銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第114話 「いつか陽のあたる場所で ④」

 

 

 

 

 

 もちろん、さとりは今まで一度もクリスマスを祝ったことがない。

 そもそもの話をすれば、ほんの何十年か前までは、そんな風習がこの世に存在することすら知らなかった。旧都に住む妖怪はさとりを含め、この国でクリスマスが広がるより前に太陽の下を去った者たちであり、遠い異国の風習を知る物好きなどまったくの皆無だった。藤千代が地上の新しい文化を伝える風通し役となっていなければ、今でも旧都の妖怪たちはクリスマスを知らずに生きていただろう。

 とはいえ毎日を自由気まま、贅沢も倹約もやりたいように生きている妖怪たちが、「いつもよりちょっと豪華な日」をわざわざ祝おうとするはずもなく。今日がクリスマスだからといっても、窓越しに見える旧都の景色は普段となにも変わらない。寒い分だけ今までの季節と比べても人通りは少なく、疲れを知らない子どもが雪の中を元気に跳ね回り、大人は赤い提灯を垂らした居酒屋に虫のように誘われて、料理と酒で体を温めている。

 何年も窓から眺め続けてきた、いつも通りの冬の景色。

 だから地霊殿のクリスマスも、特に例年と変わらず物静かに終わる――はずだったのだ。ほんの数日前までは。

 

「ねーねー月見ー、この『くりすますつりー』ってなんのために飾るの?」

「元は、樹自体が人間の信仰の対象だったそうだよ。一年中葉を落とさない常緑樹は、永遠の命の象徴だってね」

「へー。人間が好きそうな話だね!」

 

 さとりは今でも半分信じられない。まさか妖怪の自分たちが、ある聖人の生誕を記念するというクリスマスを、聖人の象徴でもあるツリーまで飾って祝おうとしているなんて。

 地霊殿にも、ダイニングルームがある。洋風建築において、会食の目的で設計される広間――早い話が食堂である。食事をするための部屋なので、当然、その目的にそぐわないものは置かれていない簡素な部屋――のはずなのだが、今年はどういうわけかその一角に、天井まで迫る一本の緑が出現していた。

 藤千代が地上からポキッと(・・・・)折って持ってきた、もみの木である。ダイニングに収まるよう形を整え、足場を固定した天然のクリスマスツリーに、こいしたちと月見が和気藹々と飾りつけを行っているのだった。

 どういうわけかといえば、もう間もなく地上から月見の知人友人がやってきて、ここでクリスマスパーティーが催されるからなのだが。

 

「……月見さん」

「うん?」

 

 月見が雑紙をクシャクシャに丸めて玉を作り、淡い妖気の発散とともに術を込める。さとりの目の前で、紙の玉が黄金色に輝くボール――オーナメントボールというらしい――に変化する。狐お得意の幻術で作り出したそれをこいしが受け取り、クリスマスツリーの写真が載った本とにらめっこをしながら、こんな感じかなーと楽しそうに飾りつけていく。さとりはそれを横目に、

 

「妖怪がクリスマスを祝うことについて……その、なにか思うところはないのかな、と」

 

 クリスマスは元を辿れば聖人の生誕を記念する祭りであり、魔の存在である妖怪にしてみれば、聖人とははっきり言って天敵だ。よって妖怪がクリスマスを祝えば、それすなわち、天敵の生誕を喜ぶ裏切り行為であるといえる。さとりは今、とんでもなく歪な光景を目の当たりにしているはずなのだ。

 しかし月見は何食わぬ様子で、

 

「変かな?」

「だって、クリスマスは……」

「元の話をすれば、確かに人間の宗教行為だけどね。それは海の向こうの話。この国じゃあクリスマスは、宗教行為としては定着しなかった」

 

 月見はまた雑紙を丸め、今度はそれを星型の飾りに変えた。お燐がそれを受け取り、こいしと一緒になってどこに飾るか考え始める。おくうはその横で、綿の塊を両手に疑問符を量産している。

 

「日本のクリスマスは、ただのお祭り騒ぎをするための日さ。だったら別に、妖怪が参加したっておかしくはないだろう?」

「それは……そうかもしれませんけど」

 

 なんだか、あの雑紙みたいに丸め込まれているような気がする。

 おくうが、綿の塊を月見のところに持っていって尋ねる。

 

「ねえ、これはどうすればいいの?」

「適当に千切って枝に乗せるんだよ。雪が積もったイメージでね」

「ん」

「……決めた! やっぱり一番天辺につけて、リボンも巻こ!」

「わかりました!」

 

 けれど、月見たちが仲良く飾りつけを進める姿を見ていたら、細かいことはいいか、と思った。あまり細かくはないかもしれないがともかく、こいしたちが楽しくやっているのだから、水を差すのも野暮というものだろう。

 こうやって「みんなで一緒になにかをする」光景も、今の地霊殿では珍しいものではなくなった。思わず笑みがこぼれ――それと同じタイミングでさとりは、ふと庭の方が騒がしくなったのに気づいた。聞き馴染みのない少女たちの元気な声が、遠い距離を物ともせずにこのダイニングまで響いてくる。

 というかこれは、「元気」というよりも、

 

「……どうやら、来たみたいだね」

 

 なんだか、騒々しいというか。

 月見がのっけから目を覆っている。蓬莱山輝夜、フランドール・スカーレット、西行寺幽々子、風見幽香等々――月見の友人でもとりわけ厄介な溌剌(はつらつ)少女たちが、いきなり騒ぎを起こしているらしい。

 耳を澄ませるに、ちょっと庭の具合がよろしくない感じになっていそうである。月見が切り替えるように顔を上げ、

 

「迎えに行こう。こいしたちは、飾りつけを続けててくれ」

「はーい!」

「いってらっしゃーい」

 

 元気に返事をするこいし、手を振るお燐、そしておくうだけが固い表情のままで立ち尽くしている。綿をキツく握る指先ににじんでいるのは、見ず知らずのやつらが一度にたくさん押し寄せてくることへの不安であり、緊張であり、ほんの一摘みの嫉妬でもあった。今回のパーティーでみんなと仲良くなれば、自分たちだって地上へ行けるようになるかもしれない――そうは言っても、やっぱり不安なものは不安なのだ。

 

「もぉーおくう、そんな顔してちゃダメだよ! はい、笑顔の練習!」

「にゅ、……うにゅにゅにゅ!?」

「そうだよほら、リラックスーリラックスー」

「うひゃあ!?」

 

 こいしに頬をむにむに引っ張られ、お燐に脇のあたりをくすぐられて、おくうは翼を打ち鳴らして大暴れした。二人を振り払って逃げ出すものの、こいしとお燐は面白がって追跡し、三人揃ってダイニングをグルグルと回り始める。庭の騒ぎに負けずとも劣らぬ賑やかな光景が、知らず識らずのうちにさとりの頬をそっと緩める。

 

「……じゃあ、ちょっと行ってくるわね」

 

 打ち明けてしまえば、不安なのはさとりだって同じだ。

 願わくはこのまま、みんな笑顔で終われればと思う。しかし、藤千代や月見の友人ならばと信じてはいても、今までの境遇のせいもあって、悪い想像がどうしても片隅から消えてくれない。

 ――まあ、結論を言えば。

 未来のさとりは、このときの自分の想像を、鼻で笑って吹き飛ばすことになるのだけれど。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 そして出迎えに行った月見とさとりがどうなったかは、ご周知の通りである。

 ただ迎えに行って戻ってくるだけで、どうしてここまで時間が掛かるのか。お陰でこいしたちをすっかり待たせてしまって、ダイニングに入るなり「おっそーい!」と怒られてしまった。

 地霊殿のダイニングは、外見の大きさの割に決して広くはない――と感じてしまうのは、言うまでもなく紅魔館のせいだろう。外見の大きさはどちらも大差ないが、向こうは咲夜の能力で空間が拡張されているため、ダイニングひとつを取ってみてもとにかく広い。一方で地霊殿は、空間を拡張する技術がないのは無論だが、住人の大半がさとりとこいしのペットである。獣の姿をしたペットたちが椅子に座って食事をするわけはないから、席は八つもあれば多いくらいであり、結果としてそれ相応の広さで落ち着くことになるのだ。

 さて。ここで一度、いま現在外からお招きしているお客さんの人数を確認してみよう。

 月見を含めて、蓬莱山輝夜、藤原妹紅、八雲藍、レミリア・スカーレット、フランドール・スカーレット、風見幽香、西行寺幽々子、伊吹萃香、藤千代、天ツ風操。更には今日も今日とて地底の修復作業に勤しんでいる八坂神奈子と洩矢諏訪子を、このあと星熊勇儀が連れてきてくれる手筈になっている。

 つまり十四人であり、さとりたちも入れれば十八人である。

 当然、座れるわけがない。また、某苦労人同盟の夏の陣とは違って、詰めればなんとかなるような人数でもない。

 よって今回はいっそのこと椅子を取っ払い、立食形式でのパーティーであり。

 藍が張り切って料理の支度をしている間に、こいしたちをみんなに紹介していたのであるが、

 

「「「式神――――――――――――――――っ!?」」」

 

 まあ、こうなる。

 砲弾みたいな絶叫が真正面から直撃し、びっくりしたおくうは一目散で月見の背中に隠れた。大袈裟にも背縫いを引っ張ってしがみつかれ、月見はややバランスを崩しながらも、

 

「ああ。ちょっと、訳あってね」

「はいっ、私知ってるよ! シキガミって、私たちで言うところの使い魔みたいなものでしょ?」

「そうだよ、正解だ」

 

 むふー、とフランが小さな鼻から大きく満足げな息をつく。あくまで『みたいなもの』であり、細かい話をすれば違う点は多いし、月見とおくうの関係は『主従』とは違うのだけれど。

 妹紅が、品定めの目つきでおくうを見ている。

 

「へえー、まさか先生が式神をねえ……でも、誰かを束縛するようなのは嫌なんじゃなかったっけ?」

「だから、ちゃんと訳があるんだって」

 

 なぜ月見がおくうを式神としたのか、過日の異変について掻い摘みながら経緯を説明する。もちろん、彼女を従えるような目的で式神にしたわけではないと、念入りに強調してである。四回くらい強調した。

 粗方の話を聞いて、輝夜が難しい顔で腕組みをした。

 

「ふーむ……つまり、その子の力がまた暴走したりしないように、式神にして月見が制御してあげてる……と」

「そんな恩を着せるようなものじゃない。ただの自己満足だとも」

「ふーん。ギンらしい話」

 

 勝手に誤解されて騒がれる事態は、回避できたらしい。輝夜は、ちょっぴり対抗意識を燃やした風で胸を張った。

 

「まっ、私のときも随分と勝手なことして、勝手に私を助けてくれたしね!」

「あら、それだったらこっちも心当たりがあるわよ」

 

 レミリアも、どういうわけか若干得意げに、

 

「あのときあなたがやったこと、私、ちっとも忘れてなんてないんだからね」

「……悪かったよ。でも、お前たちの方だって勝手だったのは同じ」

「聞く耳持ちませーん」「なんのことかしらねえ」

 

 理不尽。

 

「……」

「いて」

 

 おくうが、なにかを訴えるように爪を立ててきた。

 

「というかおくう、いつまで私の後ろに隠れてるんだ」

「う、うにゅ……」

 

 月見がはじめて出会った頃の、烈火のようなおくうとはまるで別人だ。月見の背中に隠れてじっと縮こまっていて、みんなの前に出ようとする気配はない。当時の尖り様を猛禽類に例えるなら、今の彼女はさながら雛鳥である。もっとも、あれだけのことがあったのだから、無理もないのかもしれないけれど。

 

「ごめんねー。おくう、はじめての人はちょっと警戒しちゃって」

 

 こいしがみんなに苦笑で詫びた。

 

「人見知りなの。でも、みんながいい人だってことはちゃんとわかってるはずだから! ね!」

「……うー」

 

 両手でしっかり掴んだ月見の着流しに、おくうは複雑によじれる幾筋もの皺をつけた。

 

「いやー、でもあれだねー」

 

 するとお燐がおくうに意味深な横目を向け、尻尾をくねくねさせながらにやりと、

 

「こいし様じゃなくておにーさんの後ろに隠れるあたり、おくうも案外」

「うにゃああああああああっ!!」

「うみ゛ゃあああああああっ!?」

 

 一発で半狂乱に陥ったおくうが飛び出し、お燐の耳をちょっと冗談にならない具合で引っ張った。同じ獣耳を持つ者として、うっすら鳥肌が立つほどの勢いだった。

 お燐がおくうを振り払って逃走する。しかしおくうは猫顔負けに素早く追いかけ、真っ赤な後頭部にぽかぽかと殴りかかる。

 

「お燐のばかあっ!! ばかあああああ!!」

「ちょ、ちょっと待っておくう痛っ、ぎょあー!?」

「ちょっとおくう、お燐、なにを騒いでるの?」

 

 騒ぎを聞きつけ、キッチンの方からさとりがスリッパを鳴らしてやってきた。向こうでは、今回のパーティーに相応しいケーキを作ると意気込む藍が生クリームと格闘していて、さとりと藤千代がお手伝いをしているのだ。開きっぱなしになったドアの奥から、ほんのりと甘い香りが漂ってくる。もちろん、鉄板の苺ショートである。苺ショートが嫌いな女の子はいないのだ。

 エプロン姿なさとりは腰に両手を遣り、

 

「もう。ダメよ、お客様の前でうるさくしちゃ」

「だ、だってぇ……!」

「とりあえず叩くのやめてゴメンナサイ!?」

 

 行儀の悪いペットをたしなめる主人の顔など一瞬で、おくうの心を読んだ彼女はすぐ笑顔になった。

 

「あら。……ふふふ」

「う、ううっ……」

「大丈夫よ。みんないい人たちばかりだって、私が保証するわ。それに、こいしやお燐と一緒に(・・・・・・・・・・)、いつか地上に行きたいんでしょ? だったら仲良くなっておかないと」

 

 なにか、妙な含みがあった気もするが。

 どうあれさとりの言葉は、おくうの心に届いたようだった。

 

「……う、うー」

「あっおくう待って耳そんないじらないで、ふ、ふみゃみゃあ……」

 

 もしかするとおくうには、恥ずかしいときや心細いときには、なにかを触って落ち着こうとする癖があるのかもしれない。お燐の耳を両手でいじくり回し、びくんびくんと震える家族に半分隠れながら、おくうは蚊が鳴くよりもか細く勇気を振り絞った。

 

「れいうじ、うにゅ、じゃない、うつほ……です。よ、よろしく……」

 

 やや、間があった。無論それは、おくうの精一杯の挨拶を無視するものではなく。言葉の意味を理解した少女たちへ、じわじわと笑顔が広がっていくまでに掛かった時間だった。

 操が万歳をして吠えた。

 

「よ――――っし!! それじゃあみんなでうにゅほに質問タ――――――――イムッ!!」

「「「いえーっ!!」」

「う、うにゃ!?」

 

 操を筆頭にして、フラン、輝夜、幽々子のお転婆娘たち――及びフランに引っ張られてレミリアまで――が、早速おくうに突撃した。どぎまぎするおくうを五人で取り囲み、

 

「はいはーいっ! 月見のシキガミってどんな感じなの? 守ってもらえてる感じがしたりするのっ?」

「えっ……べ、別に……そんなの、なにも変わらないし……」

「はいダウトー!! うにゅほは嘘が下手っぴじゃあっ!」

「ズル――――――い!! 私も守ってもらいたーい!!」

「フランそれどういう意味!?」

「ち、違うもん違うもん、ほんとになにも変わらないもんっ! っていうかうにゅほじゃないもんうつほだもん!!」

「でも、ギンは『おくう』って呼んでたわよね……あだ名?」

「お、お前たちは絶対にダメだからっ! 『おくう』はダメなの! 特別なのっ!」

「……あらあら~? じゃあ月見さんって」

「にゃああああああああああっ!?」

「だからあたいの耳引っ張るのやめてってばああああああああ!?」

 

 ああ、早くも目も当てられない大騒ぎに。

 矢継ぎ早に質問の雨を降らせる少女たちと、うにゃーうにゃーとすっかりてんやわんやなおくう、そして耳をいじられ過ぎてそろそろ涙目なお燐。かしましく、騒々しく、けれど不思議と心が和らぐその喧騒に、月見は半分呆れつつも半分安堵し、さとりはクスクスと心地よく笑った。

 まるで、ここが地上であるかのような。

 不安がなかったといえば嘘になる。月見自身、はじめて地霊殿を訪れてから半年以上も時間が掛かってしまったのだ。みんなを信じていたとはいえ、地上の人たちを招待なんてしたら一体どうなってしまうのか、悪い想像を拭えなかったのは素直に認める。

 ぜんぶ消し飛んだ。

 おくうの警戒はまだ解れずとも、それも今ばかりだろう。輝夜たちの底なしに明るい人柄は、間違いなくおくうの心の扉に手を掛けている。月見が半年以上掛けてようやく辿り着いた場所に、この少女たちなら、或いは今回のパーティーだけであっという間に追いついてきてしまうかもしれない。

 それが、ただ、嬉しかった。

 

「よかったー。おくう、みんなと仲良くなれそう」

 

 本当に、こいしの言う通りだと思う。

 

「……お前も、交ざってきたらどうだい」

「そうする! ……はいはーい、私にも質問してーっ!」

 

 こいしがぶんぶん両手を振って、かしましい輪の中に全身で飛び込んだ。喧騒が、更に一段とまぶしくなる。特に外見が同い年なフランとは一発で意気投合し、「フランって呼んでね!」「フランちゃん!」「こっちはお姉様のレミリア!」「レミリアちゃーん!」「ちゃん付けはやめなさい!?」と、レミリアを巻き込んで盛り上がっている。

 キッチンの方から、藍と藤千代が顔を覗かせていた。

 

「ああもう、本当に落ち着きがないんだから……」

「いいじゃないですか、すごく楽しそうですもの。……さとりさーん、そろそろ飾りつけしますよー!」

「あ、はーい」

「「「生クリームはたっぷりお願いしま――――――っす!!」」」

「はいはい、わかってるよ。……先に言っておくけど、半端ないので覚悟しておくように」

「「「はーいっ!!」」」

 

 ケーキ大好き少女たちの熱烈な声援を背に受け、藍たちが苺ショートの総仕上げに戻っていく。それをきっかけに、幽々子がみんなとケーキトークを始める。苺ショートの苺は先に食べるか後に食べるかという永遠の命題が、少女たちの議論を瞬く間に白熱させていく。

 なお月見は最後に食べる。好きな物は最後に取っておく――わけではなく、生クリームで甘くなった口の中を、最後に苺の酸味でさっぱりさせるのだ。問題は、苺があまり美味しくなかったときに微妙な気分になることである。

 輪には入らず静観を選んでいた萃香が、くひひとおかしそうに喉を震わせた。

 

「やれやれ。こいつぁ、春になって紫が起きたら大変だね」

 

 その横で幽香も肩を竦め、

 

「同感。あいつなら、まず暴走間違いなしね」

「……やめてくれ。考えないようにしてたんだ」

 

 その可能性にはじめて気づいたときは、割と本気で頭を抱えてしまったものだ。そういう話を具体的に紫としたことはなかったけれど、付き合いの長い月見にはわかる、あいつは絶対に「私が認めないやつが月見の式神なんて認めませんっ!」とか思っている。冬が終わってひとたび目覚めの季節がやってきたら、あいつはある日突然スキマから降ってきて、「月見のバカバカバカバカバカバカッ、なんで私が寝てる間にいいいいい!!」と大騒ぎするのだ。もはや、五分前に起こった出来事を思い出すようにはっきりと想像できる。

 式神にしたのは地獄鴉――その身に神を宿しているとはいえ、大妖怪には程遠いごくごくか弱い女の子。しかも事情が事情もあって、月見の妖力の大半を持っていっているとなれば、どう足掻いたところで波乱は避けられまい。

 

「……まあ、上手い言い訳を考えるさ」

 

 もっとも、春になって紫が目を覚ますそのときまで、おくうが月見の式神でいるかはわからない。八咫烏の力はもう要らない、とそのうちおくうから言われるかもしれない。或いは、使わないのなら力はお返してもらうよ、と突然神奈子が言い出すかもしれない。そうなればもちろん、月見がおくうを縛る理由はなくなる。

 

「冬はまだ長いからねえ。ひょっとしたら、これからまたいろいろとあるかもしれないよ。ま、起きたときの紫が見物になるから私は一向に構わないけどね」

「……さすがに、今年の残りくらいはもうゆっくりさせてほしいなあ」

 

 どうせ、年越しの宴会は馬鹿騒ぎになるのだ。せめて何事もなく、のんびりと来年の準備をさせてほしいものだけれど――。

 

 もちろん月見は、気づいていない。月見も、藤千代も、さとりも、旧都に住まう誰しもが、気に留めてすらいなかった。

 地底の空を飛ぶ船。

 聖輦船が、異変の日を境にして、忽然と姿を消していたのだと。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……なあ、藍」

「はい、なんでしょう」

「それはウェディングケーキか?」

「苺ショートですよ?」

 

 月見の常識に従えば、苺ショートはワンホールにはなっても三段重ねにはならないはずだが。

 勇儀と神奈子、諏訪子の三人が合流し、藍力作のお菓子や料理も次々と完成して、いよいよパーティーも始まろうかという頃合い。幽香の特製花束がきらびやかに彩るテーブルの中央では、大中小のホールを三段重ねにしてこれでもかと生クリームを塗りたくり、トドメに苺の大群をゴロゴロと載せまくった、官能的で贅沢極まりない苺ショートが鎮座していた。

 確かに、半端ない。さすが十八人全員を満足させようというだけのことはある。『大』の時点で月見目線ではすでに食べきれないほどなのに、そこから更にダメ押しで『中』『小』だ。どうしてこんなものがここに出てくるのだろう。こいつが鎮座すべきなのはクリスマスのパーティー会場ではなく、幸せが蔓延る結婚式場なのではないか。

 まさにドリームサイズの苺ショートに、ケーキ大好き少女たちの瞳は料理が霞むほどまばゆく光り輝いていた。一方で月見をはじめとし、さとりと勇儀、神奈子あたりの精神的年長組は、あまりのスケールにすっかり腰が引けていた。

 

「こ、これをぜんぶ食ったら、さすがに太りそうだね……」

「なんだ、勇儀もそういうのは気にするのか」

「し、したら悪いってのかい!? これでも、い、一応、お腹とかは……気を遣ってるんだよ!」

「勇儀さんはお体が引き締まってるからいいですよ……。私は運動もしないですし、こういうのはちょっとダイレクトに来ちゃうというか……」

「うわー、食べる前から胸焼けが……」

 

 もちろん、藍がこしらえたのはドリーム苺ショートだけではない。パンケーキ、フルーツタルト、アップルパイ、マカロンクッキーエトセトラ。ある程度地上で下準備はしてきたのだろうが、短い時間でよくもまあここまで作ったものだと月見は心底舌を巻いた。

 しかも輝夜やフランや操たちが、持ってきたお菓子を嬉々としてテーブルにぶちまけるというオマケまでついている。右を見ても左を見ても、甘い物、甘い物、甘い物。光あふれる天国であり、また一方では邪悪に満ちた地獄でもある世界が、地霊殿ダイニングのテーブルにこれでもかと言わんほど凝縮されていた。

 ふと、これを紫が見たらどうなるんだろうな、と思う。恐らく、彼女は泣くだろう。目を輝かせる少女たちの純粋無垢な姿に、嫉妬と絶望と呪詛が入り乱れた血の涙を流して。

 

「あ、普通の料理も少しですけど作ってますので、月見様たちはこちらをどうぞ」

「……ありがとう」

 

 一応気を遣ってくれたらしく、藍がオードブルを持ってきてくれたのがささやかな救いである。

 

「つーくみー!」

「ん?」

 

 と、咲夜のお菓子をテーブルに置き終えたフランが、その中の小袋ひとつを持ってやってきた。曰く、

 

「はいこれ、咲夜から月見に!」

「私に?」

 

 差し出された小袋は丁寧にラッピングされていて、リボンに丸くかわいらしい字で「月見様へ」と書かれていて、中には小さく折り畳まれた手紙まで挟まっていた。どうやら咲夜は、月見のお菓子だけ包装を分けてくれたらしい。

 

「月見に合わせて、甘さ控えめにしたって言ってたよ! あと、お手紙入ってるから読んでね!」

 

 いかにも、律儀で気配り上手な咲夜らしい話だった。月見は微笑み、

 

「ありがとう。これは、私からも返事を書いた方がいいかな?」

「うん、そうして! 咲夜、今日は寝ないで待ってるって言ってたから!」

「……そうか」

 

 気のせいではないプレッシャーをひしひしと感じて、さてどんな返事を書いたものかと、手紙を読む前から悩んでしまう月見であった。

 そうこうしている間に、お菓子のセッティングも終わったらしい。「ギーン始めるわよー!」と輝夜に呼ばれたので、月見は後ろの年長組を振り返って。

 

「さてお前たち、太る覚悟は決まったかい」

「「「ふとっ……」」」

 

 さとりと勇儀と神奈子が一斉に膝を折った。穢れを知らないフランが首を傾げて追い打ちする、

 

「えー? 大丈夫だよ、今日はあれがお夕飯の代わりだもん! ご飯食べるのも、お菓子食べるのもおんなじでしょ?」

「…………そ、そうだね。いやー私ってば気がつかなかったなーすごいなー天才だなー、うん。うん……」

 

 精一杯の笑顔で答える勇儀は、なんだか砂になりそうだった。さとりは「悪意がないってのが一番効きますよね……」と遠い目つきになっていて、神奈子は「今までいっぱい働いてたからプラマイゼロ……プラマイゼロ……」と必死に自己暗示をしていた。女の子がお腹周りを気にするのは、古今東西、人間も妖怪も神様も一緒なのだ。

 

「ギーン!」

「はいはい、今行くよ」

「行こー!」

 

 フランに引っ張られながらみんなのところへ向かう。藍が見るも鮮やかにナイフを振るって、一人ひとりの皿いっぱいにケーキを切り分けて回っている。幽々子が「ワンホールちょうだい!」とリクエストをするも華麗に無視され、ぶーぶーとブーイングを飛ばしている。

 藤千代からなにかを渡された。

 

「はい月見くん、どうぞ」

「うん?」

 

 受け取ってみると、掌サイズの小さなクラッカーだった。一体どこから調達してきたのか、どうやら全員分あるらしく、藤千代はテキパキとみんなに配って回る。

 

「おくうさんと、お燐さんもどうぞー」

 

 クラッカーを目にするのははじめてなのか、おくうもお燐も眉をひそめて覗き込んだ。

 

「? なにこれ」

「花火じゃない? ほら、この紐に火をつけて……」

「いえいえ、その紐を引くんですよ。でも、みんなで一緒にやるので待っててくださいね」

 

 みんながテーブルの周りに集まってくるのと、藤千代がクラッカーを配り終えるのと、藍がケーキを切り終えるのはほぼ同時だった。殺人的な生クリームの香りが鼻腔をくすぐる。いよいよパーティーが始まろうかという空気に、少女たちがそわそわとクラッカーを鳴らす体勢に入る。藤千代はこほんと咳払い、

 

「皆さん、準備はいいですかー?」

 

 はーいっと息の合った元気な返事。

 

「なんやかんやありましたが、異変が無事解決して、月見くんの怪我も治ったということで……今日は盛り上がっていきましょうっ!」

「「「はーい!」」」

「では月見くんから一言!」

 

 月見は少し考え、

 

「お前たち、あんまりはしゃぎすぎないようにするんだよ。さとりたちを困らせないように」

「「「はーいっ!」」」

 

 この一見すると素直な返事が、果たしてどれほど信頼できるやら。はっきり言って、月見はまったく期待していない。

 

「さとりさんからも一言!」

「え? あ、えっと、お手柔らかにお願いします?」

「こいしさん!」

「仲良くしてねー!」

「「「いえーっ!」」」

「おくうさん、お燐さん!」

「……べ、別に私は仲良くするつもりなんて」

「などと供述しておりますが、意訳すると『構ってください!』だよ!」

「「「素直じゃなーい!」」」

「ち、違うもん違うもん!?」

 

 おくうの憎まれ口も、この面子の前では場の雰囲気を盛り上げる起爆剤にしかならない。言い訳するだけみんなを喜ばせるだけだと察したおくうが、悔しさと恥ずかしさで半々に赤くなって閉口する。けれど決して不快になっているわけではなく、月見とまるで性格が違う少女たちの勢いに、圧倒されて戸惑っている方が大きいようだった。

 なんか普通にいい人たちなんだけど、どうしよう――そんな顔をしていた。

 藤千代がクラッカーを構えた。

 

「ではでは、行きますよー」

 

 月見たちも構える。使い方を知らないおくうとお燐が、こいしに教えられながら見様見真似で紐を握る。

 さとりがふとなにかに気づいたのと、藤千代が大きく息を吸い、より一層高らかに声をあげたのは同時だった。

 

「あ、皆さんちょっと待」

「メリークリスマ」

 

 いきなりだった。

 藤千代が言い終わるより先に、萃香のクラッカーがフライングで炸裂した。

 

「「「……」」」

 

 掌サイズに見合う控えめな紙吹雪が散る中、全員の視線が萃香に集中する。おくうやお燐をはじめとする半分は驚いて目を白黒させており、月見やさとりなどもう半分は、やりやがったこいつと冷ややかな眼差しである。

 水を打つように広がっていく、えも言われぬ微妙な空気。

 代表して口を開いたのは、幽香だった。

 

「……いるわよねー。こういう、わざとみんなと足並み揃えない天邪鬼なやつ」

「え、あれ!? こういうのって、なんていうか、こうするのがお約束ってやつじゃないの!?」

 

 小学生かお前は。

 

「間違えたならまだしも、わざと空気読まなかったとかないわー」

「うわあああああよりにもよって操に言われたあああああ!? これやっちゃダメなやつだったんだああああああああ!!」

「判断基準おかしくない!?」

 

 特におかしくはないと思うが、それはさておき。

 月見はため息をついた。今になって思えば、さとりが何事か口を挟もうとしたのも、萃香の悪巧みを読み取ったからだったのだろう。しかし集まっている人数が人数だったせいで、さすがのさとりも気づくのが遅れてしまったのだ。

 

「ご、ごめんなさい皆さん……私がもっと早く気づいていれば……」

「いいんですよ、さとりさん。悪いのは萃香さんです。ぎるてぃです」

「ごめんなさぁい!?」

 

 更に勇儀が、

 

「なにやってんだい、バカなやつだねえ」

「だ、だってえ!」

 

 幽々子と藍が、

 

「びっくりだわ~、まさかそんなことしちゃうなんて」

「そんなやつだとは思わなかったよ」

「ふぐぅっ!?」

 

 フランとレミリアが、

 

「ねー、どうするのこの空気ー?」

「最悪ね」

「う、うううっ……!?」

 

 おくうとお燐とこいしが、

 

「これ引っ張ると、ああなるんだ」

「ちゃんとタイミング合わせないとダメみたいだね。きっと、体を張って教えてくれたんだよ」

「そっかー。優しいんだね!」

「……ひ、」

 

 神奈子と諏訪子が、

 

「……どんまい。そのうちいいことあるよ」

「大丈夫? 神様の加護いる?」

「ひっく、」

 

 トドメに輝夜と妹紅が、

 

「それじゃあ空気が読めないやつはほっといてー」

「仕切り直ししよっかー」

「「「はーいっ」」」

「うええええええええ!!」

 

 みんなから袋叩きにされて、萃香は完全にマジ泣きだった。

 

「つ、づぐみいいいいい……っ!! ごめんなざあぁぁぁい……!!」

「……いや、私に謝られても」

 

 月見は首を振った。さすがに可哀想だったので、せめて自分だけは味方であろうと思い直す。

 

「ほら、私と一緒にやろう」

「……っ!!」

 

 自分のクラッカーを差し出すと、潤んだ萃香の瞳から感動の涙があふれだした。顎の先までボロボロ滴る大洪水である。萃香は月見の腕に飛びつき、よりにもよって着流しの袖で涙を拭いながら、

 

「ありがどう……! ありがどう゛~~~~っ……!」

「はいはい」

 

 なんで私がこんなことをせにゃならんのだ、と月見は内心能面の顔になりながら思う。

 と、またクラッカーが炸裂する音。

 

「「「……」」」

 

 また静寂が広がっていく中、見れば今度は輝夜の目の前で紙吹雪が舞っていて、

 

「――いっけなーい、間違えちゃった♪ というわけでギン、私も交」

「ふか――――――――――ッ!!」

「きゃあ!?」

 

 いけしゃあしゃあと近寄ってきた輝夜を、萃香が猫みたいになって威嚇した。

 

「なにするのよ!」

「白々しいんだよ絶対わざとでしょ!? ダメですーっ私と月見が一緒にやるのー!!」

「ずるい! 独り占めするつもり!?」

「空気が読めない私はほっとくんでしょ!? ほっといてよ!」

 

 こいつら……と月見が呆れるや否や、立て続けで更にぱんぱーんと二発、

 

「月見ー、私も間違えちゃった!」

「一緒にやろーっ!」

「ふしゃあああ――――――――――ッ!?」

 

 フラン、こいし、お前らもか。

 

「来るな! 来るなぁ! 月見は私を誘ってくれたんだいっ!」

 

 萃香がビシビシと猫パンチを繰り出している――と表現するとかわいらしいが、何分鬼の猫パンチなので、拳が振るわれるたびに肝も冷える風圧が襲いかかってくる。フランとこいしの帽子が、風にさらわれて後ろに吹っ飛ばされた。

 だが、当然ながらその程度で怯む少女たちではない。フランとこいしはすぐに帽子を拾うと、輝夜を味方に引き入れて、萃香とぎゃーぎゃー口論を始めた。それをよそにまたもやぱーんと、

 

「……」

「おくう?」

「……ち、違! これはその、間違えたのっ! 違うの!」

 

 今度はおくうの仕業であり、横のお燐から半目で見られて慌てる姿に、さとりがこっそりと愉悦の表情を浮かべている。どいつもこいつもなにをやっているのか。

 呑気に成り行きを見守っている場合ではない。いよいよパーティーを始めようという盛り上がりが台無しで、なんだかグダグダになりつつある。月見と同じ危機感を抱いた操が、藤千代を肘でつついて、

 

「おい千代、早いとこなんとかせんと」

 

 ぱーん、

 

「月見くん私も間違えましたー! 一緒にやりましょうっ!」

「千代おおおおおぉぉぉ」

 

 操が膝から崩れ落ちる。月見は、安易な同情で萃香に手を差し伸べてしまった己を激しく後悔している。事態を面白がった妹紅や勇儀、幽香、諏訪子までもが集まってくる有様で、完全にパーティーを始めるどころではなくなってしまった。

 レミリアが呆れ果て、操が匙を投げ、藍は遠い眼差しで、幽々子はもはや見向きもしていない。

 

「どうするのよこれ」

「どうしようもなくね。クラッカーも要らんじゃろ」

「どうでもいいから早くお菓子食べましょ~♪」

「あははは……ハア……」

 

 驚くことなかれ、これでもパーティーはまだ始まってすらいないのである。始まる前からこれならば、いざ始まったら一体どうなってしまうことやら。

 このあと月見は、数が許す限り希望者と一緒にクラッカーを鳴らして回るという謎の儀式をやらされた。更には残り一個のクラッカーを巡り、早くも手に汗握るじゃんけん大会が繰り広げられ、事態は更なる混迷を極めたりもしたのだが――。

 

 もう、割愛。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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