銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

143 / 160
第141話 「進撃のお年玉戦線」

 

 

 

 

 

「――月見様。こちらは終わりました」

 

 まだ夜が明けて間もない幻想郷の曙――とある屋敷の広々とした茶の間にて、ふいに少女の透き通った声が通る。

 人間ではなかった。合計九本もの見事な黄金色の尻尾をたなびかせ、頭には獣耳の形に尖った帽子を被っている。狐である。今しがたまで作業していた『それ』をテーブルの上に置くと、向かいから別の声が答えた。

 

「ああ、ありがとう。こっちももうすぐだよ」

 

 そこには男の姿があり、彼もまた人間ではなかった。こちらの尻尾はくすみのない銀色一本のみで、頭はなにも被っておらず獣耳があらわになっている。やはり狐である。手元でぱっくりと口を開けた『それ』に、軽く丸めた紙らしきものを突っ込んでいっている。奥まで入ったのを確認して口を閉じ、少女と同じようにテーブルへ置く。

 テーブルの上では、多種多様な色と柄であしらわれた『それ』が所狭しと並べられている。正確な数はいまひとつ不明だが、どうやら十や二十という話ではないらしい。

 

「これだけあると、壮観ですね」

「まさか、『これ』をこんなにも用意しなきゃいけない日が来るとはね……よし、これで終わりだ」

 

 男が最後の『それ』へ同じように紙を詰め、すべての作業は完了した。

 

「手伝ってくれてありがとう」

「いえ、とんでもないです」

 

 すると男はこしらえ終えたばかりの『それ』をひとつ手に取り、少女に向けてまっすぐ差し出した。

 

「それじゃあまずは、お前に」

「へっ、」

 

 今までのやや低く落ち着いた印象とは違い、裏返りかけたようなあどけない少女の声だった。少女はまず三秒呆け、それからわたわたと両手を振って、

 

「い、いえいえそんなっ、私はそんな歳では」

「受け取ってくれ。お前にはいつも世話になってばかりだから、私もちょっとくらいなにかしないと据わりが悪いんだ」

「で、ですが」

「要らないと言っても、これが別の物に替わるだけだよ」

 

 男からやや強引な口調で言われ、押し切られた少女はまるで分不相応な栄誉を(たまわ)るように、『それ』をしずしずと両手で受け取った。小さく微笑み、

 

「……では、これは記念として末永く納めておきますね」

「いや、普通に使っていいんだぞ?」

「そんなそんな。勿体なくてとてもできません」

「私の知ってるお年玉と違うなあ……」

 

 ともあれ、そういうことであった。

 

「さて、何人来るかね」

「来るでしょう。みんな楽しみにしてましたから」

 

 テーブルの上にずらりと並べられているのは、外の世界の俗称でいう『ポチ袋』――つまり男と少女が詰め込んでいた紙とはお札であり、お金を入れている以上これはすなわちお年玉である。

 めでたい新年を迎えたのも束の間、子どもたちの期待いっぱい夢いっぱいな眼差しが次々と迫り来て、大人の財布を軽くしていってしまう恐怖のイベント。

 

 進撃のお年玉戦線が、この水月苑で幕を開けようとしていた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 まず言い出しっぺとしては、博麗霊夢の名を挙げておく。

 時は遡ること大晦日の大宴会、ビンゴ大会を終えて夜も一層深まった頃。酔いもそこそこ回ってきたらしい霊夢が、後ろから月見の背中に覆い被さってこう言ったのだ。

 

「月見さぁーん。月見さんはぁ、当然準備してくれてるわよねえー」

「? なんの話だい」

「そりゃーもちろん、あれですよぉー」

 

 うっすら赤みの差した顔を月見の肩の上に乗せ、霊夢はえへへぇーと年相応にだらしなく笑んでいる。

 

「ギーン、私も酔っ払っちゃったー♪ むぎゅ」

 

 ちゃっかり便乗してこようとする輝夜を月見は尻尾で押し返し、

 

「それだけじゃさすがにわからないなあ。ヒントをくれ」

「お正月に欠かせないもの!」

 

 ふむ、と顎をさすりながら思考を始める。お正月に関係があり、霊夢がこうしてせがんでくるほど楽しみにしているもの。まっさきに思い浮かんだのは、おせちやおもちなどの正月料理だった。正月に欠かすことのできない伝統料理の数々を、藍たちが張り切って支度してくれているのは霊夢も気づいていよう。なればこそ食い意地の張った彼女は、正月もめざとく相伴に(あずか)ろうと考えているのではないか。

 とりあえず候補に挙げておくと、霊夢が二つ目のヒントを口にしてくれる。

 

「月見さんみたいな大人がぁ、私たちにあげなきゃいけないものよー」

「……ああ、なるほどね」

 

 答えを確信すると同時に、あまりに霊夢らしくて苦笑した。

 

「お年玉か」

「せいかぁーい!」

 

 霊夢が元気に万歳をした。

 なるほど、お年玉。もはや説明不要なほど定番中の定番、子どもたちにとっては最果てのない夢と希望に満ちあふれた、初詣よりも正月料理よりも大切な正月イベントである。

 少し離れたところで、「あーっ!」とフランが大声で反応した。

 

「私知ってるよ! 大人の人たちからお金もらえるんだよねっ! 私も月見のオトシダマほしいー!」

 

 さてこれを皮切りにして、月見の全身にそこら中から期待の視線が刺さり始める。魔理沙や早苗などれっきとした未成年から、幽々子や操などやや疑わしい者まで、どうやら興味のある少女はなかなか多いと見受けられる。とりあえず輝夜、お前は私より年上なんだからそんなきらきらしてもダメだ。

 霊夢がまた月見の背に被さって、

 

「というわけで、よろしくねっ」

「……わかったよ」

 

 人数が人数だけにどれほどの出費になるか気掛かりではあるが、幸い貯え自体はまだまだ余裕がある。幻想郷に戻ってきてはじめての正月なことだし、ここはみんなの期待に応えるのも一興だろう。

 

「明日は宴会明けだし、そうだね……二日の朝からここにおいで。ある程度数を用意しておくから、なくなったらその時点で終了としようか」

「余ったら私にぜんぶくれる!?」

「そんなわけないだろう。一人ひとつだよ」

「ぶーぶー」

 

 ぶーたれてもダメなものはダメだ。それを認めたら最後、霊夢なら夜が明ける前から水月苑で仁王立ちし、やってきた相手を片っ端から撃退して「わーいこんなに余っちゃったわね!」なんて真似をやりかねない。

 はい、と赤蛮奇が静かに手を挙げ、

 

「旦那様、妖怪はどこまでが子どもでしょうか。私もぜひ頂戴したいです」

「自分が子どもだと思うのなら、いいんじゃないかい」

「なるほど、では私はぴちぴちの子どもなので大丈夫ですね」

 

 ノーコメント。

 レミリアや幽香や影狼など、オトナを志す一部の少女たちが怯んだが、どうするかはすべてみんなに委ねようと思う。自分を子どもと思っていようがいまいが、水月苑までやってくれば平等にあげるし、来なければ無理に押しつけはしない。ただし輝夜、お前は以下略。

 霊夢はもはや、うきうきしすぎて小躍りしそうなくらいだった。

 

「じゃあ、二日の朝になったらすぐ来るから! いの一番に来るから! 楽しみにしてるわねっ」

「はいはい」

 

 そんなわけで、お年玉戦線の火蓋が切って落とされたのである。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「月見さ――――――――ん!!」

 

 そういうわけであるので、この日最初に突撃してきたのはやはり霊夢だった。

 

「いらっしゃい」

「いらっしゃったわ!」

 

 月見が玄関まで出迎えに行くと、霊夢は顔中が初日の出みたいに光り輝いていた。こうもはちきれんばかりの希望に満ちあふれた彼女を見るのは、神社の賽銭箱にお札を入れたあのとき以来だろうか。霊夢の背後で、ぶんぶんぶんぶんと猛烈に振り回される獣の尻尾が見えた気がした。

 

「ちゃんと準備しておいたよ」

「月見さん好き!」

 

 霊夢が好きなのはお金をくれる人、もしくはご飯を食べさせてくれる人であり、それ以外はみな有象無象の生命体である。

 ポチ袋を受け取った霊夢は、もうこれ以上は我慢しきれず爆発しそうになりながら、

 

「あ、開けてみていいっ?」

「どうぞ」

 

 袋の口を開けて中身を確認し、一度数えて真顔になり、二度数えて口元がにやつき、三度数えればもう満開御礼の大輪を咲かせて、

 

「月見さん大好きっ!!」

「お気に召してもらえてなにより」

「困ったことがあったらなんでも言って! 一回くらいなら力になってあげるからっ!」

 

 あいかわらず現金だなあと月見は思う。そのうちお金に目がくらんで、「こうすれば参拝客がいっぱいでうっはうはですよ」みたいな詐欺に引っ掛かって大損するのではなかろうか。

 次のお年玉を求めてすっ飛んでいった霊夢の背を見送りながら、博麗神社の行く末がやや心配になる月見であった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「月見ぃ――――ッ!!」

 

 それから三十分ほど後、今度は魔理沙が玄関をブチ抜く勢いでやってきた。

 

「いらっしゃい」

「いらっしゃったぜ!」

 

 エネルギッシュに腕を組んだ仁王立ちで、どこかのお金大好き巫女と同じことを言う。後ろには、今日も今日とて無理やり連れてこられたとみえるアリスの姿もある。

 

「アリスもいらっしゃい」

「え、ええ……」

 

 まだ宴会の疲れが抜けきっていないのか、アリスはあまり元気がなかった。呑兵衛たちの大騒ぎに巻き込まれたせいで精魂枯れ果て、きっと二週間くらいは家でひっそりするつもりだっただろうに。挨拶もままならない主人の代わりに、肩の上海人形が仁王立ちで魔理沙の真似をしていた。

 

「さっき香霖堂の近くで霊夢に会ってな。お年玉がもらえるって聞いてやってきたぜ!」

 

 あの紅白お年玉ハンターは、どうやら香霖堂にも目をつけたらしい。「ほらほら月見さんはこれだけくれたのよ、当然霖之助さんだってくれるでしょ?」と詰め寄られる店主の姿が脳裏に浮かんで、月見は若干申し訳ない気分になった。

 さておき。

 

「お年玉だね。はい、用意してあるよ」

「おう、ありがたくいただくぜ!」

 

 魔理沙にポチ袋を渡すと、彼女は当たり前のようにいきなり中を覗き、

 

「おっ。ほほー、なかなか太っ腹じゃないか。さすが月見だ」

「あのねえ魔理沙……せめて開けていいか断りなさいよ」

 

 アリスがため息をついて呆れるがまるで歯牙にも掛けない。ここだけ切り取ると無遠慮で礼儀知らずな少女に見えるけれど、ポチ袋をしまった魔理沙は人懐こく笑って、

 

「へへー、ありがとなっ。有効活用させてもらうぜ」

 

 ――まあ、決して悪い子というわけではないのだ。

 この笑顔に霖之助も毎年やられてるんだろうなと思いながら、月見はアリスにもポチ袋を差し出した。

 

「はい、アリスも」

「ふえっ」

 

 アリスは月見の接近に驚いて二歩後ずさる。しどろもどろになりながら両手を振り、

 

「い、いえ、私はいいわよ。なんだか悪いし、お金も特に困ってないし……」

「そうかい? まあ、無理にとは言わないけど」

 

 そのとき、魔理沙が待ってましたと言わんばかりに金の瞳を光らせ、

 

「なんだアリスいらないのか? よーし、それじゃあそいつも魔理沙ちゃんがもらって有効活用」

「アリス、使わなくてもいいからもらってくれ。このままだと魔理沙の思う壺だ」

「上海!」

「シャンハーイ!」

「あー!?」

 

 アリスの指示を受けた上海人形が、月見と手から素早くポチ袋を確保した。魔理沙は両足で地団駄を踏み、

 

「なんでだよぉ! 必要ないんだったら、必要としてるやつに渡すのが合理的ってもんだろ!?」

「あなた、さてはこれが目的で私を連れ出したわね?」

「うん。……あっ待った待ったこれはちょっとしたジョークってやつで、だからその物騒なハンマー持った人形はしまってくれると嬉しいなー!?」

 

 アリス謹製の武装人形軍団が、不届き者を追いかけ回して庭でぐるぐる弾幕ごっこを始める。早速わかさぎ姫が巻き込まれて悲鳴を上げているが、とうに神経が麻痺した月見は今日も賑やかだなあとしか思わない。

 アリスは軽く咳払い、

 

「……と、とりあえずありがとう。大切に使わせてもらうわ」

「ああ。魔理沙に盗られないようにね」

「それはもちろん」

 

 破顔一笑で即答してくるあたり、アリスもだんだんと幻想郷らしいしたたかさを身につけ始めているようだった。

 なお弾幕ごっこはほどなくして決着し、敗れた魔理沙は糸でぐるぐる巻きのサナギみたいになって連行されていった。逞しい成長を遂げたアリスの背にとある白狼天狗の少女が重なったが、まあ気のせいだろうな、と月見は深く考えないことにした。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「ギ――――――ン!! 私もお年玉」

「お前はダメだ」

「なんでぇ!?」

 

 次に天真爛漫やってきたのは、今日もお転婆街道まっしぐらの蓬莱山輝夜だった。だんだんリアクションが紫に似てきた彼女は月見の胸元をぺちぺち叩き、

 

「な、なんでどーして!? ここに来たらあげるって言ってたじゃない! すっごく楽しみにしてたのにぃ!」

「だってお前、私より年上だろう。むしろみんなに配らないといけない立場じゃないか?」

 

 普段の姿ばかり見ているとつい忘れがちだが、輝夜は元より不老長寿の月の民であり、確か永琳共々、幻想郷の妖怪など足元にも及ばないぶっちぎりの年長者だったはずだ。年齢だけ見ればむしろ月見がもらう側である。

 うぐ、と輝夜はたじろぎ、

 

「……こ、心はまだまだ子どもだもん! こういうのは実際の歳じゃなくて、」

「せんせー、お年玉ちょうだいなーっ」

「ああ、いいよ。はい」

「!?」

 

 一緒にやってきた妹紅には、快くお年玉を渡す。輝夜が頬を膨らませてぷるぷる震え始める。それを見て月見ははたと思い出す、

 

「ああ、そうだ」

 

 ポチ袋をもうひとつ、今度は輝夜へ差し出す。輝夜の顔がぱああっと光り輝いて、

 

「これは鈴仙の分だよ。悪いけど渡してやってくれ」

「あ、はい。……なんで!? 私の分は!? 私の分はーっ!?」

 

 ううううう!! と癇癪(かんしゃく)を起こして月見の背中に飛びついてきた。肩のあたりをぽかぽか叩かれるほどよい振動が背を包み、思わず「もうちょっと上……」とこぼれそうになる。

 さて、そろそろ真面目に考えてみるとしよう。

 輝夜はなぜ、こうも必死になってまでお年玉をほしがっているのだろう。元が高貴で裕福なお姫様だし、今でも金銭にはまったく困らない生活をしているはずだから、駄々をこねてまで執着するとはどうしても考えにくいのだ。

 お金が目当てなわけではない。

 すると彼女はひょっとして、月見のお年玉に実利以上の別の価値を見出しているのではないか――。

 

「先生、これはあれだよ」

 

 やれやれ調子で肩を竦めながら、妹紅が答えを教えてくれた。

 

「これってお金だけどさ、それでも先生からもらえる立派なプレゼントでしょ。私とか鈴仙とか、他のやつらはもらえたのに自分だけもらえない。するとだんだん、なんだか自分が見てもらえてないような気分になってきて――」

 

 輝夜にふてぶてしい流し目を向け、ほくそ笑むような愉悦の表情で、

 

「――ま、ぶっちゃけ寂しくて悔しくて嫉妬しちゃうってわけ」

 

 輝夜の連打がぴたりと止まった。月見が後ろを振り向くと、彼女はズバリ言い当てられた気まずさでやや赤くなり、挽回の術を見つけられずただ上目遣いで、

 

「う゛ー……」

「……まったく」

 

 もちろん輝夜のその感情は、まったくもって的外れな誤解なのだけれど。

 そういう話であれば、月見が意固地になる理由はなかった。

 

「わかった。それじゃあ、これはお前の分だ」

「!」

 

 月見が袖からポチ袋を出すなり、輝夜は小動物さながらの素早さで反応した。袋の端を両手の指でつまみ、まばたきひとつせずじ――――っと無言で月見を見つめる。月見がポチ袋から手を離す。輝夜はそのままの体勢で指だけを動かし、ポチ袋がちゃんと自分の手に収まっていることを存分に確かめてから、

 

「……ん」

 

 そっと胸に引き寄せて、夢の中をたゆたうようにほころぶのだった。

 なんだか輝夜の周りで、ぽこぽことお花が咲いていくエフェクトまで見えるようだった。幸せのマイナスイオンを振りまくお姫様は妹紅のからかいにもまったく動じず、鼻歌を口ずさみながら竹林へと帰っていった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「ごめんくださーい」

「やっほー」

 

 もらえるもんはもらっておこうという山の妖怪を数人挟んだのち、今度は早苗と志弦がやってきた。月見が玄関まで向かうと、気心の知れた友人の家まで遊びに来たような、締まりのない顔をしながら志弦が緩く片手をあげた。

 

「お年玉もらいに来たぜー」

「ちょっ志弦、そんないきなり……」

「構わないさ。ほら、どうぞ」

 

 月見が差し出した二つのポチ袋を、志弦はなんの遠慮もなく気軽に、早苗は一拍遅れてからやや申し訳なさそうにしながら受け取った。

 

「あんがとー」

「すみません、こんなお年玉目当てで来たみたいに……」

「いいんだよ、私が自分で言ったんだから」

「月見さーん、開けてみておっけー?」

「し、志弦……」

「いいさいいさ。若いうちの特権だ」

 

 月見がそう言い終える頃には、志弦はすでにポチ袋から中のお札を引っ張り出している。志弦より先に早苗が声をあげた。

 

「わっ……こ、こんなに……!」

「金額は二人とも同じだよ。大したものでもないけど、もらってくれ」

「と、とんでもないですっ。私、こんなにいただいちゃうのなんてはじめてですよ!」

 

 普段から世話になっている子たちのポチ袋には、気持ちも込めて少しばかり色をつけている。あくまで『少しばかり』であり、月見の見聞に基づいても決して大袈裟な額は入れていないはずだが、早苗にとっては充分な大金だったらしい。すっかり感激して自分のポチ袋を見つめている。

 

「……これとお小遣いを合わせれば、いけるかも……?」

「好きな物を買うといいよ」

「は、はいっ。ありがとうございます!」

 

 大喜びな早苗とは対照的に、志弦は笑顔ひとつなく考え込んだ風だった。顎に手を遣りながら腕組みし、

 

「んー……私は特にほしいもんもないし、半分くらい神社に入れよっかな」

「……え゛っ」

 

 早苗が石化する。ピシピシと体の随所にひびを入れながら志弦へ振り向き、

 

「……じ、神社に?」

「うん。あー、姐御と諏訪子になにか買うってのもいいかな。いつも面倒見てくれてありがとうございますーって感じで」

 

 月見はちょっと感心した。自分のお年玉を、自分のためではなく家族のために使おうとする子を見たのははじめてかもしれない。秀友、お前の子孫は立派に成長しているみたいだぞ。

 しかし、こう言われてしまうと立つ瀬がないのは早苗である。案の定、彼女は腹を下したような青白い笑顔でカタカタ震え出し、

 

「あ、あはは。じゃっじゃあ、私も神奈子様と諏訪子様に、なにかプレゼント買おっかなー……?」

「ん? ほしいもんがあるなら別にいいんでない?」

「でででっでも、志弦が二人のことをそんなに考えてるのに、私だけ好きな物買うなんて、ね?」

 

 膝から崩れ落ちた。

 

「ああああああああ神奈子様諏訪子様ごめんなさい、私はお二人への感謝の心を忘れて身勝手にお金を使おうとしました、志弦にそれを気づかされました。風祝失格です、もう先輩風なんて吹かせられないですうううううぅぅぅ」

「おーい、大袈裟だぞさなぽーん」

 

 まあ、当然こうなる。特に早苗の場合、覚醒した志弦に術の腕前を抜かれてしまっているのもある。先輩風を吹かすといえば言葉は悪いが、守矢神社の風祝として、ひいては現人神(あらひとがみ)として、相応の自覚と責任を持って志弦の家族たらんとする一面が早苗にはあるのだ。

 なのに術の腕前はおろか、家族を想う心でもいつの間にか差をつけられてしまっていたとなっては、

 

「うえええええ私はダメな巫女です、月見さん尻尾モフらせてくださいいいいいいっ」

「さっすがさなぽんちゃっかりしてるー」

 

 早苗を慰めながらの話し合いの末、二人が少しずつお金を出し合い、神奈子と諏訪子へプレゼントを買うということで落ち着いた。

 もちろんそれから数日後、感動の涙を流す二柱の神が水月苑に突撃し、せっかく溜めていた酒虫の酒を一滴残らず呑み尽くしていったのは完全な余談である。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「どか――――――――ん!!」

「ごふ」

 

 早苗と志弦を見送ってから一時間ほどした頃、月見は毎度おなじみフランの砲弾タックルを根性で受け止めていた。

 レミリアとフラン、そして咲夜のご来訪だった。

 

「おはよう。早起きだね」

「えへへー」

 

 だいたい彼女が、チルノたち妖精と友達になった頃だったと記憶している。外のみんなともっと仲良くなりたいからと生活サイクルを切り替え始め、今ではこうして朝早くから遊びにやってくることも珍しくないフランだった。

 吸血鬼にとっては過ごしづらい時間帯のはずだが、毎日が楽しいお転婆娘にはまったく大したことではないらしい。そんな笑顔がまぶしい妹の後ろで、お姉さんはいつものすまし顔をしていた。

 

「レミリアもおはよう」

 

 レミリアはふんと小鼻を鳴らし、

 

「言っておくけど、私はただのついでよ。フランがお年玉もらいに行くってうるさいせいで、目が覚めちゃっただけ」

「私が起こしに行く前からちゃんと一人で起きて、お着替えも済ませてたもんねー」

「ぎゃにゃあああ!?」

 

 早速仲良し姉妹の追いかけっこが始まる。今日も元気いっぱいで大変よろしい。

 

「咲夜もおはよう」

「はい、おはようございます」

 

 咲夜も、月見が見る限りはいつも通りの咲夜だった。大晦日は夜明け近くまで宴会の雑事を手伝ってくれて、紅魔館に戻ってからも休んでばかりとはいられなかっただろうに、彼女はこんなときでも疲れた顔ひとつ覗かせやしない。能力を活用して、上手いこと休息を取っていると思いたいが。

 

「昨日は最後までありがとう。ちゃんと休めたか?」

「大丈夫です。この程度でへこたれていてはメイド失格ですから」

 

 彼女はあくまで紅魔館のメイドであって、決して水月苑のメイドではないはずなのだが、

 

「つくみー、お年玉くださいなっ!」

 

 どうやら追いかけっこは終わったようで、フランが光り輝く宝石の瞳で月見に両腕を伸ばしてきた。月見はポチ袋を取り出し、

 

「いいとも。はい」

「わーい! ありがとー!」

 

 フランはきちんとお礼を言い、きちんと両手を伸ばして行儀よく受け取る。一方でレミリアは顔をしかめる、

 

「あ、あのねえ、私はもう子どもじゃ」

「お姉様はオトナだからいらないって!」

「!?」

「そうか。わかったよ」

「ちょちょちょっちょっと待ちなさい!?」

 

 月見がポチ袋を引っ込めようとしたら、信じられない形相で腕に掴みかかってきた。よほど慌てたせいか力加減をする余裕はなかったらしく、月見の手首がミシミシと苦悶の声をあげる。男一匹月見、我慢の時。

 

「なんでしまおうとするのよ!? いらないなんて一言も言ってないでしょ!?」

「いや、子どもじゃないっていま自分で」

「子どもじゃないけどまあもらってあげるわよ感謝しなさいって言おうとしたの決まってるでしょ!?」

「月見ダメ――――――ッ!!」

 

 更には横からフランまで飛びついてきて、

 

「だめだめこんなずーずーしいお姉様に渡しちゃダメ! ちゃんと『お年玉ください』って言えたら渡してあげてっ!」

「なに勝手に決めてんのよ関係ないでしょ引っ込んでなさいっ!」

「関係ありますーっ!! お姉様の新年の抱負はなんだったっけかなー!?」

 

 また始まった。

 とりあえず、手首は放してもらえたので助かった。玄関をあちこち跳ね回ってケンカする姉妹は一旦置いておき、月見は咲夜の方へ視線を転じる。三つ目のポチ袋を取り出して、

 

「はい、これは咲夜に」

「へ?」

 

 咲夜の目が点になった。彼女はまず目の前のポチ袋を見て、次に月見を見て、続けてもう一度ポチ袋を見て、最後になぜか右と左と後ろまで見てから、

 

「……わ、私の分……ですか?」

「そうだよ。いらないかい?」

「…………」

 

 しばらくぽけーっとしてからふと正気を取り戻し、カチューシャが吹っ飛んでいきそうなくらい猛烈に首を振った。

 

「いっ、いえいえいえそんな! あ、ありがとうございますっ!?」

 

 レミリアとフランが口喧嘩しながら走り回っている。「ほら、咲夜はくださいって言ってないのにもらってるじゃない!」「咲夜はいいの! お姉様はダメ!」「なんでよいじわる!」「だーかーらー、新年の抱負で自分で言ったでしょ!? 今年はもっと月見に素直」「にゃああああああああああ!?」

 咲夜はおっかなびっくりポチ袋を受け取って、まだ半分以上信じられない面持ちで、

 

「ほ、本当に、いただいてよろしいのですか?」

「もちろん。お前にはいつも助けられてばかりだからね」

 

 藍にも言ったことではあるが、水月苑の縁の下はその大半が咲夜と藍の二人によって支えられているといっても過言ではない。しかも咲夜は人間の少女で、紅魔館の膨大な家事を一手に任されるそのわずかな間を縫って水月苑まで手伝ってくれている身なのだ。本当は、こんなお年玉程度ではまったく釣り合わないくらいなのだけれど。

 咲夜はポチ袋の(うし)のプリントをしばらく眺め、指で撫でたり押したりしたのちようやく微笑んでくれた。

 

「……ありがとうございます。大切にしますね」

「……いや、お金なんだから好きな物を買うんだよ?」

「いえいえそんな。月見様のお年玉を使うなんて」

 

 お年玉とは一体なんであったか。

 

「……あ、あのー、月見ー……?」

 

 と、二度目の追いかけっこは落ち着いたらしく、レミリアが一生懸命さりげない雰囲気を装いながら月見の隣に並んだ。

 

「なんていうのかしらね、その。あなたの左手に残ってる、お年玉の、処遇についてなんだけれども」

 

 別に恥ずかしがることでもなかろうに、レミリアは緊張で頬に赤みが差し、翼はピクピク忙しなく動いて、横目で月見を見たり見なかったりとまったくさりげなくできていない。高潔と尊厳の塊である吸血鬼にとっては、お年玉がほしいと伝えるのも立派なプライドとの戦いなのだ。

 むしろ、なんの抵抗もなく「くださいなっ」とおねだりできるフランが変わり者なのである。そんなフランは後ろで「お姉様ふぁいとっ」と可愛らしいエールを送っていて、なんだかとある地獄鴉の少女を見守るときの心地になってきた月見である。

 

「あ、あー、つまりあれよ。『二』ってなんだか中途半端で、やっぱり『三』の方がきれいじゃない? だからその残りひとつも、誰かに渡す方がキリがいいというか」

「……お姉様ぁー?」

「こ、ここから! ここから逆転するからっ!」

 

 フランの冷めた半目が突き刺さり、いよいよもって追い詰められたレミリアは、

 

「わ、わ、わっ……」

 

 首の下から頭の上まで沸騰寸前のやかんになって、決死の覚悟で息を吸ってこう叫ぶのだった。

 

 

「――わ、私もお年玉ほしいにょっ!!」

 

 

 ………………。

 沈黙した。

 どうしようもないほど沈黙した。なんかもう月見の方が謝りそうになるくらい沈黙した。

 間。

 

「お姉様……」

「お嬢様……」

「……………………」

 

 フランから可哀想なモノを見る眼差しで、そして咲夜からは微笑ましい小動物を愛でる眼差しで見つめられ、レミリアはいろいろと限界な感じになっていた。顔は全身の血液が集結したように真っ赤っ赤で、瞳には決壊一歩手前の涙がたっぷりと溜まり、両手はスカートを握り締めながらぷるぷる震えて、唇は彼女の意思に反して三日月につりあがっていく。

 目が合った。あらどうしたのなにか言うことがあるのかしら言ってごらんなさい言えるもんなら言ってみなさいよ、という無言の圧力だった。ひと呼吸のあいだ己の選択を真剣に考えた月見は、水月苑がグングニルで半壊することも覚悟しながら、

 

「……はい、お年玉」

 

 なにも聞かなかったし、見なかったことにした。

 ポチ袋を前にしたレミリアは、今の自分に残されたなけなしの威厳を振り絞ってふんぞり返った。

 

「ふ、ふふ、ふふふふふ。う、受け取ってあげようじゃないの。かかかっ感謝することね、あは、あははははは」

 

 本来であれば傲慢でありつつも優雅なセリフだったのだろうが、声は無惨にもガッタガタだった。彼女はもう泣きそうだった。吸血鬼の矜持(きょうじ)と根性で瞳の涙を落とすことこそなかったが、心の中ではたぶんとっくに大泣きだった。

 指先が震えすぎていて、ポチ袋を上手く受け取るのにも時間が掛かるくらいだった。

 

「……それとこれも、美鈴とパチュリーと小悪魔に」

「え、ええ、渡しておいてあげましょう」

 

 続けて三つのポチ袋を受け取ろうとして、今度は落とした。

 

「お姉様……」

「お嬢様……」

「…………………………………………」

 

 レミリアが散らばったポチ袋を拾う。ぐず、と小さく鼻をすする音が聞こえる。

 

「……さ、さて、用事も済んだしかか、帰りましょうか。いいわねフラン?」

「……うん」

 

 さすがのフランも、いたたまれなさのあまりそれしか言えなかった。

 従者に慰められ妹に励まされ、ぷるぷるしながら帰ってゆく孤高の吸血鬼の背は、小さかった。

 

 後にフランから聞いた話では、このあとレミリアは夜になるまで部屋から出てこなかったという。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「ごっめんくださーいっ!」

 

 晴天のもと吹き抜ける海風にも似た、爽涼とした少女の声が屋敷に心地よく響く。月見が玄関まで出迎えに行ってみると、今にも履物を脱いで転がり込みそうになっている水蜜と、両手を膝で合わせて楚々と佇む白蓮がいた。

 こうして見ると、一足先に大人びた姉が未だやんちゃな妹を連れてきたかのようだった。

 

「いらっしゃい。よく来たね」

「おはようございまーす!」

「おはようございます、お――つ、月見さん」

 

 初っ端からやらかしかけた白蓮の微笑がひきつる。幸い水蜜は気づかなかったらしく、いつにも増してうきうきと弾む様子を見ても、頭の中がお年玉でいっぱいになっているのは明らかだった。

 

「お年玉だね」

「はいっ! いやー、なにやらそういう風習があるらしいのは知ってましたが、もらうのははじめてなので昨日からずっと楽しみでした!」

「ほらムラサ、そんなにはしゃがないで……」

 

 今でいうお年玉の風習が一般的に広まったのは、白蓮たちが封印された時代をもう少しばかり下ってからだっただろうか。元は老若男女問わず目上が目下へ贈り物をする行事で、子ども相手にお金を与えるよう変わったのは本当にごく最近の話なのだ。

 

「一輪たちは?」

「お寺で里の人たちの相手をしてますよー。結構お参りに来る人が多くて、新年早々いい感じです! ナズーリンは、今の家から荷物を移すってどっか行っちゃいました」

「そうか。じゃあ、みんなの分も持っていってくれるかい」

 

 老爺である雲山は除いて、ポチ袋を五つ差し出す。水蜜はくりくりとした大きな瞳で覗き込み、

 

「わわ、すごいきらきらしてるじゃないですか。え、これって金箔ですか?」

「まさか。金よりもっと安くて身近な材料を使って、金に似せて作ったものだよ。外の世界で売ってるんだ」

「へー、外の技術ってこんなに進んでるんですねー」

 

 一方で白蓮は、生まれてはじめて見る芸術品を前にしたように興味深げだ。およそ千年も眠り続けていた白蓮にとっては、単なるポチ袋も摩訶不思議の技術の結晶だった。

 

「綺麗な絵……それに、ぜんぶぴったり同じに描かれてる……」

「これは印刷ですねー。でも、色つきなのは私もはじめて見ました」

「インサツ」

 

 異国の言葉のようにオウム返しして、首を傾げる。月見はふっと一笑、

 

「今の時代のこと、これからどんどん学んでいかないとね」

「あ……はい。そうですね」

 

 白蓮は束の間顔を上げ、月見に向けて気恥ずかしげな笑みを見せた。

 それはさながら、子が親からの教えを心待ちにする姿だった。

 

「月見さんが知っていること、たくさん教えてくださいね」

「……ああ。いいともさ」

 

 白蓮がこの世界で――この世界でこそ、どうか笑って生きていけるように。それが或いはすべての発端となってしまった妖怪として、彼女の幸福を願って逝った二人(・・)にできる手向けなのだと思うから。

 

「……さあ、取った取った。一人ひとつだよ」

「あ、星とナズーリンは遠慮するって言ってました。宝塔の一件があるからお金なんてもらえないって」

「固いなあ」

 

 ポチ袋をふたつ引っ込め、一輪の分を含めた三つを手渡す。水蜜はもちろん、人間としては立派な老齢に当たる白蓮も、遠慮する素振りはなく喜びながら受け取った。

 

「……ありがとうございます、月見さん。いい思い出になりました」

 

 ――今の時代のお年玉は、大人が子どもに(・・・・・・・)あげるものである。

 ポチ袋でそっと口元を隠しながら微笑む白蓮の頬は、単にお金をもらえただけとは違う感情で、ほんのり淡く染まっているように見えたが――。

 その理由を今更深く考えることはせず、どういたしまして、と月見は返した。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「ごめんくださーい♪」

「おはようございます、月見さん」

「ああ、いらっしゃい」

 

 次にやってきた幽々子と妖夢は、月見が渡したポチ袋をどちらも素直に受け取ってくれた。

 これが月見には少々意外だった。幽々子は幽々子だからよいとして、妖夢は間違いなく遠慮してくるだろうと思っていたからだ。受け取ってもらうために渡したのだからなにも問題はないものの、遠慮される前提で彼女を丸め込む説法まで準備していただけに、若干肩透かしを食らった感覚は否定できなかった。

 

「好きな物を買ってくれ」

「はいっ。普段は買えないお菓子を買いたいと思います!」

「私は、家計費が(かさ)んだときのために貯金を……」

 

 きっと去年の様々な経験を活かして、自分のためにお金を使うことも覚え始めたのだろう。いい傾向だと月見はしみじみと頷きいやちょっと待て、

 

「妖夢、今なんて言った」

「え? 家計費が嵩んだときのために貯金をしようと……」

 

 待て。

 

「妖夢、大事な話をするからよく聞け」

「は、ひゃいっ?」

 

 月見は妖夢の両肩に手を置き、

 

「そのお年玉は、お前がお前のために、ほしい物を買うために使うんだ」

「はあ……」

 

 妖夢はいまいちピンと来ない顔をしている。

 

「でも、特にほしい物はありませんので。それより、もしも家計費が嵩んだときのために取っておきたいんです」

 

 月見は内心頭を抱えて呻いた。この少女、やっぱり去年からあんまり変わっていなかった。

 言葉を見失う月見に妖夢ははっとして、

 

「あ……やっぱり、せっかくいただいたお金をそんな風に使うのは失礼でしょうか……。すみません、でも毎月ほんとにギリギリで……」

「……幽々子」

 

 幽々子は一生懸命明後日の空を眺めている。

 

「幽々子。年端も行かない従者にここまで言わせることについて、主人としてなにか思うところはないか」

「うっ……で、でも、妖夢のごはんはとても美味しいのでー……」

 

 都合が悪いときだけ妖夢を持ち上げてもダメである。月見は妖夢へ視線を戻し、

 

「家計費に使うのが失礼ってわけじゃない。でも、家計が厳しくなったときは私や藍に相談するといい。そのお金は、お前が自分だけのために使っていいものなんだ」

 

 一息、

 

「お前だって、そういうお金の使い方をしていいんだよ。去年里で言われたろう? 遊ぶことだって、立派な人生経験のひとつさ」

「むむっ……」

 

 用意しておいた説法の一部が結局役に立ってしまった。早速真に受けた妖夢が揺らぎ始めているのを確認し、月見はトドメの一撃を放った。

 

「それに、家計費の足しなら幽々子のお年玉でいいだろう。どうせお菓子になるんだから」

「あ、それもそうですね」

「え? ……い、異議あり! 異議ありーっ!」

 

 幽々子が月見の腕に飛びついてきた。二の腕あたりをぺちぺち叩き、

 

「月見さん、さっきと言ってることが違いますわ! お年玉は、自分がほしい物を買うために使うんでしょう!?」

「うん。お菓子だろう? お前がいつも妖夢に買わせてる」

「そ、そうですけど。そうですけどおっ」

「お前が食べたいお菓子を、お前のお年玉で買うといい。その分家計費が浮くんだから、妖夢のお年玉まで足しにすることはないはずだ」

 

 幽々子のぺちぺちが止まった。

 

「……あ、あー、そういうことですか。びっくりしましたわ。てっきり、私のお年玉を妖夢が家計費として管理するのかと……」

「妖夢は、自分のお年玉を自分から家計費にしようとしてたんだよ」

「……う、うー」

 

 妖夢がなにぶん健気な頑張り屋さんだから、幽々子にもすっかり甘え癖がついてしまっているのだ。あまり他所の家庭の事情に口を出すものではないかもしれないが、妖夢の労働環境改善は幻想郷苦労人同盟みんなの願いでもある。せめてお年玉くらいは本人の好きに使わせてやってほしい。

 あとはまあ、月見の少々個人的な感情もあるのだけれど。この小さな従者がいかんせん放っておけなくなっている気がするのは、恥ずかしい手違いとはいえ『お兄ちゃん』なんて呼ばれてしまった影響なのだろうか。

 妖夢が感動に打ち震えている。

 

「つ、月見さん……そんなに私のことを考えてくれていたなんてっ……」

 

 お年玉を自由に使うよう説くだけでなぜ涙ながらに感謝されるのか、月見にはよくわからない。

 

「難しく考えることはないさ。自分がほしいと思えるものを、ゆっくり探してごらん。これもまた勉強だ」

「はいっ……わかりました!」

「幽々子も。元は私のお金ってことで、この子の好きに使わせてやってくれ」

「はあい」

 

 お年玉の使い道ひとつでどうしてここまで講釈を垂れる羽目になるのか、やはり月見にはまったくわからない。

 いっぺん妖夢を、八雲邸か天狗の本山などに修行へ出してみてはどうだろうか。幻想郷で最もたくましい従者たちから主人のしつけ方を学び取り、きっとひと回りもふた回りも大きくなって帰ってくるだろう。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「おはようございます、旦那様」

「お、おはよう……」

 

 月見がなんとなしに外へ出て、池の畔でわかさぎ姫と四方山話(よもやまばなし)をしていると、次にやってきたのは赤蛮奇と影狼だった。「あー、ばんきちゃんかげちゃーん」とわかさぎ姫がぽやぽや笑顔でお迎えする。赤蛮奇はいつも通りジト目風味の無表情だが、彼女に手を引かれる影狼はやや顔の様子がぎこちなく見えた。

 もっとも、影狼もこれはこれである意味いつも通りであるといえる。初対面のときにいろいろとあったせいなのか、彼女は月見に対して少しばかり距離を置いているようなのだ。わかさぎ姫曰く、目上の男とどう接すればいいのかわからず恥ずかしがっているだけらしいけれど。

 

「おはよう。お年玉なら準備できてるよ」

「今日は朝早くから、たーっくさんの人たちがもらいに来てたのよー」

「分け隔てなくお年玉を配る旦那様のその度量、赤蛮奇は胸がきゅんきゅんしています」

 

 月見は有意義に無視し、二人にポチ袋を渡した。

 

「はい、二人とも」

「ありがとうございます。きゅんきゅん」

 

 しかし、赤蛮奇が受け取った一方で影狼はその場から動く気配がなく、なぜか宿敵を前にしたような目つきでポチ袋を睨んでいる。赤蛮奇が素早く補足説明する、

 

「お年玉は子どもがもらうもの。なのでこれを受け取れば自らを子どもと認めてしまうことになると、影狼は葛藤しているのです」

「ああ、そういう……」

「ここに来る途中でもそれで二十分ほど立ち止まり、私がいくら引っ張っても進んでくれませんでした」

 

 犬の散歩か。

 さておき、影狼がなんだか気乗りしていない風なのも納得した。

 

「わかったよ。そういうことなら無理にとは言わないさ」

「ぁ……」

 

 なので月見はポチ袋を引っ込めようとしたのだが、そのとき影狼が一転、ショックを受けた子犬みたいなか細い声をあげた。

 三人全員からまじまじとした目で見られ、己の失態に気づいた影狼は一瞬で赤くなり、

 

「ち、違っ! い、今のはなんていうかその、違くて!」

「かげちゃん、ほしいならちゃんとほしいって言いなさいっ」

「う、ううううう~……!!」

 

 別に受け取ったところで子ども扱いされるわけではないし、受け取らなかったところでオトナと認めてもらえるわけでもないのに――少し前のレミリア然り、レディの心というのはなかなかにフクザツなのだ。

 仕方がないので、丸め込んでその気にさせてしまうこととする。

 

「影狼、そんなに気にすることはないよ。今でこそお年玉は、子どもが大人からお金をもらうものだけどね。元々は大人子ども問わず、新年に贈り物をする風習のことだったんだ」

「え? ……そ、そうなの?」

「ああ。もちろん、大人が大人に物を贈るのも珍しくなかった。こんな風に変わったのはごくごく最近なんだよ」

「へ、へぇー」

 

 影狼の尻尾がくねくねとおもむろに動き始める。こちらの話に興味を持ち、だんだん満更でもない気分になってきたときの合図である。影狼もまた妖夢と同じで、人の方便をコロッと真に受けてしまうタイプの少女なのだ。

 無論、方便とはいえまったくの嘘を吹き込むつもりはない。

 

「藍とか幽々子とか、もう千年以上生きてる子たちも受け取ってくれてる。歳なんて関係なく、世話になってるお前たちへの贈り物だよ」

「ふ、ふぅーん」

 

 このお年玉は、月見の生活を賑やかに彩ってくれる少女たちへのささやかな感謝の気持ちでもあるのだから。

 尻尾を大変満更でもなさそうにくねらせながら考え、影狼はおほんと咳払いをした。獣耳をぴこぴこと動かし、ポチ袋をしきりに横目で盗み見ながら、

 

「な、なるほどね。じゃあ、そういうことなら……」

「ああ、どうぞ」

 

 改めて差し出されたポチ袋に、あくまで「贈り物っていうなら受け取るのが礼儀だしね!」というすまし顔で手を伸ばそうとし、

 

「影狼、『待て』」

「っ……!」

 

 赤蛮奇がそう横槍を入れた途端、影狼の動きが素早く止まった。ほどなく再起動した彼女はゆっくり手を引っ込め、ポチ袋に視線を固定したままその場でじっと沈黙する。

 更に、

 

「お手」

「ん」

 

 赤蛮奇の掌に右手を乗せ、

 

「おかわり」

「ん!」

 

 左手を乗せ、

 

「待てよ待て。ステイステイ……」

 

 このあたりで影狼はだんだんと正気を取り戻し、頬を膨らませて涙目で震え始めると、

 

「まだよ、まだ。……よしっ!」

「がうああああああああああッ!!」

「ぎゃああああああああ」

 

 その合図とともに脇目も振らず飛びかかるのは、当然ながらポチ袋ではなく赤蛮奇の顔面だった。

 そして今日も今日とて、赤蛮奇の生首がおもちゃにされるいつもの光景が始まる。月見は緩く吐息しながら肩を落とし、わかさぎ姫はにこにこと楽しそうに笑う。

 

「あいかわらずだねえ」

「だって、かわいいですもの」

 

 新しい年を迎えたからといって、それでなにかが突然変わるわけでもない。妖怪草の根ネットワークは今年も平常運転であり、今泉影狼はこれからもいじられ愛されてゆくのだった。

 

「がうがうがうがうがうっ!!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

 

 

 

 

 

 ルーミアが偶然やってきたのでお年玉をあげようとしたら、「お狐様からお金なんていただけませんっ。私はお狐様のお陰で、今でも充分幸せです!」と一切汚れのない瞳で断られた。胃が。

 せめてもの抵抗に、酒虫のお酒をご馳走した。

 

 

 

 

 

「ご、ごめんくださーい……」

「ん?」

 

 さてかような具合でお年玉戦線は続き、太陽がある程度傾いてポチ袋も残り少なくなってきた頃、水月苑に見慣れぬ風体の客がやってきた。

 元々「水月苑まで来れば誰でもお年玉をあげる」という話だったので、月見とさほど面識があるわけではない妖怪も、欲に負けてちらほらと訪ねてくることはあった。しかし月見の記憶が正しければ、今しがたおそるおそる玄関を開けたこの少女とは、顔を合わせたこともどこかですれ違ったこともない完全な初対面と思われた。

 足元まで届くくらいの長い青髪を、同じ色の大きなリボンを使って後頭部で結わえている。正月だというのにその身なりはみすぼらしく、くすんだボロ布を浮浪者のように体へ巻きつけていて、髪はあちこちが飛び跳ねてロクに手入れされた様子もない。中になにも着ていないということはなかろうが、少なくとも膝から下は完全に裸足だった。

 わずかにふよふよと宙を漂っていることから人間ではないものの、かといってこの風体では妖怪らしくもない。やはりはじめて見る相手で間違いない。幻想郷でここまで吹けば飛ぶような身なりをした少女なんて、どこかで出会っているなら必ず記憶に残っているはずだから。

 とりあえず、挨拶する。

 

「いらっしゃい。水月苑になにか用かな」

 

 寒いから入ってこればよいのに、少女はなぜか玄関の敷居をまたごうとはせず、まるで住む世界が違う相手と出会ってしまったように萎縮していた。

 

「あ、あの……こ、ここで、お年玉がもらえるって、天狗が話してるのを聞いて……わ、私みたいなのでも、もらっていいのかなって……」

「? ああ、いいけど」

「そっそうですよねごめんなさいなんでもないです私みたいなのが話しかけてごめんなさいごめんなさい今すぐ消えます消え失せます失礼しま――え?」

「はい」

 

 少女が玄関に入ってこないので、月見の方から近寄ってポチ袋を差し出す。近づいてみてわかったが、少女のリボンはあちこちが継切れだらけのボロボロで、しかも普通の布ではなく『差し押さえ』『請求書』など物騒な文字がデカデカと書かれている始末だった。ファッションとしてはいささか奇抜すぎるので、みすぼらしい恰好から考えてもなんらかの事情がある子なのかもしれない。声もあまり元気がなく掠れていて、なんとも不健康な感じがする。

 そんな少女は差し出されたポチ袋を、わけがわからない様子でぽかんと見下ろしていた。まさか自分からお年玉をもらいに来ておいて、これがなんだかわからないということはなかろうが、

 

「お年玉だよ。この中にお金が入ってるから」

「――――――――、」

 

 少女の体が鼓動を打つように一度だけ震えて、再び沈黙する。またもや長めな空白があたりを包み、月見がこの子大丈夫かなとほんのり心配になってきた頃、

 

「ひっく」

 

 泣きおった。

 

「お、おい?」

「ひっく、ひぐ」

 

 少女は目尻にじわりと涙を溜めて、何度もみっともなく鼻をすすりながら、

 

「ご、ごめんなさいっ……まさか、ひぐ、ほんどに、もらえるなんて、えぐ、思っでなくてっ……」

「……はあ」

 

 ポチ袋ひとつで大袈裟な、と思いながら一方で月見はほぼ確信した。この少女はだいぶ粗末な身なりをしている通り、金銭的に不自由な境遇にある子なのだろう。それで月見がお年玉を配っていると偶然聞きつけ、明日のご飯のためにダメ元で水月苑までやってきた――と考えれば、まあ泣き出すのも納得できないことではないと思う。

 ならば月見にお年玉を渡さない理由はない。このポチ袋ひとつで誰かがほんの束の間でも幸せになれるなら、早起きしてせっせと準備した意義もあるというものだった。

 

「ほ、本当に、いいのっ……?」

「ああ、もちろん」

 

 少女が震える両手でポチ袋を受け取る。藍とはまた違った意味で、自分には到底分不釣合いな宝物を賜るように。指先で丑のプリントを撫でながらまたしゃっくりし、感極まった様子でそっと胸に抱き締めると、

 

「女苑、やったよっ……今日はちゃんとごはん食べれるよ……っ」

 

 じょおん、とは身内の名前だろうか。そして「今日は」ということは少なくとも昨日はダメだったわけで、やはり彼女は日頃から裕福とはいえない身の上なのだ。

 月見の視線に気づいた少女は途端に縮こまり、

 

「あ……ご、ごめんなさい、その、妹がいて、あんまりごはん食べれてなくて。うう、ごめんなさいごめんなさいやっぱりこんなのダメですよねはいわかりましたこれはお返しします差し出がましい真似をしてごめんなさい失礼しました申し訳ありませんでした今すぐ消えます消え失せます消滅させていただきま」

「なんだ、そうなのか。じゃあこれ、妹の分も持っていくといい」

「うぴぇえええっ!?」

 

 月見が取り出したもうひとつのポチ袋に、驚いた少女は飛び跳ねながら――比喩ではなく、本当に後ろへ飛び跳ねながら――盛大な尻餅をついた。

 

「ど、どうした?」

 

 少女は元々血の巡りが悪そうな顔面を更に蒼白にし、いっそ幽霊を見たようにわなわな震え、

 

「だ、だだだっだって、それ、なんで」

「妹がいるんだろう? だから二人分だよ」

 

 月見は敷居をまたいで膝を折り、ひっくり返った少女の目の前にポチ袋を差し出す。少女はなにがなんだかわからないまま心ここにあらずと受け取り、二つに増えた両手のポチ袋を長い間唖然と見つめると、

 

「……ひっぐ」

 

 やはり泣きおった。

 

「ううっ……ふぐうううううぅぅぅ~……!」

「……」

 

 真珠の涙が絶え間もなくボロボロとこぼれ落ちていく。お年玉のひとつふたつでこんなにも――ここまで来ると、だんだんと彼女のことが心配になってくる月見である。この少女、普段からどれだけ爪に火を灯した生活を余儀なくされているのだろうか。

 

「ぐず、あ、ありがとうございまず。この御恩は一生忘れまぜん、えぐ」

「……そうか」

 

 思わず真顔で頷いてしまう。ワケありなのはまず間違いないが、少し踏み込んで事情を聞いてみるべきかどうか決めあぐねている。老いぼれの勘というべきか、藪から大きな蛇が出てきそうな予感が途轍もなくするのだ。

 そうこうしているうちに、少女が涙を拭いながらに立ち上がる。

 

「ひょ、ひょっとして貴方様は、神様か仏様……?」

「……いや、ごく普通の妖怪だよ」

 

 お年玉を振舞うだけで仏様なら、人里が極楽浄土になるではないか。

 ええいと月見は腹を括り、せめてどこの誰かくらいは訊いておこうと、

 

「月見様? なんだか泣き声が聞こえましたけど」

「うぴい!?」

 

 したところで、藍が廊下からひょこりと顔を出した。まさか他に誰かいるとは思ってもいなかったのか、少女は哀れなほどに慌てふためき、

 

「ごごごっごめんなさいごめんなさいありがとうございました助かりましたそれでは失礼しまぁす!!」

「あ、おい」

 

 壊れた絡繰人形みたいに何度も頭を下げ、月見の制止も聞かずあっという間に飛び去っていってしまった。

 静寂。月見の後ろに立った藍が首を傾げ、

 

「月見様、今のは?」

「……私にもわからん。お年玉がほしいというからやったら泣いて感謝された」

「はあ……? お知り合いではなかったのですか」

「ああ、はじめて見る子だった」

 

 辛うじてわかったのは人間ではないこと、露命をつなぐような毎日を送っているらしいこと、そして『じょおん』という妹がいることくらい。少女自身の名も、どこに住んでいる子なのかもほとんど謎のまま終わってしまった。

 すっきりしない月見に対し、藍はむしろ納得の笑みを浮かべた。

 

「なるほど。月見様らしいですね」

「……どういう意味かな」

「月見様は本当に、いろんな女と縁を作られて困ります」

 

 ……なにやら言外に、「また女を引っ掛けやがったな」と遺憾な評価を下された気がする。

 

「ただお年玉をあげただけだよ」

「どうでしょう。もしかしたら、ここの得意客がまた増えることになるかもしれませんよ」

「……」

 

 すべてお見通しのようにそう言う藍を、月見は咄嗟に否定できなかった。

 はてさてこれが藍の考えすぎだったのか、それとも本当にすべてお見通しだったのか――答えがわかるのは、今はもう少しばかり先の話である。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――じょおん、じょおんっ。やったよ、私もお金もらえたよっ」

「なん……ですって……? え、姉さんが? 冗談でしょ?」

「ほんとだもん。ほら、女苑の分ももらったよ」

「!? あ、あはは、どーせほんの小銭でしょ? まったく、姉さんったらそんなので大喜びしてみっともな――お札、だと……?」

「ね? ねっ? すごいでしょ! 今月はごはんちゃんと食べられるよっ」

「……マジ? え、私の分も合わせたらまあまあなお金なんだけど。一体どうやったの?」

「お年玉。みんなに配ってる妖怪がいて、私にもくれたの」

「…………それってどこのどいつ?」

「教えなーい」

「は、」

「だって教えたら取り憑きにいくでしょ。すごく優しい人だったからそんなことしちゃダメ」

「ぐっ、あいかわらず姉さんは甘っちょろいことを……! 貧乏神の姉さんにお年玉なんてバカの所業じゃない、これはカモよ! 搾りとらなきゃ!」

「だめー。女苑なんかにあげない」

「え? ……待って姉さん、ところでこれほんとにお年玉? なんていうか、その、考えすぎだと思うけど、実は変な方法でもらったとか言わないわよね? 姉さん? 姉さああああああああん!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。