銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第140話 「年越しは水月苑で ④」

 

 

 

 

 

「――はい、月見くんもどうぞー」

「ありがとう」

 

 藤千代からビンゴゲームのカードを受け取る。月見の掌よりやや小さい程度の厚紙に大小二十四の数字が印刷され、それぞれ指で押し開けるための切り目が入っている。なんてことはない、外の世界で一般的に普及しているごくごく平凡なビンゴカードである。しかしなんの変哲もない二十四の数字も、幻想郷という世界で目にしてみるとほんの少しばかり新鮮だった。

 

「どこから手に入れてきたんだい。香霖堂か?」

「いえ、早苗さんが持ってきてくれたんです」

 

 早苗と志弦が、カード配りを一緒に手伝っている。

 

「大掃除のときに、押入の奥から出てきたんです。持っててもしょうがないですし、どうせだったらみんなでやれたらいいなあと思って」

「いやーなっつかしいねーこれ。小学校以来かなー」

 

 ビンゴゲームがどういうルールで行われるかは月見も知っているし、外の世界をひとりでほっつき歩いていた頃は、どこかのイベントで人々が興じている姿も目にしたことがある。しかし、こうして実際に体験するのははじめてかもしれなかった。もう何千年も生きてきた老いぼれの狐だけれど、知らないこと、はじめて経験することはいつだって世にあふれ続けている。

 さて、ビンゴゲームといえば最大の肝はやはり景品である。此度のゲームでもいくつか用意がされており、カードを配り始める前にはいろんな意味で大変な盛り上がりを提供してくれた。

 順に挙げていこう。

 

 まず、人里の飲食店で使える無料お食事券。

 月見が地底にいる間に開催された里の福引で、藍が見事当ててきたものだという。賑やか好きの里では、商店飲食店その他諸々を巻き込んだ福引が季節に一度開催されるのだ。しかし藍本人が外食をしない生粋の料理人であるため、誰かほしい人に渡ればと今回の景品に寄付された。

 その名の通り一定金額までのごはんが無料となる上、それ以上の金額の場合は割引券として使用することもできる。霊夢や星など、ごはん大好きな少女たちが狙っている。

 

 次が、酒虫(しゅちゅう)

 酒虫とは水から無限の酒を生み出す摩訶不思議な虫のことであり、この虫によって作られた酒は大変な絶品と古来より大層な語り草になっている。天然ものは極めて珍しい生き物のはずだが、藤千代がちょろっと捕まえてきたらしい。

 勇儀や文など、お酒大好きな少女たちが狙っている。

 

 次が、『咲夜が好きなお菓子を作ってくれる券』。

 文字通り、その券を使えば咲夜がご希望のお菓子を手作りしてプレゼントしてくれる。

 あの意味で最も夢のような景品であり、言うまでもなく山の男衆が本気(マジ)の目つきで狙っている。

 

 次が、伝説のお饅頭『白雫』。

 人間はもちろん妖怪の間でもまことしやかに囁かれるその伝説を、今更語り直すような真似はしない。

 幽々子や妖夢をはじめ、その至高の味わいに魅せられた少女たちが狙っている。

 

 そして最後が、『月見のもふもふ十一尾に全身包まれながらぐっすりお昼寝できる券』。

 もちろん前もって断っておく、月見はまったく許可した覚えもない。が、『月見のもふもふ十一尾に全身包まれながらぐっすりお昼寝できる券』なのである。

 一応需要はあるらしく、輝夜やフランあたりから狙われている。

 そんなこんなで、期待いっぱい夢いっぱいのビンゴ大会が始まろうとしているのだった。

 

「それでは、ルールを説明しますねー!」

 

 カード配りを終え、司会の藤千代が高らかに声をあげる。

 

「これから操ちゃんが、このガラガラを回して数字が書かれた玉を引きます! 皆さんは、その数字が書かれたマスを指で押して開けてください! それを繰り返して、縦横斜めのどれか一列が揃ったら『あがり』です!」

「『ビンゴー!』って言って、手を挙げて儂らに教えとくれー。豪華景品ゲットじゃよ!」

 

 即席で作った台の上には定番のビンゴマシーンが置かれていて、操が早く回したそうにうずうずしている。

 

「ちなみに、あとひとつで一列揃うところまで行った方は、『リーチ!』って言って立ち上がってくださいねー」

「ま、要は一足早い新年の運試しじゃね。これなら、酒呑みながらでも片手間でできるじゃろ?」

 

 操が言う通り、ビンゴとは畢竟ただの運試しなので、ゲーム自体を楽しむものとは少し違うのかもしれない。ゲームによってイベントに一味変わった風味を添え、もしかしたら景品が当たるかもしれないという期待をみんなで共有し、その空気感を楽しむものとでもいおうか。

 まさに、ここの住人たちにはぴったりなゲームなのかもしれない。なぜなら幻想郷の宴会で一番大切なのは、美味しい食事よりも芳醇なお酒よりも、みんなで楽しく盛り上がれる『賑やかな空気』なのだから。

 隣の白蓮が、ビンゴカードを不思議そうな顔でしきりに覗き込んでいる。

 

「そういえば白蓮は、数字は読めるかい?」

「あ、はい。昨日、里で少しだけ教わりました」

 

 現在一般的に使われているアラビア数字が日本の人々の間で広まったのは、確か幕末頃だったと記憶している。日本の長い歴史でもかなり近世の出来事だが、外来人、もしくは知識ある妖怪の手引きで、幻想郷でも日頃から読み書きされる程度には普及していた。

 なので白蓮が目を引かれているのは、数字ではなくカードの印刷の方なのかもしれない。水蜜が後ろから白蓮の両肩に手を置き、

 

「ひじりひじりっ、聖はどの景品狙います? やっぱり月見さんのお昼寝券?」

 

 白蓮は見るからに狼狽えた。月見の尻尾をチラチラ横目で盗み見ながら、

 

「な、なんでやっぱりなのっ?」

「えー、でも気になりません? だって十一尾ですよ? 月見さんがそんなすごい狐だったなんて、びっくりじゃないですかー」

「それは……そうだけど……」

 

 月見は生まれたときからの狐なので、自分の尻尾を特別なものだと思ったためしはこれといってない。だが一方では、人間にせよ妖怪にせよ、動物の毛並みというものに心を魅了される人種が一定数いる事実も理解していた。触られるのが好きとまでは言わぬも、誰かに楽しんでもらえるのなら少しのあいだ辛抱する程度は造作もないことなのだ。里の子どもたちから遊び道具にされているし、諏訪子に至っては抱き枕扱いだし。

 なので、わざわざあんな珍妙な券を用意しなくともよいのだけれど――そんなことを言っては景品の意味がなくなってしまうから、なにも言わず付き合ってやるのが花なのだろう。

 

「はーい、では始めますよー! 操ちゃん、お願いします!」

「らじゃー!」

 

 藤千代から合図をもらって、操が嬉々としてビンゴマシーンを回し始めた。カランと小気味よい音とともに玉が転がり出て、

 

「それじゃあいくんじゃよー! ……じゅういちーっ!」

 

 直後、座布団を撥ね飛ばす猛烈な勢いで立ち上がる影があった。月見がざっと認識できただけでも輝夜、萃香、フラン、幽々子――そして、半分以上の山の男衆だった。

 一斉に叫んだ。

 

「「「はいはいはーいっ!! ビンゴビンゴビンゴォ!!」」」

「はいやると思った!! 絶対やると思ったんじゃよこのバカチンどもがっ!!」

「「「じゃあリーチ!!」」」

「ぶっ飛ばしますよー?」

 

 藤千代に笑顔で言われてしまえばどうしようもない。全員神妙な顔でしずしずと着席し、操が眉間を押さえながら派手にため息、

 

「ったく、ほんとにこやつらは……景品がほしいのはわかるけどなあ、嘘つくならせめてもうちょっとマシな」

 

 チルノがいきなり、

 

「はいはーい、ビンゴビンゴ! 見なさい、ぜんぶ穴開けたわよ! この勝負あたいの勝ちね!」

「なにやってるのチルノちゃん!? なんでぜんぶ穴開けちゃったの!?」

「え? 一番先にぜんぶ穴開けたやつが勝ちでしょ? だからあたいの勝ち!」

「お前さんなにと闘っとるわけ?」

「チ、チルノちゃんのばかぁ……」

 

 さすがは幻想郷式ビンゴ大会。一発目からこの自由奔放ぶり、なんとも先が思いやられるではないか。

 

「はーいチルノさん、余ってるカードがありますから。今度はちゃんとやってくださいねー?」

「えーっなんでよ! どう見てもあたいが一番じゃない!」

「チルノちゃんは黙っててッ!! ごめんなさいごめんなさい、今度は私がちゃんと見ますので!」

「よろしくお願いしますねー。……じゃあ操ちゃん、どんどん行きましょう!」

「おうさ!」

 

 操が再びうきうきとビンゴマシーンを回す。そこで月見はよっこらせと腰を上げ、

 

「それじゃあ私は、またみんなのところを回ってくるよ」

「あ、はい。わかりました」

 

 今年最後の挨拶回りはまだ途中だ。尻尾が周りに当たらないよう気をつけながら白蓮と別れ、月見は並びに沿って次の席へ向かってゆく。

 ごじゅうななー!! と操の元気な声が響く。手元のカードを確認したが、そんな数字はどこにも書かれていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、月見だ! さてはあたいとビンゴ勝負しに来たのね! よーしいいわよ、あたいの早業でぜんぶ一瞬でビンゴ」

「だからねチルノちゃん、それは遊び方違うんだってば!? 天魔様が言った数字しか開けちゃダメなのー!」

「なんでよ!」

「なんでも!」

 

 大妖精が相方の子守りに奮闘している。席の並びに沿って回っていくと、今度はチルノたち妖精をはじめ、主に幻想郷のちびっこ妖怪が集まっているエリアだった。ルーミアと橙とミスティアの他、なにか昆虫の妖怪と思われる少女たちや、『光の三妖精』なる妖精トリオの姿も見えた。

 月見に気づいたルーミアが、女の子座りを正座に正して背筋を伸ばした。

 

「お狐様! 今日はおいしいごはん、本当にありがとうございますっ」

「あ、ああ」

 

 まじりけのない尊敬の眼差しで見上げられて、月見は早速口の端がひきつるのを感じる。違うんだルーミア、私はお前から様付けされる資格のある男じゃないんだ――そう思うが、真実を告げて彼女の笑顔を壊すような勇気も月見にはない。せめてもの罪滅ぼしに、彼女の末長い幸せを心から願う他ないのだ。

 

「でも、料理人は私じゃなくてこっちのミスティアだよ」

「いえ、ミスティアもお狐様のお陰だと言っていたので!」

 

 針でちくちく突かれるような月見の胃痛をよそに、ミスティアが酒を傾けながら朗らかに笑う。

 

「ルーミアったら、最近すっかりグルメに目覚めちゃったんですよ。ちょっと前まで、魚も頭からむしゃむしゃ食ってたようなやつだったんですけどねー」

「お狐様と出会って、見える世界が変わったのよっ」

 

 胃が。

 ろくー!! と操の声がして、一度みんなで手元のカードを確認する。橙が尋ねる、

 

「月見様は、どの景品を狙ってるんですか?」

「私は酒虫かなあ。一匹飼っておくとなにかと役立つだろうし」

 

 平素から来客の多い水月苑である。水に浸しておくだけで旨い酒ができるなら、少女たちがノリと勢いで始める突発的な宴会を心配する必要もなくなる。

 あー、とミスティアがいくらか気落ちした声をあげ、

 

「やっぱり、酒虫は狙ってる人多いですよねー……旦那様ぁ、もし旦那様が酒虫ゲットしたら、私にお酒を仕入れさせてくれませんか? 屋台で出したらウケると思うんですよねー」

「もし本当に当たったら、いいけども」

 

 月見は苦笑し、未だ真ん中以外のマスが開いていない綺麗なビンゴカードを差し出した。

 

「こんな調子だから、あんまり期待しないでくれ」

「あー。私もまだですよ。結構当たらないもんですねー」

 

 さんじゅうはちー!! とまた操の声。ミスティアと揃って自分のカードを確認し、やがてどちらからともなく小さく肩を落とした。

 操が数字を告げるたび、広間にがやがやと浮ついたざわめきが広がる。嬉々としてカードのマス目を開ける者、カードを睨みつけてぐぬぬと悔しがる者、ちょっとぜんぜん当たらないんだけどー真面目にやってよーと操にぶーぶー文句を言う者。「おっあとふたつでリーチ! こりゃー咲夜さんのお菓子券は俺様のモンかなーっ!」と調子に乗った鴉天狗が、周囲の男衆から容赦なく袋叩きにされている。また関係ない数字を開けようとしたチルノが、大妖精にほっぺたを引っ張られて怒られている。

 橙とルーミアはといえば、どうやら順調にマスが開いているようだ。

 

「お前たちはなににするんだ?」

「ルーミアと一緒に白雫を狙ってます!」

「もしゲットできたら、お狐様にもお供えしますね!」

「……うん。ありがとう」

 

 だから胃が。

 ルーミアは言わずもがな、橙も橙で藍からなにを吹き込まれているのか、月見のことをとんでもなく偉い妖怪だと勘違いしているフシがある。来年もこの二人は、持ち前の純粋さで月見の胃を適度に刺激してくれそうだった。

 

「それじゃあ、今年一年世話になったね。来年もよろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします!」

「しまーす!」

「来年も、ウチの屋台をどうぞよしなにー」

「チルノとふみうも、よろしくね」

「しょーがないわね、よろしくしてあげないこともないわ!」

「ふ、ふみうって呼ばないでくださいってばあっ」

 

 今度は四番だった。

 ようやく月見のカードに、真ん中以外の穴が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……あ、お師匠! お世話になってますっ!」

 

 だから世話してないってば。

 というわけで、遂にこの席へやってきた。目下月見の頭を悩ませる最大の問題児である多々良小傘と、草の根妖怪ネットワークの三人組が一緒に座っている場所だった。小傘のお転婆な敬礼がきらりと光る。

 ほんのり酔いの回ったわかさぎ姫が、いつも以上にぽよぽよの笑顔で歓迎してくれる。

 

「あー、旦那様~。いらっしゃいませえ」

「やあ。楽しんでるかい」

「それはもう~」

 

 口振りも普段より一層穏やかで、半分寝てるんじゃないかと思うほど間延びしている。わかさぎ姫は酒に酔うと、ただでさえ気の長い性格がますます輪を掛けておっとりになるのだ。

 小傘がお膳を引っくり返しそうな勢いで膝立ちになり、

 

「お料理も大変美味しゅうございました! 不肖小傘、感服しております!」

「それはよかった」

 

 今日も今日とて我が道突き進む彼女はその顔をほどよい桃色にして、あいかわらずの情熱とエネルギーを全身にみなぎらせている。そこそこ酔っているのかもしれないが、元々の性格が性格だけにあまり違いはわからなかった。

 隣には赤蛮奇が座っており、こちらも普段と変わらぬジト目気味の無表情を貫いている。

 

「ええ、本当に。旦那様、今日はお招きいただき本当にありがとうございます。こんなに素敵な年越しははじめてです」

「でも影ちゃんは、もっとお肉食べたかったのよね~。いやしんぼー」

「そ、そんなことないってば!」

 

 影狼は四人の中で一番顔が赤くなっていて、耳や尻尾が魂を得たように主の感情を表現している。どうやら食べ足りなかったのは本当のようだが、冥界の掃除屋こと幽々子が徘徊を終えた今となっては一品残らず品切れだ。

 操の声。六十四。

 

「すっかり仲良くなったみたいだね」

「はぁい。小傘さんったらすごく面白くて、ぜんぜん退屈しないんですよぉー」

 

 小傘と草の根三人組は、宴会の当初から知り合いだったわけではない。一昨々日(さきおととい)に小傘をわかさぎ姫に軽く紹介したきりで、赤蛮奇や影狼とは今日が完全に初対面のはずだった。

 しかしそこは、誰とでもすぐ打ち解けてしまうわかさぎ姫の力と言おうか。どこに座ればよいのか迷う小傘を気さくに誘い、こうして一飯を共にしたならばもう立派なお友達なのだ。そのお陰か小傘も、弟子にしろなんだのと月見に迫ってくることなく行儀よく宴会を楽しんでいる。ひょっとするとわかさぎ姫は、目を見張るべき素晴らしい才能を持った妖怪なのかもしれなかった。

 ――そう、月見は完全に油断しきっていたのだ。

 月見の頭を悩ます問題児である小傘と、草の根妖怪ネットワークの問題児である赤蛮奇。この二人が酒の席で邂逅して、なんの化学反応も起こさないはずがなかったのに。

 

「ところで旦那様、小傘から話は聞きました。なにやら彼女、旦那様のお弟子さんを志願しているようで」

「……ああ、まあ、そんな話もあったかな」

 

 ――ちょっと待ってほしい。赤蛮奇の口からその話題を振られると、途轍もなく、どうしようもなく嫌な予感が、

 

「……はい。私の実力が至らぬばかりに、今年はお師匠を頷かせることができませんでした。ですが来年こそ、来年こそは必ずや……!」

「そこで私は考えたのです。彼女が旦那様のお弟子さんにふさわしい妖怪となるため、まずはこの私が、人をおどかすちょっとしたコツを伝授してみようかと」

 

 よんじゅうよんー!! という操の声が、なんだかとても遠くに聞こえた。

 

「えっ……よ、よろしいのですか!?」

「ええ。これでも私、人をおどかすことにかけてはちょっと自信があるの」

 

 月見は自分のカードから四十四を探して現実逃避している。

 

「な、なんと……! それは一体どのような奥義なので……!?」

「そうね……じゃあ、ちょっと私の頭を小突いてみてくれないかしら」

 

 どうやら最初のリーチが出たらしい。手を挙げて立ち上がったのは霊夢だ。輝夜と萃香が早速カードの交換を提案するも、即刻却下されてぶーたれている。レミリアだけがなぜか未だひとつもマスを開けられていないらしく、「こんなの絶対おかしいでしょお!?」と涙目で喚いている。

 

「で、では失礼して……えいっ」

 

 小傘が軽く拳を握り、こつんと赤蛮奇のこめかみあたりを小突いた。

 赤蛮奇の首が畳に落ち、胴体も倒れて恒例の殺人現場ができあがった。

 小傘、顔面蒼白で石化。

 

「――……」

 

 二十三。月見のカードにようやく三つ目の穴が開き、

 

「……ひっく」

 

 オッドアイの瞳にたっぷり涙を溜めた小傘が、ぶるぶる震えながら月見の裾に縋りついてきた。

 

「お、おじじょうっ……わ、わだじは、なんど取り返じのづかないごとをぉぉぉっ……!」

「あー、大丈夫だから。ほら赤蛮奇、悪ふざけはそのくらいにしなさい」

「ふふふ。どう、驚いたでしょう?」

 

 赤蛮奇の胴体が何事もなく起き上がる。転がっていた首を両手で抱えて膝の上に置くと、その表情は薄くしてやったりの笑みを含んでいる。小傘が呆気にとられながらぐずっと鼻をすする。

 

「自己紹介したでしょう、私は抜け首。首を外すのは基本スキルよ」

 

 およそ三秒の間があって、小傘はようやく自分がまんまとおどかされたのだと気づいた。

 

「……も、もおおおっ! びっくりしました! ほ、ほんとに、私もうダメかとっ」

 

 しかし、ヘコたれてもあっという間に立ち直るのが多々良小傘の強さであり恐ろしさでもある。ふくれ面と涙目を一瞬で吹っ飛ばし、

 

「ですが、それなら確かに人間をびっくりさせられそうです!」

「ええ。この奥義、伝授しましょう」

「はい! よろしくお願いしますっ!」

「まずはこんな風に首を外せるようになるのよ」

「わかりましたっ! うぐぐぐぐぐっ……外せません!」

 

 もうそっとしておこう、と月見は満場一致で匙を投げた。

 

「ひめ、影狼。とりあえず、来年もよろしくね」

「はぁい。来年は影ちゃんもー、もっとこっちに遊びに来て旦那様と仲良くしなきゃダメよー?」

「い、いや、私、こういうのはちゃんと節度のある関係が大事だと思うわけでしてっ」

 

 尻尾ぱたぱたと挙動不審になって、一体ナニを考えているのだろうこのわんこは。

 三十。操が告げる数字もそっちのけで、問題児二人は白熱したおどかしトークに没頭している。この邂逅が生み出すものは一体なんだろう。人間を真っ当な手段でおどかす純然たる妖怪か、それとも明後日の空を全力疾走で駆け抜けていく更なる問題児か。

 小傘と赤蛮奇の新年がどこへ向かっているのか、知っている者はまだ一人もいない。

 

 

 

 

 

 

 

「――さあさあ、そろそろリーチもいっぱい出始めるんじゃないかー? ろくじゅうきゅー!」

「よっしゃ来たあああああ!! リーチ、ルゥィィィィィチ!! ふははははどうだ見やがれやはり咲夜さんのお菓子券は俺様のも」

「殺せ」

「「「ラジャー」」」

「危ねえ!? ……させるものか、させるものかよぉ!! 俺はあの景品で、咲夜さんから二月十四日にチョコレートを手作りしてもらうんだ!! させるものかよおおおおおッ!!」

「「「殺せエエエェェ!!」」」

 

 山の男(バカやろう)共の乱闘が始まる。少女たちがみんなで冷ややかな視線を注ぐ中、月見が次にやってきたのは魔理沙とアリスの席だった。魔理沙は「ちくしょーぜんぜん開かないぜー」と自分のビンゴカードに文句を言っていて、アリスは死んだ魚の笑みを浮かべながら、掌に乗せた上海人形へ幽霊みたいにぶつぶつぶつぶつ話しかけていた。

 

「やあ」

「ん、おう月見か。楽しませてもらってるぜー」

「帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい帰りた――あ、こ、こんばんは」

 

 正気に返ったアリスが慌てて両手を膝に戻す。掌の上海人形が真上に射出され、「シャバッ」とくるくる宙を舞う。

 なぜアリスがこんな大人数の宴会に参加しているかと問えば、もちろん魔理沙によって無理やり連れ出されたからだった。本当に、魔理沙と同じ魔法の森に居を構えてしまったのが運の尽きとしか言い様がない。こうやってあちこち連れ回せばそのぶん人見知りも早く克服できると、魔理沙当人は至って本気で思っているのだから尚更だ。

 

「大丈夫かい? この宴会は誰でも参加自由、帰るタイミングも自由だ。気にすることはないよ」

「え、ええ……景品でほしいのがあるから、これが終わったら帰るつもり……」

 

 空中で体勢を立て直した上海人形が、アリスのビンゴカードを月見の目の前まで持ってくる。中央含め三つまで穴の空いた列が二列あり、あと一歩でリーチといったところだった。

 

「酒虫かい?」

 

 上海人形が首を振り、

 

「白雫。前々から噂は聞いて気になってたんだけど、ほら……私、お店で予約してまで買う勇気とかないし……」

 

 なるほど、確かに。アリスがお菓子ほしさに里のど真ん中まで出掛けていって、お店の人に物怖じせず注文する姿は想像できない。

 魔理沙が自分の猪口に酒を注ぎながら、

 

「でも、お前の人見知りもだいぶマシになったよな。ちょっと前だったら、こんなトコ来たら目ェ回してぶっ倒れてたんじゃないか?」

「ま、まあ……自分でも、少しは慣れてきたと思ってるけど……。っていうか、あんたが無理やり連れてきたんでしょっ」

「うははは。来年もあちこち連れ回してやるから、楽しみにしてろよー」

「や、やめてよぉ!?」

 

 魔理沙は、酒が入っているにしても今日は随分機嫌がよさそうだった。それが宴会を楽しんでいるというよりも、宴会を終えたあとに待っている『なにか』が、心から楽しみで仕方ない風に見えたので。

 

「魔理沙は、なにかいいことでもあったのかい」

「ん? ……ま、まあな。へへ、日頃の行いがいいからかもなっ」

 

 アリスの瞳が目聡い光を放った。

 

「魔理沙ったら、お正月に霖之助さんと二人きりで宴会するらしくって。ここに来るまではもうこっちが恥ずかしくなるくらいデレデレ」

「ひょああああああああああっ!?」

 

 恐らく、叫んだ魔理沙本人も想定外な大声だったはずである。

 いつの間にか、男衆の乱闘がすっかり静かになっている。ゲーム進行の妨げになるおバカたちを、藤千代がうりゃっと拳骨で粉砕したのだ。お陰で魔理沙の絶叫は痛恨と言う他ないほど座敷中に響き渡り、結果あたり一面水を打ったように静まり返り、ほぼ全員分の視線が魔理沙たった一人に注がれるという絶体絶命の状況ができあがった。

 魔理沙の顔面にボッと火が点く。私知ーらない、とアリスが上海人形と一緒にあっちを向く。

 

「あ、あはは。も、もう、変なこと言うなよアリス。びっくりしたじゃないか、あは、アハハハ」

 

 霊夢がひどく眉根を寄せている。

 

「いきなりなによあんた」

「な、なんでもない! なんでもないってば! だ、だからほらビンゴ再開しようぜ! な? な!?」

 

 魔理沙が必死に両手を振って訴えるも、残念ながら痛恨の悪手だったと言わざるを得ない。

 なぜならこの場には、スキを見せればすぐさま満面の笑顔で切り込んでくるような少女が何人も、

 

「魔・理・沙・さーん♪ 清く正しい射命丸です! ちょっと詳しくお話」

「あーあー来るな寄るなあっち行けばーか!! ばーかばーか!!」

「やや、これはあからさまに怪しいですねえ!」

 

 自分が散々いじられたいいウサ晴らしになると感じ取ったのだろう、文が籠から解放された渡り鳥のごとくいきいきと魔理沙に肩を組んだ。顔面をべしべし叩かれてもまるで怯まず、

 

「アリスさん、一体なんの話です?」

「……えっと、魔理沙が正月に霖」

「言うなばかああああああああああッ!!」

「私にだけでいいのでこっそり教えてくださいよぉ。大丈夫です、プライベートに関わることは記事にしませんから。ただ、私のゴシップセンサーがビンビンに反応してましてですね」

「ぜぜぜっ絶対に言わないからな!? お前だけは絶対に信用ならんッ!!」

「あやや、ひどいですねえ。――で、森近さんがどうかしたんですか?」

「ぶふぉあ!?」

「さあさあひと思いにゲロっちゃいましょー!」

 

 文はとても楽しそうである。それ自体は大変結構なのだが、いよいよもって追い詰められた魔理沙が涙目で震え始めていて、

 

「う、ううう、うううううっ……!!」

「おや、どうしたんですか八卦炉なんて出して。あっはっはこんなところでマスタースパークなんて撃ったらお屋敷が壊れちゃいますよだから落ち着きましょうねえちょっと!? ごめんなさいごめんなさい言い過ぎました、だからスト――――――ップ!?」

 

 つい今し方男衆が沈められたばかりだというのに、そんなに大声で騒ぎ散らしたら、

 

「――魔理沙さーん? 文さーん?」

「「ひっ」」

 

 鬼。

 

「てりゃあっ」

 

 

 

 

 

 

 

「――はーい、みなさんお待たせしましたー! 操ちゃん!」

「あたぼーよ! なのじゃ!」

 

 藤千代の司会でビンゴ大会が再開される。あれだれ大騒ぎだった座敷が今は適度な賑わいで落ち着いており、ゲームの進行を妨げ藤千代におしおきされた者たちが、みんな隅っこに集められて仲良く畳と抱擁を交わしている。魔理沙と文も、頭にたんこぶを作って転がっている。文は完全に自業自得だからいいとして、魔理沙は若干不憫な旅立ちだった。

 しかし考えようによっては、気絶したお陰で反ってこれ以上の追及から逃れられたともいえる。せめて正月は、彼女が霖之助とよい思い出を作れればと祈る月見だった。

 

「まったく、あんたはほんと行く先々で騒ぎを起こすねえ」

「私がやってるんじゃないぞ」

 

 さて所は変わり、月見は隣から神奈子の酌を受けている。ということはつまり尻尾が諏訪子の抱き枕にされているのであり、向かいでは早苗がオレンジジュースを、志弦がリンゴジュースをコップでちびちびと傾けている。

 守矢神社の席である。

 

「でも、わたしゃあ月見さんの人柄もあると思うなあ」

 

 十八。志弦が自分のビンゴカードに穴を開けながら、

 

「月見さんが来ると、空気がはなやぐっていうかさ。周りを開放的にするもんがあるんじゃないかと思うわけ」

「みんながはじめから元気だからじゃないかい」

「その元気も、やっぱこう、開放する相手ってもんがあってこそでしょ? そう考えるとちょうど、なんでも受け止めちゃうお狐さんがここに一人いるんだよねえ」

 

 受け止めているというか、向こうから問答無用で突撃してくるため受け止めざるを得ないというか。

 早苗が二度頷き、

 

「わかるわかる。月見さんがいると、なんかついつい素の自分が出ちゃうというか」

「お陰でここに遊びに来れば、いつでもかわいい子がいっぱいってなわけさ。いやー眼福眼福」

「そんなおじさんみたいな……」

「あー。まあ一応、おじさんも経験済みってことで」

 

 志弦はあの日以降も、夢の中で『神古』の歩いてきた道を辿る旅を続けている。

 ただ、能力が目覚めた当初と比べると、どういうわけかあまり上手く行かなくなってしまった気がするという。途中でふっと目が覚めてしまったり、違うご先祖様の夢だったりが今のところ続いていて、あのときのように思い通りの旅はなかなかできていないと。きっとあのときが特別だったんだろうね、と志弦は笑って言う。秀友にせよしづくにせよ、代々どんな夢を見るかまでは制御できない能力だったから。

 

「ご先祖様の人生を、夢で経験する能力かあ……」

 

 早苗が指先ひとつまみ分の苦みで肩を落とし、

 

「志弦、術の扱いとか私よりすっかり上手くなっちゃって……先輩巫女として複雑です……」

「いやー、私のはほら、神道由来の術じゃないから。巫女としては早苗のがぜんぜん上だし、奇跡なんて起こせないし」

「修行頑張りまーす……」

 

 一方で、神奈子は歯が覗く不敵な笑みを光らせる。

 

「こないだちょっと見せてもらったけど、ありゃあそのへんの天狗よりよっぽど達者に風を使うね。雨風の神として嬉しい限りだよ」

「……」

 

 秀友があの御老体から継いだという風を、志弦は一体どこまで呼び覚ましているのだろう。今でも感覚を澄ませれば、志弦の周りでごく微小な風がゆるりと巡っているのを感じる。意識しているわけではなく、彼女という陰陽師(・・・)の在り方が自然と風を生んでいるのだ。

 あの御老体と同格の術師なんて、歴史を(ひもと)いたところでそう何人と名が挙がるものではない。

 まさかあの秀友が、御老体からすべての奥義を授かったとも、授けることを許されたとも考えづらいけれど。

 

「……志弦は、幻想郷に来てよかったかい」

「……うん」

 

 問えば、すぐに笑顔が返ってきた。

 

「文句なんて、ひとつもないよ」

 

 そうして彼女は顔のパーツをすべて線にして、どこか垢抜けなくも人懐こい、野山を駆け巡る子どもがそのまま大人になったような純朴さで言うのだ。

 月見の記憶に決して色褪せず刻まれた、あの男のように。

 

「――ま、これからも末永くよろしく頼むわ。ギン(・・)よ」

「……からかうんじゃないよ」

「うへへ」

 

 ご先祖様の記憶を、継いだからなのだろうか。今の志弦がこうして時折は、あの男の手酷い生き写しに見えてしまってハッとさせられる。たとえ姿と年齢が変わらずとも、彼女はもうなにも知らなかった頃の人間の少女ではないのだ。なんとか表情を変えずそう返したけれど、志弦には完全に見透かされてしまっていた。

 操の威勢のよい大声に救われた。

 

「よっしゃー、つぎいくぞぉーっ!」

 

 ふと見回せば、いつの間にかビンゴにあと一歩と迫った少女がちらほらと増えていた。一番乗りの霊夢をはじめ、パチュリー、はたて、ぬえ、大妖精、ルーミアが立ち上がっている。月見のカードはリーチになる気配すらないけれど、もうそろそろビンゴが出るかもしれないなと思ったまさにその直後、

 

「ごじゅうにーっ!!」

「――あ、ビンゴ」

 

 その一言で、座敷がなにか想定外の事件でも起こったようにどよめき立つ。リーチで立ち上がっている者がまだそう多くない以上、声の出処はすぐに知れた。さして嬉しそうな素振りも見せず淡々と手を挙げたのは、

 

「悪いわねみんな、どうやら私がイチ抜けみたい」

「霊夢カード交換しよ――――――ッ!!」

「却下ァ!!」

「ぶ――――――――ッ!!」

 

 座敷を揺るがす萃香の地団駄もどこ吹く風、博麗霊夢が席と席の合間を縫って悠々と前に歩み出た。藤千代にカードを渡し、

 

「はい。こういうことでいいんでしょ」

「……はい、確かに! 霊夢さんが一番乗りですねー、おめでとうございます!」

「好きな景品を選んでよいぞー」

 

 霊夢を祝福する拍手はまばらで、それ以上に狙っている景品を取られてしまうかもしれないと固唾を呑んでいる少女が大半だった。萃香が節操なく体を揺らして悔しがっている。

 

「うー、霊夢いいなあー……」

「でもまあ、あいつならお食事券とか白雫だろうし大丈夫じゃない? まだまだこれからだよ」

「……そっか! それもそうだね!」

 

 勇儀の言う通り、食べ物第一主義な霊夢なら少なくとも月見のお昼寝券は選ばないだろう。最も確率の高いのがお食事券、次点が白雫、次いで咲夜のお菓子券か酒虫といったところか。月見と同じ推測に至ってほっと安堵する少女、もしくは両手を合わせて神に祈り出す少女、たかがゲームになにをそこまでと肩を竦める少女、座敷が三つの反応に分かれる中で霊夢は口を切る、

 

「んじゃ、私は当然――」

 

 と、そこまで言いかけたところでふとその先を噤む。急に大真面目な顔をして何事か考え込み、探るような口調で藤千代へ尋ねる。

 

「……ちなみに、訊くんだけど。景品って、どう使うかは取った人の自由よね?」

「? ええ……でも、悪いことしちゃダメですよー?」

「そんなことはしないわ。ただ、」

 

 また口を噤む。霊夢はひと呼吸、喉まで出かかっていた言葉を緩いため息に変えて吐き出して、

 

「――じゃ、ここは月見さんのお昼寝券にするわ」

「「「うええぇ――――――――――ッ!?」」」

 

 とんでもない大騒ぎになった。お昼寝券を狙っていた萃香や輝夜、フランといった面々が一斉に雪崩と化して霊夢に押し寄せ、

 

「ちょっとなんで!? なんで霊夢がお昼寝券なの!? なんでぇ!?」

「そうよ、それ食べ物じゃないのよ!? 正気なの!?」

「れーむズル――――――い!!」

 

 月見も、まさか霊夢がお昼寝券を選ぶとは予想外で驚いている。もちろん霊夢だからといってなにか問題があるわけではないけれど、特別もふもふ好きという話を聞いた覚えもなし、白雫や酒虫などの魅力的すぎる景品を捨てるほどだとは考えづらかった。

 

「へー、霊夢が月見さんのお昼寝券……? 意外だねえ」

 

 志弦も寝耳に水な様子だ。隣の早苗の姿がいつの間にか消えており、どうやら前線で霊夢を詰問する雪崩に加わっているらしい。四方八方から詰め寄られすぎて、月見の位置からは霊夢の姿がほとんど見えない。

 

「あーもーうるさいってば!?」

 

 霊夢がお祓い棒を振り回して烏合の衆を蹴散らし、

 

「別に嫌がらせしてるわけじゃないわよ! これはこれで私なりの使い道があるってだけ!」

「なにに使うってのさ!? ……まさかっ!?」

「はいはいなにに使おうが私の勝手でしょ! ほら散った散った、御札貼っつけるわよ!?」

 

 これがビンゴゲームである以上、霊夢より早くビンゴになれなかった己が不明を悔いる他ない。

 蹴散らされた烏合の衆が未練タラタラで解散し、藤千代の苦笑交じりの司会でゲームが再開される。太陽はとうに今年最後の役目を終え、外はただ一色の夜の帳で満たされている。すでにトリを迎えたような大騒ぎだったが、あと四人のビンゴが出るまでゲームはまだまだ終わらない。

 なお席に戻った霊夢であるが、月見に聞こえぬよう勇儀とこんなひそひそ話をしていたそうな。

 

「……で、実際なにに使うわけ? ああ言うってことは、まさか自分で使うわけじゃないんでしょ?」

「まあね。……この宴会にめちゃくちゃ参加したがってた可哀想なやつが一人いるから、お土産も必要かなって思っただけ」

「……なーるほど、なるほどねー。あっはっは、そりゃあいいや。いや、あんたもなかなかやるねえ――」

 

 ――その後のゲームについて言えば。

 二番目でビンゴになったぬえが白雫、三番目のルーミアが酒虫、四番目の大妖精が咲夜のお菓子券、五番目の水蜜がお食事券という結果だった。

 ぬえは早速幽々子に笑顔で肩を叩かれ、水蜜は命蓮寺のみんなを食事に誘い、大妖精についてはフランの提案もあってか、紅魔館で咲夜特製のお菓子パーティーを開くということで落ち着いて。

 そしてルーミアについては、せっかく貴重な酒虫を「わたし飼い方とかよくわからないので、お狐様にお譲りしますっ」とつぶらな瞳で差し出してきて、これから水月苑で毎日宴会ができるなどと、一部の少女たちを大層沸き上がらせての終幕となるのである。

 無論山の男衆は、畳に拳を落としながら血の涙を流していた。

 

 

 

 

 ○

 

 

 夜はどれほど更けただろう。ビンゴ大会が終わったあとも幻想郷の住人たちはどんちゃん騒ぎを続け、星空の下で弾幕ごっこに興じる者、温泉を堪能する者、笛を吹く者と三味線を弾く者、その音色に合わせて朗々歌う者と優雅に舞う者、呑みすぎて眠ってしまう者、酔った勢いで服を脱ぎだし藤千代に捻り潰される者と、呆れるほどの喧騒はいつまで経っても途切れることを知らなかった。輝夜はあいかわらず妹紅にいじられてあんぎゃあ!と憤慨しているし、レミリアとフランはまたケンカして天井近くをぐるぐる飛翔、べろんべろんに酔っ払った美鈴はミスティアと変な歌を歌い、萃香と勇儀は未だ衰え知らずの呑み比べ、ぬえは白雫を幽々子に狙われあちこち逃げ惑い、雲山は妖精たちに頭をよじ登られて遊具化、おバカな相方についていけずやさぐれた大妖精を白蓮が必死に慰めて、星はなぜかナズーリンに説教されて涙目、わかさぎ姫はたんこぶ作って気絶、赤蛮奇の生首は影狼のおもちゃ等々――幻想郷ではどれもありふれた光景なので、騒ぎを止めようとする者は誰一人としていない。

 とはいえ一方で、夜が更けるにつれだんだんとお開きの空気が漂い始めてもいた。その最たる理由が、ちらほらと御暇する者たちが出てきたことだった。たとえばビンゴ大会終了直後、精魂疲れ果てたアリスが魔理沙のほうきで運ばれていった他、霊夢は初日の出とともに行う大切な神事のため一時間ほど前に帰宅、守矢神社の面々も似たような理由ですでに姿はない。それ以外にも年明けから用事のある者たちが、頃合いを見計らってぽつぽつと宴を後にしている。

 

「いやー、今年もいよいよおしまいじゃねー」

 

 挨拶回りを終えた月見も、今は自分の席に戻ってのんびり酒を傾けている。正面の操が、勇儀にも負けない大盃をあっという間に呑み干している。さすがは鬼とタメを張るうわばみの一族だけあって、この少女が酔い潰れてダウンする姿を、月見は未だかつて一度も目にした覚えがない。

 

「そうですねー。なんだかあっという間でした」

 

 隣の藤千代に至っては、どれだけ呑んでも頬に染みひとつの赤すら差す気配がない。品よく着込んだ着物姿もあって、どこかのお茶会に参加した雅なお嬢様らしく見えないこともない。

 

「もうすぐ年も替わるでしょうし、そうしたらぼちぼちお開きですねー」

「そういえば今って何時じゃー? 新年はやっぱみんなで盛大に迎えなきゃねっ」

「ああ、すまん、時計が要るね……」

 

 日頃からあまり使われないこの部屋に、わざわざ時計なんて置いていないのだった。下から持ってこようと月見が腰を上げかけると、折りよく咲夜が一階から戻ってきた。

 

「咲夜!」

「あ、はい。どうかされましたか?」

 

 呼ぶと、咲夜は小走りで素早く反応してくれる。今日は昼間のうちから百人分以上の料理の支度、そして今は百人分以上の後片付けとまさに一日中働き詰めのはずなのだが、彼女は瀟洒な微笑みを欠片も崩さずケロリとしている。

 呼んだ理由は他でもない。咲夜はいつも、アンティークな銀の懐中時計を携帯している。

 

「そろそろ年明けだと思うんだけど、いま何時かな」

「あ、そうですね。ええと……」

 

 咲夜はポケットから懐中時計を取り出し、蓋を開けて、

 

「……あ」

「ん?」

「…………あの、ですね。その」

 

 咲夜の瀟洒が、若干気まずく引きつった。

 そういうことだった。藤千代と操も即座にその意味を理解し、名状しがたい真顔で口を一文字に結び閉ざす。なにか空気が変わったのを感じたのか、周りの少女たちも一人また一人と騒ぐのをやめ、やがて座敷中の視線が怪訝のもと咲夜へ注がれるようになる。

 言ってくれ、と月見は目で促した。たとえそれが、新年早々(・・・・)少女たちに痛恨という感情を突きつけてしまうとしても。咲夜は頷き、歯切れ悪くもみんなへ届くよう声量を上げて、

 

「……零時十三分……もう、新年になってます……」

「「「……………………」」」

 

 沈黙した。

 どうしようもないほど沈黙した。身じろぎひとつできないような無音が座敷中を支配した。みんなでわいわい騒いでいるうちに人知れず最高の瞬間を逃していたという、酔いも一発で消し飛ぶ大変間抜けな有様であった。

 操が葬式みたいにしょんぼりしている。いま彼女の脳みそは、時間を十四分ばかり巻き戻す方法を一生懸命創造しようとしているに違いない。だが、過ぎ去った時は二度と戻ってこないのが世の定めである。時を操る能力を持つ咲夜ですら、時間の流れを止め、緩急を自在に制御できても、巻き戻すことだけは決して許されていないのだから。

 誰しもが操の決断を待っている。せっかくめでたい新年を迎えたのだ、この沈痛な空気だけはなんとしても打破せねばならぬ。操はぷるぷる震えながら必死に考えて、考えに考え抜いて、いきなり立ち上がるとヤケクソな万歳とともに叫ぶのだった。

 

「はっぴーにゅういやああああああああああっ!!」

「「「い、いえ――――――――っ!!」」」

 

 ぐだっぐだであった。

 そんなこんなで有終の美を無理やり飾り、水月苑にめでたい新年がやってきたのだった。

 十三分遅れで。

 

「じ、じじじっ時間の流れなんて所詮相対的なもんじゃしー!! いまこの瞬間が儂らの零時零分零秒じゃしーっ!! あははははははっぴーにゅーいやあああああっ!! いえーいいえーい! オラそこの野郎ども声出せ声ぇ!!」

「お、おぉー……」

「ゴリ押しじゃねーか」

「やっぱ天魔様は天魔様ですわ」

「むしろ安心した件」

「コンチクショ――――――ッ!!」

 

 とりもなおさず台無しである――が、これはこれで、否、これだからこそ幻想郷らしいのかもしれないなと月見は思った。肝心なところで抜けていて、締まらなくて、なんとも呆れるばかりで――故にかけがえなく愛おしい、これが今の幻想郷の姿なのだろうと。

 

「ギ――――――ン!!」

「つくみ――――――っ!!」

「うおっと」

 

 両脇から輝夜とフランが体当たりしてくる。ほどよく酔いが回りますますお転婆になった二人は、新年一発目から百点満点文句なしの笑顔で、

 

「「今年も、よろしくねっ!」」

「……ああ」

 

 これからの日常も、こうして花開いていけばと思う。無論、春夏秋冬よいことづくめとはいくはずもないけれど。去年という年がそうだったように、時には躓いて転んでしまったり、高い壁にぶつかってしまうときもあるけれど。

 それでもこうしてみんなの笑顔を前にすると、月見は掛け値なしに信じられるのだ。

 

「今年もよろしくね、みんな」

 

 つられてにじんでしまう、どうしようもない笑みとともに。

 

 

 ――新しい一年が、幻想郷にとって佳きものとなりますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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