銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色

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第41話 「その夜のこと」

 

 

 

 

 

「――というわけで諏訪大戦はそんな感じだったんですよあの時の月見くんは本当に素敵であっいえいえもちろん今だってとっても素敵ですよ当たり前じゃないですか月見くんが素敵じゃなかった時なんて今まで一瞬たりともないですよずっとずっと素敵な私のうんめいのひとなのですああもうほんとに思い出すだけでなんだか体がむらむらしてくるんですよねどうしましょうこれひょっとしたら今夜は眠れない夜かもしれませんよえへへへへへ……」

 

 月見たちが話を終えると案の定藤千代がトリップしだしたので、みんな揃って放置することにした。

 畳の上に寝転がって右へ左へ行ったり来たりしていた藤千代を、操が「あーはいはいあっち行ってようねー」と慣れた手つきで座敷の隅までごろごろ転がしていく。

 

「あの、月見さん……なんですかあれ」

 

 トリップする藤千代を初めて見た早苗が、目を白黒させて転がされていく彼女を指差すけれど、あいにくあのトリップ現象については月見も説明できるほど詳しくは知らないし、特別知りたいとも思っていない。月見にとってあまりありがたくない桃色な妄想が繰り広げられているのは明らかなのだから、知らぬが仏である。

 

「まあ、そういうものなんだよ。あんまり気にしないで」

「は、はあ……」

 

 早苗は若干引いているみたいだった。そのあたりに関しては、初対面でいきなり「『どうか僕を、あなたの犬にしてください』って言ってくれませんか?」なる大迷言を炸裂させた彼女も大概だと思うのだが、気のせいだろうか。

 

「へー。月見、その頃って九尾だったんだー」

 

 一方で月見の膝の上のフランは、藤千代のトリップ現象については特になんとも思わないようで、体を前後に揺すりながらつぶらな瞳で月見を見上げた。

 

「いつから今みたいになったの?」

「大戦が終わったあとだよ。少し休んで腕も元通りになった頃に体を確認したら、いつの間にかね」

「へえー」

 

 信仰が根強い洩矢の国を、いかにして大和に併合するか――そのあたりを神奈子と諏訪子があれこれ話し合っている間に、一週間ほど大和の方で静養させてもらって、ある日ふと尻尾の具合を確認してみた時には既に十一尾になっていた。パチュリーも言っていたが、死力を尽くして戦った結果新たな力に目覚めるとは、少々ファンタジックな気がする。

 ちなみに月見よりも明らかな重傷だった藤千代は、三日目の時点で根本からなくなった両腕含めて完全回復していた。解せない。

 

「え? 今みたいって、今は違うんですか?」

 

 なにも知らない早苗が小首を傾げれば、フランはえへんと我が物顔で胸を張って、

 

「うん! 月見ね、今はなんとじゅむぎゅ」

「はいはい、だからそんな大声で言わない」

 

 昔話を始める前に一度注意したはずなのだけれど、どうやら長い話に忘れられてしまったらしい。すかさずフランの口を両手で塞ぐ。

 

「え? 月見さんがじゅげむ?」

「違うから」

 

 早苗がわけのわからない聞き間違いをしている。

 

「あっ、儂それ全部言えるんじゃよ! じゅげむーじゅげむーごこうのすりきれー!」

「言わなくていいから」

 

 そして部屋の隅で操がわけのわからない悪ノリをしている。そんなの、正しく言えたとしても誰もわからないだろうに。

 

「かいじゃりすいぎょのー、すいぎょうまつーうんらいまつーふうらいまつー! ……しかしやっぱり昔のことだからか、千代も今とは随分違う感じだったのー」

 

 結局寿限無の暗唱を途中でやめた操が、そそくさとこちらに戻ってきて座敷に座り直す。部屋の隅でごろごろしている藤千代は完全に放置らしい。

 月見は、遠くから聞こえる「うふふふふふふふふふふ」と幸せそうな笑い声を極力意識しないようにしながら、

 

「……そうか? 今と大して変わらないと思うけど」

「いやほら、お前さんのことも『月見さん』って呼んどったし」

「ああ。今みたいに呼ばれるようになったのも、大戦が終わってからだね」

 

 それが、藤千代なりの親愛の表現らしい。彼女が人を君付けで呼ぶのは月見だけだし、ちゃん付けで呼ぶのも操だけだ。一方で藤千代のことを『千代』と呼ぶのも、月見と操だけ。

 

「それにしても、藤千代さんすごかったですね……。あの人が本気で暴れたら、幻想郷なんて壊滅しちゃうんじゃないですか?」

「え、そんなの当たり前でしょ?」

「……」

 

 諏訪子の即答に、早苗は真顔で押し黙る。

 諏訪子は月見の尻尾に絡みつきながら、呑気に笑って、

 

「ま、月見がいるなら大丈夫じゃない? なんてったって、その藤千代に勝ってるんだし」

「月見さん……! もしもの時は、幻想郷をよろしくお願いします!」

「やだよ」

 

 月見の即答に、早苗はまた真顔で押し黙る。

 

「第一ね、勝ったっていっても、話した通り運がよかっただけだよ。最後だって、藤千代が暴走してくれたからこそ、上手い具合に幻術がハマったんだ。そうでなかったら負けてたのは私だし、仮にもう一回戦ったとしても、二度と勝てはしないだろうね」

 

 前半は、本気を出してくれていなかったから。後半は、暴走してくれたから。だからこそ月見は諏訪大戦にて勝ちを拾えたのであり、初めから藤千代が純粋な意味で本気だったなら、結果がどうなっていたかなどわざわざ論じる意味もないだろう。

 早苗が絶望の表情をする。

 

「そ、そんな……! じゃあ、もしも藤千代さんが暴走してしまった時は一体どうすれば……!」

「そもそもしないと思うけど」

 

 えへへへへへなんてトリップしながら、部屋の隅を絶え間なくごろごろしているし。

 

「でもまあ、その時は紫でいいんじゃないかい」

 

 月見は、離れたところで輝夜と睨み合いをしている紫へ目を向けた。同じ規格外な能力を持つ者同士、紫に任せた方が何倍も勝率は高いだろう。むしろ能力の一点のみを見れば紫の方が規格外だから、案外普通に勝ってしまったりするかもしれない。たとえ見た目が普通の少女でも、妖怪としての実力は天下一品なのだ。

 そんな紫は月見の視線に気づくと、パッと表情を明るくして、

 

「えっ、なにどうしたの月見!? あっわかったよ私とお話したいんでしょ! いいわよちょっと待っててすぐ行」

「行かせるかあああああっ!!」

「きゃあああ!?」

 

 そして立ち上がりかけた瞬間、間髪を容れず輝夜に飛びかかられて押し倒された。

 

「ちょっとあなたいい加減にしてよ! いくら温厚篤実な私でも、さすがにそろそろ我慢ならないわよ!?」

「温厚篤実ってどういう意味だったかしら。……それはさておきあんただけはダメよ! 私の本能が叫んでるわ、あんただけはギンに近づけちゃいけないって!」

「ふんだ! 言っておくけど私は月見に呼ばれたのよ! 私は呼ばれた! あなたは呼ばれなかった! これが実力の差よ!」

「紫ー、別に呼んでないから気にしないでいいぞー」

「月見のばかあああああっ!!」

 

 ふぎゃー! とまた喧嘩し出した二人よりちょっと離れたところで、藍と永琳が一緒に酒を注ぎ合っている。どちらも、大分疲れ果てた顔をしていた。やはり幻想郷において、従者は苦労人ポジションなのだった。

 

「しかし、運がよかったとしてもよく千代に勝てたもんじゃのお。最後、千代の姿が見えとったらしいけど、なにをやったんじゃ?」

「ん……そうさねえ」

 

 操の疑問はもっともなのだけれど、少なからず答えにくい問いだった。結論をいえば、『当てを外す程度の能力』を使ったからに他ならない。己の能力で幾千の相手を打ち破ってきた藤千代は、ただ歴然とした事実として、この能力はまず破られないと理解していた。月見では絶対に自分の姿を捉えられないと、思い込んでいた。

 その認識に間違いはなかった。慢心でも自惚れでもなく、間違いなく事実だった。――そして、その事実を打ち破ってみせるのが、月見の能力だった。

 だからこそ、答えにくい。『当てを外す程度の能力』における最大の弱点は、相手にその名を知られてしまうこと。この能力は自分の運命を相手に委ねる、天国か地獄かの大博打をするようなものなのだから、タネを知られてしまえばそれだけで大きなデメリットになる。

 あ、と小さく声を上げたのはフランだった。

 

「もしかして、能力を使ったの? 私の時と同じで」

「……まあね」

「ほー? なんじゃあそれは、気になる話じゃの」

 

 操に探るような流し目を向けられ、「話してもいい?」とフランが月見を見上げる。月見は、まあそれくらいならいいだろうと思って、吐息混じりに頷いた。

 

「えっとね……月見が初めて紅魔館に来てくれた時のことなの。その時は、まだ私の中の狂気がずっと大きくて」

「ふむふむ」

 

 フランの話に耳を傾けながら、操がくいっと猪口を呷って、

 

「それで私ね、暴走しちゃって、『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』でね、月見の『目』をドカーンしちゃったんだけど」

「ブフゥッ」

 

 噴き出した。噴き出した酒は神奈子にかかった。

 

「は!? 月見の『目』をドカーンしたって、それって死!? 月見、さてはお前さん亡霊じゃなー!?」

「ち、違うよ! 確かにドカーンしちゃったんだけど、でも月見は平気だったのっ!」

 

 詰め寄ってきた操に、フランがわたわたと両手を振る。神奈子にかかった酒を、早苗がわたわたと布巾で拭く。

 

「能力を使ったんだって。私もどんな能力かは知らないんだけど、とにかくそれで大丈夫だったんだよ」

「あ、ああ、なんだそうなのか……」

 

 ほっと胸を撫で下ろした操は、それからすぐ不機嫌面になって、

 

「しかし能力か。お前さん、いつも秘密だ秘密だって言って、いつまで経っても儂に教えてくれんよなー?」

「そのあたりは、なんとなく察してくれると嬉しいよ」

「むう。相手の能力を無効化する能力とかかー? それなら藤千代の姿が見えたのも、フランの能力食らって生きてるのも説明できるが」

 

 月見は苦笑。そういう単純な能力だったなら、一体どれだけ楽だったろうか。

 操は俄然勢いづく。

 

「ぃよぅし、いい機会だしここで能力のこともカミングアウトしちまおうじゃないか! さあさあどうぞ! 恥ずかしかったらーほら、儂の耳に顔を近づけてー、愛をささやくようにぽそぽそっと教えてくれてもいいんじゃよ! ――ってどうしたんじゃ、そんな幽霊でも見たような顔して」

「……ああうん、幽霊というか」

 

 般若が操の真後ろに。

 

「――ねえ、天魔」

「ん? なんじゃよお、今大事な話しとるのに……」

 

 ウザったそうな素振りで振り返った操は、般若――もとい神奈子の、とてもステキな笑顔を見て石化した。表面上では笑顔でも、背後から吹き出すドス黒いオーラは紛うことなき般若の顔を描いていた。

 とてもステキな笑顔の神奈子は、同じくとてもステキな声音で、

 

「ねえ。あんたさ、さっき酒噴き出したでしょ?」

「う、うむ」

「あんたの前に座ってたの、誰だっけ」

「……あ、あー、誰じゃったかなー?」

「ところで私の服、濡れてるよね。なんでかな」

「……ええとー、そのー……なんでー、かなー……?」

 

 操が救いを求める目で月見を見る。月見はさっと目を逸らす。操は救いを求める目で早苗を見る。早苗は「わ、私、布巾洗ってきますね!」と慌てて席を立つ。操は救いを求める目でフランを見る。フランは「あっ、私、いい加減にお姉様を止めてこないと!」と逃げ出す。操は救いを求める目で諏訪子を見る。諏訪子はぐーぐー狸寝入りをしている。

 孤立無援。

 ふるふる震える操に、ポン、と神奈子の肩叩き、

 

「天魔。――表、出ようか」

「い、いやじゃー!? ほっほらほらあれって驚愕の事実じゃったし!? 今回はたまたま酒呑んでたのが儂だけじゃったけど、お前さんたちも呑んでる最中だったらやっぱり噴き出してたと思うんじゃよっ! だからこれは不可抗力でやめてお願い引きずらないでー!?」

 

 むんずと足を掴まれ、操がズルズルいずこかへと引きずられていく。

 

「ああっ、着物が、着物がまくれてっ、ちょっ神奈子ストップストップちょっと冗談ならないところまでまくれてきたいやあああああ操ちゃんまさかのサービスショットー!?」

 

 畳と擦れて大分際どいところまでまくれあがってきた着物を、操が必死に両手で押さえて抵抗するけれど、神奈子は意にも介さない。

 

「も、椛ーっ! ご、ご主人様のピンチじゃよ! ビーフジャーキーあげるから助けてー!?」

「……」

「あれ無視!?」

 

 ついでに椛もまったく意に介さない。

 そして座敷の端まで到達した神奈子は、大窓を広々開け放って、闇も深まり始めた夜の世界へと、

 

「そおい」

「ぎゃあああああ!?」

 

 操を放り投げた。黒髪に黒の着物で黒ずくめな操の姿が、あっという間に夜に紛れて――或いは真下に落下して――見えなくなる。

 更に神奈子自らも夜の中へと身を躍らせ、

 

「かっ神奈子、いくらなんでもいきなり投げ捨てるのはひどい――ってまさかのオンバシラ完全武装!? まっ、待つんじゃ確かに食後の弾幕ごっこってのも乙なもんじゃけどっ、いやーほら儂って鳥目だからもうお前さんの姿もろくに見え――見えないからヤメテ!?」

 

 一瞬、スペルカードを発動したらしい光が煌めき、七色の弾幕が一方的に夜を彩り始める。おっ遂に始まったかーなどと口にしながら、何人かの妖怪たちが窓際に寄って見物を始める。その様をぼんやり眺めながら、月見は音のないため息をもらす。

 ……どうやら水月苑の夜は、まだまだ、静かになりそうにない。

 

「にゃああああああああああ!?」

 

 あ、操が墜ちた。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 ――これは、宴会に参加したほとんどの者たちが知らない、水月苑の夜がとっぷりと深まりきったあとのこと。

 八坂神奈子の天罰で操が撃墜されて以降も、ひっきりなしに名を呼ばれては座敷中を歩き回っていた月見が、ふいにその口元を押さえて、肺の中の息をすべて入れ替えるような大あくびを飛ばした。

 ちょうど妖夢が、幽々子とともに、祖父との思い出話を聞かされていた頃だった。

 

「あらあら。月見さん、お疲れですか?」

 

 そのあくびがあんまり大きかったので、幽々子がくすりと笑みをこぼす。

 月見も、照れ隠しをするように軽く笑って、

 

「そうだね。酔いも大分回ってきたみたいだ」

 

 無理もないと妖夢は思う。月見は名を呼ばれ行く先々でみんなから酒を注がれ、鬼たちにも負けないくらいの量を呑んでいた。酔いが回ってきた、なんて今更のように言っているけれど、きっととっくの昔に酔っぱらっていただろう。

 月見は、酔いが顔や態度に出るタイプではないらしい。こうして話をしてみても、特別、今までの様子と変わったところは見られない。

 ただ、とても眠そうだ。またあくびをしている。

 

「月見さんは、酔うと眠くなるタイプですものね」

「そうなんですか?」

 

 妖夢が月見を見ると、彼は涙がにじんだ目をこすりながら、

 

「普段は、眠くなるまで呑むことなんてまずないんだけどねえ。さすがに今日は呑みすぎたよ」

「あの……でしたら、無理はなさらなくて大丈夫ですよ」

「そうね~。私たちも、普段ならもうとっくに寝てる時間だしね」

 

 日付は随分前に替わっているし、ほとんどの参加者たちはとっくに酔い潰れて、好き勝手に雑魚寝をして幸せそうないびきをかいている。妖夢だって、まぶたがちっとも重くなっていないわけではない。

 眠そうな月見の姿に影響されたのか、幽々子が、あふ、と小さなあくびをして、

 

「なんだか私も眠くなってきましたわ~。それじゃあ月見さん、一緒に寝ましょう?」

「えっ」

 

 妖夢は思わずドキリとしたが、月見はどこ吹く風と笑って返す。

 

「一緒に寝るって言ってもね。どうせ、このままここで雑魚寝する感じになるんだろう?」

「お布団はないんでしょうかね? 私、ちゃんとお布団で寝たいですわ~」

 

 ……どうやら、また幽々子お得意の冗談だったらしい。無駄に焦った自分が馬鹿みたいだ。

 さておき確かに、これから寝るのであれば妖夢も布団がほしいところだった。堅い畳の上で、座布団を二つに畳んで枕代わりに――昼寝ならまだしも、それで朝まで寝るのはあまりよろしくない。きっと体だって節々が痛くなって、目覚めの気分は最悪だろう。

 もっとも鬼や天狗、河童といった面々は、老若男女関係なく堂々と畳を敷き布団にしているけれど。まあ彼らは妖怪だから、たとえ手ぶらで野宿になっても大丈夫なのだろう。

 

「どれ、ちょっと訊いてみるか。……千代ー。ちょっといいかー?」

「はいはーい」

 

 月見が名を呼べば、藤千代が酔った様子も疲れた様子も眠たげな様子も見せずに、やんわり笑顔でこちらの方を振り返る。さすがは鬼子母神というべきか、水月苑建設の総監督を務めたあとにも関わらず、彼女の体力は底なしだった。

 その手には、綺麗に折り畳まれたタオルケットが何枚か。先に眠ってしまった仲間たちに、一人一人甲斐甲斐しく、タオルケットをかけて回っていた。

 

「どうしましたー?」

「布団はどこにあるのかと思って。さすがにそろそろ眠くてね」

「布団でしたら、このお部屋を出てすぐの納戸に、このタオルケットと一緒に入ってますよ。ただ昨日の今日なので、まだ二十人分くらいしか用意できてませんけどー」

「……二十人分、ね」

 

 どこか乾いた切ない笑みをこぼした月見に、妖夢も苦笑いで同情する。まだ二十人分、ということはこれから更に増えるのだろう。やはりこの水月苑は、温泉宿、なのだった。

 ふと、咲夜が「お手伝いに来てあげなきゃ」とやたら嬉しそうに張り切っていたのを思い出す。紅魔館の家事を取り仕切るだけでも大変だろうに、それでもなお月見の手伝いを申し出ようとは、白玉楼の家事だけで悲鳴を上げている妖夢とは雲泥の差だった。これが従者としての格の違いか。半人前でごめんなさい。

 妖夢が自己嫌悪に陥っている脇で、月見と藤千代の会話は進む。

 

「月見くん、寝るんですかー?」

「ああ、寝るよ。いけなかったか?」

 

 藤千代は首を振り、

 

「いえいえとんでもない。どうぞ、ゆっくり寝ちゃってください」

「じゃあ取ってこよう。……とりあえず三人分でいいか?」

「あっ、わ、私も手伝いますよ!」

「大丈夫だよ。大した量じゃないしね」

 

 半人前でもこれくらいできるもん! と手伝いを申し出たものの、あっさり断られてしまった。月見の優しさ故なのだと気づいてはいるけれど、なんだか頼りにされていないみたいでちょっぴりショックである。

 一旦座敷を出て行った月見は、すぐに両腕に二人分の、そして尻尾にもう一人分の布団を乗せて戻ってきた。

 

「はい」

「あ、ありがとうございます」

 

 月見から布団を受け取る。普段妖夢が使っているものよりも一段ともふもふで、自分のすべてを委ねたくなってしまうくらいに気持ちがよくて、触っただけで早速あくびが出てきた。

 

「月見さんはどこで寝ますか~?」

「どこだって同じだろうさ」

 

 幽々子の問いに短く答えて、月見はその場で布団を広げ始める。じゃあ私はお隣に~、と幽々子がさりげなく隣を陣取っても、まるで気にする素振りがない。広げた布団をパンパンと両手と尻尾でならして、

 

「それじゃあ、お先に休ませてもらうよ」

「あ、はい。おやすみなさい」

「おやすみなさい~。よい夢を~」

 

 おやすみ、と眠たそうな声で小さく言って、最後にもう一度あくびをして。

 そして月見は、ぽん、と軽い音と煙を立てて狐の姿になり、布団の上で丸くなった。

 

「……?」

 

 頭の理解が追いつかなかった妖夢は、小首を傾げて、もう一度目の前の現実を咀嚼し直す。

 月見が、狐の姿になって、布団の上で丸くなった。

 

「……」

 

 狐の姿。

 狐、

 

「――うえええむぐぅっ」

「はいはい妖夢、騒がないのー」

 

 思わず叫びかけた瞬間、幽々子に後ろから口を塞がれた。妖夢はもがもが抵抗しながら、驚愕の眼差しで幽々子を見返した。

 いや、よくよく考えてみれば月見は狐の妖怪なのだから、別に狐の姿になったところでなにもおかしくないのだけれど。

 でも、なぜだろう。まさかこのタイミングで狐の姿になるとは思ってもいなかったからなのか、月見が狐になった姿を想像してもいなかったからなのか、とにかくものすごくびっくりした。今年始まって以来の衝撃だった。

 銀狐である。大きさは、普通の狐より一回りも二回りも大きくて、妖夢が背中に跨がれそうなほど。くすみのない豊かな銀の毛並みはひと目でわかるほどにふさふさもふもふで、釣行灯の明かりをきらきらきめ細かに反射している。狐といえば短い金毛のイメージが強かった妖夢にしてみれば、もふもふの銀狐というのはかなりのインパクトだった。具体的には、あのふっさふさなお腹あたりにもふーっと顔を埋めたくなるくらい。

 

「ふっふっふ、説明しましょう」

「もが」

 

 いつの間にか隣に藤千代が立っていた。彼女は穏やかにお腹を上下させる銀狐を見下ろし、天使とでも出会ったかのように目を弓にして、小声で言う。

 

「月見くんは、お酒に酔って眠くなると、この狐さんの姿になって寝るんですよー」

「もが……な、なんでですか?」

 

 いい加減邪魔だった幽々子の手を振り解いて、同じく小声で尋ねる。

 藤千代は首を少し斜めにして、

 

「さあ、そこまでは……。でも、酔っ払ってる間に無意識のうちになにかをやっちゃうってことはよくありますよね。私も昔は、酔うと服を脱いで寝てしまう癖がありましてー」

 

 後半に付け加えられた一言は、とりあえず有意義に無視するとして。

 

「ちなみに今は酔ってなくても脱ぎます」

 

 ……無視するとして。

 

「どう? 可愛いでしょ、狐の月見さん」

 

 幽々子に耳元でささやかれて、妖夢は改めて銀狐を見下ろす。もふもふ。月見の体が緩く上下すると、豊かな毛並みが綿毛のように揺れる。もふもふ。そのお陰で、あまり見慣れない狐にも関わらず、まるで犬を目の前にした時のような親しみやすさを感じる。もふもふ。

 ……妖夢はおずおずと、

 

「……あの、ちょっとだけ触っても大丈夫ですかね」

「ダメよ~。それでもし月見さんが起きちゃったら、人型に戻っちゃうかもしれないじゃない」

「妖夢さん、心で撫でるんですっ。心の手で撫でるんですっ。心の中でならなにをしたってうふふふふふ」

 

 微妙にトリップしかけている藤千代は、やっぱり有意義に無視する。

 けれど、彼女がおかしくなってしまうのも無理はないのかもしれない。なんていったって、もふもふの銀狐だ。もしこの狐が月見でなく、かつここが宴会の席でなければ――例えば周囲に人の目がない森の中とかであれば、妖夢は間違いなく欲望に負けてもふもふしていただろう。そして目を覚ました狐に向かって、大丈夫大丈夫、怖くないよ、なんて話しかけちゃったりしただろう。

 

「あれ? ……えっ、月見が狐になってるっ?」

 

 いつの間にか狐の姿で寝ている月見に、まず気づいたのはフランだった。すると続け様にレミリアが気づき、咲夜が気づき、次々と連鎖反応を起こして、皆が銀狐の存在に気づき始める。

 眠る月見を起こさない範囲で、ちょっとした黄色い嵐が巻き起こって。

 そしてそれが収まる頃には、みんながみんな、月見の周りに殺到して人垣を作り上げていた。

 

「すごーいかわいいー! すごいねお姉様、かわいいねっ」

「そ、そうね……。まあ、そのへんの野狐に比べれば少しはマシな方かしら。あくまで、少しは、だけど!」

 

 最前線にいるスカーレット姉妹を始め、みんながひそひそ声で叫び合っている。

 

「わ、私、狐なんて始めて見ました……! 普段の人型の月見さんと、この狐の月見さん……これがギャップ萌えってやつなんですね! 不肖東風谷早苗、戦慄ですっ!」

「いやあ、私もこれは久々に見たねえ。……はいこら諏訪子、さりげなく飛びつこうとしない。起こしちゃうからダメだってば」

「ぅえー!? そんなっ、こんなに素晴らしいもふもふがすぐ目の前にあるのに!? ひどいっ、こんなの生殺しだよっ」

 

 早苗は興奮で顔を赤くしながら震え、神奈子は懐かしそうに笑い、ホールドされた諏訪子はじたばた暴れる。

 

「……永琳」

「ダメよ」

「まだなにも言ってないでしょ!? ただちょっと飼いたいなって思っただけで――あーはいはい嘘です冗談ですそんなこと考えてませんー! だから注射器取り出すのいい加減にやめてくれないかしら!?」

 

 永琳が黒い笑顔で注射器を構え、輝夜が引きつった表情でジリジリ後退していく。

 

「はわー……素敵な毛並みですねえ。私なんかよりも全然……」

「だーいじょうぶじゃよー椛だってしっかりもふもふしとるからっ! ……ところで文、お前さんそんな遠くからチラ見してるくらいならこっち来ればよかろうに」

「えっ、や、私は別に興味ありませんからっ」

 

 椛が自分の毛並みと月見の毛並みを比べてしょんぼりして、ボロボロの操がそんな椛をもふもふして、文がみんなから離れたところで一人で勝手に顔を赤くしている。

 

「……ねえ、藍」

「……なんですか」

「かわいいわねえ」

「そうですね。……わかりましたから紫様、鼻血拭いてください」

「おっとっと」

 

 なぜか紫が鼻血を垂らしていて、藍が呆れ顔でティッシュを手渡しつつ、横目でしっかり月見を観察している。

 

「ふっふっふー、上手く行ったね! みんなで月見にたくさんお酒呑ませた甲斐があったってもんだ!」

「こういう時にしか見れない姿だからねえ。……まあ、その、やっぱりかわいいもんだね」

「うふふふふふふふふふふ……」

 

 萃香がどやー! と胸を張って、勇儀が照れくさそうに頬を掻いて、藤千代がトリップしている。

 

「へー、月見さんって狐の姿だとこうなるんだあ。ねえ咲夜も見てみ――咲夜? 咲夜ー?」

「――ハッ。な、なに?」

「いや……どうしたの? ボケっとして……」

「な、なんでもないわ。ええ、なんでもないの。なんでも」

 

 咲夜が目に見えて挙動不審になっていて、鈴仙が不思議そうに首を斜めにしている。

 

「では、月見くんも寝たので私たちも寝ましょうかー。この部屋を出てすぐの納戸にお布団があるので、皆さん自由に持ってきちゃってくださーい」

 

 そしていつの間にか妄想世界から戻ってきた藤千代が静かに手を叩けば、みんなが「はーい」と小声で返事をして、忍び足で寝床の準備をし始める。

 その時になってようやく、妖夢は自分が敷布団を抱き締めたまま固まっていたことに気づく。

 

「妖夢~? どうかしたの?」

 

 多分、小難しい顔をしていたのだろう。こちらを覗き込んで問うてきた幽々子に、ゆっくりと首を振り返す。

 たった一人の妖怪を中心にして、どんな種族の者たちも関係なく集まって、笑う――それが、少し新鮮だっただけだ。

 

「なんでもないですよ」

「そう? ……あ、月見さんの隣で寝るなら今のうちよっ。ほら、みんなが戻ってきちゃうわっ」

「い、いいですよ私は」

 

 わたわたと両手を振る。狐の姿とはいえ、月見は基本的には人型の妖怪、すなわち立派な男だ。そんな人のすぐ隣で一晩をともにするなんて、奥手な妖夢には大分ハードルが高い。

 私はここでいいです、と言って、幽々子を挟んで月見の反対側に布団を敷く。やがて布団を抱えたみんなが足音を殺して戻ってきて、我先にと月見の周りを制圧していく。ドタバタと大分うるさい物音が鳴るが、酒がすっかり回った月見は、ただゆっくりお腹を上下させるだけ。

 それがなんだか幼い頃にやったお泊り会みたいだったから、妖夢はつい、笑ってしまった。

 枕に頭を預け、穏やかな心地で、釣行灯が光る天井を見上げる。正直なところ妖夢は、控えめな性格も手伝って、宴会のように騒がしい雰囲気というのがあまり得意ではない。だから今回の宴会では、咲夜たちと集まって小規模なテリトリーを形成して、少しでも周囲の喧騒を気にしないで済むようにしていた。

 けれど、今妖夢の耳を騒がせているこの喧騒は、さほど、悪いものでもなかったから。

 

「ふふ」

 

 水月苑がオープンしてからのことを、考えてみる。妖怪の山の近くなのだから、たくさんの妖怪と、神と、時には人間たちで賑わうのだろう。

 この宴会みたいに、種族の違いも、壁も超えて。

 そうしてみんなが、笑っているのだろう。

 

「はーい、それじゃあ皆さん、おやすなさーい」

「「「おやすみなさーい!」」」

 

 まだまだ元気な少女たちの声を聞きながら、妖夢はそっとまぶたを下ろす。

 それはきっと、素敵なことなのだろうなと、思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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