないわね」

 

 咲夜が小悪魔を連れて戻ってきたのは、ちょうどその時だった。

 

「お待たせしました」

「お、お待たせひ、ひ、しましたっ……!」

 

 よほど急いできたのか、小悪魔の息がすっかり上がってしまっている。一方の咲夜は涼しい表情。恐らく、適度に時間を止めて休憩していたのだろう。

 ひーひーと肩で息をする小悪魔に、月見が心配そうに眉を寄せた。

 

「大丈夫か?」

「ひっ、ひっ……す、すみません、お待たせしてしまって……」

「いや……そんなに急いでもらって、こっちこそ申し訳ないというか」

「お、お客様を、お待たせ、するわけにもっ……ひー……」

 

 月見がすっかり面食らった様子でこちらを見てきた。パチュリーはただ小さく肩を竦め返す。まさか咲夜がこんなに急いで小悪魔を連れてくるなんて、パチュリーにだって予想外だったのだ。

 

「……咲夜、これは水かなにかを」

「もう持ってきてますわ」

 

 月見が言った瞬間、咲夜の手の中に水を入れたコップが現れる。

 

「はい」

「あ、ありがとうございます……」

 

 コップを受け取った小悪魔は、それを一気に口へ傾け、ゴクゴク惜しみなく喉を鳴らした。

 咲夜が落胆した様子でため息を落とす。

 

「まったく、鍛え方が足りないわよ」

「さ、咲夜さんはどうせ時間を止めて休んでたんでしょうっ? それなのにあんなに急かすなんてひどいですよお……」

「……咲夜、あなた一体なにをしたのよ」

 

 すぐに連れてこいと頼んだ覚えは、ないのだけれど。いや、ゆっくり連れてきてと言った覚えもまたないのだが、そうだとしても普通、ここまで急いだりなんてするだろうか。

 問えば、俄然と勢いづいたのは小悪魔の方だった。

 

「聞いてくださいよパチュリー様、ひどいんですよ咲夜さんったら! ちょっとでもスピード緩めたらすぐナイフが飛んできて、私、もうここで死ぬかとっ」

 

 涙声の訴えに、ああ、とパチュリーはなんとなく納得。手を緩めるとナイフが飛んでくる。そんな愚痴を、以前にも美鈴から聞かされたことがあったような気がする。

 十六夜咲夜という少女は、自身が『完全で瀟洒な従者』なんてものを目指しているからか、同じ紅魔館の従者たちへは案外スパルタなのだ。

 

「そんなに急がなくてもよかったのに」

「そうはいきませんわ。月見様は本当に、この紅魔館のためによくしてくださいましたから」

「真面目ねえ」

「あの、パチュリー様。言葉よりも先にナイフを投げる人って、真面目っていっていいんでしょうか」

 

 パチュリーは聞かなかったふりをした。

 

「じゃあこぁ、あとはよろしくね。童話の棚まで案内してあげて」

「うう……わかりましたぁ……」

 

 しょぼくれた小悪魔は、「本棚は倒れるし、ナイフは投げられるし、今日は厄日です……」と愚痴をもらしながら、改めて月見と顔を合わせる。

 

「小悪魔です……。この図書館の、司書みたいなものをしてます」

 

 すっかり元気のないその挨拶に、月見は持て余すように苦笑して応じた。

 

「月見だよ。よろしく」

「それじゃあご案内しますね。童話の他に読みたい本があったら、私に訊いてください。この図書館はとっても広いですから、適当に探して見つけられるなんてことはありませんので」

「そうだね、そうさせてもらうよ」

「……じゃ、それで決まりね」

 

 一瞬、このまま月見たちのあとについていっても面白そうだと思ったけれど、「早く行こー!」と月見の背を叩くフランの姿を見て、やめた。

 せっかくフランが狂気を克服して、あんなにも嬉しそうなのだ。月見との時間は、しばし彼女にあげよう。

 今取り組んでいる研究も、ちょうど完成に近づいてきているのだし。

 

「私は魔術の研究に戻るわ。もし魔導書を読みたい時は、私に一言通してくれさえすれば自由にしてくれて構わないから」

 

 パチュリーの切り出しに、咲夜も続く。

 

「私も仕事に戻ります。本以外のことでなにかありましたらお呼びください。時間を止めて、すぐに駆けつけますから」

「ああ、ありがとう」

 

 そこまでしてくれなくても大丈夫なのに――月見の苦笑は言外にそう語っていた。

 けど、きっと、咲夜も嬉しいのだろう。彼はフランを狂気から救い出してくれた、紅魔館にとっては、謂わば恩人みたいな人で。だから、なにかお礼をしてあげたいのではないだろうか。

 パチュリーが踵を返そうとしたその瞬間、ふと、月見の尻尾の上で眠りこけるレミリアの姿が目に入った。すっかり安心しきってだらしがなくて、紅魔館の主人としてのカリスマなんて欠片もなくて。

 それでも今度は、その醜態を嘆くようなことはなかった。口元に浮かぶのは微笑み。楽しそうにレミリアの寝顔を見つめるフランの姿が、すぐ近くに見えた。

 

(よかったわね、レミィ)

 

 苦しかった日々は、もうおしまい。明日からの紅魔館は、仲直りしたこの二人の姉妹で、きっと明るく賑やかに色づくだろう。

 心が軽い。なんとなく、今なら研究が大きく捗りそうな予感があった。

 私も随分とわかりやすいものねと、そう思いながら。

 パチュリーは部屋に戻る傍ら、複雑な魔法理論の計算式を、広々と脳裏に描いていった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――」

 

 聞こえる声は、果たして誰のものだったろうか。

 低いバリトンの声。男のくせに優しくて、ふっと気を緩めたらそのまま心まで染み込んできそうな、そんな。

 

「――」

 

 レミリアの、嫌いな声だった。

 大好きだった父を思い出してしまうから、嫌いな声だった。

 

「――、――」

 

 でも、今は違う。こうして耳をくすぐられても不快感はなくて、むしろ心が安らいでいる。まるで、本当に父の声を聞いているかのよう。

 

「――……」

 

 ねえ、あなたは――

 私を安心させるあなたは、一体誰――?

 

 

 

 

 

 レミリアは、銀の絨毯の上にいた。ふぅわふわ、まるで生きているかのように柔らかいベッドの上で、布団も掛けずに寝転がっていた。

 

「……」

 

 半覚醒の思考は、体を起こすところまでは進まなかった。寝惚け眼のまま絨毯に押しつけていた顔を上げると、白い狩衣の背中が見える。

 その向こう側から、声が聞こえた。

 

「――こうしてお姫様と王子様は、生涯、幸せに暮らしたということです。めでたし、めでたし」

 

 抑揚のある優しい読み聞かせの声。それが夢の中で聞いたあの声と同じだったから、レミリアはまたふっと、父のことを思い出していた。

 ――もしかしたらここはまだ夢の中で、この背中は、本当にお父さんのものなんだろうか。

 ちょっとだけ、本気でそう思ったくらい。だから、声を掛けようと体を起こして――その背中よりも上、銀髪なびく頭にぴょこりと生えた獣耳を見た時、レミリアの思考は一気に冷却された。

 

「……あ、れ?」

 

 頭の中で、今までの記憶が泉の如く勢いで湧き上がってくる。そういえば私はあの時、勢い任せで“あいつ”の尻尾に飛び込んで、そのまま――。

 目の前で銀髪が振り返る。

 間違いない。

 あの狐だった。

 ああ、じゃあ、絨毯かと思っていたこの銀のふわふわは、もしかしなくても。

 

「おはよう、レミリア」

「ぅひあああ!?」

 

 掛けられた声に、レミリアは驚くあまり、そこ――月見の十一尾の上――から転げ落ちた。

 どすん、尻もち。

 

「いっ、たああぁ……!?」

「……おいおい、大丈夫か?」

 

 気遣いの声とともに、目の前に一本の尻尾を差し出された。掴まれということなのか。レミリアはつんとそっぽを向いて、スカートの裾を払いながら立ち上がった。

 ……迂闊だった、まさかあのままころっと眠りこけてしまうなんて。それだけの包容力を持っていた彼の尻尾を心底恨めしく思いながら、レミリアは周囲を見回す。

 いつの間にか場所が大図書館に変わっていて、フランも咲夜もいなくなっていた。一体どれほどの間、彼の尻尾の上で醜態を晒していたのかと思うと、恥ずかしさのあまりまたグングニルをぶっ放したくなってくる。

 

「よく眠れたか?」

「っ……!」

 

 どうやらその心内は完全に見透かされたようで、首でこちらを見ながらいじわるに笑う月見に対し、レミリアは割と本気でグングニルを出すか否か悩むのだった。

 

 彼は、この本棚の密林の中で間隔的にこしらわれている読書用の椅子に、横向きになって腰掛けていた。正面から座ろうとすると、きっと十一もの尻尾が邪魔になるのだろう。眠りに落ちる前、彼が「十一本もあるとさすがに邪魔だ」と言っていたのをふっと思い出す。

 レミリアが転げ落ちたことで、月見はゆりかごのようにまとめていた尻尾をゆっくりと解いた。十一本もあったら絡まってしまいそうなものなのに、さも、腕組みを解くかのごとくあっさりと淀みない動きだった。己の手足と等しく尻尾を操るその技量には、やはり妖狐としての格の高さが窺える。

 十一の尻尾を持つ狐。或いは金毛九尾よりも格上かもしれない大妖怪。妖怪とは思えないくらいに温厚で、お人好しで、世話焼きで。

 

「……」

 

 レミリアは、知らず知らずのうちに渋面を浮かべていた。やっぱりどうにも、彼のことが気に入らなかったのだ。フランがやけに懐いてしまったものだから、余計にそう感じるのかもしれない。

 確かに彼はフランを狂気から助け出してくれたし、そのお陰でレミリアは彼女と理解し合うことができた。

 でも一方で……なんだか妹を取られそうで悔しい、とか。

 そこまで考えたところで、レミリアはふと、正面にある月見の背がくつくつと揺れているのに気づいた。

 笑っているのだ。そうしてひとしきり含み笑いをした彼は、

 

「別にフランを取ったりなんて、しないからね?」

「――っ!?」

 

 ズバリ言い当てられて、レミリアの思考が一瞬で白熱する。声を上げてしまいそうになるのをすんでのところでこらえると、また、彼の背中が小さく揺れた。

 落ち着け、とレミリアは深呼吸する。幸いなことにこの場にフランはいない。もし彼女に今の話を聞かれたらと思うと気が気でないが、月見だけなら、グングニルをぶん投げて黙らせるとかなんとか、対処の仕様はいくらでもある。

 ――と、その時は思ったのだけれど。

 

「――へー、お姉様ってそんな風に考えてたんだー」

「にゃい!?」

 

 こんな素っ頓狂な悲鳴を上げたのは、きっと生まれて初めてだろう。……いや、そんなことよりも、今の声ってもしかして。

 そういえば、と思い出す。レミリアが目を覚ました時、月見は童話かなにかの読み聞かせをしていた。――では、読み聞かせの相手は一体誰だったのか?

 さーっ、と頭から血の気が失せていく。正面、月見の背中の向こう側で、ぴょこりと小さくなにかが動いた。白い生地に赤い大きなリボン。フランがいつも被っているお気に入りの帽子だ。

 その帽子はしばらくの間もぞもぞ動き、やがて、

 

「やっほー、お姉様ー」

「フ、フランッ!?」

 

 月見の右肩あたりから、フランの顔が帽子と一緒に飛び出してきた。

 レミリアは愕然とした。フランがいることはもはや覚悟していたが、よりにもよってそんなところにいたなんて。

 だって、あの位置からフランの顔が出てくるということは、フランは月見の体に正面から抱きついているのであって、つまりレミリアと月見の今までのやり取りは全部筒抜けだったのであっていやいやそんなことよりも月見が読み聞かせをしていたのがフランならもしかしなくてもフランは月見の膝の上にずっと座っていてそれを後ろから月見が抱きかかえる感じで読み聞かせしていたということでああもうなんだかよくわからないけどともかく

 

「あんた私のフランになにしてくれてんのよ――――ッ!!」

「ガッ」

 

 レミリアは月見の後頭部に跳び膝蹴りを叩き込んだ。

 そのまま流れる動きでフランを確保、月見のもとから速やかに退去。

 

「お、お姉様!? いきなりなにしてんの!?」

 

 フランが目を丸くして慌てたが、レミリアはそれどころではなかった。フランをその場に立たせると、上から下まで何度も何度も目をやって、

 

「大丈夫、フラン!? なにか変なことされなかった!? 変に触られたりしなかった!?」

「月見はそんなことしないよっ! フランに読み聞かせしてくれてたのっ!」

 

 フランは憤慨してレミリアを撥ね除けると、一直線に月見のもとに駆け戻って、呻く彼の後頭部を優しくさすった。

 

「大丈夫? 痛くない?」

「あ、ああ……痛いというか、びっくりしたよ」

「ごめんね、お姉様が……」

 

 それからレミリアを一睨み、頬をぷっくりりんごみたいに膨らませて、

 

「お姉様のバカッ」

「ち、違っ……私はてっきり、フランが変なことされてるんじゃないかと思って」

「それがバカだって言ってるのっ」

「そこまで言わなくてもいいでしょ!? 私はフランを心配してるのよ!?」

「だから、月見はそんなことしないって言ってるじゃない!」

「どうしてそこまでそいつのことを信用してるのよっ!」

「どうしてそんなに月見のことを信用してないの!?」

 

 あとは売り言葉に買い言葉。勢いのままに、気がついたら睨み合いになってしまっていた。

 

「……っ」

 

 ぐっと、唇を噛む。フランを怒っているわけではなかった。ただ、悔しかった。

 わかっている。レミリアは、月見に嫉妬しているのだ。今日フランと出会ったばかりの彼が、あんまりにも懐かれてしまっているから、それがズルくて、羨ましくて、悔しい。

 自分が今までフランにしてきたことを考えれば、それはとても浅ましい感情なのかもしれない。

 でも、それでも、大好きな妹だから。

 

「……ほら、二人とも。せっかく仲直りしたばかりなのにどうして喧嘩なんてするかな」

 

 呆れるように声を上げた月見に、あんたのせいだと言ってやりたい。けれどフランの視線が気になって、とても言葉にはできなかった。

 月見は浅く吐息して、フランの頭にその大きな掌を置いた。据わりの悪い雰囲気を切り替えるように、わかりやすく声の調子を明るくして言った。

 

「さてフラン、読み聞かせはおしまいだ。あとは、レミリアと一緒にいてやりなさい」

「え? 月見は?」

「私はもう少し本を読んでるよ。気になる本が他にもたくさんありそうだしね」

「えー、じゃあ私も一緒に」

「フラン」

 

 フランの言葉を遮り、もう一度、繰り返した。

 

「レミリアと、一緒にいてやりなさい」

 

 不思議そうな顔をして、フランがこちらを見つめてくる。レミリアはたまらずに視線を逸らした。違うと、その一言を言えればちょっとは楽になれるのかもしれないけれど、できなかった。フランと一緒にいたい。嘘偽りないその気持ちを否定したくなかった。フランにはずっとずっと嘘をつき続けてきたから、どうか今くらいは素直でありたくて、でも言葉にできるくらいの勇気もなくて、なにも言えないまま。

 

「……わかった。じゃあ私、お姉様と一緒にいるね」

 

 ……それでも心が通じたのは、姉妹だからだと思いたい。

 いい子だ、と月見に頭を撫でられたフランは、くすぐったそうに微笑をこぼして、それからパッとこちらに駆け寄ってきた。

 

「行こ、お姉様っ」

「え……」

 

 右手を取られる。掌と掌を通して、フランの柔らかい体温が伝わってきた。

 

「私、なんだか眠くなってきちゃった。久し振りに、一緒に寝ようよ」

「……、」

 

 レミリアは、思いがけず言葉を失った。あんなに一緒にいたいと思っていたはずなのに、いざとなるとどうしたらいいのかわからなくなってしまった。

 その背を押したのは、バリトンの声音。

 

「ほら」

 

 言葉は、それだけ。でも、それだけで充分だった。

 多分、すぐには無理だと思う。レミリアはフランに対して、500年近くの間、ずっと間違い続けた。そのわだかまりを乗り越えるのは、きっととても難しいだろう。

 だけど、いつかきっと、フランを素直に愛し、また、愛される姉となるために。

 もう二度と、間違わないために。

 レミリアがフランに返すべき言葉は、とっても簡単。

 

「……そうね。一緒に寝ましょう、フラン」

「うんっ!」

 

 途端、ほころんだフランにぐいと腕を引かれ、思わずバランスを崩してしまった。その予想外の力強さに戸惑いながら、静かに思う。

 

(フランにこうやって手を引かれたのは、いつ以来かしら……)

 

 掌越しに伝わるこのぬくもりが愛おしくて、レミリアはフランの手を強く握り返した。

 

「じゃあ行こ!」

「……ええ、そうね」

 

 そうしてフランに引かれるままに歩き出すと、ふと月見の横を通り過ぎる。視線は合わなかった。彼はもう、なにも言うことはないとまぶたを閉じて、こちらを見ようともしなかった。

 だからレミリアは、小さく唇だけを動かした。今はまだ、それを口にできるほど心を開くつもりにはなれなかったけど。

 

(――ありがと)

 

 この気持ちを、きっといつかは、言葉にできるのだろうか。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 そうして彼女たちの足音が聞こえなくなれば、月見のもとに久し振りに一人の時間が訪れる。

 ようやく、肩の力を抜けるような気がした。首が痛くなるほどに高い天井を仰いで、吐息する。

 

「……随分と手の掛かる姉妹だったこと」

 

 レミリアとフラン。それぞれ別々の意味で厄介な二人に振り回されて、さすがに疲れてしまった。他に読みたい本があるのは本当なのだが、このまま読書を続けたら、レミリアみたいに眠りこけてしまいそうだった。

 どうするかな、と考える。レミリアも起きたのだし、これ以上長居はせずに次の目的地を目指してもいいかもしれない。

 次の目的地――人里。もし可能なら、今日はそこで宿を恵んでもらいたいところだけれど。

 しかし気になるのは、この紅魔館を訪ねる際に降り出した大雨だった。あれに降り続けられる限りは、人里を目指すのはもちろん、外を歩くことすらもままならない。ここは地下なので判断の仕様がないが、雨脚はどうなっているのだろうか。

 少し、見てきてみようか――そう思い、月見が椅子から腰を上げかけた時だった。

 

「!」

 

 蹴破られたのかと思うほどの勢いで、図書館の入口が開け放たれる音が響いた。

 ついでに、少女のものと思しき声もついてくる。

 

「よーパチュリー、今日も本を盗みに……じゃなかった、借りに来たぜー!」

 

 張りのある元気な声だった。発言の内容からして、パチュリーが頭を悩ませているという件の不正利用客のようだ。眠気覚ましの意味も込めて、月見はすぐに図書館の入口へと足を向けた。

 しかしながら、ここからでは大分距離がある。果たして間に合うだろうか。

 本棚たちの間を、何度も何度も掻き分けていく。二分ほど歩いたが、それでも入口はまだ見えてこない。咲夜の能力による空間拡張の弊害だ。限られた空間を広く使えるのは便利だが、ここまで広くされてしまうと逆に不便を感じてしまう。

 上手く見つけられればいいのだけれど――そう祈りつつ、通り過ぎた本棚から右へ曲がった直後だった。狙いすましたタイミングで同じように曲がってきた人影に、あわや正面衝突しそうになった。

 

「おっと」

「うおっと」

 

 互いの反応は速かった。ギリギリのタイミングでお互い停止――したはずだったのだが、

 

「ぐふっ」

「あ」

 

 月見の鳩尾に、細いなにかがめり込む圧迫感。痛みに呻いて思わず体をくの字に折れば、鳩尾に叩き込まれたのは、どうやらほうきの柄の先っちょらしかった。

 どうしてそんなものが叩き込まれたのか。答えは、ぶつかりそうになった相手がほうきに跨がった魔女であり、加えてその魔女の飛行位置が、ちょうど月見の胸元あたりだったからだ。

 

「うわ、すまん。まさか人がいるとは思わなくて、止まり損ねちまった」

「へ、平気だよ。……うん、なんとか」

 

 腰を折った体勢のまま、声の聞こえた方へ手を振り返す。

 幸いこうして呻く程度で済んだが、もし当初の勢いのまま衝突していたら、月見は今頃、床の上をバタバタのたうち回っていただろう。危ないところだった、と月見は額に浮かんだ脂汗を拭った。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 魔女がほうきから降り、膝を曲げてこちらを下から覗き込んできた。パチュリーと同年代くらいに見える少女。鍔の広い黒帽子の奥で覗くのは、彩度の高い金髪金眼だ。

「大丈夫だよ」月見は鳩尾をさすりつつ折れた上体を起こし、深呼吸を一つ。まだじんじんと痛みが残っていること以外は良好だった。

 悪びれる様子などおくびも見せず、からからと、少女が笑った。

 

「運がなかったな。私と同じくらいの身長だったら、喉仏に一発ですぐ楽になれたのに」

「……背が高くてよかったよ」

 

 月見が力なくため息を返せば、少女の笑い声はますます高くなったのだった。

 白黒の魔法使い。ほうき以外、身に着けているものはすべて白黒であった。巨大な黒の三角帽子はもちろん、白のブラウス、黒のスカート、白のエプロン……本当に白と黒しかない。ともすればメイド服に見えなくもない、魔法使いとしては奇妙な出で立ちをしていたが、不思議と全体的な釣り合いは取れているようだった。

 肌は赤みのある肌色でとても活発そうな印象を受けるし、実際その通りなのだろう。初対面の月見になんの警戒も見せることなく、気さくに右手を出してきた。

 

「こんなカビ臭い図書館で出会うなんて、きっと相当な奇縁だな。霧雨魔理沙だ。よろしくな」

「……月見だよ。よろしく」

 

 まだ鳩尾に痛みが残っているのを感じつつ、なあなあと握手を交わす。そこで月見は、ふと、魔理沙の服がちっとも濡れていないことに気づいた。もしあの雨の中を飛んでやって来たのだとしたら、たとえ傘を差していたとしてもこうはならないはずだ。

 

「魔理沙。外、雨は降っていたか?」

「ん? 少し前まで相当降ってたけど、通り雨だったみたいだぜ。だからこうして、新しい知識を求めてやってきたわけだ」

「なるほど」

 

 どうやら雨は既にやんだらしい。ならば、今日中に人里に向かう予定は滞らずに済みそうだ。

 

「そういうお前も、本探しか?」

「いや、私はここで雨宿りさせてもらってたんだよ。この図書館へは、厚意で案内してもらってね」

「ふうん、ここの連中が素直によそ者を歓迎するなんて……ああ、だからさっきまで雨が降ってたんだな。納得した」

 

 神妙と頷く魔理沙に、月見は苦笑。素直に歓迎してもらうために、あわや死ぬかという大仕事をする羽目になったのだが――それはわざわざ言う必要もないだろう。

 それよりも、こうして運良く彼女を見つけることができたのだ。パチュリーとの約束は、果たさなければ。

 

「さて、魔理沙。単刀直入に言うけど、借りたものはちゃんと返すべきだぞ」

 

 うわ、と魔理沙が露骨に嫌な顔をした。

 

「パチュリーめ、余計なこと吹き込んだな。……言っとくが私は、盗みを働くような真似は断じてしてないぜ」

「その割に、パチュリーは相当悩んでるみたいだったけど」

「死ぬまで借りてるだけだ。死んだらちゃんと返すぜ」

「……そういうのを、世間一般では盗むって言うんじゃないか?」

「どこの世間一般だ? 私の地元じゃなさそうだな」

 

 月見は閉口した。パチュリーがあそこまで頭を痛めていた理由、今ならなんとなく理解できるような気がした。

 我が強い、というか、反骨のような少女なのかもしれない。これは、口で説明してどうにかなる相手ではなさそうだった。

 さてどうしたものかと月見が思案していると、不意に第三者の声が響いた。

 

「あっ、騒がしいと思ったらやっぱり! また来たんですね、魔理沙さん!」

 

 上だ。月見にこの図書館を案内してくれた、小悪魔という少女。スカートの裾を両手で押さえ、面差し鋭く、一直線にこちらに向けて降りてきているところだった。

 

「おっと、面倒なやつに見つかっちまったな」

 

 言葉とは裏腹に、魔理沙の表情は楽しげだった。特に逃げる素振りを見せることもなく、律儀にその場で小悪魔が降りてくるのを待っていた。

 そうして降り立った小悪魔は、わかりやすい怒り顔を浮かべて魔理沙に詰め寄った。

 

「また本を盗みに来たんですね!? 今日という今日は許しませんよ!」

「それ、前にも聞いたぜ」

 

 恐らく小悪魔は本気で怒っているのだろうが、それでも魔理沙は天邪鬼な言動を欠片も崩さなかった。むしろこの状況を楽しむかのように、へらへらと片笑む。

 

「そんなの関係ないです! 今日こそ観念してもらいますからね!」

「それも前に聞いたって」

 

 鼻であしらい、魔理沙が取り出したのはスペルカード。

 すなわち、弾幕ごっこ開戦の意思表示だった。

 

「……おいおい、こんなところでやるのか?」

 

 この図書の密林の中で弾幕ごっこなぞしたら、せいたかのっぽの本棚たちはドミノ倒しで倒壊し、何千ともなる本たちが四散して地獄絵図と化してしまう。

 その惨劇を想像して思わず口を挟んだが、魔理沙は不思議そうに小首を傾げただけだった。

 

「? いつでもどこでも気軽にできるのが、弾幕ごっこってもんだろ?」

「……」

 

 月見は痛む頭を押さえて嘆息しながら、顎をしゃくって上を示した。

 

「……せめて上でやってくれ。本棚を倒さないようにね」

「そりゃ、言われなくても」

 

 魔理沙は帽子を深く被り直して、ほうきに跨がるなり勢いよく飛鷹。それを、すぐに小悪魔も追い掛けていった。

 本棚たちよりも高くに昇り、そして二人は対峙する。

 

「覚悟してください。今日の私は一味違いますよ!」

「だからそれも前に……ああ、もういいや。さっさとやろうぜ、めんどくさい」

 

 魔理沙のため息を合図に、二人の周囲に弾幕が展開される。

 

「それじゃあ、尋常に――」

「勝負です!」

 

 そして、放たれた。

 無数の弾幕が飛び交い、相殺し合い、炸裂する。二人の姿はすぐに弾幕に埋もれて見えなくなり、それを下から眺める月見は、感嘆とも憂鬱とも取れないため息を、一つこぼした。

 

「……とりあえずこの場は大丈夫そうだし、本を戻しておこうか」

 

 フランに読み聞かせした絵本が出しっぱなしだったのを思い出して、七色の流れ星に彩られた空の下を、のんべんだらりと引き返していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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