銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第13話 「レコンサリエーション ⑤」

 

 

 

 

 

「ふぎゃー!?」

 

 玄関の扉が砕け散って、魔理沙が吹っ飛ばされた。

 どれどれ、どんな具合になってるんだ? ――そう言って、魔理沙が玄関のノブに手を掛けた瞬間だった。修復不能なまでに粉砕されたドアの欠片たちと一緒に、ずしゃー、とフロアの上を滑っていく。

 

「……うわあ」

 

 その光景を目の当たりにした月見は、思わずそんな仰け反った一声を漏らした。確かに図書館での彼女の振る舞いは目に余るものがあったが、それにしてもこの天罰はあんまりではなかろうか。動かなくなった彼女は、どうやら完全に気絶したらしい。

 扉を砕いたのは白い弾幕だった。大きな風穴の空いた玄関から顔だけを出して外を窺えば、門の前で美鈴と妖精たちが弾幕ごっこを繰り広げているのが見える。

 妖精の数はかなり多い。遠目だが、少なくとも二十匹以上はいるらしい。一匹一匹が放つ弾幕は非力でも、これではもはや数の暴力であった。

 美鈴の悲鳴が聞こえる。

 

「あー! 館を傷つけるのはやめてって何度も言ってるのに! 私が咲夜さんに怒られるんですよ!?」

 

 むしろ魔理沙に怒られるのではないだろうか、と月見は思う。

 同時、天井近くのステンドグラスが一枚破砕され、美鈴が「ぎゃああああああれ高いのにー!?」と絶叫を上げた。ついでに、月見と一緒に様子を窺っていた咲夜の表情が、すうっと一気に冷たくなった。

 

「……では月見様、少し行って参ります」

「……ああ」

 

 冷ややかな声で一礼した咲夜が、砕け散ったドアを通って、ゆっくり門の方へと歩いていく。その背中では、静かに燃え上がる激情の炎が、周囲に火の粉を撒き散らしていた。

 ……あの様子なら、美鈴への加勢は咲夜だけで充分だろうか。とりあえず、また流れ弾が飛んできた時に対処できるよう、月見も外に出て待機しておく。

 

「中国」

「あっ、咲夜さん! ナイスタイミングです、ちょっと数が多いので手伝ってください! ――さあ見てなさいよ妖精たち、ここからが私たちの本領はっぎゃあああああ!? さ、咲夜さん、私は美鈴ですよ!? 妖精はあっちです!」

「ええ、わかってるわよそんなこと」

「わかっててやったんですか!? え、咲夜さん、加勢に来てくれたんじゃないんですか!?」

「随分と取り乱してるみたいだから、活を入れてあげたのよ。落ち着いたでしょう?」

「すみません、取り乱すベクトルが変わっただけです」

「続きは妖精たちを追い払ってからね」

「ひーんごめんなさい――――!!」

 

 なんだか咲夜が美鈴の後頭部にナイフを刺したように見えたが、気のせいだろう。涙を流しながら必死に弾幕を放つ美鈴と、曲芸師顔負けの技量で数多のナイフを操る咲夜のコンビネーションは、なんだかんだでぴったりと息が合っていて、劣勢だった戦況を瞬く間に巻き返していく。

 月見は、時折飛んでくる流れ弾を尻尾で弾き返しつつ、ふっと緩く息をついた。これならばきっと、犠牲になった魔理沙も浮かばれることだろう。

 

「……ふ、ふふふ、ふっふっふっふ……」

 

 背後から不気味なせせら笑いが聞こえ、月見は振り返った。いつの間にか復活したらしい魔理沙が、全身をしきりに痙攣させながら、立っていた。帽子の鍔に隠されて表情は見えないが、覗く唇は歪な三日月を描いている。

 

「……魔理沙」

「ふっふっふ、ふふ、くぅっくっくっくっく……」

 

 壊れたねじまき人形みたいに、ケタケタと彼女は笑う。もしかして、先の一撃で頭の配線がズレてしまったのだろうか。

 

「……大丈夫か?」

「くっくっく……ああ、大丈夫だ。大丈夫すぎて、もうどうにかなっちまいそうなくらいだぜ」

 

 どうやら大丈夫ではないらしい。

 

「あの妖精ども、随分と舐めた真似をしてくれたじゃないか……。妖精相手にここまでコケにされたのは初めてだぜ」

「……」

「あんなに熱烈なラブコールをされたんだ。これはもう、全力で応えてやらないと申し訳ないよな……」

 

 怒りの火の粉を振りまいて、魔理沙が月見の脇を通り過ぎていく。月見は特になにも言わないまま、ため息一つでその背中を見送った。

 魔理沙はほうきに跨り空へ身を翻すと、スペルカードを発動。眼前に集約させた白光を、一息でぶっ放した。

 

「マスタースパアアアアアク!!」

「え? ――うぎゃああああああああ!?」

 

 ……美鈴を巻き込んで。

 月見が丸々呑み込まれるほどに極太な白い光線は、立ち塞がる弾幕を一瞬で嚥下し、妖精たち(と美鈴)を薙ぎ払った。

 突然叩き込まれた横槍に、咲夜と残りの妖精たちが眦を開いて動きを止める。黒コゲになった美鈴が地面に倒れる、どしゃ、という音が、居たたまれないほどに物悲しく響いた。

 

「魔理沙……」

 

 珍しく呆然とした様子でその名をこぼした咲夜に、魔理沙は凄絶な笑顔とともに応じた。

 

「咲夜、悪いけど私も手を出すぜ。今日の魔理沙さんは怒りの魔理沙さんだ。止めてくれるな」

「……まあ、手伝ってくれるのなら一向に構わないけど」

「私たちの戦う理由は一緒だ。そうだろ?」

「……どうやらそうみたいね」

 

 なにやら妙な共闘意識を芽生えさせている二人だが、プスプスと黒い煙を上げて隅っこに転がっている美鈴は、無視なのだろうか。

 

「言っておくけど、足手まといだったら容赦なく切り捨てるわよ?」

「そっちこそ。あんまりでしゃばると巻き込まれるぜ」

 

 無視らしい。

 ……紅美鈴、味方に背中から撃たれて戦死。

 

「じゃあ、行くわよ!」

「おうさ!」

 

 咲夜の時間停止による予測不能の弾幕と、魔理沙の火力重視の弾幕は、コンビネーションなど無縁だとばかりに滅茶苦茶であったが、それ以上に苛烈であった。息つく暇もなく襲い掛かる強力な連続攻撃に、妖精たちの戦線は見る見るうちに崩壊していく。……時折流れ弾が美鈴の体に当たったりしているのは、可哀想だから見ないようにしておいた。

 そうして、残る妖精もあと数匹。屋敷の方に流れ弾が飛んでくることもなくなり手持ち無沙汰になっていた月見は、無聊(ぶりょう)を紛らわすために周囲の庭へと視線を投げた。屋敷の中に負けず劣らず広い庭だが、ここの管理も咲夜がやっているのだろうか。

 などと視線を巡らせていると、月見はふと、不審に庭の茂みを揺らす二つの人影を見つけた。いつの間に入り込んだのだろうか、青い髪の妖精と緑の髪の妖精だ。

 

「ふっふっふ、しんにゅーせーこー! さすがあたい!」

「う、うわわ、本当に入り込んじゃったー……。ど、どどどっどうしようどうしよう」

 

 青髪の方は怖いもの知らずの活発な笑顔を浮かべていて、逆に緑髪の方は、怖いものしか知らないかのようにすっかり縮こまっている。そんな対照的な二匹の妖精は、茂みから堂々と顔を出した状態でこちらの様子を窺っていた。……あれで隠れているつもりなのだろうか。

 特に声をひそめる風でもなく、月見のもとまで丸聞こえするほどはっきりとした声で、青髪の妖精がほくそ笑んだ。

 

「門番たちがみんなに気を取られてる隙に、隅っこから侵入。うふふ、これがかみさんおにぼーってやつなのね」

 

 ――かみさん鬼棒?

 ……神算鬼謀、だろうか。ひどい読み間違いだが、妖精だから仕方がないかもしれない。

 

「や、やっぱりやめようよお。もし見つかったら、もう怒られるだけじゃ済まないよう……」

「なに言ってるのよ、ここまで来たんだからもうすぐじゃない! ほら、あとはあれ! 玄関の前のあいつさえ突破すれば成功だもん!」

 

 青髪の妖精が、月見を指差して勢いよく声を上げた。

 

「まだあたいたちには気づいてないから、隙を見て一気に行けば楽勝よ!」

「……」

 

 ツッコんであげるべきだろうか、と月見は悩んだ。囮を使って小利口に紅魔館に侵入してみせても、やっぱり所詮は、妖精なのだった。

 一方、緑髪の妖精はまだ幾分か利口であるらしく、月見の視線にいち早く気づいて、冷や汗を浮かべながら相方の肩を叩いた。

 

「……あの、チルノちゃん。そのことなんだけど、あの人、私たちに気づいてない?」

「え?」

 

 二人が同時にこちらを見てきたので、月見は笑顔でひらひらと手を振って応えてあげた。

 さっと色を失った二人の顔が、ものすごい勢いで茂みの中に引っ込んだ。

 

「ほ、本当だ! ど、どうしてバレたのよ、あたいの作戦は完璧だったはずなのに!」

「ねえチルノちゃん……冷静に訊くけど、こんなことしてるからバレたんじゃないかな」

「え? なんのこと?」

 

 あいかわらずその会話が丸聞こえなのは、さておいて。咲夜と魔理沙は、妖精たちの懸命の抵抗に手を焼いて、この二人にはまったく気づいていないらしかった。なので暇潰しにはちょうどいいだろうと思い、月見は茂みの方へと向かってみる。

 

「どどどっどうしようチルノちゃん、このまま捕まったらきっとひどいことされちゃうよっ。早く逃げなきゃっ!」

「あたいの辞書に後退の二文字はないわっ。大丈夫よなんかあいつ弱っちそうだったし、一気に行けば問題ないって!」

「……」

 

 果たしてこの二人は、月見が既に茂みの目の前に立っていることに、気づいているのだろうか。

 

「よーし、行くわよ大ちゃん!」

「えっ、ちょ――ま、待ってよお!」

 

 そして、青髪の妖精がまず先頭を切って飛び出してくる。だが、当然ながらそこには月見がいるわけで。

 

「あうっ」

「おっと」

 

 お腹あたりに勢いよく顔から突っ込んできた彼女を、月見はしっかりと受け止めた。

 

「……ぅえ?」

 

 もぞもぞ動いて月見を見上げる瞳は、純粋無垢を形にしたように透明感のある浅葱色をしている。くるくる丸く輝いて、ガラス玉のようだ。同じ色をしたショートの髪は、風も吹いていないのにさらさらとなびいていて、たった今生えてきたばかりであるかのように瑞々しい。

 氷の妖精なのだろう。一メートルとほんの少しの小さな体に、氷の羽を六つ背負って、ひんやり涼しい冷気を振りまいていた。

 名は――チルノ、と呼ばれていたようだが。

 

「……」

「……」

 

 チルノは今の状況がよく理解できていないのか、口を半開きにしたままポカンと固まっていた。振りまかれる冷気もあいまって、氷を触ってるみたいだ、と月見は思う。

 

「……チ、チルノちゃん、」

 

 一方の緑髪の妖精は、茂みから体を出した時点でちゃんと月見に気づいて踏み留まっていた。チルノが氷なら、彼女の瞳は新緑を思わせる。若々しい生命力を感じさせる反面、当人は人見知りをするのか小さく身を竦めていて、サイドテールが心細げになびいている。背中から伸びた一対の羽は虫たちのそれと同じ構造であり、差し当たっては、森の妖精とでも言おうか。

 彼女は、目の前の状況を理解できてはいるものの、それに対してどう対応すればいいのかがわからないようで、あせあせと慌てながらチルノを見たり月見を見たりしていた。そのうちチルノがゆるゆると首だけで彼女を振り返り、ぽつり、言う。

 

「……ねえ、大ちゃん」

「な、なに?」

「こいつって、さっき玄関の前に立ってたやつ?」

「え? ……う、うん、そうだと思うけど」

「……」

 

 沈黙。

 やがてチルノたちの呆然と呼吸をする音が、ゆっくりと三つの拍を刻んで、

 

「ふははははー捕まえたぞー」

「ぎゃああああああああ!? 助けて大ちゃ――――ん!?」

「チルノちゃ――――ん!?」

 

 大慌てて逃げようとするチルノを、せっかくなので、月見は捕まえてみることにした。彼女の小さな体に尻尾をグルッと巻きつけ、そのまま空中に持ち上げる。

 それを見た緑髪の妖精――大ちゃんというらしい――が、さっと顔を青くした。

 

「や、やめてくださいっ! チルノちゃんを放してっ!」

「放しなさいよこのへんたーいッ!」

 

 チルノが歯を剥き出しにして尻尾をポカポカ叩いてくるが、妖精なので力は高が知れていた。痛くも痒くもないし、むしろ尻尾がひんやりとして気持ちがいい。

 ともあれ、別に妙なことをするつもりなど毛頭ない。このまま魔理沙たちに見つかると、レーザーで丸焼きにされたりナイフで刺されたりして大変だろうから、今のうちに穏便にお引取り願おうというわけである。そのためには、一番人の話を聞かなそうなチルノを押さえておく必要があった。

 決して、悪戯心を刺激されたとか、そんなのではないのである。決して。

 月見はどうどうと両の掌を見せ、慌てる二人の妖精を静かに宥めた。

 

「はいはいお前たち、ちょっと話を聞きなさい」

「なによっ、あんたと話すことなんてなにもないわっ」

「まあまあ、まずは落ち着いてあれを見てご覧」

 

 そう言って、月見が門の方を指差した瞬間。

 

「マスタースパアアアアアク!!」

 

 そんな魔理沙の怒号とともに閃光が走った。極太の光線が一筋、数匹の妖精たちを呑み込みながら空へと駆け上がっていく。

 呑み込まれた妖精たちの甲高い断末魔が響いて、ぴちゅーん、と弾けて消えた。

 

「「……」」

「このまま進むなら、あの子たちみたいになるのを覚悟しないといけないよ。どこかの誰かさんが、大分怒ってるみたいだったからね」

 

 自然と一体である妖精は死という概念を持たないため、たとえ四肢が砕け散ろうが焼き尽くされようが、いずれ再生・復活する。ただし痛覚は持っているので、死ぬような傷を負えば当然、死ぬように痛いのだ。マスタースパークはどうやら熱光線らしいから、喰らえば全身を焼かれる痛みに悶え苦しむことになるだろう。

 それを想像したのだろうか。チルノと大ちゃんは全身を総毛立たせて物言わぬ石像と化していた。

 怒りの魔理沙は止まらない。

 

「マスタースパーク! マスタースパアアアク! マスタアアアスパアアアアアック!!」

「あっつあああ!? ちょ、魔理沙さん、あなた私に恨みでもあるんですかってぎゃあああああー……」

 

 恐らく手当たり次第にぶっ放しているのだろう、白の光線があちらこちらに乱れ飛ぶ。……さりげなく美鈴の断末魔が聞こえたのは、もうやりきれないので聞こえなかったことにした。

 

「あれを喰らったら、きっと痛いだろうねえ」

「「…………」」

「逃げるなら今のうちだよ」

 

 月見は尻尾を緩めて、チルノを大ちゃんの隣に降ろした。すっかり自失呆然になったチルノは騒ぐどころか口一つ利く様子もなく、ただゆるゆると、大ちゃんと互いの顔を見合わせて、

 

「「………………」」

 

 けれどやっぱり、なにも言わなかった。

 門の方から、声が聞こえる。

 

「ちょっと魔理沙、もう妖精たちは片付いたんだから落ち着きなさいよ」

「ええい放せ咲夜っ、まだ暴れたりないんだっ。隠れてるやつはいないだろうな、怒りの魔理沙さんが成敗してやるから大人しく出てこーいッ!」

 

 びくん、と二人の肩が飛び跳ねた。だらだらとあふれる冷や汗が顔面を濡らす。

 ようやくの思いで震える口を切ったのは、大ちゃんの方だった。

 

「チ、チルノちゃん……もうやめようよ、帰ろうよお」

「……しっ、しししっ、仕方ないわねまったく」

 

 答えるチルノは、上手く呂律が回っていなかった。腰に両手を当てて尊大に胸を張ったりするのだけれど、表情は完全に引きつっていて、今にも泣き出しそうだった。

 

「ま、まあ、あたいは全然へっ、平気なんだけど、大ちゃんがそこまで言うならね。なんたって、パ、パートナーなんだし」

「なんでもいいから早くっ。早くしないと見つかっちゃうよおっ」

「わ、わわわっわかってるわよ」

 

 恐怖で地面に縫いつけられていた両足と石になっていた羽に、懸命の力を込めて飛び上がる。ちょうど月見の目線と同じ高さになった二人は、

 

「え、ええと、お騒がせしましたっ」

「い、命拾いしたわねっ。今度会った時はカチンコチンにしてやるから!」

「はいはい、なんでもいいから早く帰りなさい。気をつけてね」

 

 大ちゃんは丁寧にお辞儀をして、チルノはぷいとそっぽを向いて。それからあせあせと塀を飛び越えて、一直線に霧の湖の方向へと消えていった。

 魔理沙たちが駆け寄ってきたのは、それから数秒あとのこと。魔理沙は本当に怒りが治まっていないらしく、目をぎらぎらさせていた。

 

「おい月見! 今なんか、そこに妖精がいなかったかっ?」

「魔理沙、少しは頭を冷やしたらどうだ。……ただの小鳥だよ」

「そ、そうか? それにしては妙にデカかったような」

「だから頭冷やせって」

「そうよ、魔理沙」

 

 隣の咲夜が、ため息とともにつなぐ。

 

「これ以上暴れないで頂戴。ただでさえ中国が使い物にならなくなっちゃったんだから」

「ああ、あれは不慮の事故だったな。妖精たちもひどいことしやがる」

 

 しれっとうそぶく魔理沙には、反省の色などかけらも見られない。月見は心の中で、不幸な美鈴にそっと合掌を送った。

 そういえば彼女、咲夜からは“中国”の愛称で呼ばれているようだ。大方、本名が中国読みなのが理由だろうか。

 妖精という怒りの吐け口を失った魔理沙は、頭の後ろで両腕を組んで、あーあとつまらなそうに天を振り仰いだ。

 

「仕方ない、不完全燃焼だけど大人しく帰るか……」

「ん、そうだね。日暮れも近いし、私も帰ろう」

 

 日の傾きからして、今の時刻は十六時あたり。お暇するにもちょうどいい時間だろう。

 

「……」

 

 月見のその言葉に、咲夜がほんの一瞬だけ表情を不満げに歪めた。けれどあまりに一瞬だったので、月見は気のせいだろうと思って、追及しなかった。

 

「そういやお前、どこに住んでるんだ? このへんじゃ見たことないからどっか遠くか?」

「いや、先日まで外の世界で生活していてね。こっちではまだ家がないから、とりあえず人里で宿を恵んでもらおうかと」

「はあ? 人里でえ?」

 

 大口を開けた魔理沙は、そのまましばらく呆けたあと、吹き出すように鼻で笑って、

 

「人里で宿を恵んでもらおうとする妖怪なんて、初めて見たぜ。本当に恵んでもらえると思ってるのか?」

 

 問題ない、と月見は頷く。そうでなければ、人里で泊めてもらおうなどと考えるはずもない。

 

「伊達に外の世界で生活してたわけじゃないよ」

「ふうん……だがまあ、そうなると途中まで一緒だな。私は魔法の森に住んでるんだ」

「ほう」

 

 魔法の森。幻想郷の中央部に広がる、この土地最大規模の森林の名だ。紅魔館から人里へ向かおうとすると、ちょうどこの森が途中で立ちはだかることになる。月見と魔理沙が向かう方向は、奇しくも同じというわけだ。

 

「一人で帰るのも暇だし、よかったら付き合ってくれよ」

「…………、……まあいいけど」

「ちょっと待て、なんだ今の長い間は」

「いや、別に」

 

 なんだか面倒くさいことになりそうだなあ、という言葉は胸の中にしまいつつ。まあ、道中の話し相手ができるのはいいことだろうか。

 それで、帰るに当たって気になる問題が一つ。それは、さっきからなにやらしかめっ面をしている咲夜であって。

 さっきは気のせいかと思ったが、どうやら違っていたらしい。その表情はとてもとても不満そうで、思わず声を掛けずにはいられなくなるほどだった。

 

「……咲夜、どうかしたか?」

「……別に、なんでもありませんよーだ」

 

 いや、そうやって頬をぷっくりさせてそっぽを向くあたり、なんでもないわけがないというか。

 ふむ、と月見は思考。図書館にいる時も少し気になっていたが、なにか彼女の機嫌を損ねるような真似をしてしまっただろうか。

 考えてみれば、なにやら大切なことを忘れているような気がするのだが、いかんせん色々なことがあったせいで思い出せない――

 

「そうですよね、わかってましたもん。月見様にとって、私の淹れる紅茶なんて、別にどうでもいいことなんですよね」

「……」

 

 ――あー……。

 思い出した。フランと出会う前に咲夜と交わした、『無事に終わったら最高の紅茶を』という約束。なにせフランに危うく殺されかけたり、レミリアと本気で相対したり、パチュリーと魔理沙の弾幕ごっこを仲裁したりと濃い出来事が連続したせいで、すっかり記憶の底に埋もれてしまっていた。

 ……。

 しかし、まあ。

 約束を忘れられたまま帰られそうになってしまって、それで「よーだ」とか「もん」なんてらしくもない言葉遣いをしてまでわかりやすく拗ねるあたり、可愛いところもあるものだ――とか。

 やはり普段の振る舞いが冷静で垢抜けていても、心は少女ということなのだろう。

 月見は参ったと頭を掻きながら、苦笑した。

 

「悪い悪い。色々あったからすっかり忘れてた」

「……むー」

「ごめんごめん。だからそんなに拗ねないでくれないか?」

「別に、拗ねてませんよーだ」

 

 本当に拗ねていない人間は、そうやってむくれ面を浮かべたりなどしないものである。

 

「そうだね。次来た時の楽しみってのは、ダメかなあ」

「そんなこと言って、どうせ早く人里に行きたいだけでしょう?」

 

 さり気なく言ったつもりだったが、なかなかに鋭い。向けられた咲夜の半目が体に刺さるようだった。

 さてどうしたものかと月見が思案していると、魔理沙が期待を孕んだ目で間に入ってきた。

 

「なんだ、紅茶パーティーでもするのか? だったら私の分も頼むぜ、なんだか小腹が空いちまってな」

「……」

 

 咲夜が露骨に嫌そうな顔をした。しばらく押し黙った彼女はやがて魔理沙から目を逸らし、月見に向けて莞爾(かんじ)と笑う。

 

「月見様、また今度いらっしゃった時で結構ですわ」

「……なあ咲夜。お前、実は私のこと嫌いだろう」

「あなた、この紅魔館の人たちから好意的な目で見られてると思ってるの?」

「あーもうわかったよ、今度からはちゃんとパチュリーに言ってから借りればいいんだろ? ったく……」

 

 今度は魔理沙が頬を膨らませる番だった。ぶーぶーぼやく彼女を見ながら、月見は内心で苦笑をこぼす。咲夜には悪いが、この場合は思いがけず魔理沙に助けられた形になるのだろう。

 

「……じゃあ、次に来た時にってことでいいかな?」

 

 問いに、咲夜は諦めたように力なく微笑んだ。

 

「そうですね。……忘れないでくださいね? 練習してお待ちしてますから」

「ああ、近いうちに必ず」

「必ずですよ。……じゃあ、指切りしてくれますか?」

「指切り?」

 

 予想外の言葉に、月見はオウム返しで問い返した。

 はい、と咲夜は頷く。

 

「これで、忘れたなんて言い訳はなしです」

「むう、随分と信頼されてないものだね」

「前科持ちですからね。しかも、二回もですから」

 

 紅茶の約束と……もう一つは、フランに妙なことはしないという約束か。確かに月見は、そのどちらの約束も見事に破っているといえる。

 故の、前科二回。参った、と月見は両手を挙げた。

 

「ふふ。じゃあ、今度こそ約束です」

「……そうだね」

 

 互いの子指を、そっと合わせる。ちょっとだけおっかなびっくりと絡まってくる咲夜の小指は、ひんやりとしていて、けれどすぐにじわじわ熱っぽくなっていった。

 見れば、咲夜の頬がほのかな桜色で色づいている。恥ずかしいんだったら別にやらなくてもいいのに、と月見は苦笑し、

 

「指切りげんまん。……嘘をついたら、どうなるのかな?」

「そうですね……。じゃあ、針千本飲ます代わりにナイフ千本突き刺すということで」

「……」

 

 どうやら、約束を破ったらその日が月見の命日になるらしい。

 それが、とても冗談を言っている風には聞こえなかったので。

 月見は背筋が薄ら寒くなるのを感じながら、ちゃんと覚えておかないとなと強く心に誓った。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 そして小指を解いた月見と咲夜が門へと踵を返せば、そこでは美鈴が事切れていた。綺麗なビリジアンだったはずの服がすっかり焼け焦げて変色し、プスプスと黒い煙を上げている。

 

「……魔理沙」

 

 図書館で魔理沙に墜とされた小悪魔よりも、ずっとずっとひどい。後ろからくっついてきた魔理沙に半目を向ければ、彼女は明後日の空を眺めて口笛を吹き始めた。

 とやかく言っても仕方がないので、月見は美鈴の肩を叩いて意識確認をする。何度か名前を呼んで繰り返せば、やがて彼女はうんうんと呻いて身じろぎをした。

 

「美鈴、大丈夫か?」

「うぐぐぅー……はい、なんとかぁ……」

 

 腕を杖にしてよろよろと体を起こす。けれど立ち上がれるほどまでは回復していないらしく、ようやく上半身を起こしたところで、はああ、と大きなため息を落とした。

 

「ああ、ひどい目に遭った……」

「怪我はないか?」

「ええ、私も一応妖怪ですし……って、月見さんじゃないですか!? うわ、これはお恥ずかしいところをっ」

「ああ、そのままでいいよ。無理しないで」

 

 慌てて立ち上がろうとした美鈴を、月見は掌を見せて制した。それから彼女の足元に転がっていた帽子を拾い上げ、

 

「はい、これ」

「わあ、申し訳ないです……」

 

 美鈴は受け取った帽子を頭に乗せると、てへへ、と恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「すみません、こんな格好になっちゃって……」

「いや、いいんだよ。それよりも本当に大丈夫なのか?」

 

 服が焼けてしまっているから、もしかして火傷でもしているのではないかと心配したのだが、美鈴は気さくな笑顔で首を横に振った。

 

「大丈夫ですよ。私、頑丈なのが取り柄なんで」

「そう……か?」

 

 軽く美鈴の肌を見てみるも、確かに(すす)でところどころ汚れている以外は健康的な肌色だった。……それに服が焼け焦げてボロボロになってしまっている手前、あまり見るのもどうかと思ったので、月見は美鈴の笑顔を信じることにした。

 頑丈の一言で片付けてよいのかは、疑問だけれど。

 

「まあ、怪我がないならよかったよ」

「いやあ、ご心配ありがとうございます。お優しいですねえ」

「そうか?」

「そうですよ。ほんと、みんなに爪の垢を煎じて飲ませてあげたいくらいで……」

 

 なにかを思い出すように目を細めて、ふう、と美鈴は物思いなため息をつく。遠い懐かしさがにじんだその瞳は、彼女がいかに門番として苦労してきたのかを如実に物語っていた。

 どうやら紅魔館の門番の仕事は、あまり待遇が良いとはいえないらしい。

 

「あ、そういえば」

 

 月見がどう反応したものかと沈黙していると、美鈴はボロボロになった身なりを最低限で整え、しまいに手櫛で髪を梳いてから、深々と頭を下げた。

 

「妹様を、助けてくれたんですよね。咲夜さんから聞きました。私からもお礼を言わせてください」

「ああ……どう致しまして。私としても、あの二人が仲直りできたのは嬉しいよ」

 

 大図書館でフランがレミリアの腕を引いていった光景は、思い出すだけで心がそっと暖かくなる。本当に何気ないそのやり取りをここまで嬉しく思うのは、月見が地下室で、二人の涙を見たからなのだろう。

 思わず、ふふ、なんて笑みをこぼしていると、顔を上げた美鈴がこちらを見つめたまま動かなくなっているのに気づいた。なにか変なことを言ってしまっただろうか。彼女の瞳は、すっかり虚を突かれて丸くなっていた。

 

「どうかしたか?」

「え? ああ、いや……」

 

 問うと、美鈴は半開きになっていた口をゆるゆる動かして、照れ隠しするように小さく頬を掻いた。

 

「今の月見さんの笑顔、良かったなあ……なんて」

「……」

「なんというんですかね……こう、お父さん、みたいな? そんな感じの笑顔だったので、つい魅入っちゃってました」

 

 ――お父さん、ね。

 思いがけない言葉ではあったけれど、それはすとんと月見の胸の中に落ちてきた。月見は、他の妖怪たちよりもずっとずっと長生きしている。もしかすると、幻想郷では一番のお爺ちゃんなのかもしれないくらいに。

 だからだろうか。あの二人の小さな吸血鬼を娘のように感じている部分は、確かにある。実際、フランには「私の娘になってみるか?」なんて言ったりもしたのだし。

 などとしみじみ感じていると、

 

「――で、咲夜は一体なにをしてるのかな」

 

 いつの間にか美鈴の隣に、今まで背後にいたはずの咲夜が一瞬で移動している。彼女はなにやら真剣な面差しで月見の顔を覗き込んだあと、がっかりと肩を落としていた。

 

「面白い顔だったと、聞きましたもので」

「……」

「もう一回やってみてくれませんか?」

「やだよ」

 

 月見は低く苦笑。そもそもどんな顔をしていたのか自分でわかっていないし、人に観察される前でやるのは御免だった。

 よいしょと立ち上がった美鈴が、肩を落とす咲夜を見て、猫のように表情を明るくした。

 

「あっ、もしかして私、貴重なもの見ちゃいました? わあいなんだか優越か――危なあい!?」

 

 咲夜が無言で素早く右腕を振った。そして、咄嗟にしゃがんだ美鈴の帽子が真っ二つになった。

 咲夜の右手に、煌めく銀色のナイフ、一つ。

 

「こ、殺す気ですか!?」

 

 まるで容赦のないナイフの一閃に、美鈴が尻餅をついて震え上がる。咲夜はそんな美鈴を冷ややかな目で見下ろし、実に淡々とした声音で言った。

 

「いえね、そういえばおしおきの続きをしてなかったなあって。今ふっと思い出したの」

「まぁたまたご冗談を、私にはわかりますよ? それってただ単に月見さんの貴重な笑顔を見た私への嫉――ぎゃあああああ!?」

 

 続け様に三度走った鋭いナイフの太刀筋を、美鈴はゴロゴロ地面を転がってなんとかやり過ごす。だが時間を操る咲夜から逃れられる道理などなく、すぐに降り注いだナイフの雨が、美鈴の体の輪郭を見事に縁取った。

 

「……、」

 

 綺麗な大の字で地面に縫いつけられた美鈴は、そこで自分になにが起こったのかを遅蒔きながら理解したようで、ふるふる震えて涙目になっていた。そんな彼女を見下ろすのは、指の間で柄を挟んで、両手で合計八本のナイフを構えた十六夜咲夜。ふわり、莞爾(かんじ)と微笑み、しかし落とす言葉はナイフの如く。

 

「――なにか、言い遺すことは?」

 

 ひとしきり悔しげに震えた美鈴は、大声で叫んだ。

 

「あー咲夜さんここからだと下着が見えますよ色はふぎゃあああああ!?」

「……」

 

 響いた断末魔を遠巻きに聞きながら、月見は明後日の空を眺めてふっとため息をこぼした。どうして幻想郷の住人たちは、揃いも揃って元気いっぱいなのだろうか。

 隣に並んだ魔理沙が、くっくとシニックに肩を震わせて言う。

 

「騒がしいなあ。もっと、私みたいにお淑やかに生きればいいのに」

「……魔理沙、鏡を見たことは?」

「もちろん、身嗜みは毎朝ちゃんとチェックしてるぜ。――それがどうかしたか?」

「いや、なんでも」

 

 魔理沙がお淑やかだったら、世の女性のほとんどがお淑やかになるだろう。例外は紫や操くらいなもので。

 自らお淑やかを名乗るのだったら、せめて、

 ――せめて…………。

 

「……」

 

 特に思いつく知り合いがいなかったので、月見は頭を抱えた。私の周りはこんなのばっかか、と。

 いや、そういえば雛はどうだろう。厄神という境遇もあるのかもしれないが、月見の知り合いの中では間違いなく一番大人しい。

 ……もっとも彼女、椛と一緒に弾幕ごっこを見せてくれた際には、

 

『ほらほらどうしたの椛! 私、まだ結構余裕あるわよっ!』

『ちょっ……ま、まままっ待ってください雛さん、落ちっ落ちつ』

『厄神もやるときゃやるんだから! 天狗にだって、負けないんだからねー!』

『あ、あの、あのあの雛さんどうしてそんなにノリノリきゃうん!? う、うわーん!?』

 

 とこんな具合で、結構ノリノリで椛を涙目にしていたので、実ははっちゃけ少女なのかもしれないが。

 幻想郷の住人は、みんなみんな元気いっぱいなのである。

 

「つ、月見様っ! その、あのっ、聞きましたか!?」

「? なにをだ?」

 

 その時、顔を真っ赤にした咲夜が、ほとんど叫ぶようにしながらそう尋ねてきた。面食らった月見は思わず問い返してしまったが、すぐに、ああ、と思い至る。

 

「下着の色が――うおっと!?」

「……大丈夫よ、咲夜。落ち着いて。落ち着いて月見様の記憶を消せば、大丈夫、大丈夫……」

「いや、色々と大丈夫じゃないから本当に落ち着いてくれ。聞いてない、聞いてないって。だからナイフはアウト――アウトだって!?」

「っ……! っ……!!」

 

 羞恥の針が振り切った咲夜は、完全に歩く凶器――否、走る凶器と化していた。

 聞いていないと何度説明しても、それが咲夜の耳に届くことはなく。

 結局、咲夜が息切れを起こして動けなくなるまで、月見は彼女にしつこく追い回される羽目になったのだった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 寝惚け眼をぼんやり持ち上げれば、なにやら窓の外が騒がしい。

 なにかあったのかな、とフランはゆっくり体を起こした。

 

 レミリアの部屋だ。実際に入るのは、一体何年振りになるのだろう。記憶の中にあるそれとは、もう同じ場所とは思えないほどに変わってしまっていて、自分とレミリアがどれほど長い間すれ違っていたのかを見せつけられるようだった。

 けれど、それももう終わったこと。

 だから、これからは。そう思い、フランは己の隣に視線を落とした。

 天蓋付きの大きな大きなベッドの上、隣でぐーすか眠りこけているのは、他でもない愛しいお姉さん。半開きになった口の端からちょっとだけ涎が垂れているのを見つけて、フランは思わず苦笑いをした。

 ――てか、月見の尻尾の上であんなに寝たあとなのに、まだ爆睡できるんだ……。

 そんな間抜けな姉の寝顔はさておき、今は外である。何人かが騒いでいる声が聞こえるけれど、月見たちだろうか。

 フランはベッドから飛び降り、庭に面した窓辺へ向かう。西日に当たらないように気をつけながらカーテンを開け、ガラスに寄って下を覗いた。

 すると、門の近く。そこで咲夜が両手でナイフを振り回し、月見を追いかけ回していた。

 

「――え?」

 

 眠気が吹き飛ぶ。まさか咲夜が月見を襲っているのかと、一瞬肝が冷えたけれど、すぐ近くで魔理沙が腹を抱えて大笑いしているのを見つけて、どうやら違うらしいことに気づいた。

 いや、咲夜が月見を襲っているのは間違いないのだろうが、でもどちらかと言えばじゃれ合っているみたいだと、フランは思った。咲夜はナイフを振り回しこそすれ、当てるつもりはさらさらないのだろう。太刀筋はまったくの滅茶苦茶で、月見も苦笑いを浮かべる余裕を見せながらそれから逃げ回っていた。

 

「……咲夜も、月見と仲良くなったんだ」

 

 むくむくと、嬉しくなった。大図書館に移動する前に、彼女が月見のことをいじわるだと言っていたから、もしかしたらと不安に思っていたけれど。やっぱり咲夜も、月見のことを受け入れているのだ。

 咲夜と月見の追いかけっこが終わる。咲夜が息切れして動けなくなったようだった。肩でぜーぜー息をする咲夜を見て、魔理沙がここまで聞こえるくらいの大声で笑い転げ――あ、咲夜がナイフを投げた。ギリギリ躱された。惜しい。

 そういえば、なんで魔理沙があんなところにいるのだろう。まあさしずめ、こちらが眠っている間にまた本を盗みにやって来たのだろうが。

 でも魔理沙は、どうやら本を一冊も持っていない。もしかしたら月見がまたなにかしてくれたのかもな、とフランは思った。

 月見が二人の間に割って入り、それから咲夜と何事か話をしていた。なにを話していたのかはわからない。けれど会話が終わった時、月見は魔理沙と一緒に、紅魔館の門を一歩跨いで外に出て行ってしまった。

 月見が、帰ろうとしているのだと。それに気づいたフランは、

 

「あっ……」

 

 フランは、焦った。せっかく友達になったんだから、お見送りをしなきゃと思う。今から外に出て行って間に合うだろうか。でも日傘がない。自分のは地下室に置きっぱなしだし、レミリアのを借りるにしても、どこに置いてあるのかがわからない。

 どうすればいいのか思いつかなくてわたわたしている間に、月見が咲夜に手を振って、歩き出してしまった。その背が、どんどん紅魔館から遠ざかっていく。

 

「う、うわっ……!」

 

 急がないと、本当に間に合わなくなる。フランは咄嗟に、目の前の窓を大きく開け放った。西日に晒された腕が一瞬、焼けるように鋭く痛むけれど、構いなどしなかった。

 ここから呼び止めれば、まだ気づいてもらえるかもしれない。フランは大急ぎで回れ右をすると、未だベッドで眠りこけている姉を叩き起こした。

 

「お姉様、お姉様起きて! 月見が帰っちゃうっ!」

「……ぅえ~? なに、どうしたの……?」

 

 もぞもぞ寝返りを打った彼女の耳元で、叫ぶ。

 

「月見が帰っちゃうからお見送りするの! ほら起きてっ、早く早くっ!」

「お見送りぃ~……? いいじゃないのそんなの、ほら、もうちょっと寝てましょうよー……」

「いいから起きろっ!」

「あぅ~……」

 

 渋るレミリアを強引にベッドから引きずり落とし、そのままずるずると窓辺まで引きずった。彼女を抱き起こし、やっとの思いで立ち上がらせて、それから外を望めば、月見の背中はもうずっと遠くに離れてしまっていた。急いでいるのだろうか、フランが思っていたよりもずっとずっと早足だった。

 もしかしたらもう、声は届かないかもしれない。でも、それでもフランは、窓辺に食いついて精一杯に彼の名を呼ぶ。

 

「月見――――――!!」

「ちょっとフラン~、うるさいわよぉ……ぐぅ」

 

 立ったまま器用に船を漕いでいる姉は、はっ倒した方がいいのだろうか。フランが割と本気でそう思っていると、視界の端で、月見の背中が動いたのが見えた。

 声が届いたのだ。彼はもう、ここからでは顔もわからないくらいに離れてしまっていたけれど。それでもしばらくしてから、フランに向けて一つの動きを返してくれた。

 手を、振る。

 ここからでもはっきり見えるほど、大きく、大きく。

 

「っ……!」

 

 それが、フランにはとてもとても嬉しかった。こうやって誰かと、またねって手を振って。そんな友だちみたいなやり取りが、幸せだった。

 だからフランも、手を振り返す。

 あんまり嬉しかったものだから、その場でぴょんぴょん飛び跳ねながら、月見にも負けないくらいに大きく。

 

 勢い余った腕がレミリアの頭を直撃して、意図せずとも彼女をはっ倒してしまった――その時まで、ずうっと。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……なにやってんだあいつら」

「さてね」

 

 その一部始終を、月見は苦笑しながら、魔理沙は目を丸くしながら見つめていた。

 いきなり殴られて怒ったレミリアが、頭を押さえながらフランに詰め寄る。フランは小さく舌を見せて笑うと、レミリアの腕を取って、こちらに向けてぶんぶんと左右へ振り回す。

 ちょ、ちょっとフラン、なにするのよ! ――なにじゃないよー、お姉様もほら、またねって! ――そんな二人の声が、今にも耳に聞こえてきそうだった。

 月見が二人に向けてもう一度手を振り返すと、はー、と魔理沙が感心したように吐息をこぼした。

 

「あんな楽しそうなフランなんて久し振りに見たぜ。狂気とやらで気が触れてるって聞いてたんだけどな」

「さて……これからは、それも変わっていくと思うよ」

 

 顔を真っ赤にしたレミリアが、強引にフランの腕を振り解く。それからフランに対して何事か叫んで、それを聞いたフランがむっと唇を尖らせて、レミリアの頭を叩いて、すぐにレミリアが反撃して――。

 

「……姉妹喧嘩(きょうだいげんか)なんて、見せつけてくれるねえ」

 

 ペチペチペチペチお互いを叩き合う二人の姿に、月見も、そして魔理沙の頬も、ついつい緩くなってしまう。そうさせられるだけの微笑ましさが、今のフランたちには宿っていた。

 

「……紅魔館、か」

 

 その赤にまみれた全容を望み、月見はふっと目を細めた。

 鮮血を塗り固めて造ったような悪趣味極まりないデザインは、確かに見る者の度肝を抜くだろうが。

 

「でも、見かけによらず、いい場所だったね」

 

 レミリアと取っ組み合いながら、それでもまたこちらに向けて手を振ってくれた、フランの満面の笑顔を見て。

 露の疑いなく、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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