銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第137話 「年越しは水月苑で ①」

 

 

 

 

 

「――はーい、それじゃあ作業割りを説明しまーす! 皆さん、今日はよろしくお願いしますねーっ!」

「「「は――――いっ!!」」」

 

 藤千代が高らかに音頭を取ると、少女たちの大砲のような返事がそれに応える。月見一人では広すぎる水月苑の茶の間に、一体どこでどう声を掛け合ったのか、この日はいつにも増してたくさんの少女の姿。

 まるでこれから、季節外れの運動会でも始めるような。

 普通なら、誰もが顔をしかめて面倒くさがるはずなのに。今日も今日とて元気はつらつな少女たちにとっては、よその大掃除のお手伝いすら、みんなでわいわい騒げる楽しいイベントにしか過ぎないようだった。

 

 

 

 

 

 確かに、ちょっと手伝いがほしいとは思っていた。

 今日が十二月の何日かといえば、大晦日の前日であり、古風な呼び方をするところの小晦日(こつごもり)である。命蓮寺の開山がつい昨日の話であるから、水月苑では今日からようやく本格的な新年の準備が始まるわけだ。

 しかし、なんと言っても小晦日なのである。年末の大掃除や正月の飾りつけを大晦日にやる行為は、古くから『一夜飾り』といって嫌われている。つまり歳神様に無礼を働くことのないよう、今日一日で大掃除も飾りつけもすべて終わらせなければならないのだ。

 月見一人では絶対に間に合わない。

 なので何人かに手伝いを頼んで、どうにか必要最低限だけでも終わらせよう――そう思って藍や咲夜に頼み込んだのが、昨日の午後であり。

 そして今日、どういうわけか声を掛けた記憶のない少女たちまで次々と集まって、これからいざ肉体労働とは思えぬ賑わいになっているのだった。

 

「……お前たち、本当にいいのかい? 今日中に終わらせようとしたら、この人数でも日が暮れるまで掛かるかもしれないぞ」

「もぉーギンったら、まだそんなこと言ってるの?」

 

 最終確認のつもりで月見が問うと、すぐに輝夜からお叱りの言葉が返ってくる。

 

「明日は宴会なんだから、みんなでやらなきゃ終わらないでしょっ」

「それはそうだけど……お前たちだって自分の家の準備が」

「月見様、事始めは十三日からですよ。もう、どの家もちゃんと終わっています」

 

 藍に苦笑交じりで言われてしまい、月見は沈黙した。ああわかっていたとも、よその家は新年の準備なんてとっくの昔に終わっていて、水月苑だけがスタートラインにひとり取り残されている状態なのだと。

 輝夜が励ますように月見の肩を叩き、

 

「仕方ないわよ、ギンは異変を解決したりなんだり忙しかったんだもの。だから、ここは私たちの出番ってわけ!」

「ま、あんたがなんの戦力になんのって話だけどねー」

「ぶっ飛ばすわよ妹紅」

 

 月見は胸がすく心地に駆られながら思う――今年は本当に最後まで、みんなに助けられてばかりな一年だったと。

 そしていつでも快く助けになってくれる彼女たちが、ただ心から、ありがたいと。

 

「わかった。それじゃあ今日一日、ありがたく助けてもらうよ」

「任せてくださいなっ。……では改めまして、作業割り行きまーす!」

 

 打ち合わせのメモを片手に、藤千代が朗々と割り振りを説明し始める。月見はとりあえず、こたつでぐーすかしている伝説の封獣を尻尾で叩き起こしておく。

 

「まずはお料理チームです! 今日のところは藍さん、咲夜さん、ミスティアさんの三人にお願いしますね! 明日になったらもっと人数を増やしますので」

「ああ、任されたよ」

 

 藍が気負った風もなく静かに頷く。今日と明日の二日間、水月苑の台所は彼女たちの完全な指揮下に置かれる。本日の最優先事項はあくまで掃除と飾りつけなので、幻想郷屈指の料理人のみを選び抜いた少数精鋭だ。たった三人と侮ることなかれ、いずれの少女も包丁を振るえば十人分の活躍は手堅い。

 それにしても、まさかミスティアが来てくれるとは思っていなかった。普段は屋台でごく少人数を相手にしているからか、一度くらいは大きな宴会で腕を振るってみたかったのだという。

 

「ミスティア、今日はありがとう」

「いえいえー。料理人の端くれとして、是非是非一品出してみたいと思いまして。温泉宿の女将ってのも、実は結構憧れるんですよねえー……はーい別にここの女将になりたいって意味じゃないですよー、だから献立に焼き鳥追加しないでくださいねそこのお二人ー」

 

 焼き鳥と聞いた幽々子がうきうきと手を挙げ、

 

「はいはーい、私は味見チームやりまーっす!」

「じゃあ次行きますねー」

「藤千代のいけず!!」

 

 台所に幽霊避けの御札を貼っておこう、と月見は思った。

 

「次は飾りつけチームです! 門松は材料集めからやりますよっ。萃香さん、輝夜さん、妹紅さんは迷いの竹林から竹を取ってきてください! 食器にも使えますから本数は多めで。あとは、目につけば筍もお願いします!」

「あいよー」

「はいはーい。竹林の道案内は私がいればいいとして、輝夜は足手まといだと思いまーす」

「黙ってなさい妹紅口縫うわよ」

 

 正直、月見も少しだけ不安だった。鉈を構えて竹取りに挑む輝夜と聞くと、両手からすっぽ抜けてあらぬ方向にふっ飛ばしている姿しか想像できない。「見ててねギン、立派な竹を取ってくるからっ」という意気込みは立派だが、料理をすれば爆発させ、掃除をすれば粉砕するのがなよ竹のかぐや姫なのである。

 しかしだからこそ、屋敷の掃除をさせるよりかは外に放ってしまった方がいい、という藤千代の判断は一理ある。こう言ってしまってはなんだけれど、鬼の萃香と不老不死の妹紅が一緒なら、なにかあっても大事にはならないだろうし。

 今度は赤蛮奇が手を挙げ、

 

「鬼子母神様。影狼の姿がまだ見えないので、申し訳ありませんが私も竹林へ行ってよろしいでしょうか」

「あ、わかりました。では、赤蛮奇さんも入れた四人でお願いしますね」

 

 ……本当に大丈夫かなあ。

 赤蛮奇が加わった途端どうしようもなく不安になってきたが、月見はなにも言わないでおいた。

 

「文さん、はたてさん、椛さんは、同じく門松用の松や南天、熊笹なんかを山から取ってきてくださいねー」

「わかりました」

「……そういえば文、あんた普通に手伝うのね。やっぱあんたって月見様のこといだいいだいだいいだいぃぃぃ!?」

「新聞のネタになるからに決まってんでしょ」

 

 一言余計なはたてが文にアイアンクローされる。それを見た椛がハッとして、

 

「そういえば……アイアンクローは試したことなかったですね」

「椛、なんの話か儂敢えて訊かんからね?」

「ええ、その方がいいと思いますよ」

 

 操がぷるぷる震えながら助けを求めてきたが、月見は無視した。

 

「魔理沙さんは、魔法の森からキノコを取ってきてくれるそうで」

「おう、任せとけだぜ」

「一応言っておきますけど、変なの取ってきたらお星様ですからね?」

「そそそっそんなことするわけないだろやだなあもう」

 

 はて、かつて霖之助に喜々として毒キノコを差し入れしたというのは、一体どこの白黒魔法使いだったか。

 しかしいくら星の魔法を得意とする彼女であっても、自分自身が煌めくお星様になるのは嫌だろう。ちょうどいいので、ひとつ言伝をお願いする。

 

「魔理沙。森に行くなら、ついでで霖之助に一声掛けてきてくれないかい」

 

 古道具屋『香霖堂』の店主であり月見の友人でもある森近霖之助は、酒は気が置けない知人と静かに楽しんでこそ風流との信条を持ち、誰彼構わず集まってどんちゃん騒ぎするのを快く思っていない。日頃魔理沙から誘われても徹底して辞退を貫いており、彼女はどうしていつも僕を誘ってくるのやら、と本人が聞いたら泣き出しそうなことをぼやいていたのは――果たしていつだったか。

 今回も、誘ったところで断られるのはわかりきっている。

 しかし一応友人として、声を掛けすらしないのもどうかと思う。もっとも霖之助であれば、誘われなかったところで気を悪くする性格でもないだろうけど。

 

「ふーん……いいぜ、任された」

「本当に声を掛けるだけでいいよ。断られるのはわかってるからね」

「おう」

 

 気のない返事をしつつ、魔理沙は「月見達ての頼みってことにすれば……」と一人で作戦会議を始めている。月見はそっと微笑み、恋する魔法使いの健闘を祈った。

 では、次。

 

「その他破魔矢や輪締めなどは、早苗さんと志弦さんにお願いします」

「任せてください! ウチのは神奈子様と諏訪子様のご加護バッチリで縁起がいいですよっ」

 

 藤千代の指名に、早苗が一際やる気満々で握り拳を作った。その理由は至ってシンプルで、

 

「月見さんが守矢神社の授与品を選んでくれたとなれば、里での大きな宣伝効果も見込めますから!」

「さっすがさなぽん、下心丸出しー」

「宗教はビジネスでもあるものっ」

 

 ライバルの博麗神社を一歩出し抜ける、絶好のビジネスチャンスと考えているのだ。命蓮寺の出現も意識する部分があるのか、巡ってきたチャンスは逃さず活かしていこうという今まで以上の気概が窺える。

 下心丸出しといえば響きは悪いが、建前抜きで言い切られると反って清々しくて、月見としても協力は吝かではなかった。ついでに、里の稲荷信仰拡大に待ったを掛ける救世主となってくれれば嬉しい。

 次。

 

「命蓮寺の皆さんについては、今日のところは里に行ってくださいねー。土木に強い山の妖怪を集めて、命蓮寺の工事をお願いしていますので」

「い、いいんでしょうか? 私たちも、なにかお手伝いを……」

「……まったく、あなたもまだそんなこと言ってるのね」

 

 恐縮する白蓮に、輝夜は首を振って嘆きながら吐息して、

 

「自分たちのお寺の方が何倍も重要でしょう? ちゃんと見といた方がいいわよ、じゃないとあいつら張り切りすぎて五重塔とか建てちゃうかも」

「ご、」

「あと大仏とか」

「さ、さすがに冗談ですよ……ね?」

 

 輝夜も藤千代も月見も、みんな曖昧に笑って沈黙した。

 あいつらなら、やりかねない。

 

「わ、わかりました。では、お言葉に甘えたいと思います」

「よろしい。ぶっちゃけ、いつまでもギンのとこで寝泊りなんてすごく羨ま――んんっ」

 

 輝夜の下心丸出しな本音が聞けたところで、次。

 

「幽香さんと妖夢さん、わかさぎ姫さんはお庭の掃除をお願いします! 人手がほしいときは私に相談してくださいねー。……以上!」

 

 そこで藤千代は一発、小気味よく手を叩き、

 

「これ以外の方々はみんなでお屋敷の掃除です! 詳しい割り振りを説明しますので、私と月見くんのところに集合してくださいねー。……では、早速行動開始してくださーい!」

「「「はーいっ!」」」

 

 藤千代が仕切ると、とんとん拍子で話が進んで楽である。ぞろぞろと出発してゆく飾りつけチームを、フランやわかさぎ姫が「いってらっしゃーい!」と手を振って見送る。

 

「では、私たちも始めましょう」

「ああ、そうだね」

 

 もう何千という年越しを経験してきた月見だが、ここまで明るくて賑やかなのははじめてかもしれないなと、ぬえをこたつから引きずり出しながら思った。

 

「あーっ! さむいー!!」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 因幡てゐにとって、月見という妖狐はなんとも扱いに困るヤツである。

 誤解を恐れずに言えば、少々目の上のたんこぶである。

 理由を述べよう。てゐにとって、幻想郷の住人というのは総じて三つのカテゴリに分類できる。すなわち悪戯しようとも思わない相手、悪戯すべきでない相手、遠慮なく悪戯できる相手の三つであり、ひとつ目ならば閻魔様や鬼子母神様、二つ目ならば八意永琳や蓬莱山輝夜、三つ目ならば鈴仙・優曇華院・イナバといった具合だ。

 しかしあの狐は、このカテゴリのどれにも属さない新たな勢力としててゐの前に出現した。

 言うなれば、『思う存分悪戯してやりたいのに周りの空気的に手を出せない相手』である。

 あの狐本人は大したヤツではない。銀毛十一尾だかなんだか知らないが、怒りの感情が欠如しているのかと思うくらいのお人好しなので、てゐがその気になればいくらでも騙せる。だが実際それをやってしまうと、てゐを捕まえて笑顔で兎鍋を作り始めそうな連中がヤツの周りにはゴロゴロいるのだ。

 妖怪の賢者である八雲紫とか、その式神である八雲藍とか、紅魔館のスカーレット姉妹とか、あとは鬼子母神様とか天魔様とか以下省略。

 そもそもてゐの主人の一人である蓬莱山輝夜からして相当ご執心で、「変なことして迷惑掛けないようにっ」と耳にタコができるほど厳命されている。お陰様でヤツが竹林の道案内を頼んできたとしても、今のところいい顔をしながらヘコヘコと従い、あまつさえ罠に引っ掛からないよう配慮してあげなければならない始末なのだった。

 もどかしいったらありゃしない。頭の上のルーガルーみたいに、思いっきり罠に引っ掛けて遊べればいいのに。

 

「こらぁ――――――――!!」

「にょほほほほほ」

 

 そんなわけでてゐの頭の上では、両足を縄で一本釣りされ、宙ぶらりんになった少女がじたばたしているのだった。

 この竹林を住処にしている自称誇り高きルーガルー、今泉影狼だった。

 

「いやー、あいかわらず感動的な引っ掛かりっぷりで。製作者として冥利に尽きるよー」

「がうううううううううう!!」

 

 てゐお気に入りの遊び道具でもある。

 彼女はいい。てゐが丹精込めて用意した自慢のトラップに、いつも惚れ惚れするくらい見事に引っ掛かってくれる。さっきだって足を引っ張りあげられた瞬間すっ転び、「へぶうっ」と盛大に地面とキスする有様だった。写真に撮って永久保存したいくらいだった。ああ、叶うのならばもう一度三十秒前に戻りたい。

 鼻っ面に土をつけた影狼は暴れに暴れている。

 

「もぉーっ、またこんなしょうもない罠作ってえ! いい加減にしなさいよぉ!」

「そんな暴れるとスカートひっくり返るよー、……あっ見えた」

「ぎゃあああああ!?」

 

 とまあこんな感じで、とってもイジり甲斐のあるステキな少女なのだった。

 真っ赤っ赤でスカートを押さえる影狼に、てゐはうっとりとしながら、

 

「ねえ……あんたのそういうとこ、わたしゃあすごく好きだよ」

「ぜんッッぜん嬉しくないなああああああああ!?」

「もうそろそろ今年もおしまいだけどさ、来年のそのままのあんたでいてね」

「うがああああああああっ!!」

 

 あの狐も、こんな感じで弄んでやれればどんなに気持ちいいことか。

 

「ちょっと、ほんとに下ろしてってばあ! これから水月苑に行かなきゃなんないのっ!」

 

 と思った矢先、一気に脱力した。

 

「……ああなに、あんたもあの狐の手伝い? はあ、どいつもこいつも健気だねえ」

 

 一刻ほど前に、輝夜も妹紅を連れて元気いっぱい出撃していったところだ。てゐからしてみれば、賃金のような報酬があるわけでもないのによくやる気になれるよな、と心底思う。なんのメリットもなしに自分の時間を相手に捧げるなんて理解しがたい限りだが、あのお姫様はどうせ、「なに言ってるの、ギンと一緒にいられるならそれだけで報酬でしょ!」とか宣うのだろう。恋をすると頭がお花畑になるのだ。

 影狼は右へ左へぷらぷら揺れながら、

 

「ま、まあ、私の友達が手伝うって言うから仕方なくね……仲間はずれもいやだし……」

「ふーん」

 

 まあそれはそれとして、目の前のおもちゃをむざむざ手放す道理はない。てゐはふてぶてしい笑みを顔中に広げて、

 

「んんー、どおしよっかなぁー。まああんたがどうしてもって言うならー? 助けてあげなくもないけどぉー?」

「は、はあ!? この罠仕掛けたのあんたでしょ、なのに『助けてあげる』って何様よ!?」

「でも、引っ掛かったのはあんたの不注意が原因なわけだしぃー? だったらなにか言うべき一言があるんじゃないのー?」

「く、くううっ」

 

 ぷるぷる震える影狼の姿がてゐの嗜虐心を心地よくくすぐる。ああ楽しいなあとほくそ笑みながらくるりと後ろを向いて、「なにやってんのあんた」とそこに鉈を持った鬼がいた。

 死んだと思った。

 

「うっぎょあああああああああああああっ!?」

 

 死ぬほど驚いたてゐは殴り飛ばされたみたいに後方へ転倒し、隙を生じぬ二段構えのつもりで仕掛けていたもうひとつの罠に引っ掛かって、影狼をまったく笑えない宙ぶらりんになった。

 

「……ほんとなにやってんのあんた」

「な、なっ、なああっ」

 

 天地が逆転し、頭上の地面で逆さまに立っているのは伊吹萃香――てゐと同じくらいのナリをした童女でも、それはそれはめちゃくちゃ強くて恐ろしい鬼の四天王の一角であった。

 肩に担いだ鉈のせいで、お昼ご飯の食材(うさぎ)を調達しにきた狩人にしか見えなかった。

 

「び、びびびっびっくりしたぁ!? なになにどっから出てきていつからそこにいたのさあんた!?」

「にゃっははは。自分が獲物を狩る側だと思ってるやつは、自分が狩られるなんて夢にも思ってないってね。頭の天辺から足の裏まで隙だらけだったよ」

「狩っ……さ、さては私を兎鍋にする気だな!? ねーねーそれよりこっちの狼の方がでっかいし肉付きもよくてボリューム満点だと思うなーっ!」

「ふえあ!? なななっなに言ってんのよこの変態ッ!」

 

 影狼がなぜか真っ赤になって狼狽えているが、一体ナニを想像しているのだろうこの駄犬は。

 萃香は鉈の峰で肩を叩きながら、

 

「んー、そっちの狼は月見の知り合いだから手は出せないよー。でもあんたはそんなでもなさそうだし、お望みなら食べてあげよっか」

「そそそっそんなことないよ私だって月見様とは超知り合いでさーっ!!」

 

 月見の知り合いか否かというだけでこの扱いの差。おのれあの狐許すまじ、とてゐは心に誓った。

 

「とまあそれは冗談で、ほんとはここの竹を取りに来たんだよ。正月飾りの材料になるし、宴会の食器代わりにも使えるから。あとは食材として筍もねー」

「……は? それって、」

 

 てゐが口を開きかけたところで、霧の向こうから萃香の名を呼びながら近づいてくる足音が聞こえた。一人ではない。というかこの大変聞き馴染みのある声ってもしかしなくても、

 

「萃香ー、……あら、てゐ。なにしてるのそんな恰好で?」

「……あー、」

 

 そういうことか、とてゐはまた脱力した。霧の奥からやってきたのは輝夜と妹紅で、ついでに影狼の友達という抜け首までいて、要するに水月苑に集まって月見のお手伝いをしている連中だった。

 ということはつまり、萃香もそんなお花畑のうちの一人なのだろう。まあこの鬼なら、「なに言ってるの、みんなで宴会できんだからそれだけで報酬でしょ!」とか言うに決まっているが。きっとこいつらは毎日が楽しいんだろうな、とてゐは思う。

 輝夜は宙吊りになったてゐを見てのほほんと、

 

「影狼と新しい遊び? 仲がいいのねえ」

「へー、そう見えるんだ……」

「今更お姫様らしい反応したところで手遅れってやつだよねえ」

「あんたさっきから喧嘩売ってんのかしら」

「え、もしかして自分ではお姫様らしく振る舞ってるつもりだったの? 冗談でしょ?」

「喧嘩売ってんのね?」

 

 早速メンチを切り合う仲良し蓬莱人コンビを尻目に、赤蛮奇がてゐたちの傍までやってくる。はじめて竹林で姿を見かけたとき、おどかしてやろうとして逆に生首モードで尻餅をつかされたという、てゐにとっては憎っくき仇敵みたいなものである。

 

「おお影狼、変わり果てた姿になって。あいかわらずドジねえ」

「木に引っ掛かって逆さ吊りになったやつに言われたくないなあ!?」

 

 影狼はまたじたばたと暴れ出し、

 

「とにかく下ろしてよお! こんなとこ男の人に見られたら……ってそうだ、月見さんは!? 月見さんは来てないわよね!?」

「ええ、旦那様はお屋敷の大掃除だけど」

「よ、よかったあ……」

 

 ほろほろに安堵しつつも、ぴっちり押さえたスカートからは決して手を離そうとしない。たとえ同性しかいない場であっても、外で下着を晒すなんて絶対に嫌だという生娘みたいな執念を感じた。なおその横で、てゐは重力に身を任せて万歳している。当然スカートも万歳しているが、元々ドロワ派だし、こんなナリでもそこそこ長生きしている妖怪なので、下着程度を恥ずかしいと思う心などとっくの昔に忘れてしまった。

 

「旦那様に見られたくない……なるほど、わかったわ」

 

 束の間首を落ちない程度に傾けた赤蛮奇は、自信満々に頷いてこう言った。

 

「影狼ったら、履いてないのね。ぶっちゃけさすがの私もどうかと思うわ」

「ん な わ け ないでしょおおおおおおおおっ!?」

 

 萃香が冷ややかな半目で、

 

「なんだいそりゃ、露出狂? ちょっと、狼だからって躾がなってないんじゃないの?」

「申し訳ないです、よく言って聞かせます」

「がうああああああああああッ!!」

 

 今泉影狼、いつでもどこでも永久不変のいじられポジションである。

 

「とりあえず待ってなさい、いま下ろしてあげるわ」

「ううっ……お願いだから早くしてえ……」

 

 そうして赤蛮奇は影狼の真下まで移動して、隙などありえぬ三段構えのつもりで仕掛けていたてゐの罠に掛かって宙ぶらりんになった。

 首は地面に落ちた。

 

「まいぼでぃいいいいいっ」

「「「……」」」

 

 自分で自分の罠に引っ掛かったてゐが言うのもなんだが、なにやってんだこいつ。

 生首モードになった赤蛮奇はぷらぷら揺れる己の胴体を見上げ、ふう、とアンニュイな感じでため息をついた。

 

「やれやれ……まさかもうひとつ罠があったなんて」

「ばんきのバカ!」

「ふっ、大丈夫よ影狼。なにも問題はないわ」

 

 生首が颯爽と飛翔し、胴体が眉間に指を当てるようなポーズを決める。ちゃんと首がはまっている状態なら多少は様になったのだろうが、胴体だけがぶらりんしている現状ではただのマヌケであった。

 

「なぜなら私もドロワだから。パンツじゃないので恥ずかしくありません」

「ばんきのバカあああああっ!!」

 

 ――さて、おバカたちは放っておいて。

 一方の仲良し蓬莱人コンビはといえば、てゐたちを完全放置で竹取りを始めようとしている。

 

「よーし、それじゃあやりましょうか。ギンのために! ギンのためにっ!」

「ちょっと大丈夫? 間違って自分の脚斬り落としたりしない? ちゃんと一人でできる?」

「まずあんたの脚から斬り落とすわよ。まあ見てなさい、私だってやればできるんだから!」

 

 ふんす! と腕まくりをした輝夜は、箱入りのお姫様らしくとても危なっかしい両手持ちで鉈を構える。ところで永遠亭には『輝夜に刃物を持たすべからず』という暗黙の掟があるのだが、まーここはお屋敷じゃないしいいかとてゐは思う。

 せーの、と餅つきでもするみたいにかわいらしく振りかぶって、

 

「それっ。……抜けなくなったわ!」

 

 さてはこっちもおバカか。

 

「んー、んーっ……ちょっと、なんで抜けないのよっ。この鉈粗悪品じゃないかしら!」

「ねえ本当に大丈夫?? 本当に一人でできる?? 助けてあげよっか??」

 

 一応安全な場所まで距離を取った妹紅が、てゐの目から見てもウザいと断言できる愉悦の表情で輝夜を煽っている。それを知ってか知らでか、輝夜は鉈を力任せにぐいぐい引っ張って、

 

「んーっ、んー……! ……きゃあ!?」

 

 すっぽ抜けた。竹からも、輝夜の両手からも。

 勢いよく吹っ飛んだ鉈は目まぐるしく回転しながら妹紅の側頭部ギリギリを通過し、真後ろの竹にだいぶえげつない音を立てて突き刺さった。

 静寂。

 

「いたたた……むう、なかなか難しいわねえ」

「殺す気か」

 

 顔面蒼白になった妹紅が輝夜の胸倉を締めあげる。遠目でも体がぷるぷる震え、じわりと涙目になっているのがよくわかった。

 

「いたっ。ちょっと、なにするのっ」

「それこっちのセリフ!! 一歩間違ったら! ウチが! ああなってたんじゃぞ!?」

 

 よほど生きた心地がしなかったのか、妹紅は言葉遣いまでなんだかおかしくなっている。輝夜は妹紅が指差した先に目を遣り、根元近くまで竹に貫通した鉈を見て、すぐ戻し、

 

「妹紅、取ってきて」

「ざけんなてめー金輪際一切刃物禁止じゃ!!」

「はぁー!? それじゃあ竹が取れないじゃない! 私が取ってきたのよー♪ってギンに自慢できないじゃないの!」

「どおおおおおでもいいわそんなん!! 竹は私が取るからそのへんで草むしりでもしてろ蓬莱山ダメ夜!!」

「もこおおおおおおおおっ!!」

 

 もうダメだ。

 ぎゃーぎゃー乱闘を始めた二人から、てゐは最後の希望に縋って萃香へ目を移すが、

 

「あー、なんでもいいけどちゃんとやっといてよねー。じゃあ私は筍取りに行くからー」

 

 匙を投げるように言うなり鉈もろともその姿が薄れ、竹林の霧に紛れてどこかへ消えてしまった。自分の体を霧状にして、竹林のあちこちに飛んでいったのだと思う。確かそういうことができる妖怪だったはずだ。

 さて。

 どうしよう。

 

「影狼、ちょっとその両手を離しなさい。友達として、あなたが本当に露出狂じゃないか確」

「がうううううううう!!」

「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛」

「もこおおおおおおおおっ!!」

「かぐやああああああああっ!!」

 

 影狼はロープのしなりを利用して赤蛮奇をバリバリ引っ掻き、輝夜と妹紅は服が汚れるのも構わずくんずほぐれつの激闘を繰り広げる。とりあえず、てゐを真面目に助けようとしてくれる心優しい救世主はどこにもいない。

 ため息が出た。

 

「元気なのは結構だけどさー……」

 

 でもなんていうか、もうちょっとこう、その。

 これもぜんぶあの狐のせいに違いない。なぜならあの狐と仲良くなった少女は周囲の空気に毒され、漏れなくお花畑になってしまうのだから。だから宙吊りになっている哀れなてゐなどそっちのけで、各々元気いっぱい好き勝手に跳ね回っては、ケンカを始めたり筍を取りに消えたりしてしまうのだ。

 来年もこんな感じなんだろうなー、と思う。あの狐が間接的ないしは直接的な原因となって、いつもどこかで少女たちのかしましい喧騒が巻き起こる――それは、やつが幻想郷で生活する限りは何年経とうと変わらないのだろう。

 結局このあと、偶然鈴仙が通りかかってくれるまで騒ぎは続いたので。

 

「ちょっこら、やめなさい私の首はおもちゃじゃ――なんだ、ちゃんと履いてるじゃない。私は信じてたわよ、影狼」

「うがああああああああああっ!!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

 おのれ月見、許すまじ。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――こおおおぉぉりいいいいいんっ!!」

 

 ばごん。

 と扉をブチ抜く勢いでやってきたのは、霖之助にとっては妹のような腐れ縁、普通の魔法使いこと霧雨魔理沙であった。

 ドアベルの甲高い悲鳴が店中に鳴り響く中、霖之助は読んでいた新聞からのそりと顔を上げた。

 

「魔理沙、店に入るときは静かに」

「まあそう言うな、私と香霖の仲じゃないか」

 

 それは僕が君を許すときに使う言葉であって、君が許してもらうために使っていいものじゃないんだよ――という正論を、声にはせず吐息の形で吐き出す。この程度のお小言が通用するような相手でないのは、霖之助が一番よく身を以て知っている。

 新聞を畳んで帳場の片隅に置く。「いらっしゃいませ」とは言わない。この少女がどうせ今日も客じゃないのは、やっぱり霖之助が一番よく身を以て知っているのだ。

 

「随分元気そうだね。なにかあったのかい?」

「そうかそうか、そう見えるか」

 

 魔理沙が腕組みをして、ふふんと得意げな鼻息を飛ばす。こういうときの魔理沙はだいたい、霖之助にとって好ましくない話を持ってきたときの魔理沙と相場が決まっている。気づかないふりをしていると不機嫌になるので、さっさと喋らせてはっきり断ってしまうのが一番だった。

 小走りで駆け寄ってきた魔理沙が、帳場に勢いよく両手を叩きつけて、

 

「香霖っ。明日、水月苑で年越しの宴会があるのは知ってるな!」

「もちろん。この新聞にも告知が出ていたよ」

 

 曰く、八雲藍や十六夜咲夜、ミスティア・ローレライなど、名立たる料理自慢たちがこぞって腕を振るう幻想郷最大規模の大宴会。水月苑の年越し準備を手伝うか、当日お酒を持参するかなどしてくれれば、誰でも無料で参加可能な無礼講だと宣伝されていた。

 ――なるほど、そういうことか。

 

「というわけで、香霖も参加するんだぜっ!」

 

 まったく予想通りなお誘いに霖之助は苦笑した。魔理沙をはじめ、顔馴染からたびたび酒の誘いを受けることはあるのだが、特別左利きでもないし気の利いた話ができるわけでもない、こんなつまらない男を招いて一体なにが楽しいのだろうか。

 

「悪いけど遠慮するよ」

「まあまあ待て待て、今回は私が個人的に誘いに来てるわけじゃないんだ」

 

 しかしなにやら勝算があるらしく、魔理沙はそこはかとない余裕の笑みを崩さない。まあどうせ月見の名前を出すんだろうと霖之助は思うし、再度帳場を叩いて彼女が高らかに述べたのはまさにその通りの内容だった。

 

「私は月見の遣いでここに来たんだ! 月見が、香霖にも参加してほしいって言ってるんだぜ! こりゃあ受けるのが男の友情だろっ!」

「うん、お断りするよ」

「お、お前に友情ってもんはないのかぁ!?」

 

 魔理沙は帳場の向こうから愕然と身を乗り出し、

 

「つ、月見はどうしても参加してほしいって言ってたんだぜ! それを無下にするってのか!?」

「……ふむ。魔理沙、嘘はよくないね。彼はそんなことは言わない」

 

 なんだかんだで、月に何度かは二人で酒を呑み交わす仲なのだ。月見という妖怪に関しては、少なくとも目の前の少女よりかは理解できているはずだと霖之助は自負している。霖之助が知る月見の性格を考えれば、魔理沙がただのでまかせを言っているのは一目瞭然だった。

 

「月見は、僕が酒で騒ぐのは苦手だとをわかってくれてる。なのに強引に誘ってくるとは思えないし、本当にどうしてもというのなら、魔理沙、君に頼んだりしないで自分が直接出向くんじゃないかな」

「ぐむっ……」

 

 恐らく月見は、軽く一声掛けておく程度しか彼女に頼んでいない。誘ったところで断られるのは目に見えているし、別に一言なんてなくとも霖之助は気にしないと承知してもいるが、友人として一応義理は立てておこうということなのだろう。

 魔理沙から不服げな半目が返ってくる。

 

「……月見のこと、やけによくわかってるじゃないか」

「まあ、友人だしね」

「私のことはぜんぜんわかってくれてないのに」

 

 はあ、と霖之助は生返事をする。なぜそこで魔理沙の話になるのだろう。

 

「前々から気になっていたんだが、君はやけに僕を宴会に誘いたがるよね。君だって、僕がそういうのは苦手だってわかってるはずだろう?」

「……………………」

 

 気のせいだろうか、魔理沙の目つきがどんどん不穏になって今にも爆発しそうで、

 

「うっさいうっさい! 香霖のばーかばーか! もう知らんっ!!」

 

 と思った途端、本当に爆発した。魔理沙は帳場の脚を爪先で蹴っ飛ばし、猪みたいにのしのしと踵を返してしまった。

 むう、と霖之助は内心で腕組みする。どうして機嫌を損ねてしまったのかは不明だが、とりあえず自分は失言をしてしまったらしい。どこに非があったのか筋道立てて考え直す暇もないので、霖之助は店から飛び出していこうとする魔理沙の背に、

 

「ここで二人で呑む分には構わないから、それで勘弁してくれ」

「……へ?」

 

 魔理沙が身動きを止めた。

 たっぷり五秒近く間があって、彼女は目を白黒させながら振り向くと、

 

「……ふ、二人で? 二人でなら、いいの?」

「? うん。何度も言うが、騒がしいのは苦手だからね」

「で、でも私、あんまり静かに呑める自信、ないけど……」

「……まあ、君だけなら構わないさ。特別ね」

「と、とくべつ」

 

 霖之助の顔を見つめ、心ここにあらずな様子でぽけーっとしている。

 

「……魔理沙?」

「……ハッ。いいいっいやいやなんでもないっ。じゃあ、その……正月になったら、二人で…………」

 

 なにやら赤くなってもじもじしているのが気にはなったが、ひとまず霖之助は頷いた。

 

「ああ、わかったよ」

「! そ、そうかそうか! じゃあ正月の夜になったら来るからな! 言っとくけど、霊夢とか呼ぶんじゃないぞ!」

「呼ばないよ。言ったろう、騒がしいのは苦手なんだ」

「そ、そうかそうかっ……」

 

 魔理沙はむふーっと鼻から浮ついたため息をつくと、ほんの二十秒前とは打って変わって、ご機嫌に鼻歌を口ずさみながら店から出ていくのだった。

 とりあえず失言は帳消しにできたらしいと判断し、霖之助は一息。

 

「……ふむ。年頃の娘が考えることはよくわからないね」

 

 いやお前、普段は頭回るくせにどうして女相手だとそうなんだ――と、月見がこの場にいれば眉間に皺寄せして呻いたであろうが。

 小晦日(こつごもり)の香霖堂。今日も今日とて店に客の姿はなく、よって誰もツッコむ者はおらず、閑古鳥だけがこの日もひっそりと鳴き続けている。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「「「たりゃあああああ――――っ!!」」」

「うひゃっ!? あっこらちょ待、ぎゃあああああっ!?」

「お嬢様ー!?」

 

 肉体ぶつかり合う熾烈なコーナー争いに敗北し、レミリアは縁側の戸をブチ抜いて外に転げ落ちた。

 所は一度水月苑へ戻る。門前雀羅を張るどこかの古道具屋とはまさしく対照――幻想郷のあちこちから多くの少女たちが集結し、わいわいと賑やかに大掃除が進められていく中で、誇り高き吸血鬼ことレミリア・スカーレットは縁側の雑巾掛けをしていた。

 より具体的に言えば、レミリア、フラン、チルノ、橙、ルーミアの五名で開催された雑巾掛けレースにて、無念のコースアウトでリタイアとなったところだった。

 

「お嬢様、大丈夫ですかっ?」

「いたたぁ……ああもう、服が汚れちゃったじゃないの」

 

 すぐに咲夜が持ってきてくれた日傘の下で、レミリアは土を払いながら縁側によじ登る。レミリアを突き落としてくれたお転婆軍団の姿はすでになく、遠くからずどどどどどとアツいレースの物音だけが響いてくる。

 ぐぬぬと唸る。

 

「雑巾掛けって、こんなに過酷なものだったのね……知らなかったわ」

「いや、さすがに水月苑特有な気がしますけど……」

 

 幸いどこも壊れていなかったようで、雨戸は咲夜が敷居にはめ直すだけで簡単に直った。そのことにちょっとだけ安堵しつつ、レミリアは両脚を投げ出して床に座り込む。今更追いかけてもビリケツで笑われるのが目に見えているし、もしもその現場を月見に目撃されようものなら一生の恥だった。

 ため息。

 

「まったくもう。フランったら、あんなに張り切っちゃって」

 

 咲夜がくすりと笑う。

 

「そうですね。本当に」

 

 いや、なにもフランに限った話ではない。お料理チームだって今日と明日のメニューをあっという間に決定させ、藍は独自ルートで外界から食材を調達しに行き、ミスティアは家に戻って鰻料理の試作を始めたと聞く。咲夜だって少し前まで里へ買い出しに出ていたし、戻ってきたら戻ってきたで、昼食の支度を始めるまでまだ時間があるからと言って、こうしてお掃除チームの手伝いまで買って出る始末だった。ひょっとすると、本日一番張り切っているのは咲夜なのかもしれない。

 なお、レミリアが今ここにいるのはフランからしつこくせっつかれたからである。「一緒にお手伝いしに行こうよおーっ!!」と昨日から騒ぎ散らす有様で、あまりのやかましさに白旗を挙げる他なかったのだ。――そう、すべては可愛い妹の願いを姉として叶えてあげるため。実はレミリア自身もなにか協力したいと悩んでおり、しかし自分から言い出すのも恥ずかしくて悶々としていた、なんてことは断じてありえない。それでちょうどフランの方から誘ってきてくれたので、いかにも仕方ないふりをしながらやる気満々で参加した――とか、そんなのは絶対にあるわけがないのだ。

 またため息。

 

「……あの子も随分と変わったわよね。あんな風になるなんて思ってもいなかったわ」

 

 レミリア以上に外と積極的な交流を持ち、今ではすっかり紅魔館の新しい顔だ。一年前の自分が今のフランを見たら、間違いなく口をあんぐり開けて思考停止に陥るだろう。

 月見との出会いは、紅魔館に本当にたくさんの変化をもたらした。

 フランはもちろん、パチュリーだって毎日欠かさずシャワーを浴びて、身嗜みにちゃんと気を遣うようになった。咲夜だっていい意味で肩の力が抜けて、年頃らしくお茶目な一面が目立ってきたように思う。そういった周囲の変化が影響を与えているのか、美鈴や小悪魔も前より笑顔が増えたかもしれない。

 ぜんぶひっくるめて言えば、紅魔館は明るくなった、と思う。

 

「変わったといえば、お嬢様だってそうですよ。私から見れば、妹様と同じくらいに変わったと思います」

「……そうかしら?」

「そうですとも。月見様と出会う前のお嬢様なら、こうしてよその家のお手伝いなんて絶対にやらなかったはずですから」

 

 むう、と唸る。それは確かに、自分でもそうかもしれないとは思うけれど。

 

「一応言っとくけど、これは例外中の例外よ」

「ええ。お嬢様にとって、月見様は特別な方ですものね」

「げっふごほがほ!?」

 

 平常心が一発で吹っ飛んだ。全身がほっこほこになるのを感じながらレミリアはわけもなく立ち上がり、

 

「なななななっにゃに言ってるのよぉ!?」

「大丈夫です、わかっています。普段はなかなか素直になれませんが、お嬢様が月見様には心から感謝」

「あ――――っ!! あ――――――――――っ!!」

 

 絶叫とともに己の身体能力を最大出力で発揮し、一刹那で咲夜の口を塞いだ。

 違う。

 違うのだ。確かに月見には、フランの一件含めて大きな借りがあるとは思っている。しかしそれは誇り高き吸血鬼にとってむしろ汚点であり、レミリアの心にあるのは馬鹿だった己への戒めだけであり、まさかあの狐に感謝するなんてそんなのはこれっぽっちも、

 とぐるぐる考えているうちに、咲夜は一瞬でレミリアの手を逃れて真横にいた。こいつ、時間止めやがった。

 

「来年は、月見様にちゃんと『ありがとう』って伝えられるといいですねえ」

「ぐっ……そ、それはあっ! ほんとは、とっくの昔に言えてるはずで……!」

 

 いけない、とレミリアは焦る。このまま咲夜のペースに呑まれては、そのうち突き当たりからひょっこり現れた月見にすべて聞かれてしまうかもしれない。もしそうなればレミリアはもう生きていけない。なんとか主導権を奪わなきゃ、と慌てに慌てたレミリアは勢いに任せて、

 

「そ、そーいう咲夜だってどうなのかしら!? 特別でもなんでもない男の家事を、毎回毎回手伝ったりするものかしらねぇ!?」

「ふえ、」

 

 咲夜の表情が崩れる。すんでのところで咳払いに変えて繕うが、唇の端が不自然にひくついている。明らかに動揺している。

 我、勝機を見たり。

 

「……それは、ええ、月見様にはいつもよくしていただいていますから。そういった日頃の感謝を込めてですね」

「そういえばフランが言ってたわねー。あなた、月見からもらった物ならなんでも箱に詰めてぜんぶ大切に保管」

「わ、わあわあっ!?」

 

 口を塞ごうとしてきた咲夜の両腕を掴み取り、手に汗握る鍔迫り合いが始まる。

 

「ふ、ふふふっ……ほら見なさい、あなたにだって踏み込まれたくない領域はあるでしょう? 安心なさい、私はこれ以上触れないわ。だからあなたも余計な口は出さないこと。いいわね?」

「で、ですがっ……素直にお伝えすれば、きっと月見様も喜んでくださるはずで……!」

「あらあら、まるで素直になれてないのが私だけみたいな言いぶりじゃないの。そういうあなたはどうなのかしらねえー?」

「む、むう……!」

 

 レミリアも咲夜も一歩だって退こうとせず、「ぐむむむむむっ……!」と口をへの字にして睨み合う。そしてレミリアのどこか頭の片隅で、そういえば咲夜とこんなケンカみたいなことするのもはじめてかしら、と冷静な自分がぼんやり感慨に耽ったその直後、

 

「おねえ――――さまあ――――――っ!!」

「「!」」

 

 すっ飛んできたフランが突如突き当たりから姿を現し、咲夜はもちろん、レミリアもまた時を操ったかのような超反応で互いに距離を取った。のみならずレミリアは浅く両腕を組み、咲夜はスカートの前でゆったりと両手を合わせ、どこからどう見ても「ちょっと立ち話をしていただけ」としか思えないカモフラージュまで完璧にキメた。

 雑巾片手に駆け寄ってきたフランが、頬を膨らませてぷんぷんと怒った。

 

「こんなとこにいた! もぉーなにやってるの、みんなゴールしちゃったよー!?」

 

 レミリアは近年稀に見る努力で何食わぬ顔を装いながら、

 

「ちょ、ちょっと思い出したことがあってね。なに大したことじゃないわ、もう済んだから」

 

 そういうことでいいわね異論は認めないわよ、と横の咲夜に眼力で訴える。咲夜もこれ以上の言い争いは危険と察し、静かに目で肯定を返してきた。

 しかし、フランはなんとも疑り深い顔つきをしている。この少女、人が聞かれたくない話をしていたときに限ってやたらと勘が利くのだ。

 

「あー、さてはまた月見の話してたなー」

「あ、あのねえ。別にそうとは限らないでしょ」

「どーだかぁー。お姉様も咲夜も、口を開けばいっつも月見のことばっかだし」

 

 あんたにゃ言われたくないわよ、とレミリアは心の底から思った。

 

「まあいいや。じゃ、お姉様がビリケツだから罰ゲームね」

「……は!? ちょっと待ちなさいなによそれ! 聞いてないわよ!?」

「しかもこんなとこでサボってるんだもん。私、そーいうのはいけないと思いますっ」

 

 私あんたらに突き落とされた被害者なんだけど、とレミリアは再び心の底から思った。

 だがそんな瑣末なことなど、この砲弾少女の前では無意味である。フランはあっという間に踵を返し、ドタドタとやかましく廊下を疾走しながら、

 

「月見ー!! つーくみーっ!! お姉様が、とぉーっても大事で大切な話があるってーっ!! 聞いてあげて――――っ!!」

「あんたさては聞いてたわねええええええええ!? 待てええええええええええッ!!」

 

 レミリアは、修羅と化した。

 きゃーきゃー逃げるフランを追って屋敷中を走り回り、途中でチルノらしき妖精をぴちゅーんと弾き飛ばし、最終的には見かねた藤千代によって共々捕縛、そのまま無様にも正座でお説教される羽目となったのだった。

 

「レミリアさーん? フランさーん? ひょっとしてお二人は遊びに来たんですかー?」

「「ごめんなさぁい!!」」

 

 来年の目標。

 最近冬眠気味になっている紅魔館当主の威厳、及び姉としての尊厳を、一刻も早く取り戻せますように。

 

 

 

 

 

 ――水月苑の茶の間を覗き込んでみると、にこにこ笑顔な藤千代の前でレミリアとフランが正座させられている。二人とも『反省中。』と書かれた紙を胸に貼りつけられ、フランが悪いお姉様が悪いとぶーぶー文句を言ってケンカしている。

 本当に夢みたい、と咲夜は噛み締めるように思うのだ。片や他者と交わらず、片や他者と交われなかった少女が、今ではこうしてみんなと一緒に大掃除を手伝って、はしゃぎすぎてお説教されて。紅魔館がほんの半年ちょっとでここまで変わってしまうなんて、去年までの咲夜は夢にも思っていなかった。

 そして、変わったのはきっと咲夜も同じだ。半年前の自分はただ事務的にメイドの仕事を繰り返すだけだった気がするけれど、今では世界のあらゆるものが色鮮やかに映っているし、毎日を生きるのがずっとずっと楽しい。

 来年は、今年よりももっと素敵な一年になると思う。

 月見という妖怪が幻想郷にいる限り、掛け値なくそう信じることができる。

 

(……本当に、ありがとうございます。月見様)

 

 藤千代に喧嘩両成敗のデコピンをもらい、まったく同じ恰好で畳を転げ回る仲良し姉妹がなんだかおかしくて、咲夜は襖の陰からくすりと笑った。

 もちろん、レミリアに気づかれて怒られた。涙目で。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 一階の方でお馴染み吸血鬼姉妹がまたドタバタとはっちゃけていたが、どうやら静かになったようだ。藤千代が気を利かせてとっ捕まえてくれたのかもしれない。元気はつらつなのは大変結構なので、せめて他の少女たちの邪魔はしないでやってほしいと月見は切に願う。

 水月苑は基本的に、一階だけで衣食住が完結する屋敷である。茶の間や水回りはもちろん、月見の寝室や書斎、客間や納戸等必要な間取りはひと通りが揃っている。すると必然、二階以上まで上がる機会というのはなかなかなく、使われるのは精々客を泊めるときか、宴会をするときか、今のように掃除をするときくらいなものだった。

 少し勿体ないよな、と思わなくもないのだ。せっかく広いスペースがあるのにほとんど誰にも使ってもらえず、ただしずしずと埃を被っていくばかりというのは。一応、温泉を開放する日は二階の大広間も休憩場所として開け放ってはいるのだが、わざわざ休んでいく客などごく少数だし。三階に至っては、恐らく今まで一度も使われたことのない部屋だってあると思われるし。

 どうせ月見一人では使い切れないのだから、いっそ使いたい人に貸してしまうのもありかもしれない――

 

「――そうか。それもいいかもな」

「んー?」

 

 二階の大広間にて、障子の枠に積もった埃を拭き取りながら月見は独りごちた。横で同じ作業をするぬえが、

 

「なんの話?」

「ここの広間と三階は、普段からあまり使ってなくてね」

「まあ、こんだけ広かったらねえ」

「それだったら、使いたい人に貸し出すのもいいかもしれないと思って」

 

 例えばこの大広間なら、どこかの楽団の小さな演奏会に使えるし、簡単な舞台を作って舞や能を披露することもできるだろう。三階の小部屋は――なにか趣味を同じくする者たちが、集会の場として使うとか。要は、外の世界でいうところの公民館のような使い方だ。

 そもそも需要があるのかもわからないので、完全な思いつきだけれど。一応、ちょっとばかし部屋代を取れば懐の足しになるかな、なんて下心もあったりする。月見の来年の目標は、霖之助の二の舞を演じないよう内職を探すことなのだから。

 ぬえは、やけに真っ当な顔をして話を聞いていた。

 

「ふーん……いいんじゃない。じゃあ私、一部屋借りよっかな」

「? なにに使うんだ?」

「住む」

 

 は、

 

「だって私、地上に出たばっかでおうちないもん。だから、ここに居候しようかなって思ってるのよね」

 

 初耳だが。

 

「……てっきり、白蓮のところに行くと思ってたけど」

「んー、でもあそこお寺じゃん? なんか私まで戒律守らされそうで嫌なのよねえ。ほら、私ってこれでも京を震え上がらせた大妖怪だし。仏様と一緒に生活ってのはどうかと思うわけ」

 

 言っていることはわかる。わかるが、

 

「それに比べるとここは温泉あるし、ふかふかのお布団あるし、こたつもあるし、面倒な戒律はないし、どう考えても私にはここの方が合ってるって思うの」

「……」

「あの人魚だってここに棲んでるんでしょ? もう一人くらい増えたって別に一緒よ」

 

 それとこれとは話が違う。わかさぎ姫が棲んでいるのは庭の池であり、月見が住んでいる屋敷とはきちんと空間が分かれている。しかしぬえがやろうとしているのは要するに月見と同居するという意味であり、どこかの押しかけ義娘に続いてまたもや一騒動起こしてくれそうな話ではないか。

 しかし当のぬえは、月見の頭痛をよそにころころと笑い、

 

「お金くらいなんとかして、お家賃はちゃんと払うからさ。よろしくねっ」

 

 いや、そういう問題ではないが。

 ふと思い出す。そういえば彼女の友人である二ッ岩マミゾウは、そう遠くないうちに幻想郷への移住を考えているのだったか。

 もしそのときマミゾウが、男の、しかも狐の家で寝泊りしている旧友の姿を目撃しようものならば――。

 

「言っとくけど、ここ以外の場所は考えてないからー」

「……気に入ってもらえてよかったよ」

「うむ。光栄に思うがよいー」

 

 ぬえの中では、どうやら居候はすでに決定事項となっているらしい。唇が『ω』になっているご機嫌な彼女を横目に見つつ、月見は内心で呻くようにため息をついた。

 来年も、それはそれは大変賑やかな一年になりそうだと思った。

 

 そんな来年に向けた水月苑の大掃除は、もう少しばかり続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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