銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第13.5話 「魔法の森探検ツアー霧雨魔法店行き」

 

 

 

 

 

 日暮れが近い。西へ大きく傾いた太陽はほどなくして並ぶ山々に足をつけ、この幻想郷に朱を落とすだろう。太陽に代わって空に昇り始めた月が、刻々とその白さを増してきている。

 なるべく早く人里に辿り着きたいものだと、月見は俄に足を速めた。

 

「おおいちょっと待てって、私が一緒にいることを忘れちゃ困るぜ」

 

 直後、慌ててついて来た少女の声に背中を叩かれた。首だけで振り返れば、そこにはほうきを握って駆け足を踏む魔女の姿がある。

 そうして月見の隣に並んだ彼女は、たちどころに眉をハの字にした。

 

「私はお前と違って体が大きくないんだ。そんなに大股で歩かれたら、たちまち置いて行かれるぜ」

「私も急いでるんだよ。無理しないで、ほうきに乗ったらどうだ?」

「たまには健康指向もいいかと思ってな」

 

 徹底的なまでに白と黒で着飾った風体から、しかし覗くのは贅沢すぎるほど潤沢な金髪。反骨が意思を持って歩いているかのような少女、霧雨魔理沙は、家が魔法の森にあるからと、紅魔館からの帰り道を月見とともにしている。

 

「こういう時は女のペースに合わせてやるのが、男の甲斐性ってやつじゃないか?」

 

 口を開けば、あいもかわらず調子のいい言葉ばかりが飛び出してくる。だがそれも、月見にとっては紅魔館での一件で既に慣れたものだったし、また一応は的を射た訴えでもあった。魔理沙の言う通り、相手のペースに合わせないで一人で勝手に進んでしまうのは、少しばかり大人げないだろう。

 けれど今は、時間が時間だった。空を振り仰げば、青の中にほのかな茜色の気配が混じり始めてきている。

 

「しかしね、日の入りまで恐らくあと二時間とない。あんまり遅くなると不審に思われるだろうし、早く行って損はないよ」

「なんだったらウチを使うか? 多少汚いが、一人くらいは泊まれるぜ。親もいないし、遠慮することはない」

「ハッハッハ、冗談を」

「ん? いや、別に冗談じゃないが」

「……」

 

 月見は無言になって魔理沙を見下ろした。すると自分の発言になに一つ違和感を持っていない、きょとんとした疑問顔を返された。

 正気だろうか。月見は一音一音はっきりと、言い含めるように、

 

「魔理沙。私は、男だよ」

「知ってるぜ? 顔見りゃわかる」

「普通、知り合ったばかりの男を自分から家に泊めたりするかな。そこは女として躊躇っておいたらどうだ?」

「いやいや、美少女と一つ屋根で夜を明かせるんだぜ? そこは男として喜んでおけよ」

 

 魔理沙の言葉は、まるで当然のことを言うように躊躇いがない。

 ……本当に、正気だろうか。月見は額に手を遣り、大きめな嘆息を一つ、落として言った。

 

「……それは、少し不用心過ぎるんじゃないかと、私は思うんだけどね」

「おっと、お前、もしかして私になにかするつもりなのか?」

 

 我が意を得たりと、魔理沙が目を輝かせた。月見を斜め下から見上げ、含みのある流し目を作って、意味深に笑う。

 

「さすがは妖狐。そんな見た目でも、獣だな……」

「……」

 

 してやったりという顔から察するに、彼女はこのセリフを言いたかっただけなのだろうか。

 まあ、確かに月見は狐、正真正銘の獣――厳密にいえば妖獣――であるが。

 しかし少なくとも、そういう意味(・・・・・・)でまで獣ではないつもりだった。なので月見は満面の笑顔を浮かべ、生意気なことを考える魔理沙の頭をバシバシと叩いてやった。

 成人を迎えていない彼女の背は、月見の胸元に届くかどうかで。

 

「子どもが粋がるんじゃないよ」

「む……せ、成長期は、まだまだこれからだぜ。将来有望ってやつだ」

 

 もしかして気にしていたのだろうか。そっぽを向かれたためよくわからなかったが、一瞬、口の端を悔しさで曲げたようだ。

 やはり女の子でも、背が高くないというのはコンプレックスになるのだろうか。

 

「……いつか、私だって」

「……」

 

 違った。魔理沙は頭ではなく胸を押さえている。どうやらコンプレックスなのはそっち(・・・)らしい。

 別に、そういう意味で言ったわけではないのだが――まあ、揚げ足を取るのも可哀想なので、見なかったことにしておこう。

 

 魔法の森は、幻想郷の中央部に広がる大森林である。幻想郷自体がさほど広い土地ではないので、“大”を付けるべきかどうかは疑問だが、少なくともこの土地では最大規模のものだ。湿気が異常なまでに高いため生活に向かず、更に毒キノコの胞子がそこら中を舞って瘴気を形成しているため、妖怪の山とはまた異なった意味での危険区域とされている。

 紅魔館から人里へ向かうためには、この森を突っ切るか、大きく迂回しなければならない。瘴気の影響か、魔物のように禍々しく成長した木々の伸ばす枝が、幾千の命を屠った妖刀さながら、くすんだ妖しい光を放って月見を威嚇していた。

 思わず足を止めると、隣に並んだ魔理沙が苦笑した。

 

「さっきこそああ言ったけど、実際、ウチに泊まるのはあんまりオススメしないぜ。なにせ、この森の環境が良くないからな」

「……そうだね」

 

 それは月見も重々承知済みだ。この森の劣悪な環境には、人間はもちろん、妖怪たちですら尻尾を巻くという。毒キノコの瘴気に魔力を高める副作用がなければ、この森に住もうと考える者など一人も現れなかっただろう。

 

「大人しく迂回するか、空を飛んでくことをオススメするぜ。なまじっか足を踏み入れても、痛い目を見るだけだからな」

「ああ、わかった。――じゃあ行こうか」

「っておいおい、普通に入ってくのかよ!?」

 

 歩き出すと同時に大声で呼び止められ、月見は振り返った。魔理沙が、なんだコイツ、とでも言うかのような目でこちらを見ている。

 月見は首を傾げた。

 

「行かないのか? できれば案内してくれると助かるんだけど」

「いや、お前、人の話聞いてたか?」

「この幻想郷中でお前にだけは言われたくない言葉だね」

「そうじゃなくてだな、痛い目見るって言ったろ? ここは毒キノコの瘴気が幻覚を引き起こしたりするんだ」

「ああ、それがどうかしたか?」

「どうかしたかって……」

 

 腑に落ちないと眉根を寄せる魔理沙を見て、月見もようやく思い当たった。どうやら魔理沙は、妖狐という種族をあまり詳しく知らないと見える。

 心配してくれるのは感心だが、それは杞憂というものだった。月見は浅く両腕を広げ、

 

「魔理沙。私たち妖狐が幻術の扱いに長けてるのは、知ってるだろう?」

「まあ、それくらいは……」

 

 魔理沙の肯定を確認してから、勿体ぶるようにわざとらしく抑揚をつけて、「では」と続けた。

 

「たかが毒キノコ程度の幻覚が、幻術を司る一族である私に効くと思うか?」

「――……」

 

 妖狐や化け狸は、幻術に対して高い耐性を持っている。内の大妖怪ともなれば、少なくとも同格の相手以外からの幻術は、一切受け付けないといってもいい。毒キノコなど論外だ。

 故に、月見がこのまま魔法の森に立ち入ったとしても、なんら問題などありはしない。強いて言えば、日没までに人里に辿り着けるかがわからなくなることくらい。

 だがせっかく目の前まで来たのだし、久し振りに魔法の森を探検してみるのも面白いだろう。ここでもまた、込み上げる好奇心が理性に勝ったのだ。

 魔理沙はしばらくの間呆気にとられた顔をしていたが、やがてハッと息で笑って、帽子を深く被り直した。

 覗く唇端が、三日月を描く。

 

「……責任は持たないぜ?」

「よろしく頼むよ」

「上等だ。魔法の森探検ツアー霧雨魔法店行き、一名様ご案内だぜ」

 

 てかお前、早く人里に行きたいんじゃなかったのかよ。――もう少し余裕はあるし、せっかくここまで来たんだからね。――そうやって話をしながら、月見は魔理沙とともに森へと分け入る。

 そんな月見を、木々は魔理沙の友人だと勘違いしたのだろうか。妖刀の如き禍々しさで伸びていた枝葉たちが、心なしか、その鋭さを和らげてくれたような気がした。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――で、これが食べられるキノコで、こっちが食べられないやつだぜ。パッと見た感じは一緒だけど、裏のヒダがまっすぐ伸びてるか曲がってるかで見分けりゃいい」

「ふむ……ではこれは?」

「いやお前、それは触るだけで幻覚見る超毒キノコだから。つんつんすんなバカ」

「特になんともないが」

「……むう、毒キノコ如きの幻覚が~とか言ってたのは嘘じゃなかったんだな。つまらんぜ」

「ハハハ、それは申し訳ない」

 

 魔法の森探検ツアーは、いつの間にか、魔法の森キノコ採集ツアーになっていた。あまりにも多種多様なキノコが生え揃っていたため、ついつい当初の目的を忘れて目移りしてしまったのが発端だった。あちらこちらに自生したキノコたちは、外の世界では滅多に、或いはまずお目にかかれないような希少種ばかりで、月見の関心を引くには充分だった。

 

「おや……これはなんだか、ちょっと他とは違うようなキノコだね」

「おっ、そいつは魔法薬に使える実に珍しいキノコだぜ! でかしたな月見、大手柄だ」

 

 魔理沙は魔法使いであると同時に、キノコ学者でもあるらしい。この幻想郷で知らないキノコはないとのことで、月見が興味を持ったキノコをすべて丁寧に解説してくれた。

 

「お礼に、このキノコを食べてみていいぜ。ほら、生でカブっと」

「いやお前、これ、さっき言ってた食べられないキノコじゃないか」

「チッ」

「……」

「ハハハどうした月見、狐火なんて出して――うわあああ待て待て本当に珍しいキノコなんだってそれ! だから焼こうとするなー!」

「美味しいかなって」

「アホかー!」

 

 そんなこんなで、薄暗く陰湿な森の雰囲気とは正反対に、とても賑やかな探検ツアーなのだった。

 道と呼べるほど生き物の手が入った場所ではない。地面は年を跨いですっかり黒ずんだ落ち葉と、瘴気の影響で変な伸び方をした雑草とで埋め尽くされ、獣道すらありはしない。

 そんな道なき道を、月見は魔理沙とともに進んでいく。あれだけ激しいにわか雨が降ったにも関わらず、水たまりは一つもなかったが、土はぬかるんでいて歩きにくかった。

 

「ったく……お前がここまで子どもっぽいやつだとは思わなかったぜ」

 

 こちらを先導しながら魔理沙がこぼした言葉を、月見は意外だと思わなかった。その上で、わざととぼけた振りをして尋ねた。

 

「そうか?」

「そうだ。後ろついてきてると思ってたらいつの間にかいなくなってて、隅っこでキノコをいじってたお前を私は忘れない」

「興味を引かれると、つい体が動いてしまうタイプでね」

 

 好奇心が強いとは昔からよく言われるし、それは自らも認めるところだった。そして好奇心が刺激された時だけは、子どもらしく、我が強くなってしまうことも。

 

「なんだ、どっかのブン屋みたいな性格してるな。妖怪の山に、射命丸文っていう好奇心旺盛な天狗がいてな。気が合うだろうから会ってみるといいんじゃないか?」

「……そうだね」

 

 思いがけず文の名が出てきたことに、月見はついつい苦笑を浮かべた。今朝方、500年振りに再会した旧知の烏天狗は、あちこち角が取れて非常に気さくな性格になっていた。あれでもその昔は泣く子も黙る大妖怪だったのだから、なんとも面白い変化だと月見は思う。

 故に今でも歯をむき出しにして嫌われている自分が、寂しくもあるのだが。

 

「おっと」

 

 などと考えていると、木の根をひょいと飛び越えていった魔理沙が、着地際にぬかるみで足を滑らせた。月見は焦ることなくすぐに尻尾を伸ばし、傾いた彼女の背中を支えてやった。

 

「お、悪い悪い。まったく、通り雨のせいですっかりぬかるんじまってるな。歩きにくいったらない」

「空を飛んだらどうだ?」

「枝がな、飛ぶには邪魔なんだよ」

 

 月見は頭上を見上げた。曲がりくねって伸びた木々の枝は、確かにいじわるなほどに空の道を邪魔している。

 

「じゃあ、いっそ木の上を飛んだら」

「そしたら、魔法の森探検ツアーが名ばかりになるだろ?」

 

 意外にも彼女、月見にしっかり魔法の森を案内するつもりだったようだ。

 

「じゃあ、足がつかない程度にちょっとだけ飛ぶか、大人しく歩くかだね」

「私は、ついでにキノコも集められるし歩きで構わないんだが、お前は大丈夫なのか?」

「そうだねえ」

 

 見上げる空は立ち込めた霧と枝葉に完全に遮られ、何色なのかすら掴めない有様だった。だが木漏れ日はまだ白かったので、きっと大丈夫だろう、と月見は思った。

 

「まあ、大丈夫じゃないかな。せっかくのツアーだしね、最後まで楽しませてもらうよ」

「そうか。んじゃまーのんびり行こうぜ。なんか面白そうなキノコがあったら教えてくれ」

「はいはい」

 

 歩き出した魔理沙の背に続き、更に森の中に分け行っていく。途中、何度かキノコを見つけて足を止めたが、それでも開けた場所に出るまで時間は掛からなかった。

 洋館だ。一階建ての母屋に、八角柱を象った二階建ての離れ屋が隣接している。外壁は白く、屋根は青。紅魔館とは違って、見る者の目に優しい涼やかなデザインであった。

 

「あそこか?」

 

 もしあれが『霧雨魔法店』なら、なかなかどうして、本人の性格に見合わず上品な家だ。

 だが、魔理沙からの返答は否。

 

「いや、あそこは私の友達の家だ。霧雨魔法店はもうちょっと奥だぜ」

「友達ね。魔法使いの?」

「ああ。アリスっていう人形師の――」

 

 そこで、ふとしたように魔理沙が動きを止めた。

 

「……魔理沙?」

 

 同じく足を止めた月見は、怪訝の目で隣の魔理沙を見下ろす。彼女はしばしその家とこちらを見比べてから、やがて口で、猫のように三日月を作って笑った。

 いたずらを思いついた子どもの顔だった。それを、魔理沙は否定しなかった。

 

「……魔理沙」

「なあに、せっかくだから紹介しておいた方がいいかと思ってな。ちょっと待っててくれ」

 

 見え透いた建前を並べると、魔理沙は含み笑いをしながら小走りで洋館へ。靴の泥も払わず玄関前に上がり込み、ガンガンと容赦なくドアを叩いた。

 

「アリスー! アーリースー!」

 

 けれどもその騒々しい呼び掛けに対して、家主――アリスからの反応はなかった。魔理沙がもう一度声を上げてみるが、結果は変わらず。

 

「……なんだ、留守か。くそー、タイミング悪いぜ」

 

 ちぇ、と舌打ちしながら玄関を離れた魔理沙の顔には、いたずらが不発に終わったことへの不満がありありと表れている。アリスというのが誰かは知らないが、留守にしていてくれてありがとう、と月見は思った。

 魔理沙がこちらに戻ってきた頃合いを見計らって、尋ねる。

 

「どんな子なんだ?」

「それは言っちまったら面白くないんだな」

 

 そう言って魔理沙は、帽子の後ろで手を組んで、また意味深に笑った。

 

「次の楽しみに取っとくといいぜ、面白いもんが見れるからな」

「……面白いこと、ねえ」

 

 ということは魔理沙は、月見にいたずらしようとしたのではなく、そのアリスとやらにいたずらをしようとして、今し方ドアを叩いてきたらしい。

 

「私がアリスに会うと、どうなるんだ?」

「そいつも秘密だ。とりあえず、抱腹絶倒の如くだとは言っておく」

「?」

 

 顔を合わせると、月見や魔理沙が思わず笑ってしまうような少女。……一体何者だろうか。

 

「なんだ、その……センスが壊滅的だとか?」

 

 服のセンス、或いは髪型が、お世辞にも素敵とはいえないとか。

 

「いやいや、見た目は普通に可愛い女の子なんだが……性格がな、実に面白い」

「面白い性格?」

 

 芸人志向とかだろうか。外の世界には、人形を使って漫才をする芸人というのが何人かいたが。

 

「まあとにかく楽しみにしとけって。そう広くもない幻想郷だ、そのうち会えるだろうからな」

「……まあ、ほどほど程度で楽しみにしておくよ」

「おう。それじゃあ行くか。霧雨魔法店はもうすぐだぜ」

 

 結局魔理沙は明確な答えを寄越さないまま、陽気に口笛を吹きながら歩き出してしまった。そういう引きをされると余計気になってしまうのだが、果たしてアリスとはどんな少女なのだろうか。

 ……もしかすると、魔理沙の友達だというから、彼女に負けず劣らずのひねくれ者なのかもしれない。

 

「……」

 

 魔理沙が二人。そんな頭が痛くなる光景を思い浮かべてしまって、月見は目頭を押さえながら、ゆっくりと魔理沙の背を追いかけていった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 霧雨魔法店は、“店”を名乗るにはあまりに物寂しく、閑散としていた。魔法の森にある時点で予想できていたことだが、もちろん店前に客の姿などありはしない。

 こちらもまた、アリスの家と同じく洋館であった。茶色を基調にした木造の素朴な構えで、実に自然に森の中へと調和している。一方で外壁にはあちこちツタが走っており、近寄りがたいおどろおどろしさも感じられた。まさに、“魔女の家”という言葉がよく似合う。

 

「しっかし……」

 

 開けた森を覆う空は、ほのかな茜色をしている。夕暮れを告げるカラスの鳴き声を遠くに聞きながら、月見は眉をひそめて、己の足元に視線を落とした。

 なんの装飾もされていない簡素な板っきれの看板が、根本から折れて無残に転がっている。そこには、殴り書きに近い金釘文字でこう書かれていた。

 

「『霧雨魔法店 なんかします』。……魔理沙、商売ナメてないか?」

 

 商売に対する意気込みが、まったくといっていいほど感じられない。

 

「そいつはまあ、私の副業みたいなもんだからな。霧雨魔法店。ちょっとした道具の修理から妖怪退治まで、幅広く請け負うなんでも屋だ」

 

 魔理沙は特に気にした様子もなく一笑いして、ツタに所々を侵略されつつある玄関を、軋む音とともに一息で引き開けた。

 途端、月見の視界に飛び込んでくるのは――

 

「――……」

 

 月見はゆるく首を振り、眉間をゆっくりと揉み解して、けれど目の前の光景はちっとも変わっていなかったので、ため息をつくように低い声になって言った。

 

「……“片付けのできない女”、か」

「できないんじゃない。しないんだぜ」

 

 幸いなのは、それがゴミ山ではなかったことか。魔導書。魔法瓶。植物に始まる魔法薬の材料。その他諸々のマジックアイテム。それらが、しかしまるでゴミを扱うように、そこかしこにぶち撒けられていた。

 正直に言って、汚い。玄関から入っていきなり、足の踏み場が消滅している。

 

「まあ待ってろ。今、道を作るから」

 

 魔理沙は玄関に散らばっていた魔導書を次々と蹴飛ばして、中への道のりを確保していく。……ところでその魔導書は、パチュリーから借りているやつではないのだろうか。蹴飛ばしていいのか。

 魔理沙は鼻歌すら交えながら、陽気に答えた。

 

「小綺麗な部屋ってのは落ち着かないよな。ちょっと散らばってるくらいの方が、逆に人間味があって落ち着くんだぜ」

「ちょっと?」

「ちょっとだ。蒐集してきたアイテムを全部二階に突っ込んだからな、いつもよりは綺麗な方だ」

「……なあ、帰っていいか?」

「休憩くらいさせてやるぜ?」

 

 リビングまでの道を確保した魔理沙は、次に手に入れたキノコの置き場を探して、あろうことか、マジックアイテムであふれ返っていたテーブルの上をほうきで薙ぎ払った。なんの迷いも躊躇いもない、過去に何度も同じことを繰り返してきた手つきだった。薙ぎ払われたアイテムがすべて、雪崩を起こしたかのように次々床に落下していく。割れ物が交じっていたのか、パン、となにかが砕ける音が聞こえた。

 思わず眉間を押さえて呻いた月見とは対照的に、魔理沙の表情は涼しげだった。

 

「ん? あー、魔法瓶が交じってたか。まあ大丈夫だろ、確か中身は入れてなかったし」

「……」

「で、どうするー? とりあえず道は確保したから、入ってきても大丈夫だぜ」

 

 どうすると言われても、この惨状を目の前にして一体どうしろと言うのか。

 月見はしばし、なにも見なかったことにしてさっさと人里向かうべきだろうかと本気で悩んだ。だが結局、恐る恐ると足を踏み入れてみることにした。世界中のあらゆる秘境を巡り歩いてきた月見が、今しばらく振りに、足を動かすことに恐怖を感じている。無論、半ゴミ屋敷状態の家にお邪魔するなど、生まれて初めての経験だった。

 キノコをテーブルの上に積み重ねながら、魔理沙がニッと人懐こく笑った。

 

「いらっしゃい、ようこそ霧雨魔法店へ。なんだったら依頼を受けてやってもいいぜ?」

「そうだな、じゃあこの家を掃除してくれ」

「おう、じゃあ一緒に掃除するか」

「……休ませてくれるんじゃなかったのか?」

「女の子一人に働かせるのは、いけないと思うぜ」

 

 客を働かせるのは、いいのだろうか。

 半目を向けてやると、一応はプライドのようなものがあるのか、魔理沙は口を尖らせて反論した。

 

「言っておくけど、私だって女だし、最低限の衛生には気を遣ってるぜ? この家は見た目以上にちゃんと清潔だ。この部屋だって、散らかってはいるけどゴミ自体は一つもないだろう?」

 

 月見は部屋を見渡した。ゴミのように散らばるマジックアイテムは多々あるが、確かに、ゴミそのものは一つも落ちていない。

 だが、それとこれとは話が別である。ゴミがなければいくら散らかっていてもいい、というわけではないだろう。

 月見は、魔理沙に蹴飛ばされた魔導書に追い打ちをかけてしまわないよう気をつけながら、

 

「いや、これはさすがに散らかりすぎだよ。これじゃあ普段の生活にも不便じゃないか」

「とは言ってもな、置き場がないってのもあるんだぜ? さっき魔法店が副業だって言ったが、本業は蒐集家でな」

「だったらなおさら、整理しないと。これじゃあせっかくのアイテムが埋もれて、なにがなんだかわかりゃしない」

「それもそうなんだけどなー。別に人に見せるために集めてるわけでもないし、誰かに迷惑掛けてるわけでもないし、このままでもいいかなって」

「現在進行形で私に迷惑掛けてるが」

「女の子の部屋に入るのには、それなりの代償が伴うんだぜ」

 

 受け答えする魔理沙は終始笑顔のままで、現状を省みるつもりは毛頭ないようだった。これからもこうやって、蒐集したアイテムで自らの家を埋め尽くしていくのだろう。

 

「……」

 

 あまり大きく口を出せることでもないのは、わかっている。これは魔理沙自身の生活だ。彼女の性格を考えればとやかく言っても仕方がないし、彼女自身もそれを快くは思わないだろう。

 けれども。

 けれども、これはさすがに、ひどすぎである。

 

「……なあ、魔理沙」

「ん、なんだ?」

 

 魔理沙にほうきで薙ぎ払われ、床の上に小高い丘を築いたアイテムたちは、まるでゴミを積み上げた投棄場のようで。

 

「夕暮れまで、まだちょっとは時間がある。さすがに全部は無理だろうけど――」

 

 それらを遠い気持ちで眺めながら、月見は言った。

 この家で息休めすることを、諦めつつ。

 

「――このリビングだけでも、掃除するぞ」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 本当に不思議な妖怪だと、魔理沙は思う。紅魔館に好き好んで近づくようなやつは自分を除いてみんなどこか変なやつばかりだと魔理沙は思っているが、彼もその例に漏れず、なんだか変な妖怪だった。

 銀の狐。名を、月見。

 バタバタ走り回ってリビングの整理整頓に勤しむ彼の姿を、魔理沙は心底面白い気持ちで目で追い掛けていた。

 

「とりあえず、アイテムは全部隣の部屋にまとめてしまうぞ?」

「ああ、構わんぜ。もともと物置みたいな部屋だしな」

 

 答えながら、魔理沙は心の中でくつくつと笑う。本当におかしな妖怪だ。妖怪が人間の家を、他でもない自らの意志で掃除するだなんて。これがどうして、笑わずにいられるだろうか。

 まるで人間みたいだ、と思う。実際魔理沙は、彼のことを妖怪だと思って接していなかった。気心の知れた人間の友人。今日出会ってからのたった数時間で、そういう目で彼を見るようになっている。

 本当に不思議なことだ。床に散らばったアイテムを拾い隣の部屋に運ぶまでの片手間で、魔理沙は気がつけば、月見のことばかりを考えていた。

 

 この幻想郷には、彼以外にも人間らしい妖怪というのはいる。人里に最も近い天狗、射命丸文はまさにその典型だろう。

 もっともそういう妖怪に限って、人当たりのいい笑顔の裏で果たしてなにを考えているのか、食えない一面があって逆に馴染みにくかったりする。……妖怪に限らず、幻想郷の連中というのはみんなそういう者たちばかりだ。

 だが、月見は違う。妖怪にしては珍しく温厚だというのもあるが、それよりも裏表がなくて自分を包み隠そうとしないから、一緒にいると、こっちまで素直になってしまいそうになる。変に自分を着飾る必要はないんだと、思わされる。

 きっと、十六夜咲夜はそうだった。異性の目を気にして恥ずかしがったり拗ねたりする咲夜なんて、他では絶対に見られまい。それがあんまりにも面白かったから、あの時は腹を抱えて転げ回ってしまった。

 そう、それは一言で言えば――人を素直にする妖怪。

 面白いもんだなあと、魔理沙はもう一度、強く思った。

 

「うおお!?」

 

 そんなことを考えながら拾ったアイテムを隣の部屋に突っ込んでいると、唐突に背後から月見の悲鳴が聞こえた。次いで、なにかが盛大に崩れる物音までついてくる。

 びっくりして振り返ると、魔導書の山が崩れて、月見が本の下敷きになっていた。……ああ、あそこは読み終わった魔導書を積み重ねて、魔導書タワーを作ろうとしていたスペースだ。

 

「……ぷっ」

 

 本たちの下でもぞもぞと動いている銀の尻尾が、なんだかあんまりにも滑稽だったから。魔理沙は本日二度目、腹を抱えて大笑いをした。

 香霖にいい土産話ができたなと、そう思いながら。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 空は既に茜色を通り越して、ほのかな闇色に包まれつつあった。刻一刻と深まる夜の色に急かされるようにしながら、月見は霧雨魔法店を飛び出した。

 

「それじゃあ魔理沙、あんまり散らかさないように」

「おー、ありがとうな。お陰でまたちょっと散らかせそうだぜ」

「……」

「冗談だって。せっかく片づけてもらったんだから、まあ、少しくらいは気をつけるぜ」

 

 霧雨魔法店のリビングは、すっきり綺麗とまではいかないが、客を招き入れても不快には思われない程度に片付けることができた。きっと一週間もすれば、家主によってもとの惨状に逆戻りさせられるのだろうが、月見はもうなにも言わないことにした。言えるほど、時間に余裕があるわけでもなかったから。

 玄関まで見送りに出てくれた魔理沙が、森の南南西を指差して言う。

 

「人里はあっち。森を抜けてすぐのところに、『香霖堂』っていう廃屋みたいな古道具屋があってな。そこの道沿いに下ってけばそのうち着けるぜ」

「香霖堂ね。覚えておくよ」

「おう。もし宿がもらえなかったら、そんときは戻ってきたらいいさ。美少女魔理沙ちゃんと一つ屋根の下、一晩くらいは泊めてやるぜ」

「はいはい」

 

 与太話もそこそこに、月見は速やかに南南西へと足を向けた。空よりも深い闇色に包まれた森は、獣が大口を開けて待ち構えているかのような不気味さがあったが、無論、その程度で立ち止まる月見ではない。

 

「ま、縁があったらまたどっかで会おうぜ。そん時は、もう少しゆっくり話ができるといいな」

 

 背中にそんな言葉を掛けられて、月見は歩幅を緩めた。振り返り、後ろ向きに歩き続けながら、

 

「次に会う時までには、もう少し付き合いやすい性格になっててくれよ」

「失敬な。こんなに素直で付き合いやすい美少女もそうそういないぜ?」

「はいはい」

 

 魔理沙がもっと丸くなってくれればそれに越したことはないが、きっと彼女とはこういう付き合いになるんだろうなと、月見はなんとなく予感していた。前に向き直る動きに合わせて、軽く手を振って、

 

「それじゃあ」

「おー、またなー」

 

 霧雨魔法店を離れ森の中に一歩足を踏み入れれば、月見の心はもう人里へと向けられた。背後を振り返ることはない。魔理沙だってさっさと月見から視線を外して、家の中に引っ込んでいることだろう。

 薄暗い森の中、木の根やぬかるみに足を取られないよう気をつけながら、独りごつ。

 

「さて……人里か」

 

 500年。人の住む世界が一変するには、あまりに充分すぎる時間だ。

 500年前は、幻想郷が成立してから間もないこともあってか、少し殺伐とした雰囲気が、ないわけでもなかったが。

 

「どういう風に変わってるか、楽しみだね」

 

 魔界のように凶々しい森の中で、その声はあまりに、あっけらかんとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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