銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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竹取物語 ⑥ 「公認の仲ってやつ」

 

 

 

 

 

 色んなことをしようと思った。銀山のために、話し相手になる以外にも、もっと色々なことをしてみようと。

 二~三日ならまだしも、一週間ばかり銀山の話し相手を続けてみると、さすがに話の種が尽きたのだ。しかも、引きこもり街道まっしぐらだった輝夜が話題にできるような体験や知識はそう多くなく、半分以上は銀山の話を聞くばかりだったのだから情けない。……まあ、そのお陰で彼のことを色々と知ることができたので、決して悪いことばかりでは、なかったけれど。

 都に流れ着く前の銀山は、各地を流浪する旅人みたいなことをしていたらしい。彼の見てきた景色や、出会ってきた人々の話を聞くと、輝夜まで都の外に飛び出したような心地なった。そのうち、彼に依頼を出して都の外を案内してもらっても、楽しいかもしれない。

 ともあれ、話し相手になる以外のなにかである。銀山の身辺の世話は使用人たちが担当しているが、だからといって全部を彼らに任せなければならないわけではない。

 幸い、相談相手には困らなかった。雪が、三日にいっぺんほどの頻度で屋敷に様子を見にきてくれたから。

 

「銀山のためになにかをしたいの。話し相手以外にも」

「となると、やっぱり看病でしょうね。今、使用人の皆様がやってくださってるようなことを、姫様がしてみるんです」

「なるほど」

「ただ、なにもかもをやろうとして出しゃばってしまうと銀山さんも辟易してしまうでしょうから、適度な距離感を大切にしてくださいね。あくまで、銀山さんがなにか困った様子だったら、すぐに助けてあげる程度。それが基本だと思います」

「ふむふむ」

「看病ってのは絶好の機会です! もし上手く行けば、ご飯を食べさせてあげたり、体を拭いてあげたり、急接近できちゃうかもしれませんよ!」

「……、」

 

 そんなこんなで、色々なことをしてみよう、と思ったのだ。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 銀山は、本を好んで読むらしい。陰陽師の依頼がない日は、家でのんびりと本を読んだり、都の外をぶらりと散歩したりして過ごすという。なんだか老人みたいな生活だ。

 さておき、この屋敷には翁が蔵書を保管している書斎がある。彼自身の趣味もあって内容は歌集であったり、輝夜に疑問符ばかりを量産させる難しい知識書だったりするが、銀山は乱読派だというから、きっと楽しんでもらえるだろう。

 

「ねえ……本でも読んでみる?」

「本?」

 

 銀山が静養している小舎は、輝夜にとって第二の自分の部屋となりつつあった。いつもの部屋に、銀山の枕元といういつもの場所で、輝夜は彼へと問い掛ける。

 

「本、読むって言ってたでしょ? この屋敷には、おじい様の蔵書がたくさんあるの」

「ほう」

 

 銀山の瞳が、強い興味の色を帯びた。

 

「それは……可能であれば、読んでみたいね」

「もちろん」

 

 懐が広い翁は、己の書斎を屋敷の者たちに開放して、自由に閲覧できるようにしている。窃盗を行えば即雷が落ちるが、そうでない限りは借り入れも自由だ。

 銀山の役に立てる絶好の機会だった。輝夜は勇んで問いを重ねる。

 

「じゃあ、なにか適当に持ってくるわ。どんな本がいい?」

「そうだね……」

 

 銀山は少し考えて、

 

「じゃあ、輝夜のおすすめで」

「……おっ、おすすめ、ね。わかったわ」

 

 本なんてちっとも読まないからおすすめはないの、などと白状できるわけがなかった。輝夜はぎこちない愛想笑いを貼りつけて立ち上がる。

 

「ちょっと待っててね」

「ああ、ありがとう」

 

 やんわり微笑んで礼を言われる、たったそれだけのことで輝夜の心はとても暖かくなった。心なしか、体も軽くなったような気がする。

 なんだかめちゃくちゃやる気になってきた。銀山にこんな風に優しく礼を言ってもらえたなら、そりゃあもう頑張らないわけにはいかない。おすすめの本がどうこうなんて、勢いと雰囲気があればいくらでも誤魔化せるような気さえした。

 

「いってきます!」

「いってらっしゃい」

 

 そのやり取りを同棲している恋人同士みたいだと都合よく妄想しながら、元気いっぱい夢いっぱい、輝夜は意気揚々と小舎を飛び出していく。

 しばらく走ってから戸を閉め忘れたことに気づいて、慌てて引き返した。

 

 

 

 

 

 客観的に見てみれば、かぐや姫の屋敷で厄介になるというこの状況は、世の男に知られたら即座に闇討ちが行われるであろうほどの大事である。仕方がないこととはいえ、銀山がこの場所で多くの時間を過ごせば過ごすだけ、世の男どもから送られてくる嫉妬の念も強くなるのだ。

 ひょっとすると、第二第三の御行が生まれてしまう可能性だってある。ふいに全身を駆け抜けた悪寒に、銀山は天井を仰ぎながらぶるりと身震いをした。

 一週間の区切り目だ。怪我は順調に回復しているが、まだ元気に立ち上がり歩き回るまでには至らない。小さく見積もっても、あともう一週間は、ここでの静養を余儀なくされるだろう。

 二週間――それだけの期間をかぐや姫の屋敷で過ごした男がいるとなれば、世の男どもは、もうあれやこれと事実無根の噂話に精を出すに違いない。そして話し手たちに都合のいいように曲解された噂話は、やがてどこかのお偉いさんの耳に入るのだ。――なにィ、かぐや姫様のお屋敷で二週間もよろしくやってるド阿呆がいるだァ? よしおめェら準備はいいか、そいつが出てきて初日の夜に全員で闇討ちだ。一瞬で終わらせてやろうじゃねェか。

 ひょっとすると銀山の都での生活は、刻一刻と終わりへ近づいているのかもしれない。

 

『――きゃああああああああああ!?』

 

 ため息をついた瞬間、遠くの方からいきなり輝夜の悲鳴が聞こえてきた。ついでに、なにか大きな物が連続して倒れる派手な物音までついてくる。

 しばらくの間静寂があって、やがて屋敷が頓に慌ただしくなっていく。

 

『しょ、書斎の書棚が全部ぶっ倒れてるー!?』

『ひ、姫様! 姫様が書棚の下敷きに!』

『ああっ、ぴくぴくしてるっ! だ、誰かー! 誰か手伝ってくださーいっ!』

 

 使用人の叫びから察するに、本を取ろうとした輝夜が、書棚を一つ残らずぶっ倒して下敷きになっているらしい。バタバタと使用人たちが走り回る音に混じって、銀山のため息が音もなく宙を撫でる。あのお転婆娘は、一体なにをやっているのだろうか。本の一冊すらまともに取ってくることができないとは、どうやら彼女の箱入りっぷりも相当らしい。

 けれどボロボロになりながらも、獲物を仕留めた猫さながら誇らしげに、本を持ってきた輝夜の姿を見ていたら。

 それはそれで、まあ悪くはないのかもしれないなと、銀山は思った。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 次に輝夜が気になったのは、ご飯を食べるの辛くないのかな、ということだった。食事となれば、当然体を起こさないといけないし、箸を使うためには腕を動かさないといけない。これはひょっとすると、怪我が治りきっていない銀山には辛いところがあるのではないか。

 そう思って夕食の席で銀山を注視してみれば、なるほど、腕を曲げ伸ばしする際にかすかに痛そうな顔をしている――気がする。

 

「ねえ、銀山」

「うん?」

「傷、痛くない?」

 

 図星を突かれると、銀山は困ったように笑う。箸を膳の上に置いて、吐息とともに不自然に強ばっていた肩から力を抜いた。

 

「よくわかったね」

「ま、まあね」

 

 銀山はきっと、隠そうとしていたのだろう。輝夜は少しだけ誇らしい気持ちになった。好きな人のこういうところが見抜けるようになると、普通よりも一歩踏み込んだ関係になれている気がして、むくむくと嬉しくなった。

 だが気づいただけではダメだ。気づいて、そして、助けてあげなければ。

 幸い、輝夜がするべきことは既に決まっている。銀山のために食事の手伝いをしてあげればいい。腕を動かすのが辛いのならば、代わりに食べさせてあげるのが妥当なところだ。

 

「……」

 

 今しがた考えたことを、もう一度頭の中で反復させる。

 ――代わりに、食べさせてあげる。

 輝夜が、銀山に、ご飯を、食べさせてあげる。

 私が。

 銀山に。

 

「……」

 

 じわーっと、神経の奥から込み上がるように耳が熱くなって、それは体全体に広がった。自分の心臓の音が、頭に直接響いて聞こえる。目の焦点がかすかに合わなくなって、見えるものがぼんやりと陽炎みたいに揺らめいて見える。しばらくの間、呼吸をするのを忘れていた。

 脳の大半が熱に浮かされる中、隅っこの方で、奇跡的に生き残っていた輝夜の理性が告げている。――もしかして私、結構、すごいことをしようとしてるんじゃない?

 ご飯を食べさせてあげる、なんて、そんな、恋人同士じゃあるまいし。

 いや、でもこれは必要なことだ。傷に響いて食事が辛いのだったら、誰かが助けてあげるのが筋というもの。そしてこの場には、輝夜以外に助けになれる者はいない。だから輝夜がやるしかない。三段論法。そう、これは、仕方がないことなのだ。

 輝夜は銀山にたくさん助けてもらったのだから、その分彼を助けなければならない。それだけの話であって、ほんの一時だけでも恋人同士になれる気がするからやってみたい、なんてことは、断じて考えてはいない。

 考えていないったら、いないのである。

 だからなにも問題はない。ほら行け、蓬莱山輝夜――と、天使、或いは悪魔の、囁きが聞こえて。

 ぽつり、口を切る。

 

「じゃ、じゃぁ……わら、わたひが」

 

 その途端、あ、これはダメだな、と輝夜は思った。緊張で唇がまともに動いてくれない。茹だるような熱にやられて、頭が人語を失いかけている。

 だが、やめようとは思わなかった。喋られなくたって、ご飯を食べさせてあげるくらい、できる。銀山が持っていた箸を無言のまま横取りする。それを小鉢の中に突っ込んで、漬物を摘み上げる。

 きっと、顔は真っ赤だろう。ひょっとすると湯気が上がっているかもしれない。銀山の顔をまっすぐ見てしまうと、恥ずかしすぎて気を失ってしまうかもしれない。

 なので輝夜は、極力視線をまっすぐ合わせないように縮こまりながら、上目遣いで。

 震えて漬物を落としそうになる箸を、銀山の口元にまで、持っていく。

 

「……ん」

 

 言語中枢は、もう完全に職務を放棄してしまっていて。

 

「ん」

 

 それしか言葉が、出てこなかった。

 

 

 

 

 

「……ん」

「……姫」

「ん」

「いや、あのな」

「んっ……」

「……」

 

 溜めた息をほんの少しだけこぼす、ん、ん、という小さな声とともに、輝夜が震える箸で漬物を押しつけてくる。その行動が一体なにを意味するのか、銀山とてわからないわけではない。

 だが、わかることと受け入れることは、まったくの別物だ。

 

「んっ……ん!」

「いや……ちょっと待ってくれ」

 

 食べさせてあげるからさっさと口を開けろ。わかっている。箸を動かすたびに腕の傷が痛むのは事実だったのだから、代わりに箸を持ってやろうという輝夜の判断には、きちんと筋が通っている。

 だがそれでも、彼女は、天下に名高いかぐや姫である。かぐや姫にご飯を食べさせてもらうというこの状況が、世の男たち全員に喧嘩――否、全面戦争を吹っかけるものであることくらい、銀山にだってわかる。

 もし偶然に偶然が重なり、なにかの間違いで外にこの状況が知られれば。第二第三の御行と化した男たちの襲来によって、銀山の仕事は干され、衣食住が成り立たなくなり、もしかすると都から追い出されてしまうかもしれない。

 

「や、姫……一人で食べられるから、ここまでしてもらわなくても」

「……!?」

 

 なのに銀山が断ろうとすれば、輝夜はこの世の終わりみたいに絶望の表情をする。これほどまで究極の二者択一が、果たして今までの人生であっただろうか。

 

「ん……! んーっ……!」

 

 切羽詰まった表情で銀山に漬物を押しつける、輝夜の心中は、早く食べてよどうして食べてくれないのもしかして迷惑なの!? といったところだろうか。段々不安になってきたのか、目元がじわりと濡れてきたようだ。

 

「んーっ……! んー……っ!」

「……」

 

 ――ええい、ままよ。

 さらば私の都生活、と銀山は素早く辞世の句を唱え、口を開ける。

 

「……あー」

「! ん!」

「ごはぁっ」

 

 そして瞬く間に満面の笑顔を咲かせた輝夜に、箸で喉の奥を一突きされた。

 先ほど唱えた辞世の句が、本当に辞世の句になるかと思った。

 

「げほげほげほ……」

「あ……」

 

 ようやく「ん」以外の言葉を口にして、輝夜がさっと顔を青くする。けれど人語を取り戻すことはできなかったらしく、しばらく無言であせあせしてから、やがてはっと気づいて水を差し出した。

 

「ん……」

「……ああ、ありがとう」

 

 喉仏を押さえながら水を呷る。冷えた水は、銀山の傷ついた喉に痛いくらいに染み渡った。

 ふうと銀山が一息をつけば、輝夜がちゃっかりと次の料理に箸を伸ばしている。まだやるつもりらしい。

 

「……ん」

「……」

 

 今度はご飯の乗った箸を伸ばしてくる輝夜を、銀山は半目で睨みつけて、

 

「……二度目は勘弁だぞ?」

「ん」

 

 こく、と輝夜は頷いた。なので銀山は、もう一度口を開けた。

 そして、また顔をぱああっと輝かせた輝夜が、

 

「んっ!」

「げふ」

 

 なにが起こったのかは言わずもがな。さらば私の都生活という辞世の句を残し、銀山は死んだ。

 

「げほげほがほげほ……」

 

 まさかの連続攻撃、しかも的確に同じ箇所をやられた。銀山がござに突っ伏して悶え苦しんでいると、また「あ……」と蚊の鳴くような声をもらした輝夜が、おっかなびっくりとこちらの背中をさすってきた。

 

「げほげほ」

「う……」

 

 水を飲む余裕すらありはしない。喉を火で炙られるような激痛にしばらく悶絶躄地(もんぜつびゃくじ)し、やがて多少マシになった頃に体を起こせば、銀山は悟りの境地へと至っていた。

 

「……」

「ひ、」

 

 輝夜が小さな悲鳴を上げる。銀山は笑顔だった。これだけ酷い目に遭ったにも関わらず、心は不思議と夏の青空のように晴れやかだった。

 怒りという感情を一歩向こう側へと昇華した、新しい世界の幕開けである。

 

「……姫」

「……」

「二度目は勘弁してくれと、言ったよな?」

「……、」

「そしてお前、はっきりと頷いたよな?」

「…………」

 

 輝夜の目尻にじわりと涙が浮かぶ。ふるふると肩が震え始める。絶世の美貌を持つかぐや姫が小動物よろしく縮こまって半泣きになる姿は、きっと、世の男が見たら発狂してあつち死に(・・・・・)するほどに可愛らしかったことだろう。

 だが生憎、今の銀山にはそんなことなどどうでもいい。満面の笑顔のまま輝夜の肩に手を置き、凄絶なまでに優しい声で。

 

「――箸、返してくれるな?」

 

 輝夜からの返事はない。結局最後まで、彼女は人の言葉を取り戻すことができなかった。

 ただ一度、ぐすっと、鼻をすすって。

 それからまるで今生の宝物を手放すかのように、震える両手で、箸を銀山へと差し出したのだった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……やりすぎちゃった」

「いや、それはやりすぎというか、なんか……その」

 

 輝夜がその失敗談を話すと、雪はとても微妙そうな顔をした。優しい性格の雪でさえ、気遣いの一言すら言えない様子だった。

 そうだよなあ、と輝夜は思う。ご飯を食べさせようとして銀山の喉を箸で一突き、いや二突きしてしまったなんて、笑い話以外のなにものでもないではないか。

 雪は右頬に手を添えながら腕を組んで、半ば呆れるようにため息をついた。

 

「初めに聞いた、本棚に潰されたお話もそうなんですけど……姫様ってもしかして、ドジっ子なんですか?」

「そ、そんなこと……」

 

 ない、と言い切りたかったが、ここ数日の自分を振り返ると否定できなかった。本棚と食事の件を筆頭に、犯した失敗は既に数えきれない。

 ああ、もしかして自分は、ドジっ子なんだろうか。少し前に、雪が手本として銀山を看病してみせたことがあったが、それと比べると、なんだか無性に泣きたくなってきてしまう。同じ女なのに、輝夜の方が何百倍も長生きしているのに、どうしてここまで理不尽な差が生まれるのだろう。ああ、神様は不公平だ。『天は二物を与えず』なんていうが、雪は二物どころか、三つも四つも五つも素晴らしいものを与えられているじゃないか。

 

「ちょっと気負いすぎですよ。一旦深呼吸しましょう?」

「ううっ……」

 

 雪の優しい声音が胸に沁みる。ああ、雪みたいな女になりたい。

 

「ほんと、なにもできないんだなあ。私って」

 

 色々なことをしたいと思うようになって、初めて気づく。蓬莱山輝夜には、好きな人一人を不自由させないように助けてあげることすら、できやしない。

 

「こんなんだったら、もっと色々勉強しておくんだったなあ」

 

 今までぐうたらに生きてきた時間を少しでも他のことへと当てていれば、雪には及ばないにせよ、もうちょっとはいい女になれていたのだろうか。銀山に迷惑を掛けることなく、きちんを彼を助けることができていたのだろうか。

 そう思ってしょぼくれていると、ふいに雪がくすりと笑みをこぼした。嘲るのではなく、慈しむように透明な微笑みだった。

 

「姫様、可愛いですねえ」

「えっ……な、なによいきなり」

 

 いきなりのことだったので、つい狼狽えてしまう。さんざ美しいと褒められてきた輝夜だが、可愛い、と言われたのは初めてだった。

 

「だって姫様ったら、とっても一生懸命に恋をしてるんですもの」

「……そう、かしら」

 

 曖昧に返しながら、けれど心では、そうなのかもなあと思う。ここしばらくは、四六時中銀山のことばかりを考えている。どうやったら銀山の助けになれるかとか、明日は銀山となにをしようかとか、銀山のために明日はもっとこうしてみようとか。今まで『私』を中心にして考えていたことが、全部『銀山』に取って代わった――そんな具合に。

 なんともまあ、我ながら随分と、一途なことだった。

 

「大丈夫ですよ、銀山さんはお人がいいですから。姫様が自分のために頑張ってくれてるんだってことは、ちゃんと気づいてくれているはずです」

「そうかな」

「そうですとも。だって私、姫様よりも、銀山さんのことをよく知ってますからね」

「む」

 

 得意そうに胸を張る雪の物言いが、少し、癪に障る。銀山と雪がそういう関係でないのは、知っているけれど。けれど、銀山のことを自分が一番よく知っていたいと思う、この感情は、きっと嫉妬なのだろう。

 無言のまま唇を尖らせていると、その反応を予想通りだと言うように、雪が「ふふ」と笑みを深めた。

 

「だから銀山さんのこと、もっとよく知ってあげてくださいね」

 

 雪曰く、銀山は恋愛事に対して自然体だという。つまりはなんの構えも取らず、踏み込むことも遠ざかることもせず、ただそこに在るだけ。恐らく彼は、自分が誰かと愛し合うということを想像すらしていないのだろう、というのが雪の見立てだった。

 相手がこれなのだから、こっちまで受け身になったってなにも始まらない。銀山が優しい性格であることを利用して、失敗を恐れずにどんどん行動してみるべし。

 だから輝夜は、もうちょっと頑張ってみようと、思った。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「ねえ……銀山のこと、『ギン』って呼んでみていい?」

 

 その問いを、銀山は少なからず意外だと思った。まさか輝夜の口からその呼び名を聞くことになるとは、予想だにしていなかった。

 御行の襲撃事件から一週間と半分ほどが経ち、貸してもらっている小舎が次第に第二の家となりかけてきた銀山に対し、輝夜が向けた表情には薄い緊張の色があった。

 彼女が口にした『ギン』という呼び名は、現時点で秀友だけが使っている銀山に対する愛称だ。秀友はしばしば見舞いという建前でここにやってきてはあれこれ騒いでいくから、なにかの拍子で耳に挟んだのだろう。

 だが、よもやその呼び名を使ってみてもいいかと尋ねてくるとは、どういう心境の変化だろうか。特別嫌なわけではないが、なぜ、くらいの詮索はしてみたくなる。

 

「それはまた、どうして?」

「えっ……? それは、ええと、その」

 

 問えば、輝夜は困り顔をして俯いた。答えに窮するということは、単に呼びやすいからとか、好奇心に刺激されたからとか、そういった単純な理由ではないのだろう。

 ならば必然、銀山の推測はある一つの可能性に行きつく。相手を対して愛称を使う、もう一つの理由――呼びやすさからでも好奇心からでもない、純粋な、親愛の表現。

 一番気が置けない親友だからと秀友がその呼び名を使うように、或いは輝夜も、また。

 愛称を使ってみたいと思うほど心を開いてくれているのだとすれば、一人の人間として光栄でもあるし、また男としては複雑でもある。

 苦笑し、

 

「まあ、好きにしてくれていいよ。嫌いじゃないしね」

 

『銀山』の一文字目を取っただけの単純な愛称だが、それなりに気に入ってもいた。ギン――銀は、銀山にとって最も馴染みの深い色だから。己を表す代名詞として、これ以上はないのではなかろうか。

 深く追及されなかったことを、輝夜は多少なりとも安堵したようだった。胸を撫で下ろし、それからすぐに人懐こい笑顔を浮かべて言う。

 

「ありがと。それじゃあこれからは、遠慮なく『ギン』って呼ぶわ」

「ああ」

「それで……その」

 

 と、輝夜の声音がふいに不明瞭になる。頬を朱色にして肩を縮めた彼女は、一度なにかを言おうとして、けれど言葉にできないまま俯いた。

 

「今度はどうした?」

「いや、あのね……」

 

 輝夜は、銀山をチラチラと何度も窺いながら、

 

「あんたは私のこと、なんて呼んでたっけ」

「なんてって、普通に『姫』って――ああ」

 

 そこまで答えたところで、銀山は輝夜の言わんとしているところを悟った。なるほど、これは確かに、自分から言い出すのは少し恥ずかしいかもしれない。

 

「じゃあ、なんて呼べばいい? 愛称だったら……『かぐちん』とか?」

「……」

 

 ぱっと思いつきで言ったら、とても微妙そうな顔をされた。

 

「なら、かぐや……かぐー……『ぐーや』とか」

「……やっぱり普通に『輝夜』でいいわ」

 

 どうやらお気に召さなかったらしい。そんなにダメだろうか、ぐーや。

 輝夜は小さくため息をつく。

 

「第一、御行と戦ってた時に、私のこと『輝夜』って呼んでたじゃない」

「……そうだったか?」

「そうだったでしょ……ってなによ、覚えてないの?」

「あの時は色々必死だったからねえ……」

 

 銀山は基本的に相手を下の名で呼ぶから、ついそれが出てしまったのかもしれない。

 

「……」

 

 輝夜は黙っていた。黙って、銀山からの答えを待っていた。頼りなげに揺れる瞳で、銀山が頷いてくれるのを祈るように。

 

「……本当にいいのか? 後々になって不敬罪とか持ってくるのはなしだぞ?」

「そんなの今更でしょ。今だって、敬語なしで話してるんだもの」

「まあ、それもそうか。……ならこれからはそういうことにしようか、輝夜」

「っ……」

 

 名を呼ぶと、輝夜の小さな肩が一瞬、震えた。いきなり呼ばれるとは思っていなかったのだろうか。

 だがその動揺もすぐに、込み上がってきた喜びの色へと取って代わる。にへ、と輝夜はだらしなく頬を緩めて、

 

「うん。そういうことでよろしく、ギン」

「はいはい、輝夜」

 

 かぐや姫と親しく名前を呼び合う関係とは、遂に来るところまで来てしまったなと、銀山は思ったが。

 

「うん、……よろしくね、ギン」

 

 そう言って笑う輝夜の面差しが、なんだかとても、幸せそうだったので。

 これはこれでいいかと、銀山は何も言わないことにした。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 それからすぐ、そろそろ昼食の時間だという話になって、輝夜が支度をするために小舎を飛び出していく。

 程なくして、入れ替わるように、竹取の翁が戸を叩いてきた。

 

「翁殿……」

「ああ、そのままで構いませんよ」

 

 体を起こそうとした銀山を、翁の掌が柔らかく制する。

 

「まだ傷に響くでしょう。無理はなさらないでください」

「……ありがとうございます」

 

 翁がここを訪ねてくるのは、今回が初めてではない。依頼主という立場上か、たびたびやってきては、銀山の怪我を気遣ってくれていた。

 

「お世話になっています」

「構いませんよ。このくらいの恩返しは、させてください」

 

 こちらの近くに腰を下ろす、その動きにはやはり水が流れるように自然な教養が染みついていて、本当に元平民なのかと疑ってしまうのはあいかわらずだった。他の貴族たちに爪の垢を煎じて飲ませてやりたくなってくる。口端をゆっくりと動かして微笑む仕草ですらも、隅々まで垢抜けしすぎていた。

 

「いかがですか。輝夜が、なにか迷惑を掛けてはいませんでしょうか」

「あー……まあ、色々と頑張ってはくれています」

 

 喉の奥を箸で二回も突かれて死にかけたのは、まだ記憶に新しい。

 翁は、その答えを初めから予想していたようだった。

 

「こちらの教育が足りず、お恥ずかしい限りです」

「いえ、気にしていませんよ」

 

 世辞ではない。さすがに喉を箸で突かれたのは例外だが、銀山の世話を焼こうと東奔西走するお転婆な輝夜の姿は、見ていてそれなりに楽しくもあった。もし輝夜が、教育が隅々まで行き届いた生粋のお嬢様だったら、こうはいかなかったろう。

 

「あれくらいやんちゃな方が、下町の男にはちょうどいいですよ」

「そうですか。そういえば、門倉様のご友人……神古様には、とても素敵な奥方がついておられましたが、門倉様にはそういった方は?」

「いませんよ」

 

 苦笑混じりに答える。種族問わず女性の知り合いは多くいるが、伴侶と呼べるほど深い仲になった相手は一人もいない。

 

「広く浅く、友人程度の相手ばかりです」

「そうなのですか」

 

 翁は、少し意外そうな口振りだった。

 

「門倉様でしたら、きっと引く手数多でしょうに」

「ッハハハ。そういえば昔から、妙な相手に好かれますねえ」

 

 人間と妖怪の共存を夢見る境界の少女であったり、鬼たちの頂点に君臨し『鬼子母神』と畏怖されるようになった少女であったり。数多くいる友人の仲でも特に親しいのは、みんな性格に妙な一癖がある者たちばかりだ。

「なるほど」と翁は咀嚼するように頷いて言う。

 

「確かに輝夜にも、あれで少しばかり妙なところがあるように思います」

「……」

 

 それは一体、銀山にどんな返事を期待しているのだろうか。

 翁は、閉口している銀山を特に気に留めた風でもなく、陽の光が降り注ぐ窓外を望むと、昔を思い出すようにふっと目を細めた。

 

「最近の輝夜は、とても元気になりました」

「元気すぎるくらいだと思いますが……昔は違ったのですか?」

「ええ。外でこそ、輝夜は箱入り娘とされていますが……実際は少しばかり違います。半分は正解であり、また半分は、誤りでもあります」

 

 ここで二週間近く生活してみて気づくことだが、輝夜には貴族である割に鈍くさいというか、教育が行き届いていないところがある。それはつまり、お嬢様として手塩にかけて育てられたわけではない、ということ。

 

「もともと輝夜は、屋敷の中を好む傾向にありました。誠にお恥ずかしいのですが、あけすけに言ってしまえば、引きこもりの嫌いがあったということになります。もちろん、私が輝夜を箱入りとして育てたのも事実ですが」

「ふむ……」

「そして、もう一つ」

 

 翁の面差しにかすかな陰りが差す。彼はゆっくりとまぶたを下ろし、目元の皺を少しだけ深くしながら、ため息をつくように言った。

 

「かぐや姫として持て囃されることに、少しばかり、倦んでいたようなのです」

 

 故に輝夜は、箱入りとして育てられる一方で、

 

「輝夜自身もまた、望んで屋敷の外に出ようとしなかったのです」

「……そうですか」

 

 翁から告白された事実を、銀山は意外だと思う。そして同時に、仕方のないことだとも思った。人の口に戸は立てられない。人が望む望まないに関わらず、噂話は人の口から口へと伝染し、語り手に都合のいいように解釈され、一人歩きを続けていく。歩き続ける中で、まったく別物の存在へと姿を変えることだって珍しくない。

 噂とは、人間が最も簡単に生み出すことのできる、魔物なのだ。

 

「それで、このところは元気がなかったのですか?」

「ええ。結果的には、そういうことになります」

 

 奥歯に物を挟めたような言い回しだ。銀山はなにも言わず、黙して翁の言葉を待った。

 翁は、後悔するように緩く首を振った。

 

「ですが私は、育ての親として、輝夜の幸福を望んでおりました。伴侶となる者を見つけ、幸福な家庭を築くことを。……故に輝夜の同意を充分に得ないまま、貴族様方の婚姻の申し出を、幾つか、半ば強引に受けてしまったのです」

 

 過日この屋敷を襲撃した大伴御行を含め、五人の貴族が一斉に輝夜へ求婚を行ったという一件は、銀山も噂話では耳にしていた。

 だが噂話は所詮、語るに易く曲解された、事実のように見えて事実でないもの。

 

「あれが、輝夜が外との交流を断つ決定打でした」

「……」

「相当粘着質に、言い寄られまして。……我ながら浅はかでした」

 

 望まない縁談というのがどういうものなのか、銀山にはよくわからないが、少なくとも不快ではあるのだろうと思う。望んでもいないのに勝手に噂ばかりが広まって、望んでもいないのに男たちに言い寄られ続ける日々は、同じことの繰り返しで、息遣いのない牢獄のようで。それだったら自分の殻に閉じこもってしまった方がいいと、輝夜は思ったのだろうか。

 

「輝夜と喧嘩をしたのは、あれが初めてでした」

 

 恥じるように、翁は苦笑した。

 

「どうにか仲直りはできたのですが……それ以来、輝夜はどことなく空元気で振る舞うようになってしまいまして。ですから、なんとかならないだろうかと、屋敷の者たちと頭を悩ませていたのです」

「なるほど」

「色々な手を試してはみたのですが、大した実りも得られないまま――そして、今回の事件が起こりました」

 

 ふいに、翁の話の軸が飛躍する。なぜその話につながるのかと銀山が眉をひそめるのも構わず、翁は立て板に水と語り続けた。

 

「ちょうどその頃、私は、とある陰陽師の方の噂を耳に挟んでおりまして。依頼に従って物の怪を退治するだけでなく、その人柄で傷ついた人の心を開く力があると、もっぱらの評判でした。……なので、もしかするとその方が輝夜の心をも癒してくれるのではないかと、考えたのです」

 

 銀山を見つめて、

 

「はて、その方の名はなんと言いましたかな」

 

 浮かべる笑顔には、好々爺にはどこまでも似つかわしくない、いたずらの色。

 

「確か――門倉銀山、だったでしょうか?」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……私の当ては当たりました。輝夜は門倉様と出会い、確かに、かつての素直な自分を取り戻したようです。輝夜のあそこまで綺麗な笑顔を、私はもう随分と長く見ていなかった」

 

 ……よくも、まあ。

 よくもまあ、こんなにも回りくどい演技を、こんなにも真面目に続けられるものだ。

 

「門倉様のためになにかをしたいと、怪我が治るまで世話をしてやりたいと、訴えかけてきたのは輝夜の方でした。今だって、門倉様がお腹を空かせているからと、心から楽しそうに厨房へと駆けていきました。……本当に輝夜は、元気になった」

「……翁殿。そろそろ、やめにしませんか?」

 

 いい加減に耳がかゆくなってきたので控えめに訴えてみるのだが、翁はとぼけた顔で、

 

「おや、なにをです?」

「……」

「ほほほ、冗談です。……さすがに悪ふざけがすぎましたな。ですが、それだけあなた様には感謝しているのだと、ご記憶ください」

「……はあ」

 

 とんだ好々爺だと思っていたが、どうしてなかなか、茶目っ気がある。

 ひとしきり「ほっほっほ」と笑った翁は、静かに居住まいを正して、銀山に向けて深く頭を下げた。

 

「改めて、門倉様。輝夜のために尽くしてくださって、ありがとうございました」

「……どう致しまして」

 

 だから銀山は、翁に呼ばれた。屋敷に物の怪が現れたことにかこつけて(・・・・・)、輝夜と接点を持たせるために、翁は屋敷の調査という建前(・・)を銀山へと依頼した。

 つまるところ、依頼を受けてから今日に至るまでの銀山の行動は、それはもう面白いくらいに、翁の目論見通りだったというわけだ。

 

(これは、なんともまあ)

 

 手紙を受け取った時点で裏がある気がするとは思っていたが、想像の斜め上だった。この場に齋爾がいなくて助かったと銀山は思う。もし彼がいたら、銀山の胃には今頃風穴が開けられていただろう。

 

「――ところで。一つだけ、私にも予想外だったことがあります」

 

 翁の声音がふいに真剣味を帯びる。浮かべる笑顔はあいもかわらず柔らかだったが、彼はわずかに細めた瞳で、縫いつけるように銀山を見つめた。

 

「輝夜は確かに、あなた様に心を開きましたが――少しばかり、開きすぎたようでもあるのです」

 

 翁の言葉を引鉄にして、屋敷の遠くから甲高い女中の悲鳴が聞こえてくる。

 

『な、なんなのこの煙、もしかして火事!? ――って、ひ、姫様!? こんなところで一体なにをなさってるんですか、早く逃げないと! ……え、料理? …………料理!? 料理なんですかそれ!? ちょちょちょっちょっと待ってくださいっ、炎がっ、炎がっ! あっ、姫様ダメですそんなよそ見しちゃっ、あー!?』

 

 ついでに、なにかが砕ける音やら爆発する音やらが、聞こえて。

 

「……、」

「……もしも」

 

 その騒音を最後まで聞き届けた上で、翁は微塵も動じることなく、たたえた笑みを静かに深めた。

 

「もしも、万が一のことが、あるようなら」

 

 しっかりと言葉を区切って、大切な念押しをするように。

 翁は今一度、深く頭を下げる。

 

「その時は、是非とも。輝夜のことを、よろしくお願い致します」

 

 万が一のことってなんだとか、一体なにをよろしくするのかとか、そんなのわざわざ尋ねて確かめるまでもない。

 つまり、これは。言ってしまえば、『公認』、ということである。

 銀山は、なにも言えない。

 

「それでは」

 

 軽く会釈し、立ち上がった翁が踵を返す。銀山はなにも言えない。翁がほっほっほと笑いながら戸を開けて、外に出る。銀山はなにも言えない。戸がゆっくりと閉まり、翁の姿が陽射しの向こうへと消えていく。銀山はなにも言えない。

 ぱたん、と扉の閉まる音、

 

「……」

 

 数呼吸の間、

 

「…………なんてこった」

 

 情けない男の言葉が、ぽつりと情けなく、夏の空気と混じって消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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