銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色
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第43話 「温泉宿『水月苑』営業日誌」

 

 

 

 

 

 ――以下、とある鴉天狗の新聞記事より抜粋――。

 

 

 

 幻想郷に初の温泉宿! その名は『水月苑』!

 

 この記事を読んでいる皆さんは、妖怪の山の麓に、白い大屋敷がつくられたことは既にご存知だろう。幻想郷でも類を見ない白い外見を持つ屋敷として、この山でも随分と噂になっている。

 だが、あの屋敷がどういう経緯でつくられたものなのかまで知っている者は限られているはずだ。故にここでは、あの屋敷が一体なんであるかを余すことなく解説しようと思う。

 結論を先に言ってしまえば、あの屋敷は温泉宿である。幻想郷では聞き馴染みのない言葉かもしれない。温泉宿とは、宿の中でも特に温泉入浴を醍醐味としたものを指す。宿の名前は『水月苑』で、これは筆者の同僚である射命丸文氏が命名したものだ。

 水月苑を取り仕切る亭主は、数日前に外の世界から幻想入りした妖狐・月見氏。同氏は放浪癖があり長らく外の世界を旅して回っていたが、今回、およそ500年振りに幻想郷に戻ってきた。それを記念して、妖怪の賢者である八雲紫様、鬼子母神の藤千代様、そして我らが天魔様が主導となって建築し月見氏にプレゼントしたのが水月苑だ。つまり水月苑は温泉宿であるが、同時に月見氏のマイホームでもあるのである。

 ちなみに元々は普通の屋敷にするつもりだったが、冗談半分で温泉を掘ったら本当に掘り当ててしまったため、せっかくなので温泉宿にしてみることにしたのだという。案外適当な経緯だが、これは余談だろう。

 

 さてその水月苑であるが、温泉宿である以上、相応の金銭を支払えば私たちも温泉を利用することができる。綺麗に整備された大浴場で、美しく彩られた山紫水明を臨みながら湯に浸かる――筆者は完成記念の宴会中に一度入浴させていただいたが、正直に言おう、最高だった。それ以外の言葉は必要ない。

 水月苑は現在、今週末のオープンに向けて絶賛準備中の段階だ。時が来れば、筆者もあの快楽を再び味わうため、是非足を運ぼうと思う。

 

 しかしながら、もちろん注意点もある。これについては八雲紫様が箇条書きでまとめてくださったので、利用の際にはよく注意し、モラルのある温泉ライフを心懸けよう。

 

 

・水月苑の営業日は、毎週末の二日間です。これ以上営業日を増やすと月見の負担になってしまうので、ご理解ください。週末にどうしても予定がつかなくて別の日に入浴を希望する場合は、月見に直接相談してください。

 

・日帰り入浴推奨です。宿泊ももちろん可ですが、水月苑は月見のマイホームでもあるので、希望者は前もって月見とよく相談し、許可をもらってください。

 

・入浴は、二日間のうち一日目が女性のみ、二日目が男性のみ可となりますのでよく留意してください。特に、一日目にのうのうやってきた男性の方は地獄を見ることになります(比喩ではありません。スキマで本当に地獄に叩き込みます)。

 

・タオルや浴衣等の貸出は行いますが、できる限り持ち込むようにしてください。月見の仕事をあまり増やさないように。

 

・同様の理由から、石鹸とかもなるべく持ち込むようにすると、月見からの好感度が上がるかもしれません。私はもちろん全部持ち込みます!

 

・その他、月見に迷惑を掛けないよう常識的な利用をお願いします。

 

・ちなみに覗きですが、私と月見と藤千代と操を同時に敵に回す覚悟があって、かつ遺書を書き終えた人はまあやればいいんじゃないかしら。でも、その時は一切冗談抜きで容赦しないから♪

 

 

 ――だそうで、最後の一文から迸るような殺気を感じるのは筆者だけだろうか。

 愚かな犠牲者が、この山の同胞たちから出ないことを祈るばかりである。

 

 ところで温泉といえば、筆者の思い出は――

 

 

 

 ――以上、とある鴉天狗の新聞記事より抜粋――。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「……遂に、この日が来たな」

 

 次第に高さを増していく太陽を縁側で望みながら、月見は一人腕を組み、重々しい声音で独りごちた。最終決戦直前の、決意の朝だった。

 最終決戦――つまり温泉宿水月苑の初オープンの日――すなわち女性専用の入浴日。

 十中八九、露天風呂への覗きが出現するであろう、まさしく決戦の日であった。

 

「……月見」

 

 足音も気配もなく、背後から出し抜けに名を呼ばれる。だが月見は驚かなかった。振り返らぬまま、端的に応じた。

 

「……首尾はどうだ、紫」

「水月苑の周りに結界を張ったわ」

 

 紫からの答えは、いつにない真剣味で研ぎ澄まされていた。月見の友人としてではなく、妖怪の賢者としての、言い知れない底の深さを感じさせる声音だった。

 

「現状ではとりあえず、月見以外の男が内部に入り込むと反応するようになってる。この結界を越えずして、水月苑に近づくのは不可能よ」

「上々だ。……藍は」

「はい」

 

 続け様に月見が問えば、紫ではない別のアルトの声が、

 

「式の作成は終わりました。数はひとまず五十ですが、大丈夫でしょうか」

「ああ、充分だよ。ありがとう」

「いえ」

 

 極めて事務的で淡々とした報告が終わり、ひと時、互いの腹を探り合うような沈黙が満ちる。

 一つ深く呼吸して、ぽつりと口を切ったのは紫だった。

 

「……来るかしらね」

 

 すかさず問い返す。

 

「来ないと思うか?」

「「……」」

 

 極めて不快げな沈黙。身震いしたくなるような肌寒さを感じながら、月見は太陽の光に目を細め、吐息した。

 ……遂に、この日が来た。

 水月苑の覗き対策については、紫たちとあれこれ話し合った。それにも関わらず、不審者を察知する結界の展開と、式神による周囲の哨戒だけという、ある種手の抜いたような警備を計画しているのは――あけすけに言ってしまえば、餌を撒くため、だった。

 例えば、外からは中が見えず中からは外が見える、といったような特殊な結界を張る策もあった。境界を操る紫にかかれば呼吸に等しく容易い策だし、覗きを無力化するには実に効果的だ。

 けれど、初めからそういった確実な方法で封じ込めてしまっては、覗きを企てる男たちにしてみれば溜まったものじゃない。なんとかして結界を無効化する。外がダメなら、内部に隠しカメラを仕掛けるなどする。より巧妙かつ厄介な手段で、彼らは己の欲望を満たそうとするだろう。

 故にその前に一度、体に直接叩き込んでやる必要がある。覗きを決行した愚か者たちが、行き着く地獄を。

 一応、『覗きは、月見と紫と藤千代と操を四人同時に敵に回す行為だ』と謳い、釘を刺してはいる。けれど、言葉だけではわからない、もしくは立ち止まろうとしない蛮勇とは必ずしもいるものだ。故にそいつらをわざと手の抜いた警備で釣り上げ、断罪して見せしめとする。

 言葉による相互理解ではなく、恐怖と暴力による一方的な圧政。

 正直に言おう。覗き犯の処刑方法について、紫、藤千代、操の三人が笑顔で話し合う光景は、鳥肌が立つほど恐ろしかった。

 吐息。

 

「……とりあえず、ご苦労様。開店まではまだ大分時間があるから、好きに休んでくれ」

「じゃあさ、一足先に温泉に入ってきちゃっていい?」

 

 打って変わって、気の抜けるようなあどけなさというか、そそっかしさを感じさせる声が月見の耳をくすぐる。振り返れば、すっかり少女の顔に戻った紫が、えへー、と無垢な表情で笑っている。

 

「朝一番の貸し切り露天風呂って、素敵じゃない。ねえ、藍?」

「えっ……ええと、その」

 

 思いがけず問われた藍が、ぴくりと尻尾を震わせる。なにか答えるのに後ろめたいものがあるのか、彼女は紫と月見の間で視線を何度も往復させ、やがてしおしおと縮こまって。

 

「……」

 

 結局なにも言わないまま、とても恥ずかしそうに、尻尾をへんにゃりとさせたので。

 やはり妖怪とはいえ、女性とはかくも、温泉が大好きなのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――そういえば、月見様」

 

 朝一番の温泉を終え、心なしか肌のつやつや成分が増した藍が、月見にお茶の準備をしながら何気なく口を切った。

 

「近いうちに、私の式神を挨拶に来させようと思っているのですが」

「式神?」

 

 彼女の口から出た意外な単語に、月見はテーブルに肘をついて眉を上げた。ちなみに、向かい側には藍が座っている以外に人影はなく、彼女の主人である紫は未だ温泉をご機嫌に占領している。そろそろ一時間近くが経つが、藍曰くこの程度はいつものことらしい。

 ともあれ、語られた話の内容だ。

 

「ええ。橙という、化け猫の式神です」

 

 藍が式神を作っていたというのは初耳だった。藍は紫の式神だから、この場合の橙なる化け猫は、式神の式神という少しややこしい立ち位置にいる存在となる。

 ふうん、と頷きかけた月見は、ふと会話の中の違和感に気づく。

 

「近いうちにって」

 

 挨拶させるのだったら今日ついでに連れてきてしまえばよかっただろうに、なぜ日を改める必要があるのか。

 その疑問が呼び水となって、月見は幻想郷に戻ってきて一日目――紫の屋敷で寝床を貸してもらった時のことを思い出す。そういえばあの時、屋敷には紫と藍しかおらず、橙という式神は姿はおろか名前すら出てこなかった。

 ということは、

 

「ええ。橙は、私たちと一緒に生活しているわけではないんです。普段は山の外れの外れにある、マヨヒガという化け猫たちの里で暮らしています」

 

 式神となった妖怪は、必ずしも主人に生活を束縛されるわけではない。もちろん藍のように常に主人の隣で助けとなることを求められる場合もあるが、必要な時だけ主人に呼び出され、それ以外は自由な生活をさせてもらえる場合もある。

 そして橙という化け猫は、どうやら後者の式神らしい。

 

「本当なら、今日連れてきてしまった方が楽だったんですが……まあ、一つの試験みたいなものでして」

「試験?」

「ええ」

 

 藍は湯呑みへお茶を注ぎながら、

 

「将来八雲の名を継ぐ者として、格上の相手にも怖じることなく、礼節を以て相対できるかどうか……といったところですかね。せっかく月見様がこちらに戻ってきてくださって、いい機会なので」

 

 つまりは、八雲の式神として恥ずかしくない挨拶ができるかどうかテストしてみましょう、ということらしかった。

 湯気を立てる湯呑みを月見の前へ差し出し、一つ、藍は区切るように息をつく。

 

「まだ若い式神なので失礼があるかもしれませんが、見てやってはもらえませんでしょうか」

「それは、もちろん大丈夫だけど」

 

 月見としても、藍が選んだ式神となれば是非会ってみたいし、それが向こうから来てくれるのなら拒む理由などない。

 だが、苦笑して言う。

 

「それはいいけど、あることないこと吹き込んで変な先入観持たせるのはやめてくれよ?」

 

 藍は少々、月見のことを過大評価しすぎているフシがある。昔紫が藍とちょっぴり喧嘩した際に、「私と月見のどっちが大事なのよ!」と勢いに任せて尋ねたところ、真顔で「月見様ですけど」と即答されてしまい、主人と式神の関係について丸三日真剣に悩む羽目になったとかならなかったとか。

 まあそれは、仕事をサボったり押しつけたりして、藍に迷惑を掛けてばかりな紫の自業自得のような気がするけれど。

 大丈夫です、と藍は莞爾と笑んで頷く。

 

「私は、私が月見様に対して感じていることを素直に教えるだけですので」

「……」

 

 とても不安だった。もしも橙が妖夢のように感受性豊かで素直な子だったら、挨拶よりも先に誤解を解くところから始まりそうだ。

 

「月見ー、上がったわよー! あー、気持ちよかった!」

 

 と、ようやく朝風呂から上がったらしい紫が、タオルを頭に乗せながら部屋に戻ってきた。彼女はほかほか湯気に包まれ幸せそうな顔で、当たり前みたいに月見の隣に腰を下ろすと、

 

「あ、そうそう。お風呂入ってる間に思い出したんだけど……はい、これどうぞ!」

 

 スキマに手を突っ込んで、なにか布の巻きつけられた細長い棒を取り出した。受け取った月見が、なんだろうかと思い紐を解いてみれば。

 ゆ、だった。

 よく銭湯の入口に垂れ下げられているのを見かける、中央に巨大な『ゆ』の一文字を刻んだ暖簾だった。

 紫がきらきらした目で月見を見つめている。どうやら、飾って! ということらしい。

 そういえば彼女は、何事にも形を気にしてから入るタイプだった。例えば大妖怪と認められるようになった境の日に、突然胡散くさいキャラを演じ始めて月見に白い目で見られたように。

 なにやら並々ならぬ楽しさがあるらしく、紫は子どもみたいにはしゃいでいる。

 

「ちゃんと玄関の上に引っ掛けるところがあるから!」

「ああ、そうなんだ」

「オープンする時は、ちゃんとそれを垂らしてね! じゃないと締まらないから!」

 

 はいはいと生返事をしつつ、月見は部屋の時計を確認する。

 水月苑の営業開始までは、あと一時間を切っている。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 幻想郷において、一般的に『山』といえば、それは妖怪の山を指す。幻想郷ではそれが最も有名な山であり、天狗たちが大きな社会を築く重要な土地であり、他の山とは一線を画した存在だからだ。

 日本で『山』といえば、富士山の姿を思い描かない者はいないだろう。その概念を、一種の常識にまで浸透させた形だと思えばいい。

 とはいえ無論、幻想郷に妖怪の山以外の山がないわけではない。妖怪の山と比べてしまえばどれも小さく、名前すら与えられていないようなものばかりだが、仲間は確かに存在している。

 妖怪の山の南西側に隣接するここも、そんな名もない山の一つだった。ただ、妖怪の山となだらかに尾根がつながっているため、ここが別の山なのだと意識する者は少ない。

 そこに、彼らは潜伏していた。

 

「――通信。こちらコード・アリス、潜伏地点に到着した」

 

 その鴉天狗は自らをアリスと名乗り、手にした無骨な通信機にそう報告した。少しして、紙をこすり合わせるようなノイズを前置きにして応えが来る。

 

『こちらコード・ジョバンニ、了解した。メンバーが揃うまでそのまま待機せよ』

「コード・アリス、了解。――通信終了」

 

 短く応え、通信機を置く。パンパンに膨れたナップザックを肩から降ろし、深呼吸をする。木漏れ日の中で天を仰ぎ、遂にここまで来た、と思った。

 むせかえるほどの緑が生い茂った、山肌の緩い斜面だった。アリスはあつらえむきな背の高い茂みに身を隠し、落ち葉を集めて座布団を作り、倒れ込むように腰を下ろした。

 手元の通信機から、ノイズ混じりの声が聞こえる。

 

『通信。こちらコード・ネロ、北方に異常なし』

『コード・オズより報告。東方も異常なし』

『コード・マルコ、西方も異常ありません』

『コード・ヘンゼル、南方も異常なし』

『コード・ジョバンニ、了解した。引き続き警戒に当たれ。――通信終了』

 

 こうして互いを作戦名で呼び合い、感情を押し殺して淡々と通信を行うことで、不思議と場の雰囲気も引き締まるようだった。初めはここまでする必要があるのだろうかと疑問に思っていたが、実際にやってみると悪くない。どうせ呼ばれるならカッコいい名前がいいからと、一番人気だったこの作戦名を勝ち取った過去の自分を褒めてやりたい気分だった。

 ちなみにこの作戦名であるが、幻想郷でも有名な某人形師の少女とはまったく関係ない。断じて。

 

『通信。コード・ガリバー、潜伏地点に到着しました』

『コード・ジョバンニ、了解。……よし、これで全員揃ったな』

 

 本作戦のリーダーであるジョバンニの言葉に、アリスは静かに呼吸を引き締め、居住まいを整えた。

 

『諸君、聞きたまえ』

 

 通信機を手に取り、耳へ近づける。

 泣いて馬謖を斬ろうとするような、硬い声、

 

『――ダルタニアンが逝った』

 

 ノイズが混じる通信機越しでさえ、メンバー全員の息を失う音が聞こえた。

 

『単身、ターゲットへの直接潜入を試みたが……やはり、周囲に探知用の結界が張り巡らされていたようだ。恐らく、八雲様だろう』

「……」

 

 俺のお気に入りの童話は三銃士なんだ、と子どもみたいに笑った、ダルタニアンの姿が脳裏を過っていく。目元に熱いものが込み上がってきた。拳で拭う。

 

『諸君。――戦友(とも)に、黙祷を』

 

 通信機から感じられる仲間の気配が静まり返り、十秒ほどの間、砂場をかき回すようなノイズだけで満たされる。皆が祈りを捧げている。アリスもまぶたを降ろし、志半ばで無念に沈んだ戦友(とも)が、英霊となれることを祈った。

 

『……戦友(とも)のためにも、我々は進まねばならぬ』

 

 アリスは前を見る。妖怪の山の南西に位置するこの場所からは、山の南側の麓周辺を一望することができる。

 水月苑を。

 水月苑の、露天風呂を。

 

『決戦の時は近い』

 

 アリスは胸元から懐中時計を取り出し、時間を確かめる。

 水月苑営業開始の、四十分前。

 

『では、各自準備に取り掛かれ。健闘を祈る。――通信終了』

 

 ブツ、と通信の切れた音が、作戦の始まりを告げる。

 成し遂げねばならぬと、アリスは思った。なんとしても成し遂げねばならぬ。己のために。仲間のために。死んでいったダルタニアンのために。

 震える己の手を、大丈夫だと激励する。そう、絶対に大丈夫だ。今のアリスたちには、ダルタニアンがその生命を以て示してくれた進むべき道があるのだから。

 彼は、教えてくれたのだ。

 

 近づくのは危険だから、遠くから覗け――と。

 

 ありがとう、ダルタニアン。だからお前は、安心して天国から見ててくれ。すべてが無事に終わったら、戦利品となるであろう楽園(エルドラド)の写真をありったけ焼き増しして、お前の棺桶に突っ込んでやるから。

 ひと時作業の手を止め、空を見上げる。

 ダルタニアンが、アリスに三銃士を見せてくれた時と同じ笑顔で、サムズアップをしてくれているような気がした。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――それで、早速焼き鳥が一つできあがったわけだけど」

 

 営業開始を四十分前に控えた頃、水月苑周辺に張り巡らせた紫の結界に反応があった。紫がスキマを駆使して即刻確保したところ、カメラに通信機に盗聴器諸々を装備した鴉天狗だったため、庭に転がして月見と藍の狐火で焼いた。焼き具合は、せっかくなのでウェルダンにしてみた。

 営業開始三十分前。月見は庭の片隅で、ぷすぷすと香ばしい煙を上げている鴉天狗だったモノを眺めながら、

 

「どうする? 多分まだまだ来るぞ」

「みんな丸焼きよ」

「ですね」

 

 紫と藍のなんの躊躇いもない即答を、月見は大変頼もしいと思う。寒気がするほどに。

 紫が、震える拳を天に突き上げて叫ぶ。

 

「覗きは死すべし!! 私の入浴シーンを覗いていいのなんて月見だけよっ! ……あっ、でもだからって本当に覗いちゃダメよいきなり裸見られちゃうのはちょっと恥ずかしすぎるからちゃんと然るべき手順を踏んでからね!」

 

 月見は無視し、

 

「それじゃあ、そろそろ式の方も動かそうか」

「そうですね」

 

 同じく紫を無視した藍と頷き合い、事前に準備していた紙片の束を取り出す。獣の形に切り取られたそれらは、妖力を込めることによって意思を持って動き出す簡易的な式神。以前、月見が人里の子どもを探し出す際に使った『人形(ひとがた)』と同系統のものだ。

 覗きを企てる不届き者すべてが、あの鴉天狗だったモノのように、のこのこと温泉まで近づいてくるわけではない。中には警戒心が強く、遠く離れた場所から望遠鏡かなにかで覗こうとする輩もいるだろう。

 そいつらを炙り出すための、この式神だ。月見と藍が紙片に妖力を注げば、ポンポンと次々白い煙を上げて、庭中にたくさんの子狐が現れる。

 その数、およそ百。

 

「あーっ!? なにこれっ、かわいー!! 私と月見の子どもみたいっ!!」

 

 三十センチに届くかどうかの小さな体、さらさらの金毛、くりくりと丸い瞳に、さっそく心を射抜かれた紫がひょいと一匹を抱き上げて、

 

「あ、紫様、」

 

 起爆した。

 数メートルの火柱を上げる大爆発である。打ち寄せる熱気と熱風に月見と藍が思わず体を背け、やがて収まった頃に視線を戻せば、そこにはぷすぷすと香ばしい煙を上げる紫だったモノが転がっていた。

 

「……」

 

 なんともいたたまれない沈黙が周囲に満ちていく中、月見は少しの間だけ藍とお互いを見つめ合って、どちらからともなくふっと笑った。

 

「……まあ、爆発したのがここでよかったね。中だったら天井が焦げてた」

「そうですね。幸い誘爆もしませんでしたし」

「ちょっと待ってえええええええええ!?」

 

 紫だったモノが絶叫しながら跳ね起きる。金髪があちこちに跳ね上がり、服が焼け焦げてボロボロになり、顔中が煤だらけになった彼女は涙目で、

 

「なんで!? なんでいきなり爆発するの!? 狐エクスプロージョン!?」

「紫様、これは一定時間以上触れると起爆する攻撃型の式神なので気をつけてくださいね――とついさっきまで言おうとしてました」

「へーそうなんだありがとうっ! どうしてくれるのよせっかく温泉入ってお肌つやつやになったのにーっ!!」

「もう一回入ればいいのでは?」

「入るわよもちろんっ!!」

 

 キー! と焦げた金髪を振り乱しながら地団駄を踏む。爆発をモロに喰らったにも関わらず、挫けない元気な少女だった。

 ともあれ藍が説明してくれた通り、起爆効果を持つ攻撃型の式神だ。この子狐たちは営業時間の間だけ水月苑の周囲を哨戒し、覗きと思われる不審者には噛みつき攻撃からの爆発という血も涙もない連続技を叩き込む。また爆発時に上がる派手な火柱から、覗き犯の居場所をはっきりと月見たちに伝えてくれる。

 紫の結界と、この狐の式神たち。これで、餌に釣られた愚か者たちを縛り上げる準備は整った。

 

「さて、どうなるかね」

「……そうですね」

 

 敵の数は不特定。だが先ほど焼き鳥にした鴉天狗は通信機を持っていたから、どこかに連絡を取り合う仲間が隠れているのは間違いない。

 通信機まで一緒にウェルダンにしてしまったのがやや悔やまれるが、ここまできたら持てるすべての力を以て当たるのみ。

 紡ぐ言葉は静かに、けれど揺るぎない意志を以て。

 

「さあ……始めようか」

 

 まず怪しい場所は、南西方向にあるあの小さな山。

 百にもなる式神たちを、水月苑の裏からこっそりと、かつ素早く野へ放つ。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――こちら、コード・アリス。ターゲット周辺に、次々客が入りつつある模様」

『コード・ガリバー、こちらも確認しました。……守矢神社に永遠亭、白玉楼の面々、それに鬼と天狗と河童も多数。よりどりみどりですね』

『こちらコード・ジョバンニ、確認した。各々機器の最終チェックを怠るな。ネロ、オズ、マルコ、ヘンゼルの四名は最大レベルで周囲を警戒せよ』

 

 開戦の時が近づいてきている。水月苑のオープンから一分ほど過ぎた頃、アリスは汗ばんだ手で通信を切り、フィールドスコープを一旦目から離して深呼吸をした。

 唯一、ダルタニアンの戦死を例外として、事はすべてが上手く進んでいた。水月苑への客の入りようからして、楽園(エルドラド)がこの世に顕現するまではあとニ~三分。加えて、未だ向こうがこちらに気づいた様子はない。

 楽観はできない。月見のもとにはスキマを使える八雲紫がいて、更に先ほど、そこに天魔と鬼子母神が合流していた。彼我の戦力差を考えれば、この場所を知られた瞬間にデッドエンドは必至――まさに一瞬の油断が命取りとなる、命綱のない綱渡りだった。

 けれど勇者たちは退かない。込み上がってくる恐怖を使命感で押し潰し、息を殺して、その時を待ち続けている。戦友(とも)が、一人死んだのだ。ここまで来て今更逃げ出せるものか。

 

「……」

 

 森は、静かだった。風の音と、葉擦れの音と、自分が呼吸をする音。それら三つの音に囲まれ、アリスの集中力と覚悟は最大限まで研ぎ澄まされる。

 通信に、前触れはなかった。

 

『こちら、コード・ガリバー。――来ました』

 

 雷撃に身を打たれ、アリスはフィールドスコープにしがみついた。水月苑の隅。壁のように並んだ大きな吹き出し窓。温泉の湯気で曇ったガラスの向こう側で、すらりと長い線を描く肌色の双脚が、見えた。

 

「――!」

『総員、戦闘態勢!』

 

 通信機から響いたジョバンニの号令に、アリスは反射的な動きでカメラを構えた。河童たちが持てる技術を結集して創り上げた、超高倍率のズーム撮影を可能にした逸品。倍率を上げる。上げる。上げる。最大まで上げるが捉えきれない。ナップザックの中からコンバージョンレンズを取り出して装着する。

 捉えた。これでもなお距離を詰め切れず、被写体はやや小さいものの、見える範囲になった。

 ガラス一枚を隔てた向こう側に、湯気とバスタオルで遮られた体が見える。窓の上部に切り取られて顔はわからないが、それなりの成長を経た少女のものだとアリスは判断する。

 ゴクリと、生唾を呑み込んだ。チャンスは一瞬――湯船に浸かるために、バスタオルを解いたその直後。

 仲間からの通信はない。全員が楽園(エルドラド)を手中に収めるため、限界を超えて意識を研ぎ澄ませている。

 もう少しだ。あと少し、あとほんの少しで、ダルタニアンが拝めず逝った楽園(エルドラド)を捉え切ることができる。そうだ、すべてが終わったら酒を呑もう。仲間たちと一緒に、前後不覚になるくらいの酒を呷って、我々の勝利を喜び合い、ダルタニアンへの手向けとしよう。ああ、見ているかダルタニアン。今、ファインダーの中の少女がバスタオルを脱ごうとしている。俺はシャッターを切るぞ。手ブレに細心の注意を払って、シャッタースピードは最速設定で。くそ、震えるな俺の両手よ。ここで失敗して手ブレでも起こしてみろ、俺はダルタニアンになんと詫びればいい。戦友(とも)たちだって全員が成功するとは限らない。プレッシャーに負けて全員が失敗してしまうかもしれない。だから俺がやるしかないんだ。他の戦友(とも)が皆失敗しても、俺が成功できれば大金星だ。今夜は無礼講の大宴会だ。ダルタニアンも報われる。天国で喜んでくれる。だからやれ。少女がバスタオルの結い目に手を掛けた。カウントダウンを始めろ。

 三、ニ、一、

 シャッターを切る、

 

『――ぐああああああああああ!?』

 

 瞬間、通信機の音量限界を振り切った、回路を焼き切らんとするほどの断末魔が、アリスの鼓膜に炸裂した。

 

「――!?」

 

 それだけではない。北側から地を揺らす爆発音とともに、アリスの位置からでも目視できる巨大な火柱が上がった。ファインダーから完全に目を離し、立ち上がる緋色を眺めて呆然と動きを止める。シャッターチャンスを逃した――否。

 

『――敵襲か!?』

 

 通信機を震わすジョバンニの叫びに、アリスは弾かれたように我を取り戻した。

 

『なにがあった! 報告しろ!』

「今の声、ネロか!?」

 

 通信機を鷲掴みにし、アリスもまた叫ぶ。火柱が上がった方角からして間違いない。今の悲鳴は、北側の警戒に当たっていたネロのものだ。

 

「ネロ! どうした、応答しろッ!」

『……ア、 ス……』

 

 アリスの必死の呼び掛けに、ネロから応答があった。だが雑音がひどい。通信機をやられたのか、今にも切断され応答不能になってしまいそうなほどのノイズが乗っている。

 

『やら……た……き ねだ……こ つね……をつ ろ……』

「おい! おい、ネロ!?」

 

 とてもなにを言っているのか聞き取れなくて、悲鳴に近い声になりながらもう一度呼び掛ける。

 だが、二度目の爆発と立ち上がった火柱によって、ネロとの通信は完全に絶たれた。

 

「……ッ!」

 

 その場を実際に確かめたわけではないが、誰しもが直感的に理解していた。熱風が自分たちのもとまで打ち寄せる感覚の中、理解せざるを得なかった。

 ――ネロが、逝った。

 

『くっ……! 総員、迎撃態勢ッ! なにかが来ているぞ!!』

「くそっ、だから言ったじゃねえか……! その作戦名は死亡フラグだってよォ!!」

 

 なぜ彼が、愛犬とともに非業の死を遂げた少年の名を作戦名に持ってきたのか、アリスにはどれほど頭を悩ませてもわからないし、そんなことは今はどうだっていい。ネロが戦死した以上、そこには敵がいる。あれほどの火柱を巻き上げる強大な爆破能力を持った敵が、すぐそこまで迫ってきている。

 やられてたまるか、と思った。ダルタニアンのためにも。ネロのためにも。楽園(エルドラド)のためにも。つーかあと少しで絶好のシャッターチャンスだったのによくも邪魔してくれたなコノヤロウと心の中で毒を吐き散らして、アリスは武器が入った傍らのナップザックまで手を伸ばし、

 もふっ。

 

「……もふっ?」

 

 もふっ、だった。柔らかで、温かくて、不思議な弾力があって、羽毛布団を遥かに凌ぐほどの触り心地を持った、もふもふのなにかだった。

 無論、こんなもふもふしたものを持ってきた覚えなどない。アリスがナップザックに入れてきたのは通信機と、楽園(エルドラド)を収めるために必要な機材と、武器と――どれも硬くて冷たい物たちばかり。

 では、これは――

 

「……狐?」

 

 狐である。身の丈が一尺になるかどうかの、くりくりとつぶらな瞳でアリスを見上げる子狐が、こちらとナップザックの間で行儀よくおすわりをしていた。なるほど、ナップザックと思って触ったのはこの子だったようだ。道理でもふもふするわけである。

 

「……しかし、狐か」

 

 子狐の頭から手を離し、アリスは眉をひそめて考える。一体どこから出てきたのか、まったく気がつかなかったが、まあ山の中だしこんなこともあるだろうか。

 それにしては、なにか引っ掛かるものがあるのだけれど。

 

「――って、それどころじゃねえって!」

 

 のんびりもふもふしている場合ではない。背後には敵が迫ってきているのだ、早く逃げるなり応戦するなりしなければ、冗談抜きで地獄を見る羽目になってしまう。

 

「……」

 

 そう思いつつも、あのもふもふがなんとなく名残惜しくなったので。

 アリスは最後にもう一度だけ、子狐の頭に手を乗せて、

 

「ほら、いい子だからそこをどいて」

 

 起爆。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「くそっ……一体なにが起こっているんだ!?」

 

 普段から冷静沈着を座右の銘とするジョバンニだが、この時ばかりは、瞬く間に広がっていく危機的状況に平常心を奪われていた。山のあちこちで爆発音が炸裂し、火柱が天を衝き、戦友(とも)との通信が次々切断されていく。

 この場に、仲間は六人いたはずだった。だが突如としてネロが逝き、アリスがやられ、ガリバーとの通信が途切れ、オズの場所で火柱が上がり、マルコの消息が途絶え、ヘンゼルの断末魔が聞こえ――そして気がつけば、通信機から聞こえるはずの戦友(とも)たちの声は、なに一つとしてなくなってしまっていた。

 ジョバンニは白熱した頭で思考する。敵が直接乗り込んできたわけではない。月見にせよ、八雲紫にせよ、鬼子母神にせよ天魔にせよ、彼らほどの大妖怪がここまで暴れれば、強烈な妖気が発せられるはず。だが現実は、精々爆発の際に微弱な妖力が感じられる程度で、故に戦友たちは皆、相手の接近を気づけずにやられてしまった。

 

「くっ……!」

 

 向こうがどのような手でこちらを攻撃しているのかはわからない。わからないからこそ、これ以上の抵抗は無意味だった。

 不本意ではあるが、退くしかない。ジョバンニは手早く荷物を整えると、木々の中に紛れながら、妖怪の山から離れる方向に走り出す。相手がどこにいるのか掴めない以上、見晴らしのいい空へ飛び出すのは危険だった。

 だが、

 

「ッ――」

 

 走り出してそう間もないところで、ジョバンニはハッと足を止める。

 囲まれている。

 

「――」

 

 頬を粘性のある冷や汗が伝った。……気配は微弱だが、確かにいる。ジョバンニの前後左右をくまなく包囲する、完璧に統率された、たくさんのなにかが。

 息を殺し、どうする、と自問した。頭を過る選択肢は三つ。強行突破するか、空へ逃げるか、降伏するかだ。この内、降伏はすなわち死を意味するので真っ先に除外される。空へ逃げる――この場はなんとかなるかもしれないが、顔を見られぬまま完全に逃げ切る必要性を考えると、やはり見晴らしのいい場所に体を晒すのは避けたい。かといって、相手が何者なのかも掴めていない現状で、強行突破を図るのも危険過ぎる。

 

「……いや」

 

 呟き、ジョバンニは白熱する己を宥めるように、ゆっくりと息を吸った。恐れてどうする、と思った。この作戦を計画した当初から、このような事態に陥る覚悟はしていたはずだ。死ぬかもしれない。否、敵の戦力を考えれば、死ぬ可能性の方が高い。それでも己はこの作戦の決行を決意した。多くの同胞たちが呆れ果て、ジョバンニから距離を置いた中で、七人の勇敢な戦友(とも)たちが、ジョバンニと運命をともにする覚悟を見せてくれた。

 ダルタニアン。アリス。ガリバー。ネロ。マルコ。オズ。ヘンゼル。

 今となってはもう、皆、ジョバンニを置いて逝ってしまったけれど。

 

「……退けるものか」

 

 己を取り囲むこの気配が何者なのか、わかりはしない。

 けれど、たった一つだけ、確かに言えることがあった。

 

「……貴様らは、仇」

 

 ジョバンニから七人の戦友(とも)を奪い去った、憎むべき敵。楽園(エルドラド)の前に立ちはだかる、越えねばならぬ障害。

 ならば、どうして退くことができようか。どうして、降伏することができようか。

 志半ばで逝った戦友(とも)の仇を討つためにも、己が最大戦力で、真正面からねじ伏せて、突破する。

 大丈夫だと、ジョバンニは思った。蔓延る敵は数こそ多いが、気配は貧弱そのもの。そしてジョバンニは、幻想郷が誇る一大勢力である天狗の一角だ。数の差を考慮したとしても、不利ということはありえない。

 故にジョバンニは、一気に妖力を開放し、一瞬でケリをつけようと――

 

「「「――見ーつけた♪」」」

 

 ――あ、死んだ。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

「――でも実際、お前は運がよかった方だよ。未遂ってことで、私と藍に丸焼きにされるだけで済んだんだしね」

「……は、はあ。そうッスか……」

 

 紫と藤千代と操が罪人の処刑を行っている頃、月見は水月苑の居間で、妖怪二人とテーブルを囲みのんびりお茶を飲んでいた。一人は、月見の隣に座る八雲藍。そしてもう一人は向かい側に座る、全身がこんがり焼けた鴉天狗の青年である。

 彼は未遂ということもあり、紫たちから命だけは見逃してもらえた幸運な鴉天狗だった。まあ、全身が枯れ果て今にも砂になって崩れ落ちてしまいそうな有様では、あながち幸運とも言え切れないかもしれないが。いっそひと思いに処刑された方が楽だったのかもしれない。

 青年は、水気のない砂漠みたいな声で、

 

「……ほ、ほんとにスンマセンでした……ら、藍さんも」

「月見様が目を瞑ると仰ったから見逃すだけだ。二度目はないよ」

「は、はいぃっ! 肝に銘じておきまッス!」

 

 藍の絶対零度の返答に、青年が畳に頭を打ちつけるくらいのアツい土下座をキメた。

 月見は緩くため息をついて、縁側の向こうにある小さな山を眺めて言った。

 

「……見てご覧、あそこの山で天変地異が起きてるだろう。竜巻が八つくらい起きてるのは、操だね」

 

 水月苑の周辺は長閑な春の昼日中だが、あそこの山だけが世紀末みたいな惨状になっている。

 

「あと、今地震が起きて山の一部が崩れたね。あれは藤千代。ゲリラ豪雨みたいに降り注いでる弾幕は紫かな」

「……、」

 

 青年の笑顔は完全に干涸らびていた。

 

「そしてあの火柱は……ああ、私の式神か。回収し忘れてた」

「月見さん、マジですみませんでした。俺が間違ってました」

 

 青年が土下座どころか五体投地をしだしそうな体勢になっているのだが、なぜだろうか。

 ともあれ。

 

「本当に馬鹿なことをしたね、お前たちも。……こういうことは、本当は言わない方がいいのかもしれないけど」

 

 月見は、畳に額をこすりつけている青年を、静かに見下ろして。

 

「実は今回、みんな水着持参で入浴してるんだよ」

「……は?」

 

 青年がゆるゆると顔を上げた。味方に背中から撃たれたみたいな顔をしていた。

 

「だから、水着。誰かしら覗きにやってくるのはわかってたからね。紫たちに協力してもらって、今日だけは水着を持ってくるように伝えてもらったんだ。もちろん、お前たち男には知られないように」

 

 今日のオープン初日を楽しみにしていた少女たちはたくさんいた。けれど、覗きがほぼ出ると確定されている状況では、いくら紫たちが監視してくれる中とはいえ、一糸まとわぬ姿になってしまうのには抵抗がある。

 そこで、「だったら水着を着て入ればいいんじゃないですか?」との名案を出したのが早苗だった。海がない幻想郷では、前々から外の世界の水着なる服装に興味を持っている少女がたくさんいたらしい。これを機に是非一度着てみたい! というわけで、紫が資金を徴収し、人数分の水着を買い集め、今日という日を迎えることとなった。

 

「……、…………じゃあ、つまり」

 

 恐ろしい結論に辿り着いてしまった青年の体が、ガクガクと小刻みに震え出す。枯れ果てた細い腕が、今にも真っ二つになって折れてしまいそうになっている。

 なんとも憐れではあるが、同情はしない。外の世界だったら問答無用で警察のお世話になる犯罪だ。ある意味当然の報いなので、月見は柔らかい笑顔とともに告げた。

 

「そう。――お前たちは、完全に釣られたんだよ」

「――……」

 

 青年が砂になって崩れ落ちた。

 

 

 

「――あ、やってるやってる。ということは、やっぱり覗いてる人たちがいたんですね……。水着着ておいてよかったぁ」

「お手柄だったじゃん早苗~。まあ私は、水着だろうが裸だろうがあんま気にしないけどー」

「諏訪子様、温泉で泳いじゃダメですよ……あの、ところでなんですけど」

「んー?」

「なんで諏訪子様、スクール水着なんですか?」

「知らなーい。よくわからないけど、私はこれを着なきゃダメなんだって。紫が言ってた」

(金髪にスクール水着……しかも旧型とは……。紫さん、侮れないですね……)

 

 

 

「――お前たちには悪いけど、これでいい見せしめにはなるだろうね。鴉天狗たちも新聞でばら撒いてくれるだろうし」

 

 軽い地震が起きて、向こうの山の一部がまた崩れる。龍が如く暴れ回る竜巻たちが、木々を根本から空へと吹き上げていく。爆撃かなにかのように降り注ぐ妖力弾が、山肌を焼け野原に変えていく。……この天変地異に等しい人災を目の当たりにしたあとで、のこのこと覗きを企てられる命知らずはさすがにいないだろう。紫の策は、大変上手い具合にハマったようだ。

 

「月見様。この砂、どうしますか」

「ほうきで掃いといてくれ」

「わかりました。チリ一つ残さず捨てておきますね」

 

 藍の絶対零度の微笑みが恐ろしい。

 それから少しして、紫と藤千代と操の三人が、とても晴れ晴れとした笑顔を咲かせながら戻ってきたので。

 月見は心の中で、旅立った愚か者たちに静かな合掌を捧げたのだった。

 

 ちなみに今回の主犯である八人の鴉天狗たちだが、後ほど、一人の例外もなく揃って地獄にスキマ送りにされた。そこで四季映姫の手伝いとして性根をメタメタに叩き直され、謹厳実直・温厚篤実・品行方正な人格者と変わり果てて帰ってくるのは、一ヶ月後のことである。

 四季映姫曰く、とっても楽しかった、らしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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