銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第138話 「年越しは水月苑で ②」

 

 

 

 

 

 しょぼおおおおおぉぉぉん、と。

 人間ってここまであからさまに落ち込めるんだな、と霊夢はいっそ感心すらしている。タチの悪い悪霊みたいにじめじめしたしょんぼりオーラをまとって、地の底まで沈んでいくような体育座りで、今にも口から魂を吐きそうで。世界の終わりに直面した人間だってもうちょっとマシな顔をしていそうなくらい、比那名居天子はそりゃあもう落ち込みに落ち込みまくっていた。

 

「こら、いつまでうじうじしてんのよ。参加できないもんはできないんだから仕方ないでしょ」

「ぅぅ……」

 

 いつもの元気な笑顔はどこへやら、霊夢がぴしゃりと言っても蚊の鳴くような反応しか返ってこない。ほんと大丈夫かこいつ。

 所は博麗神社である。年末の大掃除で綺麗にしたばかりの納戸を早速ひっくり返し、霊夢は作り置きしていた神社の授与品を片っ端から風呂敷に詰め込む最中だった。天子は廊下で座り込んでいじいじしている。暗黒空間が壁越しにこちらまで侵食してきていて、そのうち壁が腐って崩れ落ちるんじゃないかと霊夢はやや心配になる。

 普段の天子を知る人物であれば、彼女がここまで落ち込むなんて一体何事だと驚くかもしれない。

 しかし、話は呆れるほど単純だから安心してほしい。寺子屋で楽しそうに教師をしたり、水月苑で嬉しそうに月見のお手伝いをする姿ばかり見ているとつい忘れがちだが、一応この少女、天界ではそれなりに歴史ある家柄のお嬢様だったりする。だからなのか、年末年始くらいは家にいて行事に参加しろと言われたそうなのだ。

 行事が始まるのは今日の夜から。

 すなわち水月苑で盛大に開催される予定の、年越しの宴会に参加できないということであり。

 要するに、月見と一緒に年越しできないということであり。

 そんなわけで、すべての希望が潰えたとばかりの絶望ムードになっているのだった。

 

「……ねえ、あんたほんとに大丈夫? そのうち事切れて成仏したりしない?」

「だ、だいじょうぶ。だいじょぶ、だよ、うん…………」

 

 ダメっぽいなあ、と霊夢は思う。

 

「そんなにあの人と一緒がいいか」

「……ひゅえっ!?」

 

 しょんぼりオーラが吹っ飛んだ。壁の向こう側で、天子の顔が一瞬で沸騰したのが手に取るようにわかった。

 

「い、いいいっいやあのあの、別に月見と一緒にいたかったとかじゃなくて、霊夢とか魔理沙とかみんなで年越しできないのがちょっと寂しいなあってそういう意味で」

「あら、別に月見さんとは一言も言ってないけど」

「……………………ぬわぁ」

 

 静かになった。すぐ自爆するのはあいかわらずねーと生暖かく吐息し、霊夢は作業を再開する。

 なにをしているかといえば、博麗神社のありがたい授与品を水月苑まで押しつけ、ゲフン、授けに行こうというのだ。守矢神社が月見に授与品を売りつけ、あまつさえ「月見さんも買った!」という文句で里でも売り捌こうとしているらしいとの情報を得たのである。

 おのれ守矢神社、月見をダシに使うとは卑劣な連中め。

 つい先日になって里に『命蓮寺』なる寺ができ、人々の信仰を瞬く間に獲得してしまったのもある。このまま例年通りのんびりと構えていては、恐らく守矢神社にも命蓮寺にも出し抜かれてしまう。よって今すぐ霊夢も月見を利用、ゲフンゲフン、月見に協力してもらって、積極的なアピールを展開していかなければならないのだ。

 

「はーあ。月見さん、いっそウチの神社の神使になってくれないかしら。そうすれば信仰も鰻登りなのに……」

 

 ううん、と首をひねる。しかし、月見がどこの神使になろうがお稲荷様として信仰されるのは変わらないわけで、結局得をするのは宇迦之御魂神になる気がする。ではそれで集まった信仰を、手数料としてある程度博麗神社に横流ししてもらうのはどうか。お稲荷様は日本中で盛んな信仰なんだし、ほんのちょっとくらいであれば大して変わらないだろうから別に

 

「霊夢……冗談抜きでバチ当たるよそれ」

 

 ということを独り言でぶつぶつ言っていたら、戸の横から天子が顔を出して睨んできた。

 

「日本の信仰でも五本指に入るような神様相手に、よくそんなことしようと思うよね……」

「月見さんに交渉してもらえばいいんじゃないかしら。ほら、古馴染だって言ってたし」

「信仰は自分の力で集めないとダメでしょーっ、もう!」

 

 そんなのは霊夢も心得ている。が、今や幻想郷では命蓮寺含め四つの信仰が激しく渦を巻いており、商売敵すらほとんどいなかった昔とはもう状況が違うのだ。これからは幻想郷の変化に柔軟な適応を行い、利用できるものを貪欲に利用し、あらゆる方向から信仰獲得へアプローチする姿勢が求められてくるだろう。

 

「……」

 

 ――変化、か。

 授与品の支度を終え、霊夢は風呂敷の口を縛った。

 

「なんか、今年は本当にいろんなことがあったわよねえ」

 

 より正確には、春に月見がやってきてから、である。大きなところでは夏に天子の異変があり、ついこのあいだには地底の異変があった。それ以外にも、小さいながら記憶に残る出来事が今年は本当に多かったと思う。

 そしてその出来事のほとんどで、だいたいぜんぶ月見が絡んでいるのだ。天子も頬を緩め、

 

「……そうだね。私にとっても、今までの人生で一番大切な一年だった気がする」

「月見さんと出会えたものね」

「…………い、いや、別にそれだけじゃなくて、他にもいろいろよかったことがあってえっ」

「でも、順番つけるとしたらそれが一番でしょ?」

「う、うー……」

 

 恨みがましい上目遣いでしおしおと縮こまっていく。別に恥ずかしがることではないと思うけれど。良きにつけ悪きにつけ、霊夢にとっても月見との出会いが一番大きかった気がするし。

 

「来年は、あんたももう少し押しが強くなれるといいわねえ。たぶん月見さんは、紫とか輝夜くらいぐいぐい行かないとビクともしないわよ」

「だ、だーかーらぁー!」

「さーて準備もできたし行きましょっか。あんたは宴会に参加できないんだし、今のうちにべたべたしときなさいよー」

「もおおおおおっ!!」

 

 飛びかかってきた天子をスウェーでかわし、霊夢は水月苑めがけて廊下を逃走する。天子が真っ赤になって追いかけてくる。今日も今日とて参拝客がいない博麗神社で、ドタバタと賑やかな喧騒が駆け巡っていく。風呂敷片手なので玄関前であっさり追いつかれるが、そのときにはどちらにも心からの笑顔がある。

 月見がいなければ、この日常はきっとなくなってしまっていたのだと思う。あの狐は今や霊夢の商売敵だし、異変絡みで散々面倒な目に遭わされもしたけれど。

 しかしまあ、それを鑑みても、感謝してあげるのは吝かではなかった。

 

 博麗霊夢は今、人生が割と楽しい。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――ねえ、椛。椛ってさ、文と月見さんのことどう思う?」

「え?」

 

 正月飾りの材料を求めて山のあちこちを飛び回る中、椛ははたてから突然そう尋ねられた。不意打ちだったせいで質問の意図が読めず、首を傾げて問い返す。

 

「……ええと、どう、と言いますと?」

「んー……文と月見さんって、実際どういう関係なのかなあって」

 

 まだよくわからない。

 とりあえず、椛の認識をそのまま正直に答えてみる。

 

「今は、普通のご友人のように見えますけど」

「あれが普通なものか」

 

 恐らく、椛がこう答えるのをはじめから予測していたのだろう。はたては途端に前のめりになって、

 

「ただの友人相手に、あんな大真面目になって材料集めなんて普通する?」

 

 はたてがこっそりと指差した先――椛たちの会話が辛うじて届かない程度の場所で、文がとてつもなく難しい顔で松の枝を吟味している。『文々。新聞』の〆切間近になっても原稿が難産から抜け出せないときのような、そんな顔だった。水月苑の正月飾りに使う松の採取は、椛の想定を遥かに超えて難航していた。

 深刻な問題が発生したわけではない。

 文がなかなか納得しないのだ。椛もはたてもそのへんに生えている松を取ればよいのだと思っていたのだが、文がやれ「枝の形が悪い」、やれ「葉の色が悪い」と妙な審美眼を発揮し始め、結果山中のあちらこちらを探し回っている有様だった。たぶん、あの松が百本目くらいだと思う。

 元々文には、一家言持ちの分野ではいわゆる我の強さというか、職人気質を垣間見せる一面がある――とは、いえ。

 

「確かに、だいぶこだわってますよねえ」

「いや、『だいぶ』どころじゃないでしょ。私にはぜんぶ同じ松にしか見えないわ」

 

 正直、椛もあまりよくわかっていない。

 

「わかる人にはわかる違いってやつなんですかね」

「でも、文にそういう趣味なんてあったっけ? 私は聞いたこともないけど……」

「私もないですけど、天狗の中でも結構古株ですから、意外といろんな教養があったりするんですよ」

 

 或いは新聞記者として、こういう風習についてはどこかの古道具屋にも負けない薀蓄を持っているとか。

 はたては眉間の皺を解かない。

 

「もしそうだとしても、人の家の正月飾りにそこまでこだわるかなあ……やっぱ文って、なんだかんだで月見さんと相当仲いいと思うのよね」

 

 それは、白狼天狗の間でも時折話題になることだった。文が月見と仲直りして以来、いかにも当たり障りのない知人らしく付き合っているように見えるけれど、本当にそれだけの間柄なのか?――と。

 つまり、ただの知人で済ますには疑わしい行動がいくつかあるのだ。このところ文は記者活動にますますの精を出しており、そのきっかけが月見に新聞を購読してもらえたことだったとか。新聞の感想や改善点を求め、水月苑で夜更けまで話し込んでいるとか。いま椛たちの目の前で、正月飾りの材料をやたらこだわり抜いて集めているのだってそうだろう。

 そもそも『水月苑』からして、彼女が何度も書き直しながら至って真剣に考えた名前なのだ。椛もまあ、まったく気になっていないかといえば嘘になる。

 

「でも、そっとしておいた方がいいですよ。あんまり踏み込むと天魔様みたいな目に遭いますから」

 

 触らぬ神に祟りなし――操がしょーもない策を弄して文を地底まで連れて行こうとしたばかりに、一体どれほどの災難が降りかかったことか。あれを繰り返すくらいなら、椛は満場一致でなにも言わず見守る方を選ぶ。

 しかしはたては食い下がる。

 

「そう、それもおかしいと思うのよ。普通の知人友人だっていうなら、堂々とそうしてればいいじゃない。いちいち怒ったりするのが余計怪しいわ」

「いや、そうやってみんなして勘繰るからウザったく思われてるんじゃ」

「――ええ、そうよ」

 

 うぴ、とはたてが変な声を出した。

 いつの間にか松の枝を花束のように取り終えた文が、はたてのすぐ真後ろに立っていた。はたての顔中に玉の汗が浮かび、

 

「あ、あー、文? お気に召すのは見つかった?」

「ええ、この通り」

「そ、そう。じゃあ次行きましょ、他にも集めないとなんないのはいっぱいあるしー」

 

 逃げようとしたはたての肩に文の手が伸び、みしりと食い込む。はたてが泣きそうな顔をする。

 

「それより今の話、詳しく教えてくれない? 私とあいつの関係がなんだって?」

「い、いや、その」

 

 この人だんだん天魔様に似てきたよな、と今のはたてを見ていると思わないこともない。つついたところで出てくるのは獰猛な大蛇だけだとわかっているはずなのに、それでもつついて結局涙目になっているところなんてまさにそうだ。どうして鴉天狗ってこうなんだろう。比較的まともで仕事真面目な白狼天狗を見習ってほしい。

 

「前々からはっきりさせようとは思ってたのよね。あんた、私とあいつをどう勘繰ってるのかしら」

「……、」

 

 はたては顔中を皺くちゃにしながらひとしきり恐怖と葛藤で震え、やがて力強く開眼すると覚悟を決めたように、

 

「――ねえ、文。月見さんの周りってかわいい女がたくさんいるしさ、もっと日頃から積極的にアビュ」

 

 文が松の束の先端――すなわち葉がチクチクしてとても痛い部分――をはたての顔面に突き刺した。

 はたてが悲鳴も上げられず地面をのた打ち回る頃には、文の標的は椛に移っている。

 

「あんたは、まさかはたてと同じこと言わないわよねえ……?」

「も、もちろんです。私を一緒にしないでください」

 

 殺気が嘘のように霧散し、

 

「そう、ならいいわ」

「あはは……大変ですね、文さん」

「まったくよ。はあ、疲れる……」

 

 鬱々とため息をつく文への同情と、殺気から解放された反動によるちょっとした油断だったのだと思う。あくまでささやかなフォローをするつもりで、椛もまた、つつく必要のない藪をつついてしまった。

 

「私はちゃんとわかってますから。文さんが月見様のことを、友人としてとても大切に想っ――いたたたたた!? な、なんでですかー!?」

「もう放っておいてってばああああああああっ!!」

 

 松の束で椛の頭をべしべし叩く文は、ちょっぴりだけ涙目だった。

 結局、それでせっかく取った松がみんなダメになってしまい、また山中をあっちこっちへ飛び回る羽目となるわけで。

 ヘソを曲げた文にはたて共々こき使われながら、もうほんとにそっとしといてあげよう、と椛はしんみり心に誓うのだった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「おー、やってるやってるー」

 

 志弦がちょっとした野暮用ついでに立ち寄ってみると、命蓮寺の工事は想像以上の順風満帆で進められているようだった。日曜大工なんてやったこともない小娘の目線では、整然と組み上げられた足場の内側で、庫裏らしき建物がもう概ねできあがっているのではないかと思える。塀は骨組みだけならすでに境内を一周しており、さながら絵の具を使うような速さで土壁が塗られていっている。その他規模の小さい足場が二ヶ所組まれているのは、手水舎と鐘楼を造るためなのだろうか。

 早苗から話には聞いていたが、やはり妖怪は土木工事の技術にも秀でているのだ。あの水月苑ですら一日で造られた代物だというのだから、まさしく人外ってやつだよなあと志弦は改めて舌を巻く。

 人間妖怪問わず幻想郷中の話題を掻っ攫う、時の人ならぬ時の場所である。

 そりゃあ、ある日突然幻想郷にやってきた謎めく尼さんが、空飛ぶ船を仏パワーでお寺に変形させてしまったのだからそうもなろう。しかもその尼さんは見目麗しい聖母の化身が如き御方であり、更には門下の妖怪たちまで美少女揃いとまさしく破格の戦力を誇っている。お陰で信心深い里人たちも、美人に弱い山の男衆もがっちりハートを鷲掴みにされ、幻想郷の信仰勢力図が目覚ましい速度で書き換わっていっているのだ。

 目の前でやる気満々仕事に勤しんでいるのも、そんな山の男妖怪たちだった。

 

「おう、志弦ちゃんじゃねえか」

「おつかれっすー」

 

 棟梁と思しき壮年の天狗に挨拶をする。中心から離れているとはいえここは里の中なので、翼は隠して人間のふりをしている。神社で何度か見たことのある顔だが、名前は知らない相手だった。

 

「もうかなり進んでるっぽいねー。さっすがぁ」

「いやあ、こんなのはまだ外側だけよ。本腰入れなきゃなんねえのはこれからさ。地底から鬼のやつら(ほんしょく)が来てくれりゃあ、今日一日でも終わるんだろうけどなあ」

「確か、それで水月苑は一日で造ったんだよね」

「ああ、まあ、人手もこれより何倍も多かったしな。……しかし白蓮様のため、なにがなんでも明日で完成させてみせるぜ。宴会もあるしなー」

「そだねー」

 

 と他愛もない話題でダベりつつ、志弦は未完成の塀で囲まれた境内を見回す。白蓮たちの姿がどこにも見えない。

 

「あれ、みんなは?」

「里の方に行ってるはずだぜ。たぶん、道具とかいろいろ買い出ししてんじゃねえかな」

「そっか」

「捜してたのかい?」

「んにゃ。なにしてるかなーって思ってちょっと寄ってみただけだから、大丈夫さ」

 

 みんなで買い出しに行くということは、もうすっかり里の一員として受け入れてもらえたのだろう。よかったよかった、と志弦はうむうむ頷く。

 

「ところで、志弦ちゃんよ」

「んー?」

「まあ、なんだ。こいつぁ、あくまで俺の所感ってやつなんだが……」

 

 棟梁がやにわに畏まった顔つきをして、腕組みしながらまじまじと志弦を見据えた。志弦は本日も、いつも通り守矢カラーの巫女服を着用している。着心地にはもうすっかり慣れたし、いちいち着る物に悩まなくて楽だからというズボラな理由で、神社の中でも外でもこの恰好で過ごしてばかりな志弦である。

 今は冬の真っ只中なので下に充分重ね着しているし、マフラーを巻いて手袋だってつけて完全防備している。が、幻想郷では特別奇抜な恰好というわけでもない。疑問符を浮かべながら棟梁の言葉を待っていると、

 

「なんか、雰囲気がちっとばかし変わった気がしてな。大人っぽくなった……ってのは違うか。なんてーか、肝が据わった感じっつーか……」

「……そかな」

 

 自分では、今まで通りに振る舞っているつもりだけれど。

 もしかすると、あの夢が影響してるのかもな、と思う。あれは志弦にとって単なる『記憶』である以上に、紛れもなく立派な『経験』でもあったから。大雑把に言ってしまえば今の志弦は、自分含め三人分の人生を積み重ねてきたようなものだった。

 

「正直、『志弦ちゃん』って呼んでるのも違和感があるくらいでよ」

「あー、それ私が今までより老けて見えるってことかー?」

「い、いやいやとんでもねえ。いい意味でだよ、いい意味」

「ウチから白蓮のトコに鞍替えしたやつの言うことを信じろと申すか」

「……守矢神社もちゃんと信仰するんで勘弁してくだせえ」

 

 これがおっぱいの力か、と思わなくもない。白蓮、めっちゃたゆんたゆんだしなあ。なに食ったらあんな大変なことになっちゃうんだろ。

 

「……あれ、志弦さん?」

 

 と噂をすれば、振り返ると白蓮たちが戻ってきたようだった。買い出しへ行ってきたという割にみな手荷物は少なく、女性陣は布を被せてこんもり山型になった竹ざるを抱え、雲山はなぜか鍋を持っている。蓋の隙間から、ほんのりと立ち上がる温かそうな湯気が見える。

 志弦は片手を上げ、

 

「や。どうしてるかなーって思って寄ってたんだけど……なにそれ?」

「あ、これですか? なにからなにまで手伝ってもらっちゃって、申し訳なかったので……」

 

 白蓮が竹ざるの布を取り払うと、その下から現れたのは、

 

「里で台所を借りて、みんなでおむすびとお味噌汁を作ってきたんです」

 

 足場の上で作業していた男たちがべしゃべしゃ地面に落ちた。

 

「へ!? あああっあの、大丈夫ですか!?」

「お、おむすび……? 味噌汁…………?」

 

 うわ言のようにつぶやき、地面にぶっ倒れてゾンビみたいにぴくぴくしている。棟梁も、痙攣する片膝をついて息も絶え絶えになっている。

 

「あ、あっしらの聞き間違いじゃなければ……白蓮様たちの手作りと、聞こえましたが」

「え、は、はい、そうですけど」

「ゴハアッ!!」

「ひいっ!?」

 

 棟梁が喀血する。咄嗟に口を押さえたが止めきれず、指の隙間から飛び散った鮮血が地面に赤い染みを作る。

 これには白蓮だけでなく星も慌てふためき、

 

「なななっナズ大変ですっ、血が! 血がっ!」

「し、しっかりしてくださいっ! 大丈夫ですか!?」

 

 さてどのあたりで止めようかな、と志弦は冷静に思案した。幻想郷にやってきたばかりの白蓮と星は、山の男妖怪が得てしてどういう連中なのかまだわかっていないのだ。一昨日の歓迎会で大騒ぎだったのも、酒でみんな酔っていたからだと信じて疑っていないに違いない。

 そしてわたわたする二人の横で、ナズーリン、一輪、水蜜の三名はすっかり凍てついた半目になっている。彼女らは理解しているのだ――お人好しで騙されやすい主人を悪い虫から守れるのは、自分たち以外にいないのだと。

 白蓮が背をさすろうとする前に、棟梁は根性で立ち上がった。

 

「お、お気遣いなく。ご心配には及びやせん」

「で、ですけど」

「これ以上貴女様のお優しさに触れたら、さすがに身が持たないってもんで」

「は、はあ……?」

 

 後ろの方では地面に落ちた天狗と河童が、「お前らしっかりしろっ……! 女の子の手作りおむすびを食う前に死んでいいのか……!」「夢にまで見たエルドラドが目に前にあるぞ……!」と互いを激励し合っている。ナズーリンたちはもう氷点下になっている。

 説明してあげることにした。

 

「白蓮、白蓮。みんな、白蓮たちの手作りご飯に感極まってるんだよ」

「は?」

「なかなか食えるもんじゃないからねえ」

 

 宴会で出てくる料理なんかとはワケが違う。このおむすびとお味噌汁は、白蓮たちが他でもない彼らのことを想って作った、彼らのためだけのご飯なのだ。力仕事を快く引き受けてくれたことへの感謝と、その労をちょっとでも労ってあげたいという優しさがこれでもかと詰め込まれている。つまりはこの世界、この場所で、彼らだけに許された唯一無二のご飯であり、しかも白蓮たちのような美少女が作ってくれたとなれば、その価値はもはや金塊を積んだところで到底及ばない。

 と、彼らは考えているのだろう。星がたっぷりと五秒考え、

 

「……えっと、あの。よ、要するに、ご迷惑だったわけじゃないんですよねっ」

「も、もちろんです。紛らわしくてすいやせん、何分こういうのは慣れていないもんで」

 

 白蓮がほっと胸を撫で下ろし、

 

「ちょっとでもお礼になれば、私も嬉しいです……」

「うう、白蓮様が尊くて辛い……」

「……えーと、よくわかりませんけど、皆さんどうぞ召し上がってください。冷めてしまう前に」

「「「いただきますゥッ!!」」」

 

 ゾンビが一斉に生まれ変わった。みんな行儀よく二列に並び、きらきらした少年みたいな目でおむすびと味噌汁を受け取ると、庫裏の周りに組んだ足場、または積み重ねられた木材の上、或いは手近な木の太い枝と、各々が好き勝手な場所を腰掛け代わりして、

 

「うう、うめえ……うめえよお……」

「これが……女の子の手作りおむすびの味……!」

「あれ、おかしいな……へへ、なんで俺泣いてんだろ……っ」

「俺、命蓮寺信仰する」

 

 おむすびにかぶりついては涙を流し、味噌汁を掻きこんでは嗚咽をこぼすという、この世で最もしょーもない男泣きの食事風景が広がるのだった。

 

「お口に合いますか?」

「「「最高でえええっす!!」」」

「ふふ、よかったです。まだどっちも余ってますので、足りない方は仰ってくださいね」

「「「はあああああい!!」」」

 

 男衆の野太い大合唱にも顔色ひとつ変えず、白蓮はのほほんと楽しそうにしている。きっと、こうして妖怪たちの役に立てるのが嬉しくて仕方ないのだろう。白蓮はほんと優しいなあと志弦はうんうん頷き、それから大真面目になってナズーリンへ耳打ちした。

 

「ねえ、ナズちゅー。白蓮ってさ、絶対男の人から勘違いされるタイプでしょ」

「……そうだね。なにも言い返せない」

 

 老若男女問わず――つまり年頃の男であっても迂闊なほど優しくしてしまう性格故に、「もしかしてこの人、俺に気があるんじゃね?」と儚い幻想を抱かせてしまう罪な女に違いなかった。ナズーリンは複雑そうに、

 

「昔――封印される前から聖はこんな調子でね。お陰で、聖をそういう(・・・・)意味で慕う男も少なからずいた。まあ戒律に縛られる尼僧だから、具体的な行動に出る輩こそいなかったんだが」

「勘違いするなって方が無理だよねえ……ちょー綺麗だし、スタイルいいし」

 

 たゆんだし。

 

「加えて言えば、ご主人にも多少この傾向がある。聖ほど無警戒ではないけど」

「あー、うん」

 

 星は白蓮と二人して、おかわりを求める男衆におむすびを配って回っている。一人ひとり笑顔で丁寧に手渡ししていくあたり、彼らにとってはもはや一種の凶器だった。何人か、おかわりを受け取ったまま笑顔で燃え尽きているやつもいた。

 

「この調子だと、明日も嬉々としておむすびを作るだろうね……。上手くやっていけそうなのは結構だが、先行きがいかんせん不安だよ」

 

 ナズーリンは吐息、

 

「そういうわけでムラサ、一輪。君たちが頼みの綱だ。くれぐれもよろしく頼むよ」

「わかってるよ。聖を守るのが私の役目だもん」

「姐さんに色目使う男なんて、門前払いにしてやるわ」

 

 この二人ならがボディーガードなら安心かなーと志弦は思う。神古しづくの記憶を継いだ志弦は、水蜜と一輪がどれほど強力な妖怪かを身を以て知っている。雲山はあいかわらず厳つい顔のまま無言だったが、「儂の目に適わん軟弱者など断じて認めん」と不動の構えであるように見えた。

 と、今しがたおかわりを手渡しされた天狗が迂闊にも、

 

「ところで白蓮様は、将来的にご結婚などどのように考えてらっしゃるので?」

「へ?」

「特にご予定がなければどうです、あっしとまずはお友達から」

「あ、ならわたくしめはぜひ星様と」

「はーいじゃあ早速行ってきますねー」

「雲山、GO」

 

 途端に巨大な錨を担いだ物騒な船幽霊と、拳をバキバキ鳴らす入道オヤジが血も涙もなく出撃していく。その頼もしすぎる後ろ姿を見送りながら、志弦は唇を引いて笑みを作った。

 

「いやあ、こりゃますます賑やかになりそうだねー」

「こういうのは、月見の周りだけで充分なんだがね……」

 

 この調子ならきっとすぐに、まるで何年も昔から幻想郷の一員だったように馴染んでいけるだろう。なんだったら、『天子ちゃんマジ天使!クラブ』に続くファンクラブだって結成される可能性がある。このお寺を橋渡しにして、妖怪と里人の交流だって少しずつ始まっていくかもしれない。

 ずっと、ずっと、白蓮が願い続けてきたように。

 改めて、肩の力を抜ける気がした。

 

(どーやら心配は要らなそうだぜー、ばっちゃん)

 

 これから一層賑やかさを増すであろう幻想郷の日々が、今まで以上に楽しみだったので。男衆の野太い悲鳴を適度に聞き流しつつ、志弦は天に向かって晴れやかな伸びをした。

 その先から、きっとばっちゃんも見ているのだろうと、思いながら。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 無論、輝夜と妹紅が土だらけになって帰ってきたり、椛とはたてがボロボロの涙目で戻ってきたり、霊夢が博麗神社の授与品を押しつけに来て早苗とケンカしたりなどほんの序の口で、その後も水月苑ではなにかと賑やかな騒動が絶えなかった。

 月見が把握しているだけでも、弾幕ごっこが始まること二回、藤千代が『反省中。』の紙を張りつけ説教すること三回、えいやっとおしおきすること四回、フラワーマスターの必殺ビームが飛ぶこと二回、撲殺妖精大ちゃんが降臨すること一回、わかさぎ姫がぐるぐるおめめで池を漂うこと一回、妖精たちがピチューンと消し飛ぶこと十あまり。お前たちはどうしてそうも元気に跳ね回れるのかと、全員一列に並べて問い詰めたくなってくる一日だった。

 水月苑の納戸は、どちらかといえば『蔵』という文字を使う方が適切かもしれない。屋敷の裏手が一部出っ張る形で造られていて、ここだけで充分寝泊りができるほどの広さと、二階からも出入りができるだけの高さを兼ね備えている。もっとも使い始めてたった半年少々の収納は、まだまだ半分以上が手持ち無沙汰だ。そんながらんどうなくらいの納戸なので、掃除も藤千代と操を入れた三人だけで進めていた。

 じきに太陽が、小晦日の仕事を(つつが)なく終えようとする頃合い。なんだかんだで、この大掃除にもゴールが見え始めてきていた。

 

「月見くーん、これはどこに置きますかー?」

「これは……たまに使うやつだから、なるべく手前の棚に」

「はーい」

 

 中の掃除を手早く終え、外に待避させていた荷物をひとつひとつ確認しながら戻していく。鬼子母神の面目躍如であり、上半身がすっぽり隠れるくらいのダンボールを、彼女はまるで中身が入っていないように次から次へと運んでいく。操がひとつ運ぶ間に三つは片付ける勢いだった。月見など完全に出る幕もなく、もはや外から収納場所を指示するだけの存在と化している。

 掃除をしているのか遊んでいるのか、屋敷の方から少女たちの歓声が聞こえてくる。藍と咲夜とミスティアが、労いの夕食を支度してくれているかぐわしい香り。つまみ食いに行こうとする幽々子を、妖夢が必死に叫んで引き止めている。

 笑みがこぼれた。

 

「……本当に、ありがたいことだね」

「んー? なにがじゃー?」

「こうやって、なにからなにまで手伝ってもらえることがだよ」

 

 戻ってきた操に軽めのダンボールを選んで渡し、置き場所を指示する。次いで藤千代には重めの物を。

 

「普通、人の家の大掃除を一日中手伝ったりなんてしないだろう。なんの礼もできないのに」

「月見くんのためなら、地の果てからでも駆けつけますとも!」

 

 藤千代にせよ操にせよ気心の知れた付き合いだし、こういうときは持ちつ持たれつな関係なのだと理解している。だが、それは一部の古馴染だけだ。

 今日集まってくれた少女の中には、月見が幻想郷に戻ってきてから知り合った相手も多い。つまりはまだ半年程度の付き合いということであり、とりわけ草の根妖怪ネットワークの三人組などは、ほとんど知り合ったばかりといっても過言ではない。

 それなのに彼女たちは、みんなが自分のことのように快く月見を助けてくれる。

 納戸の中から操が答える。

 

「それだけ、みんなお前さんに感謝しとるってことじゃよ」

「それだけのことを、私はお前たちにできているのかい?」

「そりゃあもう」

 

 当然とばかりに即答されたが、心当たりはほとんどなかった。それこそ草の根妖怪ネットワークなんて、日頃から水月苑で駄弁(だべ)っているだけではないかと思う。

 

「まーお前さんが儂らにしてくれとるのは、あんまし目に見えるもんじゃないからのー」

「月見くんにとっては、ごくごく当たり前のことでしょうしねー」

 

 二人が納戸から一緒に出てきて、目を弓に細めた。

 

「月見くんはこの水月苑で、天気がいい日も悪い日も、いつでも私たちをお迎えしてくれます。笑顔で『いらっしゃい』と言ってくれます。お茶を淹れてくれます。お菓子を出してくれます。温泉に入らせてくれます。話し相手になってくれます。……それが、月見くんが私たちにしてくれている一番のことなんですよ」

 

 藤千代にまんまと見透かされた形となるが、そんなの当たり前のことだろう、と月見は思った。だって、月見はこの屋敷の主人で、彼女たちはお客さんなのだから。そんなものは、ありがたがられるうちにも入らないのではないかと。

 操が代わる。

 

「元々根無し草のお前さんからすれば、よくわからんじゃろうけど。気分転換したいとき、疲れたとき、嬉しいことがあったとき、ちょっと嫌なことがあったとき、なんとなく人恋しいとき。いつでも軽い気持ちで行ける場所があって、誰でも快く迎えてもらえる空気があって、なんでもどんと受け入れてくれる人がいるってのは、ありがたいことだと思うんじゃよ」

「……」

「月見くんがいなかった間、幻想郷にそんな場所はありませんでした。みんなありのままで、なにも着飾る必要なんてなくて、水月苑に来れば私たちはただの女。ただの女であることを肯定してもらえるんです」

「女ってーのは、とにかく肯定してもらいたい生き物じゃからねー」

 

 ――それが、この水月苑だと。

 

「月見くんが月見くんであるだけで、この場所がこの場所であるだけで、私たちはいつも支えてもらってるんです。元気をもらってるんです。ですから、これくらいのお手伝いはぜんぜんなんてことないんですよ」

「そーそー。まあこういうとこまで考えとるのは儂らくらいじゃろうけど、みんなも漠然とは感じとるはずじゃよ。お前さんも水月苑も、儂らにとってはすごぉっく大切なもんなのさ」

「……そんなもんかね」

 

 当たり障りのない返事をしながら月見は、本当にありがたいことだと、もう一度染みゆくような心地で感じていた。まったく、ありのままを肯定してくれているのはどっちの方だと思う。支えてくれているのはどっちの方だと思う。こんな形で感謝を示されるまでもなく、月見はたくさんのものを彼女たちからもらっているのだ。

 

「ありがとう」

 

 微笑み、

 

「お前たちのお陰で、退屈しない一年だったよ」

 

 むしろ賑やかすぎて、一人でひっそりと過ごす時間を模索する必要まであるくらいだった。お陰様で来年も、これからも、変わらない日々が続いていくのだろうと、掛け値なく信じることができたので。

 

「来年もよろしくね」

「はい」

「うむ」

 

 返ってくるのは月見と同じ、心からの言葉だった、

 

「来年も、素敵な一年にしましょうね」

「未来永劫退屈なんてさせんから、覚悟するんじゃよ」

 

 ――月見が幻想郷に戻ってきて、最初の一年がもうすぐ終わる。

 しかし、だからといってなにかが変わるわけでもない。あいかわらず朝には日が昇るし、夜には月が天へ架かるし、少女たちは元気いっぱい暴れ回るし、ここにはいつでも誰かの笑顔がある。

 太陽が今年最後の役目を終えて尾根に消えたとしても、水月苑はまだまだ眠らない。

 

「――宴会じゃああああああああああ!!」

「「「いえ――――――――――!!」」」

 

 そんなわけで遂に来る大晦日、年越しのスーパー大宴会が幕を開けるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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