銀の狐と幻想の少女たち   作:雨宮雪色
<< 前の話 次の話 >>

53 / 132
第52話 「ぶらり旧地獄一人旅 ②」

 

 

 

 

 

 不思議にもこの地底世界には、天気が存在しているらしい。

 

「参ったなあ。ここなら雨も降らないだろうと思ってたんだけど」

「確かに、地上で生活してるあなたからしてみれば意外かもね」

 

 空を硬い岩盤が覆う世界なので当然太陽の光は届かないし、雲だってできない。けれど梅雨の間は雨が降り、冬の間に雪が降るのは、何メートル地下へ潜ろうとも変わらない一般常識らしかった。

 もはや嫌というほど見慣れてしまった雨がしとしとと降る中を、朱色が鮮やかな唐傘を広げてとぼとぼと歩く。そんな月見と同じ傘の下には、つい先ほど知り合ったばかりの橋姫が、寄り添うようにぴったりと収まっている。

 世間一般でいうところの、相合傘である。

 なんでも、傘を持ってこなかったらしい。

 

「そっち、濡れてないかい」

「大丈夫よ。お上手な気遣いですこと妬ましい」

 

 どうしてこんなことになっているのかといえば、成り行きとしか説明のしようがない。

 まさかの雨に出鼻を挫かれこそしたものの、せっかく旧都の目の前までやってきたのだから、月見としては今更引き返すわけにもいかない。一方でパルスィも、雨が降ってきたので旧都にある家に帰るという。

 となれば自分だけ悠々傘を差して女の子を濡らすというのもどうかと思ったので、そんなのするわけないでしょ馴れ馴れしいのよ妬ましいと罵られるのを覚悟で相合傘を提案してみたのだけれど、これが意外にも、あっさり了承されてしまったのだった。

 まったくもって、成り行きである。それ以上でもそれ以下でもない。

 なんでも、別に恋人じゃああるまいし一緒の傘に入ったってなんでもないでしょ、とのことらしい。むしろ恋人でもないからこそ問題になるのではなかろうかと月見は思うが、まあ、こうすれば二人とも雨に濡れず丸く収まる以上、パルスィさえ気にしていないのならいいのだろう。

 旧都の町並みは、人里に似ていた。焼杉の家屋が道の両端に建ち並ぶ、外の世界では見る機会も稀になった宿場町風。玄関先の釣行灯が見通す先まで整然と列を為す様は百鬼夜行が如く、しとしととした小雨が逆にアクセントとなって、幻を絵の具に筆を走らせたような深い幽玄さで満ちている。厚い岩肌の下に広がる町並みは開放感こそないものの、地上の町ではまず感じえない、心の奥が痺れるような重厚感を感じる。

 今は雨故に人気は少ないけれど、本来は住人の往来賑やかな、人里にも負けない活気に満ちた町なのだろう。どこかで客引きの声が聞こえるのはただの幻聴か、それとも誰かが雨にも負けず頑張っているのか。

 

「……で。旧都に着いたわけだけど、あなたはこれからどうするわけ?」

「ん、そうだね」

 

 横でこちらを見上げるパルスィに、月見は少し考えてから答える。

 

「とりあえず千代――鬼子母神殿を捜そうか。どこに住んでるか知ってるか?」

 

 藤千代が地底に住んでいるのは知っているが、どこに家があるのかまでは教えてもらっていなかった。

 パルスィからの返答は、さあね、と素っ気ない。

 

「でも、ここを少し行った先の十字路に居酒屋があって、よく鬼たちが酒を呑んでるわ。誰か一人くらい、知ってるやつがいるんじゃない?」

「ふむ。ではそこを当たってみようか」

 

 鬼には知り合いも何人かいるし、ちょうどいい。昼間から酒を呑まされないようにだけ気をつければ、有意義な情報が得られそうだ。

 ありがとうと礼を言うものの、やはりパルスィの返事は素っ気なかった。ぷいとそっぽを向いて、

 

「礼は要らないわよ妬ましい。じゃ、私は帰るから」

「雨、大丈夫か?」

「送ろうか、とでも言うつもり? まったく本当にお人好しなのね妬ましい。走ればすぐだし、ここまでで充分よ」

「そうか」

 

 月見は苦笑。彼女の情け容赦ない言い様にも今やすっかり慣れてしまったあたり、文に罵られていた頃の経験が生きている気がする。

 けれど違っていたのは、ほとんど背中を見せるほど大きくそっぽを向きながらも、最後にぽそぽそとした声で、

 

「……一応、礼は言っておくわ。ありがとう」

 

 それが、一周回って指摘する気も起こらなくなるほどに、恥ずかしそうな様子だったので。

 今度は苦笑ではなく、微笑んで応じた。

 

「またね」

 

 その一言で、パルスィの肩が情けないくらいにビクリと震えて。

 

「……妬ましい」

 

 苦し紛れの捨て台詞のように呟き、あとは居ても立ってもいられない様子で傘から飛び出して、小雨の注ぐ街道を外れの方へと走り去っていくのだった。

 その姿が家屋に隠れ見えなくなるまで見送ったところで、さて、と月見は吐息、

 

「じゃ、私も行こうか」

 

 今のところは梅雨時の外周区だけあって人気もほとんどないけれど、鬼たちが住む都だし、中心に向かえばそのうち賑やかになるだろう。

 くるりと傘を回して雨粒を振りまくと、旧都の中心へ続く街道を、ゆっくりのんびり歩いてゆく。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 しばし進めば案の定、梅雨時とはいえ賑やかな景観になった。傘がぶつからないよう気を遣う程度には街道いっぱいまで往来が増えて、道の両脇では、雨にも負けず出店が美味しそうな香りを漂わせている。決して前向きな理由でつくられた都ではないけれど、住人たちの活気は地上の町を凌ぐほどで、客引きの声を聞くだけで月見も自然と陽気な気分になった。

 とはいえ、ここで客引きに応じて「店主ーこれ一つ頼むよー」などと言ってみる度胸は、今の月見にはない。

 

「……」

 

 袖振り合う住人たちに、避けられている。周囲にぽっかりと空間ができるほどではないにせよ、すれ違った妖怪が、主に月見の尻尾を見て仰け反ったり、「なんで地上の妖怪が……」と好意的ではない声で呟いて離れていったりする。袖振り合う人々でこれなのだから、出店の前で気安く注文などした暁には、塩をまかれるかもしれない。

 旧都は、鬼が地上で忌み嫌われた妖怪たちを引き連れて築いた都。長年に渡って地上で嫌煙、迫害された妖怪たちは、そこで生きる者たちに好意的な感情を持っていない。それを考えれば、パルスィはむしろ好意的に接してくれた方だったのだろう。

 

「……やっぱりまずは、千代に会わないとね」

 

 もしくは勇儀など、他の鬼でも構わない。顔馴染みに出会えれば、今の状況も少しは変わろうか。

 パルスィに教えられた居酒屋は、それからすぐに見つかった。十字路の一角に『酒』の赤提灯を揺らす町家が鎮座していて、中から雨を乾かすほどに明るい喧騒が響いてきている。まだ昼間のうちからここまで馬鹿騒ぎをする連中となれば、きっと鬼たちに違いない。

 軒下に入って傘を畳む。すると、思いのほか水滴が足下に飛び散った。旧都の町並みを眺めながらのんびり歩いているうちに、すっかり水を吸ってしまったようだ。

 ただでさえ歓迎してもらえない可能性があるのだし、余計な顰蹙は買わないよう、ここでしっかり水気を

 

「――上オオオォォ等だ貴ッ様アアアアアア!!」

 

 払おうとした瞬間、野太い怒声とともに入口の戸が粉々に砕け散った。

 月見のすぐ真横のスペースを容赦なく薙ぎ払い、何者かの大柄な体が、雨空の下まですっ飛んでいったのが見えた。見るも無残なただの木片と化した戸の残骸たちが、ぼとぼとと儚い音を立てて周囲に散らばる。道行く人々が突然の事態に仰天し、どよめきながら足を止める。月見は傘の水を払おうとした姿勢のまま固まっている。

 

「……」

 

 もしも月見の立ち位置が一歩でも横にずれていたら、今頃この木片たちと一緒になって、地べたをゴロゴロ転がって泥まみれになっていたのかもしれない。

 気を取り直して前を見れば、街道の真ん中で片膝をつきながら、鬼の青年が苦い顔で口端の血を拭っていた。右の頬に手酷く殴られた跡があるので、どうやら面倒事らしい。居酒屋の酒気は人々の心を開放的にするが、それ故に、些細な口論でしばしば喧嘩が起こる。

「てめえ、なにしやがる!」と青年が吠えれば、すぐに店の中から応じる声、

 

「黙りやがれ! 大人しく聞いていれば、てめえ今日という今日こそはただじゃおかねえぞ!」

「逆ギレしてんじゃねえよ! 話を振ってきたのはてめえの方だろうが!」

 

 炎のような怒りのオーラとともに出てきたのは、こちらも鬼の青年だった。相当頭に血が上っているらしく、真横の月見に気づく素振りもない。指を槍さながらに相手へと突きつけて、雨を吹き飛ばすほどの剣幕で怒鳴る。

 

「うるせえ、てめえだってわかってるだろ! 俺たちにもう言葉は必要ねえ……拳で決着をつけてやる!!」

「……ああそうだな、確かにてめえのフザけた理論には言葉もねえよ。残念だなあ、てめえとはきっと分かり合えると思ってたのによお!!」

 

 喧嘩の原因は、なんらかの意見の食い違い。怒れるあまりダダ漏れになった二人の妖気が、ぶつかり合い、背筋も冷える一触即発の空気を散らし始める。巻き添えを恐れた通行人たちが、次々と顔を青くして退散していく。妖怪屈指の戦闘力を持つ鬼同士の喧嘩となれば、周囲への被害も計り知れない。

 さすがにこれは止めた方がいいかな、と月見は一瞬思ったけれど、

 

「――だぁから、着物には控えめな胸の方が似合うっつってんだろうがあああ!! どうしてそこがわからねえんだあああああ!!」

「うるせえええええ!! てめえ常識考えろよ、巨乳の方が、あの着物を下から押し上げる感じの方がいいに決まってんじゃねえかあああああ!!」

 

 どうやら放っておいてもまったく問題なさそうなので、さっさと店の中に入ってしまうことにした。

 そうだった。かつて妖怪の山で天狗と一緒に生活していただけあって、鬼の中にも、ああいう恥知らずな連中というのは多いのだった。

 漢二人の拳が火花を散らす。

 

「てめえ幽々子さんの恰好思い出せよ! あれだよ上手く言葉にできねえけど、こう……あの膨らみがこう……こうさあ!!」

「ざけんなてめえ萃香の着物姿見たことあるか!? オレぁ一回だけ見たことあるが、あれはもう……こう……とにかくすごくてだなあ!!」

「ハン、だったらてめえは勇儀さんの着物姿見たことあんのかよ!? オレはねえけど想像しただけで色々ダメになっちまいそうですゴチソウサマ!!」

「わからなくはねえ……! だがそれでも、萃香の方が上だ……!」

「分からず屋め……! あっ、おいそこの狐なあんた! あんたはどっち側につく!?」

 

 うるさい巻き込もうとするな二人でやってろ二人で相打ちして朽ち果てろ。

 月見が背後の喧騒を無視して店の中に入ると、ちょうど外に飛び出そうとしていたらしい、小さな女の子とぶつかりそうになった。月見の鳩尾にヘッドバッドを喰らわす寸前で急ブレーキを掛けた少女は、慌てた顔でこちらを見上げて、

 

「あっ――い、いらっしゃいませ! 只今ご案内しま」

「巨乳うううううううううう!!」

「貧乳うううううううううう!!」

「……ご、ごめんなさい! ちょ、ちょっとだけ待っててください!」

 

 なんの妖怪かまではわからなかったが、きっと居酒屋でお手伝いをしている子なのだろう。まだ小さいのにあんな馬鹿どもの相手をしないといけないとは、世も末である。

 教科書のような九十度で頭を下げた少女が、青い顔で店の外に飛び出していく。とはいえまさか鬼の喧嘩に割って入れるはずもなく、遠巻きのところでおろおろしながら、

 

「ふ、二人とも喧嘩はダメっ! ダメだよっ!」

「ハッ――そうだてめえあの子を見ろ! あの子の着物姿! そして控えめな胸! これを至高と言わずしてなんとする!」

「これから大きくなるもん!! ……って、そうじゃなくて! とにかく喧嘩しないでったらぁ!?」

「君はそのままの君でいてくれ! できれば萃香みたいに身長もそのままゲフッ」

「そうだよな、これから大きくなるよな! 大丈夫だどんどん大きくなってそして勇儀さんに負けないくらいにガフッ」

「貧乳うううううううううう!!」

「巨乳うううううううううう!!」

「うわーん!? やめてよもー!?」

 

 ……。

 もちろんそのあたり、個人によって好みが分かれるのは月見も承知している。しかし、唇を切るほどに殴り合い、たくさんの人々が往来する街道のど真ん中で叫び合ってまで、雌雄を決さねばならぬほどのことだろうか。『みんな違ってみんないい』では譲れないものがあるということなのか。そんなんだから世界から争いがなくならないのである。

 

「勇儀お姉ちゃん、助けてー!?」

「あー、はいはい。仕方ないなあもう」

 

 少女の悲痛な叫びに応じて、店の中でのそりと腰を上げたのは星熊勇儀その人であった。曰く着物を着るだけで一部の男をダメにしてしまうらしい彼女は、心底面倒そうにため息をついて、それから月見に気づくなりぱっと表情を明るくした。

 

「あれっ、なんだい月見じゃないか! なんだ、こっちに来てたんだね!」

「ああ、まあね」

「よーし、んじゃあちょっと一緒に一杯どうだい。ちょうど退屈してたところでねー」

 

 藤千代の居場所も知りたいのでそれは構わないのだけれど、助けが来てくれず外で涙目になっている少女のことは、無視なのだろうか。

 こちらの腕を取って席に戻ろうとした勇儀の頭を、尻尾で鮮やかにひっ叩く。

 

「あいた。どったの、もしかして都合悪い?」

 

 無言で店の外を指差す。

 着物の裾をぎゅっと握り締め、涙目でぷるぷる震える少女を見て、あー! と勇儀は両の手を打った。

 

「そうだ、そういえばあれを止めるんだった。いやあ、すっかり忘れちゃってたよ」

「……勇儀お姉ちゃん、ひどい」

「ごめんごめん」

 

 反省の欠片もない笑顔で謝罪したのち、少女に目線を合わせて、

 

「よし。ここから先はお姉さんと、この狐のお兄さんに任せときな」

「おいなんで私が頭数に入って……あーもう、すごい期待する目で見だしちゃったじゃないか」

 

 今までの涙目もどこへやら、月見を見上げる少女の瞳が、きらきらと惜しみなく輝いている。

 

「狐のお兄さん、助けてくれるの?」

「そうだよ。このお兄さんはね、実はとってもつよーい妖怪なんだ」

「ほんとに?」

 

 きらきら。

 

「ほんとほんと。喧嘩したら、多分私も勝てないだろうねえ」

「ほんとにっ? すごいんだねっ」

 

 きらきらきらきら。

 

「……勇儀」

「あっははは、んじゃあさっさとやろうか。あんたは左、私は右ね」

「頑張って、狐のお兄さんっ」

 

 きらきらきらきらきらきらきらきら。

 

「……まったく」

 

 まったくもって気は乗らないが、ここまで期待されてしまえば逃げるわけにもいかない。

 月見は雨空の下、拳をぶつけ合うたびに軽い衝撃波を生み出している闘争を眺めながら、

 

「あの二人、強いのか?」

「いんや、私より弱いよ」

「いや、そんな当たり前のことは聞いてないんだが……まあいいや」

 

 ため息一つ、勇儀とともに喧嘩の輪の中心へ。

 

「あっ、さっきの狐の――オレに力を貸してくれるんだな!? よしきた!」

「あっ、勇儀さん! ちょっとこいつに見せてやってくださいよ、姐さんの着物姿の破壊力を! ついでにオレも見たいです!」

 

 月見も勇儀もともに笑顔で、片や雨粒を弾く銀の尻尾を、片や怪力乱神の右腕を振りかぶり、

 

 

 

 

 

 

 

 

「――はいどうぞ、狐のお兄さん! ウチの店自慢のお酒だよ!」

「ああ、ありがとう」

 

 そして二匹の鬼をそれぞれ一撃で粉砕した月見と勇儀は、居酒屋の一角で少女の手厚い歓迎を受けていた。

 まだ昼間だというのに、店は大層な大賑わいだった。決して広くない店内は見渡す限りの満席で、皆の陽気な笑い声を隅々まで響かせ、梅雨の湿気を店の外まで吹き飛ばしている。鬼の喧嘩を一発で仲裁した腕前と、鬼の四天王たる勇儀の知り合いである点。更には芳醇に広がった酒気のお陰もあって、地上の妖怪である月見に顔をしかめてみせる者は幸いにしていなかった。

 店の外では、例の二人組が頭にたんこぶをつくって揃って気絶し、『反省中。』の貼り紙とともに雨曝しになっている。怒った少女が『反省中。』を貼っつけたあたりから俄に雨脚が強まったのだから、どうやら地底世界にも、天罰というものは存在しているらしい。通行人が誰一人として見向きもしていないので、旧都ではよくある光景なのかもしれない。

 満点の笑顔で月見にお酒を持ってきた少女は、店主の一人娘らしかった。男手一人で育ててくれている父のため、幼いながらも看板娘として活躍する健気な子なのだとか。

 

「なんだよ月見ー、たったそれっぽっちかい?」

 

 月見の目の前に置かれた徳利一本に、勇儀が口をすぼめてぶーたれた。

 

「つまんないなあ、もっと呑みなよお」

「私は、酒を呑みに地底に来たわけじゃないんだよ」

「まあ、そうだろうけどさ。どうせ観光とかいうんでしょ?」

「わかってるなら話が早い。というわけで、地底に来たからには一度は見ておけーってなスポットはないか?」

「あっははは!」

 

 勇儀は呵々大笑したあと、愛用の大盃になみなみと注いであった酒を一息で呑み干して、

 

「ぷは。あるわけないじゃんそんなの」

「……そうなのか?」

「だってあんた、ここは元々地獄だったとこだよ? 見てて楽しくなるようなもんなんてあると思う?」

 

 ……ないのだろうか。

 月見は、隣に立つ少女に視線を投げて尋ねてみた。すると、とても難しそうな顔をして大真面目に考え込まれてしまったので、勇儀の弁もあながち極論ではなかったらしい。

 少女はしばらくうんうん唸ってから、

 

「灼熱地獄とか、かなあ。今でも、一応動いてはいるんだけど」

「……それ、見てて楽しいのか?」

 

 目を逸らされた。

 

「……じゃあ、血の池地獄とか」

「見てて楽しいのか?」

「……」

 

 返事がない。

 

「…………針山地獄」

「地獄以外でなにか一つ」

「…………」

 

 沈黙が辛い。

 勇儀が大笑い。

 

「あっははは、だから言ったでしょ! そういう場所なんだよここは、ほらだから諦めて私と酒を呑もうじゃないか」

「本当か? 本当になにもないのか?」

「じゃあとりあえずお酒十本追加ねー。もちろん一升瓶で」

「おいコラ」

「……せ、聖輦船! 聖輦船はどうかな!」

 

 危うく月見の二日酔いコースが確定する間際、救いの手を差し伸べてくれたのは少女だった。両手をわたわたさせている。

 

「地底の空を飛んでるお船なんだよ! 珍しいでしょ!」

「ほう?」

 

 空飛ぶ船、と聞いて月見が思い出したのは、千年以上も昔の都で見た月の方舟だった。まさかあれと同じような船が、地底の空を飛んでいるというのだろうか。

 見上げる先で空飛ぶ船が駆ける光景を夢想した時、好奇心が一気に傾いたのを感じた。

 

「それって、乗れたりするのか?」

「どうだろ……でも、そのお船に乗ってる妖怪さんが、たまにお酒を呑みに来てくれたりするよ。すごく優しい妖怪だから、話せば大丈夫かも?」

「ほう、そうか」

 

 月の方舟を見たのは千年以上昔の話で、しかもほんのひと時だけだったからほとんど覚えていない。一度月の世界へ行った時も、空を飛ぶのは弾幕やら光線やらで、空飛ぶ船を拝むのはついぞ敵わなかった。

 あれと似たような船を地底のどこかでお目にかけられるとなれば、探さないという選択肢はなさそうだ。

 微笑み、

 

「ありがとう。探してみるよ」

「う、うん! ああ、よかった……」

 

 看板娘の端くれとして、客におすすめスポットの一つも紹介できないようでは沽券に関わるのだろうか。少女はほっと胸を撫で下ろして一礼すると、可愛らしい小走りで店の奥へと戻っていった。「おとーさーんおさけじゅっぽーん」と聞こえた気がするが、まあ月見の幻聴だろう。そうに決まっている。

 勇儀が早くも二杯目を空にする勢いで、頬杖をつきながら大盃を傾けている。

 

「聖輦船ねえ。私も見たことはあるけど、旧都の上は滅多に飛ばないよ。見つかるといいけどねえ」

「式神を使ってでも見つけてやるさ」

 

 せっかく地底にやってきたのだから、ここでしか味わえない経験を楽しむべきだ。酒を呑むのなんて、地上に戻ってからでもいつだってできる。

 いよいよ月見に酒を呑む気がないとわかって、勇儀は若干不機嫌になったみたいだった。

 

「それよりもあんた、聖輦船もいいけどちゃんと藤千代に会っときなよ。あんたがここに来るの、もうずっと楽しみにしてたんだから」

「ああ……」

 

 そういえば、月見がこの店を選んだ元々の理由は、藤千代の居場所を訊くためだった。知り合いに出会えてすっかり安心し、忘れてしまっていた。

 

「千代がどこにいるか、知ってるか?」

「んんっと……多分地霊殿じゃないかね。今日はそこに行くって言ってたような気が」

「地霊殿……?」

 

 勇儀は頷き、

 

「旧都の中心にある洋館だよ。紅魔館の地底バージョンみたいなもんさ。まああんな悪趣味な見た目はしてない、普通の洋館だけどね」

「ふうん……千代の知り合いでもいるのか?」

「うん。古明地さとりっていう」

 

 聞き覚えのある名前だったので記憶を遡り、ほどなくして、藤千代が友達だと言っていたのを思い出す。

 それならば話が早い。

 

「じゃあ聖輦船は一旦置いて、まずはその地霊殿とやらに行ってみようか」

「……ところで月見。あんたその、さとりって妖怪のこと、知ってるのかい?」

 

 歯切れが悪い上に視線を合わせようとしない、なんともよそよそしい問い掛けに、いいやと首を振った上で、

 

「でも単純に考えれば、覚妖怪だろう?」

 

 覚――鬼や天狗、狐や河童に比べれば劣るものの、全国的に広く知られる有名な妖怪だ。野山の奥に棲み、相手の心をすべて見透かす特殊な能力を持っている。そこだけ聞くとなんとも厄介そうだが、山に入ってきた人間をこの能力でからかおうとしては偶然焚き木が弾けて顔にぶつかったとか、運悪く桶のタガ(・・)が外れて顔面を直撃したとか、果ては思いがけず飛んできた斧で大怪我しそうになったとか、とにかく不幸な目に遭っては「人間は心にもないことを突然してくるから恐ろしい」と言い残して去っていくという、なにかと不憫な説話がつきまとっていたりする。

 とはいえ、心を読む覚妖怪の能力が、恐ろしいものであるのに変わりはない。

 

「いいのかい? 覚妖怪は私らの心を……」

 

 そこまで言いかけて、勇儀は脱力するように吐息。

 

「……まあ、あんたがそんなこと気にするはずもないか」

「ッハハハ、そうだね」

 

 もちろん月見だって、生まれて初めて覚妖怪と知り合った時は、片っ端から心を読み尽くされて苦い思いをした。だがそれも過去の話だ。外の世界を歩いていた分だけ数百年のブランクはあるが、さほどひどい事態にはならないはずである。

 慣れればどうってことないよ、と言えば、勇儀は感心半分呆れ半分で、

 

「はあ、アレを『慣れ』の一言で片付けられるあんたはさすがだね。同じ地底の連中ですら距離を置いてるってのに」

 

 徳利一本分の酒をほどほどに消費しつつ、さとりという少女について、勇儀から少し詳しい話を聞いてみる。あけすけな話をしてしまえば、心を見透かされて嫌な思いをしない者などそういないわけで、さとりはこの地底でも爪弾き者になっているらしい。建物自体は灼熱地獄に蓋をする意味合いもあって旧都の真ん中に建てられているけれど、藤千代以外に好んで近づこうとする者はまずいない。向こうもそれを理解してか、大抵の用事は遣いを立ててざっくりと済ませ、滅多なことでは姿を見せない筋金入りのひきこもりだとか。

 

「藤千代は、あの能力があるからね。上手い具合に調節して、心だけを読まれないようにしてるらしいよ」

「なるほどね」

 

 勇儀の口振りに、普段の快活さは見て取れない。心を読まれる難しさと、鬼としての人情の間で、彼女の心は複雑に揺れているようだった。

 それを取り繕うように、空元気に笑う。

 

「ま、そいつに会ったらよろしく頼むよ。私らじゃ上手くできないだろうし、向こうも迷惑だろうしね」

「……そうか」

 

 なんにせよ、まずは藤千代に頼まれた通り、さとりと会ってみるのが第一歩なのだろう。

 ちょうど酒が片付いたので、財布の準備をしながら立ち上がる。

 

「……狐のお兄さん、行っちゃうの?」

「ゆっくりしてる時間も、あんまりないしねえ――って、」

 

 一瞬は勇儀に呼び止められたのかと思ったが、それにしては声が幼すぎる。隣を見れば、一体いつの間にやってきたのか、看板娘の少女がじっと月見を見上げていた。

 今生の家族と生き別れするかのような、とてつもない悲愴に満ちた顔で。

 

「ど、どうした?」

 

 あー始まった、と勇儀が小さく苦笑いしている。

 少女は涙声で、

 

「もう行っちゃうの?」

「ああ、お酒も呑み終」

 

 少女がじわりと涙目になった。月見は続けるはずだった言葉を見失った。

 潤んだ瞳で、潤んだ声で、

 

「本当に行っちゃうの?」

「……」

 

 うるうる。

 

「やだよぅ……」

「…………」

 

 うるうるうるうる。

 

「もっと一緒にいたいよぅ……」

「………………」

 

 うるうるうるうるうるうるうるうる。

 ひっく。

 

「……、……じゃあ、もう一杯だけもらうよ」

「! うん、待っててねっ!」

 

 途端に目に沁みるほど眩しい笑顔を咲かせ、欣喜雀躍しながら駆けていった少女の背を、月見は最後まで見送ることができなかった。目頭を押さえて俯く。

 くっくっく、と勇儀が低く喉を震わせている。

 

「破壊力抜群だよねえ、あれ。わざとやってると思うでしょ? ところがどっこい、あれがあの子の素なんだよねえ」

「……やられたよ」

 

 半ば倒れ込むように、椅子の背もたれに深く身を預ける。

 

「あれのお陰で気がついたら財布がスッカラカンになってたってやつ、結構いるんだよねえ」

「おいおい、そんなに持ってきてないぞ……」

「や、持ってこなくて正解だよ。どうせ根こそぎ搾り取られるんだから、少ない方がいい」

「……」

「とんだ商売上手もいたもんだよねえ」

 

 まったくだ。あんなに本気で悲しんでいる女の子を無視し帰りなどすれば、人格を疑われたとしても文句は言えそうにない。

 どうやらこの呑み屋は、一度足を踏み入れてしまった以上、少女のお許しが出ない限りは帰らせてもらえない魔の巣窟らしかった。もはや悪辣な詐欺のようだが、幼い少女の純朴な心が相手となっては、いくら月見とて分が悪すぎた。

 

「はい、おまちどおさま!」

 

 少女が、足の指先から頭のてっぺんまで喜びに満ちあふれた様子で、月見のところに新しい徳利を持ってくる。

 

「それじゃあ、ごゆっくり!」

「……ああ」

 

 少女の笑顔を正面から見返すこともできない。ぱたぱたぱた、と可愛らしい小走りが消えていったのを確認してから顔を上げれば、勇儀がによによと嫌な口で笑っていた。

 大盃を掲げ、

 

「そんじゃあ、改めて乾杯と行きましょうか。――新たな犠牲者の誕生を祝って、ね」

「……はいはい」

 

 もうどうにでもな~あれと思いながら、月見も投げやりな動きで徳利を掲げる。

 

「――あ、勇儀お姉ちゃん、狐のお兄ちゃん! 一升瓶十本、もうちょっとで持ってくからね!」

 

 冗談だろう、と泣きたくなった。

 

 

 

 

 

 ○

 

 

 というわけで、月見の財布は空になった。

 

「……やれやれ」

 

 本当に、もう、それしか言葉が出てこなかった。居酒屋で金を使い切るなど初めての経験である。勇儀も言っていたが、大した数を持ってきていなくて本当に助かった。

 幸いだったのは、最低限酒を呑まされずに済んだことだろうか。一升瓶十本を抱えて勇儀は呑ませる気満々だったが、これから地霊殿に向かうんだからやめてくれと必死に説得した甲斐あって、昼食を奢る方向で見逃してもらえた。なので月見の財布を素寒貧にした大部分は、「いっぺん食べてみたかったんだよね~」と調子に乗ってフルコースを頼んでくれやがった勇儀である。

 まあ、手痛い出費ではあったが、酔っ払うほど酒を呑まされてしまうよりかはずっといい。とりあえず、もしまたあの居酒屋を訪ねる機会がある時は、酒一杯分だけのお金を財布に入れて行こうと心に誓う月見だった。

 雨脚和らぎ音もなく小雨が降りしきる中、地霊殿は、さほど探すまでもなく見つかった。元々旧都の中心にある建物だけに、街道に沿って進むだけですぐだった。

 少なくとも月見が目にした中では、旧都唯一の洋風建築だった。正面には天主堂を思わせる背の高い塔屋があり、そこから左右に伸びる白い外壁は、途中でそれぞれ直角に折れ曲がり、奥へと向かって続いていっている。上空から見下ろせば、恐らく綺麗な四角形を描いていることだろう。吸血鬼が住む不気味な紅魔館とはまさしく逆で、聖堂を前にしたような荘厳さは、ここが地獄であることを忘れさせる偉容に満ちている。

 紅魔館の外観にすっかり慣れてしまった月見としては、いい意味で予想を裏切られた思いだった。自分の中の常識が、幻想郷に侵されてきているのを感じる。

 ともあれ。

 

「……ふむ」

 

 洋館の周囲には背の高い白の囲いが巡っていて、正面には紅魔館と同じく、堅牢な鉄製の門がそびえている。ただ、門番の姿が見当たらないのだけれど、用がある場合はどうすればいいのだろうか。勝手に入ってしまうのはさすがに気が引ける。

 と、視界の端に小さな黒い影。

 

「おや」

 

 黒猫であった。ただし尻尾の先が二又に分かれているので、猫又かなにかの妖怪と見える。

 黒猫は門の隙間をくぐり抜け月見の足下までやってくると、なー、とひと鳴きして、地霊殿の方へと踵を返した。

 

「……ついてこいって?」

 

 黒猫は振り向き、

 なー。

 ゆらゆら揺れる二尾の尻尾が、月見を手招きしているようだったので。

 

「……どれ、お邪魔します」

 

 門に錠は掛かっていなかった。ギイ、と金具が軋む音とともに足を踏み入れれば、すぐに洋風の庭園がお出迎えをしてくれた。中央の白い煉瓦張りの道を中心に、左右対称となるように植物が配置されていて、立体的に刈込みされた形は、迷路めいた幾何学模様を描いている。確か、幾何学式庭園と呼ばれるデザインだっただろうか。どうやら冥界の庭師にも引けを取らない、優秀なお手伝いさんがいるようだ。

 庭園を抜けた先は今度は白いタイル張りの階段になっていて、屋敷の玄関へと続いていた。タイルを踏み鳴らす小気味良い音とともに登りきってみれば、一足先に到着していた黒猫が、玄関の扉を爪でカリカリ引っ掻いていた。開けてー、ということらしい。

 唐傘を畳んで、しっかりと水気を切ってから、

 

「はいはい、今開けるよ」

 

 なー。

 観音開きの扉を引き開ける。木材の軋む音。すぐに黒猫が体を滑り込ませ、そのままエントランスの奥へ走り去っていこうとする。

 

「あ、おい」

 

 呼び止めれば、黒猫はこちらを振り返って、

 な!

 

「……ここで待ってろって?」

 

 なー!

 どうやら人を呼んできてくれるらしい。なかなか接待上手な黒猫だった。

 人を待つ間、月見は手持ち無沙汰にエントランスの景色を観察してみることにした。元々薄暗い地底に建つだけあって、屋敷の中も少々薄暗い。フロアは吹き抜けで、正面には二階へ上がる大階段。登った先には大きなステンドグラスがあり、その下で通路は二つに枝分かれて、一階と同様に左右の廊下へとつながっていく。壁の随所ではランプが淡い明かりを灯していて、ステンドグラスの光彩と幻想的な調和を成している。天井は高く、繊細な意匠をこらした純白の柱で支えられた威容は、まさしくどこかの聖堂にでも迷い込んだと錯覚させられるほどだ。

 なのでついつい上ばかりを見てしまいがちだが、視線を下ろしてみれば、足元にもまた面白いものがある。

 床の所々がステンドグラス張りになっていて、しかも、ほのかに光っているときた。

 

「……へえ」

 

 近づいて見てみれば、どうやらステンドグラスの下は空洞になっているらしい。触ってみるとじんわり温かい。灼熱地獄の上にある建物だというから、もしかしたらその熱を利用しているのかもしれない。

 天然の床暖房完備、というわけだ。踏み抜いたら怖いので、一応、上には乗らないでおく。

 

「すみません、お待たせしてしまいました」

 

 と、廊下の奥からぱたぱたと足音。振り向き見れば、この屋敷の主人にしてはまだ年若い、菫色の髪をした少女がいた。

 

「あら、どうされたんですか? ……ああ、確かに床をステンドグラス張りにしてるのは珍しいかもしれませんね」

 

 だが一瞬で心を読み透かされたあたり、恐らく、彼女が古明地さとりで間違いないだろう。心臓の前で瞳を開く生々しい眼球は、第三の目。覚妖怪が相手の心を読む時に使う、特別な器官だと聞いている。

 

「ええ、そうです。私がこの地霊殿の主、古明地さとりです。はじめまして、月見さん」

 

 こちらの名を知っているということは、既に藤千代から色々と話を聞かされているのかもしれない。

 不思議な印象を受ける少女だった。西洋館の主人といえばレミリアの姿が真っ先に思い浮かぶが、あのお転婆お嬢様とは百八十度違って、立ち振る舞いは楚々と垢抜けており、落ち着きを払って佇む様は外見以上に大人びている。一方でフリルを多くあしらい可愛らしく着飾った姿は、レミリアと同じくらいに幼いようにも思える。更にどこか違う世界にいるような感情の読めない瞳も相まって、見方次第で大人にも子どもに見える、錯視絵めいた女の子だった。

 興味深く思っていると、さとりがふいに顔を赤らめて、一歩後ろに仰け反った。

 

「か、かわっ……い、いきなりなにを言うんですか、もうっ」

 

 ……ああ、そこに反応するんだ。

 

「そ、それに興味深いって……そんなの突然困りますっ」

「……一応弁解しておけば、いや弁解しなくてもわかるだろうけど、変なことは考えてないよ?」

 

 月見の頭の中は、全部筒抜けなのだし。

 

「それはまあ……わかってますけど……」

 

 いきなりペースを乱されたのが悔しいのか、さとりはむ~としばし月見を睨んでから、コホンと咳払いをして仕切り直しした。能力を使って常に相手の行動を先読みしていくからこそ、予想外の事態にからっきし弱いという弱点は、どうやら覚妖怪の伝承通りらしい。

 

「と、ともかく。藤千代さんから話は聞いています」

「具体的には、どんな風に?」

「えっ……、それは……その……」

 

 さとりが、「えっちょっとそんなこと言っちゃっていいのかしら」みたいな困った目をした。その反応だけで、彼女が一体なにを吹き込まれたのか容易に予想がつく。大方、目の前で藤千代が何度もトリップしだして大変だったことだろう。

 

「は、はい……藤千代さんには悪いんですけど、かなり大変でした……。あっ、もちろん私、藤千代さんのお話が全部本当だなんてちっとも思ってないので安心してくださいね!?」

「……ああ」

 

 なんだか気を遣われた。えーっと大変かもしれませんけどとりあえず頑張ってください負けないでくださいね応援してますから嘘じゃないです本当ですよ!? とかそんな感じのさとりの心の声が、月見には聞こえた気がした。

 さとりが大きめの咳払いをした。

 

「と、とにかくっ。地霊殿までようこそいらっしゃいました。お茶を出すので、ゆっくりしていってくださいね」

「おや、いいのか?」

 

 てっきり月見は、地上の妖怪に飲ませる茶なぞあるかー! と塩をまかれる可能性も考えていたのだけれど。

 

「そんなことしませんっ! 嘘か真かはさておき、藤千代さんから話は伺ってますし……」

 

 多分半分くらいは嘘だと思う。

 

「半分もですか!? ……あっ、ええと……と、とにかくゆっくりしていってくださいって話です! もおっ!」

 

 怒られた。やはり頭の中身がすべてダイレクトに伝わってしまうのは、少しばかり考えものである。

 ……正直、面白い反応だなーと思ったのは月見だけの秘密だ。

 

「お、おもしろっ!?」

 

 しまった、月見だけの秘密が。

 さとりは頬をじわじわと赤くして、

 

「つ、月見さん! あなた、私をからかってますか!?」

「や、悪い悪い。覚妖怪と話すのは久し振りだから、ちょっと勘が戻らなくてね」

「ということは、これがあなたの平常運転なんですね……」

 

 とても物言いたげなさとりの半目を無視して、月見は思考を覚妖怪用に切り替える。コツは、一切の雑念を振り払うことだ。幻想郷に戻ってきてからは悟りの境地に至ることも増えたので、どうってことない。

 

「どれ、それじゃあお言葉に甘えさせてもらうとしようかな。千代もいるんだろう?」

「……はい。では、ご案内します」

 

 さとりはなおも不満げだったが、結局諦めたらしい。ため息をついて、静かな足取りで月見を先導し始める。

 月見は、さとりの小柄な背中に続きながら、

 

「……ちなみに、今は私の心は読めるのか?」

 

 覚妖怪は、胸の前にある第三の目を使って相手の心を読むという。ということは、想像だけれど、さとりが背中を向けている今は、心を読まれないのではないか。

 どうやら当たりだったらしい。さとりは静かに首を振り、

 

「いいえ。今のあなたは、第三の目の死角にいますので」

「なるほど」

 

 となれば、無理に雑念を滅却しなくても大丈夫そうだ。

 古明地さとりは、覚妖怪の割にはひどく物腰が柔らかだった。月見の記憶にある覚妖怪は、己の能力を存分に発揮して相手の心を読み、からかうのを生きがいとした種族だったはずなのだけれど、少なくともさとりからは、こちらをからかってやろうという悪戯心は感じられない。久し振りに覚妖怪と話をする月見としては、肩から力を抜けるというものだ。妖夢や慧音ほどではないにせよ、リアクションも申し分ないので、またからかってみても面白そうだし。

 

「今、なにか失礼なこと考えませんでした?」

「え? 今は心は読めないんじゃ……」

「か、考えてたんですね!? まさかと思って鎌をかけてみましたけど、案の定です!」

 

 なんと、してやられた。覚妖怪だけあって、そのあたりの勘は鋭いのかもしれない。心を読まれないからといって油断できない。

 さとりが顔を赤くしながら振り返る。

 

「藤千代さんが言ってました、たまにいじわるな時があるって! どうやらそこは嘘じゃなかったみたいですね!」

「失敬な。実際にお前になにかをしたわけでもないだろう?」

「考えるだけでも充分いじわるですっ」

 

 つーんとそっぽを向いてまた歩き出す、そのさとりの背中を見て、月見は低い声で苦笑した。やはり、いちいち悪くない反応だった。

 

「もうっ……覚妖怪をからかおうとする妖怪なんて、初めて見ました」

「そうかな」

「ひ、否定しませんでしたね!? からかおうとしてたんですね!?」

 

 しまった、またやってしまった。やはりこの少女、可愛らしい見た目以上に侮れない。

 

「か、かわっ……またそんなことぉ!」

 

 しまった、いつの間にかさとりがこちらを振り返っている。これでは頭の中がすべて筒抜けだ。

 まあ結果的には見てて実に面白いので、悪くないけれど。

 

「お、おもっ……あなた、さっきから一体なんなんですか! 心を読まれるのが嫌じゃないんですか!?」

「いやすまん、さっきからお前の反応がどうにも面白いから、これなら心を読まれるのも悪くはないなって」

「いじわるっ!!」

 

 狐の悪戯心をツンツン刺激するものがある。顔を真っ赤にして思いっきり叫んださとりは、ぷい! と実に勢いよくそっぽを向いて、それからため息とともにがっくり肩を落とした。

 

「もう、調子狂うなあ……」

「私は、そのままのお前でいいと思うよ?」

「それって面白いからですよね!? 絶対面白いからですよね!?」

 

 覚妖怪・古明地さとり、ツッコミの才能が光る。

 

「ツ、ツッコ……も、もういいです! もう先に行きますからね!? いいですね!?」

「ああ、うん」

 

 むしろここまで過剰に反応してくれるのが律儀すぎるというか。回れ右をしてずんずん歩き始めたさとりの背中に、月見も置いていかれないようにしっかりついていく。さとりは若干不機嫌になってしまったらしく、それ以降は進んでこちらに話しかける様子はなかった。

 そうしてステンドグラスが淡く光る廊下を、しばらく進んで。

 

「……月見さん」

「ん?」

 

 さとりの足取りが段々心もとなくなって、とあるドアを前にしたところで遂に止まった。応接室、と書かれている。どことなく途方に暮れたというか、どうしたらいいのかわからなくなっている迷子みたいな面持ちで、一心にドアノブを見つめている。

 

「……どうした?」

「いえ。私も、すっかり忘れてしまってたんですけど……」

 

 さとりがドアノブに手を掛ける。気持ちを落ち着けるように一つ深呼吸をしてから、決死の覚悟を決めた様子で開け放った先には――

 

 

「――えへへへへへやーですよさとりさんったらああでもさとりさんがそう言ってくれるということは私と月見くんは傍から見ればそういう関係に見えなくもないってことですよねああそういえば月見くんはいつになったらこっちに遊びに来てくれるんでしょうこうやって焦らすのは月見くんの得意技ですけど焦らしすぎってのも問題ですよね私ってあんまり我慢強い方じゃないですしこのままだと色々大胆な行動に出ちゃうかもしれませんようふふふふふ月見くん月見くん早く来ーい早く来ーい……」

 

 

 ソファーの上をバタバタ転がりトリップしている、藤千代がいて。

 

「……これ、どうすればいいんですか?」

 

 なんだか泣きそうになっているさとりに、月見はため息をつきながら、心の中ではっきりこう返した。

 ほっとけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



※この小説はログインせずに感想を書き込むことが可能です。ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に
感想を投稿する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。