銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第115話 「いつか陽のあたる場所で ⑤」

 

 

 

 

 

 ご想像の通りさとりは、人の多い場所があまり好きではない。

 もちろん、さとり自身の性格と、生まれ持った能力のせいだと断言しておく。『心を読む程度の能力』は、自分の意志でオンオフの切り替えができない厄介者で、そういう意味では能力よりも体質という表現が近い。大勢の人がいる環境に身を置けば、それだけたくさんの心の声が押し寄せてくることになるので、失礼を承知で言うと疲れてしまうのだ。今のパーティーのように、皆が絶えず思考し、賑やかに騒いでいる場所なら尚更である。話し声と心の声は決して途切れることなく、笑い話や思い出話に花を咲かせる者がいるならば、記憶という高密度の情報までもが加わって、頭の中はもはやごちゃごちゃの雑音だらけになってしまう。

 こちとら地上にいた頃は山奥でひっそりと暮らし、地底生活を始めてからも引きこもりライフを送ってきた筋金入りのインドア少女。家族と一緒に外へ出掛けるよりも、一人でひっそり本を読んでいる方が好き。そんなさとりにとって、二十人近い人数の中で行われるパーティーは、ほとんど異世界も同然だったのだ。みんなで乾杯をしてから一時間もする頃には、それとなく周りの目から外れて、部屋の端っこの椅子でひとりため息をついてしまっていた。

 やっぱり自分は、大勢の人と騒ぐのは苦手だと心底実感しつつ。

 しかしその分を鑑みても、素敵なパーティーだなと、さとりは正直に思っていた。たとえ、頭の中がごちゃごちゃの状態でも、一時間そこらで疲れてしまっても。みんなが心からこのパーティーを楽しんでいるのだということだけは、はっきりと伝わってくるから。

 ついさっきはじめて出会ったばかりの少女たちと、ここまで明るい空気を共有できているのは、やはり『彼』の存在が大きいのだと思う。

 

「づぐみ゛~~~~っ! 私は、私は嬉しいよおぅ! 私のせいでいろいろあったってのに、こうしてパーティーに招待してくれるなんてさあっ……! うえええええ……!!」

「尻尾がちゃんともふもふに戻ってよかったよお~! ふえええええ……!!」

「わかった、わかったから離れ……ああもう」

 

 そんな『彼』こと月見は、呑兵衛な神様二柱に全力で絡まれる真っ最中であった。神奈子にガッシリと肩を組まれてはわんわん泣かれ、諏訪子に尻尾をホールドされてはぴーぴー泣かれ、さとり以上の疲れた顔でため息をついている。羽目を外した少女たちに次から次へと押しかけられて、もはや酒も満足に楽しめていない有様だった。

 月見さんは大変だなあと、さとりはほんのり微笑ましい気持ちで思う。気苦労の絶えない彼に同情はしない。だってさとりは、いかにも迷惑そうな顔をしている月見が実は迷惑だとは思っていないことを、ちゃあんと知っているのだから。

 今となっては神奈子や諏訪子とも、それなりに話をする間柄になった。これでも異変が終わった当初は、お互いがお互いに罪悪感を持ってしまってギクシャクしていたのだ。けれど地底の修復に勤しむ彼女らへ差し入れを送ったり、逆に地上の食べ物を差し入れされたりしているうちに、いつの間にかわだかまりは綺麗さっぱり解消され、今やおくうの警戒心もだいぶ薄れるまでになっている。霊験あらたかな由緒正しい神様とは思えないほど気前がよく、親しみやすい少女たちである――さとりのペットたちを、隙あらば守矢神社信仰の道へ引きずり込もうとする以外は。そのうち藤千代にチクろうと思っている。

 さとりは視線を他へ転じる。テーブルに並んで元気よくお菓子を消費しているのは、こいしとおくう、そして妹と一番意気投合してくれた吸血鬼の女の子である。

 

「ねーねー、うにゅほちゃんは月見のことどう思ってるのー?」

「ぼふっ」

 

 フランの単刀直入な質問に、おくうはケーキを吹いた。

 

「げほ!? なななっ、にゃに突然!?」

「えー、突然じゃないよー。月見のシキガミなんでしょ? ってことは、やっぱり月見のことが好きなんだよね!」

「ぼふうっ」

「だって、キライとかフツーとかだったらシキガミになんてならないもんね!」

 

 フランドール・スカーレットは、一周回って恐怖すら覚えるほど純粋無垢な少女だった。以前は精神を狂気に侵されていたらしいが今は見る影もなく、なんの悪意もないどストレートな発言で反って人を困らせて回る上に、本人にはまったくその自覚がない。月見からたびたび苦労話を聞かされてきた通り、彼女は今さとりの目の前で、特大級の爆弾をおくうに笑顔で放り投げてみせた。

 もちろん、おくうに耐えられるはずもない。一発で混乱状態に陥って、

 

「ち、違! ここっ、これは事情で! 好きで式神になったわけじゃなくてっ! ってか私はうにゅほじゃなくてうつほっ!」

「うん、事情があるのはわかってるよ。でもうにゅほちゃん、月見がその説明してたとき、なんか不満そーな顔してなかった?」

「ぼふ!?」

 

 ナイスよフランちゃん、とさとりは内心でサムズアップをした。顔がどんどん赤くなっていくおくうの姿は大変目の保養だし、慌てふためく心の声は甘美な愉悦となってさとりの神経を蕩かしてくる。絶対に月見を認めようとしなかったおくうがこんな風になるなんて、やっぱり何度見ても恍惚以外の言葉が出てこない。ただ、唯一残念な点を挙げるなら、神様二柱に絶賛絡まれ中な月見が気づいていないことだろうか。

 タルトを頬張るこいしが、なんとも嬉しそうに反応した。

 

「あ、やっぱり? 私もそんな気がしてたんだー!」

「だよね、絶対してたよね!」

「してないもん!?」

「してたよね、お姉様!」

「ふえ?」

 

 ケーキの虜になっていたレミリアは我に返り、

 

「そ、そうね。してたといえばしてたし、してなかったといえばしてなかったような……」

「役立たず!」

「ひどくない!?」

 

 レミリア・スカーレットはフランのお姉さんで、誇り高くカリスマあふれる吸血鬼を志し日々邁進しているものの、理想と現実の乖離が激しいせいで周囲からは微笑ましい目をされている。今だって、妹に役立たず扱いされて若干涙目である。私は姉の威厳を失わないように気をつけなきゃ、さとりはレミリアの情けない姿を目に焼きつける。

 しかし一方で、たとえ姉の威厳がなくたって、レミリアはみんなから愛される立派な紅魔館の当主だった。そこは素直にすごいと思ったし、まぶしくて、羨ましかった。

 フランの追及は続く。

 

「で実際どうなの、うにゅほちゃん?」

「うっ……な、なんでお前にそんなこと教えなきゃならないの!? どうだっていいでしょ!」

「ちょっとこのカラス、ウチのフランがせっかく話しかけてやってるのに何様よ! ぶっ飛ばされたいの!?」

「「ばかあっ!!」」

「「むぎゅッ!?」」

 

 こいしがおくうに、フランがレミリアに鋭くチョップをした。おくうはさておき、レミリアの方は実に痛そうな音がした。そういえば吸血鬼の腕力は、鬼にも決して引けを取らないほどなのだったか。

 息がぴったりな妹二人はぷんぷん怒っている。

 

「おくうのばか! どうしてそんな風に言うの!?」

「お姉様のばか! そんな風に言っちゃダメだよ!」

「「だ、だってぇ!」」

 

 おくうもレミリアも、脳天を押さえて涙目である。

 

「おくうだって、月見から同じことされたらすごく悲しいでしょ!? 人にされて嫌なことはやっちゃいけませんっ!」

「う、ううっ……」

「そうやってすぐ怒るとこ、いつになったら直るの!? お姉様自分で言ってたじゃない、月見を見習ってもっと」

「ぎゃああああああああ!?」

「私がなんだって?」

「なんでもないわよバカじゃないのぉッ!?」

 

 自然と、さとりの頬には笑みがこぼれていた。フランはこいしみたいに裏表がなく素直で、レミリアはおくうにだって負けないくらい素直じゃなくて、正反対な姉妹はけれどこんなにも仲がいい。いや、仲が良くなった、のだ。だからこそ二人の姿はさとりに勇気を与えてくれたし、出会ってまだほんの何時間かで、さとりも彼女たちをすっかり好きになっていた。

 ――あの二人がいれば、心配する必要はないだろう。はじめは少し、悪い想像に駆られてしまったりもしたけれど。今はもはや跡形もなく、笑ったり恥ずかしがったりむくれてみたり、いつにも増して色鮮やかなこいしたちの姿がただただまぶしい。

 それに、みんなとすっかり仲良くなったのは、なにもこいしとおくうだけではない。

 

「――そういうわけで月見は私に言ったのさ! 『私を、守ってくれ』……ってねーっ!」

「「「ズル――――――――いっ!!」」」

「いいでしょー!!」

 

 部屋の一角から、さとりの鼓膜を突き抜けていくほどの大声があがる。そこは、鬼の四天王、フラワーマスター、冥界の管理人、天魔と、幻想郷でも錚々(そうそう)たる実力者たちが一堂に(かい)して盛り上がっている場所だ。一体なにがあったというのか、萃香が地団駄を踏んで部屋を揺らし、幽香がワインのグラスをテーブルに叩きつけて、天魔がバッサバッサと文句を言うように翼を鳴らしている。

 

「なにそれズルいズルいっ、私だって月見の命背負って戦ってみたかったーっ!!」

「どうして私を呼んでくれなかったの!? 月見のピンチなら、一瞬で駆けつけていくらだって力を貸したのに!」

「独り占めなんてズルいんじゃよ! せっかくの活躍のチャンスが……幽々子もそう思うじゃろ!?」

「ふふふ。実は私、夏の異変で似たような体験しちゃったの。月見さんの背中を預かるあの高揚感、今でもよく覚えてるわ~」

「「「ズル――――――――いっ!!」」」

 

 さとりは納得した。ドヤ顔で語られる勇儀の武勇伝が、少女たちの心に嫉妬の炎を燃え上がらせたらしい。

 そしてその輪の中で、周囲の勢いに押されて若干尻込みしているのが、お燐だった。

 

「いやー、あれはほんと格別だったねー。鬼の誉れってやつだねー。……そういや、あんたも結構オイシイとこ持ってったよね?」

「え、あ、あたい?」

 

 うわこっち来た、という顔をお燐は一瞬だけして、

 

「ま、まあ……最後の方で、ちょっとだけだけど……」

「なに言ってんのさ、めっちゃオイシイとこだったじゃない。私よりも活躍してたって絶対」

「「「へえ……そうなんだ」」」

「ひっ」

 

 萃香、幽香、操の三人から据わった眼差しを向けられ、窮鼠となったお燐は慌てて、

 

「そ、そんなことないよ。本当、ただちょっと、おにーさんのお手伝いをしただけで」

「月見と一緒に八咫烏を鎮めるのが『ちょっと』だっての? ……月見と力を合わせて荒ぶる神を鎮める! まさに最高の大舞台だったじゃないか!」

 

 三人が音もなくお燐を取り囲んだ。

 

「……あ、あの、いきなりどうし」

「まあまあ。ちょっと私らと話しようよ」

 

 萃香が、やけに年上ぶった顔つきでお燐の肩に手を置く。

 

「最高の大舞台の話、もうちょっと詳しく聞かせてほしいなあ」

「……いや、その、だから別に大舞台だったわけじゃ」

「それは私たちが決めるわ。あなたはただ、あったことを正直に話してくれればそれでいいの」

 

 幽香が、含みのある微笑みをたたえてお燐のグラスにワインを満たす。しかし、不思議だ。彼女の表情はとても静かで穏やかなのに、どうして外から眺めているさとりですら背筋が寒くなるのだろう。

 

「さあ、どうぞ」

「ま、まままっ待ってよ、なんかみんな怖いんだけど」

「んー、なんでじゃ? いや別に、儂らは怒ってるわけじゃないんじゃよ。ここ最近カッコよく活躍できた記憶がないからって、まさかお前さんに嫉妬してるなんてそんなそんな」

 

 いくらか、間があった。操も萃香も幽香も押し黙り、しばし俯いてタメ(・・)を作ってから、火山が噴火したように突然、

 

「――ああああああああ!! 羨ましい! 羨ましすぎるんじゃよ! なんで、なんで儂らじゃなくて新キャラのお前さんがそんなオイシイ活躍できるんじゃ!? そろそろ、儂のカッコよくて華麗な活躍シーンが待ち望まれてるはずじゃろ!? 儂の出番どこ!?」

「あんたに活躍なんて無理だよ駄天魔。……それより私だよ! なんか私、月見が帰ってきてくれてから一度も腕見せる機会すらないんだけど! 鬼なんだよ!? 強いんだよ!? なのにどーして!? 月見と一緒に敵に立ち向かったりしたいよぉ!!」

「ほんっとに羨ましい……! 私なんて、地上で妖精どもの説教して終わったわよ! 月見がピンチだったって知ってさえいれば、一瞬で駆けつけたのに……なんで誰も教えてくれなかったのよぉ……!!」

「あ、あははははは……」

 

 もうついていけません――そんなお燐の頬の痙攣は、さとりにも感染した。活躍できない三人が全身で悶えるように悔しがり、活躍できた勇儀と幽々子が勝者の余裕を見せつけながら酒を注ぎ合う。先日の異変では勇儀や藤千代の他、彼岸からは閻魔様までもが力を貸してくれたりもしたけれど、もしも場所が地上だったら駆けつける少女たちはあの比では済まなかったのだろう。

 月見は本当に、いろんな人たちから認められているのだ。

 視線を月見のところへ戻すと、彼は神奈子と諏訪子のみならず、妹紅と輝夜にまで絡まれていた。だいぶ酒も入ったらしく、二人とも頬がほんのりと赤くなっていて、

 

「せんせー、ケーキ食べさせてよ」

「なあ……お前、私の今の状況わかってるか?」

「あー♪」

「……」

「あーっ♪」

 

 抵抗の無意味を察した月見がケーキにフォークを突き刺し、淡々と妹紅の口へ運ぶ。満足げに咀嚼する彼女の横から続けて輝夜が、

 

「ねえ、ギン」

「輝夜、悪いんだけどこいつら引き剥がすの手伝」

「あー♪」

「……」

「あーっ♪」

 

 月見が能面のような顔で同じ動きを繰り返し――しかし、輝夜が口を閉じようとする間際でフォークを引っ込めた。

 

「あーっ!? ちょっとなんで引っ込めるの、いじわる反対っ!」

「いや、その」

 

 月見はぷんすか怒る輝夜から目を逸らし、心の底から申し訳なさそうに、

 

「すまない……このフォークでお前の喉を突いたら、なんてつい考えてしまった自分がいて……」

「……ねえギン、謝る! ほんと謝るからその話はもうやめてお願い!?」

「あひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

「もこおおおおおおおおお!!」

 

 輝夜が、着物の袖を振り乱しながら妹紅に飛び掛かる。さとりはゆっくりと、深呼吸をするように、ひとつ穏やかなため息をつく。

 どこに目を向けても、本当に賑やかの一言だ。インドア派なさとりからしてみれば、よくもそう次から次へと騒げるものだと感心してしまう。今だって、勇儀とお燐への嫉妬に狂った萃香が月見のところへ突撃していったし、それを面白がってかフランも勢いよくすっ飛んでいく。萃香の嫉妬全開タックルを、月見は咄嗟に尻尾でガードする――が、どうやら諏訪子がひっついているのをすっかり失念していたようで、

 

「「ぎょあーっ!?」」

「あ」

 

 盛大にごっちんこした幼女二人がバタバタ床をのた打ち回る。そして、月見がしまったと動きを止めた隙にフランが突撃。隙を生じぬ二段構えを、月見は気合と根性でなんとか受け止める。しかしその衝撃で神奈子がバランスを崩し、輝夜を巻き込んで後ろに転倒、揃って後頭部を強打してはやはりバタバタのた打ち回る。指を差して笑う者、肩を竦めて呆れる者、ため息をついて項垂れる者。キッチンに少し席を外していた藍が戻ってきて、戻ってくるなり「こいつらはほんっとにもう……」と頭を抱えている。

 なんだか、そういうお芝居でも見せられているみたいだ。長年嫌われ者だったさとりにとっては、そう感じてしまうほど目の前の光景は現実離れしていた。

 

「ほら。心配なんて、要らなかったでしょう」

 

 さとりの隣の椅子に座る藤千代が、どこか誇らしげに笑みを作った。さとりはただ、一杯食わされた思いで頷く他ない。

 

「そうですね、不安がって損しました。……地上って、いつもこんな風なんですか?」

「んー、今は皆さん酔ってる分もありますけど……でも、だいたいこんな感じだと思いますよ。特に月見くんの周りは」

「……そうですか」

 

 そうなんだな、とさとりは思う。地上に、あまりいい思い出はないけれど。でもそんなのは、今となっては何百年も昔の終わった話で、地上はもう、さとりがいた頃とは違う世界になっていて。

 変わったのはきっと、自然の姿や建物の形だけではない。

 そこに住む人々の心も、変わったのだ。それは、ここで楽しくパーティーを満喫する少女たちの姿を見ればよくわかる。

 無論、だからといって、例えばさとりが地上に出て行っても大丈夫かどうかはわからない。さとりの力を恐れる誰かはどうしたっているだろうし、逆にさとりを怖がらせてくるやつらだっているだろう――先日藤千代にぶっ飛ばされた、旧都の誰かさんどものように。

 ここに集まった少女たちが、たまたま、さとりを恐れない強く優しい心を持っているだけなのだと。それは、さとりだって重々承知している。

 けれど、いつかは、きっといつかはと願って已まない。地上の風景をもう一度見てみたいし、自分たちの方から月見に会いに行きたい。でも一番大きな理由は、月見を、月見の周りに集まる少女たちを、月見という妖怪が描き出す地上の風景を、一度でもいいからこの目で確かめてみたいからだ。

 きっと、素敵な光景なのだと思う。ここにいる少女たち以外にも、いろんな人間や妖怪が集まって笑っているのだ。妖怪も、人間も、神様だって、種族の、或いは生まれの違いなんてものはそこにはまるでなくて。話したことのない相手でも、出会ったばかりの相手でも、ひとたび水月苑に集まったならばみんなが友達で。

 見てみたい。きっと、いつか。

 

「……行けますよ。必ず」

 

 たぶん、ひと目でわかる顔をしてしまっていたのだと思う。藤千代の柔らかい視線の先では、頭が痛い少女たちを月見が仕方なく抱き起こしていて、それを見たフランが床に座り、いかにも準備万端な顔で両腕を広げている。

 さとりも藤千代も、どちらからともなくクスリと笑った。

 

「私は、ばっちこいですから。案内しますよ。いつだって、どこへだって」

「……ありがとうございます」

 

 なんだか、ここ最近の生活は現実とは思えないことばかりだ。月見という妖怪が現れて、地霊殿の日常が少しずつ変わり始めて、今や日陰者だった自分たちが、こうしてまぶしい光の当たる場所にいる。いつかきっと地上に、なんて話をして、その日の訪れを待ち望んでいる。今までとは違うことばかりで――そう思うと、頭の中に絶えず押し寄せてくる心の波も、なんだか聴き心地のよい音楽のようで。

 そんな中で、おくうが藍に声を掛けられていると気づいたのは偶然だった。

 一体なにを言われているのか、おくうは少し緊張した面持ちをしていた。周囲が賑やかすぎて、声も心もこの距離ではいまいち聞き取ることができない。なにかあったのかしらと首を傾げているうちに、藍がおくうを連れてこちらまでやってきた。

 

「さとり、少し彼女を借りてもいいかな。折り入って話をしたいことがあってね」

「話、ですか」

 

 改めて藍の心を読んで、さとりは理解した。

 八雲藍は、幻想郷の賢者たる八雲紫の式神であり、また自らもが『式神を操る程度の能力』を有している。それはまさしく文字通りの能力であるのだが、副次的な効果として、式神をひと目見ただけで中に打たれた式を理解することができる。

 藍はこの力で、おくうの中に打たれた月見の式を読み取った。

 それはつまり、月見がどのような方法でおくうを式神としたのか理解したということであり、

 

「あ……でも、その話は……ええと、その」

「ああ、わかっているよ」

 

 藍は声をひそめ、

 

「大方、月見様から口止めされてるんだろう?」

 

 いかにも月見様のやりそうなことだ、と藍は口端で笑った。

 

「だから、これは私の独断だ。あとで月見様からなにか言われたら、知らないと答えてくれていい。私が勝手にやったことだとね」

「……」

「ごくごく普通の契約だったなら、私がしゃしゃり出る必要もないんだが……彼女の場合はいささか事情が違う。知っておくべきだと、私は思うんだよ」

 

 ――月見はおくうの力を、今だけはどんなことがあっても絶対に暴走させないため、妖力の大半を対価として捧げている。

 その話を、するつもりなのだ。

 おくうと視線が交わる。不安な眼差しをしている。月見は強い妖怪で、月見の周りにも強い妖怪がたくさんいる。だから、もしかしたら、自分みたいなやつが月見の式神なんて相応しくないと、責められるのではないか――。

 

「……大丈夫よ、おくう。そんなこと、藍さんはしないわ」

 

 さとりは少し迷ってから、藍と同じように声をひそめて、

 

「……ええと、ごめんなさい。月見さんに黙っているように言われて、あなたに隠していたことがあるの。それを、藍さんが教えてくれるだけよ」

「……?」

 

 おくうの眼差しが、不安から疑問に変わる。

 

「それって……私のことで、ですか?」

「うーん……どちらかと言うと、月見さんのことかしら」

「あいつの……」

 

 更に、疑問が興味へと変わった。そして同時に、隠し事をされていた事実に対するほんのわずかな不満も、おくうの瞳には浮かんでいた。

 藍を見て、

 

「わかった。教えて」

「ああ。……まずは場所を替えよう。静かなところの方がいいからね」

 

 月見は涙目な萃香と諏訪子にぽかぽかと叩かれていて、こちらにはまったく気づいていない。その隙に、藍とおくうはこっそりと部屋の外へ出て行った。

 

「……? 今の、藍?」

「あ、輝夜さん」

 

 輝夜と妹紅に見られていた。二人ともほんのり赤ら顔で、今しがた藍とおくうが出て行った扉の先を胡乱げに見つめている。

 

「おくうと、ちょっと話があるみたいで」

「ふーん? ……まあ確かに、藍は気にしそうだしねえ」

 

 そう言う輝夜は、月見の式神となったおくうの存在をさほど大事には考えていなかった。無論はじめは驚いたけれど、事情を聞いて納得したし、そこまでしてでも誰かの力になろうとするところがやっぱり月見なのだと、誇らしくも感じているようだった。

 そして、成り行きで月見の式神となった女程度に、彼を取られるつもりは毛頭ない――とも。

 苦笑した。

 

「月見さんのこと、大切に想ってるんですね」

「――そう。その話をしに来たのよ」

「へ?」

 

 輝夜の声音が変わった、と思ったときには、真正面から痛いくらいにがっしり両肩を掴まれていた。

 じ――――――、と妙に圧力のある視線がさとりを射抜く。

 

「……あ、あの、輝夜さん?」

「私の心を読んで」

「は、」

「読むの」

「あの、」

「じ――――――――……」

「……、」

 

 なんだか逆らえない雰囲気を感じて、さとりは言われた通りにした。まあ、言う通りにするもなにも、こんな真正面に立たれた以上さとりの能力は否応なく発動してしまうのだけれど。

 たくさんの記憶が流れ込んでくる。それは輝夜が、この世界ではじめて月見に出会い、別れ、幻想郷で再会し、今へと至るまでの長い長い記憶だった。どうしてそんなものをさとりに読ませるのかといえば、

 

「……」

 

 輝夜が、なにかを期待するようにふんすふんすと鼻息を大きくしている。いや、なにを期待しているのかはわかっている。わからないはずがない。つまりそういうことだ。なのでさとりは、頬がぎこちなく引きつるのを感じながらも精一杯の笑顔で、

 

「つ、月見さんのこと、本当に大切に想ってるんですねっ」

 

 輝夜はうむうむと満足げに頷き、月見のところへ戻っていった。

 なんだったんですか。ほら、妹紅さんも「まったく輝夜は……」って呆れて

 

「――じゃあ、次は私の番だね」

「あの、妹紅さん?」

「まあまあ、とりあえず聞いてよ」

 

 なんなんですか。

 もはや問答無用だった。妹紅もまた、さとりの肩をぐわしっと掴み、

 

「じ――――――――……」

「…………、」

 

 妹紅が想起するのもまた、月見と出会ってから今に至るまでの記憶である。そしてその上でさとりになにを期待するのかも、やたら自信に満ちた瞳の輝きを見れば明らかであり、

 

「ええと……ま、まさに、人生の先生ってやつですねっ」

 

 妹紅はうむうむと満足げに頷き、やはり月見のところへ戻っていった。

 だからなんなんですか。

 

「はいはーい! 私もやるーっ!」

 

 輝夜から話を聞いたらしく、更にはフランまでもがすっ飛んできた。さとりの前でぺこりと頭を下げ、

 

「よろしくお願いしますっ」

「あ、あの、だから」

「じ――――――――……」

 

 人の話を聞いてくれるとさとりは嬉しい。しかし、きらきらと無垢でまぶしいフランの眼差しに勝てるはずもなく。

 なにを想起していたのか、もはやいちいち言うまでもないだろう。

 

「つ、月見さんも、あなたたち(・・)のことは娘みたいに想ってるわよっ」

 

 フランはむふーっと満足げな鼻息で、やっぱり月見のところへ戻っていった。

 もうさとりはツッコむ気力もない。とにかくこれで一段落だと思っていたら、さとりの死角から四人の人影が、

 

「ふう、どうやら聞かせてやらないとなんないみたいだね。私ら鬼と月見の絆の話を……」

「まあ待ちなさい。ここは一旦落ち着いて、私と月見と向日葵の話から入るべきだわ」

「やれやれ……ここは更に落ち着いて、儂ら天狗の話が先に決まっとろーが。焦るなお前さんら」

「えー、ウチの妖夢の話がいいわ~」

 

 異変の武勇伝で盛り上がっていたはずの、勇儀、幽香、操、幽々子であり、

 

「……あ、あの、皆さん?」

「「「まあまあ、そんなこと言わずに」」」

 

 まだなにも言ってませんが。

 ふふふ……とアヤシイ笑みを張りつけた四人にじわじわ追い詰められ、さとりはあっという間に壁際で包囲された。

 

「……ちょ、ちょっと待ってください。おかしくないですか、自分から心を読まれたがるなんて、知られたくないことまで知られるかもしれないんですよ?」

 

 笑顔、

 

「とにかく落ち着いてください、四人一斉なんてさすがに無理で」

 

 笑顔、

 

「……も、もしかして皆さん、だいぶ酔ってますか?」

 

 笑顔、

 

「た、助けてください藤千代さぁん!?」

「ふふふ、さとりさんったら人気者ですね!」

 

 藤千代がグッとサムズアップしてきた。こういうときだけ無駄に空気読むのやめてください。

 

「お燐、お姉ちゃん楽しそうだねっ」

「そうですねー。いやー、さとり様に矛先が向いて助かっ――げふん」

 

 お燐、明日おやつ抜きね。

 そして最後の希望に縋って月見を見るのだが、彼はヘソを曲げた萃香と諏訪子のご機嫌取りをさせられていたり、輝夜や妹紅に絡まれていたり、近くでスカーレット姉妹が「ちょ、ちょっと待って、あなた『たち』ってどういうこと!?」「よかったね、お姉様っ」「よくなああああああああいっ!?」と騒いでいたりで、まったくこちらに気づいてくれなかったので。

 

「あ、あははははは……」

「「「ふふふふふ……」」」

 

 ――ああ、月見さん。あなたのお友達がみんな逞しすぎて、私、ちょっとめげちゃいそうです。

 このあと、さとりはメチャクチャ心を読まされた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 ダイニングを離れたおくうは藍に連れられ、パーティーの喧騒が届かなくなる突き当たりまで廊下を歩いてゆく。

 今日出会ったばかりの地上の妖怪と二人きりというのは不安だったけれど、それ以上に興味が勝っていた。いや、『興味』なんて生易しいものではすでになく、ある種の欲望ともいえる激しい渦が今のおくうを突き動かしていた。

 前を行く九尾の少女――藍は、おくうに月見のことで話があるらしい。

 そしてそれは、月見がさとりに口止めをしてまで、おくうから隠し続けていたことらしい。

 それがおくうには気に喰わない。こうやって場所を替える以上は、ダイニングでは口に出せないくらい重要な話ということなのだろう。そんなにも大事(おおごと)な「なにか」を、月見はおくうに隠していたのだ。仲間外れにされていたみたいで面白くなかった。

 おくうは月見の式神なのに、隠し事なんて――。

 

「……」

 

 おくうはかぶりを振って、心に巣喰いかけた悪い考えを打ち払った。もちろん、その「なにか」を話してもらえなかったのは、正直に言えば悔しかった。教えてほしかった。でも、だからって月見を悪く言ってはいけない。きっと話せないだけの理由があったはずだし、おくうにだって、月見には教えられない秘密のひとつやふたつくらいはある。

 なにより、気に喰わないことを人のせいにする考え方は、心が卑しくなる。

 物事を勝手に悪い方向へ考えて、勝手に人のせいにして、勝手にヘソを曲げて、いじけて。それは、異変のときのバカだった自分へ、逆戻りしてしまうということに違いないから。

 

「……よし、このあたりでいいか」

 

 足を止めた藍がこちらへ振り返る。パーティーの喧騒は遠くからかすかに響いてくるだけで、藍の言葉は声量以上によくおくうの耳に通った。

 聞きやすい声をしてるな、と思う。

 

「さて、こんなところに場所を替えたのは他でもない。月見様が、お前を式神にした件についてだ」

「……うん」

「月見様からどこまで聞いている? どうしてお前を式神にしたかとか、どういう術を使ったとか」

 

 おくうは少し考え、

 

「えと、私のヤタガラスの力を、絶対に暴走させないようにするためだって。そのために、私の中に、……なんだっけ。ウカノなんとかっていう神様がいるんだって」

「……そうだね、おおまかにはその通りだ。厳密にはまず宇迦之御魂が、お前の中にいる八咫烏の御魂を調和させてくれている。そしてその状態でお前を式神にし、勝手に力を使えないよう制約を設けることで、事実上八咫烏を封じているわけだな」

 

 藍はそこまで滔々と語り、息で笑った。

 

「宇迦之御魂まで使役して、かなり大事(おおごと)な術だよ。私も実際に見て驚いた。別に、宇迦之御魂か式神か、どちらか片方だけでもよさそうなものだけど……まあ、本当に、なにがなんでも異変と同じことは繰り返させないつもりなんだろうね」

「……」

「その術は、月見様の執念の塊だ。……月見様は、お前をずっと苦しめてしまっていたんだってね。きっと、今でも強く責任を感じているのだと思う」

 

 なにかを言った方がいいのかもしれないと思うが、なにも言葉が出てこない。

 そうこうしているうちに、藍が相貌から笑みを消した。

 

「――本題だ。お前は、そんな大事な術を、なんの対価もなしに簡単に使えると思うかい?」

「……?」

「そもそも、単に式神を使役するだけでもある程度の妖力を必要とする。必要なときだけ精霊を憑けるタイプならまだしも、妖怪を式神として使役するならその負担は決して小さくない。……とはいえ、お前くらいの妖怪であれば、月見様にとっては微々たるものだろうけどね」

 

 いまいち話が見えてこない。

 

「それより重要なのは、宇迦之御魂という格の高い神を使役している点だ。これははっきり言って普通じゃない。私たちこの世の存在は、祝詞を捧げたり供物を奉じたりして、神に力をお貸しいただく立場だからね。宇迦之御魂ほど名のある神を自分の思い通りに使ってやろうなんて、考えたとしても普通は実行できるものじゃない」

 

 そういえば、とおくうはぼんやり思い出す。月見がまだ目を覚まして間もなかったとき、同じ話を聞いたハクレイの巫女や天人もとても驚いていた――気がする。あのときは、はじめて聞いた「式神」という言葉に気を取られて、深く考えていなかったけれど。

 ここまで来てしまえば、頭が弱いおくうにも段々と話が見えてきた。

 つまり、

 

「月見様は、ご自身の妖力の大半をお前のために割いている」

「……!」

 

 ようやく、わかった。月見がおくうに、一体なにを隠し続けていたのか。

 

「知らなかっただろう?」

「……、……うん」

 

 頷く他ない。考えてみれば、確かに藍の言う通りだった。動くためには体の力を使わなければならないし、考えるためには頭の力を使わなければならない。なにかをするためには、必ずなんらかの力を使わなければならない――それがおくうたちの世界の法則だ。だから、おくうの中にいるヤタガラスの力を制御するのならば、月見だってそれ相応の力を使わなければならない。

 その『力』が尋常ではないほど大きいことを、月見はおくうに隠し続けていたのだ。

 

「きっと、恩着せがましくなってしまうからだろうね。だから、言わないでいたんだと思う」

「……」

 

 なるほど、とおくうは思う。

 これは確かに、「いかにも月見がやりそうなこと」だ。

 笑みがこぼれた。

 

「……そっか。私、あいつの負担になってるんだ」

「……客観的には、そういうことになるね」

 

 正直に言えば、嬉しい気持ちの方が強かった、と思う。自分の力の大半を割いてでも、月見はおくうを守ろうとしてくれている。おくうのことを考えてくれている。それが嬉しかったし、また片隅では、嬉しいと感じてしまう自分自身に嫌気が刺した。

 今なら、おくうがここまで連れて来られた理由にもなんとなく見当がついた。

 

「その上で、私からひとつ頼みたいことがある」

「……うん」

 

 ここからが、本当の本題なのだ。

 今回のパーティーで、おくうは認めざるを得ないほど痛感した。月見は、おくうたちだけが独り占めしていいような妖怪ではなかった。おくうにお菓子をくれたフランやレミリアはもちろん、名前は忘れてしまったけれど他の少女たちだって、おくうにも負けないほど心から月見を慕っている。目の前の藍だって同じ。そんな彼女たちが、月見の大きな負担となるおくうの存在を許す道理なんて、あるわけがないのだ。

 だから、言われる前に言った。

 

「あいつの式神を、やめろって言うんでしょ?」

「ん? いや違うけど」

「え?」

「え?」

 

 間、

 

「……え、違うの?」

「? ああ、まったく違う」

 

 というかなんでそんな誤解してるんだこいつ、みたいな顔を藍はしている。おくうはわけがわからず、

 

「だ、だって……私は、あいつの負担になってて、だから」

「……ああ、なるほど。それを私が不愉快に思っていて、だから式神をやめろと言われるんだろう、ということか」

 

 怖々と頷く。藍もまたひとつ頷き、それからおくうの不安を吹き消すように笑みを作った。

 

「わからなくもないけど……しかしそれだったら、私が呼び出して話をすべきなのは、お前じゃなくて月見様の方じゃないか? お前に言ったところで、お前の意志で式神をやめたりできるわけじゃない」

「そ、それはそうかも、だけど……じゃあ、なんで」

「なに、そんな大それた話じゃないよ。怖がらなくていい」

 

 藍はなんだか、愉快そうだった。

 

「しかし、あれだね。そんなことを怖がって訊いてくるということは、お前は月見様の式神でいたいんだと、そう受け取ってもいいのかな」

「う、うにゅ……!」

 

 不意打ちだった。赤くなったと自分でも思うし、それがなにより雄弁な回答だった。

 

「ふふふ、そうかそうか」

「う、うー!」

 

 違うと言えない自分自身に腹が立った。でもやっぱり、それがどうしようもない事実だったのだ。さとりたちに対して『家族』というつながりがあるように、月見に対しても、自分は『式神』というつながりを欲してしまっているのだ。

 ――だって、ただの知り合いとか顔見知りとかじゃなくて、そういうはっきりした関係の方が、なんかいい(・・・・・)んだもん。

 そんなわけで、完全に油断していた。

 

「お、いたいた。おーい」

「にゅ!?」

 

 急に背後から声が飛んできて、おくうはびっくりして振り返る。すると目に飛び込んできたのは円い大きな注連縄で、その時点でわざわざ顔を見るまでもなく誰だかわかった。藍がつぶやく、

 

「神奈子?」

 

 だった。お酒ですっかりできあがってしまい、月見に泣きながら絡んだり床に頭を打って転げ回ったりと神の威厳を喪失していたはずの彼女が、今は酔いをまったく感じさせない淀みない足取りで、

 

「なんだこっちにいたのかい。一回逆の方向に行っちゃったよ」

「なにかあったのか?」

「んや。私もちょっと、そこの地獄鴉と話したいことがあってさ」

 

 おくうの横を通り過ぎ、藍の隣に立って回れ右をした。

 

「……あ、話途中だった?」

「まあそうなんだけど……話って、なんの話だ?」

「八咫烏の力をさ。これからどうしよっかなって」

 

 肩が、震えたと思う。

 

「あんたも、私がやろうとしてたことは知ってるでしょ? でも、まあいろいろあってあんな風になっちゃって、計画も今となっては白紙でさ。この鴉に八咫烏の力を持たせとく理由もなくなったわけ」

 

 自分の体温が、ぐっと冷え込んでいくのを感じた。それはおくうが、月見の式神となって以来ずっと、心の片隅で不安に思い続けていたことだった。

 月見だって言っていた。彼がおくうを式神にしたのは、あくまでおくうの中にあるヤタガラスの力を制御するためであり。

 そもそもヤタガラスの力がなくなれば、おくうをわざわざ式神にする理由もないのだと。

 

「制御棒なしじゃあちょいと危険な力だし……今は月見が制御してくれてるみたいだけど、それってなんか月見に悪いじゃない。だから、もう返してもらおっかなーと思って」

「っ……」

 

 つまり、裏を返せば。

 ヤタガラスの力がなくなったら、おくうはもう月見の式神ではいられないということで、

 

「というわけで、そっちさえよければこのあとにでも」

「い、いやっ!」

 

 自分で自分にびっくりした。それくらい大きな声が出ていた。藍と神奈子が目を丸くしたが、自分もきっとこんな顔をしているに違いなかった。

 

「――あ。いや、その。えと」

 

 頭の中が真っ白になった。二人の顔を見ることもできず、俯いて忙しなく両手の指を絡める。早くなにかを言わなければと思うが、ぐるぐる渦を巻く頭はなんの言葉も生み出してくれない。

 神奈子が首を傾げる。

 

「……えーと、嫌って、つまり八咫烏の力を返すのが嫌ってこと?」

「う……」

「いや、私が原因でいろいろあったわけだしさ、必要だってんならまあお詫びってことで考えないでもないよ? でもなにに使うのさ? 変なことされると困るよ、また私が藤千代に怒られんだから」

「な、なにもしないもん」

 

 なんとか、それだけ言えた。

 そう、おくうは別に、ヤタガラスの力を使いたいわけではない。そもそも、使おうとしても使えないと思う。今は月見によって封印されているし、そうでなくともあの力は、異変の記憶を呼び覚ます恐怖の引鉄になってしまっているはずだった。

 でも、それでいいのだ。

 

「なにもしないけど……ひ、必要なの!」

 

 ただ、おくうの中に在る(・・)だけでいい。それだけでおくうは満たされる。それだけで、おくうは月見とつながっていられる。

 ああ、もう、私は本当になんて卑しいんだろう。

 自覚はしても、この想いはどうしても抑えられなかった。

 

「はあ……? なにもしないのになんで」

「ひ、必要ならいいんでしょ!? だったら別にいいでしょ!?」

 

 ほんとのことなんて言えるわけないでしょー!? と、おくうは頭の中で神奈子に百烈拳を叩き込んだ。しかし神奈子は納得してくれない、

 

「いや……なんにも使わないんだったら、つまり要らないってことじゃ」

「まあまあ、彼女が必要だと言うのなら必要なんだろう」

 

 すると藍が、自分だけはすべてわかっているような顔をして割って入ってきた。というか、実際彼女はぜんぶわかってしまっていたのだと思う。

 

「本人はなにもしないと言ってるし、そうでなくとも悪用なんて月見様がさせないさ」

「そうだろうけど……でも、さっきも言ったけどそれじゃあ月見に悪いんじゃ」

「鈍いなあ。少しは察したらどうなんだ」

「は? え、なにどういうこと?」

 

 疑問符を量産する神奈子をよそに、藍はおくうに向けて目を細め、

 

「私も、ある御方の式神だからね。そういう気持ちは、それなりに理解できる」

「そ、……そう?」

「ああ」

 

 頷き、それから笑みをたっぷり深めると、

 

「――素直に月見様に伝えればいいような気もするけどね。八咫烏の力なんて関係なしに、これからも月見様の式神でいたいんだって」

「うにゃああああああああああ!?」

 

 ――やっぱりバレてたーっ!?

 神奈子が途端に、微笑ましいものを見る生暖かい目になった。

 

「あー、なるほど。使わないけど必要って、そういう……」

「……ちちちっ違うもん!? なんていうかそのっ……ヤタガラスの力を制御してもらわないといけないから、仕方なくなの! 式神でいたいわけじゃないの! 仕方ないのっ!!」

 

 藍と神奈子は揃って棒読みで、

 

「そうだな、仕方ないな」

「うん、仕方ないねえー」

「……ぐすっ」

 

 恥ずかしすぎて、おくうは灰になって燃え尽きそうだった。全身が、ヤタガラスの力を使ったとき以上の熱に襲われているのを感じる。ひょっとすると、傍目から見れば湯気のひとつでもあがっていたかもしれない。

 

「そういうことなら、あんたと月見の間で決めるべき話だね。私はなにも言わないよ」

「違うもん!」

「紫様、冬眠から起きたらびっくりするだろうなあ」

「違うってばぁ!」

「さて、じゃあ私の話に戻っていいかな」

 

 今おくうは、泣きそうな顔をしていると思う。

 

「これからも月見様の式神でいるつもりなら、頼みたいことがあるという話だ」

 

 けれど、物申したい気持ちを渋々引っ込めて、今は大人しく話を聞くことにした。藍本人は大それた話ではないと言うけれど、それはまったくもって真っ赤な嘘で、彼女はおくうが月見の式神に相応しいかどうか見極めようとしているのだ。今から自分が投げ掛ける言葉におくうがどう答えるのか、一挙手一投足に至るまで試そうとしているのだ。

 おくうは生唾を呑んだ。押し潰されそうな重圧が両肩にのしかかってくる。それは、己が己自身に感じる重圧だった。だって、月見のような強く優しい妖怪に、自分のような弱くて卑しい妖怪なんか相応しくないと、自分が一番よくわかっているのだから。

 自分はただ、月見によって守られる「式神」という関係に、浅ましくも依存したがっているだけで。自分を守ろうとしてくれる月見の気持ちに、卑しくも甘えようとしているだけで。

 そんな自分に、頼まれたところでできるようなことなんて、

 

「月見様に、笑ってあげてほしい。それだけだよ」

「……え?」

 

 意味が、わからなかった。

 てっきり、式神として月見の役に立てとか、助けになれとか、そういうことを言われると思っていたのだ。

 

「お前は……月見様に助けられたこと、感謝してるかい? それとも、余計なことをされたと思ってるかな」

「それは、」

 

 おくうは口を噤み、藍の顔を直視できずに、

 

「……あ、ありがとうって、前に言ったもん」

 

 藍が優しく息をついた音、

 

「そうか。……感謝しているなら、これからの生活を心から謳歌してほしい。そして、月見様に笑顔を見せてやってほしいんだ」

 

 言葉の意味はわかる。

 だが、意図はわからない。どうしてそんなことを頼むのか。おくうが笑顔を見せることに、一体どんな意味があるのか。

 顔を上げると、藍の面持ちにかすかな憂いの影が差したところだった。

 

「さっきも言ったけど……月見様は、お前を苦しめてしまったことに強く責任を感じている。表面ではなんてことのない顔をしているけどね、心の中では結構引きずってると思うんだ。どうもそういうところがあるらしい、あの方は」

「……」

「昔は私たちを置いて外の世界へ出て行ってしまったり、良くも悪くも人に囚われないところがあったんだが……幻想郷に戻ってきてからは、丸くなったというかな。輝夜の一件で、さすがに反省したのかもしれないけど」

 

 これは余計な話だな、と軌道修正し、

 

「ともかく、お前がこれからの生活で笑っていてくれるなら、月見様の心の悔いも、少しずつ軽くなっていくはずなんだ。天子のときがそうだったから。式神として力になってやれなんて言わないし、月見様もそんなのは望んじゃいない。でも、お前に笑っていてほしいとは思っているはずだ」

 

 まるで、(こいねが)うようにまぶたを伏せて、

 

「……だから、ね。これは、お前にしかできないことだ」

「…………」

「今日を見ていた限り、お前はあまり笑っていなかった気がしてね」

 

 もちろん、藍の指摘通りだった。おくうは、余所の誰かがいる前ではなかなか正直に笑うことができない。素直な気持ちを打ち明けられない。さとりたち家族の前ではそんなことないのに、とりわけ月見の前ではいつも怒ったような、そっぽを向いたような、素っ気ない顔をしてばかりだった。

 それではいけないと、藍は言うのだ。月見の式神としてまずおくうに必要なのは、彼の役に立てるような力ではなく、嬉しいときや楽しいときは素直に笑う心なのだと。

 そして、その心さえあれば、弱いおくうにだって月見の支えになれるのだと。

 

「もちろん、無理にでも笑えと言っているわけじゃないよ。もう少しだけ、月見様に素直になってあげてほしいということさ。……頼めるだろうか」

 

 すぐには頷けない自分がいた。月見に対して素直になる――そんな自分がちっとも想像できなかったからだ。

 けれど、もしも自分が笑うことで、月見を支えてあげられるのなら。

 

「……上手くできるか、わからないけど……が、頑張る」

 

 込みあがってくるその気持ちに、決して嘘はなかったので。

 

「ありがとう。お前が優しい妖怪でよかったよ」

 

 眉を開く藍に、神奈子がこれ見よがしに肩を竦めた。

 

「あんたも、大概世話焼きだよねえ」

「私で力になれるのなら、すぐにでもなりたいさ。でも今回の場合、私は部外者でしかないからね。悔しいけれど、月見様を支えられる一番近い場所にいるのは彼女だ」

「……そう、なんだ」

 

 そう言われると、おくうはむくむくと嬉しくなった。月見に一番近い場所――なかなか満更でもない響きだと思った。今日地霊殿に集まった地上の誰よりも、おくうがまだ顔も知らない誰よりも、さとりよりも、こいしよりも、お燐よりも。私が一番。私が一番。繰り返すたびに心が暖かくなって、おくうは知らず識らずのうちにだらしなく笑っ

 

「――とはいえ、気をつけてほしいこともあるけどね」

「へ、」

 

 藍がなにかを言った、と思った瞬間には、目と鼻の先から両肩をぐわしっと鷲掴みにされていた。

 思わずおくうの頬が引きつるほどの、とってもステキな笑顔だった。もふもふであるはずの九尾が、蛇のようにうねうねと不気味に蠢いていた。

 

「わかっているとは思うけど……月見様の式神だからって、調子に乗ってはいけないよ。早まった真似はしないように。もしも万が一のことがあればそのときは、どこか二人きりになれる場所で、式神とは主人にとってどうあるべきかという問題について、じっくりと、たっぷりと、みっちりと話し合いさせてもらうからね。今回ばかりはお前の力を借りる形になってしまったけど、あくまで今回だけだ。これからずっと月見様を支えてくれと言っているわけじゃない。そこだけは履き違えないでくれ。いいね? ――さあはいと言え。首を縦に振れ」

「……は、はひっ」

 

 まさに、問答無用であった。逆らったら閻魔様以上のお説教をぶっ放されそうな圧倒的プレッシャーに、おくうの体はもはや震えることも忘れ、ただただ必死に首を縦に振るだけだった。

 藍はうむうむと満足げに二度頷き、おくうの両肩から手を離して、その頃にはもう元通りの彼女だった。

 

「わかってもらえてなによりだよ」

「……わかってもらったというか、無理やりわからせたというか」

「さあて、話も終わったし戻ろうか」

 

 神奈子の呟きを華麗に無視し、一人颯爽と来た廊下を引き返していく。もふんもふんと弾むように揺れる九尾はなんともご機嫌である。今更になってぷるぷる震え始めるおくうの肩に、神奈子が励ますとも哀れむとも取れない奥ゆかしい微笑みで、ぽんと優しく手を置いた。

 二人の背中が遠ざかっていく。おくうは震える両手でスカートに皺を作り、せめて行き場のない思いを込めて、

 

「う゛~~~~…………っ!」

 

 それしか言えない。

 霊烏路空。過日の異変を乗り越えて、少しずつ、バカだった自分に変化が起きている自覚はあるけれど。

 それでもやっぱり、依存したがりなのはちっとも治らない、なかなかフクザツな女の子である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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