銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第36話 「宴会は水月苑で ①」

 

 

 

 

 

 だららららららららー。

 

 その声を、初めて聞いた人は一体なんだと思うだろうか。少なくともなにか意味のある言葉ではない。ニュアンスとしては、うららららら、とか、だりゃりゃりゃりゃりゃ、とか、マンガの中でキャラクターが連続攻撃を繰り出す時の掛け声に似ているかもしれない。

 だが、掛け声にしてはいささか棒読みが過ぎている。それに時々、舌が攣ったように発音が不明瞭になったりもしていて、なんとも幼稚な感じである。恐らく掛け声ではなのだろう。

 では、なにか。

 太陽が一日の役目を終えたのち、残りの仕事を月が引き継ぎ、夜の帳が下り始めた幻想郷である。わずか一日で妖怪の山の南に出現した白い大屋敷――その二階、見渡す限り広大な宴会場に、百数十人にも上る妖怪、人間、神たちが集結していた。

 煌々と輝く無数の釣行灯が天井を埋め尽くし、次第に強さを増してきた月と一緒になって幻想的な光が満ちる下では、宴会料理をふんだんに盛りつけた膳が南北に渡って六つの列を為している。そこに座布団と一緒になって座る面々には、種族の境目が一切存在せず、いかにも今回の宴会が無礼講であることを物語っている。

 声の主は、宴会場の正面にあたる南側にいた。

 

「だららららららららー」

 

 答えを言えば、それは操のボイスパーカッションだった。よくバラエティ番組などで重要な発表をする直前に、雰囲気を盛り上げるために使われるドラムロールだった。ただし巻き舌がさっぱりできていないので、傍で聞いていてとても残念なドラムロールだった。

 百を超える妖怪たちを前に、ちっとも恥じる様子もなく下手くそなボイスパーカッションを披露する操と、隣には藤千代の姿があり、

 

「それでは、発表しまーす」

「だららららららららー」

 

 一枚の紙を片手にみんなを見回す。みんなは座布団の上に行儀よく座って、藤千代からの発表を心待ちにしている。

 

「さてさて事前に募集を掛けていた『みんなで月見くんのお屋敷に名前をつけようコンテスト』ですが、総参加者は百三、応募総数は百八十八でした。一番多い方で、なんと八つも候補を出してくれた方がいましたよー。ありがとうございますー」

「だららららららららららっ、ららららららららー」

 

 操が途中で息継ぎをする。

 

「そして、その中から見事採用となったのはー……」

「だらららららー……ばばん!」

 

 音楽的才能がきっと壊滅的なのであろう操のボイスパーカッションがようやく終わり、

 

「「……『水月苑』! このお屋敷の名前は、『水月苑(すいげつえん)』に決定しましたーっ!」」

 

 藤千代と操が一緒になって朗々と叫んだ名に、とりわけノリのいい天狗の男衆を中心として、割れんばかりの歓声が上がった。両手を打ち鳴らし、指笛を響かせ、どこから用意してきたのかクラッカーを鳴らし、そしてなぜか殴り合いをしながら、彼らはこの屋敷に贈られた名を祝福していた。

 白い大きな、水月苑。

 入浴はもちろん百人以上の大宴会まで、なんでもござれな温泉宿、である。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 意外にも真っ当な名前だったので、月見は逆にびっくりしてしまった。月見の要望を綺麗に無視してこうも大規模な屋敷を作り上げた連中だから、名前もそれ相応のものになるのではないかと不安に思っていたけれど、どうやら杞憂だったらしい。

 月見は会場の最も上座となる席に座っていて、膝の上には当たり前みたいに「乗せてー」とやってきたフラン。右隣の席には、それを嫉妬して追いかけてきたレミリア。そして左隣の席には、そこを巡って紫と輝夜がキャットファイトをしている隙に、ちゃっかり漁夫の利を掠め取った萃香が座っており、トドメに尻尾には諏訪子が抱きついて眠っているという有り様だった。そんな前後左右を完全包囲された月見の現状が、いかにも子守りを一手に任された哀れなお父さんかなにかのようだったので、お陰様で周囲から向けられる微笑ましげな視線が大変くすぐったかった。

 ちなみに不毛な争いをしていた紫と輝夜は、互いの従者に襟首を掴まれ月見から最も遠い席に連行されたらしく、ここからではもはや姿も見えなかった。殊に八雲家と永遠亭の二ヶ所においては、主人よりも従者の方が圧倒的な権力を有しているのである。

 ともあれ。

 

「水月苑かあ。素敵な名前だね!」

「そうだね」

 

 月見の胡座を座布団代わりに、そして胸板を背もたれ代わりにして、フランが元気な笑顔でこちらを見上げてきた。一緒に温泉に入るなどと公言したあたりから察してはいたが、やはり彼女は、月見に対してそのあたりの羞恥心をさっぱり持ってくれていないらしい。それだけ心を開いてくれているということなのだろうが、隣から突き刺さるレミリアの嫉妬の視線がなかなかキツいので、決して手放しで喜べそうにはなかった。

 レミリアの視線から逃げるように、首を大きく動かして窓から外の景色を望む。屋敷を囲む形でつくられた巨大な池の上には、なるほど、確かに水月が掛かっているから、『水月苑』という名前はこの上ないほどぴったりなのだろう。

 会場の正面では、藤千代と操の結果発表が続いている。

 

「色んな名前があって面白かったのー。あれ、そういえばなんじゃったっけ? 一つ、やけに面白い名前が交じってたよな」

「あー、あれですね。ええとー、……そう、レミリアさんの『十六夜魔館』ですね。多分ギャグだったんだと思いますけど」

「ギャグじゃないわよ!? えっ、いい名前でしょ『十六夜魔館』!?」

 

 藤千代の心ない評価にレミリアが膳を打って喚けば、フランが「やっぱりねー」ところころ笑った。

 

「だから言ったでしょー、お姉様のネーミングセンスはキワどいんだからやめときなって」

「そ、そんなっ。十分以上悩んで考え出した力作だったのにっ」

「よかったねー、これでお姉様のネーミングセンスはダメだって証明されたね」

「み、認めないわよ! ねえ月見、『十六夜魔館』って素敵な名前よね!?」

 

 月見は右腕を掴んでくるレミリアから目を逸らしながら、

 

「……ノーコメント」

「なんで!?」

 

『水月苑』に決まってよかったと心底思う。

 ショックを受けて震えているレミリアに、藤千代がやんわりと苦笑して言った。

 

「レミリアさんー、こういう素敵な日本庭園のお屋敷には、『魔』の文字は合いませんよう」

「そ、それはそうかもしれないけど……」

「それに、『十六夜』ってつくとなんだか月見くんが咲夜さんと結婚してるみたいになるのでダメです」

「――ふえっ、」

 

 月見の一つ奥の列でテキパキと料理の配膳をしていた咲夜が、なんの前触れもなくいきなりすっ転んだ。釣行灯が彩る宙を舞い破滅への秒読み段階に入った料理たちを、近くにいた妖夢やら鈴仙やらが八面六臂の大活躍で見事に救出していく。しかし唯一間に合わなかった魚の刺身が、緩い放物線を描いて幽々子の口の中に消えた。

 それを、妖夢はバッチリと見ていた。

 

「あー! 幽々子様、今お刺身食べましたね!?」

「えー、食べてないわよ?」

 

 幽々子は、あーんと口を開けて、

 

「ほあはひほはひっへはい」

「あれほんとだ……えっ!? じゃあ幽々子様、まさか丸呑みしたんですか!?」

「お刺身は飲み物です」

 

 幽々子はきっと、自分の口に入る大きさのものならなんでも丸呑みできるに違いない。

 それはともかく、すっ転んだ咲夜が未だ立ち上がる気配がなかったので、月見は心配になって彼女の名を呼んでみる。

 

「咲夜ー、大丈夫かー?」

「はえっ!? はっはいっ、全然まったく大丈夫です!」

 

 あまり大丈夫ではなさそうだった。まあ、いきなり結婚だのなんだのと言われれば、年頃の少女だし、困惑するのも無理はなかろう。

 飛び起きるようにして立ち上がった咲夜の顔は、遠巻きの月見から見ても明らかにわかるほどに、真っ赤なのだった。

 そして藤千代の言葉を理解できず放心状態になっていたレミリアも、ようやく我へと返って、咲夜に負けないくらいに顔を真っ赤っ赤にした。

 

「はあああああ!? なんでそんなことになるのよっ、おかしいでしょ!?」

「え? そうだったんですか?」

 

 藤千代は至って不思議そうに首を傾げ、

 

「てっきりレミリアさんの公認だったのかと……」

 

 気を取り直して配膳に戻ろうとしていた咲夜がまたすっ転びそうになって、周囲の妖怪たちに慌てて支えられたのが見える。

 それをよそに、うがー! とレミリアは喚く。

 

「だからなんでそんなことになるのよっ! わわわっ私は認めてないわよ!」

「いえほら、よくあるじゃないですか。自分の大切ななにかに、愛しのあの人と同じ名前をつけるっていうシチュエーション」

「そうなの!? でもそうすると十六夜魔館はダメね! いいわよ水月苑で!」

「へー、そうなんだー。じゃあ私、お部屋のぬいぐるみに『月見』って名前つけようかなー」

「ちょっとフラン!?」

 

 周囲から注がれる生温かい視線の中に、若干刺のあるものが混じりつつあるが、月見の手には負えないので気のせいということにしておこう。

 パンパン、と両手を叩く。

 

「ほら千代、脱線しないで早く話を進めておくれ。料理が冷めちゃうよ」

「あっと、そうですね。まあそんなこんなで、このお屋敷の名前は『水月苑』です。漢字は大丈夫ですかー? 特に鴉天狗の皆さん、新聞にする時に間違えたらぶっ飛ばしますよー?」

 

 鴉天狗の陣営に緊張が走る。

 けれど藤千代はすぐに笑って、

 

「あ、でも大丈夫ですね。このお名前を考えてくれたのは文さんなので、わからなかったら文さんに訊いてください」

「へえ」

 

 なるほど、同じ鴉天狗である文が名付け親なら、必ずしも今確認する必要はない。そうか名付け親は文なのか、と月見は頷き、鴉天狗たちははーいと小学生みたいな返事をして、

 

 それっきり真顔になって沈黙した。

 

 座敷の者たちすべての視線が文へと注がれる。月見からそこそこ離れたところに座っていた文が、「な、なんですか」と小さな声で狼狽える。月見は、先ほどの藤千代の言葉をもう一度頭から咀嚼し直す。

『水月苑』の名付け親は、文らしい。

 文らしい。

 ――ゆっくりと、三つ分呼吸をする間、

 

「「「――嘘だああああああああああ!?」」」

 

 鴉天狗を中心として、爆弾が破裂したような絶叫が轟いた。もちろん月見は叫ばなかったけれど、内心では彼らに負けないくらいに驚いていた。なんていったって、あの文が名付け親だというのだから。

 事情を知らない者たちが突然の騒ぎに目を白黒させる中、津波のように巨大な動揺が鴉天狗たちを呑み込んでいく。やはり同族だからなのか、文が月見を毛嫌いしているという事実は、彼らの間では広く知られているところであったらしい。故にある者は驚愕のあまり右往左往し、ある者は頭を抱えて天を仰ぎ、ある者はものすごい勢いでメモ帳になにかを書き殴り、ある者は驚いた拍子に膳をひっくり返してしまって絶望し、まさしく阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 彼らの叫びは収まるところを知らない。

 

「文!? ……文が!?」

「文が、月見さんの屋敷の名前を、考えた!?」

「しかもこんなまともな名前を!?」

「「「嘘だああああああああああ!!」」」

「ちょっとなんですかみんなして! 私が考えた名前だったらなにか悪いんですか!?」

 

 文が膝立ちになって苦言を呈すけれど、本当に嘘みたいなのだから仕方がない。正直月見としても、未だになにかの冗談なんじゃないかと信じきれないでいるくらいだ。

 この名前を初めて聞いたフランが、言っていたけれど。

 世辞を抜きにして、なかなか素敵な、名前なのではなかろうか。

 

「なんだよ文、嫌いだ嫌いだって言ってた男の新築に、んな真っ当な名前送るなんて……ツンデレか!?」

「なに言ってるんですか!? あっこらそこっ、メモを取るなあああああっ!」

 

 ツンデレという言葉に敏感に反応し、早速メモ帳にペンを走らせようとした鴉天狗の青年が、文渾身の飛び蹴りに打ち抜かれた。青年は「ぶげしゃら」と変な声を上げて後方三回ひねりをキメながら吹っ飛んでいくが、その程度でゴシップ好きな天狗たちが黙るはずがない。天狗たちが次々と茶々を入れ、それに文が片っ端から飛び蹴りで応える百花繚乱が巻き起こった。

 巻き添えを恐れた近くの鬼や河童たちが、自分の料理を持ってそそくさと避難をし始める。勇敢にも仲裁に入ろうとした鬼が、あっという間に宙をくるくると舞う。天狗の男衆を一人また一人と蹴散らしながら、文が大声で喚いている。

 

「ち、違うんですってばーっ! 天魔様にやれって言われたから、仕方なくだったんです! あんなの、パッと頭に浮かんだのを適当に書いただけで」

「おーおー、嘘はいかんぞ文ー」

 

 四回くらいひねって吹っ飛んでいった部下を目で追いつつ、操がくつくつと喉で笑う。

 

「儂が紙を渡してからお前さんが出しに来るまで、軽く三十分はあったじゃろが。実は結構真面目に考えたんじゃろー?」

「ち、違います! それは、その、最初のうちはやる気が起きなくて放っておいてただけ」

「結構書き直した跡もあったよなー?」

「……そ、それはっ」

「「「文のツンデレー!!」」」

「うわああああああああ!!」

 

 がふうっげふうっと次々吹っ飛ばされ、鬼たちに運ばれては部屋の隅に積み重ねられていく天狗たちの屍を眺めながら、月見は一つ、深めのため息をついた。

 もちろん月見とて、外の世界で古今東西多種多様な文化に触れて生きてきた身なので、ツンデレがどういう意味の言葉なのかくらいは、知っているけれど。

 

「……操ー、このままじゃあ屋敷が瓦礫の山になるぞー」

 

 文が繰り出した飛び蹴りの数に比例して、座敷で段々と不穏な風が逆巻くようになってくる。風を操る能力を持つ文は、感情の(たが)が外れてしまうと、無意識のうちに竜巻やらなにやらを起こしてしまう傾向にあった。フランとレミリアが、飛ばされそうになった帽子を慌てて両手で押さえた。

 

「おー、すまんすまん」

 

 操は至って愉快げに、

 

「まったく文が可愛らしかったからつい。というわけで千代っ、君に決めたのじゃ! 仲裁は任せたっ」

「もう、仕方ないですねー」

 

 やれやれ調子で、けれど藤千代もまたどことなく愉快げに、嵐の中心へと歩を進めていく。それだけで、事の結末が果たしてどのようになるのか、月見には天啓さながら豁然(かつぜん)と察することができた。

 月見が心の中でそっと合掌を捧げる中、

 

「皆さん、そんなに暴れちゃダメですよー」

 

 藤千代は腕まくり、

 

「はい、そこまでですー」

 

 一拍、

 

「――てりゃぁっ」

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――はい、というわけでいい加減に始めましょうかー。皆さん、料理はちゃんと行き渡ってますねー?」

 

 嵐は、すっかり収まっていた。騒乱の元凶であった天狗たちは、みんなが頭の上に大きなたんこぶを作って、痛みやら涙やらを耐え忍びながらガチガチの正座をキメていた。

 それが、いかにも親や先生にこっぴどく叱られた子どもを思い起こさせるからだろうか。幽々子が元気よく手を挙げ、わざとらしくかわいこぶった声で叫ぶ。

 

「はいはーいっ! 藤千代ー、私のところに来てる料理がなんだか少ないでーす!」

「大丈夫みたいですねー。それじゃあ乾杯しますので、皆さん準備をー」

 

 藤千代が華麗に無視して手を叩けば、みんながそわそわと酒の準備をし始める。大多数が日本酒だが、スカーレット姉妹と咲夜は赤ワイン。早苗は未成年飲酒に抵抗があるらしく、オレンジジュースを注いでいた。

 

「よーし、ほら月見! たくさん呑むんだぞー!」

 

 そして月見の猪口へは、左隣の席に座る萃香から、伊吹瓢の中身がなみなみ注がれた。途端に強い酒の香りが立ち上がって、膝の上のフランが、うわ、と少ししかめっ面をした。

 

「なあにこれ、くさいー」

「なんだとー? こいつの香りのよさがわからないたあ、あんたもまだまだ子どもだねえ」

「私はワインの方が好きー。ねえ、お姉様?」

 

 話を振られたレミリアは、すっと得意げに胸を張って答えた。

 

「そうね。でも仕方ないのよフラン。ワインっていうのは、私たちみたいな一人前のレディが嗜むものだから! こいつみたいな、レディの『レ』の字もないようなガサツなやつには飲めないの!」

「あっはっは!」

 

 その皮肉をどこ吹く風と受け流し、萃香は呵々と笑って言う。

 

「確かに私は、レディっていえるような品の良さとは無縁だねえ。仕方ないね、それが育ちってもんだ」

 

 もうすっかり癖になっているのだろう、無意識のうちに伊吹瓢を口に傾けようとして、すんでのところではっと思い止まる。それから愛想笑いを浮かべて伊吹瓢を置くと、早く始まらないかねえと頬を指で掻く。

 何分人数が多いので、全員に酒が行き渡るには少し時間が掛かるだろう。

 ちなみに月見の尻尾に引っついていた諏訪子は、料理が行き渡ると同時に早苗に回収されている。もちろん最初は駄々をこねていたが、早苗が「諏訪子様の分も神奈子様が食べちゃいますよー」と呟くなり、血相を変えて早苗の下僕と化した。ご飯の力は偉大だった。

 ちなみにちなみに、それを受けた神奈子は、「私そんなに大食いじゃないよ!?」と顔を赤くしていた。

 会場の正面から戻ってきた藤千代と操が、月見の向かい側の席に腰を下ろす。

 

「それじゃあ、乾杯の音頭取りは月見くんにお願いしますねー」

「ああ、了解」

 

 特に異論はない。今回の月見はみんなの世話になった立場なので、それくらいはやらなければならないだろう。

 

「どれフラン、少しどいてくれるかい」

 

 立ち上がるには、膝の上のフランが少々邪魔だ。目の前でふんわり広がっている彼女の帽子を、ぺしぺしと叩く。

 けれどフランは動く素振りを見せず、こちらを見上げて駄々っ子のように微笑むと、

 

「抱っこしてくれてもいいんだよ?」

 

 そう言った瞬間、レミリアに引きずり下ろされて強制退場となった。「冗談もいい加減にしなさい!」とレミリアが叱りつけるが、当のフラン本人がとても不満そうにぶーたれているので、あながち冗談でもなかったらしい。本当に、随分と懐かれてしまったものだ。

 ともあれ、猪口を手に取って立ち上がる。酒がなみなみ注がれていたため少しこぼれるが、この際気にはしない。どうせすぐに、飲んでいるのか浴びているのかわからない状態になるのだから。

 全体を見渡せば、ちょうど酒も行き渡ったらしい。

 コホン、と咳払いを置いて。

 

「それじゃあ、挨拶も兼ねて少し話すよ」

「「「いえ~!!」」」

 

 子どもみたいな反応が返ってきた。月見は小さく苦笑し、それから真顔になって、

 

「で、どこからどう見ても普通じゃない家をつくってくれたことについて、なにか申し開きを聞こうか」

「「「温泉に入りたいでーす!!」」」

「欲望に忠実で大変よろしい。張っ倒すぞ」

「「「楽しみにしてまーす!!」」」

 

 男性陣はもちろん、とりわけ女性陣の勢いが強かった。やはり人ならざる存在なれど日本育ち。温泉で寛ぎ疲れを癒やしたいと思う和の心は、種族が違えど変わらないらしい。

 

「まったく……でも、まあ」

 

 吐息のように、月見は言う。木造三階建て、豪華日本庭園つきの温泉宿――当初の予想を大幅に外れた結果には、なってしまったけれど。

 けれど下心ありきとはいえ、家づくりを無償で請け負ってくれたみんなの心意気は、ありがたいものだと思ったので。

 

「……お疲れ様。ここをどういう風に切り盛りしていくのかは決まってないけど、今日くらいは、好き勝手にやろうじゃないか」

「「「いえ――――ッ!!」」」

 

 叫び、みんなが盃を高くに掲げる。これ以上はもう待ち切れないと、各々の瞳の奥で満天の星空が瞬いている。

 だから月見は、息を吸って。

 

「――乾杯!」

「「「かんぱあああああい!!」」」

 

 夜の帳が下りてくる、青白い月夜の幻想郷で。

 されど水月苑には、まだまだ、夜は来そうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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