銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第112話 「いつか陽のあたる場所で ②」

 

 

 

 

 

 稲妻のような勢いで紅魔館に戻ってきたフランは、「ちょっフラン待っ、速、あばばばばば」とぐるぐるおめめな姉を引きずり回して、早速咲夜のところに突撃した。咲夜は大図書館の一角にある読書スペースで、パチュリーと何事か話をしているようだった。

 

「さ――――くや――――――――っ!!」

「わっ、い、妹様っ?」

「フラン、声が大きいわよ。図書館では静かに」

 

 フランは急ブレーキを掛けた。シャーッと床を滑ってちょうど二人の傍で停止し、空いていた椅子にもそもそと座る。「あうあうあ~……」とすっかりノビている姉も、適当に隣の椅子に乗せておく。

 

「ただいまっ。なにお話してたの?」

「あ、いえ、大したことでは……」

 

 少し挙動不審な咲夜に、パチュリーが薄く笑って、

 

「まあ、咲夜のお悩み相談といったところかしら」

「月見のこと? どんなお話?」

「ふえ!?」

「あら、正解よ。なかなか鋭いじゃない」

「だって咲夜が悩むのなんて、月見のことかご飯の献立くらいだもんね!」

「そのご飯の献立も、月見になにを作りすぎるかだしねえ」

「わ、わー! わーっ!」

 

 咲夜が顔を真っ赤にして騒いでいるが、そんなのなんの意味もない。だって、咲夜が月見のことをどう思っているのか、紅魔館の住人には今や一人の例外もなく知れ渡っているのだから。フランの隣でバタンキューなレミリアだって知っている。もっとも彼女は、腹心の従者を月見に取られるんじゃないかと恐れ慄いて、断じて認めるつもりはないようだけれど。

 フランからしてみれば、紅魔館の住人に隅々まで知られた今の状況にもかかわらず、なぜこの期に及んで隠そうとしているのかが不可解である。自分みたいに素直になれば、その分月見との距離も縮まるのに。きっとレミリアと一緒で、『ビミョーなお年頃』というやつに違いない。

 己のピンチを悟った咲夜が、早速話を逸らしに入る。

 

「そ、それよりっ、随分と大急ぎでしたがなにかあったんですか? お嬢様なんてすっかりボロボロで……」

「あ、そうそう!」

 

 フランはテーブルに手を打ち、

 

「咲夜、月見のお見舞いに行くよ!」

「へ、」

「咲夜も月見に会いたいでしょ!? どーせそういうお悩み相談だったんでしょっ!?」

「うわあーっ!?」

「ふふふ」

 

 叫んだ咲夜と微笑んだパチュリーの反応を見るに、大正解らしい。そりゃあそうだ。だって咲夜は数日前、月見に料理の差し入れができなくて真剣にショックを受けていたのだから。そのあとになって月見がしばらく地底から戻らないと知って、冗談抜きで落ち込んでいたのだから。

 ちなみに作りすぎた料理は、美鈴が頑張って処分した。最近、武術の稽古にやけに精を出している。

 

「クリスマスイブに、みんなで月見のトコに行ってパーティーするよ! お菓子作って!」

「ま、待ってください、一体どういうことですか?」

「……なるほどね」

 

 まだ微妙に赤い顔で困惑する咲夜と違って、パチュリーは冷静に察したらしく、

 

「発案者は、さしずめ永遠亭のお姫様ね? さっき水月苑でそういう話になって、それで大急ぎで帰ってきたんでしょう」

「ぴんぽーん!」

「はあ、そういうことですか……」

「というわけで、咲夜ももちろん行くでしょ?」

 

 咲夜は矢庭に居住まいを正し、そわそわしているのを隠そうといかにも努力した感じで咳払いをした。

 

「んんっ……そ、そうですね。月見様のお体の具合が気になりますし、私も是非……」

「なんか覚妖怪がいるらしいけど、ぜんぜん問題ないよねっ」

 

 咲夜が氷結した。立てつけの悪い蝶番みたいな動きでこっちを振り向いて、

 

「……さ、覚妖怪? それって確か、」

「人が心の中で考えてることを読む妖怪ね。伝承では、人が考えてることをいちいち口に出して(・・・・・・・・・)からかったりする妖怪だとか」

「――……、」

 

 パチュリーが、口元になんとも意地悪な笑みを浮かべて補足する。咲夜は死んだように沈黙している。

 

「えーっ。月見のお友達なんだから、きっといい妖怪だよ」

「どうかしら。むしろ彼だからこそ、一癖二癖ある妖怪でもおかしくないと思うけど。そういうの多いじゃない、彼の周り」

「むう……」

 

 そう言われるとなかなか否定できない。いや、しかし、たとえそうだとしても、

 

「でも、なんか変なこと考えたりしなければ大丈夫だよね。つまり、いつも通りにしてれば平気だよ!」

「……だ、そうだけど? 咲夜」

「……………………」

 

 咲夜はキツく目を閉じ、しばらくの間、なにやら尋常ならざる葛藤と闘ってぷるぷる体を震わせていた。そして、やがて悔しさたっぷりでまぶたを上げると、小さい頃からずっと大切にしていた唯一無二の宝物を泣く泣く手放すように、

 

「妹様っ……月見様に、よろしくお伝えしてください……っ」

「えーっ!? 行かないのー!?」

「は、はい……今回は、その……」

 

 フランはとてもびっくりした。信じられなかった。まさか咲夜が、月見に会えるチャンスを自分からフイにしたりするなんて。月見に会いたい想いなら、きっとフランにだって、永遠亭のお姫様にだって負けていないはずなのに。

 パチュリーが肩を竦めて、

 

「そうねえ。私もまだ、咲夜に覚妖怪は早すぎると思うわ」

「なんでーっ? 咲夜、いつも変なこと考えてるの?」

 

 咲夜の姿が消えた。たぶん、時間を止めたのだと思う。席を立った気配などまるでなく、気がついたときには遠くの方から、「妹様のばかあああああぁぁぁ」と泣きながら走り去っていく声が聞こえるだけだった。

 静寂。

 

「……そっかあ。咲夜って、いっつも変なこと考えて生きてるんだ……」

「……幼心って、時になによりも残酷よねえ」

 

 でも、『変なこと』って一体なんだろう。フランにはちょっとよくわからない。

 しかし兎にも角にも、はっきりと言えるのは、

 

「むー、咲夜行かないのかー。残念……」

 

 背もたれに体を預け、フランは両脚をぶらぶらさせた。本当に予想外であり、残念だった。咲夜は当然参加するはずで、そうすればきっとすごく楽しいパーティーになると欠片も疑っていなかったのだ。

 

「レミィと、二人で楽しんでらっしゃいな」

「パチュリーは行く?」

 

 パチュリーはぴくりと震え、やや視線を泳がせつつ、

 

「……い、いえ、私も遠慮しておくわ。行き先は地底でしょう? 私の体には、ちょっとキツいと思うし」

「パチュリー様も、実は普段からいろいろと考えちゃってますしねっ! ごふ!!」

 

 さりげなく背後を取っていた小悪魔の脇腹へ、パチュリーは獣のような反射で魔導書の角を叩き込んだ。もちろん板みたいに分厚く、金具で武装済みの部分である。

 蹲ってぷるぷるする小悪魔を、パチュリーは絶対零度の眼差しで見下ろし、

 

「こぁ……無駄口を叩く余裕があるなら、仕事をなさい?」

「ふ、ふぁい……」

 

 そんな虚弱体質が嘘みたいに動けるのなら、別に大丈夫だと思うのだけれど。しかしそれでも行かないと言うのだから、パチュリーもまた、澄ました顔をして実は変なことを考えているに違いない。

 

 

 

 その後美鈴も誘ってみたが、案の定、「覚妖怪はちょっと……」と苦笑いで遠慮されてしまったので。

 

「みんな、変なこと考えてるんだね」

 

 フランのこの一言は、紅魔館住人の心を割とストレートに抉っていったそうである。

 

 ――フランドール・スカーレット、レミリア・スカーレット、参加決定。

 

「私も行くのおおおおお!?」

「行くのーっ!! もうぜんぶバラしてもらうよ!」

「いやあああああぁぁぁ!?」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 一方、輝夜の方はといえば。

 

「妹紅、ギンのお見舞いに行くわよ」

「なにそれ面白そう連れてけ」

「覚妖怪がいるらしいけど、あんたは別に気にしないわよね?」

「なにそれめちゃくちゃ面白そう連れてけ」

「あんたのそういうところは好きよ」

「キモい」

「ころす」

「スペルカードは」

「四枚」

「「上等ッ!!」」

 

 すんなり話がまとまっていた。

 

 ――蓬莱山輝夜、藤原妹紅、参加決定。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 また一方、幽香の方はといえば。

 

「妖夢ーっ!」

「あ、幽香さん」

 

 幻想郷を離れ、綻びた結界の隙間と長い長い石階段を越えて、冥界の白玉楼までやってきていた。

 今となっては、人里や水月苑に次いで幽香が通い慣れた場所である。水月苑の庭を妖夢と共同管理すると決まってからというもの、日本庭園のいろはを知るため、しばしば白玉楼の庭で勉強させてもらっているからだ。水月苑の庭とはまた趣の違う風光明媚な枯山水を越えていくと、妖夢は鋏を片手に草木の手入れをしていた。

 

「こんにちは。どうかしましたか?」

「月見のお見舞いに行くわよ!」

「はい?」

「決行はクリスマスイブ! いいわね?」

「ちょ、ちょっと待ってください?」

 

 妖夢は庭仕事の手を止めると、道具を置いて、うーん? と深く考え込む素振りをした。

 

「えっと……月見さんのお見舞いといいますと、つまり地底に?」

「そう。今日水月苑に、藍とか操とか藤千代がちょうどよく集まって、そういう話になったの。当然行くでしょ?」

「……あ、すみません。そういう話ならちょっと場所を替えて」

 

 そのとき遠くの方から、白玉楼の廊下をけたたましく疾駆する音、

 

「――話は聞かせてもらったわっ!」

「うわー遅かったー!!」

「私に黙っていい話をしようったって、そうは行かないんだからっ」

 

 亡霊らしからぬ快走ですっ飛んできたのは、西行寺幽々子だった。瞳が死人らしからぬほど爛々と輝いていて、なにをしに出てきたのかなどわざわざ問うまでもなかった。

 

「あら、あなたも行くつもり?」

「もちろんっ。紫は眠っちゃったし月見さんもいなくなっちゃうし、もぉー退屈で退屈で!」

「ああ、余計なのが食いついちゃったなあ……」

 

 妖夢が悄然とため息をついている。主人との付き合いが長い彼女は身を以て学んでいるのだ。主人が今のように生き生きとはしゃいでいるとき、大抵割に合わない目を見るのは自分なのだと。

 幽々子が縁側からふよふよと飛んできて、

 

「ねえねえ、私も行きたい行きたいっ」

「まあ私は、妖夢が来るならどっちでもいいけど」

「な、なんで私なんですか?」

 

 妖夢のあるまじき発言に幽香は憤慨した。

 

「なに言ってるの、私たち友達でしょ!? 一緒に行くのは当然じゃない!」

「ゆ、友情が重いよぅ……」

「なにか言った?」

「なんでもないです」

 

 まったくもう、と幽香は吐息する。まだ仲良くなってから日が浅いせいもあるのだろうが、この少女は友達のなんたるかをあまり理解していないから困り者だ。幽香が誰かを友と認めるのは、月見以来の、この世でまだたった二度しか起こっていない奇跡の出来事だというのに。

 

「ともかく、行くでしょ? 行くわよね?」

「行きましょう? 妖夢が行かなくても私は行くわよっ」

 

 幽香と幽々子に至近距離で迫られ、妖夢はだいぶ追い詰められた感じで、

 

「わ、わかりました! 行きます行きますっ、だから放してくださいってば!」

「ならよし」

 

 静かな達成感とともに頷いて、幽香は早速今後のプランを練りに入る。お見舞いの品として、やはり花束を外してはならないだろう。フラワーマスター特選の、とんでもなく豪奢な花束を持って行ってやろうと思う。今から取り掛かるにはギリギリだが、自分の能力をフル活用し、地底の気候に合わせた品種改良を施して、月見はもちろん古明地さとりとかいうやつにだって喜ばれるよう

 

「――ああ、そうだった。月見のトコに覚妖怪がいるらしいけど、別に問題ないわよね?」

「へー、覚妖怪が……ゑ?」

 

 妖夢が固まった。一方で幽々子は、あらあら~? と途端に面白そうな声を出して、

 

「覚妖怪って、あれよねえ。人の心を読むっていう」

「そうね」

「……、」

 

 沈黙する妖夢を横目でチラチラ見ながら、

 

「じゃあ、変なこと考えてるとぜんぶバレちゃうのね~」

「そうだけど……変なことってなによ。私と月見の間にそんなのは存在しないわよ。なんてったって、友達だもの!」

「…………、」

 

 妖夢がぴくぴく痙攣している。

 

「妖夢、あなただってそうでしょ?」

「へぇあ!? そそそっそうですね、別になにも変なことなんて」

「月見お兄ちゃん」

「んに゛ゃあああああ――――――――ッ!?」

 

 幽々子が何事か耳打ちした瞬間、妖夢は怪鳥の如き絶叫を上げて白玉楼の中に吹っ飛んでいった。そのあまりの勢いに幽香は目が点になり、五秒してからようやく、

 

「ちょっと、いきなりなによ!」

 

 追いかけてみると、妖夢は座敷の隅で座布団を頭に被り、それはそれは見事な『頭隠して尻隠さず』の恰好で、

 

「ゆ、幽香さあん! ごごごっごめんなさい、私やっぱり無理ですぅッ!?」

「はあ!? なんでよ、さっき行くって言ったばっかでしょ!?」

「だだだっだってぇ!?」

 

 なんとけしからん掌返しであろう。まさか、幽香を騙してぬか喜びさせたのか――いや、この少女にそんなあくどい真似ができるとは思えないから、先ほど幽々子の呟いた一言が原因に違いない。しかし、一瞬すぎたせいで聞き逃してしまった。

 ふよふよ追いついてきた幽々子が頬に手を遣り、並々ならぬ愉悦に目を細めて言った。

 

「幽香、つまりこういうことよ。――妖夢は、月見さんに対して変なことを考えてるの」

「妖夢……あなた……」

「うわあああああぁぁぁん!?」

 

 その後、涙目で切腹しようとする妖夢を落ち着かせつつ詳しく聞いてみると、幽香の口から出てきたのはなんとも呆れたため息だった。

 

「……なるほどねえ。あなた、月見のことをそんな風に思ってたワケ」

「ううっ……き、消えてなくなりたいよぅ……」

 

 確かに、まったくもって荒唐無稽な妄想、というわけではないかもしれない。月見と妖夢は同じ銀髪同士だし、見た目の年の差もちょうどいい具合に開いているから、言われてみれば、なるほど兄妹のように見えないこともないだろう。

 

「で、それをみんなにバラされたりするのが嫌だから、行きたくないと」

「はいっ……あの、どうかこの話は私たちだけの秘密に……!」

 

 顔面真っ赤で縮こまる従者の姿が嗜虐心を刺激するのか、幽々子は先ほどからずっと愉悦の表情である。

 

「とは言っても、月見さんにはとっくにバレてるんだけどね~」

「はう!?」

「あらそうなの。じゃあなにも問題ないわね、ほら行くわよほらほら」

「いいいっ嫌です嫌です嫌ですっ! これ以上多くの人に知られるなんて絶対に嫌ですううううう!?」

「そんなこと言わずに」

 

 しばらく粘ってみたものの、最終的に半泣きになった妖夢が土下座で許しを請い出す有様だったので、さすがの幽香も白旗を挙げざるを得なかった。フラワーマスターは、本気で嫌がる友達を面白半分で連れ回すほど鬼ではないのだ。

 

「えー、妖夢行かないのー? せっかく面白いことになりそうだったのにー」

「幽々子様のばかあああああっ!!」

 

 西行寺幽々子は、割と鬼だった。

 

 ――風見幽香、西行寺幽々子、参加決定。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 またまた一方、藍の方はといえば。

 

「――失礼します、紫様」

 

 そこは幾重にも張り巡らされた結界のトンネルを越えた先にある、八雲紫の寝室である。『とーみん中!!』の貼り紙がデカデカと自己主張する襖を開けると、陽光がほのかに差し込む部屋の中心で、膨らんでは萎んでを繰り返しているお布団饅頭が見えた。

 八雲紫は、本日も恙なく爆睡中である。

 結界の効果で紫にとって最適の温度・湿度が保たれた室内を進み、藍は音もなく主人の枕元に立つ。主人は頭の先まですっぽりと布団の下に埋もれており、あちこちからはみ出した長い金の髪は、冬眠前より一段と艶めいて見える。毎日毎日幸せに爆睡しまくって、傷んでいた髪やお肌の具合が回復しているのだ。

 

「紫様ー」

 

 藍は、ゆっくりと布団をめくった。

 紫お気に入りのモコモコお布団の下で、やはり彼女は爆睡していた。これまたお気に入りのもふもふクッションを抱き締め、顔をすぐ真横にはぴったりと『つくみ』を置いて、胎児みたいに丸くなり、すぷー、すぷー、と大変いぎたない爆睡っぷりだった。

 見た目、五歳くらい幼くなったように見える。もちろん、『妖怪の賢者』と呼ばれる大妖怪のカリスマなど、チリも残さずぜんぶ丸めて宇宙の彼方である。

 ちなみに『つくみ』とは、紫が月見と外の世界へ遊びに行ったとき――本人はかたくなにデートだったと言い張っている――、彼にクレーンゲームで取ってもらった銀狐のぬいぐるみだ。はじめは肌身離さず己の半身みたいに持ち歩きしていたが、あの八雲紫がそんな迂闊な真似をすればどうなるかは自明の理。ものの見事に紛失し藍にガチ泣きで助けを求めるという珍事ののち、半日がかりで発見された『つくみ』は紫の寝室に常駐し、彼女を幸せな眠りに導くのが仕事になった。

 寝室を閉ざす結界のトンネルのうち、実に十七枚は『つくみ』を守る防犯用という徹底ぶりだ。別にそこまでしなくても、境界の狭間に存在するこの八雲邸へ入り込める不徳の輩などまずいないので、大丈夫だと藍は思うのだけれど。

 ちなみにちなみに、ここでうっかり『つくみ』に触ると防犯用の弾幕でボコボコにされた挙げ句スキマに喰われ、紫が冬眠から目覚めるその日まで幻想郷には帰ってこられなくなるので注意が必要だ。

 さておき。藍は早速作戦を開始するため、袖の奥からあるアイテムを取り出した。小さくも確かな重量感と存在感を併せ持つメタリックボディ――ボイスレコーダー。一応、こういった機械類についても多少の心得なら持ち合わせている藍である。

 んんっと軽く咳払いをして、電源と録音のスイッチを入れる。レコーダーを紫の口元に近づけ、

 

「紫様。いろいろあって、十名ほどで地底に行きたいのですが……よろしいですか?」

 

 安眠快眠まっしぐらだった紫の健やかな寝顔が崩れた。まるで寝苦しそうにもぞもぞと身じろぎをして、

 

「んんぅ~……、……だめぇ……」

 

 藍は頷き、それから続け様に、

 

「ところで、冬眠明けのおやつは苺ショートでよろしいですか?」

 

 途端、紫はぱああっと嬉しそうに、

 

「ぜんぜんおっけぇ~……」

「……わかりました」

 

 作戦完了である。藍は録音を止め、音量を最小にした上で先頭から再生する。先ほどのやりとりが、一言も漏れなくきちんと録音されているのを確認する。

 完璧だ。あとはこの音源を編集し、『んんぅ~……、……だめぇ……』と『ところで、冬眠明けのおやつは苺ショートでよろしいですか?』の部分を削除すれば、

 

『紫様。いろいろあって、十名ほどで地底に行きたいのですが……よろしいですか?』

『ぜんぜんおっけぇ~……』

 

 という、完全無欠の言質が完成する。機械類に強くない紫なら、「わ、私、寝惚けてなんてことを……!」と真に受けるだろう。

 言質は取った。

 取ったったら取ったのだ。なので藍は小声でぽそりと、

 

「――よし。これで、なにも後ろめたいものなく地底に行けるな」

 

 行けるったら、行けるのである。

 だらしない寝顔の紫が、「わぁ~い月見大好きぃ……」と寝言を言っている。先ほどの会話の影響で、月見が苺ショートを買ってくれた夢でも見ているのだろう。そして恐らく数分後には、体重が増えた夢までバッチリ見てしまってうなされているであろう。八雲紫は、たぶん世界で一番幸せな妖怪に違いない。

 微笑ましい子どもを眺める眼差しで、藍はそっと布団を掛け直した。主人が問題なくお布団饅頭に戻ったのを確認して、寝室を後にする。

 

「……となれば、早く支度をしないと」

 

 まず、お菓子の準備は必須だ。フランが、咲夜にたくさんお菓子を作ってもらうと意気込んでいたのを思い出す。月見のお見舞いも兼ねるパーティーとなれば、間違いなく咲夜は全力で腕を振るってくるはずだから、藍だって遅れを取るわけにはいかない。それに、水月苑からいくらか月見の日用品も持っていった方がいいかもしれないし、ここは藍が率先して動かなければ。

 決して乗り気になっているわけではない。一度走り出してしまった輝夜たちを止めるのは不可能である以上、藍が保護者役としてついていくことでストッパーとなるしかない。約定を無視して地底に赴かねばならないのは非常に心苦しいが、これは事情が事情であり、已むを得ない、仕方のないことなのだ。

 

「うん、仕方ない仕方ない」

 

 自分で自分に四回くらい頷いて、八雲藍は静かに行動を開始する。

 その背後ではトレードマークの金毛九尾が、もっふもっふ、わくわくそわそわと元気いっぱいに揺れていた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 最後に、天ツ風操の方はといえば。

 

「――終おおおわったあああああぁぁぁぁぁっ!!」

 

 クリスマスイブをいよいよい明日に控えた昼下がり、遂にすべての仕事をぶっ倒していた。天を衝く万歳とともに絶叫し、びたーん! と執務机に大の字で突っ伏した。

 操が最後に倒した書類を手に取った椛は、速やかに紙面を検めて、満足げに頷きをひとつ。

 

「はい、いいですね。やればできるじゃないですか」

「ふっほっほっほ……ま、まあ、儂にかかればこの程度はね……?」

 

 何百回何千回とペンを走らせたせいで、指先はぴくぴく痙攣していて、なんだか目の前にお花畑が見えそうだった。もう今年は書類なんて絶対に見たくもない。

 しかし、その代償に見合うだけの結果は手に入れたはずだ。

 

「こ、これで、明日行ってもいいじゃろ?」

 

 最近先代に似て鬼より鬼らしくなってきている椛だけれど、そのときの微笑みはさながら天使のようだった。

 

「いいですよ。思う存分楽しんできてください」

「よっしゃああああああああああ!!」

 

 机に突っ伏したまま、操はびたんびたんと全身で喜びを表現した。天魔になってもう随分と長い操だけれど、この歓喜と達成感は過去の何物とも比較できなかった。ちゃんと仕事をしてよかった、と生まれてはじめて思った。苦節数日、操は遂に勝利を勝ち取ったのだ。もうなにも怖くない。

 しかし、これですべてが終わったわけではない。ここまではなんとか操のプラン通り。だから残る最後のピースを上手くはめ込めば、此度の宴会パーティーは非常に有意義で楽しいひと時となるはずなのだ。もうひと踏ん張りだ。あいはぶこんとろーる。

 して、その『最後のピース』が一体なんであるかといえば、

 

「――あのー、天魔様ー」

 

 折よく、向こうの方からやってきてくれたらしい。ノックの音に操は突っ伏したままで、

 

「おー、入っていいぞー」

「失礼しまーす」

 

 一応天狗の長である天魔の執務室にまるで畏まった素振りもなく入ってきたのは、自称清く正しい射命丸文である。彼女こそが、此度の宴会パーティーを最高に盛り上げるために必要な最後のピースなのだ。

 まっすぐ執務机の手前までやってきた文は、その上がほとんどすっきりしているのに気づいて目を丸くした。

 

「あれ? 天魔様、お仕事は終わったんですか?」

 

 操はどやーっと胸を張って、

 

「ふっ……儂が本気を出せば、ざっとこんなもんじゃよ」

「……実際はどうなの、椛?」

「わーいぜんぜん信じてもらえてなーい」

 

 椛は苦笑、

 

「本当にぜんぶ終わったんですよ。ここ数日は、ちゃんと真面目に仕事をしてくれたので」

 

 ようやく信じてくれた文は、へえーと記者の顔つきで手帳とペンを取り出し、

 

「それ、今度の特集記事にしてもいいですか? 『新たな異変の幕開けか!?』って感じのキャッチで」

「儂をなんだと思っとるんじゃ!?」

「天狗一のサボり魔」

「むきーっ!」

「実は近頃鴉天狗の間で、天魔様と小野塚小町はどっちがサボってるか、なーんて議論がアツくてですね」

「嘘じゃろぉ!?」

「まあそれは置いておいて」

「嘘だって言って!?」

 

 このところ椛のみならず、文の態度からも天魔への敬意が薄れている気がする。おかしい、天魔の威信と尊厳は一体どこへ行ってしまったのだろう。

 操の抗議をどこ吹く風と受け流し、文は手帳をしまった。

 

「……それで、私に話があるって聞きましたけど、どうかしたんですか?」

「ぐむっ……そ、それはじゃね」

 

 操は一度言葉を区切って心を落ち着けた。とにかく今は冷静になるのだ。ここから先は慎重に言葉を選ばなければ、操の目論見はあっという間に打ち砕かれてしまうだろう。あいはぶこんとろーる。

 言う。

 

「……月見が今、地底にいるのは知っておるじゃろ?」

「……ええ。それが?」

 

 文からの返答には、やや身構えるような間があった。やはり鋭い。この時点で彼女は、またこちらが妙なことを考えているのではないかと早くも疑いを持ったはずだ。

 ぶっちゃけ言うと大正解なのだが、悟られてはいけない。

 

「明日、藍とか輝夜とかと集まって、月見の見舞いに行くんじゃよ。それで、お前さんも一緒にどうかなーとな」

「……どうして、私なんです?」

 

 もっともな問いであり、そして、予想通りの反応だった。操は机に両肘を立て、いかにもシリアスなオーラを振りまきながら声を澄ませた。

 

「お前さんの、新聞記者としての腕を見込んで」

「……?」

 

 食いついた。

 

「お前さんもわかっとるとは思うが、今の幻想郷には月見の容態を案じとる者が多い。まあ、実際目で確かめることができないから已むなしじゃな。明日の見舞いだって、結局のところ発端はそこじゃ」

「……」

 

 私は心配なんてしてませんけどね、と文が目つきで雄弁に返答してくる。ただしその根底にある感情は、あいつのことだからどうせピンピンしてるに決まってるし、というある種の信頼であるように見受けられる。

 操は改めて強く思う――やはりこの計画、なんとしても成就させねば。

 

「頼みは簡単じゃ。明日、儂らと一緒に地底へ行って、月見の怪我が大事ないことを確かめ、記事にまとめてばらまいてほしい。お前さんが目で見て確かめた事実となれば説得力もあろうから、多くのやつらがこぞって手に取るじゃろう。お前さんの新聞作りに対する熱意は、誰しもが認めるところじゃからの」

「……なるほど」

 

 口元に手を遣って、文が悪くない反応で考え込む。新聞記者としての姿勢を天魔直々に認められて、実に満更でもなさそうである。いま彼女の頭の中では、発行部数の増加見込みについて目まぐるしく予想と計算が繰り広げられているであろう。

 ここでトドメの一押しだ。

 

「なんだったら月見の方はついでで、地底の取材をしてくれたって構わん。……原則立ち入り禁止(・・・・・・・・)の地底について、幻想郷ではじめて(・・・・・・・・)取材した新聞となれば、『文々。新聞』の名は出世街道まっしぐらかもしれんのー」

「…………、」

 

 決まった。

 完璧だ。間違いない。押し黙り、真顔で思考の海に沈んだ文の姿がその証左だ。そう――これがたとえ操の企てた罠であろうとも、地底を実際に取材できるメリットの大きさは計り知れない。出世街道まっしぐらだってまったくの夢物語ではない。ならば疑われるデメリットよりも、保証されたメリットを取る方が明らかに魅力的だと文は考えるはず。

 

「……悪い話では、ないですね」

「じゃろう?」

 

 だからほれ、さっさと行くと言ってしまえ。それで操の計画は成就される。嬉し恥ずかし賑やか楽しい宴会パーティーになる。さあ、さあ、さあ――

 

「そうですね……じゃあ、」

 

 失念していたのだ。横の方でせっせと書類の整理をしていた、犬走椛という名の異物を。

 

「でも文さん、いいんですか? 月見様のところには、覚妖怪がいるっていう話ですよ」

「ちょっ椛おまっ」

 

 ばかあああああ!? と操は心の中で絶叫した。それを言ったら、それを言ってしまったら、

 

「――――へえ」

 

 執務室の空気が、窓を全開にするより効率的にぐっと冷え込んだ。操は恐る恐る正面を見た。とってもステキな笑顔を満面に咲かした、文がいた。

 

「ひっ」

「なるほど、覚妖怪ですか~。それはとっても貴重な情報ですねぇー……」

 

 文はうんうんと二度頷く。そして、あくまで表情はそのままで、しかし声音から一切の優しさが消失し、

 

「――で? 天魔様は、そんな重要な情報をなんで伏せてたんですか?」

「……あああっあのあの実はちょっと忘れちゃってたというかいやー儂ってうっかりさんじゃねーだから決してわざと教えなかったとかそんなんじゃ」

「私の心をその覚妖怪に読ませて、なにをするつもりだったんですか?」

「……あ、あの、文さ」

「ねえ、天魔様? 答えてください」

 

 やばい。

 泣きそう。

 

「天魔様? まさか、私には言えないようなことを企んでたんですか?」

「そ、そんなことないんじゃよ!」

「そうですか、じゃあ一切合切話してください」

「くううっ……!」

 

 操はままらない現実を恨んだ。あと一歩、本当にあと一歩で操の計画は成就していたはずだったのに。これもぜんぶ、余計な口を叩いてくれた椛のせいだ。あのれ椛め、かくなる上は春になるまで一切の仕事をボイコットして泣かせてやる――あれ、それって結局泣くのはおしおきされる儂の方じゃね?

 

「天魔様ぁー?」

「はいぃっ! お前さんが実際月見をどう思っとるのか、ぜんぶ暴いてもらおうと思ってましたぁっ!」

 

 沈黙。十秒ほど首を真綿で絞めるような間があってから、文が更に一層にっこりと笑った。それを見て操も、引きつった頬で精一杯に笑った。

 

 ――天狗の屋敷執務室のみを襲う、極めて局地的なハリケーンが発生した。

 

「失礼しますっ!!」

 

 ぷんすか怒る文が立ち会ったあとの執務室は、そりゃあひどい有様だった。椛の整理した書類がみんな床にぶちまけられ、机の上の小道具があちこちに散乱し、なにか小物が飛んでしまったのか窓は割れ、椛は隅っこで四つん這いになってガタガタ震えていて、操は椅子ごとひっくり返ってひくひく痙攣していた。

 割れた窓から吹き込む冬の風が、冷たい。

 

「……さっ、」

 

 操はひきつけを起こしたみたいに吹き出し、

 

「さすが、文じゃねっ……死ぬかと思った……」

「天魔様のバカぁっ!!」

 

 椛が起き上がって吠えた。涙目だった。

 

「どうしてくれるんですかこの惨状! せっかく整理した書類がめちゃくちゃですし、窓の修理を手配するのは私なんだって何度言えばっ!」

「お、お前さんが余計なこと言うからじゃろ!? じゃなけりゃあ、今頃ぜんぶ上手く行っとったわ!」

「私のせいですか!? 天魔様が、隠し事なんかして文さんに変なことしようとするからでしょう!?」

「お前さんだって、文が実際月見をどう思っとるのか気になるじゃろ!?」

「それは……気になりますけど! でもそういうのは、文さんの方から話してもらえるように信頼を勝ち取るべきでしょう! やり方が悪いんですよっ!」

「いい子ぶってくれちゃってーっ!」

 

 そのとき割れた窓から一段と冷たい風が吹き込んできて、操も椛も無性に虚しくなった。

 

「……とにかく、片付けましょう」

「……うん」

 

 ボサボサの髪を手櫛で整えながら、しゃーない萃香でも誘うかー、と操は思う。月見と一緒に酒が呑めるとなれば諸手を挙げてついてくるだろうし、誰も誘わず独りで行ったら友達がいないと憐れまれそうだし。

 しかし、これで負けを認めるわけでは断じてない。今回はたまたま失敗してしまったが、いつか必ず文の本心を暴いてみせる。なんだったらこれを機に覚妖怪と交流を持って、そのうち地上に招待するのもアリかもしれない。文が行かないというのなら、向こうの方から来てもらえばいい。そして文の心を読んでもらうのだ。ぜんぶ丸裸にしてやるのだ。顔面真っ赤であわあわする文の姿をこの眼で拝むのだ。

 

「むふふふふふ……」

「……」

 

 もちろん今この場に覚妖怪はいないので、半目な椛が一体なにを考えていたのか操は知らないし、想像してもいない。

 ――文さん。今度天魔様に変なことされそうになったら、遠慮なくボコボコにしていいですよ。大丈夫です。この人、そういうの好きなので。

 

 ――天ツ風操、伊吹萃香、参加決定。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 ついでに、地底の方はといえば。

 

「――さとりさんっ! 地上から月見くんのお友達を招待して、クリスマスパーティーをします!」

「は?」

「十人くらい来ると思うので、盛り上がって行きましょう!」

「え? ……えっ!?」

「ちなみに千代、……誰が来る?」

「えっと……とりあえず、操ちゃんと輝夜さん、レミリアさんにフランさん、あと幽香さんと藍さんあたりは確定ですね。あ、幽香さんは妖夢さんを誘うと言っていたので、そうなると幽々子さんも来るかもしれませんねー」

「……輝夜と操と、幽香と幽々子ね。そうか。……そうか」

 

 月見が、人知れず混沌を予感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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